2012年9月1日土曜日

ドキュメント「トロッタの会」連載開始

トロッタのサイトに、ドキュメント「トロッタの会」の連載を始めました。
隔週で発行中の「詩の通信VII」に、付録として連載しています。
ここ一年ほど、トロッタについて書きたいと思い続け、過去には、その会ごとの曲について断片的に書いていたのですが、トロッタの歴史や理念そのものを、ゼロから、全体的に書き綴っていく内容です。
まだ3回目の原稿を書いたところですが、書くことで、ものごとが相当に整理されて来ます。特に、毎回、少しずつ変えていくつもりの、トロッタという言葉の定義が、自分でいうといけませんが、考えを巡らせることができて、おもしろいと思います。
この原稿を、サイトに一週遅れで公開いたします。もし、早めのご購読を希望される方がおられましたら、ご一報ください。

2012年8月26日日曜日

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【3】

●23日(金)の夜、甲田潤氏から電話あり、トークは行いましょう、とのこと。甲田氏も出て、私と喋る。『暁の讃歌』について調べておいてよかった。ひとりで喋ることを考えていたので、かけあいとなると、中身は薄くなるが、調べたことより、伊福部・松村両先生の弟子であり、今回は2曲とも指揮をする、主宰者甲田氏の実感ある言葉を聞いた方がよい。調べたことは、しょせん、調べたことだと思う。調べても演奏ができるわけではない。伊福部先生の本を書いた私は、その思いがあるので、トロッタの会を行っている。トロッタについてなら、いくらでも喋ることがあるが、それをしないで、一度でも新しいトロッタを開いた方がよい(それでも、書くことを否定しているわけではない。書くことでわかることがある。演奏していては決してわからないこと。調べることと実践することは、別物なのであろう。それに、調べること自体は好きだ)。

●午前中、甲田氏と会って、いろいろ話を聞き、トークの相談をする。甲田氏運転の車に同乗して、雑司ケ谷の東京音大から、すみだトリフォニーに近い錦糸町まで移動。その後、仕事やトークの準備があり、会場入りは16時。 他の方々は14時ごろから別会場でオーケストラと合わせていた。舞台設営を手伝い、17時から『釈迦』ゲネプロ(いつも思うのだが芝居のゲネプロとは意味合いが違う)。その後は『暁の讃歌』ゲネプロが18時25分まで。トークは18時45分ごろ開始。舞台に持って出るもの。『松村禎三 作曲家の言葉』、石井漠の言葉が載っている「週刊朝日」、それに甲田氏と打ち合わせて作ったメモ(曲の詩を印刷しておいた)。15分は喋っていないが、10分強の内容。ミスもあったが、台本のないフリートークなので、ミスがなければかえっておかしい。ありのままでよい。

●演奏は、よかったと思う。8年前、サントリーホールでの伊福部先生卒寿記念で演奏された時よりも、演奏の熱気という意味では、合唱、オーケストラともよかったのではないか。 甲田氏の無私の情熱が、その結果を生んだのだろう。もちろん、聴いた方々の印象は別である。皆さんが、(形容として)身を乗り出して熱心に聴いていてくださったようには感じた。以下、個人的な反省−−。

1)8年前は練習に毎回出た。しかし今回は数度しか出ていない。甲田氏に個人レッスンしてもらったのはよかったが。書かなければいけない原稿があった。結局、没原稿になると思うが。8年前にはトロッタもなかった。練習に使える時間があまりにも少なくなっていた。歌いきれたとは思うが、甲田氏の熱意に見合う態度を示せなかった。申し訳ない。
2)二楽章、Nivarana Jata Nivaranaの詩で、低いa(ラ)から上がって行く時、声がうまく響かない。歌の先生にレッスンしてもらった時は、それでよいということになったが、合唱になると響きが聴こえない。私にとっては低い音。しかし、もっとうまくできないものか。だから歌いきれたといっても、問題点は多いままだ。合唱なのだが、気持ちとしては、ソロとして大ホールに、小さな声でも大きな声でも響くように歌わなければ。
3)これは『交響頌偈 釈迦』について思うことだが、踊りの視覚性を伴わない一楽章を、どう解釈していいか、わかっていない。踊りがあれば過ぎてゆく時間を過ごせるだろうが、踊りがないと、変化に乏しい印象がある。しかし、指揮の甲田氏、演奏するオーケストラの方々にとっては、一音一音が変化なのだから、一楽章は合唱がないため、聴いているしかない者として、私が不明なのである。トークをするのでいろいろ調べたが、わかっていないことがあまりに多かった。『釈迦』については『タプカーラの彼方へ』で書いたが、あのころと今と、私の関心の方向がまったく違っている。今の私は、あの内容、書き方に不満だ。いっそ、全部書き直したいとすら思う。
4)舞台設営の際、すみだトリフォニーの係の方に、先日はどうもと、声をかけられた。3月に行われた日本音楽舞踊会議の公演でお世話になったスタッフの方だった。3月は小ホール、今回は大ホール。こちらにとっては違う場所だが、あちらにとっては同じ建物の場所なのだ。何に限らず、そのような出会いはうれしい。それを生かす生き方ができているのか。目の前のことにあわてふためくのではなく、もっと巨視的な態度が必要。いや、目の前にことにあわてふためいていいのかもしれない。ふためくしかないだろう。それが結果として、長い時間の人と人のつきあいにつながってゆく。

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【2】

松村禎三 『暁の讃歌』Hymn to Aurora〈リグ・ヴェーダより〉

●8月24日金曜日、『暁の讃歌』の準備を進める。トークを行うかどうか、まだわからない。

●リグ・ヴェーダは古代インドの聖典。数あるヴェーダ聖典群のひとつで、最古。もともと口承され、文字の発達と共に編纂・文書化された。中央アジアの遊牧 民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含み、紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された。全10巻、 1028篇(補遺11篇)。

●サントリー音楽財団コンサート「作曲家の古典'98 松村禎三」プログラムに、松村先生のこんな言葉を見つけた。
「いつの頃からか、もっと混沌とした巨大な乙男堆積のようなものが漠然と私のイメージの中に棲みついていた。そうしたある時、アジアに点在する仏教、ヒン ズー教等の寺院の厖大な石仏たちの度肝を抜くスケールの“群”の写真を見た時、私はそこにはっきり自らの先祖を見たように思え、大きい示唆と励ましを受け た」(「交響曲」プログラムノート)
これと同じことを伊福部先生がいっている。アジア的な大きさに対する憧れ、それを作曲家としての自分のものにしたい願望。

●松村禎三先生の遺稿集『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社)を購入して読む。これはおもしろい。一冊まとめての書き下ろしといった体裁ではない、プログラムの短文や折りに触れてのエッセイなどの集積だが、文字通りのドキュメントになっている。

●楽譜を探したが絶版なので、まず東京文化会館の音楽資料室へ行く。夏休み。明治学院に引っ越した日本近代音楽館に行く。すでに閉館30分前だが、オリジ ナル版(混声合唱とオーボエ・ダモーレ、打楽器、ハープ、チェロ、ピアノ、オルガン)と編曲版(混声合唱とオルガン、ピアノ)の楽譜をチェック。コピーし たかったが、受付時間を過ぎていたので写す。詩は以下の通り。(*印は作曲に際しての、松村先生の工夫)

紅のめぐみの光 世を照らし、
暁のうるわしの姫は出(い)でましぬ。(*繰り返し)
遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。(*繰り返し)
目ざめよ、もろ人、命の息はよみがえる。(*「命」以下、繰り返し)
闇は去り、光は満つる。(*無限に繰り返し)
暁の姫の御手(みて)は日の神を招くなり。(*この行、「闇」の行前に移動)
神は永久(とわ)なり、人も永久なり。

●楽譜にある松村先生の言葉。
〈訳者の許しを得て、語句を前後させたり、重複させたり〉
〈「来る世もかくてありなん」を「かくありなん」とした。曲の必然によるもの〉
詩の繰り返し、順序の入れ替え、さらに言葉ではないうなりのような声音も発せられる。これは詩を書く者には見逃せない大事なこと。詩がどのように音楽にな り、音楽が詩をどのように歌うのか。トロッタでも当たり前のように起こっている現象。トロッタはこの問題を追究しているといっていい。

●『暁の讃歌』オリジナル版は、1978年7月から10月にかけて作曲。11月15日(水)初演。東京混声合唱団第78回定期演奏会。東京教育会館にて。オルガンとピアノ版は79年2月、同合唱団で演奏。
今回の演奏は、甲田潤氏の編曲。混声合唱を女声合唱とする。初演版との相違は以下のとおり。楽器は初演で使用されたもの、および初演者名。括弧内は、甲田氏編曲版。

オーボエ・ダモーレ 石橋雅一(そのまま演奏)
打楽器 有賀誠門(一部シンセサイザーで演奏)
ハープ 川井道子(ピアノで演奏 松村先生編曲版に基づく)
チェロ 苅田雅治(そのまま演奏)
ピアノ 田中瑤子(松村先生編曲版+ハープを演奏)
オルガン 富米野玲子*初演時の使用楽器は、Roland社製 パラフォニック505番(ほぼそのまま演奏)

*以下、編曲版の楽譜に松村先生が記した言葉。
オルガンは、初演時はRoland社の電子オルガンを使ったが、パイプ、電気によるものを問わず、楽器の種類は限定しない。
音色は、部分部分のイメージを受け止め、その時の感じで作っていただければよい。
冒頭は、オーボエ・ダモーレに近い重簧楽器で。
[103]小節以降の「遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。」と最後の部分は、永遠の彼方から吹き寄せる風と光のイメージで(作者記)。*オルガンで演奏する部分
同年(1978年)作曲の「ピアノ協奏曲2番」と合わせてサントリー音楽賞受賞作品となった(作者記)。

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【1】

『釈迦』最後の練習中、甲田潤氏より、演奏前にトークをしたらいいと思うのだがと打診あり。自分は準備のため出られないが、と。相談中、二、三の人の名前を上げるが、トークの実施は最終決定ではない。私はいつ喋ってもいいといっておく。ただし、演奏会第四部のトークなので、『釈迦』だけではない、松村禎三先生の『暁の讃歌』についても喋る必要あり。最終決定はまだだが、準備だけはしておかないと間に合わないので、8月23日(木)からメモを作り始める。

伊福部昭「交響頌偈 釈迦」

●1989年4月8日、五反田のゆうぽうとで行われた「釈尊降誕会(はなまつり)コンサート」で、小松一彦指揮、東京交響楽団、東京オラトリオ研究会、大正大学音楽部混声合唱団等によって初演。

●チラシにも書いたが、敗戦直前、混乱してしまった日本人の価値観を問い直そうという強い思いがあった。1948(昭和23)年の『さまよえる群像』から、1953年(昭和28)年の『人間釈迦』へ。

●石井漠は、『人間釈迦』300回記念公演の後に行われた徳川夢声との対談で、こう語っている。
バレエ『人間釈迦』として創作されたきっかけ。石井漠に、文部省の芸術祭関係者から打診があった。「日本のバレーは、外国のバレーのまねをしてるわけだが、そうでなくて、東洋人の感覚でつくったバレーをやってくれないか」そこで考えたのが釈迦の物語だった。「ぼくの胸を打ったのはなにかというと、キリストは死んだとき天にのぼったが、お釈迦さまという人は、死んでからも、われわれと親しみの深い地のなかにうまってるというんだ」(引用個所〈週刊朝日〉1958年11月23日号)

●煩悩との闘いの果てに平和があるという歌、か。本当の平和とは? 戦後の混乱期に発想されたもの。今もまた混乱期。甲田氏は『釈迦』を毎年演奏したいと考えている。「第九」に対抗して?

●第二楽章、言葉がたたみかけられる場面がある。釈迦が瞑想しているとたくさんの悪魔がやって来て、さまざまな煩悩を投げかける。それに耐えられるか、という場面。
貪欲、食欲、性欲、生存欲、自己顕示欲、妬(そね)み、怒り、争い、愚痴、愚かしい事、など(*甲田氏が以上を紹介)
歌の詩は以下の通り(*Chor JuneのOさんのご教示をいただきました)。
*第二楽章
Gantha 繋 ケ しばる・とらえる 煩悩が離れない
Nivarana 蓋 ガイ おおう・かくす 煩悩を閉じこめている
Ussada 増成 ゾウセイ 地獄
Ohga  暴流 ボウル 欲と見と有と無明の煩悩を流し出す
Jata 結縛 ケツバク 解脱のさまたげ
Anuyasa 随眠 ズイミン 悪への傾向
Asava 漏 ロ 煩悩が漏れ出る
Vanatha 稠林 チューリン 業欲、願望が繁茂している
Kilesa 惑 ワク 欲念、罪、穢れ
Pariyuthana 纏 テン 煩悩の異名 煩悩が働いている
Samuyojana 結 ケツ Jataと同じ、枷、束縛
Akusala 不善 フゼン よかざること
Yoga 軛 ヤク 煩悩の異名 くびきのように拘束する

*第三楽章
Acintiya(不思議なもの)
buddha(仏)
buddhadhamma(仏法 仏+法)
acintiyo(acintiya?)  acintiyesu(acintiyaの変化形)
Pasannanamu(喜べる 満足)
vipakohati(熟する 果報)
acintiyo(acintiyaの変化形)

チラシに伊福部先生の訳を書いたが、本当のところは、論理性のある文章ではなく、第二楽章のように、言葉を並べているだけ。これは不思議な詩だと思う。詩というより呪文だろう。Acintiya(不思議なもの)を繰り返しているうちに、いつの間にか、不思議なものが見えてくる、感じてくる、自分も不思議なものになってゆく、といったようなことか。

●84年『日本の太鼓〈ジャコモコ・ジャンコ〉』、87年『舞踊曲「サロメ」』、89年『交響頌偈 釈迦』と舞踊のために書かれた音楽がオーケストラ曲になった。これはどういうことだったのか?

●甲田氏説、チューブラベルの音に、ブッダが悟りを得た姿が重ねられている。西洋楽器としての意味は“最期の審判”。

2012年8月23日木曜日

『交響頌偈 釈迦』最後の練習

8月22日(水)夜、すみだ音楽祭2012にて演奏される『交響頌偈 釈迦』最後の練習が行われました。個人的には、朝は歌のレッスン中、先生から個人練習をしていただき、夜は合唱と、いわば二部練習の一日ではありましたが、甲田潤さん主宰の練習には数度しか出ておらず、申し訳ない気持ちです。いずれにせよ、後は準備や練習を含めた本番当日を残すのみとなりました。
この『釈迦』については、1980年代半ばに、『日本の太鼓〈ジャコモコ・ジャンコ〉』『サロメ』と続いた、バレエ音楽の管弦楽化、その締めくくりであったということ以外、資料と談話で得た以上のことを、実感として知りません。石井漠の踊りを知らず、舞踊・映画・音楽とある伊福部先生の“釈迦”の世界を系統だてて研究したわけでもありません。ましてや、音楽としては合唱のバス・パート以外、何も知りません。先日の練習に立ち合った清道洋一さんが、大正大学発行の『釈迦』管弦楽譜を持参していた熱心さに驚かされました。
『日本の太鼓』『サロメ』は、音楽自体の自立性が強いと思いますが、『釈迦』は、バレエを観ながら聴きたい思いです。音楽だけだと、少し重い気がするのですが、それは人によって感じ方が違うでしょうか。決して批判ではなく、重さを重さとして聴かせる工夫の余地があるのではと、勝手に思っています(同じ譜面から、何をどう工夫するかが問題ですが。勝手に工夫などとはいえません。作曲者ももうおられませんし)。私も参加する合唱があることは、他と異なります ので、これを有効に生かすことでしょう。論じることは本当に簡単ですが、実際に演奏するのは難しいものです。甲田潤さんのご苦労は、容易に察することができません。
この夏は、本当に冴えない夏でした。いくつかの公演が実現不能となり、いくつかの原稿が、完成不能、採用不能となりました。それだけに、甲田さん主宰の演奏会が成功裏に終わることを祈ります。私自身、この悔しさをもとに、鬱憤晴らしなどではなく、確実に成し遂げたいという意味で、トロッタ16の準備に力を尽くします。

2012年8月22日水曜日

長尾一雄氏夫人、訃報のこと

演劇、音楽など、芸術全般に造詣が深かった評論家、長尾一雄氏の奥様、之子(ゆきこ)さんが、去る7月24日、お亡くなりになりました。葬儀等、ご親族だけで済まされて、本日、その訃報が届きました(個人の訃報であり、またトロッタのサイトなので、書いていいものかどうか迷いましたが、後に記すような事情があり、書くことにします。問題が生じたら削除します)。
長尾一雄さんは1998年4月27日にお亡くなりになりました。66歳でした。奥様は80歳でした。長尾一雄さんとは、私が23歳ごろから面識を得ていたと記憶します。いま、ここに書くにはあまりに多すぎる事柄を、長尾一雄さんとは共有しました。年齢差、経験の差、教養の差があり、「共有」という表現はおこがましいのですが、同じ舞台に接し、それについて語り合い、私の芝居にもゲスト出演されてお話をなさり、また長尾さんの本を二冊、『能の時間』『現代能楽士論』を、私は編集させていただいたので、共有としか表現できないのですが、やはりおこがましいかと、今になって思います。
奥様とは、長尾さん亡き後、おつきあいをさせていただき、近くは、上野雄次さんの花いけ教室にご一緒し、食事をご馳走になり、トロッタには何度か足を運んでいただき、トロッタ15にもお招きしたのですが、今は体調がすぐれないので、いずれ改めてと、お話をしたところでした(しかし痛恨なのは、それが5月のことで、原稿書きに忙しい思いをしている最中、緊急に入院をされ、お亡くなりになったのでした。お使いになっておられたiPadの調子はどうですか? と、お便りしたことを思い出します)。奥様の希望もあり、長尾一雄さんの蔵書の一部、邦楽関係、演劇関係などは、東京音楽大学に寄贈させていただきました。先日まで民族音楽研究所にあり、今は図書館に収められています。伊福部先生のお弟子であった故・三木稔氏とも交流があり、今、目の前にLP「二十絃箏の世界」の解説書がありますが、長尾さんはそこに「野坂惠子と二十絃箏」という文章を寄せておられます(奥様は岡山県出身ですが、同じ岡山の旧制高校生であった三木氏を、当時からご存知であったそうです)。
掲載紙「日本読書新聞」が発行をやめたため、二回で終わった長尾さんの連載に、「奈落への招待席 遊びの批評学」がありました。第一回は、歌舞伎舞踊『五斗三番叟』とアンダーグラウンド演劇としての『東海道四谷怪談』を論じ、第二回は 夢の遊眠社『回転人魚』と、バッハの『ブランデンブルク協奏曲第五番』を論じるといった具合で、このように並べると古典から前衛までと形容できそうですが、長尾さんにとっては、古典も前衛も同じなのではなかったかと思います。私がそう思っていることを長尾さんに重ねて論じてしまいそうな危うさがありますが、つまり長尾さんにとっては、古典も前衛も、まず現代人によって演奏され演じられる20世紀芸術であったということではなかったかと思います。
奥様は、そのような長尾さんをよく理解しておられ、それは当然ともいえますが、長尾さんの仕事がもっと世間に広まればいいと思っていました。朝日新聞の能楽評も、長尾さんの病で中断したのは惜しいことでした。
私の手元に、長尾さんが書きためた批評のためのメモがたくさんあります。トレーニングといっていいのか、その日に観たり聴いたりしたことを、毎日、レポート用紙に3行書くとか、原稿用紙に一枚書くとか、そうした行為を続けておられました。ビートたけしという芸人の名を初めて知ったのも、長尾さんの口を通してでした。私はまったくテレビを観ませんが、長尾さんは熱心で、そこに現代の芸能(芸能番組とか芸能人といった意味を含みながら、それよりもっと本来の意味を持つ、民俗学としての芸能) のあり方を見ておられました。長尾さんも奥様も、折口信夫の系統を引く、慶応義塾大学文学部のご出身です。
長尾さんがお亡くなりになった後、私は奥様から、横尾忠則氏がデザインをした、唐十郎演出、状況劇場公演『腰巻きお仙 忘却篇』の招待状を託されました。私が初めて出した本『横尾忠則365日の伝説』は贈らせていただいていました。招待状といってもB全判の大きなもので、よく横尾氏の作品集や唐十郎氏関係の書物などに紹介されている、もはや美術品というべきものです。長尾家に額装して飾られていました。今夜、私はそれを部屋の壁に飾りました。飾りつつ、長尾一雄さんのこと、之子さんのことを想っています。
初めに記しましたが、長尾さんがお亡くなりになった日と、奥様がお亡くなりになった日は、数字の配列がまったく逆です。そして長尾さんの命日は、私の誕生日でもあります。いつの日にか、改めて、長尾一雄さんについて、書きたいと思っています。

2012年8月20日月曜日

8.25、伊福部昭作曲『交響頌偈 釈迦』演奏されます

「トロッタの会」の大きな精神的支柱と申し上げたい伊福部昭先生が作曲された『交響頌偈 釈迦』が、来る8月25日(土)、すみだトリフォニー・大ホールにて演奏されます。
「すみだ区民音楽祭2012」の第4ステージで、19時開演(18時30分開場)です。
内容は以下になりますが、2曲とも、指揮は甲田潤さんです。
入場無料ですので、ぜひお越しください。

第1部
松村禎三 作曲/甲田潤 編曲/林貫一 訳
『暁の讃歌』“Hymn to Aurora”〈リグ・ヴェーダ〉より(女声合唱版)

第2部
伊福部昭 作曲
『交響頌偈 釈迦』

*私がチラシに書きました曲解説です。

 第二次大戦後、今ほど日本に平和が求められている時はない。長引く経済不況、近隣諸国との関係悪化、そこへ地震、津波、原発事故が加わった。何かが起こるより、何も起こらないことのありがたさを、今ほど噛みしめたことはない。そんな時代にこそ、伊福部昭の『交響頌偈 釈迦』を演奏し、歌いたい。
 もともとは、釈迦の生涯を描く舞踊作品『人間釈迦』の伴奏音楽として、1953(昭和28)年、石井漠の振付によって発表された。そこから音楽を抽出し、オーケストラと混声四部合唱のための作品に編曲されたのが『交響頌偈 釈迦』である。初演は1988(昭和53)年。
 舞踊作品は全三幕で、第一幕『迦毘羅(かびら)城の饗宴』、第二幕『菩提樹の森』、第三幕『世尊太子の帰城』に分かれた。それを音楽作品は、第一楽章『カピラバスツの悉達多』、第二楽章『ブダガヤの降魔』、第三楽章『頌偈』としている。
 王の子として生まれたゆえ、貧しさとも飢えとも無縁に育つ釈迦。これでよいのかと悩み、旅に出て苦しい修業の末に悟りを開く。その境地が、第三楽章で、こう歌われている。
「諸仏は思議を超えたるものなり(数々の仏は、人の思いを超越したものである)」
「諸仏の法も亦思惟を超えたるものなり(数々の仏の教えもまた、人の考えを超えたものである)」
「それ故、是等思議・思惟を超えたるものを尊信するの境地は(だからこそ、こうした思いや考えを超えたものを尊び信じる境地は)」
「篤き信仰によりて甫[はじ]めて得られむ(篤い信仰によって、初めて求めることができるのだ)」
 原典は『南伝大蔵経』第六十五巻大王統史十七章五十六節。合唱譜の扉に伊福部本人が記した意訳を、さらに括弧内で平易にした。
 伊福部は、『人間釈迦』作曲の経緯をこう語っている。
「石井漠さんとは、1948(昭和23)年の『さまよえる群像』で初めてご一緒しました。敗戦後、日本人の価値観が崩れてしまい、欧米、特にアメリカのものなら何でもいいということになってしまった。これではいけないというので『さまよえる群像』を発表しました。その後、さらにスケールの大きなものをというので取り組んだのが『人間釈迦』だったのです。パーリ語の専門家に教えを請い、アクセントにも注意して作曲いたしました」
 戦後の伊福部は、石井漠との『人間釈迦』の他、貝谷八百子との『サロメ』(1948)、江口隆哉・宮操子との『プロメテの火』(1950)、『日本の太鼓〈鹿踊り〉』(1951)など、舞踊のための大曲を続けざまに発表していた。さらに、1963(昭和38)年の三隅研次監督作品『釈迦』でも音楽を担当し、舞踊曲に共通する主題を用いた。オーケストラ作品と合わせ、これら三曲の“釈迦”は、伊福部昭だから表せた、独自の宗教的音楽世界といえよう。
 世界の平和、永遠の平和を求めた釈迦。その一生を音楽で描いた伊福部昭。敗戦後とは異なるにせよ、渾沌として迷う人々の多い現代にこそ求めたい曲といえるだろう。
木部与巴仁(詩人/「トロッタの会」同人)

2012年8月19日日曜日

【トロッタ16へ向けて】

*以下は、サイトの第1ページに書いた文章です。

トロッタ16へ
夏が過ぎ、季節は秋になりました。皆様はいかがお過ごしでしたでしょう。
今年の夏を、私は満喫できていません。海水浴に行って、海面に浮かび上がれず、もがいていたような思いです。その分を、冬のトロッタ16にぶつけようかと思います。
12月9日(日)18時、早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定のトロッタ16では、以下の曲を予定しています。出演者については、未定の部分がありますので、追って、お知らせします。
ただ二点、今井重幸先生の『カスタネット協奏曲』(ピアノ四手連弾版)で、北海道より、カスタネット奏者・真貝裕司さんがお越しになること、テルミン奏者の大西ようこさんが、今井重幸先生の新曲(予定)で初参加されることを、前もって記します。どうぞ、お楽しみに。

■ 今井重幸・作曲『カスタネット協奏曲』(ピアノ四手連弾版) 
■ 大西ようこ(テルミン)企画/今井重幸・作曲 『(新曲)』編成等未定
■ 橘川琢 詩歌曲(木部与巴仁・詩)『死の花』
■ 今井重幸・編曲『ロルカのカンシオネス〈スペインの歌〉』「ソロンゴ」「かわいい巡礼たち」
■ 田中修一・作曲(木部与巴仁・詩)『石井康史氏追悼・ギター弾く人』
■ 酒井健吉・作曲『OUT』
■ 田中修一・作曲『エスノローグ1 “巨人〈ダイダラボウ〉”~木部与巴仁の詩に依る』
■ 田中隆司・作曲(宮澤賢治・詩)『永訣の朝』
■ 堀井友徳・作曲(木部与巴仁・詩)『無伴奏混声四部のための北方譚詩 第三番』 「1.夏 北緯四十三度の街」「2.秋 歓びの坂」「3.冬 吹雪」「4.春 花だより」
■ 宮﨑文香・作曲/田中修一・編曲(木部与巴仁・詩)『たびだち (新作詩による)』

2012年5月2日水曜日

トロッタ15日記.120501

【5月1日(火)】今日から5月。本番まであと2週間を切る。皆さんにいろいろな連絡。河北病院に入院している方をお見舞いをする。病室で歌の作曲をしていたので、心強かった。「詩の通信VI」20号を発送。今井重幸先生宅にて、トロッタ16のための曲の楽譜、録音、録画をいただく。新宿御苑前のスタジオにて、『寒戸の婆』『ムーヴメント6』を合わせる。今井先生、舞踊の坂本秀子先生と電話で打ち合わせ。録音を田中修一氏に送ったところで眠気に勝てず、寝る。

【5月2日(水)】ロルカのレッスン。「セビージャの子守歌」。帰宅して部屋の片づけ。今日は練習できず。その代わりに細かなことを色々と片づける。清道洋一氏に会うと、長谷部二郎先生にいただいたというギターを持っていた。帰宅して、ギターを(下手に)弾きまくる。いったんギターを手にすると仕事ができない。宮﨑文香さんの新曲『宇宙でなくした恋』のため、詩を改訂する。

2012年5月1日火曜日

トロッタ15日記.120429-30

【4月29日(日)】ちよだ文学賞に応募する小説を完成させる。400字詰め原稿用紙で約90枚となった。締め切りは30日だが、明日の予定を考えると原稿を書いている時間がなさそうなので、一日余して投函。5月に入ったら、トロッタのことと仕事以外、文章は書かないし、書けないだろう。それでなくても、「トロッタ15全詩解説」など、完全に滞ってしまった原稿がある。約半年後に予定されているトロッタ16の日程について、皆さんに打診する。11月を予定していたが、11月開催はほぼ不可能と判明。早いのだが10月開催の可能性を探る。とりあえず会場は予約したが、それも難しいか。今井重幸先生に、清道洋一氏が打ち直してくれた『狂想的変容』のスコアを届ける。夜は高円寺にて、舞踏家、横滑ナナさんの踊りを観る。その後、高円寺の古本屋で、出口のガラス扉に思いきり頭をぶつけた。WEB版FIGAROのため、小川洋子『原稿零枚日記』の書評原稿を書く。いったん寝たが再び起き、深夜に書き続ける。早朝に完成させた。「詩の通信VI」20号を作っておいたが、この日は印刷まで至らなかった。おかしなこと。朝から何も食べなかったのに空腹感を感じず、仕方なく午後3時ごろに食事。それも、さしせまった空腹感に促されたわけではなく。

【4月30日(月)】朝からずっとトロッタ16の調整。ほぼ30人いる現メンバーの、全員の予定を合わせるのは不可能。できるだけ、ということにならざるを得ない。12月の初旬がリミットだ。それを過ぎたら今年の後がない。ニッポニカの演奏会のためチラシのはさみこみに行く。集合時間を過ぎてしまい、焦った。私が最後、すでに作業は始まっていた。とにかく皆さんと一緒に600枚分の作業をし、その後、友人たちとカフェでいろいろ話す。トロッタ16のことなど。清道洋一氏合流。今日、酒井健吉さん作曲『フルートとピアノの為の幻夢譚』合わせがあるかと思っていたが、おそらく、ない。ニッポニカは、芥川也寸志『交響曲第一番』とブラームス『交響曲第二番ニ長調』。私は演奏は聴けない。帰路、今井重幸先生と遭遇し、トロッタ16のことなど報告。16時、高円寺で森川あづささんと会い、楽譜を渡すなど話す。やはりトロッタ16のことなど。甲田潤氏に依頼された『交響頌偈 釈迦』のチラシ用解説原稿を書いて送る。根岸一郎さんと新宿で会い、堀井友徳さんがトロッタ16のために書く新曲について打ち合わせ。根岸さんが先日、音更で行って来た伊福部昭音楽資料室の報告を聴かせていただく。4月は今日で終わり。後はもうトロッタ15のことだけを、と思いながら、なかなかそうはできず、ここしばらく過ごしている気がする。

2012年4月29日日曜日

トロッタ15日記.120428

ここ数日は、トロッタの準備と、小説の執筆、締め切り原稿の執筆が中心。もっとトロッタの練習をしたいと思いながら、こればかりは皆さんのスケジュールが合わないと、どうにもならない。 【4月24日(火)】締め切り原稿を出した後、ぎりぎりで、ピアニスト、岡部由美子さんらによるピアノ三重奏の演奏会を聴きに、横浜のみなとみらい小ホールへ。ヴァイオリンは松実健太、チェロは小川剛一郎の各氏。ベートーヴェン、トゥリーナ、ダンディによる3曲。純粋に、音楽として聴かせていただく。岡部さんらの演奏会「プリマヴェーラ・コンサート」では、常に発想を得る。現在の『たびだち』に続く、アンコール曲『めぐりあい』を演奏しようと思ったのも、「プリマヴェーラ」で。この演奏会は、田中修一氏と並んで音楽を聴くという、めったにない機会となっている。横浜へ向かう電車で、隣に立つ人が日本経済新聞一面を読んでおり、私に向いた最終面の連載「私の履歴書」が、蜷川幸雄編であることを発見。読みたいと思う。図書館へ? その時間がないのだが。

【4月25日(水)】レッスン。ロルカの「可愛い巡礼」。うまく歌えないことは変わらず。この曲が長いことも理由だが、従来の3曲を改めて2曲とし、日本語の歌詩を朗読しようと思う。その方が、お客さんの苦痛が減り、かつわかりやすいだろうと思う。五味康祐の『いい音 いい音楽』が中公文庫に入っているのを見つけて購入。続いて、五味作品『二人の武蔵』が入った新人物往来社編「歴史文学全集 第15巻」を500円で購入。なぜ、五味康祐が気になるのか。他人だし、彼にある“虚無”“虚構性”“屈折”などは、むしろ避けたいと思っているほどで、気にしなくてもいいではないかと思うのだが、駄目だ。否定し切れない。私自身に、共通するものがあるのか(この日以降、数日にわたって五味康祐の作品を購入しているが、これは五味康祐についての原稿企画を雑誌編集部に提出しているため。まだ採用されていないが、五味康祐について考えなければいけない。それは表向きの理由で、自分が考えたいから)。

【4月26日(木)】ちよだ文学賞に応募するための小説を書いている。早く終わらせなくてはトロッタに全力を傾注できない。だが、これを書かなければ後悔するだろう。この小説は、変わったスタイルをとっている。奇をてらったわけではないが、今の私はこのようにしか書けない。それが理由で落ちても、悔いはない。何にせよ、原稿を書くこととトロッタをする、相いれないものの並立が課題。小説は30日(月)消印有効で提出するから、もう長くはない。やっと早稲田奉仕園に行き、チラシを置かせてもらった。本番に向けて、気になることの確認。東京音大の民族音楽研究所に行き、私が『音楽家の誕生』のために集めた資料の中から、石井漠振付『人間釈迦』の資料を探す。伊福部昭先生の『交響頌偈 釈迦』について、甲田潤氏に依頼された原稿を書くため。しかし、なぜか『釈迦』の資料だけが完全にない。五味康祐の『風流使者』と『喪神』が入った、河出書房版「国民の文学 第22巻」を500円で購入。

【4月27日(金)】誕生日。Facebook、Twitterで祝いの言葉をちょうだいするが、返信の仕方が身についていない(あるいは、わからない)ので、失礼をしている。お詫びします。WEB版FIGAROの書評のため、小川洋子の『原稿零枚日記』について書き始めるが、書けない。わかっていない。結論がすぐ出てしまって、深まっていかない。そうこうするうち、書評のため購入した本の請求書に間違いがあったので作り直してほしいとの依頼が来る。原稿以外のことで気をつかうこと多し。夜は上石神井にて、宮﨑文香さんの『宇宙でなくした恋』の合わせ。宮﨑さんの尺八、小野裕子さんの箏と。五味康祐の『柳生武芸帖』全篇が入った、番町書房版「日本伝奇名作全集 第22巻」届く。本当にこの一冊に、単行本7巻に及ぶ『柳生武芸帖』が入っているのか。稲垣浩監督による映画『柳生武芸帖』は二作あるが、どちらも音楽は伊福部先生が書いた。一作目の脚本は木村武(馬渕薫)。五味、伊福部、馬渕。考えなければならぬ人々。

【4月28日(土)】清道洋一さんが作ってくれた、今井重幸先生『狂想的変容《プロメテの火》初演の思い出に』の参考音源を、小倉藍歌さんが在籍する日本女子体育大学に届ける。舞踊監修の坂本秀子先生によると、偶然にも、今日が練習日だという。間に合った、という思い。トロッタの練習日を調整。これはけっこう疲れる作業。五味康祐の『麻薬3号』や『指さしていう』などが入った、集英社版「新日本文学全集 第15巻」届く。ここにあげた二篇には、陰惨な趣がある。それだけ五味の心に傷があったということだろうが。その傷にひかれるのか? 『エクソシスト』は好きな映画だが、オカルトには関心がない。そこに登場する、母親の介護と、悪魔祓いの間で悩める日常を送るカラス神父の姿、その描き方に共感している。私に似るものを感じる。五味康祐作品への関心をぬぐえないのも、似たような理由か。小説を書き続ける。約80枚に達している。上限の120枚よりは少ないが、枚数に不足感はない。

2012年4月23日月曜日

トロッタ15日記.120423

[4月18日]『共喰い』の書評、WEB版FIGAROのサイトにアップされていた。http://column.madamefigaro.jp/culture/issatsu/post-1016.html レッスン。トロッタ15では歌わなくなったロルカ採譜の「可愛い巡礼」。ちよだ文学賞のための小説を書き始める。完成はおぼつかないが4月末の締め切りまで書こう。西荻窪の奇聞屋で朗読会。トロッタ15の告知を兼ね、『海猫』と『鹿踊』を合わせて詠む。会は盛況で10時になっても終わらず、トロッタの準備もあるので申し訳ないが中座。

[4月19日]朝、インターネットが止まる。料金未払いのため。すぐ払う。小説を書く。仕事の原稿も書く。原稿書きで、トロッタのこと何もできず。チラシの不足が予測される。増刷すべきか?それも決断できぬ。

[4月20日]打楽器の内藤修央さんとランチ。石井康史さんの追悼演奏会をどうする?会は早くても10月の予定。締め切り提出。気分転換にジャクソン・ポロック展観る。ちよだ文学賞のための小説書き続ける。

[4月21日]トロッタの作業もろもろ。WEB版FIGARO書評のため、小川洋子『原稿零枚日記』を読む。作家が主人公だとおもしろく、共感する(私は作家ではない。文章は書くが)。小説を書き継ぐ。ガスが止まった。料金未払いで? 凍えそう。ガス停止辛い。

[4月22日]楽譜の件で今井重幸先生宅を3往復。ガス停止は料金未払いが原因ではなかった。一階の工事で揺れたための自動停止。一安心。滞っていた「詩の通信VI」3号分を作成。詩は書いてあったが《後記》を書けないでいた。チラシなど発送作業。

[4月23日]皆さんの練習スケジュール整理。楽譜整理。「詩の通信VI」と合わせ、それらすべての発送作業。発送作業は18時過ぎに基本的なものが終了。この慌ただしさは要改善。仕事の原稿差替分を書いて出す。ちよだ文学賞の小説は47枚に達した。120枚限度だがそれを満たす必要はない。

2012年4月18日水曜日

トロッタ15日記.120417

朝から午後早くまで田中慎弥『共喰い』の書評執筆。終了後、何人かにチラシや音源などを送る。座・高円寺にチラシ置き。神保町の美學校にチラシを置かせていただきに行く。提出した書評を書き直すことになって急遽、作業。新宿、渋谷、池袋のタワーレコードにチラシを置いてない!

特に渋谷は、昨日、今井先生関係の演奏会に行く途中、渋谷で下車してフライングブックスに置かせてもらったのだから、タワーレコードを意識してよかった。二度手間である。ともかく、ブログの“トロッタ15全詩解説”も途中になっているし、しなければならないことの多さを思う。

2012年4月16日月曜日

トロッタ15日記.120416

昨日の慌ただしさがツイート1回分に収まる事実。つぶやき程度のことか。割り切れない。効率化したいと思う。それができない非力。今夜はトロッタ15の曲の、初めての合わせが新宿である。酒井健吉さん作曲『フルートとピアノの為の幻想譚〜トロッタ、七年の夢』。気を取り直したい。

昨日夜、自分を試そうと思って臨んだ詩は、結局その夜はできず。昨日の午前中いっぱいで三篇を書く。だが書いただけで「詩の通信VI」3号分は作っていない。それを今日しよう。だがWEB版FIGAROのために田中慎弥作『共喰い』の書評を書かねば。自分と違う世界に向き合う不安、自身の鼓舞。

ある大切な方が心筋梗塞で入院。たまたま阿佐ヶ谷の病院だったので見舞う。あと2週間程度で退院できるというが、大事を祈る。今井重幸先生の『草迷宮』が邦楽合奏曲に編曲され、松村エリナさんらによって初演されるので、トロッタ15のチラシを配らせていただく。

新大久保のコーラス・スタジオで酒井健吉さん『フルートとピアノの為の幻夢譚』合わせ。録音する。スタジオにチラシを置かせていただく。とにかくこれがトロッタ15の初練習。舞踊監修の坂本秀子先生と打ち合せ。初めて踊りが入る。どういう段取りで練習するかが問題。

トロッタ15日記.120415

トロッタ15の名簿作成、送信。全関係者へのチラシ+チケット発送。楽譜のコピー、これも関係者へ発送。夕方から、ピアノ徳田絵里子さん、コントラバス丹野敏広さんご出演の所沢ライヴ会場でチラシはさみこみ。夜は谷中ボッサと千駄木のカフェNOMADにチラシ置き。

トロッタ15日記.120414

細かい様々なことがあり、予定の作業が終らない。正午、清道洋一氏に『トロッタ、七年の夢』の楽譜を渡して打ち合わせ。会費など金銭システムについても。15時30分、今井重幸先生宅で『伊福部昭讃「狂想的変容」〈プロメテの火〉初演の思い出に』の楽譜、全てではないがいただく。
17時半、高円寺にて、森川あづささんにチラシとチケット渡す。雨と風が冷たい。こんな日に裸足は辛い。清道氏、今井先生の提案を受け、相談をし、やっと新しい金銭システムの提案ができた。もう何年も心に引っかかっていた。何年がかりかで、やっとこの日の提案にたどりついた思い。
関係者全員の名簿作り。相互に連絡が取り合えるようにしたい。木部を通した連絡か、個別に連絡先を交換した人同士の連絡にまかせていたものを改善。練習スケジュールを整理しなければならない。月曜日の夜、酒井健吉さん作曲、清道洋一さん演出『トロッタ、七年の夢』の合わせが入る。
今日こそは、滞っていた「詩の通信VI」の詩、2号分を書こうと思ったが、とてもそこまで至らない。深夜、これから書いてみようと思う。どこまでできるか自分を試す。机を変えて。来週月曜になれば3号分が遅れることになる。「詩の通信VI」は、取り戻しては遅れ、の繰り返し。他に何があるなど言い訳。

2012年4月14日土曜日

トロッタ15日記.120413

部屋の片づけ。トロッタが近くなり、いろいろと作業するうち部屋が乱れて来た。一度に見渡せるようにしておかないと見えるものも見えない。本当は何もない部屋が理想だが、それは無理。最近は倹約しているが、久しぶりに喫茶店でモーニングを食べた。起きてすぐ机に向かうだけだとリズムが単調になる。

正午、根岸一郎さんと新宿で会い。チラシを渡す。根岸さん、北海道の帯広に行くとか。帰宅後、『狂想的変容〈プロメテの火〉初演の思い出に』に特化した仮チラシを作ってコピー。踊りの方々に使っていただくため。これに時間がかかった。18時、池袋で徳田絵里子さんにチラシを渡す。

日暮里駅前の古書店、信天翁にチラシ置き。お礼に南米ギターの教則本購入。千駄木の古書店、古書ほうろうにチラシ置き。お礼に、「ユリイカ」1972年12月号のエズラ・パウンド特集を買う。西荻窪の古書店、音羽館にチラシ置き。お礼に山崎豊子の文庫版エッセイ集を買う。なぜ?

朝、清道洋一氏から『霧に歌っていた』の楽譜届く。宮﨑文香さんは今日、速達で『宇宙でなくした恋』の楽譜を発送。夜、酒井健吉さんから『トロッタ、七年の夢』の楽譜が届く。『美粒子』の一部はメールで。今日がトロッタ15の締切日である。今井重幸先生の曲は明日の朝、いただく。

『新幹線大爆破』のシナリオが載った「キネマ旬報」が届く(結末を初めは伏せたので二号にわたった。脚本・小野竜之介)。『金環蝕』のシナリオが載った号も(脚本・田坂啓)。当然だが、映画はシナリオまずありき。その意味で、馬渕薫を論じた視点は間違っていない。何とかK社で原稿を復活させたい。

それはやはり、書き手への共感が私にあるから。映画は監督=演出家のものだろうが、書き手がいなければ始まらない。脚本家は作家なのだから、もっと注目されていいはず。五味康祐が気になるのも、同じ理由から。彼のオーディオ趣味を理解できないのも、やはり書き手の見解で演奏家のものではないから。
五味康祐は、そうはなりたくなかったが、剣豪小説と呼ばれた。人を斬ることについても音楽同様、書き手の見方で、実際の武芸者のそれではない。音楽も武芸も、彼は文学として行った。そこがわからない。というか、私がそうなりかねないので、なってはいけないという警戒心から、わからないのだと思う。
だが、そこが文学の本質に通じると思う。どんな人生を書いても空想のものだ。実人生を書くのであれ、書く段階では過去になっている。評論をしても、評論した対象については素人だろう。素人だから客観視して書けるとはいえ、感想になってしまう恐れがある。文学は危うい。文章表現は怖い。自戒せねば。

雨だが、寒さはだいぶやわらいだ。もう、足袋をはかなくてよい。濡れても裸足に下駄ならむしろ気持ちよい。このような実感が大事だと思う。頭だけで考えるのではなく。それが詩と音楽に現われればいい。「詩と音楽VI」がまたも滞っている。これはトロッタの別ヴァージョンだから、トロッタが佳境に入ると「詩の通信VI」が遅れるのもやむを得ない。しかし、数人でも待ってくれている人がいるのだし、別ヴァージョンだからこそ、「詩の通信VI」をきちんと出さないとトロッタもいい加減になってしまう、といえよう。明日は絶対に作る。そして可能なら発送しよう。

2012年4月12日木曜日

トロッタ15日記.120412

トロッタ15のチラシとチケットが到着。今回は4000枚刷った。小松史明さんの、すばらしい作品。これをいかに効率よく配るか。

さっそくメゾソプラノの青木希衣子さんに会って手渡し。夕方にかけて東京音大に行く予定。何人かの分をまとめて渡せればと思う。ギター萩野谷英成さんの分もどこかで渡そう。チラシを配れそうな演奏会、置けそうなお店などあればご紹介いただきたい。

高田馬場にて萩野谷英成さん、東京音大にて八木ちはるさん、丹野敏広さんら五人の方にチケットとチラシを渡す(預ける)。民族音楽研究所には置かせて貰ったが、学校に置いて貰う分を忘れた。作曲家の方々への連絡などをして、午後からは、トロッタのことしかしていない。時間がない。

萩野谷英成さんにトロッタ15のチラシを渡し、そのついでに『深沢ギター教室』と『別冊新評・深沢七郎の世界』を渡す。彼曰く、深沢七郎を調べてどうするんですか? と。どうするのか? どうにもならない。彼が敬愛した小栗孝之なら、曲を集めて演奏会を、となるが、深沢七郎だけでは見通しがない。

甲田潤さんと民族音楽研究所で話す。夏の墨田区合唱祭で、伊福部昭先生作曲『交響頌偈 釈迦』を甲田氏の指揮で演奏するのだが、そのチラシに解説を書いてもらえないか、と。字数は1200。合唱に参加してほしいとは前からいわれていること。気持ちはある。解説は書きたいが、歌はどうかわからない。

東京音大のそばの古本屋、古書往来座にチラシを置かせていただく。毎度のこと。お礼に「現代詩手帖」を2冊買う。明日は谷中・根津近辺の古本屋に行く予定だ。中央線沿線は今夜行けるか?置きチラシの効果は正直、不明だが、私自身の経験から、そこにも可能性があるのだと信じている。

毀誉褒貶の作家であり、すべて受け容れる、とはいえない人だが、五味康祐の、練馬区主催の展覧会図録を読む。凝った人、である。作品でよいのは『喪神』『秘剣』『柳生連也斎』『一刀斎は背番号6』など短編が数篇(そう断じるのは奢ったことだと思う)。中でも『柳生連也斎』は暗記してもよいほど。

世評高いものだと思うが、いわゆるオーディオ趣味は理解できない。最も五味康祐らしい文章なのだろう。しかし、わからない。このわからないところに彼の本質があるのだろう。だが、好きな作家、気になる作家。売ったり買ったりしながらつきあってきた。結局、先にあげた数篇があればよいと思いながら。

結局、疲れてしまって吉祥寺の古本屋、百年に行っただけ。閉店ぎりぎりでお礼の本も買えず。帰りに阿佐ヶ谷の飲食店に置かせていただいた。お礼にスミノフを飲む。『トロッタで見た夢』に出てくる大事なお酒。必要な作業もあったが、明日の受け渡し分を整理しただけでダウン。

2012年4月6日金曜日

トロッタ15日記.120406

トロッタ15のチラシを印刷所に入稿。予算の関係で、泣く泣く、これまで続けて来たG社をあきらめる(セールがなくなったため)。他社だが、営業日を縮めても1万円近く安くなった。G社は無念。申し訳ない。11日に発送、12日到着予定。

2012年3月27日火曜日

トロッタ15日記.120326の3

長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載している。ここ何回か続けて、作曲家・田中修一氏と萩原朔太郎について、詩と音楽をテーマに書いている。原稿の直しをたったいま終えた。午前3時。明日には印刷所に入稿予定という。眠い。こうしたこともすべて「トロッタ」の活動につながると確信している。

今井重幸先生に依頼されて、トロッタ13で初演した『叙事詩断章・草迷宮』の動画をコピーして差し上げる。邦楽曲に編曲したので、奏者に参考にしてもらうのだとおっしゃる。演奏は4月16日(月)。阿佐ケ谷でお目にかかり、にトロッタ15の相談。先生の『狂想的変容』について、ある演出を提案させていただいた。実現すれば面白いが。

昼間から続けていた楽譜の整理をほぼ終える。トロッタの楽譜、ボッサの楽譜、そうしたものを作曲家別に分けた。8回目となるボッサの会は、亡くなったギタリスト、石井康史さんの追悼とする考えだ。石井さんと共演した時の音源も出てきた。明日、その打ち合わせをするので、ぎりぎりのタイミングだと思う。

デザイナーの小松史明さんに、本当は今日、トロッタ15のチラシ原稿を半分以上送る予定だった。できず。明日の朝には何とか送りたい。このまま徹夜して送りたい気持ちだが、駄目。いつも思うが、チラシを作る、配る時点で、すでにトロッタは始まっている。チラシは小松さんの表現だ。