2009年9月16日水曜日

こんな文章を読みました

どちらも、詩人でアイルランド伝統音楽のフルート奏者、キアラン・カーソンの『アイルランド音楽への招待』(守安功・訳/音楽之友社)から引用しました。カーソン自身が引用しているので、引用の引用です。

「コンコルド広場では好きにしてていいから、とにかく、午後四時にエッフェル塔の三階で会いましょう」。一つの曲を通して演奏することは、ニューヨークからサンフランシスコに旅するようなものである。車に乗った二十世紀の音楽家なら、目的地への最短距離を行くために高速道路を走ってゆくだろう。でも、本物のバロック音楽の演奏家なら、道すがら何度もちょっとした寄り道をしながら、眺めのいいルートを選ぶことだろう。どの道を行くかには無限の可能性がある。ということは、ニューヨークからサンフランシスコに数えきれないほど何度も行ったとしても、二度と同じ道を通ることなく、しかも、そのたびに新たな楽しみを発見することができるということだ。
ヴィクター・ランジェル=リベイロ『バロック音楽』

私のこれまでの、アイルランドの音楽を収集研究してきた経験から、次のことをここで明言することができる。楽譜化されていないある曲について徹頭徹尾同じ二つの演奏を聴くことはまずない。かたや、一つの曲が五十もの異なる楽譜となった例もある。曲の構成についての綿密な分析や、それらの曲の歴史や変化推移についての知識を動員して初めて、極めて異なる二つの曲が、実は元々は同じ曲だとわかることもままある。
ジョージ・ペトゥリー『アイルランドの古い音楽の譜例集』

以上です。
この文章を通じて、先日、テーマにしました、詩と音楽の関係性について、考えたのでした。
始めの引用文の「コンコルド広場」が、私の詩です。「エッフェル塔」が、演奏される曲であり、その時に用いられる、変形しているかもしれない詩です。詩が生かされるなら、どのような道筋を通っても、作曲家が楽しめばそれでいいのではと思いました。道筋にこだわることはない、とも。

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