「トロッタ通信 11-27」(2月6日分)
田中修一さんが、『亂譜』の続篇をと希望をお述べになり、こうして『亂譜 瓦礫の王』を書き、さらに2010年の1月になって『ムーヴメントNo.2』の楽譜が届いてみますと、彼を見る目に、変化が生まれました。こういうと申し訳ないのですが、見直した気になりました。前がよくなくて、その後よくなった、というのではありません。善悪、優劣ではなく、彼に対する見方を改めた、ということです。ひとつの世界を追求していく行き方が、田中さんにあるのだなと思いました。
『亂譜』をシリーズにするとして、では何を書きたいか、私にわかっているわけではありません。さらに第三部をという声を、田中さんからいただいています。安部公房の『第四間氷期』にある、「ブルー・プリント」に通じる世界で、というのです。え? 安部公房。おまけに『第四間氷期』?
このまま『亂譜』が続いていけば、それをテーマにしたリサイタルが開けそうです。しかし、私にとっての『亂譜』が何かは、まだわからないというのが実情です。他の詩も同じで、書き始めてから、書き終えてから、何を書きたかったか、何を書けるのかがわかります。
ただ、二部にボルヘスのような世界をといい、三部に安部公房のような世界をと、田中さんはいいます。二人の作家を、私は好きです。田中さんと、小説家の好みが合っているということが、驚きでした。別に示し合わせたわけではありません。偶然です。
それは、乾いた世界なのでしょうか? 荒廃した世界なのでしょうか? 情緒に溺れない世界なのでしょうか? 抽象的、観念的な世界なのでしょうか? 少なくとも、男女間の情念を描くようなものではありません。私は、そちらも好きなのですが、溺れるタイプではないと思いますので、田中さんとはそのあたりで共通しているのかもしれません。(27回/2.6分 2.8アップ)
「トロッタ通信 11-28」(2月7日分)
演奏前に、あまり手の内をさらすのはよくないと思いますが。
ソプラノの赤羽佐東子さんによる歌は、曲の全体にわたっています。詩唱は、最後に少しだけ出ます。
こうなると、歌と詩唱の違いということが、私としては気になってきます。田中さんにとっての詩唱とは、何なのか?
トロッタで田中さんが発表した、声を使った曲を並べます。
トロッタ1 『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 西川直美さんが歌いました
トロッタ3 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 成富智佳子さんが歌いました
トロッタ4 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 成富智佳子さんが歌いました
トロッタ5 『遺傳』バリトン*萩原朔太郎の詩による 木部が歌いました
『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました
トロッタ6 『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』詩唱*木部に詩による
『田中未知による歌曲』アルト*田中未知の短詠による かのうよしこさんが歌いました
トロッタ7 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 笠原千恵美さんが歌いました
トロッタ8 『砂の町』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました
トロッタ9 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました
トロッタ10『雨の午後/蜚』ソプラノとバリトン*木部の詩による 赤羽佐東子さんと木部が歌いました
『めぐりあい~陽だまり~』合唱*木部の詩による 宮﨑文香さんの曲を編曲
ここには器楽曲をあげていませんが、こう見て行きますと、田中さんもかなり、トロッタで歌を発表していることがわかります。このこと自体、田中さんの、ひとつの方向を追求しようという姿勢の表れでしょう。もちろん、トロッタに第一回から参加し続けること自体がそうです。今さら、田中さんへの認識を改めるというのも、おかしな話なのでした。誠に失礼しました。(28回/2.7分 2.8アップ)
0 件のコメント:
コメントを投稿