2010年1月21日木曜日

「トロッタ通信 11-11」

*以下の文章は、1月25日にアップしました。


中川博正さんと、何をするかは決まっていません。曲がないのです。正式のプログラムではなく、試演という名目で、短い詩を、一緒に詠もうとしています。打楽器の内藤修央さんにもご協力いただくことになっています。内藤さんには、即興の演奏をお願いしています。内藤さんは、前回のトロッタ10で、今井重幸先生の曲にお出になりました。私とは、谷中ボッサで三度、ご一緒させていただきました。内藤さんと即興でつとめる舞台の緊張感は、他で得られないものです。

しかし、詩は即興というわけにいかないので、本番までに決めます。つまり、私は中川さんと、詩唱のデュオで出演するつもりです。詩唱という表現を、追求したいのです。

こんな批判が、成り立つと思います。

詩の“朗読”を、音楽に助けてもらっている。

事実、そのとおりです。詩唱といいません、“朗読”を、声だけでもたせるのは、至難のわざです。ただ詠むだけなら誰でもできますが、それを表現にすることの難しさ。だからこそ、音楽があれば助かる。それではいけないという気持ちと、それでいいのだという、両方の気持ちがあります。後者は、初めから一体となった表現だから、切り離せず、どちらにとってもどちらも必要。別に助け合っているのではないということ。前者は、音楽がなくても、声だけで聴く者を飽きさせない技術が必要だという思います。どちらの考えにも正当性はあると思います。その、どちらの正当性も、私は追求していきたいのです。中川さんとともに。

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