2010年10月31日日曜日

「トロッタ12通信」.23 (*10.28分)

 寒い日でした。しかし、そんなことはいっていられません。寒さは感じません(からだには無理が来ていると思います)。一日、仕事に追われました。仕事をしないことには、トロッタのための資金を得られません。仕事の合間を縫って、皆さんに連絡を取るなどしました。



紫苑(しおん)
木部与巴仁 「詩の通信 II」第19号(2008.3.31)

絵を描いたまま
死んでいった人へ
それは紫苑の姿
花は紫
ひとつかみの茎が
命をなくして横たわる
この花こそ
遠くない日の自分かと
筆を杖として
画布に向かった

紫苑は浮かぶ
白い影に
息絶えている
描き終われば死ぬ
わかっていながら描いた
紫の命
私は紫苑

生きたいと
その人は一度も
訴えたことがなかったという



 橘川さんが、詩歌曲、あるいは詩曲に求めているものは何でしょう? 近いところでは、橘川さんの第四回個展で演奏した『夏の國』があります。非常にドラマチックで、しかも音楽的に完成された曲でした。橘川さんは毎回、詩唱を編成に組み込んだ曲を書いてくださいます。
 橘川さんと初めてふたりで会い、酒井健吉さんの曲の演奏風景をビデオでお見せした時、こういうことがしたかったのですと、彼はいいました。音楽の流れにおいて、朗読は、邪魔と受け取られる場合が多いと思います。朗読のための曲が少ないことで、それは立証されるでしょう。歌であれば、流れを阻害しません。つまり、メロディやリズムがあって、流れに乗っているから。朗読はメロディやリズムがなく、流れに乗っていません。しかし、私が橘川さんにお見せしたのは、演劇的と見え、つまり音楽的ではなく聴こえ、語りと見え、つまり歌には聴こえない、それでいて音楽作品として書かれ、BGMなどではなく音楽の進行と関わることを計算された作品だったのです。
 一般の作曲家が感じる違和感を、彼は感じないということでしょうか。
 それだけ彼は、一般の音楽観にとらわれていないということでしょうか。
 語り、朗読、詩唱に、彼は音楽を感じるということでしょうか。
 書いておきますと、私は、音楽の流れに乗る詩唱をするべく、心がけています。音楽を阻害したくありません。私の詩唱が、楽器の演奏から、何がしかの音楽性を引き出せればいいとさえ思います。つまり、他の方とかかわりあって音楽を創りたいということ。いうまでもない、当り前の話です。
 映画やテレビの音楽を、観ながら聴いていますと、さほど厳密な計算はされていないことがわかります。むしろ、厳密な計算は邪魔でしょう。出演者が驚いたり、観客を驚かせたい場面で大きな音を出す。哀しい場面で抒情的な旋律を演奏する。こんな方法は愚の骨頂です。ただの伴奏音楽です。これは困難だということを承知で書きますが、役者の演技で、観客に驚きや哀しみを伝えなければなりません。音楽の助けはいりません。私の詩唱は、いえトロッタの詩唱は、音楽を伴奏とするものであってはなりません。一緒に進行するというだけです。私には、音楽の伴奏を、詩唱がするくらいの気持ちがありますが、これは言い方であって、どちらがどちらの伴奏などでは決してないのです。(かといって、伴奏をおとしめているのではありません。あまりにも、音楽をBGMとして扱う朗読が多く、音楽に雰囲気作りを助けてもらおうとする、依頼心があからさまな朗読が多いので、注意をしたいのです。歌曲における、伴奏者と呼ばれる方々の努力を無視したくありません)
 今回の『黄金の花降る』で目立つのは、繰り返しです。
 詩唱者はふたり。私と中川博正さんです。中川さんが詠んだ直後、私が同じ言葉を繰り返す。このパターンが非常に多くあります。
中川「それは 紫苑の姿」 木部「紫苑の姿」
中川「それは 紫苑の姿 花は紫」 木部「花は紫」
中川「紫苑は浮かぶ 白い影に」 木部「白い影に! 息絶えている」 中川「息絶えている」 木部「描き終えれば 死ぬ」 中川「死ぬ」 木部「死ぬ」 中川「描き終えれば 死ぬ」 木部「描き終えれば」
 これは何でしょう。エコー? こだまでしょうか? 

2010年10月30日土曜日

「トロッタ12通信」.22 (*10.27分)

 池袋のフォルテにて、朝10時から、田中修一さんの『ムーヴメント.No3』と、橘川琢さん『黄金の花降る』の合わせを行いました。私はギターと歌のレッスンでしたが、休みました。そうするのが最善だと判断しました。また、10月31日(日)の練習場所を確保しました。東京音楽学院の練習室です。田中修一氏から連絡があり、『たびだち』の編曲が終ったので送るといいます。早急に仕上げていただきました。ありがたいことです。



檸檬館
木部与巴仁 「詩の通信 II」第22号(2008.5.0)

檸檬館へ行こう
父が誘ってくれた
小さなフルーツパーラー
デパートの地下にある
カウンターだけのお店

檸檬館へ行こう
父の声を覚えている
人の言葉を聞かない人
自分の言葉を聞いてほしい人
甘えん坊だったのかな

檸檬館へ行こう
女の人が好きだった
いつも誰かがそばにいた
娘の私もそばにいた
母は何もいわなかった

盛りあわせをお願い
それからこの子の好きなもの
にっこり笑ってみせる
メニューもせりふも決まっていた
父はずっと父だった

病院のベッドに持っていった
檸檬館の盛りあわせ
父はおいしいといって食べた
やさしい顔だった
やさしいまま死んでいった



 橘川琢さんは、詩曲『黄金〈こがね〉の花降る』~紫苑・くろとり・黄金の花降る・檸檬館~を出品されます。すべて、私の「詩の通信」から選んだ詩を用います。個々の詩について、というより、橘川さんの曲に向かう、私の課題を書きます。
 詩、それを詠むことには、詠み手固有のメロディやリズムが生まれると、私は以前から書いてきました。確かにそうだと思いますが、少し遠慮して、メロディらしきもの、リズムらしきもの、というべきかもしれません。それらは、通常、考えられているようなメロディ、リズムとは違うようです。意識せず、偶然に生まれたメロディであり、リズムです。音程などありません。リズムやアクセントの感覚も希薄です。音程もリズム、アクセントも、たいして意識していないともいえます。普段、喋る時に、どちらも意識しないように。朗読で意識するのは、声が響くかとか、声が届くかどうかとか、抑揚とか滑舌とか、そんなことで、リズムやメロディを意識しなくても、朗読はできます。やはり、メロディやリズムは音楽的なことで、朗読は演劇的なことです。
 仮にメロディらしきもの、リズムらしきものがあったとしても、あまりに詠み手に帰属するものなので、他の人が詠むと、まったく違ったものになります。詠み手ですら、詠むたびに音程が上がったり下がったり、声が伸びたり縮んだりします。それは作曲家の手が届かないところにあるもので、作曲家は、朗読者にまかせざるをえません。実に心もとない話です。それで作品といえるでしょうか? アンサンブルにおいて、楽器奏者が注意を払う、他の方と合わせる要素に、厳密性が求められません。だいたい合っていればいい、といえます。だいたい合っていれば、聴く側も違和感を感じません。多少ずれても、それがおもしろい場合があるでしょう。そんな適当なことでいいのでしょうか?
 これはトロッタのことだけでなく、世の中の、音楽と行う朗読表現すべてについて、私は書いています。音楽は、詩のBGMになってはいけません。詩は、音楽に雰囲気作りをまかせてはいけません。音楽は、安易な詩をおびやかすべきです。詩は、仮に単独で詠む場合、自ら雰囲気を作るべきだし、音楽性を作るべきです。詩と音楽は、対等でありたいと思います。対等に詠まれ、演奏されて初めて、一段高い表現を望めることでしょう。

「トロッタ12通信」.21 (*10.26分)

 青木希衣子さんと打ち合わせました。『ガラスの歌』の代りとして、青木さんが得意とする、ロベルト・シューマンの『女の愛と生涯』を歌っていただくことになりました。ピアノは森川あづささんです。シューマンは1810年生まれで、今年が生誕200年です。『女の愛と生涯』は、シューマン30歳の曲で、詩は、アーデルベルト・フォン・シャミッソーです。女が男と出会い、結婚して死に別れる。私としては、これまで縁のなかったシューマンの曲をトロッタで演奏できることを、積極的に、前向きにとらえたいと思います。



(『第四間氷期/ブループリント』より)
 死にたえた、五〇〇〇メートルの深海で、退化した獣毛のようにけばだち、穴だらけになった厚い泥の平原が、とつぜんめくれあがった。と見るまに、くだけちって、暗い雲にかわり、わきたって、透明な黒い壁を群らがって流れるプランクトンの星々をかきけしていった。
 ひびだらけの岩板がむきだしになった。それから、暗褐色に光る飴状のかたまりが、おびただしい気泡をはきだしながらあふれだし、数キロメートルにわたって古松の根のような枝をひろげた。噴出物がさらに量をまし、その暗く輝くマグマも姿をけした。あとはただ、巨大な蒸気の柱が、海雪(マリンスノウ)をつらぬいて渦まきふくれあがり、くだけながら、音もなくのぼってゆく。だがその柱も、海面にとどくはるか手前でぼう大な水の分子のあいだに、いつかまぎれこんでしまっていた。
 ちょうどそのころ、二カイリばかり先を、南米航路の貨客船「南潮丸」が横浜にむかって航行中だったが船客も乗組員も、ときならぬ船体の振動ときしみに、一時わずかなとまどいを感じただけだった。……



 大きな風景が見えてきます。やはり文学で、いろいろな意味で、映画とは違うと思います。たどたどしさも感じます。映画なら、もっとスムーズに表現するでしょう。それでも、文学者は、文字で世界を表現します。映像より、文字に可能性を見出しているわけです。もっとも、安部公房は、写真を、作品として使っています。これを柔軟性と見るか、可能性の放棄と見るかは人それぞれです。安部公房の場合は柔軟性でしょう。彼は、写真を撮り、映画のシナリオを書き、戯曲を書き、劇団を作って演出もしました。文字だけに自分の表現を限定しなかった作家です。(安部公房とくらべることはありませんが、私も、トロッタを開いている以上、可能性を文字だけに限定していません)
 田中修一さんが、『第四間氷期/ブループリント』の、どこに魅力を覚えたのかわかりませんが、人が介在しない、こうした描写に、人知れず起こり、進んでいる、人の運命を感じたのかと思います。仮にそうだとして、私は人間の姿を描きたいと思ったので、『未來の神話』のような詩を発想したのです。とはいえ、私もまた、人の姿を細かく書いているとはいえません。大きな掴み方になっていると思います。
 前に書きましたが、『ムーヴメント.No3』については、「ギターの友」10月号に、「ギターとランプ」第3回として、田中修一さんに取材した上での解説文前半を載せました。田中さんの作曲意図を伝えられる内容だと思います。この「トロッタ通信」では、主に詩の観点から書きました。以下に、田中さんの言葉を伝える箇所を引用します。ご興味がありましたら、ぜひ、「ギターの友」をお手に取っていただきたいと思います。後半の掲載は、トロッタが終わってからになります。

「第1回『トロッタの会』の初合わせの帰り道、木部与巴仁さんとお話ししました。音楽で、スケールのある世界を創りたい。2台ピアノの声楽曲など、いいのではないか、と。それができなければ手抜きとみなす、と木部さんは口にされました(筆者註;間違いない)。そうしてできた詩は、『亂譜(らんふ)』と題されていました。瓦礫と化した街を詠んだ内容で、スケールの大きさを感じましたが、楽譜が“亂譜”ではいけません。音楽作品は“ムーヴメント”と題しました。運動、楽章、詩の律動的な調子という意味の言葉です。七拍子を核にしたリズムで詩の世界を表わしたいと考えたのです。幸いに評判がよく、特に電子オルガン版にソプラノでご出演いただいた赤羽佐東子さんから、2番をぜひ、というお言葉をちょうだいしました。それに力を得て、木部さんの詩『瓦礫の王』を用いて作曲したのが2番。そうなると3番もという気持ちが湧いてきまして、木部さんの詩『未來の神話』をもとに書き下ろしたのが、今回の作品というわけです」
 田中の作曲意図は、『ムーヴメントNo.3』においても継続されている。ギター、フルート、ヴィオラの楽器群には、リズムを主体にした演奏が求められている。楽譜を開くと、まずAdagio assai(♩≒52 - 54)、非常にゆっくりとした速度で、詩の第一連が演奏される。(以下略)

2010年10月29日金曜日

「トロッタ12通信」.20 (*10.25分)

 残念なお知らせをしなければなりません。酒井健吉さんから、『ガラスの歌』の出品を取りやめたいという申し入れがありました。その対策を立てなければなりません。最大の問題は、『ガラスの歌』を歌うために、今回、初参加してくださいました、青木希衣子さんに、何を歌っていただけばいいのか、です。また、酒井さんが編曲する予定だった、宮﨑文香さん作曲のアンコール曲『たびだち』は、田中修一さんが編曲してくださることになりました。田中さんには、やはり宮﨑さんの『めぐりあい』を編曲していただきました。感謝します。こうした一連の経緯に詳細はありますが、ここには記しません。ただひたすら、お詫びします。これが、製作を担当している私の実力であり、限界です。申し訳ありません。



未来の神話

木部与巴仁

理想が統(す)べる
幾世紀の果てに
断末魔を聴いていた
命の限界
世の終わりの儀式
千万年が過ぎてゆく

人 翼を負い
魚(うお) 人語を使い
鳥 水を潜(くぐ)って飛ぶことなし
草木(そうもく) 足を生やして歩く時

無慈悲な天の怒りが落ちる
夜ごとの恋と
暁の裏切り
気まぐれな雨に
巡礼たちは濡れてゆく
ためらうな
歩き続けよ
死の淵が口を開いて待っている

川 海となり
山 断崖となり
町 陰鬱の森となり
火の山 凍原となる

涙を詰めた小瓶を海に
鱗をまとった
水底(みなぞこ)の青年が
揺れながら漂う
小さな光に
未来を感じる



 安部公房の『第四間氷期』は、雑誌「世界」の、1958年7月号から、翌1959年の3月号にかけて連載されました。私が生まれた年です。私が言葉も遣えずに空気を吸い、ミルクを飲んでいたころ、安部公房は、この大作に取り組んでいたのかと想像します。
 昭和30年代の初期、安部公房が見ようとしていた光景は、何だったのか?
 もっともらしい疑問ですが、もちろん彼は小説家ですから、光景を、文章に書いているわけです。しかし、もっと何かあるはずです。文章を書く前に見ていた光景。文章にならなかった光景。文章を通して見えて来る光景。
 安部公房は、写真が好きでした。何枚も撮っています。例えば、モノクロームのフィルムに定着させた光景が、文章にならなかった、写真として見るのがふさわしい光景だったと思います。『箱男』には彼の作品がおさめられ、文章と写真で、読者は“箱男”の世界と向き合うように工夫されています。
 『砂の女』や『他人の顔』のように、自分でシナリオを書いて映画化された作品があります。小説ではできなかったことを表現しようとしたのではないでしょうか? 『第四間氷期』もまた、安部公房はシナリオにしています。堀川弘通監督で、映画化が企画されていたようですが、現在のところ、映画化されていません。未来に、その可能性はあります。『第四間氷期』は、何だか私にとって、未来を見るための、未来とはいわなくても世界を見るための鏡のような気がします。田中修一さんも、『第四間氷期』を通して、何かが見えると思うひとりなのでしょう。
 田中修一さんは私に、『第四間氷期』の、「ブループリント」という章を、特に参考にしてほしい、とおっしゃいました。それがなぜかは、尋ねていません。ただ、「ブループリント」には、印象的な文章があります。その文章によるイメージ、ヴィジョンが、もしかすると、『第四間氷期』を書こうとする安部公房に、最初に見えていたのかもしれません。小説全体の書き出しが、まったく同じ文章だからであり、読者は、後はクライマックスを迎えるばかりというころ、改めて、いちばん初めに読んだ文章と再会するわけです。

「トロッタ12通信」.19 (*10.24分)

 日曜日です。だんだん、トロッタ12が近づいてきました。渋谷のヤマハにて、田中修一さんの『Movement.No3』と、『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』を合わせました。その後、駒込のラ・グロットに移動して、ひとり、『イリュージョン』の練習をしました。氷雨が降っていました。
『イリュージョン』のギターソロの箇所は、ほぼ暗譜できました。ただ、時によって間違えるので、本当に暗譜しているとはいえません。なお努力しますが、本番では、譜面を前にして弾きます。譜面をなしにして弾けるほどの力はありません。(ただ、私としては、曲がりなりにも暗譜できたことは、たいへんな進歩です。完全に弾けなければ駄目なので自慢にはなりません。あくまでも私のレベルで、ということの経過報告です)



『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』のような詩を、たくさん書ければおもしろいと思います。しかし、これは本当に、奇遇ですねといいたいような偶然から生まれた詩なので、いつもめぐりあえるとは限りません。今年は梅雨が長く、そんな中でコインランドリーに足を運ぶ道すがら、思いついた詩なのです。思いつきで書いているのかと自問自答しますが、その傾向はあります。思いつかなければ書けない、ということです。
 それと正反対の態度で書いたのが、田中修一さんとの共同作業、“亂譜”のシリーズです。「亂譜」「亂譜 瓦礫の王」と続き、トロッタ12で、シリーズ三作目「亂譜 未來の神話」が生まれます。この詩は、意志の力で書きました。
 田中さんからは、安部公房の長編小説『第四間氷期』をモティーフにした詩を書いてもらえないかといわれました。前回の『瓦礫の王』は、ボルヘスの『ブロディーの報告書』をモティーフに、というリクエストでした。どちらの作家も、私は好きです。ボルヘスはボルヘスなりに、安部公房は安部公房なりに。
 ボルヘスそのまま、という詩を、私はかつて、書きました。あまりにそのままなので、成功していません。どなたも、よいといわないので、評価もしていただけませんでした。憧れだけで書いてしまったというべきでしょう。失敗作です。しかし、いずれはその素材を使って、何とか新しい詩を、真似ではないと思える詩を書きたいと思っています。
 安部公房については、まだ真似に過ぎない詩は書いていません。『未來の神話』も、田中さんからのリクエストはありましたが、『第四間氷期』そのままではないのです。詩を読んで『第四間氷期』を連想する人はひとりもいないでしょう。私も連想しません。ただ、題名は、人間の未来、地球の未来を描いた『第四間氷期』に通じています。未来に神話はないはずです。神話の後に、人が生まれたのですから−神話とは、過去、現在、未来という時間に関係なく存在するものかもしれませんが−。
『第四間氷期』は、長さとしてはさほどではありませんが、何ともいえないスケールを感じます。電子計算機が地面の水没を予想したので、人を改造して、水棲人を作り出そうとする。ものすごく大きな話です。上質のSFは、私の思うところ、神話に似ています。啓示があります。書き手の意志−神話に書き手があったとして−、それを感じさせずに、人のありのままの姿を語り、見せてくれます。
 上質のSFといいましたが、上質の物語は、すべて神話に通じるかもしれません。私の感じるところ、神話とは、人の営みの延長です。人がしてきたこと、するかもしれないこと、していることが、善悪の判断なしに書かれています。神話は、善悪を判断しないものだと思います。神の所行に、善悪の別はあるでしょうか? 太陽や風や海や山や川や星など、自然と神が重ねられているとして、そういった自然には善悪がありません。ただSFは、神話は、人の運命を描くのみです。
 もっといいましょう。
 よくできた詩にも、善悪はないと思います。
 さらにいえば、よくできた芸術作品には、善悪がありません。
 価値観の押しつけは、芸術の務めではないのです。
『未來の神話』と名づけた以上、私は、運命の姿を描こうとしただけで、この詩をもって何かを主張したのではないと書いておきます。

「トロッタ12通信」.18 (*10.23分)

打楽器の内藤修央さんのお宅にうかがい、『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』のために、打楽器を選びました。(この日、別の場所では、今井重幸先生立ち会いのもと、ギターの萩野谷英成さん、打楽器の目等貴士さん、ピアノの徳田絵里子さんの全員参加で、『シギリヤ・ヒターナ』の合わせがありました)
『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』は、チラシにも書きましたが、萩野谷英成さんが高橋力さんと一緒に弾いたヘンリー八世作曲の三曲、Without Discord and Both Accord、Fantasia、Pastime with good Companyを聴き、この音楽で詩を詠んだらおもしろいだろうと思ったことがきっかけで、生まれたものです。主張しない音楽、というのでしょうか。それがバロック音楽の特徴であるかどうかは、詳しくないのでわかりません。音楽との出会いは、どこでいつ、生じるかわかりません。その時の演奏会場は、東武東上線下赤塚駅に近い、カフェ・ラルゴでした。
 イングランド王、ヘンリー八世については、私がここに書くまでもなく、歴史上の著名な人物です。シェイクスピア劇の主人公でもあります。生まれは1491年6月28日、没年は1547年1月28日。
 六人の妻がいたことで知られています。初めての妻は、キャサリン・オブ・アラゴン。1509年に結婚し、1533年に離婚しました。続いてはアン・ブーリン。1533年に結婚し、1536年に離婚しました。もとはキャサリンの侍女でした。三番目はジェーン・シーモア。1536年に結婚し、1537年、出産後に亡くなりました。四番目はアン・オブ・クレーヴズ。1540年に結婚し、同じ年に離婚しました。五番目はキャサリン・ハワード。1540年に結婚し、1542年に離婚しました。 アン・ブーリンの従妹です。最後はキャサリン・パー。1543年に結婚し、1547年、ヘンリー八世と死別しました。
 私の詩は、最初の妻キャサリンと、二番目の妻アン・ブーリンをめぐる、ヘンリー八世の物語になっています。その意味で、舞台設定は荒唐無稽ですが、歴史の事実をもとにしています。
 すでに一度、ヴァイオリンとヴィオラで、本番会場にて演奏しました。ヘンリー八世の曲は、古い礼拝堂によく響きました。その上に、本番では内藤修央さんの打楽器を加えます。バロックの雰囲気が出るようなリズムを探しました。おもしろい演奏になると思います。



今日は
久しぶりにいい天気なので
コインランドリーは満員だった
ヘンリー八世と
枢機卿ウルジーも
ベンチに腰をかけて
洗濯の仕上がりを待っていた
脱水まで
あと三十五分
「キャサリンには消えてほしい」
王はいった
「わしは早くアン・ブーリンと……」
「し!」
ウルジーは止めた
洗いものを取り出す主婦
漫画を読む学生がいる
「誰が聞くかわかりません」
王は膝を掻いた
「私におまかせを」
「よいのか」
「お妃様より、お好きな方と」
王はまた膝を掻いて頷いた



王妃キャサリンも
コインランドリーに出かけた
洗濯ものがたまる
どんどんたまってゆく
ここ一週間
王妃の心は重かった
「王様は何を考えておいでか」
侍女に話しかけた
名前をアン・ブーリンという
「好きな女ができたのではないか」
王妃は両手にひとつずつ
百円ショップの鞄を提げていた
侍女は両手に合わせて四つ
百円ショップの鞄を−−
「王様に限ってそんな!」
侍女は止めた
「決してそんな方では!」
王妃はため息をついた
「私たちの結婚生活は長い」
洗濯ものの重みで指がちぎれそうだ
「やがて二十年になる」
私はまだ十九だと侍女は思った



脱水まで
あと三十分もあった
ヘンリー八世はあくびをした
ウルジー卿は週刊誌を読んでいる
ふたり
サンダルをはいた女がやってくる
王妃と侍女だった
逃げ場はない
泰然として待った
「いっぱいじゃ」
王妃と侍女は立ち止まった
「洗濯機も乾燥機もな」
ふたりの女は
鞄を道に投げ捨てた
「時が何もかも解決してくれよう」
「王様は私より六歳もお若い」
いつになく小さな
王妃の声だった
「私には時間がありません」
「なに もう三十分を切っておる」
ウルジーが洗濯機の数字を指す
王は腕組みをしてみせた



四人は缶コーヒーを飲んでいた
「ひどい男もあったものです」
ウルジーがいった
「妻と離婚したいばかりに」
王は視線を合わせない
「最初から結婚などなかったのだと」
王妃は見た
「裁判で申し立てたそうです」
「どこで知った?」 
「週刊誌のゴシップ記事ですよ」
「認められたか?」
「どうやらそのようで」
王妃は何もいわなかった
遠くアラゴンから
イングランドに嫁いだ日を思う
王も何もいわなかった
その手を使えば
アン・ブーリンと結婚できると思う
侍女は胸をいっぱいにし
枢機卿は頭を野望でふくらませて
缶コーヒーを空にした
脱水まであと十五分あった

「トロッタ12通信」.17 (*10.22分)

メゾソプラノ松本満紀子さんの2年目のリサイタル、「途にて2」が、代々木上原のムジカーザで行われました。仕事が終わらず、プログラムがかなり進んでからおじゃましました。私もきちんと努めなければと思わせてくださいました。

 22時半スタートにて、渋谷で、清道洋一さんの『イリュージョン』を初めて合わせました。かなり喉を痛めました。発声に無理がありました。夜中に大声を出すことにも、やはり無理があります。ギター・ソロを弾きました。練習でうまく弾けても、本番で弾けるわけではありません。詩唱だと、練習より本番で力を出す自信がありますが、ギターはそうはいきません。本番の方が、確実に力は失われます。ひたすら練習するしかなく、ひたすら、舞台で弾き続けるしかありません。しかし、その機会は、トロッタ12まで一度もありません。不安です。
 朗読という表現を始めたころ、これならば、芝居と違ってストレスなしにできると思いました。芝居のように、絶対に暗記しなければいけないことはなく、むしろ詩なり散文なりの印刷物を手にし、向き合いながら詠むスタイルがありますから。方法論はひとりひとりにあるので、基準はなく、たどたどしくても、それがむしろ、その人の持ち味だと思ってもらえる−実際にそう思ったわけではありません−。だから、オープンマイクという、飛び入り参加自由の形式があるのです。舞台装置など必要なく、詠みたいと思った時、そこが舞台になります。
 しかし、私は間もなく、誰でも、いつでもできるという自由さを、自ら放棄します。練習を重ね、準備を重ね、表現の基準を作りました。それがトロッタです。そこからはずれるわけには行きません。より大きな、幅のある可能性を求めることはあっても、何をしてもいいとは思いません。それはひとりではなく、大勢の人と舞台を踏むからです。詩人はひとりです。だから何をしてもいい。しかし、詩を音楽としてとらえる以上、一人の勝手は許されません。−トロッタ12の後、12月12日(日)に、私はソロライヴを行います。それはもちろん、トロッタとは違うものになるでしょう。ここに書いているのは、自らと自らの表現を省みる、大きな問題です−



『凍歌』もまた、札幌とは限定しません、小樽あたりがいいでしょうか、北の町を舞台にしています。副題にあるように、これは女の詩です。読んでいただければ、そのとおりだという内容です。ただ、第三連に、男のことを書いています。
「淀みの水をすくい/草の根を食(は)み/焼けた土に身を焦がして/見えない道をゆく」
 女は、そんな男に向かって、歌っています。歌は、想う人に向かって歌われるものだと思います。ひとりで歌う歌もあるでしょうが、私には、ないようです。ひとりの時、私は歌いません。私が詩を書き、歌う、詠う、うたう時、私の目には、見えない誰かの姿が映っているのです。
 堀井友徳さんは、『北都七星』と『凍歌』を、女声三重唱の作品としました。重唱、合唱、複数の人の声が重ねられることの意味を、申し訳ないながら、私は言葉にできません。音が重ねられて、ひとりでは出せない音が生まれ、聴こてくるのでしょう。声の場合は? ソプラノ、メゾソプラノ、アルトと重ねる意味は? 音楽的にではなく文学的に解釈します。歌のは三人でも、「北の街角で聴いた(三人の)女の声」ではないでしょう。三人の女が歌っているわけではない。女はひとりです。ひとりの女の多重的な心の声が、聴こえてくるのではないでしょうか。私の心の声も、一層ではありません。誰もがそうだと思います。白い心もあれば黒い心もあり、青い心もあれば赤い心もある。それが人です。その声が重ねられて、音楽として聴こえて来る。そのように、トロッタでは初めての形式、女声三重唱を受け止めています。−前回、今井重幸先生の『室内楽のための組曲「神々の履歴書」に、合唱として出させていただきましたが、このあたりの意味をわからないまま出まして、音楽的にも思ったとおりに歌えませんでした。申し訳ありません。
 堀井さんの『北方譚詩』二曲は、トロッタ12を締めくくるにふさわしい曲になっていると確信します。以下に、『凍歌』の全詩を掲げます。「北の街角で聴いた女の声」は、あくまでも私の作品で、堀井さんによる音楽作品とは別のものであると、お断りしておきます。

凍歌 北の街角で聴いた女の声

木部与巴仁
*歌曲の場合、第一連の九行はレチタティーヴォで歌われることが望ましい 声部の別と順は作曲者の自由である

どこにいても
どこに生まれても
何を見ても
何を聴いても
誰を愛しても
誰に愛されても
私たちは歌うだろう
生と死のはざまで

風に流れる
この黒髪を愛で
去っていったあなたに捧ぐ
青空の歌
雲は千切れながら飛び
風は渦を巻いて吹く
北の町に冬が来た

淀みの水をすくい
草の根を食(は)み
焼けた土に身を焦がして
見えない道をゆく
あなた
何を考えているの?
ああ 聴いて
遠い町であなたを想い
強くあろうと願って歌う
女の声を

私はここに
あなたはどこ?
あなたの町は今も
わたしのあなたはどこへ?
見るものは違っても
歌声はひとつ
あなたの声が聴こえてくる
北風に乗って

2010年10月22日金曜日

「トロッタ12通信」.16 (*10.21分)

*トロッタとは関係のない個人練習ですが、駒込の、とあるスペースを借りて、1時間10分ほどの即興表現を行いました。先日の「花魂 HANADAMA」から生まれつつある表現です。構想は悪くなかったのですが、今日は演劇に近くなってしまい、つまり、何の新味もないという意味で、それが反省点です。後でビデオを見ましたら、いかにも馴れたことをしています。いい意味でも悪い意味でも。この場所ではいずれ公演をすると思います。夕方、池袋に近い要町のGGサロンで、田中修一さん『ムーヴメントNo.3』の、楽器だけの合わせを行いました。夜は、その練習の録音を編集し、関係者に送る手はずを整えました。明日の練習の場所取りなどしていたら、すっかり遅い時間になってしまいました。夜、甲田潤さんから、合唱曲『シェヘラザード』の第二楽章が送られてきました。しかし、印刷する気力も残っていません。

堀井友徳さんのもう一曲は、『凍歌』です。これもまた、北の町を舞台にした、ロマンです。実は、『凍歌』に決定する前に、まったく別の詩『蝶の記憶』が、いったん決まっていました。トロッタ12では、堀井さんは二曲で一作品となりますから、先にできた『北都七星』の姉妹編を作りたいと思いました。人、特に女性ではなく、登場人物を鳥や虫や獣などにすれば、あからさまな姉妹編にはなるまいと思いました。
 詩を考えているうち、海を渡る蝶の姿が見えてきました。蝶の神話、しかし現実から逃避するのではない、今と結びついた神話を書こうと思いました。それが最終的に、聴き手の心の中で、人の姿と重なればいいとも思いました。これは議論の分かれるところでしょう。蝶を人と重ねるのではなく、蝶そのものを描いた方が潔いのではないでしょうか。しかし、私たちは人なのだから、やはり人に共感して、人の詩を書いた方がいいといえます。
『蝶の記憶』全三連のうち、一連のみ紹介します。

遠い昔に
海を渡った蝶がいる
どこかにある
見えない陸(おか)を求めて
蝶は
風に乗る
朝にはもう少しと思い
夜にはまだ飛べると思う
波に濡れ
輝きを増してゆく
紫の翅(はね)

『蝶の記憶』を、トロッタ13以降で演奏できるなら、うれしいことです。(別の話ですが、小さい規模でもいいから、トロッタをもっと気軽に開催できないかと思います。規模は小さくても、手間は惜しみません)
 構想が変わり、『蝶の記憶』は作曲の対象にならず、新しい詩を書くことになりました。『蝶の記憶』は先送りされましたが、詩ができたのですし、いずれは歌になるということですので、いつか書かなければいけない詩を、もう書いている意味で、よいことだと思います。
 新たに『凍歌』が生まれます。まず、歌としての語り、語りとしての歌、楽譜に音程が書き込まれた、歌劇でおなじみのレチタティーボで表現したいと考えました。まだ歌にならない、人の思いの表現。それはトロッタのテーマでもあります。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの女声三部と決まっていましたので、三人の歌い手に、語りかけるように歌ってほしい、歌うように語ってほしいと思いました。
 副題は、「北の街角で聴いた女の声」です。私の過去の詩に、『男が唄っていた』という作品があります。どこの誰とも知らない男が街角で歌う。すると決まって、よくないことが起こります。主に、日本の戦後を時代背景としました。私が生まれた瀬戸内の町で、よく知られた松川事件や三鷹事件と似た列車転覆事故が起きたり、対岸の広島に原爆が落ちて無数の死者が海の向こうから流れて来る、といった内容です。
『凍歌』とは異なる内容ですが、街角で誰かが歌っているという状況に、私はひかれているようです。歌う者と聴く者の関係に想いを馳せているのかもしれません。

「トロッタ12通信」.15 (*10.20分)

*橘川琢さん作曲『黄金の花降る』4曲のうち、「くろとり」「紫苑」の合わせを、池袋のフォルテで行いました。形にはなりましたが、もっと細かな表現が必要です。詩唱者は、私と中川博正さんです。私はどうしても、中川さんと違う詠み方にしたいと思います。

 堀井友徳さん作曲『北方譚詩』のうち、『北都七星』については、堀井さんの中に、いろいろな構想が生まれたようです。合唱曲にする、それも混声合唱にする、あるいは女声のみの合唱にする、など。これはうれしいことです。構想を生んでもらうだけの力が、詩にあったわけですから。また、詩がそれほど長くないので、もう少し長く歌えるものの方がよいのでは、ということから、詩を三番まで書きました。詩の言葉も、最初の完成形から少し変えるなどしました。三番までの詩は、結局、生きませんでしたが、それは問題ありません。詩を書く機会が生まれただけでありがたいことです。できた曲を聴きますと、きれいですし、言葉もスムーズに運びますから、別に時間をかけたとか、完成までに二転三転しているなど感じないと思いますが、それなりの手間はかけています。それはどんな曲であれ、どんな表現であれ、当然のことです。俳句など十七文字ですが、そこにかける表現の凝縮度は、すさまじいものです。人の歴史が問われます。俳句にくらべれば、歌には時間の流れがあります。物語が起って終わるまでの、ゆったりとした時間。俳句は写真や絵のようです。歌は、演劇や文学に似ています。
『北都七星』の一番を書いて送りましたのは、4月12日でした。これはほぼ、今日の形です。二番と三番は、4月24日に書いて送りました。参考までに、二番と三番を掲げます。一番にすべてあるのが本当です。結局、歌は、そうなりました。しかし、その世界を味わうという意味では、二番、三番と続くのもおもしろいとは思います。

(『北都七星』二番以降)
北の鳥が
七つの星を見つける
冬の夜のできごと

あなたは聴くだろう
人もない街角で口ずさむ
恋人たちの歌
吐く息は白く
氷のように白く

歌えればいい
思いながら過ごしていた
私だって歌を
あなたは見つめる
黒い影が
砂にしみこむ
水のように
音もなく融けてゆく
虚しさの一瞬

永久に
この時よ続け
いまはただ
純潔の身を抱いて

北の都に
七つの星を飛ぶ
鳥たちがいた
あなたは声もなく
見上げていた



北の森に
七つの星が落ちた
冬の夜のできごと

あなたは知るだろう
迷路に似た運命の地図を捨て
歩き始める
その道の白さ
心を突く白さ

逢いたかった
最後の言葉を交わしたくて
リラの木陰に
あなたを探した
孤独の身を
マントで包み
立ち尽くす
忘られぬ日の思い出
逢いたかった

永久に
この時よ続け
いまはただ
純潔の身を抱いて

北の都に
七つの星は流れる
森の奥深く
あなたは消えた
残るのはただ風の声

「トロッタ12通信」.14 (*10.19分)

*トロッタ12の当日プログラムを作り始めました。いつも2、3日前に作っています。それを思えば、変化しています。しかし時間がかかって、なかなかできません。

 堀井友徳さんのために『北都七星』を書くまで、ふたつほど、花の詩を提案させていただきました。「ほら、もうすぐ花が咲く」と、「花だより」です。どちらも、「詩の通信IV〜はなものがたり」に書いた作品です。堀井さんに差し上げているので、いつか、歌になるかもしれません。このころの心境が、花に近寄ったものだったので、花の詩になったのです。後に『北都七星』が生まれます。花はもちろんいいとして、今となっては、花から離れた内容を選んでいただいてよかったと思います。花の詩は「詩の通信IV」で発表したものですが、『北都七星』はまったくの未発表詩ですから、新鮮さという意味では、こちらの方が優ります。しかし、いずれは書いていただけるものと思っています。
 まず、2月4日に提案しました「ほら、もうすぐ花が咲く」です。註にあるように、初めから、歌われる詩として構想しています。やはり私は、音楽としての詩を、書こうとしています。

ほら、もうすぐ花が咲く
*下段の詩は歌われることが望ましい

(上段)
花を生けたくて
赤い花を買ったのはいいが
生ける時間がなくて
枯らしてしまった
ばかだなと思う
たった一人で
埃(ほこり)だらけの花を見ている

花を愛したくて
白い花を買ったのはいいが
愛する余裕がなくて
散らしてしまった
惨めだと思う
たった一人で
皺だらけの花を見ている

花を自慢したくて
青い花を買ったのはいいが
自慢する相手がなくて
捨ててしまった
悲しいと思う
たった一人で
ごみ箱の花を見ている

花を飾りたくて
黄色の花を買ったのはいいが
飾る場所がなくて
焼いてしまった
寂しいと思う
たった一人で
燃える花を見ている

(下段)
春になるまで
見守ってあげよう
ぬくもりと陽ざしが誘う
花の季節を

ほころんでゆく
あなたの口元
硬いつぼみがそっと
開いてゆくように

春になるまで
そばにいてあげよう
風の息すらあたたかい
花の季節を

さみしくなんかない
教えてあげる
一人じゃないと
あなたのそばには
きっと誰かいる
咲く花を見て御覧

 続いて、2月8日にすすめました、「花だより」です。これは「詩の通信IV」に発表するより早く、堀井さんに送りました。お読みいただいて、すぐおわかりになるように、明らかに北の町が舞台です。早春の小樽で見た、黒い土から雪解けの水が流れ出る光景は、先に書いたように、『たびだち』に生かされました。

花だより

あの人はいないけれど
春になれば
花のたよりが聞こえてくる
咲いたよ 咲いた
あなたの好きな
青い花が

音もたてずに流れている
雪解けの水
しゃがんだまま
ふたりでじっと見ていたね
春は
北の町にも忘れずにやって来る

ひとりで聞いた
花のたより
あの人が送ってくれた
花のたより
もうずっとひとりで
聞いている

2010年10月20日水曜日

「トロッタ12通信」.13 (*10.18分)

*練習スケジュールの調整に難航しています。皆さんの都合が合う日を探すのは、なかなか困難です。夜は、俳人・生野毅さんのお誘いで、東京アメリカンクラブに、美術家、古渡依里子さんの個展オープニングにうかがいました。マリンバ吉岡孝悦さんの演奏を聴きながら、トロッタに向かう自分自身の身を引き締めていました。

 北海道に対してロマンを抱くのは、私が北海道在住ではないから、だけではないかもしれません。北海道の方も、自分が住む土地にロマンを抱いていると思います。伊福部昭先生が『オホーツクの海』や『知床半島の漁夫の歌』などで共同作業をした、詩人の更科源蔵氏が、まずそうです。更科氏は、晩年に訴訟を起こされるなどの問題を抱えました。個人的に存じ上げないので、確かなことはいえませんが−個人的に知っていても、おそらく、根本的な印象は変わらないと思います。詩人T氏への評価はまったく変わりました。更科氏への評価は変わっていません−、更科氏は、北海道というものを、日本人の感覚で詠い上げました。アイヌの方々には、また違った詩があるでしょう。信仰心のあるなしは、大きな問題になって来ると思います。
 作家の伊藤整氏にも、北海道を、ロマンの舞台として見る傾向があると思います。『若い詩人たちの肖像』は、何度も読み返しました。まず大きな環境、社会、時代があって、そこで生きようとする個人。人はどう生きるのか? 人は何をしようとして生きるのか? その過程にある、男女の姿。それが、伊藤氏が繰り返して書いて来た、文学の方向だと思います。『若い詩人たちの肖像』には、更科源蔵氏の“肖像”も描かれています。繊細な伊藤氏とは違う、たくましさを持った詩人、それゆえにデリカシーには欠けるかもしれない詩人として、描かれています。そうした一切を、個人の視点でとらえ、生き方にまつわるものとするのが、伊藤氏の文学です。
 音楽の世界でいうなら、『シンフォニア・タプカーラ』や『オホーツクの海』など、伊福部先生の曲にこそ、ロマンを感じます。この場合のロマンという言葉は、あふれる変化と、あふれる物語性、喚起する想像力、といった意味合いで使っています。ゐ福部先生は、もしかすると、ロマンのために書いたのではなく、北海道の人と自然を、ありのままにとらえようとした、とおっしゃるかもしれませんが、私はロマンを感じます。
 私見ですが−−、大自然に包まれて暮らすだけがすばらしいのではありません。都会にも自然はあり、都会で暮らす生き物にも、闘いと安らぎはあります。私の家の近所に出没する鼠、狸、烏、そして私を含めた人は、大自然の美しさには乏しくても、アスファルトやコンクリートで固められた自然の中で、自然に生きています。都会のそうした光景には共感を覚えますし、ロマンとして詠いたいと思います。私が書いた、例えば『ひよどりが見たもの』は、そんな都会の生きものに共感しながら描いた詩です。最も最近、花道家の上野友人さんと行った「花魂 HANADAMA」に登場させた市ケ谷駅近くにいる山蛭(やまびる)にも、私は共感しています。(アメリカでいわれるようになったネイチャー・ライティングでは、下水道やコンクリート護岸の川、岩山にも見える高層ビル街で生きる動物たちに共感を抱いて描かれた作品があります。アメリカのネイチャー・ライティングを出すところが私の限界かも知れませんが、強く自分に引きつけて見せたい思いがあります)
『北都七星』は、北海道を知らない私が描いた、札幌を舞台にしたロマンです。堀井友徳さんの二曲に、私は冷たい美しさと透明感を覚えます。

2010年10月18日月曜日

「トロッタ12通信」.12 (*10.17分)

*ソプラノの柳珠里さんとピアノの森川あづささんで、『ムーヴメントNo.3』と、『北方譚詩』を練習しました。『ムーヴメント』には他の楽器があり、『北方譚詩』は女声三部の曲なので、どちらもソプラノ中心の練習です。合わせて、私自身の練習もしなければなりません。心の中には、自分の練習をもっとしたい気持ちがあります。

『北方譚詩』の二曲で、まず書きましたのは、『北都七星』です。堀井さんが北海道在住なので、札幌を舞台にしました。堀井さんがお住まいの苫小牧など、札幌以外の町を想像できないのは、私の経験のなさで、申し訳ないと思います。ただし、舞台がどこであると、特定はしていません。
札幌には、伊福部昭先生の取材で訪れました。それ以前にも、仕事として、取材で訪れました。生活の舞台ではなく、ドラマの舞台として、札幌はありました。札幌という町自体がロマンの対象になるのでしょう。『凍った崖』という題名で、長編小説も書きました。自分の心情を吐露しているだけで、読む側には価値がないものだと思います。“ひとり芝居”です。少し前まで私がしていたことといえば。トロッタの私は、“ひとり”ではありません。
『北都七星』で書こうとしたのは、男性にとっては永遠のロマンである、女性という存在です−女性をロマンとしかとらえられないのも、想像力のなさかもしれません。女性は、ロマンではないかもしれない。もっと生々しい存在と見るべきかもしれない。男女間の裏切り、裏切られといった関係を、知らないではありません。しかし、抱き続けている女性への憧れを無理に捨てよといった自己追及は、好きではありません。女性をロマンの対象と見るのが私なら、無理に変えないで、その方向で可能性を深め、広げていけばいいのではないでしょうか−。
 北の町に女性がいます。北の夜空に、星が見えます。それは北斗七星。“北都七星”という言葉が生まれました。言葉遊びです。しかし、この光景を何とかしてつかまえたい、造形したいと思いました。詩に描いた女性は、裏切りと裏切られをすでに経験した、大人の女です。美しい姿の底に、傷を、彼女は負っています。

北都七星

木部与巴仁

北の都に
七つの星が現われた
冬の夜のできごと

あなたは見ただろう
底なしの沈黙が世界を覆う
冷たい光景
往く道は白く
どこまでも白く

目を伏せて
マントの襟を合わせたまま
黒い気配の
あなたは歩いた
悪い噂も
哀しい記憶も
消えてゆく
虚ろだった笑いさえ
遠ざかる

永久(とこしえ)に
この時よ続け
いまはただ
純潔の人影として

北の都に
七つの星が光る
音のない夜
あなたの心に
呼びかけていた

2010年10月17日日曜日

「トロッタ12通信」.11 (*10.16分)

*今井重幸先生作曲『シギリヤ・ヒターナ』の合わせを、荻窪のスタジオ・クレモニアで行いました。また、夜に行きました知人の公演会場が、たいへんに興味深い場所だったので、いずれ何かの会で使ってみたいと思いました。場所は駒込です。一昨年、「詩の通信III」で、一年かけて舞台にしました町です。ピアノを置いてある場所が上で、舞台が階段下となり、場所が離れる課題がありますが、それも場所の個性だと思えば、使い方によってはおもしろいかもしれません。

 北海道の作曲家、堀井友徳さんから、トロッタに参加してみたいというご希望をいただきました。音楽評論の西耕一さんを通してです。トロッタで曲を発表したいというニュアンスだったか、参加したいというニュアンスだったかは、もうはっきりしません。どちらも同じことだと受け止めます。
 堀井さんは、東京音楽大学において、伊福部昭先生に師事されました。学生だったころから存じあげています。札幌で伊福部先生の演奏会があった時、ご両親と一緒に会場に来られていたことを覚えています。ギターの会で一度、箏の会で一度、堀井さんの曲を聴かせていただきました。大学を卒業してからは、しばらく東京で活動しておられましたが、その後、北海道にお帰りになり、今回も、北海道からの参加ということになりました。
 北海道から東京へ、東京から北海道へという堀井さんの歩みには、さまざまなドラマがあったと思います。“めぐりあい”があり、“たびだち”があったでしょう。私と堀井さんの間にも、“めぐりあい”と“たびだち”があります。これまでは淡い“めぐりあい”でしたが、今回のトロッタ12で、“たびだち”になるかもしれません。トロッタ12が本当の“めぐりあい”で、今はまだ“たびだち”に至っていないかもしれません。しかし、詩のやりとりをし、楽譜をいただきましたので、すでに“めぐりあい”は過去のことになっています。
 想像力が乏しいのだと思いますが、堀井さんには、今までも若い、学生の印象があります−自分に対してさえ学生っぽさを覚えている始末ですから変です−。しかし、もはやそんなことはありません。若いというのは悪いことではありませんが、いつまでも若いだけではいけません−トロッタでご一緒している皆さんには若々しい印象を抱いています。それはそれでいいと思います。若さゆえのたくましさならいいでしょう。若さゆえのひ弱さではいけない、という意味です。私には、まだひ弱な点が多くあります−。堀井さんが詩を希望され、初めての歌曲として書かれた『女声三部とピアノのための「北方譚詩」1.北斗七星 2.凍歌』を通じて、互いに強さを身につけられればと思います。

2010年10月16日土曜日

「トロッタ12通信」.10 (*10.15分)

*ギターのレッスン、上野雄次さんの花いけ教室、出版社との打ち合わせと休みなく続き、慌ただしい一日でした。

 新しいアンコール曲について、触れておきましょう。『たびだち』です。『めぐりあい』と同じく、宮﨑文香さんに作曲をお願いしました。編曲は、これも『めぐりあい』を初めて披露した時と同じく、酒井健吉さんです。
トロッタがある限り、ずっと『めぐりあい』を演奏する行き方もあったと思います。ひとつには、宮﨑さんに、新しい曲を書いていただきたいという願いがありました。いつまでも『めぐりあい』の宮﨑さんであっていいはずはありません。私自身、本来はひとつの詩でいいところを、趣向を変えていろいろ書いてきたわけですから、そろそろ自由になりたいという思いが生じていました。式典ならいつも同じ曲、同じ詩でいいでしょうが、トロッタは創作をする場であり集まりですから、決まり事に安住するつもりはありません。
『めぐりあい』は、四季を背景にして書き続けてきました。『たびだち』は、何を背景にしたらいいか考えた時、トロッタ11を終えたころに隔週刊で出していた「詩の通信IV はなものがたり」が、ふと頭に浮かびました。花を題材にすればいいと思いました。花の姿を借りて、人の普遍的な姿が描けるのでは、と。
 花については、上野雄次さんと出会って以降、『花の記憶』や『花骸-はなむくろ-』『異人の花』『死の花』など、花をテーマにした詩を書き、橘川琢さんの作曲でいくつかの曲になってきました。そのひとつの頂点が、先日、上野さんと谷中ボッサで行った六日連続の公演「花魂 HANADAMA」だったといえるでしょうか。

たびだち

花が見たもの
それは川
そっと咲いたら
流れていた

何もかもが
新しかった
つぼみのころは
夢だけに生きていた

流れてゆく
朝をのせ
流れてゆく
夜をのせ
じっとみつめる
白い花

花が見たもの
それは川
時が経ち時が過ぎ
花は流れに身をまかせる
何もかもが
新しかった
見えるものも聴こえるものも
ただひとりの旅
いつの日か
花開く日まで

 ただ、花は、人の姿のたとえに利用されるだけでいいのかという疑問はあります。例えば『たびだち』は、少女期から大人へと移る、人の姿を描いているとも考えられます。そうではなく、花そのものを描いてもいいのではないか? 私は男性ですが、そもそもなぜ、花は男性より女性に喩えられやすいのかという疑問もあります。上野さんの表現は、女性的などというものではなく、上野さんそのものです。拙いものですが、私が生けた花も、私という男性の表現です。それが詩になると、なぜいきなり女性になるのか? もしそれだけなら、詩の敗北でしょう。自分で自分を限定する必要はありません。これはいずれ解決したい問題です。
“めぐりあい”、そして“たびだち”。ひと続きであるように思います。めぐりあうドラマ、たびだつドラマ。人の営みは、すべてドラマです。解説などは必要ありません。おそらく、そのまま受け取っていただけるでしょう。

2010年10月14日木曜日

「トロッタ12通信」.9 (*10.14分)

 田中修一氏に対し、全体を四季の移り変わりでまとめたいという考えは伝えた。その上で、詩を構成したのは田中氏である。私自身、オリジナルの詩を若干変更した。(一部は、この原稿を書きながら、田中氏と相談しながら変えた。「流れる川がぬるむころ」を「季節が春に向かうころ」に。「季節が夏に向かうころ」を「白い花が夏に開くころ」に。四季の始まりに、季節の名前を置きたいというのが最大の理由である。詩の変更にともない、わずかではあるが、メロディを変更していただいた)

季節が春に向かうころ
わたしたちはめぐりあう

黒い土が
のぞいている
雪解け道を
駆けていた

輝いてる きらきらと
春の日ざしに
目を細め
冷たい季節を
見送った
(註;ここまでが「春」である。十数年前、北海道の小樽に行った時、雪解けの季節で、雪の間から黒い土がのぞいていた。雪解け水が流れていた。詩の通りの風景を見て、忘れられず、詩に詠んだのである)
白い花が夏に開くころ
わたしたちはめぐりあう

風が吹いた
不安な街角
影に寄り添い
歩いていた

鳥でさえ歌うのに
歌いたいの
鳥と一緒に
明日こそ
晴れるようにと

どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
(註;「夏」の詩である。初めて書いた『めぐりあい』の光景。私が暮らす、都会の光景を描きたかった。都会にもめぐりあいがあり、季節の訪れはあるということを詠みたかった。人を含めた、都会の生き物、動物と植物への強い共感が、私にはある)

ながい雲が秋を描くころ
わたしたちはめぐりあう

海が見える
遠い海原
潮騒の歌に
耳を澄ませて

赤く燃える水平線に
とまらなかった
私の涙
しずくになって
波間に溶けた
(註;「秋」は、トロッタ9のために書いた詩。この会は海にまつわる曲が多く、エレクトーン奏者の大谷歩さんを、山口県からお招きした。大谷さんとは、海についての話もした。その影響が、詩に現われていると思う。それにしても、トロッタ9が一年前とは考えられない。もう数年も前のことのようだ)

木枯らしが冬を告げるころ
わたしたちはめぐりあう

生まれ変わる
今は死んでも
落ち葉の下で
目を閉じた

銀色の糸が舞う
旅に出た
小さな蜘蛛
雪迎え
さよならの時

どこへ行くの?
わからない でも
わたしは生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから
(註;「冬」である。蜘蛛の子どもたちを詠んだ。『雪迎え』という詩があり、酒井健吉さん作曲で曲にもなった。トロッタで演奏した曲の世界を、『めぐりあい』に取り込みたかったのである。初めて聴く人にはわからないかもしれず、説明が必要かもしれないが、あえて、そのままにする。蜘蛛の子どもたちが旅立ちをするという情景は、思い浮かべていただけると思う)

 トロッタの作曲家何人かから、歌える詩をほしい、というご希望をいただいている。素直な歌を書きたいという思いがあるのだろう。私も書きたい。そのひとつが、トロッタ12からアンコール曲として演奏される、『たびだち』である。どんな曲になるか、ご期待ください。

「トロッタ12通信」.8 (*10.13分)

『めぐりあい』とは、トロッタの会場における、出演者とお客様のめぐりあいである。出演者同士のめぐりあいでもあり、お客様同士のめぐりあいでもある。
 私自身、さまざまな人とめぐりあったからトロッタを開催できているので、そうしたことへのありがたさ、喜びを、素直に詠みたかった。−宮﨑文香さんは、酒井健吉氏が主催する長崎の演奏会で初めて会い、田中修一氏とは、伊福部昭先生の関係で、箏曲家・野坂惠子さんの会で初めて会った。どなたとも、一朝一夕の関係ではない−
 日ごろから、難しい詩を書きたいと思っているわけではない。ただ、生きていると簡単に済まない様々なことに直面するので、そうしたことへの思い、そうしたことに向き合おうとする姿勢が、短いよりも長い、薄いよりも厚い、単純よりも複雑な詩の形になって現われることがある。それを仕方のないことと思うのではなく、長く厚く複雑な詩を、おもしろいと感じることもあるのだ。仮に技術があるとして−私は技術などいらないし、それに頼りたくないという気持ちを抱きながら−、技術をふるって長く複雑なものを書けるなら、そのこと自体をおもしろがるという心の動きは、誰にでもあるだろう。
 しかし、『めぐりあい』はそうではない。短くてシンプルな詩である。素直さを大事にしたかった。
 ただ、初めの詩は自由に書けたが、二篇目からは、メロディに合わせて詩を作っていかなければならず、それは苦痛であった。自由さを失っているのであり、純粋に技術の話になってしまうので、これでいいのかという思いも抱いた。
 もちろん、私ひとりが疑問を抱き、技術を否定するなどと意気込んでも駄目である。6名に及んだ編曲の方々は、それぞれの技術をふるっている。技術がなければ、編曲などできるものではない。ありがたいことだと思っている。だから私も、あらゆることに応えたく、少ない技術をふるった。
「初めて詩を読ませていただいた時、生き物の鼓動が脈打つようなメロディが聞こえてきました」
 作曲者、宮﨑文香さんの言葉である。そのような詩であるかどうかはわからないが、素直に受け取っておきたい言葉だ。宮﨑さんに対しても、すばらしいメロディを書いていただいた感謝の言葉を贈りたい。
 そして、『めぐりあい』は独唱歌曲として生まれ変わる。
 編曲は、田中修一氏である。

「トロッタ12通信」.7 (*10.12分)

 私の詩と、宮﨑文香氏の作曲による『めぐりあい』は幸せな曲だと思う。トロッタ6からトロッタ11まで、6回も演奏されてきた。それも、回ごとに編曲者を変え、アンコール曲として、出演者はもちろん、お客様にも歌っていただいてきたのである。当然だが、トロッタの曲の中で、最も演奏回数が多い。
 その『めぐりあい』が、独唱歌曲として、メゾソプラノ徳田絵里子さんと、ピアノ森川あづささんにより、トロッタ12開幕の曲として演奏されることになった。編曲は、田中修一氏にお願いした。
『めぐりあい』の歴史を見よう。

「めぐりあい 夏」 編曲・酒井健吉 2008・6・8 トロッタ6
(註;当初、「夏」という副題はついていなかったが、以下、他の曲が生まれることになったので、後から「夏」とした)
「めぐりあい 冬」 編曲・橘川琢 2008・12・6 トロッタ7
「めぐりあい 若葉」 編曲・清道洋一 2009・5・31 トロッタ8
「めぐりあい 秋」 編曲・大谷歩 2008・9・27 トロッタ9
「めぐりあい 陽だまり」 編曲・田中修一 2009・12・5 トロッタ10
「めぐりあい 春」 編曲・長谷部二郎 2010・3・5 トロッタ11

 何度か書いたが、トロッタのアンコール曲を欲しいと思ったのが、『めぐりあい』誕生のきっかけである。アンコール曲というより、舞台と客席を含め、会場全体で歌える曲。ある方々の演奏を聴くため横浜に行った時。それはヴァイオリンとチェロとピアノの会だったから、客席を含めて歌うという形にはならなかったが、雰囲気として、会場全体の一体感を感じた。なるほど、アンコールというのは、その場にいる者がひとつになるためのものなのだなという思いがした。
 その思いが最も形になったのが、前回、トロッタ11での、アンコール曲としての最後の演奏だった。詩は6篇、生まれていた。そのうちの5篇を、出演者が朗読し、それに続いて、最も新しい『春』を、会場全体で歌ったのである。“詩と音楽を歌い、奏でる”という、トロッタのテーマが、あるいは、そこに実現していたかもしれない。
 原点の詩は、次のようなものである。

季節が夏に向かうころ
わたしたちはめぐりあう

風が吹いた
不安な街角
影に寄り添い
歩いていた

季節が夏に向かうころ
わたしたちはめぐりあう

鳥でさえ歌うのに
歌いたい
鳥と一緒に
明日こそ
晴れるようにと

どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから

2010年10月12日火曜日

「トロッタ12通信」.6(*10.11分)

 衝突するといえば、これから先は、主人公が、自分自身に衝突している。言葉が錯綜する。意識が錯綜する。私の詩と清道氏の詩が混淆するのだ。次のように。

(木部)超特急はどこに向かって疾走する
(清道)幻想第四次を走るあの列車は
(木部)空気を切り裂いて
(清道)彼女を乗せて
(以下、木部)戦争は
もうずっと前に終わったから
いつかまた始まる
今度起きたら何もかもオシマイ
誰かがどこかで
最後のスイッチを押そうとしている(註;この一行を演奏者も詩唱する)

 演奏は、Andante lamentoso(♩=72)で、ゆっくり、哀しげになる。これを16小節聴かせた後で、詩唱。

背中合わせの恐怖
ニヒルになりたくてもなれない私なのだ
この夜空が
もう一度
真っ赤に染まる夜
私はどこにいるのか
女の背中の何という遠さ
伸ばした手を
そのままにする
(繰り返し;この夜空がもう一度真っ赤に染まる時 私はどこにいるのか)
 描いている状況は、1960年代なら誰もが置かれていたものだ。戦争が起れば、いつ死ぬかわからない時代であり、その恐怖から目をそむけ、生活でも何でもいい、目の前のものごとに、刹那的にでものめりこむしかなかった。想像力があれば、気が違っていてもおかしくなかった。今が安全かというとそんなことはないし、核戦争とは別のさまざまな恐怖があるのだが、いずれにせよ生と死は隣り合わせ、背中合わせの関係にある。人は、そんな、綱渡りの時間を過ごしている。1960年代がイリュージョンなら、現代も同じだ。

 楽譜に、こんな、清道氏の言葉が添えられていた。
「詩唱は、従来の詩唱と異なり、俳優としての機能が要求されます。/これは『トロッタ自体が常に進化し続ける必要があるのではないか』という僕自身の会に対する考え方によるものですが、勿論、進化の最終形が『演劇』であろうはずがなく、未だだれも到達していないであろう新しい表現へむけての発展途上のものとお考えいただきたいと思います」
 気にせざるを得ない発言である。
 トロッタが進化し続ける途上で、詩唱者に俳優の力を求める、ということ。しかし、演劇の次元ではない。そして清道氏は、音楽と、断言してはいない。「未だだれも到達していないであろう新しい表現」という。それはどういうものか? わかるはずがない。新しい表現なのだから。詩と音楽と演劇を包含した表現といえるかもしれないし、もっと別のものかもしれない。オペラと、簡単にはいいきれない。彼の作品には、『アルメイダ』や『ナホトカ音楽院』など、オペラ的なものはあったが、それらも途上と位置づけられるのであろう。では今回の『イリュージョン illusion』は?

 Piu mosso(♩=76)で、演奏が速くなると、最後の詩である。

遠く長く
哀しいサイレンが
むせび泣きのように聞こえてきた
溶け始めている
毒々しくも美しい
無人の街が

 再び、清道氏の台詞が続く。

私は追いかける
幻想第四次を走る列車を探して
エルドラドはどこへ行った。
チチカカを渡ったあの時の風は!
(以下、略)

 省略したのは、解説して事足りるはずがないからで、初演の舞台を、ぜひお聴きいただきたいと思うからである。
 作家が、自分を小出しにせず、一曲に人生のすべてをこめることを想像すれば、『イリュージョン illusion』は、清道洋一氏の自画像である。自分とは関係なく、作り事の肖像を描く人もいるだろうが、技術としてはあり得ても、私はそのようなものには興味がない。清道氏は、私の詩を用い、さらに詩唱者として働かせようとしている。客席には、私の姿だと映るだろうが-自作自演と映るかもしれない-、私はそんなものを披露したいとは思わない。自作自演というなら、清道氏の、である。詩唱者は、結果として、彼の表現になればよい。
「エルドラドはどこへ行った。チチカカを渡ったあの時の風は!」
 さらに−−。
「実効的な愛は、空想の愛と比べてはるかに峻烈だ!」
 日常、彼の心を、このような言葉が渦巻いていることを想像し、彼が求めていることに、思いを馳せている。

2010年10月11日月曜日

「トロッタ12通信」.5 (*10.10分)

 前回あげた、「実効的な愛は、空想の愛と比べてはるかに峻烈だ!」という言葉。清道洋一氏によると、これはドストエフスキー作『カラマゾフの兄弟』からの引用である。私は学生時代に読んで以来、再読しておらず、当該箇所を覚えてもいない。持ってもいない。私にとって、ドストエフスキーは遠い存在だ。
 清道氏の教示により、その言葉がある第一部・第二編「場違いな会合」のうち、「四 信仰のうすい貴婦人」を読んでみた。しかし、前後を読み込んでいないので、適格な説明ができない。ただ、その台詞は、ロシア正教のゾシマ長老のものだといっておこう。地主の未亡人である、ホフラコワ未亡人に向けて使われた言葉だともいっておこう。
 新潮文庫に収められた、原卓也訳の文章を、いくつか、引いておく。
「(註;信仰心を取り戻したい、来世があることを信じたいと思っている未亡人に対して、証明はできなくても確信はできるという。その方法は−−)実行的な愛をつむことによってです。自分の身近な人たちを、あくことなく、行動によって愛するよう努めてごらんなさい。愛をかちうるにつれて、神の存在にも、霊魂の不滅にも確信がもてるようになることでしょう。やがて隣人愛における完全な自己犠牲の境地にまで到達されたら、そのときこそ疑う余地なく信ずるようになり、もはやいかなる懐疑もあなたの心に忍び入ることができなくなるのです」
 長老と未亡人の会話は続く。清道氏が引用したのは、次の箇所だ。(便宜上、【 】でくくった)
「何一つあなたを喜ばせるようなことを言えなくて残念ですが、それというのも、【実行的な愛は空想の愛にくらべて、こわくなるほど峻烈なものだからですよ】。空想の愛は、すぐに叶えられる手軽な功績や、みなにそれを見てもらうことを渇望する。また事実、一命をさえ捧げるという境地にすら達することもあります、ただ、あまり永つづきせず、舞台でやるようになるべく早く成就して、みなに見てもらい、賞めそやしてもらいさえすればいい、というわけですな。ところが、実行的な愛というのは仕事であり、忍耐であり、ある人々にとってはおそらく、まったくの学問でさえあるのです」
 原卓也による翻訳は、「実行的」といい、清道氏はそれを「実効的」という言葉に変えている。ニュアンスが異なる。
 清道洋一氏は、前後のストーリーに関係なく、言葉だけを抜き出したのだと判断してよいだろうか。あえて『カラマゾフの兄弟』に触れなくてもいいかもしれない。しかし、彼がこの言葉を使った以上、言葉に原典がある以上、気にせずにはいられない。私の詩の中に、ドストエフスキーの言葉が挿入されているのだから。いや、私の詩と、ドストエフスキーの言葉が衝突させられているのだから。これもまた、作曲者の、詩人に対する意思表示か。
 ただ、清道氏が、無人の高速道路を音もたてず、裸足で歩く黒髪の女への刹那の愛を詠う場面に、「実効的な愛」という言葉を挿入した点に、清道氏の意図を感じる。超特急や戦争をいう場面には、挿入していない。一曲の鍵になるだろうか。
 この、ドストエフスキーの言葉は、「天の声」として、もうひとりの詩唱者、中川博正氏によって発せられる。

2010年10月10日日曜日

「トロッタ12通信」.4 (*10.9分)

 私の詩に戻ろう。
 高速道路を無音で歩く黒髪の女に出会った男。しかし、女のからだをとらえることはできない。恋は刹那のうちに終わった。高速道路は未来の象徴である。そこを裸足で、音もなく歩く女に、未来を見ようとしたのは不思議ではない。だが、手をつなげないという事実。当然だろう。未来は目の前になく、遠い彼方にしかないから。
 続く詩は、このようになる。

50年後のこの国が
どんな姿をしているか想像できなかった
薔薇色の未来
はっ!

 幼い私が、想像できなかったのである。
「薔薇色の未来」という表現が、確かにあった。
 そんなものは、2010年の今、どこにもないことを、私たちは知っている。
 薔薇色が何色なのか、その詮索はおこう。
 21世紀は惨めである。もちろん、惨めでも人は生きているし、生きていかなければならないし、生きようともするのだが、少なくとも21世紀の生は、「はっ!」と、強い侮蔑、憤りの感情を伴う。薔薇色が明るい色だとすれば、それは完全な誤解であった。明るい未来などなく、未来ほど、まだ現実になっていないのだから、不確かなものはないと、言い聞かせなければならなかった。政治家による人心の操作、現実の矛盾から目をそむけさせる方便程度のものだと、解しなければならない。
 清道氏の言葉が挿入される。例えば次のように。括弧内が、彼の言葉である。

50年後のこの国が
どんな姿をしているか想像できなかった
薔薇色の未来(50年後のこの国がどんな姿をしているか想像できなかった薔薇色の未来)
はっ!

 楽譜によると、清道氏は「はっ!」を、原詩のように侮蔑と憤りの言葉として解釈していない。驚きととらえた。間違いではない。「はっ!」を、私の意図どおりに読んでほしいというのが無理である。声に出せばニュアンスは通じるが、文字だけでは無理というもの。「はっ!」の直前に、清道氏は別の詩唱者、トロッタの場合は中川博正氏に、こんな言葉を詠ませる。

「実効的な愛は、空想の愛と比べてはるかに峻烈だ!」

 私が聞く、この言葉への驚き。それが「はっ!」だ。そして力をなくし、うなだれる。楽譜には、私のSolo Cadenzaとある。演奏というより、演劇的な感覚が求められる場面だ。これは演劇なのか、音楽なのか。
 −−つい先日、花道家・上野雄次氏との六日間にわたる公演「花魂 HANADAMA」を終えた。私は、もちろん詩唱者としてのぞんだ。しかし、そこで私が行ったのは、詩を詠むだけではない、演劇とも、舞踊ともいえるものであった。舞踊となれば、言葉はいらない。人の形、人の所作そのものが詩である。演劇となれば、肉体の動きを求められる。顔を含めた全身の表情、声の表情が必要だし、居る空間にも表情を与えてゆく心構えが必要だろう。演劇は、どちらかというと散文的である。
 清道洋一氏の『イリュージョン illusion』において、私は音楽だけをするのではないと思った方がいいかもしれない。もともとは音楽にも、演劇性があり舞踊性があった。今は切り分けられている。能には全部ある。歌劇にも全部ある。詩も音楽も演劇も舞踊も含んだ表現を、おそらく清道氏は、私に求めているのだろう。

超特急はどこに向かって疾走する
空気を切り裂いて
戦争は
もうずっと前に終わったから
いつかまた始まる
今度起きたら何もかもオシマイ
誰かがどこかで
最後のスイッチを押そうとしている

 まこと、超特急はどこに向かって疾走する? と言いたい。ひかり号は1960年代を象徴するが、結局、歌の言葉にある時速250kmで走ったのに、迷走しただけだ。どこにもたどりついていない。ひかり号だけならまだわかりやすかったが、とても覚えられない数の超特急が日本のあちらこちらを走り回り、わけのわからなさに拍車をかけている。
 そして戦争への恐怖。
 歴史的なことをいえば、特に1960年代は冷戦の時代であり、戦争、つまり第三次大戦の恐怖は現実の問題であった。世界大戦といわなければ、ベトナム戦争など地域が限定された戦争は絶えず起っており、しかもそれが世界に及ぼす影響は、決して小さくなかったのである。

「トロッタ12通信」.3 (*10.8分)

−先に、「挑戦」という言葉を使った。特に際立った「挑戦」の性格を感じたので、そう書いたのだが、私の詩に誰かが曲をつける時、それはすべて「挑戦」になるだろうと思いながら、書き続けよう−

 私、木部与巴仁による詩唱が、弦楽四重奏とギターによる合奏とともに行われる。Allegro con anima[いきいきと](♩.=72,♪=216)という指示がある。
 清道洋一氏は、「幻想第四次」という言葉を使っている。氏の説明によると、それは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる言葉である。『銀河鉄道の夜』にあたってみた。次のような記述である。
 ジョバンニとカムパネルラが、銀河鉄道に乗っている。銀河ステーションから白鳥の停車場を過ぎ、アルビレオの観測所にさしかかったころ、車掌が現われる。いつの間にポケットに入っていたのか、ジョバンニとカンパネルラは、車掌に切符を差し出した。車掌は問う。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」
「よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。」
 ふたりは理解できなかった。すると、同席していた鳥捕りがいうのである。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね。」
「幻想」という言葉があるので考えてしまうが、「三次空間」「第四次」は、三次元、四次元と言い換えられよう。三次元なら、ジョバンニやカムパネルラを含め、私たち人間が生きている地上の、平面な世界である。これが四次元になると、時間の概念が取り込まれて、不連続な時空間が隣り合い、過去や未来への移動も可能となる。となると、引用した清道氏による台詞は、こんな内容だと解釈できる。

〈四次元を走る銀河鉄道に乗ってエルドラドをめざす。いつのことだったか、チチカカ湖を渡って来た風は僕の頬を撫でた。銀河鉄道で、彼女が乗る、その列車を追いかけている〉

 原文によると、主人公が乗っているのは「あの列車」である。彼女が乗っているのは「その列車」である。列車は異なっている。
 −−と、まず読んだ時は思った。しかし、別の解釈ができる。次のようである。

〈四次元を走る「あの」銀河鉄道に乗って、彼女はエルドラドをめざしている。いつのことだったか、チチカカ湖を渡った来た風は僕の頬を撫でた。今また、その時の風が僕の頬を撫でるのを感じる。僕は、彼女が乗る「その」銀河鉄道を追いかける〉

 前者の解釈では、主人公も列車に乗っていた。しかし後者では、主人公は列車に乗っていない。一点に立って空を走る「あの」列車を見上げ、「その」列車を追いかけようとしているのである。大きな違いがある。そして始まる、私の詩。冒頭に引いた「未来の象徴としての高速道路が/頭の中を走っていた/1960年代の私」
 まだ他にも可能かもしれないが、二通りの解釈ができた。やはり、清道洋一氏は「挑戦」しているのだろう。どちらを採るか? どう解釈するのか? と。

2010年10月8日金曜日

できるだけ暗唱します

1か月前を期して、まず清道洋一さん作曲『イリュージョン illusion』詩を確かに暗記するところから始めました。一度、清道さんの前では暗記して詠んでいます。他の楽器とのアンサンブルを心がけなければならないので、暗唱が絶対にいいとは断言できませんが、詠む者の気持ちとしては、心から生じる言葉を大事にしたいと思います。

メゾ松本満紀子さん公演プログラム

10月22日(金)、代々木上原のムジカーザで行われる、松本満紀子さんの、メゾソプラノ・リサイタル「途にて2」の当日プログラムを作っています。昨年に続く二度目です。今年は、中原中也の詩「北の海」が、田中隆司さん作曲で初演されます。詩「北の海」について、短い文章を書きました。チラシは早くに完成し、すでに配布されており、いろいろな公演会場で目にしています。プログラムは、リサイタル当日にあればいいので、作成が遅くなってしまいました。最初の形を作って、それをもとに、松本さんとお話ししました。

「トロッタ12通信」.2(*10.7分)

 清道洋一氏から私への挑戦。そう思ったことについては理由がある。
 まず、私の詩だけを使うのではなく、清道氏が書いた文章が、多く使われている点。
 田中修一氏が『雨の午後/蜚(ごきぶり)』で、私の詩から、文を大幅に削って歌にした。
 橘川琢氏が『うつろい』で、詩文の順を入れ替えて曲にした。
 堀井友徳氏が、トロッタ12で初演される『北都七星/凍歌』で、話し合いの上、詩を変えた。
 このような例はあるが、清道氏のように、自身の言葉を加える例は、他にない。これは悪いことではない。作曲家は、自分の思うような形を作ればよい。清道氏にとって、自分自身の文章、自分自身の言葉が必要だった。おそらく清道氏は、私が曲を書いてつけ加えてほしいといっても、受け入れるであろう。あくまでも、全体は清道洋一作曲として。『イリュージョン illusion』についても、詩を書いた者は私だと、表記されている。
 文章と書いて詩と書かないことに意図はない。清道氏に確認し、氏がこれを詩と考えていれば、詩と書きたい。音楽作品に使われているから詩と判断してもよく、それはトロッタで演奏されるのだから、なおさら詩といってもいいわけだが。いずれにせよ、ここでは判断しない。少なくとも、清道氏に親しい、芝居で用いられる、人の言葉、台詞ではあるだろうと思いながら。*思い出したが、橘川琢氏がトロッタ3で初参加した時、詩歌曲『時の岬・雨のぬくもり』で、橘川氏は自作の詩「幻灯機」を加えた。曲名にある二つの言葉、「時の岬」は私の詩「夜」に、「雨のぬくもり」は橘川氏の詩「幻灯機」に相当している。その時の橘川氏にとっても、自分の言葉は必要だったのであろう。
 私は『イリュージョン illusion』の冒頭で、ギターを弾く。弾きながら語りもする。それは私の言葉ではない。

幸福なんていうものは
子孫たちの取り分さ
俺たちは一体
何のために生きるのか
それを知ろうとしなければ
何もかも下らない
根なし草になっちまう
だから必死になって考える
考えて考えて考え抜いて
行きつく先は妄想さ

 台詞になっている。楽譜には、「感情を押し殺してつぶやくように!」と書かれている。しかし、このようには語れまいと思う。ギターを弾くだけでせいいっぱいである。歌ではないから、音楽のメロディやリズムに言葉がつられないようにしなければならない。ギターで弾き損じると、台詞までしくじる怖れがある。
 ギターを弾き終えると、私は台詞と所作だけになる。楽譜には「譜割にとらわれず自由に詠んでよい」とある。

幻想第四次を走る
あの列車に乗って
目指すはエルドラド
チチカカを渡る風は
僕の頬をなでて
彼女が乗る
その列車を追いかける

 そして、先に引用した私の詩、「幻想としての高速道路が 頭の中を走っていた 1960年代の私」に続いてゆくのである。

2010年10月7日木曜日

「トロッタ12通信」.1(*10.6分)

 清道洋一氏は、トロッタ12に『イリュージョン illusion』を出品する。 私の詩だが、なぜ、わざわざカタカナと欧文表記を並べているのか? そして私は、幻影や幻想、錯覚、幻覚などと日本語で書かず、ひねって英語の題にしたのか?
 それについて書く前に、楽譜を受け取って、私は感じたことを率直に書く。この曲は、詩を書いた私への、作曲者の挑戦である。この認識は、清道氏に伝えてある。必ずしも挑戦という意図はないようだが、私は依然として挑戦だと思い、それを受けるつもりだ。
 詩は、次のように始まる。45行からなり、全一連である。(註;トロッタのサイトに、詩の全文はある)

未来の象徴としての高速道路が
頭の中を走っていた
1960年代の私
流線形に切り取られた夜空
ガラス細工のビルが建つ
鉄筋コンクリートという言葉の響き
ネオンサインは赤く
青く瞬(またた)いていた

「1960年代の私」とは、要するに、私のことだ。
 漫画や映画といった視覚表現に、高速道路はしばしば登場した。それは未来を舞台にした『鉄腕アトム』などの作品において顕著であった。そして、すでに高速道路が走る都市の光景は、現実だった。東京オリンピックが1964年に開かれた。これに合わせて、川を埋め立て、道路の上に道路を架し、地下にトンネルを掘り、道路と道路を立体交差させて、高速道路は作られたのである。その典型的な光景を、例えば日本橋周辺、特に江戸橋ジャンクションに見る。
 2010年の現代は、1960年代からはるかに遠い未来であり、とうの昔に21世紀になっているものの、日本橋周辺の高速道路ほど、いわゆる“未来的”な光景はないと、私には感じられる。「1960年代の私」は、まさに、そのような光景を頭に浮かべて過ごしていた。東京から遠く離れた、瀬戸内海に住んでいたのに。いや、だからこそ、か。詩は続く。

刹那の恋
長い黒髪を両肩に揺らし
足音もたてず
無人の高速道路を歩いてゆく
女は裸足だった
手をつなごうとするたび
振りほどかれた
細い指
思いがけない
そのからだのやわらかさ

「刹那の恋」の、私の詠み方は、初めの引用の最終行から続く。つまり、「ネオンサインは赤く青く瞬(またた)いていた刹那の恋」である。続く行も、このようになる。「長い黒髪を両肩に揺らし足音もたてず無人の高速道路を歩いてゆく女は裸足だった」つまり、前の行が次の行を支配している。
 詠み手によって、どんな詠み方があってもいいが、私はこのようなつもりで詩を書いた。これが『イリュージョン illusion』の特徴だとすら思って。

2010年10月6日水曜日

トロッタ12、1か月前です 「通信」前書き

いよいよトロッタ12まで、1か月となりました。本日から、恒例の「トロッタ通信」を始めます。「トロッタ12通信」というべきでしょうか。更新時間はまちまちですので、ご容赦ください。

「トロッタ12通信」を記すにあたり、初めに触れておきたいことがある。
前回、トロッタ11に参加したギタリスト長谷部二郎氏が編集する雑誌に、「ギターの友」がある。その2010年6月号と8月号に、連載「ギターとランプ」として、トロッタ12で初演される、今井重幸氏の室内楽版『ギター独奏・ピアノ・打楽器の為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』について書いた。また、発行されたばかりの10月号には、やはりトロッタ12で初演される田中修一氏の『ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る
MOVEMENT No.3 (poem by KIBE Yohani "RAN-FU", Myths in the future)
』(註;編成は、ソプラノ、フルート、ギター、ヴィオラ)について触れた。後編は、12月号に掲載される予定だ。連載をお読みいただければ、その二曲については、「トロッタ12通信」で書かなくてもいいようなものである。「ギターの友」については、長谷部企画にお尋ね、あるいはお申し込みいただきたい。ただ、『シギリヤ・ヒターナ』と『ムーヴメントNo.3』について、「ギターの友」では触れなかったことを、追々記すつもりではある。だからここでは、まず二曲以外の作品から取り上げる。

2010年10月3日日曜日

「花魂 HANADAMA」四日目が終わりました

昨夜、「花魂 HANADAMA」の四日目が、無事に終了しました。全身に、水で溶かし、木屑を混ぜた茶色のドーランを塗りました。帰宅してから銭湯に行って洗い流したので、疲れがどっと出て、昨夜は、断片映像をアップしながら、寝てしまいました。
音楽面からいうと、上野雄次さんがオルガンを弾いたことが画期的でした。初めての演奏だったそうですが、とても、そうは思えませんでした。

2010年10月1日金曜日

「花魂 HANADAMA」三日目終わりました

今夜は、詩人、岩崎美弥子さんの詩「夕刻の薔薇」を柱にしました。お客様も、これまでにない人数の方々にいらしていただき、感謝いたします。ありがとうございました。
これから、動画を、「花魂」のブログにアップする準備をします。

12月SOLO LIVEの準備も始めています

12月12日(日)という覚えやすい日、17時開演で、谷中ボッサにてソロを行います。第6回「声と音の会」です。トロッタで、私が出演して歌い、詩唱しました曲を取り上げたいと思いました。橘川琢さん、清道洋一さんに加え、昨日は、田中修一さんにも、曲を出していただくことを承諾していただきました。皆様、よろしくお願いします。