会場は代々木上原のMUSICASAでした。
昼間は初めて来ました。外光がさしこみます。変化があってよいと思いました。
撮影はしづらいだろうなと思いました。
そして、外の変化に気をとられることは確かです。それは、悪いことではないと思いますが、気になる人はいるでしょう。
2010年8月31日火曜日
WEB版 FIGAROの書評アップ
今回は、岸本佐知子翻訳の『変愛小説集II』と『変愛小説集』について書きました。
先週の金曜日に出すつもりだったのですが、遅れてしまいしました。
以下をクリックしてください。バックナンバーも読めます。
http://column.madamefigaro.jp/culture/issatsu/post-540a.html
先週の金曜日に出すつもりだったのですが、遅れてしまいしました。
以下をクリックしてください。バックナンバーも読めます。
http://column.madamefigaro.jp/culture/issatsu/post-540a.html
「シェヘラザード」の直し
甲田潤さんから、『シェヘラザード』の直しのリクエストが来ました。目下、それに対応できる時間が限られていますが、詩と音楽の実践ですから、おざざりにはできません。この曲の第一楽章は、そもそもメロディがなかなか変化してくれないので、詩を展開しづらいのです。作曲者のせいにはしません。そもそもリムスキー=コルサコフは、詩をつけるつもりで作曲したのではありませんから。
ヴァイオリン・ソロのメロディに、「ああ、果てしなく青い空の下で 夢を語り夢に遊んでいた あの若き日 遠い記憶 夢を追いし 夢を語り夢に遊び」と言葉をつけることができたのは、自己満足かもしれませんが、楽しいことでした。
少しずつ、直しています。
本日、トロッタ12の仮チラシを、八木ちはるさんらの演奏会で配ります。
ヴァイオリン・ソロのメロディに、「ああ、果てしなく青い空の下で 夢を語り夢に遊んでいた あの若き日 遠い記憶 夢を追いし 夢を語り夢に遊び」と言葉をつけることができたのは、自己満足かもしれませんが、楽しいことでした。
少しずつ、直しています。
本日、トロッタ12の仮チラシを、八木ちはるさんらの演奏会で配ります。
2010年8月30日月曜日
明日は八木ちはるさんたちの演奏会
フルートの八木ちはるさんたちが演奏会をします。
Luna Sole Concerto
明日8月31日(火)、代々木上原のMusicasaにて、13時半開演です。
入場無料。
高校の同級生達とのコンサートで、歌あり、ピアノあり。
八木さんは、プーランクのソナタを吹きます。
会場で、トロッタ12の仮チラシを配ります。
仮チラシ、3か月以上も活躍してくれましたが、明日が最後のおつとめになります。
100枚コピーしてきました。
間もなく、本チラシが届きます。
Luna Sole Concerto
明日8月31日(火)、代々木上原のMusicasaにて、13時半開演です。
入場無料。
高校の同級生達とのコンサートで、歌あり、ピアノあり。
八木さんは、プーランクのソナタを吹きます。
会場で、トロッタ12の仮チラシを配ります。
仮チラシ、3か月以上も活躍してくれましたが、明日が最後のおつとめになります。
100枚コピーしてきました。
間もなく、本チラシが届きます。
Macの調子が変です
こういう話題はtwitterの領分かもしれませんが。
三台使っているうちの、セカンドマシンとでもいうのでしょうか、メインではありませんが、それなりに使っているマックが、いきなり、起動しても何も映らなくなりました。しばらく間をおいて起動すると、つきました。しかし、いったん終了させて起動すると、またついてくれません。こういうのは困ります。
トロッタの資料などはすべて、外付けのハードディスクに入れてあります。気をつけないと。
三台使っているうちの、セカンドマシンとでもいうのでしょうか、メインではありませんが、それなりに使っているマックが、いきなり、起動しても何も映らなくなりました。しばらく間をおいて起動すると、つきました。しかし、いったん終了させて起動すると、またついてくれません。こういうのは困ります。
トロッタの資料などはすべて、外付けのハードディスクに入れてあります。気をつけないと。
2010年8月29日日曜日
twitter再開します
やはり、twitterはしなければならないようです。
放置していましたが、上野雄次さんとの「花魂 HANADAMA」を機会にtwitterを始めまして、トロッタのtwitterも再開しなければと思いました。携帯からは、私はできないのですが、マックを最近は持ち歩いているので、そちらからしようと思います。
「花魂 HANADAMA」では、花に関する詩でも散文でも何でもいいのですが、文章を募集中です。
木部宛てにお送りください。オリジナルはきちんと詠みますが、少しずつ、その文の形を変えていく予定ですので、そのような扱いでもよければ、ということでお願いします。
放置していましたが、上野雄次さんとの「花魂 HANADAMA」を機会にtwitterを始めまして、トロッタのtwitterも再開しなければと思いました。携帯からは、私はできないのですが、マックを最近は持ち歩いているので、そちらからしようと思います。
「花魂 HANADAMA」では、花に関する詩でも散文でも何でもいいのですが、文章を募集中です。
木部宛てにお送りください。オリジナルはきちんと詠みますが、少しずつ、その文の形を変えていく予定ですので、そのような扱いでもよければ、ということでお願いします。
清道洋一さん、宮﨑文香さんと打ち合わせます
今週、清道洋一さん、宮﨑文香さんと、打ち合わせをする運びとなりました。
8月31日(火)には、八木ちはるさんご出演の演奏会が、代々木上原のムジカーザで開かれます。トロッタ12のチラシを配りたいところですが、間に合いませんので、仮チラシで対応します。
8月31日(火)には、八木ちはるさんご出演の演奏会が、代々木上原のムジカーザで開かれます。トロッタ12のチラシを配りたいところですが、間に合いませんので、仮チラシで対応します。
2010年8月28日土曜日
2010年8月27日金曜日
2010年8月26日木曜日
チラシを入稿しました
小松史明さんのご尽力と、関係者の御協力により、トロッタ12のチラシを印刷所に入れました。今回は4000枚刷ります。
完成は約1週間後の予定です。
明日から、上野雄次さんの展覧会あが始まります、詳細は以下のとおりです。
その場に置かせていただけないかと、ボッサのチラシを作りました。まだ表面だけです。
上野雄次(花道家) 喜多村光史(陶芸家)
「皿と盤」
(コメント)喜多村光史は、上野雄次からの提案を受け、上野が「はな」を入れる皿と盤をつくることを試みます。
8月27日(金)〜29日(日)
13時より18時
会場 さる山
港区元麻布3-12-46 和光マンション101
03-3401-5935
http://guillemets.ndt/
大江戸線/南北線 麻布十番駅より徒歩5分
完成は約1週間後の予定です。
明日から、上野雄次さんの展覧会あが始まります、詳細は以下のとおりです。
その場に置かせていただけないかと、ボッサのチラシを作りました。まだ表面だけです。
上野雄次(花道家) 喜多村光史(陶芸家)
「皿と盤」
(コメント)喜多村光史は、上野雄次からの提案を受け、上野が「はな」を入れる皿と盤をつくることを試みます。
8月27日(金)〜29日(日)
13時より18時
会場 さる山
港区元麻布3-12-46 和光マンション101
03-3401-5935
http://guillemets.ndt/
大江戸線/南北線 麻布十番駅より徒歩5分
2010年8月25日水曜日
2010年8月24日火曜日
2010年8月23日月曜日
チラシ入稿直前
今夜中には、チラシを印刷所に入れたいと思います。ほぼ、完成に近づきました。
本日、早々とトロッタ12の予約が入りました。ありがたいことです。
トロッタとは関係ありませんが、脚本家、馬渕薫氏に関する原稿の、終章を書き上げました。この夏は、ほぼ毎日、朝6時起床、午前中は馬渕氏の原稿を書くという生活でした。松竹の大谷図書館や、京橋の国立フィルムセンターにも通いました。4月末から8月末まで、ほぼ4か月をかけました。ひと月、約100枚を書きました。この原稿が売れるかどうかわかりませんが、とにかく、書くことは書いたと思います。私の仕事の、新しい一歩になったと思います。
本日、早々とトロッタ12の予約が入りました。ありがたいことです。
トロッタとは関係ありませんが、脚本家、馬渕薫氏に関する原稿の、終章を書き上げました。この夏は、ほぼ毎日、朝6時起床、午前中は馬渕氏の原稿を書くという生活でした。松竹の大谷図書館や、京橋の国立フィルムセンターにも通いました。4月末から8月末まで、ほぼ4か月をかけました。ひと月、約100枚を書きました。この原稿が売れるかどうかわかりませんが、とにかく、書くことは書いたと思います。私の仕事の、新しい一歩になったと思います。
2010年8月21日土曜日
2010年8月20日金曜日
「詩の通信V」1号です
5年目となりました「詩の通信」、第5期第1号を、やっと今日、印刷できました。
今期から、手渡し100円、郵送120円の定価を設定しました。ご了解いただきたいと思います。
ぜひ、お申し込みください。
先日、奇聞屋でこれを詠みました際は、その場にいた方々の最寄り駅を聞き、詩文の駅名と置き換えていきました。
今後も、詠む機会がある場合、その方針で行きます。
トロッタのサイトですが、第1号のみ、掲載させてください。
夏の旅 木部与巴仁
眼を覚ますと新宿だった
開いた扉から乗りこんでくる
花火大会帰りのカップルが二組 三組 四組
眼を覚ますと大船だった
どこの駅でどう乗り換えたのか
眼を覚ますと高円寺だった
女の思い出
眼を覚ますと赤羽だった
消えかけている ビルの灯(あかり)
眼を覚ますと五反田だった
アスファルトの匂いのする駅
川べりをどこまでも歩いた
眼を覚ますと国分寺だった
瞼の耐えがたい重さ
眼を覚ますと田町だった
夏の蜥蜴(とかげ)は虹色に光り
乾いた地面を駆けてゆく
眼を覚ますと町田だった
眼を覚ますと水道橋だった
眼を覚ますと品川だった
携帯電話でメールを書き続ける 汗まみれの男
眼を覚ますと西船橋だった
顔を合わせた瞬間 視線を逸らせて動かない女は誰?
眼を覚ますと登戸だった
赤すぎる夕焼けが 窓の向こうを染めている
この夏が遠ざかれば遠ざかるほど
今は遥かな 来年の夏が近づくのだと思う
眼を覚ますと大久保だった
誰もが見知らぬ 行き場のない 予感のない旅人
行く人の無意識に潰された蟬の屍
眼を覚ますと横浜だった
空を仰いだままこときれた顔が私に似ている
死の瞬間 蟬が見たものは何?
眼を覚ますと大船だった
眼を覚ますと日暮里だった
古ぼけた木造アパートでいさかいをした 三十年前の冬
眼を覚ますと荻窪だった
眼を覚ますと千駄ヶ谷だった
眼を覚ますと巣鴨だった
もうずっと 私はこのままに違いない
眼を閉じたままの旅
午後一時の駅前は太陽に焼かれ
眼を閉じたままあてどなく
町は沈黙する 逃げたくても逃げられない
蛾が一匹 窓辺で音もなく
暴れている 夏の宵
眼を覚ますと川崎だった
今期から、手渡し100円、郵送120円の定価を設定しました。ご了解いただきたいと思います。
ぜひ、お申し込みください。
先日、奇聞屋でこれを詠みました際は、その場にいた方々の最寄り駅を聞き、詩文の駅名と置き換えていきました。
今後も、詠む機会がある場合、その方針で行きます。
トロッタのサイトですが、第1号のみ、掲載させてください。
夏の旅 木部与巴仁
眼を覚ますと新宿だった
開いた扉から乗りこんでくる
花火大会帰りのカップルが二組 三組 四組
眼を覚ますと大船だった
どこの駅でどう乗り換えたのか
眼を覚ますと高円寺だった
女の思い出
眼を覚ますと赤羽だった
消えかけている ビルの灯(あかり)
眼を覚ますと五反田だった
アスファルトの匂いのする駅
川べりをどこまでも歩いた
眼を覚ますと国分寺だった
瞼の耐えがたい重さ
眼を覚ますと田町だった
夏の蜥蜴(とかげ)は虹色に光り
乾いた地面を駆けてゆく
眼を覚ますと町田だった
眼を覚ますと水道橋だった
眼を覚ますと品川だった
携帯電話でメールを書き続ける 汗まみれの男
眼を覚ますと西船橋だった
顔を合わせた瞬間 視線を逸らせて動かない女は誰?
眼を覚ますと登戸だった
赤すぎる夕焼けが 窓の向こうを染めている
この夏が遠ざかれば遠ざかるほど
今は遥かな 来年の夏が近づくのだと思う
眼を覚ますと大久保だった
誰もが見知らぬ 行き場のない 予感のない旅人
行く人の無意識に潰された蟬の屍
眼を覚ますと横浜だった
空を仰いだままこときれた顔が私に似ている
死の瞬間 蟬が見たものは何?
眼を覚ますと大船だった
眼を覚ますと日暮里だった
古ぼけた木造アパートでいさかいをした 三十年前の冬
眼を覚ますと荻窪だった
眼を覚ますと千駄ヶ谷だった
眼を覚ますと巣鴨だった
もうずっと 私はこのままに違いない
眼を閉じたままの旅
午後一時の駅前は太陽に焼かれ
眼を閉じたままあてどなく
町は沈黙する 逃げたくても逃げられない
蛾が一匹 窓辺で音もなく
暴れている 夏の宵
眼を覚ますと川崎だった
2010年8月18日水曜日
奇聞屋で詩を詠みました
デザイナー小松史明さんが送ってくれた、作成中のチラシ画像をサイトにアップし、関係者に確認してもらっています。
いつも、まず思うことですが、このすばらしいチラシに負けない演奏会にしなくてはなりません。
「詩の通信V」の第1号に手間取っています。しかし、どうにか形にできました。明日には発送したいと思います。
毎月第3水曜日は、西荻窪のライブハウス、奇聞屋での朗読会です。
「詩の通信V」第1号に掲載する「夏の旅」を、個人的には発行記念として、詠みました。
そして、トロッタ12で演奏される曲のために書いた詩を2篇、取り上げました。
「ガラスの歌」と「めぐりあい」です。
「ガラスの歌」は、酒井健吉さんが作曲。簑和田慶子さんに詠んでいただきました。安定感のある朗読でした。
「めぐりあい」は、宮﨑文香さんが作曲。簑和田さんとふたりで詠みました。吉川正夫さんのピアノがみごとでした。
トロッタ12まで、奇聞屋の朗読会は、あと2回です。
いつも、まず思うことですが、このすばらしいチラシに負けない演奏会にしなくてはなりません。
「詩の通信V」の第1号に手間取っています。しかし、どうにか形にできました。明日には発送したいと思います。
毎月第3水曜日は、西荻窪のライブハウス、奇聞屋での朗読会です。
「詩の通信V」第1号に掲載する「夏の旅」を、個人的には発行記念として、詠みました。
そして、トロッタ12で演奏される曲のために書いた詩を2篇、取り上げました。
「ガラスの歌」と「めぐりあい」です。
「ガラスの歌」は、酒井健吉さんが作曲。簑和田慶子さんに詠んでいただきました。安定感のある朗読でした。
「めぐりあい」は、宮﨑文香さんが作曲。簑和田さんとふたりで詠みました。吉川正夫さんのピアノがみごとでした。
トロッタ12まで、奇聞屋の朗読会は、あと2回です。
2010年8月17日火曜日
2010年8月15日日曜日
早稲田奉仕園に行きました
ホールの外観写真を写真に撮るのが目的です。チラシに使うためですが、何と、折りあしく、外観の工事中でした。
11月ごろまでかかるというので、撮影はあきらめ、ありものを借りることにしました。トロッタ12は、特に会場に特徴があるので、それをチラシに生かそうと思います。
朝、今井重幸先生宅を訪れました。若干の打ち合わせです。
11月ごろまでかかるというので、撮影はあきらめ、ありものを借りることにしました。トロッタ12は、特に会場に特徴があるので、それをチラシに生かそうと思います。
朝、今井重幸先生宅を訪れました。若干の打ち合わせです。
2010年8月14日土曜日
2010年8月13日金曜日
長い原稿を書き終えました
4月末から書き進めていました、脚本家、馬渕薫氏についての原稿を、とりあえず書き終えました。400字詰め原稿用紙で、約350枚の分量になりました。
橘川琢さんの個展「夏の國」の一週間前から執筆を止めていましたが、本番終了から一日を置いて書き始め、今日、最終章を書き終えました。いいかどうか、わかりません。編集者が買ってくれないことには、意味がありません。馬渕氏について書きたかったことはもちろんですが、この原稿を本にして、私としては、生きる糧とし、トロッタなどを開けるようにしたいという思いがあります。
ですので、好きだから書いたという類のものではありません。他人に売り物として、評価してもらうことを求めます。生きるための原稿です。それは恥ずかしいことではありません。
この件については、いずれまた。
橘川琢さんの個展「夏の國」の一週間前から執筆を止めていましたが、本番終了から一日を置いて書き始め、今日、最終章を書き終えました。いいかどうか、わかりません。編集者が買ってくれないことには、意味がありません。馬渕氏について書きたかったことはもちろんですが、この原稿を本にして、私としては、生きる糧とし、トロッタなどを開けるようにしたいという思いがあります。
ですので、好きだから書いたという類のものではありません。他人に売り物として、評価してもらうことを求めます。生きるための原稿です。それは恥ずかしいことではありません。
この件については、いずれまた。
2010年8月2日月曜日
詩と音楽ということ
詩歌曲について、詩人が思うこと
作曲家に、言葉を尽くす必要はない。一曲を、存在させればよい。一曲、彼や彼女のてのひらに、音楽が生まれる。その音楽に出会う喜び。音楽は、作曲家自身である。作曲家の個展とは、そのようなものだろう。彼や彼女が生きた、あかし。生きている、あかし。
詩歌曲『夏の國』について、詩人として語ろう。“詩と音楽”の道を、ともに歩む者として−−つねづね疑問に思うが、道とはMICHI=未知である。道の涯(はて)は未知。関係あるのだろうか−−。
作品が生まれる過程はさまざまだ。『夏の國』は、まず題名があった。心に浮かんだ“夏の國”という言葉を、橘川琢に託すか、どうする? 数日、考えた。託せる詩を書けるかどうか、私の問題として、考えたのである。
詩『夏の國』が、優れたものとして完成しているかどうか、それは知らない。プログラムに載るから判断していただければよい。大切な作品は、優劣の判断からも自由であろう。“夏の國”という言葉に、私は詩を感じた。詩を書かなくても、“夏の國”という言葉自体が詩であると思った。実は、これは危うい。題名に中身が負けるかもしれない。題名に満足して、中身を作らないかもしれない。中身が先、題名が後、これが原則だろう。中身があれば、“無題”といっても許される場合がある。
“夏の國”という言葉で詩を書こうと思うが、託してよいか、どうか。
何を迷うと思いながら橘川琢に話すと、彼は応諾した。
橘川に託さないなら、つまり誰に託すとも考えないなら、詩は別の内容になったかもしれないが、橘川が曲を書くといった以上、“夏の國”は男と女の物語になる。川べりに成る黒い実の印象からできあがった詩、『冬の鳥』。歳月を経た男女の物語にしたのだが、これが同名の、橘川作品第41番になった。まだ書かずにいた『夏の国』は、『冬の鳥』に続く“四季物語”−−そのような呼び方は、まだ決定しない。私の中で形を取りつつある言葉−−の一篇になるだろうと思った。
ある国の、ある街に、消えた女。
私の中には、国の名も街の名もはっきりしているが、先入観を与えるかと思うので、それは書かない。少なくとも、熱い土地である。人が消えてしまうかもしれない、茫漠とした奥行きを持つ。大きな河が、ゆったりと流れている。上流から樹や草が、時には生きものを乗せて流れてくる。夜は深い。朝は明らかだ。昼下がりのカフェにいるあなたは、隣の席でコーヒーを飲む女性が、店を出て、これからどこへ行くか、わかるだろうか? 大通りから裏通りへ入り、また大通りへ出て、人ごみに消え、二度と戻って来ないとしても、大都会では不思議じゃない。どこから来て、どこへ行くのか。彼女にも、わからないかもしれない。
そして、“夏の國”に消える運命にある女は、かつて、東京の裏町にある、西陽が強く射すアパートにいた。場末といっていいが、そのような町に住む者も、いずことなく行方知れずになる場合がある。山道にも迷うだろうが、はっきりした道のある都会でも人は迷う。迷ったあげく−−、どうなる?
そんな世界を、橘川琢と共有できるのか。しかも詩歌曲として、音楽として。いや、橘川と私は、演奏家を含めて、共有してきた。
詩歌曲−−。詩と音楽によって生まれるもの。詩唱があり、歌があり、楽器演奏がある、音楽。
『時の岬・雨のぬくもり』(Op.16)に始まり、『うつろい』(Op.22)、『鼠戦記』(Op.26)、『花の記憶』(Op.28)、『異人の花』(Op.35)、『死の花』(Op.40)、『冬の鳥』(Op.41)が作られてきた。詩歌曲集『恋歌』(Op.25)、合唱詩歌曲『幻桜会・春を呼ぶ歌』(Op.34)もある。
歌がない、詩歌曲ではない形なら、『冷たいくちづけ』(Op.19)、『花骸』(Op.37)、詩曲『宇の言葉』(Op.39)なども。
橘川琢が創ろうとしてきた、詩と音楽の総体。
いつまで作るのだろう。しかし、ずっと作るのだろう。私が単に書くことのみ務めとする詩人なら、すること、できることは、もう終っている。時々、詩を書いて橘川に渡せばよい。機会を見つけて、彼は作曲してくれるだろう。しかし、例えば今回の個展で、私は『うつろい』を、歌う。詩を書いた者が、自分ではない者の手になる音楽として、自分の詩を歌う。初演以来、私が行ってきた詩唱は、中川博正に託した。初めての形である。−−私が私の詩を歌ったことは、何度かある。酒井健吉作曲『天の川』、清道洋一作曲『ナホトカ音楽院』、田中修一作曲『雨の午後/蜚(ごきぶり)』、そういえば橘川の『春を呼ぶ歌』。歌ったのは、詩の部分である。そして、どの機会も、自分の詩を歌っている気分ではなかった−−
詩を書いた者だからといって、思いどおりに詠めるものではない。思いどおりにできているのは−−できているとして−−、それは紙上の話。声に出した瞬間、詩は詩人の手を離れる(註*参照)。ましてや、橘川が作曲をし、『うつろい』ならヴァイオリンとピアノが入る。歌の音程は、橘川の感性によって一音一音、定められたもの。私の手から、よほど遠ざかっている。
はっきりいって、『うつろい』はもう、詩人のものではない。数えきれないほどの曲がり角を曲がっているうち、書く者として詩人の姿−−自分の姿−−は遠ざかり、見えなくなった。
この点は橘川琢に限らず、私たちが拠り所とする「トロッタの会」の、他の作曲家、演奏家との作業、音楽づくりにおいて、常に感じていることだ。トロッタでは詩は解体される。音楽になること自体、解体されることだし、音楽にならなくても詩唱、いや朗読をするなら、自分の詩を解体する勇気がなくてどうする?
トロッタに取り上げられる私の詩は原形をとどめなくてよい。橘川琢の個展においても同様。詩を書いたのが私であるという事実は、どこか遠く、夏の國の雲の彼方へ去れ!−−詩には、“詠み人知らず”という考え方がある。トロッタの詩人として、私の態度はそれでいいだろう。
(註* 思いどおりに詠めないといったが、思いどおりに詠んでもつまらないと思っている。それは単なる予定調和だ。思いもよらない自分に出会わなければ。しかし、その方法論、具体的手段について、ここに書く余裕はないし、まだわからないことが多いのである)
最後に、橘川琢が四年連続で個展を開催することに、敬意を表しながら、詩歌曲について、私の考えを述べる。橘川の考えと異なるだろうが、ご了解いただきたい。
詩が音楽になってゆく。その過程が、詩歌曲にはある。詩が、いきなり歌になってもよい。作曲家の内側に、作曲する体験として、過程があるだろうから。しかし橘川は、詩唱パートを設けることで、メロディのない言葉、詩唱者にまかされるリズム、作曲家として予測しないハーモニーを、あえて引き受けている。その上で、メロディのある言葉、奏者まかせにしないリズム、予測できるハーモニーを、歌のパートで作る。詩唱を、橘川は、手元で完成させられない。歌は、橘川の手で完成させられる−−もちろん、どのパートも表現として最後に完成させるのは、舞台に乗る演奏家だ−−。
勝手なことをいわせてもらえば、私が詩唱しないことで、『うつろい』に、新たな可能性が生まれると思っている。『夏の國』では私が詩唱することで、詩歌曲に新たな可能性をつけ加えられると思っている。いずれも、未知のことだ。未知に出会う機会として、第四回個展は開かれる。
作曲家に、言葉を尽くす必要はない。一曲を、存在させればよい。一曲、彼や彼女のてのひらに、音楽が生まれる。その音楽に出会う喜び。音楽は、作曲家自身である。作曲家の個展とは、そのようなものだろう。彼や彼女が生きた、あかし。生きている、あかし。
詩歌曲『夏の國』について、詩人として語ろう。“詩と音楽”の道を、ともに歩む者として−−つねづね疑問に思うが、道とはMICHI=未知である。道の涯(はて)は未知。関係あるのだろうか−−。
作品が生まれる過程はさまざまだ。『夏の國』は、まず題名があった。心に浮かんだ“夏の國”という言葉を、橘川琢に託すか、どうする? 数日、考えた。託せる詩を書けるかどうか、私の問題として、考えたのである。
詩『夏の國』が、優れたものとして完成しているかどうか、それは知らない。プログラムに載るから判断していただければよい。大切な作品は、優劣の判断からも自由であろう。“夏の國”という言葉に、私は詩を感じた。詩を書かなくても、“夏の國”という言葉自体が詩であると思った。実は、これは危うい。題名に中身が負けるかもしれない。題名に満足して、中身を作らないかもしれない。中身が先、題名が後、これが原則だろう。中身があれば、“無題”といっても許される場合がある。
“夏の國”という言葉で詩を書こうと思うが、託してよいか、どうか。
何を迷うと思いながら橘川琢に話すと、彼は応諾した。
橘川に託さないなら、つまり誰に託すとも考えないなら、詩は別の内容になったかもしれないが、橘川が曲を書くといった以上、“夏の國”は男と女の物語になる。川べりに成る黒い実の印象からできあがった詩、『冬の鳥』。歳月を経た男女の物語にしたのだが、これが同名の、橘川作品第41番になった。まだ書かずにいた『夏の国』は、『冬の鳥』に続く“四季物語”−−そのような呼び方は、まだ決定しない。私の中で形を取りつつある言葉−−の一篇になるだろうと思った。
ある国の、ある街に、消えた女。
私の中には、国の名も街の名もはっきりしているが、先入観を与えるかと思うので、それは書かない。少なくとも、熱い土地である。人が消えてしまうかもしれない、茫漠とした奥行きを持つ。大きな河が、ゆったりと流れている。上流から樹や草が、時には生きものを乗せて流れてくる。夜は深い。朝は明らかだ。昼下がりのカフェにいるあなたは、隣の席でコーヒーを飲む女性が、店を出て、これからどこへ行くか、わかるだろうか? 大通りから裏通りへ入り、また大通りへ出て、人ごみに消え、二度と戻って来ないとしても、大都会では不思議じゃない。どこから来て、どこへ行くのか。彼女にも、わからないかもしれない。
そして、“夏の國”に消える運命にある女は、かつて、東京の裏町にある、西陽が強く射すアパートにいた。場末といっていいが、そのような町に住む者も、いずことなく行方知れずになる場合がある。山道にも迷うだろうが、はっきりした道のある都会でも人は迷う。迷ったあげく−−、どうなる?
そんな世界を、橘川琢と共有できるのか。しかも詩歌曲として、音楽として。いや、橘川と私は、演奏家を含めて、共有してきた。
詩歌曲−−。詩と音楽によって生まれるもの。詩唱があり、歌があり、楽器演奏がある、音楽。
『時の岬・雨のぬくもり』(Op.16)に始まり、『うつろい』(Op.22)、『鼠戦記』(Op.26)、『花の記憶』(Op.28)、『異人の花』(Op.35)、『死の花』(Op.40)、『冬の鳥』(Op.41)が作られてきた。詩歌曲集『恋歌』(Op.25)、合唱詩歌曲『幻桜会・春を呼ぶ歌』(Op.34)もある。
歌がない、詩歌曲ではない形なら、『冷たいくちづけ』(Op.19)、『花骸』(Op.37)、詩曲『宇の言葉』(Op.39)なども。
橘川琢が創ろうとしてきた、詩と音楽の総体。
いつまで作るのだろう。しかし、ずっと作るのだろう。私が単に書くことのみ務めとする詩人なら、すること、できることは、もう終っている。時々、詩を書いて橘川に渡せばよい。機会を見つけて、彼は作曲してくれるだろう。しかし、例えば今回の個展で、私は『うつろい』を、歌う。詩を書いた者が、自分ではない者の手になる音楽として、自分の詩を歌う。初演以来、私が行ってきた詩唱は、中川博正に託した。初めての形である。−−私が私の詩を歌ったことは、何度かある。酒井健吉作曲『天の川』、清道洋一作曲『ナホトカ音楽院』、田中修一作曲『雨の午後/蜚(ごきぶり)』、そういえば橘川の『春を呼ぶ歌』。歌ったのは、詩の部分である。そして、どの機会も、自分の詩を歌っている気分ではなかった−−
詩を書いた者だからといって、思いどおりに詠めるものではない。思いどおりにできているのは−−できているとして−−、それは紙上の話。声に出した瞬間、詩は詩人の手を離れる(註*参照)。ましてや、橘川が作曲をし、『うつろい』ならヴァイオリンとピアノが入る。歌の音程は、橘川の感性によって一音一音、定められたもの。私の手から、よほど遠ざかっている。
はっきりいって、『うつろい』はもう、詩人のものではない。数えきれないほどの曲がり角を曲がっているうち、書く者として詩人の姿−−自分の姿−−は遠ざかり、見えなくなった。
この点は橘川琢に限らず、私たちが拠り所とする「トロッタの会」の、他の作曲家、演奏家との作業、音楽づくりにおいて、常に感じていることだ。トロッタでは詩は解体される。音楽になること自体、解体されることだし、音楽にならなくても詩唱、いや朗読をするなら、自分の詩を解体する勇気がなくてどうする?
トロッタに取り上げられる私の詩は原形をとどめなくてよい。橘川琢の個展においても同様。詩を書いたのが私であるという事実は、どこか遠く、夏の國の雲の彼方へ去れ!−−詩には、“詠み人知らず”という考え方がある。トロッタの詩人として、私の態度はそれでいいだろう。
(註* 思いどおりに詠めないといったが、思いどおりに詠んでもつまらないと思っている。それは単なる予定調和だ。思いもよらない自分に出会わなければ。しかし、その方法論、具体的手段について、ここに書く余裕はないし、まだわからないことが多いのである)
最後に、橘川琢が四年連続で個展を開催することに、敬意を表しながら、詩歌曲について、私の考えを述べる。橘川の考えと異なるだろうが、ご了解いただきたい。
詩が音楽になってゆく。その過程が、詩歌曲にはある。詩が、いきなり歌になってもよい。作曲家の内側に、作曲する体験として、過程があるだろうから。しかし橘川は、詩唱パートを設けることで、メロディのない言葉、詩唱者にまかされるリズム、作曲家として予測しないハーモニーを、あえて引き受けている。その上で、メロディのある言葉、奏者まかせにしないリズム、予測できるハーモニーを、歌のパートで作る。詩唱を、橘川は、手元で完成させられない。歌は、橘川の手で完成させられる−−もちろん、どのパートも表現として最後に完成させるのは、舞台に乗る演奏家だ−−。
勝手なことをいわせてもらえば、私が詩唱しないことで、『うつろい』に、新たな可能性が生まれると思っている。『夏の國』では私が詩唱することで、詩歌曲に新たな可能性をつけ加えられると思っている。いずれも、未知のことだ。未知に出会う機会として、第四回個展は開かれる。
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