2009年6月5日金曜日

指揮台から見た「異人の花」

TOROTTA8で初演されました『異人の花』を、作曲者の橘川琢さんが報告します。
もともとは、上野雄次さんの花生けを、同じ舞台で演奏していたため、見ることのできなかった共演者への報告として、6月2日(火)に送られてきたメールでした。しかし、『異人の花』の記録としておもしろく、初演に接することのできなかった方々への報告にもなると思い、橘川さんの了解を得て、部分をここに掲載いたします。「私」は橘川琢さんです。

(前略)
舞台の上で演奏されていた皆様にはピアノの前で上野さんがどのように活けていらっしゃったか見られなかったかと思いますので、指揮台の上からの視点を僭越ですが少しだけお伝えいたします。

曲がはじまりしばらくして、上野さんはピアノの上にある黒い朽木とピアノの足、これを無数の赤い糸で結びはじめました。その所作は曲の大半、黙々と続きました。私の主観ですが、運命の糸が、もしくは風習や罪の意識や世間の目といったものの象徴のような糸が、女性を縛ってゆく姿に見えました。それが黒く巨大なピアノの上でがんじがらめになっていました。音楽に縛されるようでもありました。

それが嵐が去り心の平安と静謐が得られたとき、上野さんは縛り付けていた赤い糸を丁寧に切りはじめました。糸は全て切られ、集め、一片も残さずなくなりました。

そしてテーマ曲「わかれうた」が笠原さんと、モデルとなった祖母を亡くされた木部さんによって歌われるなか、赤黒い大きなダリアが二輪、黒い朽ち木に活けられました。物語中の、紅く濡れて咲く祖母の花、そしてピアノの黒を混ぜたような色でした。朽木から咲いた、想い出の形のようで、また、生を終えた人の美しい結晶のようでもありました。さらにその花に、小さな花が活けられ、ここで音楽と花活けの所作は終わり、上野さんはピアノの隅にしゃがみ、また静かに控えていらっしゃいました。

残響が消えて、ピアノの祭壇の上にある花。すべてが終わった静寂の中、お客様の気配からも、花に強い視線を注いでいるのが感じられました。後に必要なのは、手向けられた花、登場された女性への黙祷でした。下手な指揮でしたが、文字通り最期くらいは、なんとか静寂と黙祷の時間を作りました。

上記は、あくまでも私の主観です。あの場で初めて同時間に体験したきりです。事前に作曲者の作曲時の気持ちを全てお伝えした以外は、何のプランも話し合っても、お聞きしてもいません。もしかしたら私が勝手に色々深読みしているかもしれません。映像があがりましたら、ほんとうにこうであったか、上野さんに直接さらにお聞きしてみたいと思います。(ただ少しお聞きした限りでは、再演がある場合はまた違う表現を試みたいと、おっしゃっていました。)

音楽家は楽譜から物語の情報を得て読み解きます。しかし普段は楽譜とご縁のほとんど無い上野さんは、勿論詩からもそうですが、リハーサルの録音を本番寸前まで数十回聴きなおし、最後は特定パートを歌えるまでに覚え、音楽と物語に心を近づけて下さっていたそうです。

スコアの花道パート、みなさまご存知のように指示も音符も書き込んでありません。今回は完全に上野さんの意志と表現に委ねました。そして空白であった五線は、当日このようにして埋められ、残響後の黙祷をもって曲は完成しました。
上記を皆様にご報告いたしますことで、初演版楽譜の本当の完成とさせてください。

そして……木部さまのお祖母様のご冥福を慎んでお祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿