2009年5月15日金曜日

故 長尾一雄氏のこと

久しぶりで、故 長尾一雄氏の評論集『能の時間』(河出書房新社・95)を手にとりました。掉尾に、「客観を超えて−観世寿夫論」があります。この原稿は、「みすず」第391号に載ったのですが、『能の時間』を刊行するために書いていただいたものです。『能の時間』刊行は、大きなことをいうつもりはありませんが、私と長尾氏の、共同作業でした。その観世寿夫論の冒頭に、「劇詩を朗読する人」という小見出しがついています。

「観世寿夫という名前を思う時、私の心にまっさきに湧いて来るのは反戦であり、能『朝長』の名であった」

書き出しです。「反戦」と書くところに、現代人、長尾氏を見ます。
源義朝の子、朝長は、平家との戦に敗れ、父と共に都を落ちます。傷が悪化して歩けなくなり、父の足手まといになることを怖れ、朝長は自殺します。その一部始終を、青墓の長(あおはかのちょう)という遊女が語って聞かせます。

「ここに第三者による戦争体験とその悲惨との描写ということを青墓の長の語りは果している。いや、長は別に、こぶしを揚げて反戦を叫ぶのではなく、目の前に起こった事実を語っただけなのだが、そうした別に戦争反対の目的を持たぬ発言が大きな説得力を持つというのも反戦メッセージの常道である。大分事情が違うがかの『リリー・マルレーヌ』のように」

長尾氏とは、何度も語り合う機会を得ました。能を語りながら、私たちと同時代の表現に言及し、閉じた世界の話題に終始しません。ビートたけしという芸人がおもしろい。そのようなことを初めて聞いたのも、長尾氏の口からでした。私よりも、評判になり始めたばかりのもの、評価の定まらない何かに、通じていました。
そして氏は、寿夫による、朝長本人の述懐について論じます。

「語り手(作者/註・『朝長』の作者)はすでに、青墓の長を離れて歴史のなかに踏み込んで居り、そうした社会全体を見る目を持っている口のために、朝長の個人的感覚は如実に描写され、名ある武士としてのプライドすら、歴史という大きな展望の中で生きるのである」

私が常に持っていたいと思うのも、社会全体を見る目です。歴史の中に登場人物を生かす、作者としての歴史観です。『オリーブが実を結ぶころ』という女性を描いた一篇にも、私は歴史性を託したいと思ってきました。「オリーブ」という既成の言葉ひとつを用い、語り、歌うにも、歴史観があるとないとではまるで違うと、思っています。同じ譜面で演奏しているのに、人によって違う音楽になるのも同様です。
長尾氏はいいます。

「寿夫が座頭に座ると、平凡な曲でも面目を一新して劇詩になる。謡曲には詩的韻文も詩的散文も随所にあるから、これに寿夫は生命を与えた。(中略)寿夫の手にかかると、こうして能は変った。『朝長』は反戦劇になり、能の詞章は詩になった。その詩は朗読を待たれていた」

観世寿夫という能役者は、長尾氏にとって、「詩を朗読する人として位置づけられた」のだそうです。これは、私にって大きな、大切な視点です。“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタの人間として。
長尾一雄は、私の誕生日である4月27日に、亡くなられました。偶然であり、必然でもあります。長尾氏が、青年時代から書き続けたメモが、私の手元に段ボール一箱分、あります。長尾氏その人が、私の部屋で、生き続けているようです。

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