2012年8月26日日曜日

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【2】

松村禎三 『暁の讃歌』Hymn to Aurora〈リグ・ヴェーダより〉

●8月24日金曜日、『暁の讃歌』の準備を進める。トークを行うかどうか、まだわからない。

●リグ・ヴェーダは古代インドの聖典。数あるヴェーダ聖典群のひとつで、最古。もともと口承され、文字の発達と共に編纂・文書化された。中央アジアの遊牧 民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含み、紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された。全10巻、 1028篇(補遺11篇)。

●サントリー音楽財団コンサート「作曲家の古典'98 松村禎三」プログラムに、松村先生のこんな言葉を見つけた。
「いつの頃からか、もっと混沌とした巨大な乙男堆積のようなものが漠然と私のイメージの中に棲みついていた。そうしたある時、アジアに点在する仏教、ヒン ズー教等の寺院の厖大な石仏たちの度肝を抜くスケールの“群”の写真を見た時、私はそこにはっきり自らの先祖を見たように思え、大きい示唆と励ましを受け た」(「交響曲」プログラムノート)
これと同じことを伊福部先生がいっている。アジア的な大きさに対する憧れ、それを作曲家としての自分のものにしたい願望。

●松村禎三先生の遺稿集『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社)を購入して読む。これはおもしろい。一冊まとめての書き下ろしといった体裁ではない、プログラムの短文や折りに触れてのエッセイなどの集積だが、文字通りのドキュメントになっている。

●楽譜を探したが絶版なので、まず東京文化会館の音楽資料室へ行く。夏休み。明治学院に引っ越した日本近代音楽館に行く。すでに閉館30分前だが、オリジ ナル版(混声合唱とオーボエ・ダモーレ、打楽器、ハープ、チェロ、ピアノ、オルガン)と編曲版(混声合唱とオルガン、ピアノ)の楽譜をチェック。コピーし たかったが、受付時間を過ぎていたので写す。詩は以下の通り。(*印は作曲に際しての、松村先生の工夫)

紅のめぐみの光 世を照らし、
暁のうるわしの姫は出(い)でましぬ。(*繰り返し)
遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。(*繰り返し)
目ざめよ、もろ人、命の息はよみがえる。(*「命」以下、繰り返し)
闇は去り、光は満つる。(*無限に繰り返し)
暁の姫の御手(みて)は日の神を招くなり。(*この行、「闇」の行前に移動)
神は永久(とわ)なり、人も永久なり。

●楽譜にある松村先生の言葉。
〈訳者の許しを得て、語句を前後させたり、重複させたり〉
〈「来る世もかくてありなん」を「かくありなん」とした。曲の必然によるもの〉
詩の繰り返し、順序の入れ替え、さらに言葉ではないうなりのような声音も発せられる。これは詩を書く者には見逃せない大事なこと。詩がどのように音楽にな り、音楽が詩をどのように歌うのか。トロッタでも当たり前のように起こっている現象。トロッタはこの問題を追究しているといっていい。

●『暁の讃歌』オリジナル版は、1978年7月から10月にかけて作曲。11月15日(水)初演。東京混声合唱団第78回定期演奏会。東京教育会館にて。オルガンとピアノ版は79年2月、同合唱団で演奏。
今回の演奏は、甲田潤氏の編曲。混声合唱を女声合唱とする。初演版との相違は以下のとおり。楽器は初演で使用されたもの、および初演者名。括弧内は、甲田氏編曲版。

オーボエ・ダモーレ 石橋雅一(そのまま演奏)
打楽器 有賀誠門(一部シンセサイザーで演奏)
ハープ 川井道子(ピアノで演奏 松村先生編曲版に基づく)
チェロ 苅田雅治(そのまま演奏)
ピアノ 田中瑤子(松村先生編曲版+ハープを演奏)
オルガン 富米野玲子*初演時の使用楽器は、Roland社製 パラフォニック505番(ほぼそのまま演奏)

*以下、編曲版の楽譜に松村先生が記した言葉。
オルガンは、初演時はRoland社の電子オルガンを使ったが、パイプ、電気によるものを問わず、楽器の種類は限定しない。
音色は、部分部分のイメージを受け止め、その時の感じで作っていただければよい。
冒頭は、オーボエ・ダモーレに近い重簧楽器で。
[103]小節以降の「遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。」と最後の部分は、永遠の彼方から吹き寄せる風と光のイメージで(作者記)。*オルガンで演奏する部分
同年(1978年)作曲の「ピアノ協奏曲2番」と合わせてサントリー音楽賞受賞作品となった(作者記)。

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