2010年2月24日水曜日

「トロッタ通信 11-」

後ほど更新いたします。

「11へ」;56

後ほどご報告いたします。

2010年2月23日火曜日

「11へ」;55

「トロッタ通信 11」の遅れを取り戻しました。
今日は、「人形の夜」の合わせを、少しでもできそうです。私が加わらない形で、「ムーヴメント2」の合わせが行われます。

今夜、私は「人形の夜」と「「いのち」より」の合わせに参加しました。同時刻、別の場所では「ムーヴメント2」の合わせが行われました。

「トロッタ通信 11-6」を全文アップしました。

「トロッタ通信 11-45」

私がインスピレーションを得た木彫家の作品には、あるタイトルがついています。私が受けた印象とまったく違います。私はタイトルを見て、この人形を選んだわけではありません。タイトルとは無縁に選びました。純粋に、人形としてよいと思ったのです。今のタイトルにとらわれていたら、この人形から詩を書こうとは思わなかったかもしれません。作家は自由なタイトルをつけるし、見る側も自由に見るものです。しばしば、絵に“無題”とつける方がおられますが、気持ちはわかります。また、詩にしても、タイトルはほとんどの場合、後からつけるので、本当は“無題”でもいいようなものです。誰にも先入観を与えたくないという思いが、私にもあります。

長谷部二郎先生は、『人形の夜』のために、『風のざわめき』という曲を用意されました。10年前にお書きになったギター合奏曲です。これを改作して、ギターと弦楽四重奏のための『人形の夜』にしようという構想です。

すべて聴いてはいませんが、主題から判断しますと、非常に繊細な、風のざわめきとは、こういうものであろうかと想像できる曲でした。--ただ、木彫りの人形のことで前述しましたように、タイトルと作品それ自体から受ける印象は異なります。『風のざわめき』が『人形の夜』になる、ということもありますので、曲を聴いた誰もが、風のざわめきを想像するかどうかはわかりません。とりあえず、私としては、この曲は『人形の夜』だと思って演奏に臨みます。(42回/2.21分 2.23アップ)


ギターという楽器は、非常に繊細です。『人形の夜』自体、繊細な詩です。私の詩唱も、繊細にしなければと思います。詩唱、朗読を始めたころは、やはり、大きな声でということを心がけていました。肉声を伝えたいため、マイクを用いることは避けたいので、まず声が通らないとお話しにならないと思っていました。その思いはまったく変わりませんが、詩唱する作品の数が多くなると、やはり大きな声だけでは通用しなくなってきます。私自身が、もっといろいろとできるのではと、工夫を始めるようになりました。当然、繊細な表現も試みたいのです。だからといって、マイクを握ろうとは思いません。肉声で、繊細で、雰囲気があり、楽器とともに詩唱してじゅうぶんに聴こえる。そういった目標を持っています。

具体的にいえば、『人形の夜』は夜と朝の場面に分かれます。一連から三連が夜、深夜の風景。最後の四連が、朝の風景です。これを分けられればと思います。その上で、風景の描写に終わらない詩唱ができればいいのです。

頼るようですが、もう一度、天本英世氏の『スペイン巡礼』を引用します。

「……フラメンコというものは非常にとっつきにくいものであります。何でとっつきにくいかと申しますと、メロディをほとんど感じることができません。リズムを刻んでいるだけのようです。ここにフラメンコの難しさがありまして、メロディがないということはどういうことかといいますと、つまり、甘さがまったくないということであります。……フラメンコのメロディは覚えることができません。覚えることができないということは飽きることがないのでありまして、フラメンコというものは、非常にとっつきにくいものである代りに、これが人間の体の中に入り、心の中に入りますと、決して離れていくことはありません。……つまり、フラメンコというものは、魂だけの音楽というようなものであります。……これは非常な苦しみを持った人間、魂の苦しみを持った人間、生きることの苦しみを持った人間、悲しみに閉ざされた人間、こういう人間にたいへん救いとなる音楽なのであります」

ここまでの表現が私にできるかと思います。しかし、目標は、ここにありたいと思います。救い--。『人形の夜』が、どんな救いの力を発揮できるのか。そもそも、救いという言葉をあてはめられる詩なのか。単に幻想的な光景を詩にしただけではないのか? だとしたら、実につまらないことです。『人形の夜』は、そんな詩ではありません。(43回/2.22分 2.23アップ)

木彫家の作品、木彫りの人形に、私自身が救いを感じました。だから、詩にしたいと思いました。詩にすることで、私自身が、救いを感じました。

救いには、いくつかの種類があると思います。

現実逃避。--現実があまりに辛いなら、逃避してもいいでしょう。最も有効な逃避は、死です。自殺など逃げだという声もありますが、死すら考える人の苦しみは、他人には理解できないと思います。もちろん、自殺は肯定しません。しかし、死にたいほどの苦しみというものはあるでしょう。

救済。--苦しみが救えるなら、それがいちばんいいことだと思います。他者を救いたいと、私も思います。かつて、四肢がきかずに寝たきりの方のボランティアをしたことがあります。しかし、救いたい、力になりたい、務めを果たしたいという思いが、その方にとって、押しつけになったようです。ある時、亡くなりました。私と会っていなければ、もっと生きたのではないかと思います。『人形の夜』は、他者に救済をもたらすでしょうか。そこまでの力がある詩でしょうか。結局、第三連が、鍵です。


重かったり軽かったり

隠れた両手に

男の生命(いのち)を抱いている

死んでいった男たち


ここだけは、風景ではありません。貴婦人の心のうちです。彼女は女として、これまで多くの男を愛してきたのでしょう。また愛されてきたのでしょう。この世の誰もが、愛し、愛され、しかし思いはなかなかかなわず、苦しんでいます。愛したと思っても次の瞬間には愛しておらず、愛されたと思っても次の瞬間には愛されていない。そのような人の心が、ここで表現できていなければ、人形の夜は、ただの風景描写、幻想詩に終わります。

高揚。--自分の心に届く作品に接すると、それが音楽であれ文学であれ美術であれ、心が高ぶります。死にたいほどの苦しみに直面していないせいかもしれませんが、私の疲れや苦しみは、高揚感で克服できる場合が多いようです。木彫りの人形に、私は高揚しました。それが詩『人形の夜』に結びつきました。

克服。--自分で、苦しみを打破すること。この意志の力こそが有効だと、第三者のようにいえれば、最もよいことです。今の私には、詩を書き、音楽をすることしかありません。苦しみを、詩と音楽で克服すること。ちらりと、自分の救済のために「トロッタの会」をしているのか? と、皮肉が頭をもたげます。その側面はあるでしょう。正直になれば、そういうことかもしれません。お客様に、楽しみを分けて差し上げるほど、私はすぐれた人間ではないと思います。ボランティアの方が亡くなったことを、今も思い出します。(44回/2.23分 2.23アップ)


『人形の夜』の合わせを、今夜、いたしました。まだ、曲をつかんでいません。何をどう詠めばいいか、わかっていないのです。私が書いた詩ですが、詩と音楽は違います。音楽が入った時点で、もう私の作品ではなく、長谷部二郎先生の作品です。演奏家の作品でもあります。そこに私の声も入っているわけですが、私もまた、詩とは別の作品にしなければなりません。自然と違う作品になるはずです。何よりも、ギターの繊細な音色を、私は聴かなければと思います。まだ、聴いていません。楽器とからんでいないことを痛感しています。からんでいなければ、音楽になりません。

詩と音楽といいますが、併置してあるわけではなく、どちらからも融け合った状態を理想としています。音楽、という言葉に、私の詩は含まれていたいと思います。音楽作品でありたいと思います。

逆に、詩の中に、音楽はあるでしょうか? あるとは思いますが、それは私がひとりで書いた詩を、ひいき目に見た場合です。トロッタの音楽は、作曲家が創る以上、音楽としてあるので、詩として独立しないと思っています。繰り返しますが、トロッタ11で初演する『人形の夜』は、長谷部二郎先生の作品であり、演奏家諸氏の作品です。木部与巴仁の作品云々とは、もう私自身が考えていません。大袈裟ないい方をすれば、身を捨てた時、見えてくる世界があると、思っています。「詠み人知らず」でいいくらいです。(45回/2.24分 2.23アップ)

2010年2月22日月曜日

「11へ」;54

清道洋一さんから、早朝、メールが来ていまして、『「いのち」より』のパート譜が添付されていました。
長谷部二郎先生と阿佐ヶ谷駅で会い、『人形の夜』の譜面をいただきました。
今井重幸先生と荻窪で会い、『神々の履歴書』の楽譜をいただきました。
関係者に、楽譜などを送りました。
スタジオリリカで、橘川琢さん、森川あづささんと、『うつろい』を合わせました。
橘川さんに、配布用のチラシを600枚、預けました。

「トロッタ通信 11-41」

6) 長谷部二郎さんと「人形の夜」


清道洋一さんの章から連続するようなテーマになります。

学生時代、天本英世氏の朗読を聴きました。何度か聴いたのですが、フラメンコギターの蒲谷照雄氏と共に、私の通っていた大学に現われ、講演をし、ロルカの詩を詠んだ姿が、最も記憶に残っています。

詩の朗詠、あるいは朗唱としては、やはり学生時代ですが、天本氏以前に聴いた、寺山修司氏の朗読が鮮烈でした。寺山氏は、舞踏家の踊りと共に詠みました。女子大でしたが、男性舞踏家が全裸だったので、聴衆が皆、目をそむけていた姿が忘れられません。どうということはないと思いますが。

天本氏を朗詠、朗唱といい、寺山氏を朗読というのは、個人的にはニュアンスを変えていますが、はっきりしたものではありません。感覚です。音楽を伴っているかどうか。それ自体が音楽的であるかどうか。歌に近いかどうか。いろいろなことを考えながら使い分けています。私の場合は、詩唱、というわけです。そして楽器というなら、詩にはやはりギターが、最もふさわしいでしょうか。ふさわしすぎるので、清道氏のように、弾きながら詠むだけならシンガーソングライターと変わらないという意見も出るわけです。当然だと思います。

映画俳優として、子どもの頃から親しんできた天本氏でしたが、その彼が朗読者であることを知ったのは、大学生になってからです。友人のTが教えてくれました。今もそうですが、新宿駅周辺を歩くことが多かったのです。ある日、Tがいいました。

「天本英世、よく新宿を歩いてるよ。黒いマントを羽織って。目立つよ」

その後、私も何度か見かけました。確かに目立ちました。長身で、痩身で、真っ黒なマントを羽織り、ブーツを履いていました。Tは、天本氏がロルカの詩を朗読しているとも教えてくれました。しかし、その時の私は、詩人で劇作家で、作曲家でもあったロルカのことをまったく知りませんでした。今でも、知っているとはいえないと思います。(39回/2.18分 2.22アップ)


「スペイン全土を巡る」と副題された『スペイン巡礼』を天本氏が刊行したのは、1980年のことでした。これを記念する形で、天本氏がテレビに出て語る機会がありました。ちょうど、芝居の公演を終えたところで、関係者の家におり、見逃して無念だったことを覚えています。

『スペイン巡礼』は、何度も繰り返して読みました。続いて出た『スペイン回想 「スペイン巡礼」を補遺する』も、繰り返して読みました。そこに、私の大学での講演記録が、そっくり載っています。その一節を、私は心に刻んでいます。

「……フラメンコというのは、日本では誤解されていまして、ガチャガチャした騒がしいようなものと一般には考えられています。もう一つの誤解は、フラメンコというのはギターだと思われていることです。さらにもう一つの誤解は、フラメンコは踊りだと思っている人がいることです。/これはすべて大変な誤解でありまして、本当のフラメンコは何であるかといいますと、これは唄であります。フラメンコというのは、遠い昔にはまず唄だけがあったのであります。まったく楽器の伴奏のない、無伴奏の唄だけがあったのであります。貧苦に苦しむ圧迫されたジプシーが、自分の生きていく苦しみをうなるように唄う、この唄だけがあったのであります」

このようなことを、学生に向かって語ってくれた天本氏に感謝します。

引き写していて、我が身を省みました。私は、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩にしているでしょうか? トロッタの舞台で、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩唱しているでしょうか? 疑問です。(40回/2.19分 2.22アップ)


昨年から、ギターを習うことにしました。先生は、長谷部二郎先生です。習い始めてすぐ、長谷部先生に、トロッタ11にご参加いただくことになりました。先生には、自作を発表したいというお気持ちがあったのです。

ギターは習い始めましたが、清道さんの表現を借りれば、私は、シンガーソングライターのように歌う気はまったくありません。気持ちよくなるのはけっこうなことだと思いますが、天本氏がいうように、ジプシーのように、自分の苦しみをやむにやまれず唄っている人がいる一方で、日本にも、唄わないまでも、日々の苦しみを抱えている人が多くいる状況下、ギターを弾いてひとりだけ気持ちよくなろうとは思いません。もちろん、苦しみの押し売りなどはしないことです。

長谷部先生と、どんな曲がよいか相談するうち、できたのが、『人形の夜』という詩でした。短い詩です。


人形の夜


木部与巴仁


コツコツと音をたて

マントの裾をなびかせて

夜になると踊っている

黒い貴婦人


閉じない瞳が

闇の中で光っている

静かに青く

前だけをみつめている


重かったり軽かったり

隠れた両手に

男の生命(いのち)を抱いている

死んでいった男たち


朝になれば

窓辺にじっと置かれている

黒い貴婦人

ただ一個の木偶(でく)として

夜になると踊っている

コツコツ コツコツ

音をたて


この詩の人形は、ある木彫家の作品集に登場します。作家が、自身の「黒い貴婦人」を踊らせていたかどうかはわかりません。私には、マントを着て踊っているように見えました。改めて見ますと、天本英世氏を引用したから思うのでしょうが、ちょっと、フラメンコの匂いが感じられる人形です。苦しみを唄っているかどうかはわかりません。しかし、女性も男性も、長く生きれば生きるほど、心に苦しみを抱えるようになるでしょう。苦しんだまま生きているでしょう。苦しみは、なかなか人にはいえないものです。いえないから苦しいわけです。そのような貴婦人が、夜になるとひとりで踊っている。朝になると、人形としてじっとしている。また夜になると……。

そんな不思議さが表現できればいいと思います。(41回/2.20分 2.22アップ)

2010年2月18日木曜日

「11へ」;53

「トロッタ通信 11」、ここ1週間の分をまとめて書きました。清道洋一さんに関する文章です。
「11へ」が、やはり1週間分、抜けてしまったのは残念ですが、過ぎてしまったことです。先に進みます。

「詩の通信IV」第14号を、全読者分、発送しました。予定どおりなら、15号を、今度の月曜日に発送しなければなりません。風邪の影響は実に大きいものです。

2010年2月17日水曜日

「トロッタ通信 11-38」

トロッタ11のために清道洋一さんが採り上げてくださいました私の詩は、『いのち』です。この詩は、『詩の通信』の第I期、2006年7月7日(月)発行分の第18号に発表したものです。正直申し上げて、この詩が音楽になるとは予想していませんでした。第I期発行当時は「トロッタの会」を始めておらず楽曲化を想定、あるいは期待して、詩を書いてはいなかったからです。“詩唱”ではなく、ひとりで行う“朗読”は、心に期していました。そして、トロッタのように常に動こうしているグループにあって、もう4年前の詩に、清道さんが着目してくださるとも思いませんでした。

私の意識は、新作の詩を書くことに向いています。時に、例えば朗読の会があり、そこに参加するような場合は、過去の作品を振り返ることがあります。過去の作品に息吹を吹き込もうと思うからです。過去の作品も生きており、その時々で解釈、詠み方が異なります。ですから、清道さんが『いのち』に注目してくださったことも、詩は生きている観点からして、当然といえばいえるのですが。

『いのち』を書いた当時、私は『新宿に安土城が建つ』という作品を形にしようとしていました。二度目の演奏機会を迎えていたと思います。今思えば、この作品は私の歩みにおいて、画期的でした。また、演奏できればと思います。

その一方で、どんな詩を書けばいいか、どんな詩を書けるのか、模索していました。模索は今もしていますが、自分のスタイル、自分だけのスタイル、自分にしか書けないこと、自分が書きたいこと、自分がいちばん正直でいられる詩の世界、というようなことを考えていたと思います。そしてある詩人と会い、話をし、詩人が私にいってくださった、あることをもっとだと思い、あることに反発し、これまで書いた詩は全部捨てよといわれ、『いのち』以前の別の詩を送って、こういうものが詩ですといわれ、そして『いのち』を書くに至った、というようなことがありました。その模索期に書いた詩が、『いのち』です。

ですので、音楽になることとは別に、『いのち』には私なりの感慨を持っており、それを清道さんが採り上げてくださったことが、意外であり、うれしくもありました。(31回/2.10分 2.18アップ)


毎回、いろいろな趣向を凝らす清道さんですが、『いのち』もまた変わった曲になっています。

とはいえ、私は、彼が趣向のための趣向を求めているとは思っていません。趣向という言葉は便宜上、使いました。音の形、という表現がより正確であり、テーマとしての音の形ともいいたく、技法といってしまっていいかもしれません。

メールのやりとりはプライベートなものなので、さしさわりのないよう、手を入れながら書いてまいります。原文のままではありません。

清道さんから、こんなメールをいただいたのは、1月8日(火)のことでした。詩唱者として、トロッタ11に、中川博正さんにも御参加いただきたいてよいかという質問、皆さんに送った返信です。


〈『いのち』は、演奏者を含めて会場全体で“朗読”を試みる作品として構想しています。中川さんにも参加していただければと思います〉


続いて、清道さんは、チラシに載せるための、こんな曲解説を送ってくださいました。


〈「詩」を詩人から,詩唱から,音楽から解放し,自然な姿であろう個人が声に出して読み味わうということに着目してみた。

こうした個々の作業とは別に,木部与巴仁の詩「いのち」を共有し,詩唱が,音楽が,鑑賞者がそれぞれの立場で一堂に会することで,誰もが表現者となること,聴衆が不在となることを期待し,この場にいない不特定の聴衆あるいは鑑賞者へ向けてこの状況の発信を試みること,以上が創作意図である〉


『いのち』は、私の手を離れて自由になるようです。会場にいる方全員の共有物となるようです。誰もが表現者となるようです。聴衆は不在となり、演奏者のみが存在するようです。清道洋一さんのものですらなくなるのでしょう。(32回/2.11分 2.18アップ)


昨年末から、私はギターを習い始めました。今年の初夏、ある会で演奏する予定で、習おうと思ったのです。自分でギターを弾き、詩唱する。この発想は、私にとって画期的でしたが、残念ながら、この原稿を書いている時点で、企画は取りやめとなりました。しかし、ギターはギターで楽器として独立した奥深いものですし、ギターを弾きながら詩唱することに、私は意義を感じていますから、練習は続けてまいります。

私は、取りやめになった会で演奏する曲を、清道さんに書いていただけないか頼みました。彼は快諾してくださいました。私のギター演奏が中止となった時点で、1月23日(水)、清道さんからメールが届きました。箇条書きで紹介します。


1) ギターを弾きながら詠むスタイルは、技術の問題とは別に、音と言葉の関係に思いを至らせる。


2) 音楽の役割、詠むまたは演奏するという行為、これらの関係を不明確にしようと思う。弾きながら詠むスタイルは、シンガーソングライターと変わらない。詩にリズムと音をつけ、弾きながら歌い、語るスタイルは、作曲者としての自分が考える、詩と音楽の関係と違っている。


3) 詩として完成している作品を歌にすることに疑問を感じてきた。それが、歌曲に積極的になれなかった理由である。歌にすることで、個人の鑑賞の自由を制限してしまうことが問題だ。


ここまでの清道さんの考えに、私は同感です。シンガーソングライターの歌は、あまりに気持ちよすぎます。聴く人にとってというより、演奏する人にとって。

もちろん、過去には吟遊詩人がいました。長い時代を経て、形を変えながら、詩を書き、歌い、語る営みが続いていることを知っています。私も、吟遊詩人に憧れを抱いています。抱きながら、清道さんが考えていることに、共感をするのです。現代人として。(33回/2.12分 2.18アップ)


清道さんの手紙は続きます。


4) 朗読について、3人いれば3人の、100人いれば100人の詠み方があるはずだ。お客様は自分と異なる詠み方に出会った場合、歌の場合よりも大きな違和感を感じるだろう。


清道さんのいうことはわかります。歌の場合も、人によって、特に歌を歌っている人には、他人の歌に違和感を覚えるでしょう。私の詩唱、それを朗読として、芝居をしている人などが聴くと、とても大きな違和感を感じているのではないでしょうか。違和感を感じさせないほどの圧倒的な力を、私の詩唱が獲得していないゆえ。

先ほど、シンガーソングライターという言葉が出てきましたが、その歌い方がよいと思っている人には、イタリア・オペラのベルカント唱法など、なんて大袈裟な歌い方だと思われて当然です。逆の立場からいえば、発声のなっていない歌だということになります。流儀の違いは、他者を否定することにつながってしまいます。それは、やはり不幸なことでしょう。


5) トロッタでは、その違和感を減らすため、複数の朗読を対比させたり、演劇のように構成し、あるいは動きをつけることで、詠み方に制約を加えてきた。詩と音楽、どちらが主でも従でもなく、対立や対比をされるものでもなく、一体で一つの塊にすることを試みるものであった。


トロッタの詩唱者は、まず私ですから、これを読んだ時、清道さんが私に与えてくれていたのは、“制約”であったのかと思いました。そうは思っていなかったのです。『椅子のない映画館』『ナホトカ音楽院』『蛇』『アルメイダ』『主題と変奏、あるいはBGMの効用について』でも、私は自由を感じていました。“制約”という言葉を使うなら、“制約”されることで生まれる自由、ということでしょうか。(34回/2.13分 2.18アップ)


6) 『いのち』は、聴衆であり受け手であるお客様を、何とか巻きこみ、発信元にしたい。ステージ上の詩人以外が声に出して『いのち』を読む。詩人はこれを聞く。全体の半分以上、詩人は受け手になっている。鑑賞者は全員表現者となり、会場には受け手がいない。すべての境界を取り払ったアナーキーな状態がベスト。


清道さんの手紙は、このような内容で締めくくられていました。

清道さんは、劇団、萬國四季協會で活躍しているので、音楽と演劇の両方に、発想の根があると感じます。音楽性の追究だけでは満足できません。音楽性を追究するだけでも大変ですし、それは人が一生をかけてなお不十分なものです。演劇もまた同様ですが、その音楽と演劇の両方を考え、それは別にではなく、一緒に考えることで、清道洋一の表現というものを考えています。まさに、アナーキーです。安住しません。従って、安心感も得られません。これでいいということがないのです。他人がこういっているからこれでいいという、お手本のない世界に、彼はいます。

清道さんは、当初に予定していた『いのち』という、詩そのものの曲名ではなく、『「いのち」より』にしたいと、後で訂正を申し出ました。木部与巴仁の『いのち』をもとに、清道洋一の『いのち』を創りたいと思ったのでしょうか?

送られてきた楽譜の表紙に、こんな言葉が書かれていました。


「聴衆は表現者となって、どこかに居るであろう不特定多数の『聴衆』へ向かって、発信を試みる」


見えない聴衆は、現実には、おそらく、どこにもいません。いない聴衆に向かって、彼は発信しようというのです。舞台上の演奏家が、客席にいる聴衆に向かって何事かを行うのが音楽、音楽会であり、そこで表現が完結、完成するとすれば、彼は完結も完成も期していないことになります。

トロッタ8の『蛇』で、曲の終わりになって、私は舞台から飛び降り、蛇となって場外に駆け出して行きました。かつて、私も芝居をしていましたが、非常に演劇的だと感じます。それは一種の演劇論であり、劇場論でもあります。

劇場だけで芝居は終わらない。観客が劇場を離れ、家に帰ってもなお、芝居は続いている。劇場は劇場空間だけに閉ざされておらず、街路にまで解放されている。

常に、そのようなことを考えていた私です。音楽についても、同様の考え方をしています。清道さんと共通することが、おそらくは多いと思っています。(35回/2.14分 2.18アップ)


結局、生き方の問題なのだと思います。

音楽性を純粋に追究しようとする。

音楽の枠にとらわれない表現を追究しようとする。

どちらも、立派な表現です。完成度は、後者が低くなると思います。しかし、完成を期さない、未完成でもよい、考え方を表現したいと思う。これも立派な表現です。コンセプチュアル、概念的、観念的であるとの批判を受けるでしょう。完成度が低いのに満足している、と。いや、満足をしていないのです。このあたりで、根本的な相違が生まれることになります。

決して、下手な演奏を聴かせて満足するわけではありません。それは、お聴きいただく方に失礼です。一生懸命に演奏します。練習もします。しかし、何のミスもなくできたからといって、よかったと思わないということ。もう少し、違うところをめざしているのです。

そもそも、清道さんは『「いのち」より』で、お客様にも詩を詠んでいただこうとしています。こういう参加型の表現は、なかなかうまくいきません。舞台に立つ側は、何が行われるかわかっており、練習もしていますが、お客様は初めてであり、まず、心の準備ができていません。聴こうと思って受け身でお越しになっています。表現として声を出すということは、非常に難しいと思います。間違えるのではないか、とんでもない声が出たらどうしよう。どちらも、そうなってかまわないのですが、皆さん、怖れを抱いてしまいます。それを拭い去って舞台に引きつけていく技術は、なかなか得られるものではありません。

清道さんも、それはわかっているでしょう。わかっていて、なお確信的にそうしたいと思うのですから、誰も止められません。生き方を止せというようなものです。(36回/2.15分 2.18アップ)


2月15日(月)、西荻窪の奇聞屋で、『「いのち」より』を初めて練習しました。中川博正さんが、重要な役を務めます。聴衆に語りかけ、参加をうながしていくのです。私が新聞紙に包まれてじっとしている間、彼は詩を詠みます。楽器も演奏されています。どう詠めばいいのか。これまでのトロッタで私がしていたことを、中川さんがしているようなものです。

まず、段取りのややこしさを感じましたが、中川さんは、非常にとまどっていました。どう詠むか? これがわかりません。私もわかりません。清道さんにはわかっているかもしれませんが、彼にしても、本当はわからないのではないでしょうか? わかってしまっているようなことを、彼は要求していないはずですから。練習を重ねて、探っていくしかないのです。探る過程、そのひとつの形を、本番でご覧にいれることになるはずです。誤解を恐れずいえば、それは完成形ではありません。トロッタ11のプログラムをご覧ください。『「いのち」より』の前は、田中修一さんの『ムーヴメントNo.2』です。『「いのち」より』の後は、今井重幸先生の『神々の履歴書』です。どちらの作曲家も、完成度をめざしています。-お断りしておきますが、清道さんが完成度をめざしていないとは書いていないことに御注意ください-その間にはさまれた、清道洋一さんの曲。トロッタには、さまざまなタイプの作曲家と作品があります。それでいいと思っています。前後の作品が共振し合って、あれもいいが、これもいい、あれがいいのなら、これのよさは何なのか、あれを音楽というなら、これは音楽ではないのか、そのような疑問が生じることを期待します。音楽を解体せよとはいいません。解体されるべきは、私たちの安心感、先入観、動かない価値観だと思います。清道さんの曲が、他のスタイルの曲と響きあって、解体のきっかけになればいいのではないでしょうか。(37回/2.16分 2.18アップ)


最後に、清道との試みについて、私の思いを記しておきます。これは清道さんと相談し合ったわけではない、私だけの考えです。

清道さんとは、ギター曲の創作を模索しています。ある会での発表は潰えましたが、私も清道さんも、ギター曲発表の可能性は捨てていません。つい先日も、ギター演奏会への出品を最後まで検討しました。それは発表までの時間の制約があり、新曲ではありませんでしたし、結果として発表しないことになったのですが、何とかして形にできないか、模索し続けました。

昨日、奇聞屋にて、毎月第三水曜日に恒例となっている、朗読の会が行われました。詩唱の中川博正さんに、打楽器の内藤修央さんを交え、トリオで、『夜が来て去ってゆく』を発表しました。それは、作曲家のいない作品です。作曲家の作品を演奏するのがトロッタの前提ですが、演奏者が、自分たちだけで創ろうとするものです。トロッタの初期、私ひとりで詩を詠んだことはありましたが、それを複数の人数で行い、楽器を加えて、中川博正さんという、男声の詩唱者を加えてゆく。新しい試みだと思います。

トロッタは、すでに10数え、定型というものができています。それは奏者にとっても、お客様にとっても、予想できる範囲内のものです。定型は、けっこうなことです。演奏を、より高度なレベルに引き上げてゆきことができます。曲も、作曲者も、演奏者も鍛えられます。しかし、より新しいものを求める気持ちが、一方にあります。トロッタでは定型でも、一般的にいえば、トロッタはじゅうぶん、常に新しいことをしている自負が、私にはあります。それを、より新しくする。決して新奇さのみ狙うのではなく、お客様からも遊離せず、工夫を凝らし続けます。そのために手にしたいものが、私の場合はギターです。ギタリストが弾くのではありません。ギタリストは詩唱をしません。しかし私にとって、ギターは新しい世界です。これを獲得できれば、詩唱の可能性を広げられます。清道さんのいう、シンガーソングライターと同じことにならず、それも定型ですから、詩と音楽のあり方を求めたいと思っています。

そのためには、私はギターに精進しなければなりません。トロッタの準備に追われていることも理由ですが、ギターに割く時間が少ないことが悩みです。工夫いたします。ギターのための曲を書いてくれるかもしれない清道さんのために。私のためにも。詩唱のために。詩と音楽のために。(38回/2.17分 2.18アップ)


「11へ」;52

1週間、ブログに何も書けませんでした。咽風邪です。トロッタ間近であるというのに、お恥ずかしいことです。熱や腹痛はなく、咽だけが腫れて痛い状態です。動くことはできるのですが、集中を欠き、気持ちもばらばらでした。部屋もばらばらで、ちらかったままです。2月7日(月)に出すべき「詩の通信IV」も遅れ、詩は書いていたのですが、昨日まで印刷もできませんでした。咽はまだ腫れていますが、いつまでも病人の気分ではいられません。書けなかった日々については、もう振り返らず、前を見ようと思います。

ただ、昨日と一昨日については、ほぼ二日を、練習に費やしました。気候が悪く、体調を崩すなどのこともあって、全員が参加できたわけではありません。しかし、少しでも進めましたことは、ご報告しておきます。

今日は、9時からギターのレッスン、11時半から声楽のレッスンです。満足に練習していません。無駄といえますが、行ってきます。

レッスンから帰り、昨夜、壊れて使い物にならなくなったビデオカメラの替わりの中古品を買いに、新大久保へ行きました。トロッタの記録撮影のため必要です。

夕方から、阿佐ケ谷で役者の中川博正さんと会い、奇聞屋で行う、『夜が来て去ってゆく』詩唱の稽古をしました。先月に続くものですが、今日のライヴでは、打楽器の内藤修央さんも一緒です。トロッタ11でのリハーサルを兼ねています。この3人で合わせるのは今夜が初めてです。





2010年2月11日木曜日

「11へ」;51

「11へ」;51(2月12日Fri.分、12日アップ)
15時、ギターのレッスン。長谷部二郎先生と、打ち合わせ。「人形の夜」でギターを弾いていただく萩野谷英成さんもおられました。
今井重幸先生、清道洋一さんと、電話にて、作曲の進行状況についてうかがいながら、打ち合わせ。

「11へ」;50(2月11日Thu.分、12日アップ)
朝、チラシを発送しました。
風邪を引いてしまい、体調が思わしくありません。
仕事が滞ってしまっています。何とかして進めないと、トロッタに支障が出てしまいます。

2010年2月10日水曜日

「トロッタ通信 11-31」

(遅れてしまいましたが、2月18日にアップしました。そちらをご覧ください)

「11へ」;49

昨夜から体調が思わしくなく、咽が痛く、また寝汗をかいて、午前4時に起きました。それからずっと、寝ずに一日を過ごしました。そろそろ寝た方がいいでしょう。

朝は9時からギターのレッスン、11時半から歌のレッスン。
夕方から、チラシの発送作業を始めまして、10時台になって、やっと終わりました。明日、投函します。今回は、明日と、本番1週間前の2度、私のお客様には案内をさせていただくつもりです。トロッタ11の大きなテーマは、集客です。

「トロッタ通信 11-30」

「トロッタ通信 11-29」


田中修一さんにとっての“歌と詩唱の違い”ですが、もちろん、私に答えはありません。ただ、一曲にあるものとしては、違いはない、というのがひとつの答えだと思います。それは、田中さんの『遺傳』を、初演させていただいた時でした。


人家は地面にへたばつて

おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる


このように歌い出します。「のをあある とをあある やわあ」という、犬の遠吠えまで旋律が与えられています。途中に、旋律のない個所があります。


お聴き! しずかにして


これはリズムだけで詠みます。次は歌。


道路の向うで吠えてゐる

あれは犬の遠吠えだよ。

のをあある とをあある やわあ


そして次の個所には旋律もリズムもありません。


「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から

ふるへる物象のかげの方から

犬はかれらの敵を眺めた……


この曲には、歌と朗読があります。音楽と詩がある、と言い換えてもいいかもしれません。そして、歌と朗読、音楽と詩は、分たれず、ひとつになっています。田中さんの、“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタへの、トロッタでの、テーマに対するひとつの回答といっていい曲です。これもいずれ、再演させていただければと思っています。(29回/2.8分 2.10アップ)



「トロッタ通信 11-30」


目下、ある作曲家の方と、メールでやりとりをしています。トロッタ12へのご参加を前提にして、私のどんな詩がいいか、検討中なのです。すでに二篇ほど送らせていただき、さらに別の詩をお送りする予定です。これは当然のことで、初めての顔合わせですから、私の詩を使っていただく以上、そうした生のやりとりがあっていいわけです。詩人は、詩が書ければ楽しいわけですから。

トロッタの作曲家の皆さん、本当によく努めてくださっていると思います。詩と音楽の関係といえば、歌があり、朗読があり、というところが基本で、あとは独唱か合唱か、女声と男声の歌い分けか、さらにひとりで詠むか群読のように大勢で詠むかなど、歌い方や詠み方を工夫するくらいしかないのではないでしょうか。朗読は、所作を交えて芝居のようになるかもしれません。言葉が喚起するものが、音楽のような聴覚表現だけでなく、映像や、上野雄次さんの花いけのような、視覚表現になるかもしれません。他にもあるでしょうが、少なくとも現段階では、トロッタは詩と音楽の可能性を、できる限り指し示していると思います。

ただいま続けているという作曲家とのやりとりもまた、トロッタの歴史でしょう。すでに11回目を迎えようとしているトロッタの歴史を、彼と私で1から始めているのか、すでに10までの歴史がその方との間にはあって、その上でやりとりしているのか、その捉え方はさまざまです。田中修一さんのように、すでに典型に到達している方もいます。田中さんが、さらに思いもよらない形を出すか、新たな形を出すのは演奏家なのか、どちらの可能性もはらみつつ、田中さんには、これからも書き続けていってほしいと思います。

付け加えるなら、無駄な努力と他人には映ろうとも、スケールの大きな曲を志向していただきたいのです。(30回/2.9分 2.10アップ)


「11へ」;48

「11へ」;48(2月8日分)

ただいま、トロッタ12にご参加を予定されている作曲家の方と、やりとりをしています。歌曲を書きたいので、詩を送ってもらえないかということで、先日にひとつ、今日、新たにひとつ、お送りしました。まだ決定を見ていませんが、詩はいくらでもお送りしたいと思います。そのたびに新しい詩が書けるのですから、願うところです。

作曲の宮﨑文香さんと会い、打ち合わせをしました。宮﨑さんの『めぐりあい』は、トロッタ11をもって、アンコール曲としての演奏は最後になります。トロッタ12で、独唱歌曲として演奏する予定です。

「11へ」;48(2月9日分)
作曲家、演奏家の皆さんへ、練習日程表を送りました。まだ空欄が多く、つまり未定が多いのですが、わかり次第、書き込んでいただこうと思います。

私個人のお客様に、チラシの発送作業を行いました。しかし、できません。風邪をもらってきたようで、咽が腫れています。今日はとても温かく、やはり油断したということでしょう、マスクをせずに外出してしまいました。それが誘因でしょうか。

2010年2月8日月曜日

「11へ」;47

「11へ」;47(2月7日分)

何人かの方に、チラシを発送。これでほぼ全員にチラシを送りました。
高田馬場のBen's Cafe、千駄木の古書ほうろう、谷中の谷中ボッサ、この3軒にチラシを置かせてもらいにゆく。

ここ数日、頭の中がごちゃごちゃしていて、せっかく設定をしたtwitterですが、何もしていません。本屋には、twitter関係の本が並んでいます。twitterで書いた小説集などというものもありました。使い勝手と結果がわからないので、いまひとつ、気が乗りません。


2010年2月6日土曜日

「トロッタ通信 11-28」

「トロッタ通信 11-27」(2月6日分)


田中修一さんが、『亂譜』の続篇をと希望をお述べになり、こうして『亂譜 瓦礫の王』を書き、さらに2010年の1月になって『ムーヴメントNo.2』の楽譜が届いてみますと、彼を見る目に、変化が生まれました。こういうと申し訳ないのですが、見直した気になりました。前がよくなくて、その後よくなった、というのではありません。善悪、優劣ではなく、彼に対する見方を改めた、ということです。ひとつの世界を追求していく行き方が、田中さんにあるのだなと思いました。

『亂譜』をシリーズにするとして、では何を書きたいか、私にわかっているわけではありません。さらに第三部をという声を、田中さんからいただいています。安部公房の『第四間氷期』にある、「ブルー・プリント」に通じる世界で、というのです。え? 安部公房。おまけに『第四間氷期』?

このまま『亂譜』が続いていけば、それをテーマにしたリサイタルが開けそうです。しかし、私にとっての『亂譜』が何かは、まだわからないというのが実情です。他の詩も同じで、書き始めてから、書き終えてから、何を書きたかったか、何を書けるのかがわかります。

ただ、二部にボルヘスのような世界をといい、三部に安部公房のような世界をと、田中さんはいいます。二人の作家を、私は好きです。田中さんと、小説家の好みが合っているということが、驚きでした。別に示し合わせたわけではありません。偶然です。

それは、乾いた世界なのでしょうか? 荒廃した世界なのでしょうか? 情緒に溺れない世界なのでしょうか? 抽象的、観念的な世界なのでしょうか? 少なくとも、男女間の情念を描くようなものではありません。私は、そちらも好きなのですが、溺れるタイプではないと思いますので、田中さんとはそのあたりで共通しているのかもしれません。(27回/2.6分 2.8アップ)



「トロッタ通信 11-28」(2月7日分)


演奏前に、あまり手の内をさらすのはよくないと思いますが。

ソプラノの赤羽佐東子さんによる歌は、曲の全体にわたっています。詩唱は、最後に少しだけ出ます。

こうなると、歌と詩唱の違いということが、私としては気になってきます。田中さんにとっての詩唱とは、何なのか?

トロッタで田中さんが発表した、声を使った曲を並べます。


トロッタ1 『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 西川直美さんが歌いました

トロッタ3 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 成富智佳子さんが歌いました

トロッタ4 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 成富智佳子さんが歌いました

トロッタ5 『遺傳』バリトン*萩原朔太郎の詩による 木部が歌いました

『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ6 『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』詩唱*木部に詩による

『田中未知による歌曲』アルト*田中未知の短詠による かのうよしこさんが歌いました

トロッタ7 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 笠原千恵美さんが歌いました

トロッタ8 『砂の町』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ9 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ10『雨の午後/蜚』ソプラノとバリトン*木部の詩による 赤羽佐東子さんと木部が歌いました

『めぐりあい~陽だまり~』合唱*木部の詩による 宮文香さんの曲を編曲


ここには器楽曲をあげていませんが、こう見て行きますと、田中さんもかなり、トロッタで歌を発表していることがわかります。このこと自体、田中さんの、ひとつの方向を追求しようという姿勢の表れでしょう。もちろん、トロッタに第一回から参加し続けること自体がそうです。今さら、田中さんへの認識を改めるというのも、おかしな話なのでした。誠に失礼しました。(28回/2.7分 2.8アップ)


「11へ」;46

10時、西荻窪の奇聞屋にて、レッスン中の笠原千恵美さんに、チラシとチケットを渡す。

13時、慶応病院に入院中の石井康史さんをお見舞い。打楽器の内藤修央さん、ヴィオラの仁科拓也さんと落ち合って、打ち合わせ。
仁科さんに、池袋の古書往来堂とミッテンヴァルトに、チラシを持っていってもらう。

チラシを関係者に発送する。今夜の速達には間に合わなかったが、明後日には到着する手はず。

2010年2月5日金曜日

「トロッタ通信 11-26」

「トロッタ通信 11-24」


トロッタ11で『ムーヴメントNo.2~木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』を発表する田中修一氏に、新しい詩を依頼されたのは、トロッタ9の打ち上げの席でした。“『亂譜』の2をお願いします”というのです。その時はまだ番号がついていませんでしたが、トロッタ9では、『亂譜』という詩に依る、『ムーヴメント』の第一番を演奏しました。編成は、ソプラノ、打楽器、ピアノ、エレクトーン。もともと一番は、トロッタ3で初演されたもので、ソプラと2台ピアノによる曲でした。それを、エレクトーンを入れた形に変えたのです。

『ムーヴメント』について、しばしば田中氏は、2台ピアノによるくらいの曲でなければ作曲したと見なさないと私がいったといいます。トロッタ1で初演しました、『立つ鳥は』の、合わせの後。西日暮里の居酒屋でのことです。

確かにそういいました。力わざ、あるいはスケール感を欲していたのです。2台ピアノにしたから力わざになり、スケール感が出るかというと、多くの方には疑問を抱かれると思います。しかし私は、そのようなことが好きです。逆に、田中氏から、詩で、2台ピアノに匹敵するようなものを書いてくれといわれたら、引き受けるでしょう。私の感覚では、詩を一人で詠んでもスケール感を出さなければいけない、二人で詠むからスケールが生まれるかというとわかりませんが、あえて重唱にしてみる、斉唱にしたり合唱にするという詩作を厭いません。仮にです、ばかばかしいことをわざわざしていると思われても、私はかまわないのです。時には、ばかばかしいことでも、したくなるし、ばかばかしい中に一片の真実でも入れられればと願います。そして、2台ピアノによる『ムーヴメント』をばかばかしいことだとは、私は思っていません。

トロッタ9の『ムーヴメント』は、おおむね好評だったと思います。女性たちだけによる力強い演奏に、感銘を受けたという声を、多く聴きました。ありがたいことだと思いました。(24回/2.3分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-25」


『亂譜』の続篇として、何を書けばいいのか。田中修一さんからは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』のような世界をお願いしますといわれていました。私もボルヘスが好きです。『ブロディーの報告書』も読んでいたはずですが、記憶はありません。本は、すでに売ってしまっていました。改めて購入し、読みましたが、スコットランド人宣教師が異文化の風習を記録したスタイルの、ちょっとグロテスクな話です。観念の迷宮性を描いたのではなく、もっとストレートです。ボルヘスの狙いは、そこにこそ、あったと思われます。

一方で、トロッタ9を終えた後、私はある方から感想をいただきました。おそらく、それがトロッタ9全体への感想だと思うのですが、能の『姨捨(おばすて)』を観に行ったという話をされました。山に捨てられた盲目の老婆が、澄明な心で、月の光を浴びながら踊ります。

暴力とかエロスとか、そういう刺激的なものは、誰もが気をひかれて見るだろう。しかし、そんな表面的なものではない、非常に静かな世界。そういうものにある美しさを表現していかなければという批評だと、私は聞いていました。賛成です。暴力やエロスにも人間の本質はあると思います。暴力は嫌いですが、特にエロスにはひかれます。しかし、そのようなことを描くにしても、あくまでもテーマに至るための過程でありたいと思います。そして、最後には澄み切った美しさに到達する。2台ピアノの力強さやスケール感も、美しさに至るためのものでありたいと、今は思います。

お断りしておきますと、その方の感想は、『ムーヴメント』に対するものではありません。別の曲の、別の出演者への言葉です。しかし、繰り返しますが、トロッタ全体への感想だと、私は受け取りました。

田中修一さんのための新しい詩、『亂譜』の続篇は、その方の言葉を受けて書けると確信しました。頭に浮かんだタイトルは、『瓦礫の王』でした。(25回/2.4分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-26」


『瓦礫の王』とは、私が学生時代から大切にしまっておいた題名です。歌舞伎作者、鶴屋南北について、題名どおりのテーマで書こうと思っていました。彼は、すべての常識、既成の価値を崩してしまった後、瓦礫の山に、見たこともない光景を現出させる者だというわけです。

容易には書けません。大き過ぎる題名でもありました。ずっと書けずにいて、書けないうちに、原稿を書いたり芝居をしたりヴィデオ作品を創ったりと、いろいろなことを始めていました。しかし好きな題名で、自画自賛ではありませんが、スケール感が感じられるので、いずれ使いたいと思っていたところに、田中修一さんの話があり、『姨捨』の話を聞いて、これを作品名にした詩を書こう、書けると確信したのでした。『ブロディーの報告書』からはずれますが、しかし小説には、スコットランド人宣教師が見た、異文化の奇怪な王の姿が描かれてもいるので、“瓦礫の王”という題名と無縁でないとも思ったのです。

以下に、詩の全文を掲げます。



瓦礫の王


瓦礫なり

天まで続く 瓦礫なり

眼(まなこ)を奪う

満月

人はなく

銀(しろがね)の光

瓦礫を照らす


舞えよ

月下に われひとり

歌えや

月下に 声をふるわせて

見る者はなし

聴く者はなし


夜は深し

どこまでも深し

落ちゆく先は 底なしの闇

風の音のみ聞いたという

死者の繰り言


舞い続け

舞い続けて月に向く

立ち木として死ね

心に残す

何ものもなし

明日(あした)に残す

一言もなし

瓦礫の王が

ただひとり舞う

(26回/2.5分 2.6アップ)

「11へ」;45

「11へ」;44(2月4日分)
トロッタ11のチラシが3000枚届きました。これを少しでも効率よく配らなければなりません。

橘川琢さんから、昨年12月7日(月)に初演しました、『冬の鳥』のライヴ録音CDが送られてきました。やはり昨年8月2日(日)に行いました、『花の記憶』のCDも同封されていました。ありがとうございます。

仕事の原稿を書いた後、用があって外出しました。明日が締切ですと連絡をもらい、まったく手をつけていない原稿があったことに気づきました。明日までにできるでしょうか。チラシを配らなければならないなど、することが山積しているのに、という思い。しかし、仕事をしなければトロッタも開けないという思いが錯綜します。

仕事に一区切りをつけ、22時ぎりぎりになって、座・高円寺に、トロッタ11のチラシを置きに行きました。
23時45分ごろ、橘川氏に阿佐ヶ谷駅改札まで来てもらい、チラシを渡しました。

「11へ」;45(2月5日分)
9時からギターのレッスンです。言い訳になりませんが、トロッタの準備その他で忙しく、まったく練習できていないので、お話しにならないできです。申し訳ありません。
長谷部二郎先生に、ギタリスト萩野谷英成さんの分と合わせて、チラシとチケットをお渡ししました。
その後、今井重幸先生宅にうかがい、チラシとチケットをお渡ししました。
帰宅後、弁当を食べただけで、2時過ぎに待ち合わせしている根岸一郎さんに会いに、新宿へ。チラシとチケットをお渡しました。その後、根岸さんとタワーレコードに行き、チラシを置かせてもらいました。
そのまま新宿で仕事をし、原稿を送りました。
16時、森川あづささんに、チラシとチケットを渡しました。
渋谷に行き、フライングブックスと、渋谷のタワーレコードに、チラシを置かせてもらいました。
18時過ぎ、徳田絵里子さんにチラシとチケットを渡しました。
その後、吉祥寺の古書店、百年と、西荻窪の古書店、音羽館に、チラシを置かせてもらいました。

9時前からずっと外出していた感じで、まったく落ち着かない一日でした。

2010年2月3日水曜日

「11へ」;43

朝は9時からギター、11時半から歌のレッスンでした。
ギターから帰ると、トロッタ11のチケットが届いていました。

座・高円寺に行き、チラシを置いているカウンターが、何月までの契約になっているか確認しました。契約が切れていたら、チラシが置けません。幸い、4月まではお金を先払いしていました。ひと月200円です。7月まで、延長しました。
このカウンターを、もう少し有効活用したいものです。トロッタや催物がなくても、何か置きたいものです。そのつもりだったのですが、なかなか手が回りません。

twitterを宣伝い役立てようと思い、久しぶりで更新しました。torottaというユーザー名です。つぶやきといっても、何をつぶやいていいか難しいのですが。

2010年2月2日火曜日

「トロッタ通信 11-23」

「トロッタ通信 11-20」


『うつろい』は、とてもわかりやすい詩です。

物語を書くのか、心の風景を書くのか。私の詩はふたつに大別され、物語の方に比重があると思います。『うつろい』は、幻想的な詩なので、物語と心象風景と、いずれの要素もあるのではないでしょうか。詩の先生なら、違うことをいうと思いますが。

トロッタは、“詩と音楽を歌い、奏でる”会です。詩と音楽の関係については、様々な考えがあると思います。考えの中身はさておき、『うつろい』をめぐる詩と音楽の関係について、見てみましょう。

詩は、「古ぼけた柱時計が 満開の桜の枝に掛かっていたらおもしろい/カウンターの向こうから 浜辺の歓声が聞こえてきたらおもしろい」という言葉で始まります。喫茶店の椅子に座る人物が、このようになったらおもしろいという、四季折々の幻想を風景として見ています。

しかし音楽としての『うつろい』は、回想から始まります。詩のいちばん最後の連、「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた/ぼくは今も この町にいる/でも あの人は いない/うつろう季節に連れられて/どこかへ行ってしまった」を曲の始めに持ってきて、詩唱者に詠ませました。その後に、詩の始まりである四季の幻想を、やはり詩唱者に詠ませました。譜面には、こんな指示があります。

「鮮やかに思い出がよみがえるように」「軽やかに、しかしさびしげに」「少し、かげりをもって」「思い出をいつくしむように」。そして[春]の歌が始まると「思い出の場面に、歌が重なるように。自分の深く、なつかしく、さびしい思い出に語りかけるように」

『うつろい』は過去に寄り添おうとする詩ですが、橘川さんの手によって、懐古性が強まりました。私は、言葉を持って、最後に懐古の気持ちを強調しました。橘川さんは、言葉を前に移動させ、同じ言葉「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下を、最後は歌手に歌わせることで、より強調してみせたのです。(20回/1.30分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-21」


以下は、橘川さんに取材などせずに書くことです。橘川さんには、まったく別の考えがあるはずです。

橘川さんとした初めての共同作業は、『時の岬・雨のぬくもり』でした。私の詩「夜」が『時の岬』となり、橘川さんの詩「幻灯機」が『雨のぬくもり』となり、初めての「詩歌曲」が生まれたのです。「詩歌曲」という言葉自体に、トロッタのテーマである“詩と音楽”が入っています。また橘川さんは、曲だけでなく、詩も書きました。2009年3月22日(日)に行われた第3回個展「花の嵐」のプログラムに、詩「幻灯機」の意味が書かれています。

「先の『夜』の詩中、『どこへ向かおうとしているのか』を受けて創られた。言うなら木部さんへの私なりの返歌である。『夜』が厳しく心が凍えるような世界であるのに対し、『幻灯機』はその世界を歩く人の心を描きたいと思ったのだ」

橘川さんは、「詩歌曲」という音楽のスタイルを掲げ、さらに詩を書き、もちろん音楽も書くことで、トロッタの世界をまるごと引き受け、体現してみせようとしたのではないでしょうか。『時の岬・雨のぬくもり』以降、彼の詩は表現されていません。詩作は、すべて私にまかせ、自分は作曲に専念しようとしていると思われます。

いや、実のところ、トロッタ9で『1997年 秋からの呼び声』が初演される予定で、これはすべて橘川さんの詩による曲だったのですが、残念ながら事情があり、演奏はされないまま別の曲に差し替えられました。

もしかすると、私は意識して、橘川さんへの“返歌”を書くべきかもしれません。前だけを見ず、時には橘川さんという存在を顧みて、彼の音楽を心で思い返しながら、彼のための詩をと思って、新作を書いていいかもしれません。それが、いずれ開かれるだろう、第四回個展で初演されればと思います。(21回/1.31分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-22」


感情のほとばしりを感じます。ほとばしりが、音楽になるのだなと思います。

「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下、曲の始めでは、詩唱で表現されました。その同じ言葉が、感情のほとばしりを得て、「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下の歌になりました。

言葉に感情が伴うと、メロディが生まれ、リズムが生まれるという推測。その通りのことを、橘川さんの曲は実践しています。だからこそ、彼の音楽は、トロッタのあり方そのもの、典型だと思いました。他の方の曲がそうではないということではありません。他の方は他の方なりに、トロッタの可能性を実践しています。ただ、橘川さんは、初めに詩を書いて来ました。それが興味深いことと、私は記憶するわけです。“返歌”だといった点に、橘川さんの生真面目さ、創作意欲を感じます。

それならば、音楽になった詩を、もう一度、私の手で詩に戻すことも、興味深いと思われます。彼と共同作業をしていれば、詩が生まれて音楽になって、また詩が生まれて音楽になるという繰り返しです。結果的に、音楽の次に詩を書いているのですが、そのことの意味を意識し、方法として行ってはどうかと思うのです。

まだ、抽象的な話です。音楽を詩に戻すといっても、すぐにはできません。どうすればいいかもわかりません。それを、考えるわけです。『時の岬・雨のぬくもり』の先にある世界を、今度は音楽への返歌として書いてもいいでしょう。『うつろい』のその後を、続篇として書いてもいいでしょう。先に音楽があって、それに詩をつけることも、本来はあまり好きな方法ではないのですが、納得のゆく形にして行ってもいいかのでしょう。他にも、いろいろな形が考えられるはずです。彼は、模索しています。共同作業者の一方にだけ模索させて、私という他方は、あいもかわらず詩を書くだけでは怠慢というものです。トロッタにおける詩人は、従来の方法論に安住してはいません。(22回/2.1分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-23」


先に、中川博正さんと、詩唱を追究していきたいと書きました。その形が少しでも見えれば、橘川さんに取り入れてもらい、新曲の演奏形態としていいでしょう。例えば、こんな楽器があるから、それを生かして作曲しませんかと働きかけるのです。

折しも、今日、中川さんと、トロッタ11で試演する詩が決まりました。私の、『夜が来て去ってゆく』です。デュオらしく、ひとりではできない形を試みますが、例えばそれを、橘川さんの新曲に取り入れてもらうということです。

このようなことは、橘川さんにとどまりません。他の作曲家との作業も同様です。

詩も音楽も、完成形にしがみつかないこと。もちろん、詩作も作曲も、完成させるために行うのですが、できたからといって安心しません。一回の演奏で満足したくないのです。何度でも演奏を重ね、そのたびに模索をしたいと思います。よりよい変化なら、私は積極的に受け入れます。編曲だとも思いません。一回一回、創作であるべきです。

『うつろい』にせよ、演奏するたびに、演奏者の変化がありました。一度はオーボエを入れたヴァージョンをつくりました。トロッタ11では、オーボエはなく、上野雄次さんによる花いけが入り、『うつろい 花の姿』というタイトルになります。生きた人がしている音楽なのですから、ひとつの形にこだわる必要はありません。

だからこそ、私は橘川さんとの共同作業に、新しいスタイルを持ちこみたいのです。『うつろい』は、以前と同じ譜面を使って演奏するのですが、少しでも前と違う新しさを、『うつろい 花の姿』として、お聴かせできないものでしょうか。(23回/2.2分 2.3アップ)

「11へ」;42

「11へ」;41
2月最初の日だというのに、書き込みができませんでした。
雪が降り、昼間から寒い一日でした。
関係者に、本番までの日程を出していただくよう、お願いしています。

かねて知り合いの作曲家から、トロッタに参加したい、歌を書きたいので、詩を送ってもらえないでしょうか、というメールをいただきました。
その方については、以前、私の中で、連絡さえ取れれば参加していただきたいと、心を決めていました。何人かの方からも、賛意を得ています。すぐに返事をさせていただき、オリジナルの詩をいくつか書きまして、選べるようにして送ることを約束しました。どうしても無理なら、あるいは、まだ曲になっていない詩でふさわしいものがあると判断されれば、それも含めて送ることにしました。
私としては、ピアノだけの伴奏ではなく、他の楽器を含めた、例えば『摩周湖』のような、ヴィオラとピアノと歌といった編成が望ましいと考えます。

お恥ずかしい話ですが、トロッタの集客のために、twitterを使えばどうかという課題が、私の中で浮上しています。以前、登録だけはしたのですが、使えないままに終わっており、パスワードが思い出せるかどうかという状態です。不特定多数のお客様を集めなければということは思っていますので、そのためにtwitterが有効に使えればいうことはありません。何とかしたいと思います。

新しい詩を書いて、送るべき方に送りました。
どう使われるかわからず、純粋に、書きたいから書いた詩です。
実はその詩は、メインに使っているMacBookではなく、もう10年以上前に購入し、しばらく使っていませんでしたPowerBook3400というマシンで書きました。
そのこと自体については、思うことがたくさんありますが、ここはトロッタのブログなので、書きません。1996年公開のアメリカ映画『インディペンデンス・デイ』で活躍したマシンです、などといっても、ほとんどの方はわかりません。わかったところで意味がありません。しかし、古いマシンでも、きちんと書けるという、素朴で純粋な事実が、うれしかったのです。

バンドネオンの生水敬一朗さんが、メールマガジンを創刊されました。ライブ情報のみ、ペーストしておきます。今後の展開に期待します。

・2月5日(金)27:30~ TOKYO FM
「MUSIC SEED~インディーズクラシックの音楽家たち~」
…先日収録したトーク、CDから二曲が放送されます

・ 2月21日(日)
「奇聞屋さんの午後の素敵なコンサートvol.5」
@奇聞屋(西荻窪)
料金:3,000円(1ドリンク付き)
出演:松宮和葉(カンツォーネ)、生水敬一朗(バンドネオン)他
・・・ソロの他、久々にピアソラ等を演奏致します。

「11へ」;42
晴れた朝です。白い雪に、朝日が当たっています。続きは順次、書きます。

朝からずっと原稿書きで、食事をする時間もありません。
夕方になって外出しようと思いますと、池田康さん編集の雑誌「洪水」が届いていました。
また、事情があって手放していました、西村洋さんとデボラ・ミンキンさん演奏による伊福部昭先生のギター・リュート作品集CDが届いていました。
印刷所から、チケットが発送されたとの連絡が来ました。一日遅れでチラシが来るはずです。