伊福部先生は、詩人ではありません。音の作り手ではありますが、言葉の作り手ではありません。『管絃楽法』のような解説書はありますが、文学ではありません。先生のお考えはわかりませんが、一方に音楽があれば、一方に詩がある。どちらの表現も芸術と呼ばれる。自分が音楽の書き手であれば、詩の書き手がほしい。詩そのものがほしい。それは、自分が仮に詩人なら書いたであろう、言葉の連なりである。更科源蔵の詩に、共感できた。共感できたなら、それを歌曲にしてみたい。このようなお考えではなかったでしょうか?
『知床半島の漁夫の歌』にせよ、『オホーツクの海』にせよ『摩周湖』にせよ、スケールの大きさを感じます。大自然とか、民族とか、歴史とか、そのような言葉も印象として浮かびます。伊福部先生の音楽には、そのようなスケール感があります。伊福部先生の音楽は、やはり、大きなスケールの詩を欲したのでしょう。それに応えた更科の詩も、スケールが大きいということになります。ちまちましていません。いきなり、山や川や海の姿を詠み、人を、それと同等のものして歌い上げるのですから。東京の街の中にいたのでは、生まれない詩ばかりです。伊福部先生もまた、森林官として山に住み、海を間近に感じて、青年期を過ごしました。ふたりとも、そんな自分の姿を客観視するだけの近代性は持っていたのですが。ふたりとも近代人です。丸ごとの野生児ではありません。野生児なら、詩も音楽も必要なかったでしょう。野性的な感性を持った近代人として、さらに同じスケール感を持つ者同士として、詩人と作曲家は、幸福な出会いをしたことになります。
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