2012年2月11日土曜日

トロッタ日記120210

清道洋一、橘川琢の両氏から、3月12日(月)に行われる日本音楽舞踊会議・演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」練習時期の打診がある。およそ1月前となり、曲を具体化させなければいけない。練習はいつでもいい。他の方々に合わせよう。橘川氏からプロフィールの提出依頼があったので書き下ろした。

「木部与巴仁 KIBE Yohani/詩唱者。詩と音楽を歌い、奏でる『トロッタの会』などを通じ、作曲家、演奏家と共同作業を行う。詩唱とは、朗読と歌を合わせた音楽としての発声。それは音楽作品として作曲される。「トロッタの会」は、橘川琢、清道洋一、酒井健吉、田中修一、堀井友徳、……

松木敏晃、宮﨑文香、山本和智、今井重幸、大谷歩、田中隆司、成澤真由美、長谷部二郎、Fabrizio FESTAらによって、詩唱を含む曲を発表してきた。第15回『トロッタの会』は5月13日(月)、早稲田奉仕園スコットホールで開催予定』(その後、不備に気づく。これは改訂途中の原稿)

前橋文学館の学芸員の方からメールをいただく。萩原朔太郎をテーマに、田中修一氏の歌曲を中心にする演奏会について、検討していただければということ。もちろん、いつ、どういう形で実現するかどうか未定だが、前向きに考えていきたい。朔太郎という一点を追究することで普遍のテーマにつなげられる。

伊福部昭先生と更科源蔵氏についても、同様の演奏会が開けよう。更科氏の詩による伊福部先生の歌曲を中心に、一夜の演奏会が企画できる。それは前から思っていることだが(トロッタでは『知床半島の漁夫の歌』など、4曲中3曲まで演奏している)、自分たちで創るものとして朔太郎作品を取り上げたい。

いや、自分たちのものというなら、偉そうにいうのではなく、私の詩で、作曲の皆さんが曲を書いてくださっているという、ありがたい状況がある。私はそれに応える。そこに、朔太郎の詩や更科氏の詩を加え、もちろんロルカも加えて、確かな方向にしつつあると思う。自分の詩だと夢中になってしまうが……

朔太郎という先人の詩を扱う場合、客観性が生まれる。自分は自分で研究できないが、朔太郎ならできる。詩と音楽の関係を客観的に見られる(想像だが、橘川琢氏が自作『春告花』に私の詩を使わず、トロッタ15で詩そのものを用いないのも、客観化したい気持ちの表れか。彼が、というより私も含めて)。

今はまだ断片だが、トロッタについての原稿にも、朔太郎のこと、更科氏のことを書いていけばいいだろう(いうまでもなく、北原白秋と山田耕筰にも、詩と音楽の関係があり、さらに山田耕筰には石井漠と組んで舞踊との関係もあるのだが、とてもそこまで広げられない。研究になってしまう怖れがある。……

白秋、耕筰ではなく)朔太郎をまず取り上げる、私なりの強い理由。それはギター、マンドリンから始まっている。ギターとマンドリンを弾いた朔太郎への共感がある。音楽家になりたいと思い、詩と音楽をひとりの身体に持った(ひとりの身体から生もうとした)、朔太郎という個性を考えようとしている。

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