2010年10月16日土曜日

「トロッタ12通信」.10 (*10.15分)

*ギターのレッスン、上野雄次さんの花いけ教室、出版社との打ち合わせと休みなく続き、慌ただしい一日でした。

 新しいアンコール曲について、触れておきましょう。『たびだち』です。『めぐりあい』と同じく、宮﨑文香さんに作曲をお願いしました。編曲は、これも『めぐりあい』を初めて披露した時と同じく、酒井健吉さんです。
トロッタがある限り、ずっと『めぐりあい』を演奏する行き方もあったと思います。ひとつには、宮﨑さんに、新しい曲を書いていただきたいという願いがありました。いつまでも『めぐりあい』の宮﨑さんであっていいはずはありません。私自身、本来はひとつの詩でいいところを、趣向を変えていろいろ書いてきたわけですから、そろそろ自由になりたいという思いが生じていました。式典ならいつも同じ曲、同じ詩でいいでしょうが、トロッタは創作をする場であり集まりですから、決まり事に安住するつもりはありません。
『めぐりあい』は、四季を背景にして書き続けてきました。『たびだち』は、何を背景にしたらいいか考えた時、トロッタ11を終えたころに隔週刊で出していた「詩の通信IV はなものがたり」が、ふと頭に浮かびました。花を題材にすればいいと思いました。花の姿を借りて、人の普遍的な姿が描けるのでは、と。
 花については、上野雄次さんと出会って以降、『花の記憶』や『花骸-はなむくろ-』『異人の花』『死の花』など、花をテーマにした詩を書き、橘川琢さんの作曲でいくつかの曲になってきました。そのひとつの頂点が、先日、上野さんと谷中ボッサで行った六日連続の公演「花魂 HANADAMA」だったといえるでしょうか。

たびだち

花が見たもの
それは川
そっと咲いたら
流れていた

何もかもが
新しかった
つぼみのころは
夢だけに生きていた

流れてゆく
朝をのせ
流れてゆく
夜をのせ
じっとみつめる
白い花

花が見たもの
それは川
時が経ち時が過ぎ
花は流れに身をまかせる
何もかもが
新しかった
見えるものも聴こえるものも
ただひとりの旅
いつの日か
花開く日まで

 ただ、花は、人の姿のたとえに利用されるだけでいいのかという疑問はあります。例えば『たびだち』は、少女期から大人へと移る、人の姿を描いているとも考えられます。そうではなく、花そのものを描いてもいいのではないか? 私は男性ですが、そもそもなぜ、花は男性より女性に喩えられやすいのかという疑問もあります。上野さんの表現は、女性的などというものではなく、上野さんそのものです。拙いものですが、私が生けた花も、私という男性の表現です。それが詩になると、なぜいきなり女性になるのか? もしそれだけなら、詩の敗北でしょう。自分で自分を限定する必要はありません。これはいずれ解決したい問題です。
“めぐりあい”、そして“たびだち”。ひと続きであるように思います。めぐりあうドラマ、たびだつドラマ。人の営みは、すべてドラマです。解説などは必要ありません。おそらく、そのまま受け取っていただけるでしょう。

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