2011年4月29日金曜日

トロッタ13通信(12/4月28日分)

(其の二十三)
 田中修一から補足の説明が届いた。私がどう言葉を尽くしても、田中修一、あるいは伊福部昭の考えを完璧に説明することは無理だろう。また田中、伊福部、その他の作曲家にしても、理論は完璧でも作曲を始めると理論どおりにいかなくなってくる。理論までは、おそらく一緒で、いかないところをどうするかが、作曲家の特徴ともなってくるに違いない。

 ……アクセントの事に補足させていただければ、accentoには高低accentoと強弱accentoの国語があり、強弱accentoの国(英独とその系列、因みにロシアも)の詩は何拍子で作曲しても、その言語の強拍、弱拍は音楽の強拍、弱拍と常に一致するとされます。日本語は高低accentoなので、音楽の強拍、弱拍からの大きな自由、可能性を持っているといえますが、高低という旋律に関る部分では制約を免れないという事です。

 この内容は、そのまま受け取っておきたい。
 田中のメールを受け取った直後、バリトンの根岸一郎に会う用があった。トロッタのチラシを渡したのだが、新宿駅で四十分ほど立ち話をした。田中修一ら作曲する側の考えに対し、歌う側はどう思っているのか、考えを聞きたかった。捕捉について、私には判断する材料が少ないが、根岸は、よくわかるといった。Melismatic、Psalmodic、Recitativoについても、さまざまの例をあげてくれた。根岸はトロッタで、伊福部の歌曲を三曲、歌っている。『知床半島の漁夫の歌』『摩周湖』『ギリヤーク族の古き吟誦歌』である。伊福部の歌にも、日本語のアクセントどおりでない箇所がある。更科の詩をそのまま生かしたために、聴いただけでは意味をとりづらい箇所がある、などともいった。こうしたことは、やはり、永遠の課題だ。詩人が朗読すれば、もちろん、日本語話し言葉のアクセントを重視する(方言アクセントもかかわってくる。方言の問題は重要である。日本語の標準アクセントも方言が土台になっていよう)。また意味も重視する。朗読だから声を聞いてほしいといっても、意味がわからなくていいとは、さすがに書いた本人はいえない。しかし音楽家は、やはり音楽性が第一となる。
 根岸の考えをそのまま記すことはできない(どうしても私の意見が入る)。ひとつだけ、印象に残った言葉を記そう。すでに歌った『知床半島の漁夫の歌』、これから歌いたい『オホーツクの海』などは、自分とは違う、太い声で押し通した方がいいのかもしれない、と。自分の声は太いものではないという認識のもとにいっている。太い声だから押し通せるものでもなく、細い(あるいは高く、繊細な)声だから歌えないものでもない。その人なりの歌い方がある。根岸は伊福部の歌を歌いたいと思っている。工夫するだろう。作曲家も工夫する。それでよいのだと思う。

(其の二十四)
 トロッタには、朗読と楽器演奏のための曲がある。初期は、朗読だけの演目もあった。それを詩唱ということで、意識としては、より音楽に近づけていこうとしている。
 私の中に、演劇を受け容れる素地があることは既に書いた(芝居に関する夢をよく見る。昨夜も、必要があってほしいと思いながら買えずにいる、雑誌「新劇」の1974年の号を見つける夢を見た。台詞を覚えていないまま舞台に立つはめになる夢は、定番である)。第六回から参加している作曲家、清道洋一に対して、私は演劇の面で受けとめている要素が強い。雑誌「ギターの友」に、私は「ギターとランプ」を連載している。これまで六回を数え、今井重幸、田中修一、清道洋一に登場してもらった。トロッタで、ギターを伴う曲を書いている作曲家たちである。清道の言葉として、次のようなものを紹介した。
「歌というのは、十円を拾っても百円を拾ったように歌いますから。そこに抵抗感があります。歌は、必ずしも詩をよくすることになっていないのではないか。あえて歌にすまいというところから出発したのです」
 2010年12月、第六回「ボッサ 声と音の会」の「隠岐のバラッド」で、清道は『革命幻想歌』を発表している。同じ会で演奏した田中修一の曲、橘川琢の曲は、歌である。だから歌でよかったのだが、清道は歌にしなかった。
 歌は、十円拾っても百円拾ったように歌う−−。
 それは確かだろう。百円拾って十円拾ったようには歌わない。私なりにいえば、感情を発露させるのだから、大きくするわけだ。文章も同じである。これが何度も書いている、作曲家それぞれの、書き手それぞれのスタイルなのだが、どのように大きくするか。清道流にいえば、十五円にとどめておくか、百円にするか百五十円にもしてしまうか。どこにリアリズムを感じるかで違う。聴く人の共感を得られるかどうかも、そこで違って来る。
 清道の意見は、彼が演劇のための曲を書き、演劇に携わる者たちと長くつきあってきた、彼の歴史に根ざすと解釈している。歌い手や演じ手の感情は、音楽の形ではなく、演技はあるにせよ生の形でそのまま発露させることを、彼はよしとしている。音楽も演劇ももとはひとつだから、それでよい。台詞も歌も源流は一致するからそれでよい。ひとりの人間が語りもするし歌いもするから、清道の作曲スタイルを、私は受け容れたい。田中修一が第十三回で発表する『MOVEMENT an EXTRA〜木部与巴仁「亂譜外傳・儀式」に依る』にも、語りがある。歌にならない言葉、歌にしない言葉を、どう聴かせるかに、作曲家の腐心がある。

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