ここしばらく、滞っていました。まとめて書きます。
■YouTubeへのアップを、断片的に継続。新しくアップした曲は、以下のとおり。
酒井健吉さん作曲『唄う』(トロッタ2より)
田中修一さん作曲『ヴァイオリンとピアノのためのエグログ』(トロッタ2より)
たった今も、アップのための作業を行っています。
12月18日(月)、トロッタのサイトに、「記録映像」のページを新設しました。そこに挙げられた曲名から、直接、YouTubeの動画にリンクさせました。過去を振り返ると、いろいろと思うことがあります。できるだけ、曲数を増やしたいと思います。
■昨日12月19日(月)、慶応義塾大学の教授の石井康史さんがお亡くなりになりました。石井さんは、私が初めて共演したギタリストでした。トロッタに出演された打楽器奏者、内藤修央さんのお友達でもあります。ショックでした。その知らせは外で受けたのですが、帰宅すると、大家さんが亡くなっていました。老衰です。こちらもショックでした。阿佐ケ谷の住まいで、お世話になりました。今年は身近に感じる人がたくさん亡くなっており、そのことを考えない日はないのに、一日に二人も周囲の方が亡くなるとはと、心が乱れました(大家さんのお通夜は20日、石井さんのお別れ会は25日)。
■12月16日(金)、柳珠里さんが出演された、「年の瀬&クリスマスコンサート」を聴きに、練馬文化センター小ホールに出かけました。I部が「日本の四季を歌う」、II部が「クリスマスにちなんで」。柳さんは、独唱としてはI部で『からたちの花』を歌いました。II部ではアンドルー・ロイド・ウェッバー作曲『ピエ・イェズ』をお歌いでしたが、私は体調が悪くなり、I部のみで失礼しました。それでも約20曲の歌を聴き、考えることがいろいろとありました。
■12月17日(土)、3号も滞っていた「詩の通信VI」を発行しました。情けないことですが、目下、購読者は3名です。それもありがたいことだと思います。完全有料制にしたことが原因か。それとも詩がつまらないことが原因か。両方でしょうし、他にも理由があるかもしれません。《後記》3号分をまとめてご覧ください。もし、このブログをご覧になった方で、一号でも読みたいとお思いの方は、ご連絡ください。
【8号】トロッタ14が終了しました。お運びいただいたお客様には、感謝の気持ちでいっぱいです。メシアンの『世の終わりへの四重奏曲』を、詩唱を入れて演奏しました。クラリネット藤本彩花さん、ヴァイオリン戸塚ふみ代さん、チェロ香月圭佑さん、ピアノ森川あづささん、詩唱は中川博正さんでした。演奏されたのは第三楽章の抜粋と、一、四、七の各楽章です。中川さんには、メシアンかもしれない男、曲の初演に立ち会っている男、今は生きていないかもしれない男、死んで鳥になっている男、それらすべての性格を合わせ持った人物を演じていただきました。いつの日にか、全楽章を演奏する前提で、この〈『世の終わりへの四重奏曲』の記憶〉を取り上げたいと思います。音楽家は誰でもそうですが、メシアンは特に、どんな状況にあっても音楽を生きた人物に映ります。作った音楽だけでなく、鳥の声を通じて自然にある音楽にも心を傾けました。彼にとっての音楽は、自然にあるものなのでしょう。鳥の音楽も自然にあるものです。私にとってはどうだろうと思います。トロッタの〈『世の終わりへの四重奏曲』の記憶〉は、自然にある音楽を考える、私なりの試みの第一歩でした。雑誌「ギターの友」のため、田中修一氏と彼の曲『遺傳』について書き、そこで、『遺傳』の詩を書いた萩原朔太郎に触れました。朔太郎も音楽を愛し、マンドリンやギターを弾きました。マンドリン倶楽部を結成したり、作品が何か、今はわかりませんがオーケストラ伴奏で詩を詠んだりしていたようです。世田谷文学館の生誕一二五年展には、燕の姿を螺鈿細工したギターが展示され、示唆に富むものでした。生地の前橋に、いつか行ければと思います。次号第九号は、十号と同時発行されます。二〇一一年十二月十七日(土)
【9号】二年がかりで書いた二冊分の原稿が当面は没となり、それに代わる原稿を考えています。十年前、ある小説を書きました。それは近未来のインターネットカフェを舞台にした小説です。わけあって公開されませんでしたが、四百字詰め原稿用紙にして三百数十枚を完成させていたのです。それを見つめ直します。今の私の心境を反映させたものにします。元気いっぱいで、つまり無反省で、自分のことだけを考えればよかった、つまり他人の痛みを思いやれずにいたころは否定すらしていた、癒しの物語でありたいと思います。私自身、癒されたいし、癒しが必要です(ただ、癒しではなく他の言葉に言い換えられないか考えています。言葉自体には責任がなくても、癒しという言葉を商いに利用する人々がいることに不信感を持つので)。シンプルであること、余分なものができる限りないこと、コンピュータが世界と結びつく手段であること、そのために作られた空間がある、そのようなことを書こうと思います。つい先頃亡くなった、アップルの創業者、スティーヴ・ジョブズについて、書評を書くなどする過程で考えることがありました。ずっと以前から彼については考えていました。私は彼の礼賛者ではありません。しかし、彼を通してコンピュータとその文化について考えてきました。小説の題名は、旧来のとおりなら『電脳喫茶養生記』となります。「トロッタの会」も、コンピュータと無縁ではありません。強い勧めがあり、トロッタの演奏風景をYouTubeにアップし始めています。まだ数は少ないのですが、ご興味のある方は検索してご覧ください(その後、これまでに演奏した約半数にあたる約五十曲をアップできました)。今号は、次号第十号と同時発行されます。二〇一一年十二月十七日(土)
【10号】《後記》様々な理由がありますが、三号を同時にお送りする有り様です。申し訳ありません。「ぎたる弾く、ぎたる弾く、ひとりしおもへば、たそがれは音なくあゆみ、石造の都会、またその上を走る汽車、電車のたぐひ、それら音なくして過ぎゆくごとし、わが愛のごときも永遠の歩行をやめず、ゆくもかへるも、やさしくなみだにうるみ、ひとびとの瞳は街路にとぢらる。」萩原朔太郎『ぎたる弾くひと』の前半です。世田谷文学館の萩原朔太郎展を訪れ、朔太郎が詩と音楽について深い関心を抱いていたことを知りました。「作曲者以外に歌詞を作ることの出来るものはない筈である」「文学としての詩は、その中に音楽の所有する二部要素、即ち『歌詞』と『旋律』とを総合的に持たねばならない」(いずれも「詩と音楽の関係」より)というような考えを持っていたことも知りました。私は前者に不同意、後者に同意です。彼が音楽の挫折者であったことも知りました。挫折者であったとは、行為する人であった証拠です。レコードだけ聴く人に挫折はありません。このような彼を研究しようとは思いません。彼の考えに正解不正解はないはずです。トロッタの活動にも結論は出ていません。むしろ、出すまい、必要ないと思っています。答えが出ているなら活動しなくてよく、答えなど求めない本能的活動こそしたいと思うからです。私が答えを出しても、見方を変えれば別の答えが出るはずで、それはきりがないことです。朔太郎も、本能の人であったようです。更科源蔵と伊福部昭先生のような、詩人と作曲者の関係を、朔太郎は持ちませんでした。身近に作曲者がいたら彼はどう考え、どう行動したでしょうか。次号第十一号は、二〇一一年十二月二十六日(月)発行予定です。二〇一一年十二月十七日(土)
■12月18日(日)、神奈川邦楽合奏団 第3回定期演奏会にて、田中修一氏の『ダンツァ・ブルレスカ』が演奏され、田中氏自ら指揮をされました。横浜みなとみらい小ホールに、私もうかがいました。この日もいろいろと考えることがありました。トロッタの会を通して、私自身もその中に身を置いているわけですが、一曲一曲を完成させて人前に披露することの意味。それはとりもなおさず、人生を刻んでいることに他なりません。トロッタも14回を終えて15回目に向かっています。記憶の濃淡はありますが、それでも起こったことはすべて覚えています。YouTubeのための作業を通じて、振り返ることも多く、2007年以来のトロッタの歩みを、じっくり考えてみたいと思っています(前はトロッタの原稿を書く、という考えを抱きました。まだ、捨てていません)。
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