2012年8月26日日曜日

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【3】

●23日(金)の夜、甲田潤氏から電話あり、トークは行いましょう、とのこと。甲田氏も出て、私と喋る。『暁の讃歌』について調べておいてよかった。ひとりで喋ることを考えていたので、かけあいとなると、中身は薄くなるが、調べたことより、伊福部・松村両先生の弟子であり、今回は2曲とも指揮をする、主宰者甲田氏の実感ある言葉を聞いた方がよい。調べたことは、しょせん、調べたことだと思う。調べても演奏ができるわけではない。伊福部先生の本を書いた私は、その思いがあるので、トロッタの会を行っている。トロッタについてなら、いくらでも喋ることがあるが、それをしないで、一度でも新しいトロッタを開いた方がよい(それでも、書くことを否定しているわけではない。書くことでわかることがある。演奏していては決してわからないこと。調べることと実践することは、別物なのであろう。それに、調べること自体は好きだ)。

●午前中、甲田氏と会って、いろいろ話を聞き、トークの相談をする。甲田氏運転の車に同乗して、雑司ケ谷の東京音大から、すみだトリフォニーに近い錦糸町まで移動。その後、仕事やトークの準備があり、会場入りは16時。 他の方々は14時ごろから別会場でオーケストラと合わせていた。舞台設営を手伝い、17時から『釈迦』ゲネプロ(いつも思うのだが芝居のゲネプロとは意味合いが違う)。その後は『暁の讃歌』ゲネプロが18時25分まで。トークは18時45分ごろ開始。舞台に持って出るもの。『松村禎三 作曲家の言葉』、石井漠の言葉が載っている「週刊朝日」、それに甲田氏と打ち合わせて作ったメモ(曲の詩を印刷しておいた)。15分は喋っていないが、10分強の内容。ミスもあったが、台本のないフリートークなので、ミスがなければかえっておかしい。ありのままでよい。

●演奏は、よかったと思う。8年前、サントリーホールでの伊福部先生卒寿記念で演奏された時よりも、演奏の熱気という意味では、合唱、オーケストラともよかったのではないか。 甲田氏の無私の情熱が、その結果を生んだのだろう。もちろん、聴いた方々の印象は別である。皆さんが、(形容として)身を乗り出して熱心に聴いていてくださったようには感じた。以下、個人的な反省−−。

1)8年前は練習に毎回出た。しかし今回は数度しか出ていない。甲田氏に個人レッスンしてもらったのはよかったが。書かなければいけない原稿があった。結局、没原稿になると思うが。8年前にはトロッタもなかった。練習に使える時間があまりにも少なくなっていた。歌いきれたとは思うが、甲田氏の熱意に見合う態度を示せなかった。申し訳ない。
2)二楽章、Nivarana Jata Nivaranaの詩で、低いa(ラ)から上がって行く時、声がうまく響かない。歌の先生にレッスンしてもらった時は、それでよいということになったが、合唱になると響きが聴こえない。私にとっては低い音。しかし、もっとうまくできないものか。だから歌いきれたといっても、問題点は多いままだ。合唱なのだが、気持ちとしては、ソロとして大ホールに、小さな声でも大きな声でも響くように歌わなければ。
3)これは『交響頌偈 釈迦』について思うことだが、踊りの視覚性を伴わない一楽章を、どう解釈していいか、わかっていない。踊りがあれば過ぎてゆく時間を過ごせるだろうが、踊りがないと、変化に乏しい印象がある。しかし、指揮の甲田氏、演奏するオーケストラの方々にとっては、一音一音が変化なのだから、一楽章は合唱がないため、聴いているしかない者として、私が不明なのである。トークをするのでいろいろ調べたが、わかっていないことがあまりに多かった。『釈迦』については『タプカーラの彼方へ』で書いたが、あのころと今と、私の関心の方向がまったく違っている。今の私は、あの内容、書き方に不満だ。いっそ、全部書き直したいとすら思う。
4)舞台設営の際、すみだトリフォニーの係の方に、先日はどうもと、声をかけられた。3月に行われた日本音楽舞踊会議の公演でお世話になったスタッフの方だった。3月は小ホール、今回は大ホール。こちらにとっては違う場所だが、あちらにとっては同じ建物の場所なのだ。何に限らず、そのような出会いはうれしい。それを生かす生き方ができているのか。目の前のことにあわてふためくのではなく、もっと巨視的な態度が必要。いや、目の前にことにあわてふためいていいのかもしれない。ふためくしかないだろう。それが結果として、長い時間の人と人のつきあいにつながってゆく。

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【2】

松村禎三 『暁の讃歌』Hymn to Aurora〈リグ・ヴェーダより〉

●8月24日金曜日、『暁の讃歌』の準備を進める。トークを行うかどうか、まだわからない。

●リグ・ヴェーダは古代インドの聖典。数あるヴェーダ聖典群のひとつで、最古。もともと口承され、文字の発達と共に編纂・文書化された。中央アジアの遊牧 民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含み、紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された。全10巻、 1028篇(補遺11篇)。

●サントリー音楽財団コンサート「作曲家の古典'98 松村禎三」プログラムに、松村先生のこんな言葉を見つけた。
「いつの頃からか、もっと混沌とした巨大な乙男堆積のようなものが漠然と私のイメージの中に棲みついていた。そうしたある時、アジアに点在する仏教、ヒン ズー教等の寺院の厖大な石仏たちの度肝を抜くスケールの“群”の写真を見た時、私はそこにはっきり自らの先祖を見たように思え、大きい示唆と励ましを受け た」(「交響曲」プログラムノート)
これと同じことを伊福部先生がいっている。アジア的な大きさに対する憧れ、それを作曲家としての自分のものにしたい願望。

●松村禎三先生の遺稿集『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社)を購入して読む。これはおもしろい。一冊まとめての書き下ろしといった体裁ではない、プログラムの短文や折りに触れてのエッセイなどの集積だが、文字通りのドキュメントになっている。

●楽譜を探したが絶版なので、まず東京文化会館の音楽資料室へ行く。夏休み。明治学院に引っ越した日本近代音楽館に行く。すでに閉館30分前だが、オリジ ナル版(混声合唱とオーボエ・ダモーレ、打楽器、ハープ、チェロ、ピアノ、オルガン)と編曲版(混声合唱とオルガン、ピアノ)の楽譜をチェック。コピーし たかったが、受付時間を過ぎていたので写す。詩は以下の通り。(*印は作曲に際しての、松村先生の工夫)

紅のめぐみの光 世を照らし、
暁のうるわしの姫は出(い)でましぬ。(*繰り返し)
遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。(*繰り返し)
目ざめよ、もろ人、命の息はよみがえる。(*「命」以下、繰り返し)
闇は去り、光は満つる。(*無限に繰り返し)
暁の姫の御手(みて)は日の神を招くなり。(*この行、「闇」の行前に移動)
神は永久(とわ)なり、人も永久なり。

●楽譜にある松村先生の言葉。
〈訳者の許しを得て、語句を前後させたり、重複させたり〉
〈「来る世もかくてありなん」を「かくありなん」とした。曲の必然によるもの〉
詩の繰り返し、順序の入れ替え、さらに言葉ではないうなりのような声音も発せられる。これは詩を書く者には見逃せない大事なこと。詩がどのように音楽にな り、音楽が詩をどのように歌うのか。トロッタでも当たり前のように起こっている現象。トロッタはこの問題を追究しているといっていい。

●『暁の讃歌』オリジナル版は、1978年7月から10月にかけて作曲。11月15日(水)初演。東京混声合唱団第78回定期演奏会。東京教育会館にて。オルガンとピアノ版は79年2月、同合唱団で演奏。
今回の演奏は、甲田潤氏の編曲。混声合唱を女声合唱とする。初演版との相違は以下のとおり。楽器は初演で使用されたもの、および初演者名。括弧内は、甲田氏編曲版。

オーボエ・ダモーレ 石橋雅一(そのまま演奏)
打楽器 有賀誠門(一部シンセサイザーで演奏)
ハープ 川井道子(ピアノで演奏 松村先生編曲版に基づく)
チェロ 苅田雅治(そのまま演奏)
ピアノ 田中瑤子(松村先生編曲版+ハープを演奏)
オルガン 富米野玲子*初演時の使用楽器は、Roland社製 パラフォニック505番(ほぼそのまま演奏)

*以下、編曲版の楽譜に松村先生が記した言葉。
オルガンは、初演時はRoland社の電子オルガンを使ったが、パイプ、電気によるものを問わず、楽器の種類は限定しない。
音色は、部分部分のイメージを受け止め、その時の感じで作っていただければよい。
冒頭は、オーボエ・ダモーレに近い重簧楽器で。
[103]小節以降の「遠き世もかくてありき、来(きた)る世もかくてありなん。」と最後の部分は、永遠の彼方から吹き寄せる風と光のイメージで(作者記)。*オルガンで演奏する部分
同年(1978年)作曲の「ピアノ協奏曲2番」と合わせてサントリー音楽賞受賞作品となった(作者記)。

すみだ区民音楽祭2012トーク・メモ【1】

『釈迦』最後の練習中、甲田潤氏より、演奏前にトークをしたらいいと思うのだがと打診あり。自分は準備のため出られないが、と。相談中、二、三の人の名前を上げるが、トークの実施は最終決定ではない。私はいつ喋ってもいいといっておく。ただし、演奏会第四部のトークなので、『釈迦』だけではない、松村禎三先生の『暁の讃歌』についても喋る必要あり。最終決定はまだだが、準備だけはしておかないと間に合わないので、8月23日(木)からメモを作り始める。

伊福部昭「交響頌偈 釈迦」

●1989年4月8日、五反田のゆうぽうとで行われた「釈尊降誕会(はなまつり)コンサート」で、小松一彦指揮、東京交響楽団、東京オラトリオ研究会、大正大学音楽部混声合唱団等によって初演。

●チラシにも書いたが、敗戦直前、混乱してしまった日本人の価値観を問い直そうという強い思いがあった。1948(昭和23)年の『さまよえる群像』から、1953年(昭和28)年の『人間釈迦』へ。

●石井漠は、『人間釈迦』300回記念公演の後に行われた徳川夢声との対談で、こう語っている。
バレエ『人間釈迦』として創作されたきっかけ。石井漠に、文部省の芸術祭関係者から打診があった。「日本のバレーは、外国のバレーのまねをしてるわけだが、そうでなくて、東洋人の感覚でつくったバレーをやってくれないか」そこで考えたのが釈迦の物語だった。「ぼくの胸を打ったのはなにかというと、キリストは死んだとき天にのぼったが、お釈迦さまという人は、死んでからも、われわれと親しみの深い地のなかにうまってるというんだ」(引用個所〈週刊朝日〉1958年11月23日号)

●煩悩との闘いの果てに平和があるという歌、か。本当の平和とは? 戦後の混乱期に発想されたもの。今もまた混乱期。甲田氏は『釈迦』を毎年演奏したいと考えている。「第九」に対抗して?

●第二楽章、言葉がたたみかけられる場面がある。釈迦が瞑想しているとたくさんの悪魔がやって来て、さまざまな煩悩を投げかける。それに耐えられるか、という場面。
貪欲、食欲、性欲、生存欲、自己顕示欲、妬(そね)み、怒り、争い、愚痴、愚かしい事、など(*甲田氏が以上を紹介)
歌の詩は以下の通り(*Chor JuneのOさんのご教示をいただきました)。
*第二楽章
Gantha 繋 ケ しばる・とらえる 煩悩が離れない
Nivarana 蓋 ガイ おおう・かくす 煩悩を閉じこめている
Ussada 増成 ゾウセイ 地獄
Ohga  暴流 ボウル 欲と見と有と無明の煩悩を流し出す
Jata 結縛 ケツバク 解脱のさまたげ
Anuyasa 随眠 ズイミン 悪への傾向
Asava 漏 ロ 煩悩が漏れ出る
Vanatha 稠林 チューリン 業欲、願望が繁茂している
Kilesa 惑 ワク 欲念、罪、穢れ
Pariyuthana 纏 テン 煩悩の異名 煩悩が働いている
Samuyojana 結 ケツ Jataと同じ、枷、束縛
Akusala 不善 フゼン よかざること
Yoga 軛 ヤク 煩悩の異名 くびきのように拘束する

*第三楽章
Acintiya(不思議なもの)
buddha(仏)
buddhadhamma(仏法 仏+法)
acintiyo(acintiya?)  acintiyesu(acintiyaの変化形)
Pasannanamu(喜べる 満足)
vipakohati(熟する 果報)
acintiyo(acintiyaの変化形)

チラシに伊福部先生の訳を書いたが、本当のところは、論理性のある文章ではなく、第二楽章のように、言葉を並べているだけ。これは不思議な詩だと思う。詩というより呪文だろう。Acintiya(不思議なもの)を繰り返しているうちに、いつの間にか、不思議なものが見えてくる、感じてくる、自分も不思議なものになってゆく、といったようなことか。

●84年『日本の太鼓〈ジャコモコ・ジャンコ〉』、87年『舞踊曲「サロメ」』、89年『交響頌偈 釈迦』と舞踊のために書かれた音楽がオーケストラ曲になった。これはどういうことだったのか?

●甲田氏説、チューブラベルの音に、ブッダが悟りを得た姿が重ねられている。西洋楽器としての意味は“最期の審判”。

2012年8月23日木曜日

『交響頌偈 釈迦』最後の練習

8月22日(水)夜、すみだ音楽祭2012にて演奏される『交響頌偈 釈迦』最後の練習が行われました。個人的には、朝は歌のレッスン中、先生から個人練習をしていただき、夜は合唱と、いわば二部練習の一日ではありましたが、甲田潤さん主宰の練習には数度しか出ておらず、申し訳ない気持ちです。いずれにせよ、後は準備や練習を含めた本番当日を残すのみとなりました。
この『釈迦』については、1980年代半ばに、『日本の太鼓〈ジャコモコ・ジャンコ〉』『サロメ』と続いた、バレエ音楽の管弦楽化、その締めくくりであったということ以外、資料と談話で得た以上のことを、実感として知りません。石井漠の踊りを知らず、舞踊・映画・音楽とある伊福部先生の“釈迦”の世界を系統だてて研究したわけでもありません。ましてや、音楽としては合唱のバス・パート以外、何も知りません。先日の練習に立ち合った清道洋一さんが、大正大学発行の『釈迦』管弦楽譜を持参していた熱心さに驚かされました。
『日本の太鼓』『サロメ』は、音楽自体の自立性が強いと思いますが、『釈迦』は、バレエを観ながら聴きたい思いです。音楽だけだと、少し重い気がするのですが、それは人によって感じ方が違うでしょうか。決して批判ではなく、重さを重さとして聴かせる工夫の余地があるのではと、勝手に思っています(同じ譜面から、何をどう工夫するかが問題ですが。勝手に工夫などとはいえません。作曲者ももうおられませんし)。私も参加する合唱があることは、他と異なります ので、これを有効に生かすことでしょう。論じることは本当に簡単ですが、実際に演奏するのは難しいものです。甲田潤さんのご苦労は、容易に察することができません。
この夏は、本当に冴えない夏でした。いくつかの公演が実現不能となり、いくつかの原稿が、完成不能、採用不能となりました。それだけに、甲田さん主宰の演奏会が成功裏に終わることを祈ります。私自身、この悔しさをもとに、鬱憤晴らしなどではなく、確実に成し遂げたいという意味で、トロッタ16の準備に力を尽くします。

2012年8月22日水曜日

長尾一雄氏夫人、訃報のこと

演劇、音楽など、芸術全般に造詣が深かった評論家、長尾一雄氏の奥様、之子(ゆきこ)さんが、去る7月24日、お亡くなりになりました。葬儀等、ご親族だけで済まされて、本日、その訃報が届きました(個人の訃報であり、またトロッタのサイトなので、書いていいものかどうか迷いましたが、後に記すような事情があり、書くことにします。問題が生じたら削除します)。
長尾一雄さんは1998年4月27日にお亡くなりになりました。66歳でした。奥様は80歳でした。長尾一雄さんとは、私が23歳ごろから面識を得ていたと記憶します。いま、ここに書くにはあまりに多すぎる事柄を、長尾一雄さんとは共有しました。年齢差、経験の差、教養の差があり、「共有」という表現はおこがましいのですが、同じ舞台に接し、それについて語り合い、私の芝居にもゲスト出演されてお話をなさり、また長尾さんの本を二冊、『能の時間』『現代能楽士論』を、私は編集させていただいたので、共有としか表現できないのですが、やはりおこがましいかと、今になって思います。
奥様とは、長尾さん亡き後、おつきあいをさせていただき、近くは、上野雄次さんの花いけ教室にご一緒し、食事をご馳走になり、トロッタには何度か足を運んでいただき、トロッタ15にもお招きしたのですが、今は体調がすぐれないので、いずれ改めてと、お話をしたところでした(しかし痛恨なのは、それが5月のことで、原稿書きに忙しい思いをしている最中、緊急に入院をされ、お亡くなりになったのでした。お使いになっておられたiPadの調子はどうですか? と、お便りしたことを思い出します)。奥様の希望もあり、長尾一雄さんの蔵書の一部、邦楽関係、演劇関係などは、東京音楽大学に寄贈させていただきました。先日まで民族音楽研究所にあり、今は図書館に収められています。伊福部先生のお弟子であった故・三木稔氏とも交流があり、今、目の前にLP「二十絃箏の世界」の解説書がありますが、長尾さんはそこに「野坂惠子と二十絃箏」という文章を寄せておられます(奥様は岡山県出身ですが、同じ岡山の旧制高校生であった三木氏を、当時からご存知であったそうです)。
掲載紙「日本読書新聞」が発行をやめたため、二回で終わった長尾さんの連載に、「奈落への招待席 遊びの批評学」がありました。第一回は、歌舞伎舞踊『五斗三番叟』とアンダーグラウンド演劇としての『東海道四谷怪談』を論じ、第二回は 夢の遊眠社『回転人魚』と、バッハの『ブランデンブルク協奏曲第五番』を論じるといった具合で、このように並べると古典から前衛までと形容できそうですが、長尾さんにとっては、古典も前衛も同じなのではなかったかと思います。私がそう思っていることを長尾さんに重ねて論じてしまいそうな危うさがありますが、つまり長尾さんにとっては、古典も前衛も、まず現代人によって演奏され演じられる20世紀芸術であったということではなかったかと思います。
奥様は、そのような長尾さんをよく理解しておられ、それは当然ともいえますが、長尾さんの仕事がもっと世間に広まればいいと思っていました。朝日新聞の能楽評も、長尾さんの病で中断したのは惜しいことでした。
私の手元に、長尾さんが書きためた批評のためのメモがたくさんあります。トレーニングといっていいのか、その日に観たり聴いたりしたことを、毎日、レポート用紙に3行書くとか、原稿用紙に一枚書くとか、そうした行為を続けておられました。ビートたけしという芸人の名を初めて知ったのも、長尾さんの口を通してでした。私はまったくテレビを観ませんが、長尾さんは熱心で、そこに現代の芸能(芸能番組とか芸能人といった意味を含みながら、それよりもっと本来の意味を持つ、民俗学としての芸能) のあり方を見ておられました。長尾さんも奥様も、折口信夫の系統を引く、慶応義塾大学文学部のご出身です。
長尾さんがお亡くなりになった後、私は奥様から、横尾忠則氏がデザインをした、唐十郎演出、状況劇場公演『腰巻きお仙 忘却篇』の招待状を託されました。私が初めて出した本『横尾忠則365日の伝説』は贈らせていただいていました。招待状といってもB全判の大きなもので、よく横尾氏の作品集や唐十郎氏関係の書物などに紹介されている、もはや美術品というべきものです。長尾家に額装して飾られていました。今夜、私はそれを部屋の壁に飾りました。飾りつつ、長尾一雄さんのこと、之子さんのことを想っています。
初めに記しましたが、長尾さんがお亡くなりになった日と、奥様がお亡くなりになった日は、数字の配列がまったく逆です。そして長尾さんの命日は、私の誕生日でもあります。いつの日にか、改めて、長尾一雄さんについて、書きたいと思っています。

2012年8月20日月曜日

8.25、伊福部昭作曲『交響頌偈 釈迦』演奏されます

「トロッタの会」の大きな精神的支柱と申し上げたい伊福部昭先生が作曲された『交響頌偈 釈迦』が、来る8月25日(土)、すみだトリフォニー・大ホールにて演奏されます。
「すみだ区民音楽祭2012」の第4ステージで、19時開演(18時30分開場)です。
内容は以下になりますが、2曲とも、指揮は甲田潤さんです。
入場無料ですので、ぜひお越しください。

第1部
松村禎三 作曲/甲田潤 編曲/林貫一 訳
『暁の讃歌』“Hymn to Aurora”〈リグ・ヴェーダ〉より(女声合唱版)

第2部
伊福部昭 作曲
『交響頌偈 釈迦』

*私がチラシに書きました曲解説です。

 第二次大戦後、今ほど日本に平和が求められている時はない。長引く経済不況、近隣諸国との関係悪化、そこへ地震、津波、原発事故が加わった。何かが起こるより、何も起こらないことのありがたさを、今ほど噛みしめたことはない。そんな時代にこそ、伊福部昭の『交響頌偈 釈迦』を演奏し、歌いたい。
 もともとは、釈迦の生涯を描く舞踊作品『人間釈迦』の伴奏音楽として、1953(昭和28)年、石井漠の振付によって発表された。そこから音楽を抽出し、オーケストラと混声四部合唱のための作品に編曲されたのが『交響頌偈 釈迦』である。初演は1988(昭和53)年。
 舞踊作品は全三幕で、第一幕『迦毘羅(かびら)城の饗宴』、第二幕『菩提樹の森』、第三幕『世尊太子の帰城』に分かれた。それを音楽作品は、第一楽章『カピラバスツの悉達多』、第二楽章『ブダガヤの降魔』、第三楽章『頌偈』としている。
 王の子として生まれたゆえ、貧しさとも飢えとも無縁に育つ釈迦。これでよいのかと悩み、旅に出て苦しい修業の末に悟りを開く。その境地が、第三楽章で、こう歌われている。
「諸仏は思議を超えたるものなり(数々の仏は、人の思いを超越したものである)」
「諸仏の法も亦思惟を超えたるものなり(数々の仏の教えもまた、人の考えを超えたものである)」
「それ故、是等思議・思惟を超えたるものを尊信するの境地は(だからこそ、こうした思いや考えを超えたものを尊び信じる境地は)」
「篤き信仰によりて甫[はじ]めて得られむ(篤い信仰によって、初めて求めることができるのだ)」
 原典は『南伝大蔵経』第六十五巻大王統史十七章五十六節。合唱譜の扉に伊福部本人が記した意訳を、さらに括弧内で平易にした。
 伊福部は、『人間釈迦』作曲の経緯をこう語っている。
「石井漠さんとは、1948(昭和23)年の『さまよえる群像』で初めてご一緒しました。敗戦後、日本人の価値観が崩れてしまい、欧米、特にアメリカのものなら何でもいいということになってしまった。これではいけないというので『さまよえる群像』を発表しました。その後、さらにスケールの大きなものをというので取り組んだのが『人間釈迦』だったのです。パーリ語の専門家に教えを請い、アクセントにも注意して作曲いたしました」
 戦後の伊福部は、石井漠との『人間釈迦』の他、貝谷八百子との『サロメ』(1948)、江口隆哉・宮操子との『プロメテの火』(1950)、『日本の太鼓〈鹿踊り〉』(1951)など、舞踊のための大曲を続けざまに発表していた。さらに、1963(昭和38)年の三隅研次監督作品『釈迦』でも音楽を担当し、舞踊曲に共通する主題を用いた。オーケストラ作品と合わせ、これら三曲の“釈迦”は、伊福部昭だから表せた、独自の宗教的音楽世界といえよう。
 世界の平和、永遠の平和を求めた釈迦。その一生を音楽で描いた伊福部昭。敗戦後とは異なるにせよ、渾沌として迷う人々の多い現代にこそ求めたい曲といえるだろう。
木部与巴仁(詩人/「トロッタの会」同人)

2012年8月19日日曜日

【トロッタ16へ向けて】

*以下は、サイトの第1ページに書いた文章です。

トロッタ16へ
夏が過ぎ、季節は秋になりました。皆様はいかがお過ごしでしたでしょう。
今年の夏を、私は満喫できていません。海水浴に行って、海面に浮かび上がれず、もがいていたような思いです。その分を、冬のトロッタ16にぶつけようかと思います。
12月9日(日)18時、早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定のトロッタ16では、以下の曲を予定しています。出演者については、未定の部分がありますので、追って、お知らせします。
ただ二点、今井重幸先生の『カスタネット協奏曲』(ピアノ四手連弾版)で、北海道より、カスタネット奏者・真貝裕司さんがお越しになること、テルミン奏者の大西ようこさんが、今井重幸先生の新曲(予定)で初参加されることを、前もって記します。どうぞ、お楽しみに。

■ 今井重幸・作曲『カスタネット協奏曲』(ピアノ四手連弾版) 
■ 大西ようこ(テルミン)企画/今井重幸・作曲 『(新曲)』編成等未定
■ 橘川琢 詩歌曲(木部与巴仁・詩)『死の花』
■ 今井重幸・編曲『ロルカのカンシオネス〈スペインの歌〉』「ソロンゴ」「かわいい巡礼たち」
■ 田中修一・作曲(木部与巴仁・詩)『石井康史氏追悼・ギター弾く人』
■ 酒井健吉・作曲『OUT』
■ 田中修一・作曲『エスノローグ1 “巨人〈ダイダラボウ〉”~木部与巴仁の詩に依る』
■ 田中隆司・作曲(宮澤賢治・詩)『永訣の朝』
■ 堀井友徳・作曲(木部与巴仁・詩)『無伴奏混声四部のための北方譚詩 第三番』 「1.夏 北緯四十三度の街」「2.秋 歓びの坂」「3.冬 吹雪」「4.春 花だより」
■ 宮﨑文香・作曲/田中修一・編曲(木部与巴仁・詩)『たびだち (新作詩による)』