2009年11月10日火曜日

「トロッタ通信 10-2」

古書店で、更科源蔵が著した文庫本『北海道の旅』を見つけました。現代教養文庫で初めて出た後、同じ文庫で改訂版が出され、後に新潮文庫にもなった、息の長い著作です。現代教養文庫の方が、写真は多く、文字も細かく収められていて、愛着が持てます。


私は、トロッタのような大きなことがあるたび、所蔵する本やCDなどを売り払ってしまうので、更科氏の著作も、かつてはたくさんありましたが、詩集『凍原の歌』しか、今は持っていません。『北海道の旅』はありません。今日も、買いませんでした。記憶だけで書きますが、伊福部昭氏が曲にした更科氏の詩のうち、少なくとも『摩周湖』と『オホーツクの海』が、『北海道の旅』には載っています。歌曲として、『摩周湖』は同じ題名ですが、『オホーツクの海』は、詩の題は『怒るオホーツク』でした。書き忘れましたが、先に紹介した歌曲『知床半島の漁夫の歌』も、詩は『昏(たそが)れるシレトコ』という題なのです。


私は、詩は詩人のものですが、歌になった場合は作曲者のものだと思っています。そして演奏された場合は、演奏者のものです。誰々の“もの”という考え方は、もしかすると、改める必要があるかもしれません。しかし、詩の題に並べて作者の名前を書き、楽譜にも曲名と並べて作曲者名を記す以上、それは誰々の“もの”だと、ありかを示していることにならないでしょうか。やかましくいえば、著作権ということになるでしょうが、責任と言い換えてもいいかもしれません。


歌曲『知床半島の漁夫の歌』は、題まで変えているのですから、伊福部昭氏の作品といえます。同様に、『捨てたうた』は、木部与巴仁の詩によりながらも田中隆司氏の作品であり、『雨の午後』は田中修一氏の作品です。私は突き放して考えています。更科源蔵氏が、どのような考えを持っていたかはわかりません。付け加えれば、私は作曲者に預けたのだから、好きにしてもらわないと、未練が残るとも思っているのです。


無事に終わったことと思いますが、本日十一月十日(火)、今井重幸氏の作曲により、笠原千恵美さんが歌った、ある曲が録音されたはずです。先日、その打ち合わせに、必要があって同席しました。詩が変更になったからと、今井氏が譜面を書き直して来られました。詩の一節を書き直すより、譜面を書き直す方がたいへんであり、時間がかかります。詩人は楽だからいいが、という考え方が成り立つでしょう。それは私もわかります。


飛行機に乗っている時、紙ナプキンに3分間で書きつけた詩に曲をつけたら、大ヒットした。そんな話を聞いたことがあります。しかし、楽譜は3分では書けません。楽器が多くなればなるほど、時間がかかります。そのような作曲者の大変さを間近にして、詩人は……と、私がそうであるのに思ってしまいます。100メートル競走のランナーは10秒以内で終わるが、マラソンランナーは2時間以上も走らなければならないから大変……。そんな比較は、しても仕方がないと、私は自分に言い聞かせます。


話がそれました。

トロッタを始める時、詩が音楽になる瞬間を見たい、そのようなことを考えていました。更科源蔵氏の詩が、伊福部昭氏の手で歌になる。そこにどのような動きが起こったのか。それを体験したくて、トロッタを始めたのかもしれません。作曲家や演奏家、他の方々の思いは、それぞれにあるでしょう。少なくとも私は、その動きに立ち会いたかったのです。それがもう、10回目を迎えようとしています。何が、わかったのでしょうか?


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