2012年1月19日木曜日

トロッタ15通信.46

トロッタ14通信〈記録〉.8

ムーヴメントNo.5~木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る
MOVEMENT No.5 (poem by KIBE Yohani “RAN-FU”, PARADISE)
for Solo Voice,Oboe,Piano and Contrabass
〈作曲 田中修一/詩 木部与巴仁〉
木部与巴仁氏がハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』(鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に生息し、核実験の影響で島と共に沈んでしまったという哺乳類である。)に取材して2010年12月5日に詩「亂譜 楽園」を送ってくれたが、そのままになってしまっていた。後になって「樂園」という題名につよく惹かれて、新たに此の詩と向き合うと、別の意味を持って私に迫って来たのであった。一連の「MOVEMENT」はデフォルメされた音楽様式となっているが此の作品でもそれが顕著にあらわれている。〈田中修一〉

ソプラノ*赤羽佐東子 オーボエ*三浦 舞 コントラバス*丹野敏広 ピアノ*徳田絵里子

【記録】トロッタ3以来の『MOVEMENT』シリーズが、これで5曲目となった。曲は、やはりトロッタ14で演奏された、田中が師と仰ぐ伊福部昭先生の『蒼鷺』と同じ編成である。
田中修一とは、詩をめぐって話をすることが多い。トロッタ14を終えて以降は特に、田中が影響を受けた萩原朔太郎について、考えを聞かせてもらっている。直接の理由は、雑誌「ギターの友」に、田中修一と朔太郎に関する原稿を書くため。ただ、田中も私も研究者ではないから、限界はある。新事実に行き当たったり、未知の論を展開することはない。中学生のころから朔太郎に読みふけっていたという田中なら、あるいは、朔太郎研究の最先端にいるかもしれないが、私はそうではない(こんな風に比較的に書かれることを田中はよしとすまい)。少なくとも田中には、朔太郎同様、詩と音楽の関係に、確固とした思いがある。そして私は、彼の考えを全面的に受け容れるようにしている。詩句を変更することも、削除することも、順序を入れ替えることもかまわない。詩の言葉は私のものだから、田中の生理や感覚や理論に合わない場合が当然出てくる。また私は芝居をしていた経験から、戯曲を舞台にする場合、様々な事情で台詞などは書き換えるものだと思っている(書き換えをよしとしない作家も当然いる。私は書き換えてよい考えだ)。芝居も音楽も生き物なので、一言一句変えてはならないとは思えないのだ(音符はどうだろうか? 例えば、弾きやすいように変えてよいだろうか? 弾きにくくてもそのまま弾くことで、作曲家の思想が現れる、という考えはあるだろう)。ーーともかく、私の詩『樂園』は、楽曲化にあたり、田中の手で書き換えられた。どう違うのか検証する。掲げるのは原詩。括弧内に、田中による変更点を記した。なお、ここでは逐一記さなかったが、田中は「楽園」を「樂園」、「声」を「聲」、「会いに」を「會ひに」のように、文字表記をすべて正字体、歴史的仮名遣いにしていることを付け加えておく。



楽園

木部与巴仁

わたしの声が聞こえたら
返事をください
わたしの声が聞こえたら
海を越えて
会いに来てください

長く暗い闘いの果てに
残された者たちの
静かな営みがあった
何処から来て此処にいる
(*以下カット)見たことのない
不思議な仕草で
草を食(は)み
水をすくう(*ここまでカット)
閉ざされた島の
平和な時間(とき)は
知る者もなく流れてゆく

(*以下カット)いつからだろう
目覚まし時計の力を借りず
午前三時に目を醒ますようになったのは
孤独の荷を下ろした
ひとりの時間
窓から見える
あの山の向こうで
誰かが男を呼んでいた
妻と子は
何も知らない(*ここまでカット)

わたしの声が聞こえたら
あなたの目(*眼〈まなこ〉に変更)を閉じてください
わたしの声が聞こえたら
窓を開けて
ベランダに出てください(*「窓を開けてください」に変更)

美しいと
思う者もないのに美しい
(*以下カット)賞賛ではなく
感嘆でもなかった(*ここまでカット)
彼らの国はただ
青い海に浮かんでいた
見える
一羽の男が(*「一羽の鳥が」に変更)
気流に乗って飛んでゆく
海という海の
風を集めて
ただひとつ残された
楽園をめざし
千年(*「幾千年」に変更)
(*以下カット)なりたいのになれなかった
それは男の
理想の形(*ここまでカット)

「見たことのない/不思議な仕草で/草を食(は)み/水をすくう」や「賞賛ではなく/感嘆でもなかった」「なりたいのになれなかった/それは男の/理想の形」のカットには、それぞれ個別の理由があるようだ。説明的にしない、細部にわたらない、聴き手の想像力を信頼し、ゆだねる、など。しかし、第三連「いつからだろう/目覚まし時計の力を借りず/午前三時に目を醒ますようになったのは/孤独の荷を下ろした/ひとりの時間/窓から見える/あの山の向こうで/誰かが男を呼んでいた/妻と子は/何も知らない」のカットは、事情が違うようだ。プライベートに関わる個所をカットしたのである。田中はいったことがある。日常的な描写は好まない、と。詩の書き手としては、プライベートを大切にしたい気持ちがある。文学なら、それは重要。しかし音楽としては、田中は音楽家だから、重要ではないと判断したのだろう。その違いを、しかし私は結び合わせたい。どうすれば結び合わせられるか。田中修一との共同作業では、常にそのテーマに直面する。

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