2011年5月21日土曜日

トロッタ13通信(36/5月21日分)

(其の六十三)
■ 堀井友徳
 堀井友徳のトロッタ参加は二度目だが、これから先も長く共同作業ができればと思っている。何度か書いたことだが、堀井友徳は、彼が学生時代から知っている。伊福部昭の弟子として、東京音大に在学していた。伊福部の演奏会で会ったし、それは東京だけでなく札幌にも及んだ。作曲家だから当然だが、彼の曲が演奏される機会もあって、立ち合うことができた。長く東京にいたが、今は郷里の苫小牧にいる。そこからトロッタに参加してくれている。その思いに応えるだけの準備をしたいと、常に思っている。
『北方譚詩』シリーズについても、すでに書いた。堀井の創作態度は正攻法である。詩が先にあり、それを受けて曲を書く。正攻法というのは正統ということであり、音楽でいえばクラシック、基準であり標準であり規範ということにつながるだろう。古典様式を尊重する態度は、当然だが、歴史の流れの上に立つ。過去があったから今の自分があり、未来に継承する役目も担うと自覚する。過去は関係ない、今の自分だけがある、この先がどうなっても知らない、というわけではないのだ(過去と切れ、未来と切れる人間などひとりもいない。しかし個人の態度において、歴史意識の濃淡はある)。その意味で、彼の『北方譚詩』には、師の伊福部昭から受け継いだ要素がこめられているだろう。すべてではない。しかし伊福部の教えの上に立って、堀井友徳とは何かということを、音楽にしている。
 伊福部にはなかった、二十一世紀の精神がある(それが何で、どこをさすのかということは、今後に考えることだ。しかし、濃度はともかく、あるだろう。彼は二十一世紀を生きているのだから)。堀井友徳という個人の歴史がある。彼の歴史は彼の精神であり、体験であり、思想だ(堀井とはまだ、住む場所も離れているので、生活面のことなどを語る機会を持たないでいる。しかし、それで不足かというと、そうではない。不自由でも互いに、何とか曲を創ろうとするのが、創作の意思を抱えた者の態度だろう。ファブリツィーオ・フェスタとも、イタリアと日本に離れたまま、『神羽殺人事件』を創っている)。また第十一回のトロッタで、堀井が初めて歌を創る機会に、私は詩を提供できた。私の詩だが、堀井の曲になっている。詩を膨らませてくれている。言葉の意味を、音楽にのせて膨らませ、聴く人々に届けてくれた(すでに何度も書いたことで、まだ答えを得ていないが、堀井の曲に、詩と音楽の良好な関係を見ることができる。詩があって歌があるという、歴史的な関係に立って作曲されているから、疑問を持つ必要がない。曲ができれば演奏者に託すわけで、それは演奏者への信頼にもつながる。聴衆への信頼にもつながる)。

(其の六十四)
 私の中にも、正攻法の態度がある。それは詳述しないで論じよう。正攻法で正統だといっても、手を汚さないで、あるいは血を流さないで様式だけ重んじているだけかというと、それは違う。堀井がそうだというのではなく、まず私がそうだ(そう断言するほど、私は正統派ではないのだが、それはともかく)。

●『ムーヴメントNo.4』
 例えばこの日、田中修一の『ムーヴメント No.4』を、出演者全員で合わせた。その場にいた誰が、安泰した生活の上に立って、音を出していたか。そんな者はひとりもいないだろう。私は出演を願った側だが、彼ら彼女らは出演することを了としてくれた。私には何の強制力もない。とすると、彼ら彼女らの意思で、そこにいたわけだ。音楽とは関係のない仕事をしながら、音楽の道を歩もうとする者もある。そこまでして、ということであり、その上で『ムーヴメントNo.4』が演奏される事実を、私は重く受けとめている。
 田中修一も伊福部昭の弟子であり、彼の曲に伊福部の要素は濃い。流れを汲んだ曲である。伊福部の口から田中のことが話されるのを、私は聞いている。田中の態度も正攻法であり、師の教えを受け継いで自分の音楽世界を表わそうとする姿に、歴史性や時間の意識を感じている。田中修一の音楽を聴きながら、伊福部昭を聴くことにもなる。弟子を通じてなお存在を感じさせる、伊福部昭の強さ、大きさを思うかもしれない。しかし、(伊福部を軽んじるわけではなく)私が聴いているのは、あるいは私が出演して声を発しているのは、田中修一の曲であってそれ以外の何ものでもない。田中の曲は、伊福部の曲に似ているかも知れない。だが、演奏者が、自分たちの世界を表現するだろう。その時点ですでに、歴史は移っている。伊福部昭の次の時代に。時代性は先に送られている。
 ありふれた例だが、モーツァルトを21世紀に演奏する。それはアマデウスが生きた時代の音楽ではない。21世紀の表現にほかならない。田中修一の曲に伊福部昭を感じる。しかし演奏された時点で、たとえ似ていても、それは伊福部の音楽ではない、田中修一の音楽だ。次の時代の音楽なのである。どう表現するか。前時代にとどめるか、次世代に送れるか、それは演奏家にかかっているのではないか?
 堀井友徳を語ろうとしながら田中修一の話になったが、堀井について語りたいことは同じである。私は堀井の曲に出ていないので、出演曲として実感を得ている田中修一の『ムーヴメントNo.4』を例にあげさせてもらった。直接語れないじれったさを感じているが、その機会はいずれ来る。堀井からはすでに(田中もそうだが)、第十四回「トロッタの会」で演奏する曲の希望を受け取っている。互いの二十一世紀精神が、さらに深まればいい。
 短く、私の意思を書いておく。時代と無縁の音楽を作る気は、私にはまったくない。東日本大震災が起こり、原発事故があった。そのような時代の音楽を、私は意識している。あえて“時代を撃つ”などという表現をする必要はない。“撃つ”などと表現する自己満足意識に、私は与(くみ)しない。

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