2012年3月27日火曜日

トロッタ15日記.120326の3

長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載している。ここ何回か続けて、作曲家・田中修一氏と萩原朔太郎について、詩と音楽をテーマに書いている。原稿の直しをたったいま終えた。午前3時。明日には印刷所に入稿予定という。眠い。こうしたこともすべて「トロッタ」の活動につながると確信している。

今井重幸先生に依頼されて、トロッタ13で初演した『叙事詩断章・草迷宮』の動画をコピーして差し上げる。邦楽曲に編曲したので、奏者に参考にしてもらうのだとおっしゃる。演奏は4月16日(月)。阿佐ケ谷でお目にかかり、にトロッタ15の相談。先生の『狂想的変容』について、ある演出を提案させていただいた。実現すれば面白いが。

昼間から続けていた楽譜の整理をほぼ終える。トロッタの楽譜、ボッサの楽譜、そうしたものを作曲家別に分けた。8回目となるボッサの会は、亡くなったギタリスト、石井康史さんの追悼とする考えだ。石井さんと共演した時の音源も出てきた。明日、その打ち合わせをするので、ぎりぎりのタイミングだと思う。

デザイナーの小松史明さんに、本当は今日、トロッタ15のチラシ原稿を半分以上送る予定だった。できず。明日の朝には何とか送りたい。このまま徹夜して送りたい気持ちだが、駄目。いつも思うが、チラシを作る、配る時点で、すでにトロッタは始まっている。チラシは小松さんの表現だ。

2012年3月26日月曜日

トロッタ15日記.120326の2

これまでは回ごとの袋で楽譜を整理していたが、思い切って作曲家別の整理函に入れ直す。トロッタ14回分とボッサの会などの膨大な楽譜。Youtubeの記録映像でも証明されるが、大変な数だ。トロッタ15回目の函にも楽譜が入りつつある。これらを眠らせず、再演、再々演したい思いが芽生える。

誰のどんな曲が好きですかとしばしば訊かれる。ストラヴィンスキーの、ヴェルディの、メシアンの、ベルクの、などと答えればいいのだろうが、私の答えは、トロッタの作曲家のトロッタの曲が好き、というもの。それ以外に答えられないし、答えたくない。私にはトロッタの人と曲こそが大事だ。

スタンダードとすべき、文字通りにクラシックな大作曲家の曲を理想とし、それに向けて歩まなければならないとしても、トロッタで生まれた曲を、作曲家が思っている以上の域に高められたかというと疑問だ。それほどの表現をしてきたか? トロッタを全うするだけで一生分の人生があっても足りない。

トロッタ15日記.120326の1

小松史明さんの絵ができたので、チラシに載せる文章を揃えなければならない。作曲家、演奏家ともプロフールはほぼできている。問題は曲解説。新曲が殆どなので、作曲家は文章にしづらいのだろう。30日(金)をめどに送ってもらうよう頼んだ。31日(土)最終締め切りで小松さんに送る予定。

長谷部二郎先生編集のギター誌「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載中。その第12回原稿の校正が送られてきた。作曲家・田中修一氏と、詩人・萩原朔太郎の関わりを、連続して考えている。朔太郎関連の演奏会もいずれ開きたい。“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」にも関係のあること。調整のため、あと400字の加筆が必要となる。

プログラムが多いので、第15回は私の企画である4回シリーズ『ロルカのカンシオネス「スペインの歌」』を引っ込めた。トロッタ16では再開したい。ガルシア・ロルカと音楽、ここにも詩と音楽というテーマがある。ロルカは、詩と音楽を分けて考えていない。私も同じ。結論はそこにある。萩原朔太郎の詩と音楽も、当然、共通したテーマとして考えていける。

2012年3月24日土曜日

トロッタ15日記120324

デザイナーの小松史明さんから、トロッタ15のチラシ確認用画像が届く。田中修一氏の曲『ムーヴメントNo.6 海猫』に合わせたもの。さっそく、ブログを修正した。確認用画像もブログのページ「トロッタ15」に掲載した。ブログの書き換えは久しぶりなので困難を極め時間がかる。

ここしばらく、twitterもFacebookも更新できなかった。チラシ作成も進行中であり、これを機に書き進めていきたい。

2012年3月16日金曜日

トロッタ15日記.120316

どうにか部屋の片づけが終わりそう。日本音楽舞踊会議演奏会を終え、次はトロッタ15。気持ちを整える必要あり。部屋の片づけを始めた。古い資料は一掃した。未練なし。三日かけて、トロッタへ向かう室内に、つまり脳内になりつつある。今夜は橘川琢氏、清道洋一氏と神保町で会う。

作曲家、演奏家の皆さんにチラシのための原稿を依頼している。プロフィールと、作曲家は曲解説も合わせて。デザイナーの小松史明さんには多忙のところ無理をお願いしている。ほぼプログラムは決まっているが、チラシ作成とともに最終決定。振り返ればここ三日、片づけしかしていない。

日本音楽舞踊会議の演奏会を終えて思ったことだが、本番は常に実験の舞台でありたい。いつも通りのことをしていては意味がない。いつも通りならしなくてよい。特にトロッタは必ず前と違うことをする。無理に奇をてらうのではなく、自然とそうなるように。知らなかった私に出会おう。

2012年3月13日火曜日

トロッタ日記120313

昨夜3月12日(月)、日本音楽舞踊会議の演奏会が終わる。さまざまな反省がある。橘川琢さん、清道洋一さんというトロッタの作曲家の曲に出演したからなおさら。橘川さんの『春告花』、清道さんの『革命幻想菓2』とも、トロッタで演奏してもおかしくない曲だけに。今後の課題だ。

美術家の小松史明さんにチラシ作成を依頼。慌ただしくしていたため、依頼が遅くなった。今日でぎりぎりだろう。小松さんにも迷惑をかける。昨日の演奏会では、トロッタ15の仮チラシを配らせていただいた。不特定多数への告知が始まったことになる。後はトロッタ15のことだけを考える。

2012年3月9日金曜日

トロッタ日記120224-0308

田中修一氏より『MOVEMENT』のための詩の依頼あり。当初は新シリーズの詩にするつもりが、やはり『MOVEMENT』で行きたいということ。東京音大でチェロのAさんに会う。演奏者が確定せず、最終決定を引っ張り過ぎた感があるが時間は取り戻せない。これから進めていく。Aさんを最後に、演奏者は全員、全曲について揃ったと思う。滞っていた時期のトロッタ日記を、以下に書く。

2月24日(金)、FIGARO本紹介ページの仕事を降ろされるので激しく動揺。仕事をしなければ、トロッタはできない。お金はあってあり過ぎることはまったくない。

2月25日(土)、押し入れから更科源蔵氏未亡人、千恵さんの手紙が現われる。伊福部昭先生の追悼演奏会で、私が更科氏の詩を朗読したことへの礼状。2006年4月23日付。繰り返し語っているが、トロッタは、このあたりから構想され、始まっている。第1回演奏会の10か月前。秋葉原のカラオケ館で、清道洋一氏『革命幻想歌2』練習。演奏の舞台は日本音楽舞踊会議であり、トロッタではないが、私にとってはすべてトロッタにつながっている。

2月26日(日)、トロッタの準備、できず。

2月27日(月)、造形作家の扇田克也氏、陶芸の金憲鎬(キム・ホノ)氏から、それぞれ個展の案内が届く。扇田氏は前回を含め、何度かトロッタに足を運んでくださった。金憲鎬氏は橘川氏の個展と名古屋での演奏に足を運んでくださった。扇田、金両氏を含め、どなたとも、知っているだけの関係に終わりたくない。知り合っているだけでも奇跡だが、人の存在に、常に触発される自分でありたい。それがトロッタに生かされればいい。

2月28日(火)、トロッタ15に参加してくださるヴィオラのHさんと、東京音大で会った。甲田潤氏が指導する女声合唱団コール・ジューンのMさんより、甲田氏が夏に指揮する伊福部昭先生の『交響頌偈 釈迦』合唱練習のスケジュールが送られて来る。『釈迦』も歌の曲であり、伊福部先生のことを考える機会として、できれば参加したいが先立つものが……。

2月29日(水)、橘川琢氏より、日本音楽舞踊会議演奏会で演奏する『叙情組曲《日本の小径》補遺より「春告花・三景」』の楽譜を明日の夜、発送するとの連絡あり。今日は歌のレッスン。ロルカ採譜の“ZORONGO”。一応、歌ったが、詩についての理解が全然追いついていない。メゾソプラノ松本満紀子さんより、私がデザインした、第三回グループえん演奏会のチラシとチケットが届いたと連絡をいただく。松本さんはトロッタ15で、田中隆司さん作曲の『寒戸の婆』を歌う。テキストは柳田國男の『遠野物語』。田中氏ならではの意欲作である。

3月1日(木)、トロッタ15全詩解説として、過去6曲になる田中修一氏『MOVEMENT』シリーズの一覧を作成。併せて、全曲の解説を【付記】として書く(手直しあり)。橘川琢氏と会って楽譜をもらう。深夜に阿佐ヶ谷まで来ていただいたが、全曲ではなかった。3分の1曲のみ。

3月2日(金)、西川直美さん(sop.)、野田晶子さん(pf.)、河内春香さん(pf.)の演奏会に、上野の旧・東京音楽学校奏楽堂へ。河内さんが尾高尚忠氏の『日本組曲』、野田さんが伊福部先生の『ピアノ組曲/盆踊』を弾く。伊福部先生の曲も“日本組曲”と命名されたもの。同世代の作曲家によってそれぞれの“日本組曲”が書かれたことに、明らかな理由、共通点する思潮のようなものはあったのか?尾高氏は1911年生まれ、伊福部先生は1914年生まれである。

3月3日(土)、一度は売った『ネヴォの記 1930年代・札幌―文化運動の回想』(佐藤八郎著・編)を、インターネットで古書店に注文。ネヴォは、かつて札幌にあった、伊福部昭先生行きつけの店だった。早坂文雄、三浦淳史といった友人と日参。名曲のレコードを聴き続けたという。『ネヴォの記』にも、伊福部先生らの名前が記されている。伊福部先生について、改めて書きたいという気持ちが起こっている(「ギターとランプ」にも、本当は、伊福部先生のギター曲について書かなければならないと思う。しかし、もう作曲家にインタビューできない)。

3月4日(日)、田中修一氏の『亂譜 海猫』の詩が最終的な形になってゆく変化を並べた画像を作成。詩の変遷に大きく三段階ある。田中修一氏に送った。秋葉原のカラオケ館にて、清道洋一氏『革命幻想歌2』の練習。清道氏、堀江麗奈さんと。ギターの萩野谷英成さんは来られなかった。

3月5日(月)、「詩の通信VI」13号から16号までを作成。1か月半も発行および発送が滞った。トロッタ15全詩解説として、田中修一氏の4回目をアップ。盛岡の詩人、岩崎美弥子さんから『海猫』の資料にと提供された、震災後の廃墟で鹿踊りが舞われている岩手日報の写真入り新聞記事も載せた。

3月6日(火)、「詩の通信VI」13号から16号までを発送。小島遼子さんとは別に、新たなチェリストを探すことになる。曲数の関係で、どうしても二人必要だ。明日のレッスンのため、ロルカ採譜「lLos pelegrintos」の歌詞を楽譜に書きこんでゆく。これが一苦労。

3月7日(水)、歌のレッスン。「Los pelegrintos」。初めての曲は、強弱などつけられたものではない。すべて力が入ってしまう。ギタリスト鎌田慶昭氏のアルバム「セリエ・アメリカーナ~南米ギター作品集」をディスクユニオンで購入。中古がさらに割引で910円。鎌田慶昭氏のアルバムは、所持するCDが傷んで音が出なくなったので買い直したのである。田中修一氏と連絡を取り合い、新曲の楽譜を送ってもらう相談。次回の「ギターとランプ」のために必要。次も萩原朔太郎と田中修一氏について書く予定。『ネヴォの記』到着する。

2012年3月5日月曜日

トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).4

『MOVEMENT No.6 亂譜 海猫』の詩は、田中修一氏の要請によって書かれた。
 田中氏から、詩を求める要請があったのは、6月1日である。彼はいくつかの新聞記事によって、東日本大震災の被災地に、次のような事実があることを知った(記事を引用せず、まとめる)。
 宮城県気仙沼市朝日町の空き地に、数千羽の海猫が巣を作っている。震災前、付近には水産加工場が並んでいたが、津波に工場は押し流され、あたり一面が廃墟となった。そこに海猫が営巣したのである。なるほど、倒壊した家屋や廃墟となった施設の周囲に、おびただしい海猫がいた。
 田中氏は写真入りの記事に接し、そこにさまざまなことを感じた。例えば“無常”といったようなことで、その光景から詩が書けないかと打診してきたのである。もちろん、私が“無常”を感じるかどうかは別であり、まったく違うことを感じていい。ただ、言葉は具体的だしひとり歩きするものでもあるから、被害を受けた方々のことをよく知らないまま、勝手なことを書くのは遠慮しなければならない。しかし遠慮してばかりではいけないとも思い、詩は書こうと思った。それは、何が書けるのかという、自分自身への問いかけでもあるからだ。生半可な言葉は、誰が読んでも生半可に感じられる。自分でもわかる。私もトロッタ13のため、被災地を思い『たびだち/北の町』を書いた。それに続く、東日本大震災以降の詩となる。
 まず、7月2日に第一稿を書いて田中氏に送った。田中氏からは、“この線で”という言葉をもらったので、推敲して、7月14日に第二稿を送った。田中氏の感想は、どちらもよいので、それぞれ曲にできれば、というものであった。そして何度かのやりとりがあり、9月10日、田中氏の筆が入った、歌曲のための詩が届いたのである。読みづらいかと思うが、以下に変遷を並べた。


 ちなみに、第二稿の第二連に、次の詩句がある。

瓦礫の町に
笛の音(ね)がする
太鼓が響く
踊りの影が足を踏む
瓦礫の町に
歌が聴こえる
囃子も響く
魂よ鎮まれかしと

 これは、岩手県の詩人、岩崎美弥子さんから提供された、岩手日報の写真記事を見て、読んで書くことができたのである。被災地の瓦礫の中、鹿踊りが舞われていた。踊りのいわれは諸説あろうが、民俗芸能に共通する性格は、鎮魂である。踊りは基本的に楽しむものだが、死者に思いをはせ、魂を鎮めながら、舞い踊る。もちろん、震災はなければよかった。しかし、それが被災地の鹿踊りだけに、芸能の本質に思いをはせた。さらに、鳥は死者の生まれ変わりだといわれることも思い、瓦礫に巣を作って乱舞する鳥を見て、曲作りを思い立った、田中氏の意図を私なりに汲もうとしたのである。
 第二連は、田中氏の意向で、曲には生かされなかった。それはまったく、曲の進行とか、構成といった理由からであろう。しかし詩の根本には、例えば鹿踊りへの思いがあることを、書き添えておきたい。

2012年3月2日金曜日

トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).3

『MOVEMENT No.3 ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る』
MOVEMENT No.3 (poem by KIBE Yohani "RAN-FU", Myths in the future)
■ 第12回 トロッタの会
2010年11月6日(土)
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この詩で、木部与巴仁氏は未来における風景を描いた。遺跡「東京」は水底の瓦礫であった。安部公房氏は『未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。』といった。其の責任は現代にあるのだが。
作品では各々の楽器に些かプリミティヴな奏法を求めた。(田中修一)

【付記】ギターに造詣の深い田中修一氏が、トロッタで初めてギターを使った曲になった。しかし当初は、ハープを使えないかという希望だった。ハープ奏者にあたったものの無理となったので、ギターになった。しかし私としては、ギターでよかったと思う。この曲については、雑誌「ギターの友」の連載、「ギターとランプ」に書くことができた。『亂譜』も『瓦礫の王』も、舞台として廃墟になった新宿を想い浮かべることができるが、『未來の神話』はいささか異なる。田中氏からはっきりと、安部公房の『第四間氷期』を題材にした詩を、という依頼があった。どんな詩が生まれるのかわからないのではない、作曲家と詩人が共通の認識に立って創作しよう、という働きかけと受け取れる。仮に、安部公房を私が好きではなかったら、この働きかけは不調に終わったかも知れない。『第四間氷期』を読んでなければ、戸惑いが生じたかも知れない。しかし私にとって安部公房は関心の中心にある存在で、とりわけ『第四間氷期』が好きなのだった。
 書きながら思い出したが、「No.3」の『第四間氷期』と同様、「No.2」は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』を題材にしてほしいという依頼があった。このボルヘスも、私は好ましく思っている。つまり、私自身の奥底にある精神性に触れて来る作家だ。ボルヘスに続いて安部公房の名前が出た時、田中氏と私は関心の方角が一致するのかなと思った。彼は伊福部昭先生に学び、私は伊福部先生について文章を書いた。明らかにその流れでトロッタを運営し、彼は第一回から参加し続けている。
 ちなみに、彼は19世紀イングランドの画家、ジョン・エヴァレット・ミレーの水死したオフィーリアの絵を好むという。これまた私も同様で、2008年に東京で行われた展覧会には足を運んだ。田中氏は、スコアの表紙にオフィーリアの絵をあしらっていた。ここまで関心が一致するのかと驚くとともに、彼には“水の女”に寄せる心があるのかとも意外だった。私は詩『水の女』を書き、酒井健吉氏によって作曲された。私なら、自分が“水の女”を描きたがるとわかっており、そればかりではいけないと、『未來の神話』は当初、“水底(みなぞこ)の若者”を書いたのだ。
 詩は「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底の青年が/揺れながら漂う/小さな光に/未来を感じる」となる。
 これを田中氏は次に改変した。「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底(みなそこ)の處女(をとめ)が/搖れながら漂ふ/小さな光に/未來を感じる」
 彼の心にある、私の知らない浪漫性を想像したのである。



『MOVEMENT an extra 木部与巴仁「亂譜外傳・儀式」に依る』
MOVEMENT an extra(poem by KIBE Yohani "RAN-FU"an extra canonical, The Rite of Hooakha Huchy Tribes)for 2Voices,Bassoon,3Conga-drums and Piano
■ 第13回 トロッタの会
2011年5月29日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この作品に登場するハナアルキ(鼻歩き)とは、南太平洋ハイアイアイ群島に棲息した、鼻で歩き鼻で捕食する哺乳類で、核実験の影響で島と共に沈んでしまった鼻行類Rhinogradentiaの別名である(ハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』参照)。その原産地である南海のハイアイアイ群島の発見者、シェムトクヴィストは原住民フアハ=ハチの儀式をいきいきと描写している。「フアハ=ハチ族は当時(ちょうど春分の頃だった)ホーナタタ(ハナアルキの別称*筆者註)祭を祝っていた.この祭礼のときには,彼らは村の集会所で祭礼の歌をうたいながら脂身をはさんで焼いたホーナタタを食べる.それは夕闇迫る時分であった.(後略)」(前掲書)。(田中修一)。

【付記】三度び、田中氏から題材に依る作詩の依頼が来た。今度は“ハラルト・シュテンプケの『鼻行類』”である。ハナアルキという、名前どおりの生物群を解説するフィクション。この奇妙な書物は、読んでいたものの所持していなかったので、さっそく求めた。そして、このような世界にひかれる田中氏の精神性に思いを至らせた。「ギターの友」に記した田中氏の言葉に、2億年後の世界に生きる架空の生物を考察した『フューチャー・イズ・ワイルド』を自分は好むが、木部氏も同じではないか、というものがある。そちらは読んでおらず、表紙は何度も見たが、手に取ることがなかった。田中氏は、ハナアルキや2億年後の生物が好きである。おそらく、形状にも惹かれているだろう。私にそのような精神性はない。だが、『鼻行類』をという求めがあった以上、それに応えたいと思った。そこで書いたのが、ハナアルキという言葉をまったく用いない詩だ。それは、次のように始まる。
「焼けた風に/黒髪をなびかせて/波打際を駈けてゆく(*駈ける)/女は/ヒトではなかった(中略)/火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/女は/ヒトではなかった」
田中氏は次のように改変した。
「焼けた風に/波打際を駈けてゆく(*駈ける)ものは/ヒトではなかった(中略)火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/ハナアルキ」
 私は、ハナアルキという言葉を用いたら、『鼻行類』に依ることが明らかになると思い、架空の生き物の名を使わなかった。しかし田中氏は使った。よほど、ハナアルキに愛着を持っており、ハナアルキと歌わなければおさまらない、創作意欲を持っていたのだろう。仮に、である。架空の生き物を使いたいというなら、私は“私のハナアルキ”を創る。『第四間氷期』や『ブロディーの報告書』に依ってほしいと頼まれ、それを承知しつつ、それらの作品に現われる言葉なり設定をまったく用いていないのは、そのような理由からである。文学作品と音楽作品には隔たりがあるが、『第四間氷期』『ブロディーの報告書』『鼻行類』と私の詩は、言葉を用いた表現という点で、隔たりがない。ないなら、自分で隔たりを作ろうと思うのが、書き手の本能であろう(簡単にいえば、他人の世界ではない、自分の言語による世界を創ろうということだ)。
 私はこの曲に出演している。「No.2」にも出演している。詩唱者として思うことは別にあるが、今は詩についてのみ記した。



『MOVEMENT No.5 ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』
MOVEMENT No.5 (poem by KIBE Yohani “RAN-FU”, PARADISE)
for Solo Voice,Oboe,Piano and Contrabass
■ 第14回 トロッタの会
2011年11月13日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】木部与巴仁氏がハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』(鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に生息し、核実験の影響で島と共に沈んでしまったという哺乳類である。)に取材して2010年12月5日に詩「亂譜 楽園」を送ってくれたが、そのままになってしまっていた。後になって「樂園」という題名につよく惹かれて、新たに此の詩と向き合うと、別の意味を持って私に迫って来たのであった。一連の「MOVEMENT」はデフォルメされた音楽様式となっているが此の作品でもそれが顕著にあらわれている。(田中修一)

【付記】「No.5」のもとになった詩が『楽園』であり、これが田中氏の書斎を訪れた体験から生まれたものであることは、先に書いた。田中氏はもともと、『楽園』を曲にすることは無理だといっていた。彼は、人の私生活が透けてみえるような世界は苦手だという。私生活から生まれた世界だから、なるほど、それなら無理だろうと納得した。それが曲になったのは、私生活部分をまったくカットしたからだ。つまり、以下のくだり。
「いつからだろう/目覚まし時計の力を借りず/午前三時に目を醒ますようになったのは/孤独の荷を下ろした/ひとりの時間/窓から見える/あの山の向こうで/誰かが男を呼んでいた/妻と子は/何も知らない」
 この前後にある、「わたしの声が聞こえたら/返事をください」「わたしの声が聞こえたら/あなたの目を閉じてください」で始まる詩の流れは、そのまま歌に生かされた。
 次の改変も大きい。田中氏の詩−−
「見える/一羽の鳥が/氣流に乘って飛んでゆく/海といふ海の/風を集めて/ただひとつ殘された/樂園をめざし 幾千年」
 しかし、もとの詩は、次のようだ。
「見える/一羽の男が/気流に乘って飛んでゆく/海という海の/風を集めて/ただひとつ殘された/楽園をめざし/千年」
 飛ぶのが鳥と男では、まるで違う。私は田中氏を飛ばした。だが彼は、男は地上にいて、飛ぶのはあくまで鳥である見方を貫いた。もとの詩は次のように結ばれる。
「なりたいのになれなかった/それは男の/理想の形」
 鳥になる、あるいは飛ぶのが男の理想なのだから、詩としては人に飛んでもらわなければならない。
 私は人間が好きなのだとわれながら思う。奇妙な形をした生物よりも(彼らから見れば、人も相当、奇妙な形をしているかもしれない)。つまり人という生物の私生活に関心がある。田中氏は、さして私生活には関心がない、あるいは自分に触れたくない、それでいて(いや、だからこそ?)“水の女”死せるオフィーリアには関心がある。詩人と作曲者に隔たりがあればあるほど、おもしろいかもしれない。

2012年3月1日木曜日

トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).2

これまでの、『MOVEMENT』全6曲の歴史を振り返ってみよう。

『MOVEMENT 声と2台ピアノのためのムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第3回 トロッタの会
2007年5月27日(日)
会場・タカギクラヴィア 松濤サロン
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
また、作詩者の提案をうけて、独唱歌曲の伴奏を2台ピアノとしたのは、危険な冒険であり、些かの不安を禁じ得ないのでした。(田中修一)

【付記】何といっても『MOVEMENT』はここから出発したので、思い出に残る。2台ピアノに対しては、何も2台使わなくてもという批判がある。私の提案なのだが、勘違いであれ、ものの量感を作ろうとする態度を認めたいと、常々思っている。それに応えてくれた田中氏に感謝している。再演できればと思う。--2台ピアノを提案したのは私だとすっかり思いこんでいたが、田中氏の発案であった。「洪水」第1号の、私、田中氏、橘川琢との話し合いで、田中氏が述べている。話し合いの日は、2007年5月28日、まさに『MOVEMENT』初演の翌日であった。田中氏がいうような言い方を私がしたか疑問だが、彼なりの受け止め方なので、私はそのままでいい。この貴重な記録を残してくださいました、「洪水」編集長の池田康さんにお礼を申し上げます。
「トロッタの会の第一回のときに『立つ鳥は』という、伊福部昭先生にささげる追悼の曲をやりましたが、そのリハーサルを終わった後、木部さんと一杯飲んで、そのときに『亂譜』書きます、少しずつスケッチを進めていますという話をして、だけどピアノだけだと物足りないなと言い、木部さんもなにか伴奏つけたらボリューム出るよねと言う。チェロとかコントラバスも面白いけど、打楽器とかもいいんじゃないかと一瞬思った。だけど打楽器だと練習で楽器を持ち込まなきゃいけないとか大変でコストがかかる。冗談半分で、二台ピアノというのも面白いねと僕が言ったんです。まさか二台ピアノの独唱歌曲なんていままで聞いたこともない、そんなものは絶対言わないだろうと思ったら、木部さんが、おう、それやろう、面白いじゃないかと。一台ピアノで書いたら手抜きしたと見なすぞと言うので、じゃあ二台ピアノでということになったんです。書いてみると、ああ面白いなと思うようになってきました」



『MOVEMENTムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第9回 トロッタの会
2009年9月27日(日)
会場・エレクトーンシティ渋谷
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
この度、木部与巴仁氏より、電子オルガンを使用した作品を、と云う依頼をうけ、『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る(2007年作曲)』を、声とピアノ、打楽器、電子オルガンのために編作しました。(田中修一)

【付記】思いがけず『MOVEMENT』が復活することになった。ただし2台ピアノ版ではなく、電子オルガン版として。エレクトーンシティでトロッタを開くという大前提があったので、田中氏も電子オルガンを使ったのだ。録音を改めて聴くと、これはすばらしい曲である。電子オルガンの音色が、世界を格段に大きくしている。生音の楽器で演奏できればなおいいのだろうが、電子オルガンの特性を、田中氏はよく生かしたと思う。編作だから、2台ピアノ版と同じ世界なのだが(詩はもちろん同じ)、別の世界が現われている。楽器によって違う世界が生じるという、当たり前のことを実感させてくれる。二曲の間に、2年と4か月の歳月があり、5回のトロッタがあった。田中氏とは、いろいろな思いの交錯があった。通じるところがあり、通じないところがあった。しかし、その上でつきあう努力をすれば、曲が生まれるということを、私自身、学んだ。仮に、たった今、トロッタが終わり何もかも断ち切られても、曲は残る。知らない時代に、知らないところで、知らない誰かが『MOVEMENT』を演奏するかもしれない。萩原朔太郎も、まさか一世紀近い後に、私たちが、自身の曲をめぐって会話しているなど、思いも寄らなかったであろう。不思議だ。



『MOVEMENT No.2 ムーヴメントNo.2 木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』
MOVEMENT No.2 (poem by Kibe Yohani “RAN-FU, Gwareki no Wau”)for 2Voices, Marimba and Piano
■ 第11回 トロッタの会
2010年3月5日(金)
会場・スタジオ ヴィルトゥオージ
【解説】「No.2」、第二番と名づけられたことで、『MOVEMENT』のシリーズ化が決まった。曲の世界が掘り下げられ、大きくなろうとしている。実のところ意外だったが、作曲家・田中修一氏に、そのような息の長い心の働きがあると知って、彼に対する認識を改めた。僭越だが、すばらしい。トロッタに、第一回から参加し続けているだけのことはある。一番の詩は『亂譜』、二番の詩は『亂譜 瓦礫の王』である。まず、荒涼とした都市の風景を詠み、さらには廃墟で舞う、ひとりの王の姿を詠んだ。力強くも美しい、極限の音楽世界が表現できればよい。(木部与巴仁)

【付記】“瓦礫の王”とは、私は学生時代から温めていた言葉だ。あるテーマを小説か評論にしたいと思っていたが、それができず、詩になった。初めに思っていた形ではものにならず、別の形を得て世に現われる、ということがしばしばあると思う。私の場合、同様の作品に、酒井健吉氏によって作曲された『水の女』がある。田中氏や酒井氏たち、トロッタの作曲家、そして演奏家たちによって、私は自分の思いを形にできた。感謝している。
前作の詩『亂譜』は、瓦礫になった、想像上の新宿を詠んでいる。荒涼とした美しさを表現したいと思った。今回はそこに、ひとりの王を立たせた。王という存在は、現実的には好きではない。支配者だからだ。しかし、支配者の孤独には関心がある。『MOVEMENT』が初演されたのと同じトロッタ3で、私は『大公は死んだ』という詩を発表した。これはトロッタ6において、田中氏の曲『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』になった。またトロッタ12では、ヘンリー八世の曲によった詩唱曲を発表した。大公の詩は、シリーズ化したいと思いながら果たせないでいる。音楽から美しさを想像できるか? 演奏の美しさではなく、視覚的な美を。私は、田中氏の『MOVEMENT』に、美を感じる。美を見ている。それは田中氏にとって本意ではないかもしれない。荒涼とした都市。廃虚としての新宿。そうしたものは、連想に過ぎないだろうから。だが、田中氏には申し訳ないながら、音響によって生じる視覚体験というものがあり、それは特に詩があるからだが、音の力によって実に具体的に、まざまざと見えてくる風景がある。『瓦礫の王』は、特にその相乗効果を意識して書いた。

トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).1

田中修一氏の『ムーヴメント6 海猫』について、書く。この曲が、6曲目となる「ムーヴメント」シリーズの最新作だと思うと、どうしても過去を振り返っておく必要にかられる。昨年来、田中氏の作品を整理したり、「ムーヴメント」全曲を収めたDVDを創るなどしたことも、その全体性を考えようとする態度につながっているのだろう。「ムーヴメント」の歩みを、田中氏の作品一覧から抜粋する(酒井健吉氏の表と同じく、クリックすると拡大される)。


 誰にとっても同じだが、作曲をする風景、場所というものがある。
 私は「ギターの友」の連載原稿のため、田中修一氏の家を訪れた。
 書斎に通された。
 彼は引っ越しをしたから、二か所を訪ねたのだが、どちらの部屋も似ていた。
 大きな窓に面して机がある。
 見晴らしがよく、実に整然と片づけられている。
 余分なものがひとつもない。
 散らかっていて余分なものだらけの私の部屋とはまるで異なる。
 うらやましいと思ったが、私が田中氏の部屋に住めば、たちまち散らかってしまうだろうから同じだ。
 その感銘を書いた詩が、『樂園』である。
 ここに描写した、ある男の部屋の風景は、そのまま田中氏の書斎だ。
「詩の通信V」第10号に掲載した。
 田中氏はその詩を使って、『MOVEMENT ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』を書いた。
 田中氏の手法によって、南海の島を描いた詩と音楽になったが、もとの詩は、横浜にある彼の書斎を描写している。
 このような極端な違いを、私はおもしろいと思っている。
 詩はもはや詩人のものではない。
 作曲家によって彼自身のもの、聴く人のものになる。
 解釈の違いというより、作曲家が自由になるための、詩は力なのだと思う。