2010年2月5日金曜日

「トロッタ通信 11-26」

「トロッタ通信 11-24」


トロッタ11で『ムーヴメントNo.2~木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』を発表する田中修一氏に、新しい詩を依頼されたのは、トロッタ9の打ち上げの席でした。“『亂譜』の2をお願いします”というのです。その時はまだ番号がついていませんでしたが、トロッタ9では、『亂譜』という詩に依る、『ムーヴメント』の第一番を演奏しました。編成は、ソプラノ、打楽器、ピアノ、エレクトーン。もともと一番は、トロッタ3で初演されたもので、ソプラと2台ピアノによる曲でした。それを、エレクトーンを入れた形に変えたのです。

『ムーヴメント』について、しばしば田中氏は、2台ピアノによるくらいの曲でなければ作曲したと見なさないと私がいったといいます。トロッタ1で初演しました、『立つ鳥は』の、合わせの後。西日暮里の居酒屋でのことです。

確かにそういいました。力わざ、あるいはスケール感を欲していたのです。2台ピアノにしたから力わざになり、スケール感が出るかというと、多くの方には疑問を抱かれると思います。しかし私は、そのようなことが好きです。逆に、田中氏から、詩で、2台ピアノに匹敵するようなものを書いてくれといわれたら、引き受けるでしょう。私の感覚では、詩を一人で詠んでもスケール感を出さなければいけない、二人で詠むからスケールが生まれるかというとわかりませんが、あえて重唱にしてみる、斉唱にしたり合唱にするという詩作を厭いません。仮にです、ばかばかしいことをわざわざしていると思われても、私はかまわないのです。時には、ばかばかしいことでも、したくなるし、ばかばかしい中に一片の真実でも入れられればと願います。そして、2台ピアノによる『ムーヴメント』をばかばかしいことだとは、私は思っていません。

トロッタ9の『ムーヴメント』は、おおむね好評だったと思います。女性たちだけによる力強い演奏に、感銘を受けたという声を、多く聴きました。ありがたいことだと思いました。(24回/2.3分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-25」


『亂譜』の続篇として、何を書けばいいのか。田中修一さんからは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』のような世界をお願いしますといわれていました。私もボルヘスが好きです。『ブロディーの報告書』も読んでいたはずですが、記憶はありません。本は、すでに売ってしまっていました。改めて購入し、読みましたが、スコットランド人宣教師が異文化の風習を記録したスタイルの、ちょっとグロテスクな話です。観念の迷宮性を描いたのではなく、もっとストレートです。ボルヘスの狙いは、そこにこそ、あったと思われます。

一方で、トロッタ9を終えた後、私はある方から感想をいただきました。おそらく、それがトロッタ9全体への感想だと思うのですが、能の『姨捨(おばすて)』を観に行ったという話をされました。山に捨てられた盲目の老婆が、澄明な心で、月の光を浴びながら踊ります。

暴力とかエロスとか、そういう刺激的なものは、誰もが気をひかれて見るだろう。しかし、そんな表面的なものではない、非常に静かな世界。そういうものにある美しさを表現していかなければという批評だと、私は聞いていました。賛成です。暴力やエロスにも人間の本質はあると思います。暴力は嫌いですが、特にエロスにはひかれます。しかし、そのようなことを描くにしても、あくまでもテーマに至るための過程でありたいと思います。そして、最後には澄み切った美しさに到達する。2台ピアノの力強さやスケール感も、美しさに至るためのものでありたいと、今は思います。

お断りしておきますと、その方の感想は、『ムーヴメント』に対するものではありません。別の曲の、別の出演者への言葉です。しかし、繰り返しますが、トロッタ全体への感想だと、私は受け取りました。

田中修一さんのための新しい詩、『亂譜』の続篇は、その方の言葉を受けて書けると確信しました。頭に浮かんだタイトルは、『瓦礫の王』でした。(25回/2.4分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-26」


『瓦礫の王』とは、私が学生時代から大切にしまっておいた題名です。歌舞伎作者、鶴屋南北について、題名どおりのテーマで書こうと思っていました。彼は、すべての常識、既成の価値を崩してしまった後、瓦礫の山に、見たこともない光景を現出させる者だというわけです。

容易には書けません。大き過ぎる題名でもありました。ずっと書けずにいて、書けないうちに、原稿を書いたり芝居をしたりヴィデオ作品を創ったりと、いろいろなことを始めていました。しかし好きな題名で、自画自賛ではありませんが、スケール感が感じられるので、いずれ使いたいと思っていたところに、田中修一さんの話があり、『姨捨』の話を聞いて、これを作品名にした詩を書こう、書けると確信したのでした。『ブロディーの報告書』からはずれますが、しかし小説には、スコットランド人宣教師が見た、異文化の奇怪な王の姿が描かれてもいるので、“瓦礫の王”という題名と無縁でないとも思ったのです。

以下に、詩の全文を掲げます。



瓦礫の王


瓦礫なり

天まで続く 瓦礫なり

眼(まなこ)を奪う

満月

人はなく

銀(しろがね)の光

瓦礫を照らす


舞えよ

月下に われひとり

歌えや

月下に 声をふるわせて

見る者はなし

聴く者はなし


夜は深し

どこまでも深し

落ちゆく先は 底なしの闇

風の音のみ聞いたという

死者の繰り言


舞い続け

舞い続けて月に向く

立ち木として死ね

心に残す

何ものもなし

明日(あした)に残す

一言もなし

瓦礫の王が

ただひとり舞う

(26回/2.5分 2.6アップ)

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