2010年1月31日日曜日

「トロッタ通信 11-19」

『うつろい』は、トロッタ11で、4度目の演奏になります。2008年1月26日(土)、トロッタ5で初演。同じ年の7月28日(金)、名フィル・サロンコンサート「詩と音楽」で再演。2009年3月22日(日)、橘川氏の個展「花の嵐」で三演しました。幸せな曲だと思います。それだけの魅力がある曲です。この演奏回数に匹敵する橘川さんの曲といえば、『花の記憶』でしょう。

たった今、新しい詩を書いています。詩は、誰が書いても短いもので、文字数はたいしたことがありませんから、すぐ書けそうだと錯覚します。しかし、なかなか書けません。説明のための文章ではありませんから、書けばいいというものになりません。

目の前にある、形を取りつつある詩は、いつ、どこで詠む、曲になるというあてのない作品です。書きたいから書いています。詩で商売をしようなどという人は、おそらくありません。商売になるわけがなく、仮に原稿料をもらったとしても、それは一時的なもので、持続性はなく、従って生活を支えるものとはなりません。なればいいと思いますが、ならない方がいいともいえます。

詩の書き方も、おそらく、決まったものはないでしょう。その人だけのものです。詩の教室も、あると思います。そこに通えば、不特定多数の方に、ある程度の説得力を持つ詩が書けるのでしょう。しかし、生まれたものは、詩人にとって絶対の詩ではありません。講師料を受け取る、先生の生活を支えるために書かれたようなものです。

そういえば、私も詩の講座に、一度だけ顔を出したことがあります。どんなことが語られているのだろうと思いまして。また、知り合いが講師をしていた関係もありました。自分の詩を朗読するというので、『夜が吊るした命』という、後に酒井健吉さんが作曲してくれた詩を持参しました。先生が、何かいってくださいました。詩を書く視点、といったようなことだったと思います。詩は、ビルの屋上で、電線にからんで身動きが取れず、冷たい冬空の下で死んでゆく烏を描いています。詩が、私の視点なのか、烏の視点なのか、といったような講評でした。先生の言葉が、正しいのかもしれません。その時の私の関心は、どのように朗読するかに大部分がありました。先生と、関心のありかがずれていたと思います。先生のお言葉を受けて、詩を直そうとは思いませんでした。強情になったわけではなく、これでいいと思ったからです。いや、一種の強情だったのでしょう。

そのことより、講座の主催者が、その後、間もなくして亡くなってしまったことの方が、私の記憶に刻まれています。私よりだいぶ若い方でしたのに。初期の「詩の通信」は送らせていただいていました。まだ「トロッタの会」は始めておらず、彼にも、トロッタに足を運んでいただきたかったと思います。(19回/1.29分 1.31アップ)

0 件のコメント:

コメントを投稿