2009年11月20日金曜日

「10へ」;22

お昼過ぎに、増刷分のチラシが届きました。600枚刷りました。

トロッタが近くなると、日常の仕事ができなくなります。前回も、1週間というもの、まったく仕事が手につきませんでした。仮にその1週間はしのげても、次の1週間に2週間分の仕事をこなさなければなりません。今日は一日、部屋で書評原稿を書いていました。それでも、他に原稿がたまっており、思うように進みません。何とかしなければと思います。

この週末に行うべき合わせについて、皆さんに連絡を取りました。滞りがちな状況を打破するため、いろいろな方策を考えなければなりません。


2009年11月19日木曜日

「トロッタ通信 10-11」

■ 花の三部作


橘川琢さんの『死の花』は、『花の記憶』から『祝いの花』へと続く、彼にとっての花三部作、その二曲目にあたります。

橘川さんの曲は、他の方と比べて良い悪いをいうのではなく、ほとんど詩の改変がありません。『冷たいくちづけ』や『うつろい』『恋歌』『異人の花』『花骸-はなむくろ-』など、彼との共同作業はたくさんありますが、常に、私の詩に忠実に作曲していただいています。

唯一、大きな違いだと思ったのは、2007年5月27日(日)、彼が第三回公演で初めてトロッタに参加した時の曲『時の岬/雨のぬくもり 木部与巴仁「夜」・橘川琢「幻灯機」の詩に依る』でした。私の詩「夜」を「時の岬」に改題し、この曲のための書かれた橘川さんの詩「幻灯機」を「雨のぬくもり」にして、一曲にまとめたのです。彼がなぜ新たな詩を書いたのか、知らないままです。詩を書くことで、私の詩と、橘川さんなりに取り組もうと思ったのでしょうか。自分の側に、強く引きつけようとしたということ。もちろん、橘川さんも詩を書き、一曲にして提出したいと思ったのかもしれません。


トロッタに参加するに当たって、橘川さんの関心が、次の言葉からうかがえます。雑誌「洪水」第一号で、私、橘川さん、田中修一さんによる鼎談が行われました。橘川さんの発言です。


「これはトロッタの会に対する私のスタンスにも関わることですけど、通常音楽会という形で詩と音楽の融合が目的とされるとき、それぞれが対等に主張するということは意外と少なくて、最終的には詩もしくは音楽どちらかの強さに収斂されてしまう傾向があると思います。トロッタの会のお誘いを受けたとき、詩と音楽とがほとんど対等な形で会の時間の中で存在してもいいんだという、そのことがとても面白かったんです。ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げているという感覚です」


トロッタ10の新曲、『死の花』がどのようなものになるかは、まだわかりません。ただ橘川さんは、『死の花』の作曲が、たいへん難しいものになるだろうと、ずっと以前から口にしていました。私もそう思いました。

それは、橘川氏にとって大きな転換になったのではと思われる、『花の記憶』が、あまりにも完成度の高い曲であり、演奏になったからです。

『花の記憶』は、2008年10月20日(月)、日本音楽舞踊会議 作曲部会公演にて初演されました。そして再演は、同じ年の12月6日(日)、第7回トロッタの会。三演は、2009年8月2日(日)、名古屋のしらかわホールで行われた「名フィルの日 2009」でした。


初演以来、少しずつ形を変えて、3度、演奏されています。演奏するたびに、好評をもって迎えられています。とりわけ、花いけの上野雄次さんの存在は、他の方の曲との違いを際立たせています。音楽の進行に伴って花をいける。これが音楽の要素になっているのですから。

『死の花』を作曲する時は、いっそ楽器を少なくし、尺八と何かだけにしようかなどと考えておられました。思い切ったことをしないと、『花の記憶』との違いが浮かび上がらない、というのです。

しかし、「洪水」の発言にもありましたが、「ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げ」るため、私の詩はもちろん、上野さんの花いけをも音楽と考えて、彼は作曲をしていく宿命にあると思います。個展を開いた時には、扇田克也さんのガラス造形作品を、一曲の中に生かしました。扇田さんの展覧会では、すでに二度、自分の曲を発表しています。


橘川さんは、以前、曲に題をつける時は、図書館に一日こもり、片端から本を開いて、言葉を探していったといいます。私と共同作業をするようになってから、その必要はなくなっているはずです。

橘川さんの方法に、間違いはありません。人にはそれぞれの方法があります。私は、ほとんど図書館に行きませんので、橘川さんのようなことはしませんが、彼なりに言葉との出会いを求める、飽くなき姿勢といえます。


「10へ」;21

必要がありまして、『伊福部昭 音楽家の誕生』を、読み返していました。忘れていることがいくつかありました。そして、大切なことが、いくつかありました。

取材中、そして執筆中、伊福部氏のお兄様の勳さんに、心を引かれていました。勳さんは、戦前、札幌におけるギターの先駆者として活躍されました。しかし、仕事上の無理がたたって、戦中に亡くなられました。
『音楽家の誕生』は、今なら、もっと違う書き方をしただろうと思います。これしかないという書き方ではありません。ただ、正直に書いたことは間違いありません。その正直さは、例えば勳さんについて書いた箇所などに現われています。共感しているのです。芝居なら、勳さんになりきって演じました。その意味では、書いた当時は、これしかない書き方をしました。今なら違うかもしれないというのは、私が生きたからです。生きれば、人の考え方や、もののとらえ方は変わります。

そして、更科源蔵さんの存在にも、心を動かされました。昨夜の奇聞屋で、更科さんの詩を詠んでもいいだろうと思い、詩集『凍原の歌』を持っていきましたが、時間がありませんでした。そして今日、更科さん最後の詩集『如月日記』を、札幌の古書店に注文しました。死の闘病中、日々の思いを詩として書き続けたものです。伊福部氏のことも出てきます。更科さんの詩『怒るオホーツク』を伊福部氏が合唱曲にした、『オホーツクの海』初演の日のことが詩になっています。その演奏は、私も聴きました。札幌にいた更科さんは、娘さんの電話で、演奏会のことを知ったのです。ひとつの音楽について、場所を異にする人が、いろいろなことを思います。縁を感じました。
更科さんについては、『音楽家の誕生』から『タプカーラの彼方へ』『時代を超えた音楽』と続くうち、少しずつ思いが深まっていきました。やはり、言葉を用いる人への共感が強くあったのです。

たった今、私は新しい本を出そうとは考えていません。例えば、トロッタのような会を開く、あるいは出演する、そのことに、私の心は向かっています。本が作品なら、トロッタなどの舞台も作品です。本を書くのと同じ労力を払っています。
主に、仕事に明け暮れた一日でした。その中で、トロッタの合わせの連絡を取っていました。
高田馬場のBen's Cafeに、トロッタのチラシを置かせていただきました。

2009年11月18日水曜日

「トロッタ通信 10-10」

「詩唱ということ」


■ 詩唱と朗読


毎月第三水曜日、西荻窪にありますライヴハウス、奇聞屋で朗読をしています。誰もが参加していい舞台です。この形式をオープンマイクといいますが、都内のあちこちに、またいろいろな機会に、オープンマイクの朗読会があります。私にとって、奇聞屋は大切な場所です。大袈裟にいえば、舞台でどう振る舞うかを、奇聞屋で確認しています。上手な朗読を聴かせようとはまったく思っていません。もとより上手ではないのです。そこで生きようと思っています。初めは客席にいて、舞台に出て、朗読をして、また客席に帰る。人生の中の、この短い時間を、やはり人生として、生きられればいいと思っています。生きて帰って来られればいいと思います。トロッタも同じです。


ばかばかしい話です。写真うつりが悪いと嘆きはしますが、その悪い顔と姿を、他人は皆さん、見ているわけです。今更嘆くことはないと思います。もちろん、どう見られるかを意識するのは大切な話です。美しい振る舞いは心がけなければいけないでしょうが、それよりも、舞台でも日常でも、正直に生きることの方が、私には大事です。上手にできなければできないでいいと思っています。


ところで、私は自分の表現を詩唱といっています。一般には朗読といいますし、トロッタなどでも初めは朗読といっていましたが、ある時、音楽評論の西耕一さんが詩唱という表現をされたので、それを使わせていただいています。

私は、朗読ではなく、歌いたいと思っています。「うたう」という言葉には、歌う、唄う、詠う、謳う、謡うという具合に、いろいろな表記があります。どれも「うたう」で、そうである以上、根本の意味は同じだと思います。基本は、節をつけて発声することでしょう。朗読だと節はいりません。通常、これから詩を読みます、という場合は朗読でしょう。詩唱の場合は、私は基本的に、楽器と一緒に行うことを意識し、全体として音楽だと受け止めていただきたい。私を一人だけ取り出せば、朗読と変わらないかもしれませんが、どんな交響曲でもヴァイオリンだけ取り出しては考えないので、詩唱の舞台でも、総合的な表現として受け取っていただければと思います。また私も、そのように心がけています。


朗読に節はいらないと書きましたが、その人だけの節はあります。もしかすると、節が目立たないように教える朗読の先生がいるかもしれませんが、私は節を意識しています。節を際立たせようというのではなく、それだと悪く目立ってしまいますから逆効果で、詩が生きる節を探っているということです。

また、リズムもあります。句読点をどこで打つかは、大きな問題です。小説を朗読する時も、印刷された句読点のとおりに読むことはありません。句読点は声に出さないのですから、好きなところで切って、止まって、いいわけです。といっていますが、作者の呼吸を無視したいわけではありません。作者に忠実でありたいと、私は常に思っています。


詩を意識して書き始めたころ、ラップ詩という言葉を使っていました。自分に言い聞かせるために使ったことで、今は、いいません。いわなくてもそうなのですから。ラップという、もともとの意味からは離れています。私は繰り返しを多用したり、韻を踏んだりしません。喋るように歌うという、その点を意識したのです。また、言葉と音楽の関係も考えていました。初めから歌として完成されていると、あとはもう歌うか聴くかしかありませんが、ラップには、完成されていない自由さと可能性を感じたのです。喋ることが音楽になる。新鮮でした。もちろん、ラップをしようとする彼らは、完成度を探っていると思います。その努力はたいへんなものだと思います。私は私の完成度、可能性を探りたいと思い、ラップという言葉は使わなくていいと思ったのです。


歌うな、語れという、小山内薫の言葉を覚えています。実は、その前後は知りません。リアリズムを追究した言葉だと受け取っていますが、違うでしょうか。朗読だと、歌うな、語れという言葉が当てはまりそうです。詩唱は歌えと、私は思っています。歌って、語れ、でしょうか。


「10へ」;20

朝9時からレッスンを二つ。ギターと歌です。今日は第三水曜日で、西荻窪の奇聞屋における、朗読の日です。週一回ある歌のレッスンと、月一回ある奇聞屋での朗読は、私にとって大切な時間です。真剣にさせていただいています。トロッタに直結しています。決まった時に決まったことを決まったとおりに行う。私にはこのような方法が大切であり、向いています。

「詩の通信IV」第8号を、三日遅れですが、発送しました。今夜の奇聞屋で「ゴキブリ」を詠みました。「詩の通信」の創刊号で発表した詩です。2005年11月11日号です。それが約4年がかりで、田中修一さんによる歌曲になります。その思いをこめて、朗読しました。

来年の、ある演奏会へのお誘いをいただきました。また、ある出られたらいいと、名乗り出たい演奏会がありました。トロッタで忙しいので、すぐには考えられませんが、少しずつ具体化させていきたいと思います。

ある本に、今日できなかったことを、明日、まとめて二日分としてすればいいという考えは間違いであると書かれていました。その通りです。肝に銘じます。

2009年11月17日火曜日

「10へ」;19

今日は、17時半から始まる、田中隆司さんの『捨てたうた』の練習に集中しました。
ブログの「トロッタ通信 10」で、ちょうど、『捨てたうた』について書いています。今日で3回分を書き、ひとまず終えますから、集まる人たちに配ろうと思ったのです。3回目を書きました。メモのようなものですが、ないよりはましという思いです。意思の疎通をはかりたい気持ちがあります。人によっては不要でもかまいません。私の作品ではなく、田中隆司さんの作品になっているのであり、あえて共同作品というにしても、白紙に印字された詩ではなく、五線紙上の詩なり音符が『捨てたうた』の出発点ですから。五線譜だけを解釈してくれてかまわないわけです。

支度をして、17時25分に荻窪駅改札へ。今井重幸先生に会い、昨日いただいた『時は静かに過ぎる』3曲目の訂正楽譜をいただきました。そして、新しい楽譜も。いずれ演奏させていただきたいと思います。

17時半、荻窪駅北口の待ち合わせの場所に行きましたが、いささか狭いので移動。役者の黒田公祐さんが先に来ていました。近くのカフェにて、作曲の田中隆司さん、役者の松谷有梨さん、そして黒田さんを交えて打ち合わせです。いろいろと演出の工夫、衣装の工夫など、アイデアを出し合いました。松谷さんと黒田さんは18時15分に、ご自分達の稽古場へ。田中さんと話し合いをするうち、18時30分にピアノの徳田絵里子さんが来ました。奏法の打ち合わせした後、今度は南口に回り、ヤマハの教室を借りて、三人で合わせです。1時間、みっちりと練習しました。三人の間では、かなり意思疎通がはかれたと思います。

帰宅後、田中隆司さんから電話がありました。今日の合わせでかなり進行できたそうです。もちろん、人は揃っておらず、私の詩唱もまだまだですが、ピアノをまじえて練習できたことはよかったと思います。また、私の原稿も、用意していって、よかったようです。

これから、遅れています、「詩の通信IV」第8号の作成にかかります。

「トロッタ通信 10-9」

(黒衣の女)

約束!

約束!

約束!


一九九七年 ために


  *


黒衣の女が繰り返して叫ぶ「約束」とは、何でしょうか?

これは原詩にありません。田中さんの「約束」です。

しかし、詩の題を『約束』としたのは私です。その限りにおいて、言葉の意味を考えることはできます。すでに引用した箇所があります。

「あなたが流した/血と涙を/私はきっと忘れない」

これが約束です。

ただ、『時速0km下の世界』と『万華鏡』をも、田中さんは解体して再構成している以上、田中さんが解釈する「約束」があるはずです。

それは、原詩ではなく、再構成された詩と音楽からしか、判断できません。

詩は、言葉のみで解釈できますが、音楽は、音もまた解釈の材料にしなければいけないのです。フルートと、オーボエと、ヴァイオリンと、ピアノによって演奏される、音楽があります。


  *


(きみ 娘)

ああ


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(きみ 娘)

ああ


(男)

あれは


(きみ 娘)

ああ


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(男)

あれは


(きみ 娘)

ああ


(駅員)

ホームの端を歩かないで下さい


(黒衣の女)

歌ってあげましょう

あなたのために

もう一度

もう一度 もう一度


(男)

あれは捨てたうただ

捨てた時間

捨てた記憶


  *


題名の『捨てたうた』という言葉が、私ではなく、田中さんのものであるという事実。

後半になって、男は「捨てたうた」と口ばしります。「捨てた時間」「捨てた記憶」という言葉とともに。

そんな男を、必死に止める、現実を生きている人間、駅員。


  *


(黒衣の女)

歌ってあげましょう

あなたのために

もう一度


(きみ 娘)

ああ


ああ

稲妻が

あ あー

終わってしまう

わたしたちの世界が


(黒衣の女)

ウウ ウウ

ふう

ふー うー


(男)

ああ

黒い影が

宙に舞った

黄色い線を超えた時

小さな風が起きたという

止まった時間と

消えてしまった速さ

車輪とレールの間に

世界が


(駅員)

黄色い線の内側まで

下がって


(きみ)

裸の背中に流れる

わたしの髪が好きだって

わたしの髪

長い髪


(黒衣の女)

作ってあげる

あなたに似せた

やせっぽちの

人形 人形


(男)

松の葉さえ

金色に光っている

楓は黄色く紅く

何もかもくっきりと

ああ

捨てた記憶

捨てた時間

捨てたうた!


ああ


(駅員)

ホームとレールの間が

広く開いて


下がって下さい


下がって下さい

下がって!


(駅員)

発車進行


(男)

時を

時の記憶を


今夜も

魚は泳いでいた

月を見た

満開の花を見ていた


  *


男は、死んだのでしょうか。黄色い線を飛び越えて、時速0km下の世界に行ったのでしょうか。わからないままです。駅員が何事もなく「発車進行」といっているのです。駅員は、彼岸に行きたい者を阻止する役目を果たしたと見ることができ、男はやはり、生と死の境をさまよい続けているとするのがよいと、私は思います。行ってしまったら、このような物語は成立しませんから。

しかし、それは私の解釈であり、田中さんは、死者に、詩にある彼岸の光景を語らせているのかもしれません。例えば、このような。

「松の葉さえ/金色に光っている/楓は黄色く紅く/何もかもくっきりと」

「今夜も/魚は泳いでいた/月を見た/満開の花を見ていた」


ご批判のメールにありました。お客様に先入観を与えてはいけない。詩と音楽の融合を、その場で楽しめるようにした方がいいのでは。

ただ、私がここまで書いたことは、誰でも考えられることだと思います。開演前、すでに詩を配っているのですから、時間さえあれば、不可能ではありません。原詩と、構成後の詩を比較することも容易です。

詩を離れ、音楽として演奏するのですから、先入観の持ち様はないのではないか。劇作家で演出家、響リュウジとして活躍する田中隆司さんの演劇性についても触れようと思いながら、それはしませんでした。原稿を書いていて、そこに行く余裕はなく、音楽性をこそ考えなければならないことに行き着いたからです。


2009年11月16日月曜日

「トロッタ通信 10-8」

 このブログを読んでいただいている、ある方から、お便りをいただきました。厳しい御意見であり、すべては紹介できませんが、頭に置きながら書いていきます。私自身にも思い当たることはあるからです。どんな意見でも、それを受けて原稿の内容が深まり、広がりますから、ありがたいと思います。私の姿勢は、基本的に、どのようなものでも受け入れることにあります。作曲家の方の詩の改変も、私は受け入れます。受け入れるという姿勢から、トロッタは始まっています。


 お便りの内容です。

 詩人と作曲家の共同作業について。作曲家はまず、詩を誤読しないことが大切です。誤読しない範囲でなら、詩を改変してもいいのではないでしょか。しかし、過去のトロッタで演奏した曲には、明らかに誤読、あるいは詩の主題を変えてしまったものが見受けられました。詩人と作曲家が、よく話し合う必要があるのではありませんか。話し合いもせず、できた曲について、あれこれと書いている「トロッタ通信」には、いささか疑問を感じます。

 このような主旨でした。

 

 作曲家は、誤読してもいいのではないか、という気持ちがあります。誤読して完成度が高ければ、あるいは他人が真似できないほど実験精神に富んでいれば、詩を超えておもしろくなったのだから、誤読してもいい。他人に対してはそう思いますが、仮に私が作曲家なら、誤読はしないよう努めます。

 作曲家は、詩人の作品を、ただの材料にしていいわけがありません。詩を好き勝手に扱って、したいことをすればいいという態度は、詩人への裏切りだと思います。トロッタの作曲家に、そんな人は一人もいません。反対に考えて、作曲家の譜面を、演奏者が勝手に解釈し、勝手に演奏すれば、やはり作曲家は怒るでしょう。それと同じことが、詩に対してもいえるはずです。私は、詩唱者として、譜面に忠実でありたいと思います。作曲家の意図どおり、できるできないはともかく、最大限の努力を払いたいと思っています。

 さて、田中隆司さんの『捨てたうた』の続きを、見て行きましょう。登場人物の言葉が交錯していきます。声部が重なっていきますから、正確に記すことは難しいのですが、雰囲気をつかんでいただければと思います。


  *


(男)

三十年が経つ

初めて出会った

あの瞬間

二十歳のあなたは

まぶしかった


  *


『約束 1977年のために』から取られています。

ただ、原詩では、これは女の台詞です。田中さんは、女から男へ、語り手を変えました。

原詩に、こんな箇所があります。詩の締めくくりです。


  *


あなたが流した

血と涙を

私はきっと忘れない

子どもがね

死んでしまったあなたと

もう同じ年なのよ


早過ぎる落ち葉に

私の心は

釘づけられて

ふたりで暮らした

あの町を

訪うこともなく

私はあなたを

想っている


  *


『約束 1977年のために』は、死んでしまった男を想う、女の詩です。


  *


(駅員)

三鷹行電車が参ります

危ないですから下がって下さい


(きみ 娘)

この部屋で

何もかも忘れて

一日中

愛しあっていたい


ルラルラ ルラルラ

ルラルラ ルラルラ


鳥を見たわ


(黒衣の女)

ククク


(男)

ルラルラ ルラルラ

ルラルラ ルラルラ


  *


きみ(娘)が歌い出します。黒衣の女が歌い出します。男が歌い出します。

「ルラルラ」という歌の言葉を、私は、田中さんの歌で初めて聴きました。どこかにあるのかもしれませんが、田中さんの心、身体から発せられた歌声だと思います。

それだけに、これは詩唱者が、自分の歌にしなければなりません。私には違和感があります。もとより、私の詩にはない言葉です。作曲者の意図に忠実に、というのはそういうことでしょう。自分の声で歌いながら、自分の歌にしてしまってはいけないと思います。さらにいうなら、この男に限っていえば、私が作り出したキャラクターであり、私自身といってもいいのですが、私そのままを演じることは、それ自体が矛盾した言い方ですから、私は他人として、この男になろうと思っています。


  *


(きみ 娘)

緑色した

尾羽の長い鳥が何羽も

群を作って飛んでいった

聴いたことのない声で鳴きながら

鉄道ビルの方へ


(黒衣の女)

フウ


フウ フウ

フウ フウ

フウ フウ


(男)

ルラルラ

ルラルラ ルラルラ ルラルラ

ルラルラ ルラルラ


(駅員)

ホームの端を歩かないで下さい


(きみ 娘)

裸のまま

遠い部屋で愛しあっているわたしたち


ルラルラ

ルラルラ


ルラルラ

ルラルラ


(男)

ルラルラ

チチ

ルラルラ

チチ


ルラルラ ルラルラ


「10へ」;18

朝、長崎の酒井健吉さんから、楽譜とCDなどが届きました。楽譜は、私の詩『古代の命』を作曲していただいた、その一部です。五連の詩で、第一連だけが曲になっていました。ありがたいことです。

同時に、古書店に注文した「現代詩手帖」の一冊、「サンフラシスコ・ルネッサンス〈ビート〉誕生」特集号が届きました。この号も、買ったり売ったりして、4回目くらいになるでしょうか。

酒井さんから楽譜が来て、こうしたことは作曲家との共同作業だと思い、「現代詩手帖」を読んで、誰と話すわけでもなくビート詩人たちに共感する、これはまったくひとりの作業。このふたつの間で、私の精神は往来します。

15時30分、阿佐ヶ谷にて今井重幸先生と会い、トロッタ10のために編曲してくださっている『時は静かに過ぎる』の一曲をいただきました。これは将来のこととして、ギター曲の譜面を、後日いただくことにしました。私の出番もありました。先生にお預けしたチラシがなくなったとのことで、30枚、追加でお渡ししました。

夕方になって、チラシ配りに出かけました。渋谷のフライング・ブックス、千駄木の古書ほうろう、そして谷中ボッサです。

今日は「詩の通信IV」第8号の発行日でしたが、発送できませんでした。詩はできています。しかし、仕事などが立て込んでいます。時間さえあればと思います。深夜は原稿書きです。

2009年11月15日日曜日

「トロッタ通信 10-7」

第10回目でトロッタに初参加されます田中隆司さんは、「響リュウ」のお名前で、演劇畑でもご活躍です。清道洋一さんと同じく、グループ「蒼」の同人です。田中隆司さんの曲を初めて聴きましたのは、旧東京音楽学校奏楽堂で行われました、昨年のグループ「蒼」演奏会でした。私も出演させていただきました。それ以前に、田中さんが響リュウとして書きました、萬國四季教會の舞台を拝見しました。「ボッサ 声と音の会vol.4」にも足を運んでいただきました。その上で、トロッタの会でご一緒できればと、お誘いしたわけです。


トロッタ10で演奏される田中さんの曲は、『捨てたうた』です。『時速0km下の世界』『約束 1977年のために』『万華鏡』という私の詩、三篇を自在に用いて、新たな一篇にされました。ちらしにありますご本人の表現では、「解体再構成」ということになります。もとの詩は長いので、ここに全文は掲げられません。トロッタのサイトには掲載しています。

「解体再構成」された音楽のための詩も、楽譜上にあるので、書くのが難しいようですが、試みてみましょう。二つか三つに分けて、話を進めます。

もとの詩の表記と、譜面上の詩の表記が、ところどころ異なりますが、そのまま記しました。それが田中さんのリズムであり、メロディだと信じるからです。同様に、これは私の詩というより、田中さんの詩になっています。詩から音楽へ、完全に変化しています。


  *


捨てたうた

(詩・木部与巴仁「時速0km下の世界」「約束1977年のために」「万華鏡」より)


田中隆司・構成


(男)

満月だった

水の中の魚(うお)として

空を見上げた

花が咲いて

世の果ての山に似る

満月の有り様(ありよう)


(駅員)

間もなく二番線に

普通電車が参ります


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(男)

海の満ち干

逆巻く潮(うしお)が

渦になって流れている


(きみ 娘)

この窓から見える風景が

わたしは好きよ

鉄道ビルとゆうのね

町の風景が途切れるあたりに

柱のように建っている


  *


ここまでで、すべての詩唱者が現れました。男、駅員、黒衣の女、きみ(娘)です。トロッタ10では順に、私、黒田公祐さん、笠原千恵美さん、松谷有梨さんが詠います。

また、用いられた三篇も、すべてその要素を現わしました。男と駅員の言葉は『時速0km下の世界』、黒衣の女の言葉は『約束 1977年のために』、きみ(娘)の言葉は『万華鏡』から採られています。


『時速0km下の世界』は、もともと小説でした。総武線飯田橋駅のホームは、急速にカーブしています。駅に入ると、長い車輛の列がホームに沿って折れ曲がります。車輛とホームの間が、大きく開きます。私が通った大学は、飯田橋駅に近い法政でした。電車に乗り降りするたび、足下にぽっかり空いた暗がりを見てきました。電車はすでに止まり、そこは時速のない世界です。人の来訪を誘っているように思いました。線路が直線ですと、電車はいきなり入線する印象ですが、飯田橋駅のように、カーブの中心にあると、遠くから電車が近づいてくるのが見えます。近づくにつれ、あの電車の前に、下に、身を投げたいという欲求が頭をもたげてきます。日々の生活に疲れた人にとっては、危ない場所です。そんな駅を舞台にして書いたのが、『時速0km下の世界』でした。


『約束 1977年のために』は、やはり私の大学時代を背景にしています。飯田橋駅の近くに、人形の家という名の喫茶店がありました。サークルの仲間と、そこに集い、何時間も語り続けたことを思い出します。『捨てたうた』には採られませんでしたが、原詩には「覚えているでしょう/川べりの喫茶店/議論に疲れて/水だけを飲んでいた」という言葉があります。これは、私にとっては重要な場面ですが、田中さんはカットされました。先の『雨の午後』同様、物語性は歌に不要と判断されたのでしょうか。とても興味深い点です。ただ、私にとって、そのような、喫茶店で友人と過ごす時期は、長く続きませんでした。大学の中で活動するという行き方が、私に向いていなかったからです。

詩は、学生時代から数十年が経った、2009年の現在が対比されます。「作ってあげましょう/あなたのために/人形を」という女の言葉は、私の詩ですが、田中隆司さんは、自分のものにされました。田中さんのためにある言葉のようです。


『万華鏡』は、「鉄道ビル」が見える、ある一室を舞台にしています。私は、密室にひかれます。それは、男と女がいる密室です。密室ですが、外界と結びついています。私は決して、外界を遮断しません。その象徴が、「鉄道ビル」です。「鉄道ビル」を、私は夢に見ました。そこは、東京のような大都会を走る鉄道網がすべて交差する、ある一点です。私は学生時代、劇画家の石井隆氏の作品にひかれました。今また、ひかれています。彼の作品は、エロ劇画などと呼ばれることが多いのですが、決して、そんな手あかまみれの一言では片付けられません。また暴力的でもありますが、その背後には、あまりにも大きすぎる哀しみがあります。『万華鏡』は、もしかすると、石井隆氏の作品から受けた影響が、詩の形になって現われたものかもしれないと思います。となると、『時速0kmの世界』『約束 1977年のために』『万華鏡』は、すべて、私の学生時代によりどころを持った作品ということができます。


  *


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(男)

最後の一歩が踏み出せなかった

あの日々

ホームの端で

純色(にびいろ)のレールを見つめていた

光る

虚空の月


急ぎ足で去ってゆく

女たち 男たち


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を

作ってあげる

あなたに似せた

やせっぽちの

人形


(男)

誰でもいい

背中を押してほしかった

カーブを描いたホーム

その真下に

速度のない世界を


振り返えると

きみはぼくを見ていた


(きみ 娘)

雪が降っているよ

窓の向こうに

一面の粉雪

窓を開けてみて

部屋が雪いっぱいになっていく

音が消えるのよ

雪の日には