2010年1月9日土曜日

「11へ」;14

昨夜から書いていた、少し長い詩を書き上げました。まだ完成とはいえませんが、旅の詩です。トロッタ関係のものではありません。しかし、いずれ演奏することになるかもしれません。

2010年1月8日金曜日

「11へ」;13

懸案だったチェリストが決まりました。これで弦楽カルテットは成立しました。後ほど、ご報告します。

田中修一さんから、新曲「ムーヴメント2 亂譜 瓦礫の王」の楽譜が送られてきました。トロッタ11で発表いたします。

2010年1月7日木曜日

「11へ」;12

トロッタ11の準備状況を関係の皆さんにお知らせしました。
未決定の部分はありますが、以下のような曲を予定しています。

伊福部昭 「摩周湖」
今井重幸 「神々の履歴書」
橘川琢 「うつろい」
清道洋一
「いのち」
酒井健吉
「ピアノとヴァイオリンのためのソナチネ」
田中修一
「ムーブメント2 瓦礫の王」
長谷部二郎
「人形の夜」
宮崎文香
「めぐりあい-春-」


2010年1月6日水曜日

「11へ」;11

昨日、会場費は払いこみました。少しずつ、進んでいます。トロッタ11へ向け、まだ、決まらないことが、多くあります。

2010年1月5日火曜日

「11へ」;10

田中修一さんから連絡があり、本日、新曲が完成したそうです。曲名は以下のとおりです。

ムーヴメントNo.2~木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る
MOVEMENT No.2 (poem by Kibe Yohani “RAN-FU, Guwareki no Wau”)
for 2Voices, Marimba and Piano

トロッタ3で初演され、昨年のトロッタ9で再演されました「ムーヴメント」の続篇です。初演のタイトルは、『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』でした。再演時は、編作版初演として、2台ピアノをエレクトーンと打楽器、ピアノに置き換え、『ムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』と題されました。
早々と完成しましたので、トロッタ11にじゅうぶん間に合います。ただ、完成できるということが不確定でしたので、田中さんが想定する打楽器奏者に声をかけていません。トロッタ11での演奏は、奏者の日程次第、ということになります。しかし、いずれは演奏します。記念ということもないのですが、本番までの経過をお伝えする意味でも、詩を掲げておきます。
ちなみに、「瓦礫の王」というタイトルは、私が学生時代に考えついたもので、ある作家の論文のタイトルとしてあたためていたものです。もう、論文のようなものを書く気はありませんので、詩の題にいたしました。
ちなみに、「ムーブメント1」に用いられました詩「亂譜」は、サイト「トロッタの会」全記録と全詩篇に掲げてありますので、ご覧下さい。


瓦礫の王

瓦礫なり

天まで続く 瓦礫なり

眼(まなこ)を奪う

満月

人はなく

銀(しろがね)の光

瓦礫を照らす


舞えよ

月下に われひとり

歌えや

月下に 声をふるわせて

見る者はなし

聴く者はなし


夜は深し

どこまでも深し

落ちゆく先は 底なしの闇

風の音のみ聞いたという

死者の繰り言


舞い続け

舞い続けて月に向く

立ち木として死ね

心に残す

何ものもなし

明日(あした)に残す

一言もなし

瓦礫の王が

ただひとり舞う


2010年1月4日月曜日

「11へ」;9

間もなく演奏曲目が決まります。なお紆余曲折があると思いますが、決めるか決めないかの方向は見えてきました。早く決めなければ、チラシ作りなどにさしつかえる事情があります。
また、明日5日(火)には、会場のスタジオヴィルトゥオージに、使用料を払わなければなりません。忘れないためにも書いておきます。

先日の詩「夜が来て去ってゆく」は、どのようになるかわからないとあいまいな書き方をしてしまいました。このブログが、トロッタのためのものなので、明確にしませんでしたが、決まっていることがあります。6月5日(土)、金沢のギャラリー点で開催される扇田克也展にて、オープニングで演奏します。作曲は清道洋一さん、演奏は私です。楽器はギターです。そのための詩です。トロッタとは関係ありませんが、いずれトロッタでも演奏するかもしれませんので、お伝えしておきます。オープニングのために、もう一篇、詩を書く予定です。

ただ、トロッタ11のための報告を、最優先にしなければと思います。お待ちください。

2010年1月2日土曜日

「11へ」;8

トロッタ11の演奏曲を決めなければいけません。昨年中に決める予定でしたが、決まりませんでした。あと1曲か、2曲、決めればいいだけです。出演者にしてもあと一人か二人、曲目もあと一つか二つ、といった具合に、毎回、ぎりぎりまで決まらない要素が生じます。そういったものなのでしょう。しかし、三が日が明けた時にはと思います。本当は、大晦日とか正月とか、好きではないのです。いろいろな物事が停滞してしまいます。

2010年、最初の詩です

「夜が来て去ってゆく」を書きました。
この詩が、どのように使われるか、どのようになるか、お知らせは後日、いたします。
まだ、書いたばかりなのです。
トロッタ11のための詩ではありませんが、すべてはひとつの、大きな流れの中で生まれますので、掲げさせていただきました。


夜が来て去ってゆく

木部与巴仁

ドアを開けると
町の灯(ひ)が見えた
星屑に似ていた
人が生きて死ぬ場所だ
そっとドアを閉めた

ドアを開けると
川が流れていた
黒く重たい川だった
浪漫川という名を思い出した
そっとドアを閉めた

ドアを開けると
花が咲いていた
赤い花だった
血の色に似ていた
手ですくおうとして止めた

ドアを開けると
男が身を投げた
私は男を知っていた
彼が見た最期の光景を想像した
それは青い空だった

ドアを開けると
子どもがいた
男の子だった
女の子もいた
ものもいわずに立っていた

ドアを開けると
風が吹いた
雲がちぎれて飛んでいった
心細かった
そっとドアを閉めた

ドアを開けると
夜だった
女が男を殺していた
生まれ変わりたかった
生まれ変わらなければならなかった

ドアを開けると
泣き声がした
人形たちが泣いていた
行き場がないのだ
そっとドアを閉めた

ドアを開けると
燃えていた
私の家だった
思い出した
あれは七つの時だった

ドアを開けると
私がいた
老いた眼で見つめていた
ひとりだった
そっとドアを閉めた

ドアを開けると
階段があった
上(のぼ)ろうと思った
下りようと思った
足をかけたまま動けなかった

2010年1月1日金曜日

「11へ」;7

トロッタ11にて、バリトンの根岸一郎さんが歌う予定の、伊福部昭先生の歌曲、『摩周湖』です。トロッタ10での、『知床半島の漁夫の歌』に続き、伊福部歌曲を取り上げることになりました。詩は、同じく更科源蔵氏です。1943年刊行の、更科氏の詩集『凍原の歌』から、引用します。


摩周湖


大洋(わだつみ)は霞て見えず釧路大原

銅(あかがね)の萩の高原(たかはら) 牧場(まき)の果

すぎ行くは牧馬の群か雲の影か

又はかのさすらひて行く暗き種族か


夢想の霧にまなことぢて

怒るカムイは何を思ふ

狩猟の民の火は消えて

ななかまど赤く実らず


晴るれば寒き永劫の蒼

まこと怒れる太古の神の血と涙は岩となつたか

心疲れし祖母は鳥となつたか

しみなき魂は何になつた


雲白くたち幾千歳

風雪荒れて孤高は磨かれ

ヤマ ヤマに遮り はて空となり

ただ

無量の風は天表を過ぎ行く


「11へ」;6

2010年が始まりました。皆様、今年もよろしくお願いします。

本日、書き上げました、「詩の通信IV」第11号のため詩を掲げます。この詩が曲になる保証はどこにもありません。しかし、曲になるならないを別にして、書きたいから詩を書くという自発的な生き方こそが根底にあります。そのような例として、お読みいただければ幸いです。


人生の花


木部与巴仁



恋愛とは

相手の人生を引き受けてもいい

そう思うことですよ


私はまだ

十二歳だった

語る僧侶は

五十代だったと思う

戦争中

静岡で米軍の空襲に遭い

好きな人を亡くした

僧侶は学校の教師だったが

戦争が終わると剃髪し

二度と教壇に戻らなかったという


Kくんが好きになった人は

どんな女性だろうか

せいぜい大切にしてあげてください


しかし

小学六年生の私に

言葉の真意がわかるはずはない

あの夏の

僧侶と変わらぬ年齢になった今も

わかってはいない

相手の人生を引き受ける

苦い思いとともに

時折り

その言葉を噛み締めることはある


あやめの花が

咲いているでしょう

死んだあの人が好きでした

寺のまわりにたくさん生えています

そんなことを

これからも

ずっと引き受けるのだと思います


家に帰った私は

僧侶の言葉を母に聞かせた

ふうんといったまま

母は言葉を継がなかった

その数日後である

僧侶が

行く先も告げず

姿を消したと聞いたのは


恋愛とは

相手の人生を引き受けてもいい

そう思うことですよ


あのころ

私は初めて女性を好きになった

同級生の女の子だった

胸が痛いと母にいい

心臓でも悪いのかと心配された

誰かに自慢したくて

顔見知りの僧侶に告げたのだ

町の歴史に詳しい

子どもの話し相手になってくれる

俳句をよく詠む人だった


夏蝉の

声ききながら

友を待つ


Kくん

あなたのことですよ

半紙に書いた句を見せながら

そこまでいってくれた

たった十二歳の私に向かって

四十年前である

もう生きてはいないだろう

私を置いて行ってしまった僧侶

今も

あやめを見るたび

彼の姿を思い出している

2009年12月30日水曜日

「11へ」;5

トロッタ11の準備を、少しずつですが進めています。今年中には演奏曲を決めたいと思っていましたが、少々、無理な情勢です。しかし、年明け早々には最終決定しなければ間に合いません。

アンコール曲として、トロッタ6から演奏し、お客様と合唱してきました「めぐりあい」の、春篇を書きました。以下に掲げます。編曲は、ギタリストの長谷部二郎さんにお願いいたします。長谷部二郎さんは、私の、ギターの先生でもあり、私が詩を書いた『人形の夜』を、トロッタ11のために楽曲化してくださいます。


めぐりあい 春

木部与巴仁

流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう

黒い土が
のぞいている
雪解け道を
駆けていた

流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう

輝いてる きらきらと
春の日ざしに
目を細め
冷たい季節を
見送った

どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから

2009年12月27日日曜日

「11へ」;4

昨日は、阿佐ヶ谷にて、バリトンの根岸一郎さん、ヴィオラの仁科拓也さん、ピアノの並木桂子さんと、トロッタ11の打ち合わせをしました。具体的に動いています。

この「11へ」も、年が明けましたら、「トロッタ通信11」を加えて書き続けてまいります。3月5日(金)本番ですから、それほど長い回数は書けません。前回の「トロッタ通信10」は、それなりに、考えを進めるのに役立ちました。書きっぱなしであり、まとめる必要がありますが、もちろん書かないより書いてよかったと思います。

一方で、ギターで何ができるか、日々、考えています。ギターを弾くのと語りを合わせ、これが私の詩唱であるという形を作りたいと思います。ギターを弾くのでもたいへんで、語りは語りで工夫がいります。このふたつを合わせることは、なかなか困難です。しかし、トロッタの試み自体が困難なことなので、その凝縮した形が手元にあると思えば納得できます。

2009年12月25日金曜日

「11へ」;3

トロッタ11の開催が、2010年3月5日(金)に決定しました。
会場は、新宿からひと駅、山手線・大久保駅、総武線・新大久保にいずれも近い、スタジオヴィルトゥオージです。
まだすべての曲目は確定していません。選定中ですが、これで、具体的なイメージを持って、動き出せます。

2009年12月10日木曜日

「11へ」;2

サイトの整理に着手したのですが、時々にしか行わないため、なかなか進みません。お恥ずかしい次第です。

うらわ美術館にて、開館10周年記念展「オブジェの方へ − 変貌する『本』の世界」を観てきました。トロッタ9が終了した直後、ある方の感想をうかがった後、青山界隈を歩いていまして、ふと立ち寄った古書店で、この展覧会のことを知りました。本の展覧会。それはただ珍しい本を並べてあるだけでなく、オブジェとしての本、造形物の展示会です。そこでは、本は本の形をとどめていません。読むための本ではなく、形を見るための本がありました。例えば遠藤利克の『敷物−焼かれた言葉−』(93)は、真っ黒に焼いた本にタールをしみこませ、約6メートル×3メートルの広さに積み重ね、敷き詰めたオブジェです。言葉は焼かれています。言葉は失われました。そこに人は、なお言葉を探すのでしょうか? いっそ、言葉が失われたことに、爽快感を覚えるのでしょうか?

この展覧会が、私に、あるいはトロッタに、何かをもたらすかといえば、それはわかりません。しかし、人は音楽だけで生きられるはずがなく、言葉だけで生きられるはずがなく、日常の積み重ね、記憶の断片、連なり、積み重ねが、詩と音楽を生むと思うから、このような展覧会にも、私は足を運びます。

帰路、吉祥寺の古本屋に寄りました。いつもトロッタのチラシを置かせていただいており、その御礼もかねて、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの自撰短編集『ボルヘスとわたし』を購入しました。田中修一さんに依頼され、『ムーブメント』の原詩、『乱譜』の続篇『瓦礫の王』を書きました。その時に、田中さんが、このような世界で、と提示されたのが、ボルヘスの『ブロディーの報告書』でした。個人的な好みは別として、田中さんもボルヘスを好んでことがわかり、おもしろいと思いました。

2009年12月9日水曜日

「11へ」;1

トロッタ10が、12月5日(土)、無事に終わりました。集客面では、いつものことですが、満足のゆくものとはなりませんでしたが、作曲者、出演者とも、力を振るって、10回目のトロッタを終わらせることができました。ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。

また、個人的なことではありますが、日本音楽舞踊会議 作曲部会公演「初冬のオルフェウス」にて、橘川琢さんの『冬の鳥』を初演いたしました。これも、無事に終わりました。トロッタとは異なり、この1曲に一日を費やしました。お聴きくださいました皆様、ありがとうございました。

明確な日程は決まっていませんが、私たちはトロッタ11に向かいます。本日は、サイトの整理を行いまして、いつでも、トロッタ11への準備を始められるようにいたします。いや、もうすでに、それは始まっています。

朝はギターと歌のレッスンでした。こうした一歩一歩の積み重ねがなければ、トロッタの幕は開きません。トロッタの準備に追われ、「詩の通信IV」第9号を発行できていません。反省しなければなりません。どれが優先的で、どれが後回しなどということはないはずです。

作曲家の方々宛て、トロッタ11のための作曲予定をうかがうメールを発送しました。少しでも早く、準備を始めようと思いました。

2009年12月4日金曜日

「トロッタ通信 10-25」

詩と音楽について、これまでいろいろと書き連ねてまいりました。

と、ここまで書いてストップしてしまったのが、トロッタ10、本番前日のことでした。今はもう12月9日(水)です。書けるだけ書きましたが、最後の締めくくりはできませんでした。締めくくりがトロッタの舞台です、というようなことを書こうと思ったのですが。

新たなテーマが浮かびました。詩唱を、いかにして、音楽の響きの中に生かすか。朗読であれば、音楽があろうとなかろうと、自由に発声していいと思います。涸れた声でも個性と受け止められます。PAを通してもいいでしょう。しかし、トロッタの舞台に立つ限りは、私は音楽として詩唱していますから、楽器の響きとともにありたいのです。技術として、どうすればいいか。これは大きな問題です。今後は、このテーマを含めて、書き続けていこうと思います。トロッタ11に向けて。

「10へ」;35

トロッタ10も、いよいよ明日の本番を残すのみとなりました。
9時、池袋芸術劇場・小リハーサル室の鍵を開けました。
10時、新宿ハーモニックホールで、ピアノの調律を開始。詩唱の黒田公祐さんと、舞台で動きをつけながら、『捨てたうた』の打ち合わせをしました。
12時、池袋芸術劇場に集まり、『時は静かに過ぎる』の、弦と打楽器中心の合わせ。続いて清道洋一さん『主題と変奏』の合わせ。
13時30分に池袋を出まして、荻窪へ。関係者は、スタジオクレモニアに集まってもらい、14時からシャンソン組曲の合わせ。
15時30分に『死の花』の合わせ。
17時から東京音大A100号室にて、『時は静かに』『捨てたうた』『めぐりあい』『午後の雨/蜚』『死の花』の合わせ。
全力を尽くしました。これでなお至らない点がたくさんありますが、それが実力です。
皆様、明日のトロッタ10、よろしくお願いいたします。

2009年12月2日水曜日

「トロッタ通信 10-24」

すぐに書きます。お待ちください。

「10へ」;34

9時からギターのレッスン、11時半から歌のレッスン。こうしたことは、私にとって、トロッタの基盤です。

14時から、早稲田奉仕園の音楽練習室で、清道洋一さんの『主題と変奏、或いはBGMの効用について』、今井重幸先生の『時は静かに過ぎる』の合わせを行いました。チェロの香月圭佑さんと久しぶりでお目にかかりました。

いったん帰宅し、髪を少し切り、仕事をほんの少しだけしました。
すぐ東京音大に向かいました。

18時から、田中隆司さんの『捨てたうた』、今井重幸先生の『時は静かに過ぎる』、橘川琢さんの『死の花』、田中修一さんの『雨の午後/蜚』を合わせていきました。

帰宅して、プログラム作りにかからなければと思っています。印刷などをお願いする宮﨑文香さんに、明日、東京音大の練習室に来てもらうことにしました。これで、明日の夜までには絶対に、印刷用の原稿を作らなければならなくなりました。

2009年12月1日火曜日

「トロッタ通信 10-23」

もとに戻りましょう。今井重幸先生の『時は静かに過ぎる』について、締めくくります。

先生のお言葉です。


「今回の曲は、作品のドラマ性を意識して書きました。紀光郎さんがアポリネールの詩をもとに構成されましたが、その詩句に合うメロディをつけています。不倫の現場に踏み込まれ、追いつめられた男が壁の中に消えるという、奇想天外ですが、わかりやすい話ともいえるので、音楽もまた、そのようなメロディ、リズムになっています。作曲家とは、作品の理念や意図、演出効果を考え、また起承転結やストーリーに沿って書かなければいけません」


アポリネールの作品『獄中歌-ラ・サンテ刑務所にて』に、「時は静かに過ぎる」という一節があります。

同じく『病める秋』に、「哀れな秋よ」。

さらに『狩の角笛』には、「思い出は狩の角笛」「風のなかに音は消えてゆく」があります。

探せばまだまだあるのでしょう。いずれも、今井先生の曲に生かされています。


『時は静かに過ぎる』の練習が続いています。根岸一郎さんが歌い、赤羽佐東子さんが歌っています。楽器の方々によって、音楽の全体が見えてきました。一場のドラマを観る思いがいたします。このような曲は、あってもよかったのに、かつてトロッタにありませんでした。オペラでもない。歌曲でもない。芝居でもないミュージカルでもない。もちろん器楽曲でもない。っしかし、そのすべての要素を持っている音楽といえるかもしれません。今井重幸先生とは、純粋性という、近代の毒に冒されてしまう以前の精神をお持ちなのでしょうか。