伊藤整、小林多喜二、更科源蔵と名前を書き並べると、彼らが文学者であったことに、思い至ります。当然の話ですが、音楽家ではありません。私の出発点は、やはり、文学にありました。これについては、トロッタの会に参加している今、非常な悔しさを伴って自覚するのですが、私という人間の人生を考える上で、否定しようのない事実です。文学から出発せざるを得ません。まず、言葉の人間であったということ。音符の人間ではない。しかし、だからこそ、音楽のみではない、詩と音楽というテーマを設定できました。これを特徴、個性であると、思います。音で考えない、言葉で考えることが欠点だと自覚していますが、何ごとによらず、欠点もまた個性であると思えば、長所になり得ます。詩と音楽を、どう結びつけるか。融合するか。大袈裟ではなく、そのことを継続して考えている音楽の集団は、トロッタしかないと思います。作曲家、詩人、演奏家などに、個々の断片的営みはあるでしょうが、おそらく、トロッタだけが、“詩と音楽を歌い、奏でる”作業を継続しています。トロッタは未完成です。いろいろと、批判されて当然です。永遠に未完成なことをしていると、私は思っています。完成してしまったら、次の回を開く意味はないでしょう。
これは批判の意味ではないのですが、伊福部先生と更科源蔵の間で、詩と音楽を共同で作り続けて行こうとする考えはなかったと思います。別になくてかまいません。伊福部先生は、更科の詩を四篇用いて、四つの歌を創作しました。トロッタ11で演奏される『摩周湖』、トロッタ10で演奏した『知床半島の漁夫の歌』、いずれは演奏したい『オホーツクの海』、そして『蒼鷺』です。
更科源蔵は、詩を詩として書き、音楽にすることは考えなかったでしょう。伊福部先生からの申し出はあったでしょうが、詩を書いた結果として音楽ができたので、共同作業の意識はなかった。詩を書いている時に、音楽は、おそらく聞こえていなかったと思います。
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