2010年1月9日土曜日
2010年1月8日金曜日
2010年1月7日木曜日
2010年1月6日水曜日
2010年1月5日火曜日
「11へ」;10
MOVEMENT No.2 (poem by Kibe Yohani “RAN-FU, Guwareki no Wau”)
for 2Voices, Marimba and Piano
瓦礫なり
天まで続く 瓦礫なり
眼(まなこ)を奪う
満月
人はなく
銀(しろがね)の光
瓦礫を照らす
舞えよ
月下に われひとり
歌えや
月下に 声をふるわせて
見る者はなし
聴く者はなし
夜は深し
どこまでも深し
落ちゆく先は 底なしの闇
風の音のみ聞いたという
死者の繰り言
舞い続け
舞い続けて月に向く
立ち木として死ね
心に残す
何ものもなし
明日(あした)に残す
一言もなし
瓦礫の王が
ただひとり舞う
2010年1月4日月曜日
「11へ」;9
2010年1月2日土曜日
2010年、最初の詩です
夜が来て去ってゆく
木部与巴仁
ドアを開けると
町の灯(ひ)が見えた
星屑に似ていた
人が生きて死ぬ場所だ
そっとドアを閉めた
ドアを開けると
川が流れていた
黒く重たい川だった
浪漫川という名を思い出した
そっとドアを閉めた
ドアを開けると
花が咲いていた
赤い花だった
血の色に似ていた
手ですくおうとして止めた
ドアを開けると
男が身を投げた
私は男を知っていた
彼が見た最期の光景を想像した
それは青い空だった
ドアを開けると
子どもがいた
男の子だった
女の子もいた
ものもいわずに立っていた
ドアを開けると
風が吹いた
雲がちぎれて飛んでいった
心細かった
そっとドアを閉めた
ドアを開けると
夜だった
女が男を殺していた
生まれ変わりたかった
生まれ変わらなければならなかった
ドアを開けると
泣き声がした
人形たちが泣いていた
行き場がないのだ
そっとドアを閉めた
ドアを開けると
燃えていた
私の家だった
思い出した
あれは七つの時だった
ドアを開けると
私がいた
老いた眼で見つめていた
ひとりだった
そっとドアを閉めた
ドアを開けると
階段があった
上(のぼ)ろうと思った
下りようと思った
足をかけたまま動けなかった
2010年1月1日金曜日
「11へ」;7
トロッタ11にて、バリトンの根岸一郎さんが歌う予定の、伊福部昭先生の歌曲、『摩周湖』です。トロッタ10での、『知床半島の漁夫の歌』に続き、伊福部歌曲を取り上げることになりました。詩は、同じく更科源蔵氏です。1943年刊行の、更科氏の詩集『凍原の歌』から、引用します。
摩周湖
大洋(わだつみ)は霞て見えず釧路大原
銅(あかがね)の萩の高原(たかはら) 牧場(まき)の果
すぎ行くは牧馬の群か雲の影か
又はかのさすらひて行く暗き種族か
夢想の霧にまなことぢて
怒るカムイは何を思ふ
狩猟の民の火は消えて
ななかまど赤く実らず
晴るれば寒き永劫の蒼
まこと怒れる太古の神の血と涙は岩となつたか
心疲れし祖母は鳥となつたか
しみなき魂は何になつた
雲白くたち幾千歳
風雪荒れて孤高は磨かれ
ヤマ ヤマに遮り はて空となり
ただ
無量の風は天表を過ぎ行く
「11へ」;6
2010年が始まりました。皆様、今年もよろしくお願いします。
本日、書き上げました、「詩の通信IV」第11号のため詩を掲げます。この詩が曲になる保証はどこにもありません。しかし、曲になるならないを別にして、書きたいから詩を書くという自発的な生き方こそが根底にあります。そのような例として、お読みいただければ幸いです。
人生の花
木部与巴仁
恋愛とは
相手の人生を引き受けてもいい
そう思うことですよ
私はまだ
十二歳だった
語る僧侶は
五十代だったと思う
戦争中
静岡で米軍の空襲に遭い
好きな人を亡くした
僧侶は学校の教師だったが
戦争が終わると剃髪し
二度と教壇に戻らなかったという
Kくんが好きになった人は
どんな女性だろうか
せいぜい大切にしてあげてください
しかし
小学六年生の私に
言葉の真意がわかるはずはない
あの夏の
僧侶と変わらぬ年齢になった今も
わかってはいない
相手の人生を引き受ける
苦い思いとともに
時折り
その言葉を噛み締めることはある
あやめの花が
咲いているでしょう
死んだあの人が好きでした
寺のまわりにたくさん生えています
そんなことを
これからも
ずっと引き受けるのだと思います
家に帰った私は
僧侶の言葉を母に聞かせた
ふうんといったまま
母は言葉を継がなかった
その数日後である
僧侶が
行く先も告げず
姿を消したと聞いたのは
恋愛とは
相手の人生を引き受けてもいい
そう思うことですよ
あのころ
私は初めて女性を好きになった
同級生の女の子だった
胸が痛いと母にいい
心臓でも悪いのかと心配された
誰かに自慢したくて
顔見知りの僧侶に告げたのだ
町の歴史に詳しい
子どもの話し相手になってくれる
俳句をよく詠む人だった
夏蝉の
声ききながら
友を待つ
Kくん
あなたのことですよ
半紙に書いた句を見せながら
そこまでいってくれた
たった十二歳の私に向かって
四十年前である
もう生きてはいないだろう
私を置いて行ってしまった僧侶
今も
あやめを見るたび
彼の姿を思い出している
2009年12月30日水曜日
「11へ」;5
木部与巴仁
流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう
黒い土が
のぞいている
雪解け道を
駆けていた
流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう
輝いてる きらきらと
春の日ざしに
目を細め
冷たい季節を
見送った
どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから
2009年12月27日日曜日
「11へ」;4
2009年12月25日金曜日
「11へ」;3
2009年12月10日木曜日
「11へ」;2
2009年12月9日水曜日
「11へ」;1
2009年12月4日金曜日
「トロッタ通信 10-25」
「10へ」;35
2009年12月2日水曜日
「10へ」;34
2009年12月1日火曜日
「トロッタ通信 10-23」
もとに戻りましょう。今井重幸先生の『時は静かに過ぎる』について、締めくくります。
先生のお言葉です。
「今回の曲は、作品のドラマ性を意識して書きました。紀光郎さんがアポリネールの詩をもとに構成されましたが、その詩句に合うメロディをつけています。不倫の現場に踏み込まれ、追いつめられた男が壁の中に消えるという、奇想天外ですが、わかりやすい話ともいえるので、音楽もまた、そのようなメロディ、リズムになっています。作曲家とは、作品の理念や意図、演出効果を考え、また起承転結やストーリーに沿って書かなければいけません」
アポリネールの作品『獄中歌-ラ・サンテ刑務所にて』に、「時は静かに過ぎる」という一節があります。
同じく『病める秋』に、「哀れな秋よ」。
さらに『狩の角笛』には、「思い出は狩の角笛」「風のなかに音は消えてゆく」があります。
探せばまだまだあるのでしょう。いずれも、今井先生の曲に生かされています。
『時は静かに過ぎる』の練習が続いています。根岸一郎さんが歌い、赤羽佐東子さんが歌っています。楽器の方々によって、音楽の全体が見えてきました。一場のドラマを観る思いがいたします。このような曲は、あってもよかったのに、かつてトロッタにありませんでした。オペラでもない。歌曲でもない。芝居でもないミュージカルでもない。もちろん器楽曲でもない。っしかし、そのすべての要素を持っている音楽といえるかもしれません。今井重幸先生とは、純粋性という、近代の毒に冒されてしまう以前の精神をお持ちなのでしょうか。