2010年が始まりました。皆様、今年もよろしくお願いします。
本日、書き上げました、「詩の通信IV」第11号のため詩を掲げます。この詩が曲になる保証はどこにもありません。しかし、曲になるならないを別にして、書きたいから詩を書くという自発的な生き方こそが根底にあります。そのような例として、お読みいただければ幸いです。
人生の花
木部与巴仁
恋愛とは
相手の人生を引き受けてもいい
そう思うことですよ
私はまだ
十二歳だった
語る僧侶は
五十代だったと思う
戦争中
静岡で米軍の空襲に遭い
好きな人を亡くした
僧侶は学校の教師だったが
戦争が終わると剃髪し
二度と教壇に戻らなかったという
Kくんが好きになった人は
どんな女性だろうか
せいぜい大切にしてあげてください
しかし
小学六年生の私に
言葉の真意がわかるはずはない
あの夏の
僧侶と変わらぬ年齢になった今も
わかってはいない
相手の人生を引き受ける
苦い思いとともに
時折り
その言葉を噛み締めることはある
あやめの花が
咲いているでしょう
死んだあの人が好きでした
寺のまわりにたくさん生えています
そんなことを
これからも
ずっと引き受けるのだと思います
家に帰った私は
僧侶の言葉を母に聞かせた
ふうんといったまま
母は言葉を継がなかった
その数日後である
僧侶が
行く先も告げず
姿を消したと聞いたのは
恋愛とは
相手の人生を引き受けてもいい
そう思うことですよ
あのころ
私は初めて女性を好きになった
同級生の女の子だった
胸が痛いと母にいい
心臓でも悪いのかと心配された
誰かに自慢したくて
顔見知りの僧侶に告げたのだ
町の歴史に詳しい
子どもの話し相手になってくれる
俳句をよく詠む人だった
夏蝉の
声ききながら
友を待つ
Kくん
あなたのことですよ
半紙に書いた句を見せながら
そこまでいってくれた
たった十二歳の私に向かって
四十年前である
もう生きてはいないだろう
私を置いて行ってしまった僧侶
今も
あやめを見るたび
彼の姿を思い出している
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