2012年1月20日金曜日

トロッタ15通信.47

トロッタ14通信〈記録〉.9
「朗読と室内楽のためのポエジー 蝶の記憶」【2011】
“Memory of Butterfly” POESY for Narration and Chamber Ensemble
本作は前回「トロッタ13」終了後、翌月から着手、本年2011年夏に脱稿、今夜が初演である。作者としては初の、朗読と器楽のための作品であり、器楽編成は木管四重奏(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット)、さらに曲の作風も、これまでメインで書いてきた「調性&メロディ路線」とは180度異なる世界で、コンテンポラリーを意識した抽象的なものをねらっている。ゆえに本作は作者にとって、かなりの意を決した冒険作となった。本作のテキストになる木部氏の詩「蝶の記憶」は、実は昨年「トロッタ12」で初演された女声合唱曲「北方譚詩」の候補として書かれたものであったが今回、新たな形態でそれが生きることを期待する。〈堀井友徳〉

フルート*八木ちはる オーボエ*三浦 舞 クラリネット*藤本彩花 チェロ*香月圭佑

【記録】『祝いの花』と同じく、この曲も事情があってファゴットがチェロに代わった。その影響は、もともと木管四重奏曲として構想された『蝶の記憶』の方が大きかった。しかし、チェリスト香月圭佑の努力によって、お聴ききいただく側に大きな違和感はなかったはずである。
私が詩唱を務めた。堀井友徳はこれまで、トロッタ12で女声三部とピアノのための「北方譚詩」 1.北都七星 2.凍歌 、トロッタ13で混声四部とピアノのための「北方譚詩 第二番」1.運河の町 2.森と海への頌歌を発表してきた。堀井自身が書いている、調性とメロディの路線を続けてきたが、この作品は180度違うもので、コンテンポラリーを意識した抽象的なものを狙った。自身にとっての冒険作だ、と。
私もまた、詩唱が入ることで、調性とメロディの路線を踏み外すものになるだろう思った。これまでがそうなら問題ないが、180度違うとどうなるのか、と。結果は、危惧にはあたらない。杞憂であった。『蝶の記憶』は、詩唱が入る曲として出色の作品になった。
演奏はともかく、歌ではない詩唱で、調性とメロディを維持するのは無理である。詩唱は宿命的に、伝統的な音楽の路線からはずれている。それをすすんで引き受けようとした点に、堀井の意気込みがあった。私は別に、前衛的であろうとも、クラシックの伝統を守ろうとも、どちらも思っていない。伝統があるから前衛があるのだし、前衛があるから伝統にも意味があると思っている。両者は切り離せないのだ。したいことをすればよい。ただし、する側に、作曲者であれ演奏者であれ、必然がなければならない。他人が何といおうと、これをしたいのだという決意があれば、何をしてもかまわない。その意味で、堀井友徳の決意に、私は向き合おうと思った。
詩唱について。どうであろう、私の声でよかったのだろうか? 仮に女声であればどうなったか、男声でももっと優しい、澄んだ声ならどうなったか? 堀井から、声の質(明るく、暗くなど)や詠み方(緩急の使い分け、声量の調整など)への注文は、特になかった。となると、あの詠み方でよかったのか。歌のレッスンをしていて、常にいわれること。私はバス・バリトンの声域だが、声の質は明るく保ちたい、と。いきなりだが、テノールだったらどうだったか。女声でアルトだったらどうか? それを最も知りたいのは私である。他の人の声で聴いてみたい。−『蝶の記憶』を、詩唱・木部から切り離して独立させたい。木部がいないと演奏できない、のではもったいない。それは『蝶の記憶』に限らず、酒井健吉の『天の川』や橘川琢の『花の記憶』についてもいえることだ−

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