2009年11月19日木曜日

「10へ」;21

必要がありまして、『伊福部昭 音楽家の誕生』を、読み返していました。忘れていることがいくつかありました。そして、大切なことが、いくつかありました。

取材中、そして執筆中、伊福部氏のお兄様の勳さんに、心を引かれていました。勳さんは、戦前、札幌におけるギターの先駆者として活躍されました。しかし、仕事上の無理がたたって、戦中に亡くなられました。
『音楽家の誕生』は、今なら、もっと違う書き方をしただろうと思います。これしかないという書き方ではありません。ただ、正直に書いたことは間違いありません。その正直さは、例えば勳さんについて書いた箇所などに現われています。共感しているのです。芝居なら、勳さんになりきって演じました。その意味では、書いた当時は、これしかない書き方をしました。今なら違うかもしれないというのは、私が生きたからです。生きれば、人の考え方や、もののとらえ方は変わります。

そして、更科源蔵さんの存在にも、心を動かされました。昨夜の奇聞屋で、更科さんの詩を詠んでもいいだろうと思い、詩集『凍原の歌』を持っていきましたが、時間がありませんでした。そして今日、更科さん最後の詩集『如月日記』を、札幌の古書店に注文しました。死の闘病中、日々の思いを詩として書き続けたものです。伊福部氏のことも出てきます。更科さんの詩『怒るオホーツク』を伊福部氏が合唱曲にした、『オホーツクの海』初演の日のことが詩になっています。その演奏は、私も聴きました。札幌にいた更科さんは、娘さんの電話で、演奏会のことを知ったのです。ひとつの音楽について、場所を異にする人が、いろいろなことを思います。縁を感じました。
更科さんについては、『音楽家の誕生』から『タプカーラの彼方へ』『時代を超えた音楽』と続くうち、少しずつ思いが深まっていきました。やはり、言葉を用いる人への共感が強くあったのです。

たった今、私は新しい本を出そうとは考えていません。例えば、トロッタのような会を開く、あるいは出演する、そのことに、私の心は向かっています。本が作品なら、トロッタなどの舞台も作品です。本を書くのと同じ労力を払っています。
主に、仕事に明け暮れた一日でした。その中で、トロッタの合わせの連絡を取っていました。
高田馬場のBen's Cafeに、トロッタのチラシを置かせていただきました。

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