●23日(金)の夜、甲田潤氏から電話あり、トークは行いましょう、とのこと。甲田氏も出て、私と喋る。『暁の讃歌』について調べておいてよかった。ひとりで喋ることを考えていたので、かけあいとなると、中身は薄くなるが、調べたことより、伊福部・松村両先生の弟子であり、今回は2曲とも指揮をする、主宰者甲田氏の実感ある言葉を聞いた方がよい。調べたことは、しょせん、調べたことだと思う。調べても演奏ができるわけではない。伊福部先生の本を書いた私は、その思いがあるので、トロッタの会を行っている。トロッタについてなら、いくらでも喋ることがあるが、それをしないで、一度でも新しいトロッタを開いた方がよい(それでも、書くことを否定しているわけではない。書くことでわかることがある。演奏していては決してわからないこと。調べることと実践することは、別物なのであろう。それに、調べること自体は好きだ)。
●午前中、甲田氏と会って、いろいろ話を聞き、トークの相談をする。甲田氏運転の車に同乗して、雑司ケ谷の東京音大から、すみだトリフォニーに近い錦糸町まで移動。その後、仕事やトークの準備があり、会場入りは16時。 他の方々は14時ごろから別会場でオーケストラと合わせていた。舞台設営を手伝い、17時から『釈迦』ゲネプロ(いつも思うのだが芝居のゲネプロとは意味合いが違う)。その後は『暁の讃歌』ゲネプロが18時25分まで。トークは18時45分ごろ開始。舞台に持って出るもの。『松村禎三 作曲家の言葉』、石井漠の言葉が載っている「週刊朝日」、それに甲田氏と打ち合わせて作ったメモ(曲の詩を印刷しておいた)。15分は喋っていないが、10分強の内容。ミスもあったが、台本のないフリートークなので、ミスがなければかえっておかしい。ありのままでよい。
●演奏は、よかったと思う。8年前、サントリーホールでの伊福部先生卒寿記念で演奏された時よりも、演奏の熱気という意味では、合唱、オーケストラともよかったのではないか。 甲田氏の無私の情熱が、その結果を生んだのだろう。もちろん、聴いた方々の印象は別である。皆さんが、(形容として)身を乗り出して熱心に聴いていてくださったようには感じた。以下、個人的な反省−−。
1)8年前は練習に毎回出た。しかし今回は数度しか出ていない。甲田氏に個人レッスンしてもらったのはよかったが。書かなければいけない原稿があった。結局、没原稿になると思うが。8年前にはトロッタもなかった。練習に使える時間があまりにも少なくなっていた。歌いきれたとは思うが、甲田氏の熱意に見合う態度を示せなかった。申し訳ない。
2)二楽章、Nivarana Jata Nivaranaの詩で、低いa(ラ)から上がって行く時、声がうまく響かない。歌の先生にレッスンしてもらった時は、それでよいということになったが、合唱になると響きが聴こえない。私にとっては低い音。しかし、もっとうまくできないものか。だから歌いきれたといっても、問題点は多いままだ。合唱なのだが、気持ちとしては、ソロとして大ホールに、小さな声でも大きな声でも響くように歌わなければ。
3)これは『交響頌偈 釈迦』について思うことだが、踊りの視覚性を伴わない一楽章を、どう解釈していいか、わかっていない。踊りがあれば過ぎてゆく時間を過ごせるだろうが、踊りがないと、変化に乏しい印象がある。しかし、指揮の甲田氏、演奏するオーケストラの方々にとっては、一音一音が変化なのだから、一楽章は合唱がないため、聴いているしかない者として、私が不明なのである。トークをするのでいろいろ調べたが、わかっていないことがあまりに多かった。『釈迦』については『タプカーラの彼方へ』で書いたが、あのころと今と、私の関心の方向がまったく違っている。今の私は、あの内容、書き方に不満だ。いっそ、全部書き直したいとすら思う。
4)舞台設営の際、すみだトリフォニーの係の方に、先日はどうもと、声をかけられた。3月に行われた日本音楽舞踊会議の公演でお世話になったスタッフの方だった。3月は小ホール、今回は大ホール。こちらにとっては違う場所だが、あちらにとっては同じ建物の場所なのだ。何に限らず、そのような出会いはうれしい。それを生かす生き方ができているのか。目の前のことにあわてふためくのではなく、もっと巨視的な態度が必要。いや、目の前にことにあわてふためいていいのかもしれない。ふためくしかないだろう。それが結果として、長い時間の人と人のつきあいにつながってゆく。
●午前中、甲田氏と会って、いろいろ話を聞き、トークの相談をする。甲田氏運転の車に同乗して、雑司ケ谷の東京音大から、すみだトリフォニーに近い錦糸町まで移動。その後、仕事やトークの準備があり、会場入りは16時。 他の方々は14時ごろから別会場でオーケストラと合わせていた。舞台設営を手伝い、17時から『釈迦』ゲネプロ(いつも思うのだが芝居のゲネプロとは意味合いが違う)。その後は『暁の讃歌』ゲネプロが18時25分まで。トークは18時45分ごろ開始。舞台に持って出るもの。『松村禎三 作曲家の言葉』、石井漠の言葉が載っている「週刊朝日」、それに甲田氏と打ち合わせて作ったメモ(曲の詩を印刷しておいた)。15分は喋っていないが、10分強の内容。ミスもあったが、台本のないフリートークなので、ミスがなければかえっておかしい。ありのままでよい。
●演奏は、よかったと思う。8年前、サントリーホールでの伊福部先生卒寿記念で演奏された時よりも、演奏の熱気という意味では、合唱、オーケストラともよかったのではないか。 甲田氏の無私の情熱が、その結果を生んだのだろう。もちろん、聴いた方々の印象は別である。皆さんが、(形容として)身を乗り出して熱心に聴いていてくださったようには感じた。以下、個人的な反省−−。
1)8年前は練習に毎回出た。しかし今回は数度しか出ていない。甲田氏に個人レッスンしてもらったのはよかったが。書かなければいけない原稿があった。結局、没原稿になると思うが。8年前にはトロッタもなかった。練習に使える時間があまりにも少なくなっていた。歌いきれたとは思うが、甲田氏の熱意に見合う態度を示せなかった。申し訳ない。
2)二楽章、Nivarana Jata Nivaranaの詩で、低いa(ラ)から上がって行く時、声がうまく響かない。歌の先生にレッスンしてもらった時は、それでよいということになったが、合唱になると響きが聴こえない。私にとっては低い音。しかし、もっとうまくできないものか。だから歌いきれたといっても、問題点は多いままだ。合唱なのだが、気持ちとしては、ソロとして大ホールに、小さな声でも大きな声でも響くように歌わなければ。
3)これは『交響頌偈 釈迦』について思うことだが、踊りの視覚性を伴わない一楽章を、どう解釈していいか、わかっていない。踊りがあれば過ぎてゆく時間を過ごせるだろうが、踊りがないと、変化に乏しい印象がある。しかし、指揮の甲田氏、演奏するオーケストラの方々にとっては、一音一音が変化なのだから、一楽章は合唱がないため、聴いているしかない者として、私が不明なのである。トークをするのでいろいろ調べたが、わかっていないことがあまりに多かった。『釈迦』については『タプカーラの彼方へ』で書いたが、あのころと今と、私の関心の方向がまったく違っている。今の私は、あの内容、書き方に不満だ。いっそ、全部書き直したいとすら思う。
4)舞台設営の際、すみだトリフォニーの係の方に、先日はどうもと、声をかけられた。3月に行われた日本音楽舞踊会議の公演でお世話になったスタッフの方だった。3月は小ホール、今回は大ホール。こちらにとっては違う場所だが、あちらにとっては同じ建物の場所なのだ。何に限らず、そのような出会いはうれしい。それを生かす生き方ができているのか。目の前のことにあわてふためくのではなく、もっと巨視的な態度が必要。いや、目の前にことにあわてふためいていいのかもしれない。ふためくしかないだろう。それが結果として、長い時間の人と人のつきあいにつながってゆく。
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