いささか、筆が走ったかもしれません。
私は、作曲家に詩を渡す時、いや、詩を書いている時、音楽を聴いているでしょうか?
トロッタ11では、田中修一氏が、『亂譜 瓦礫の王』を用いて『ムーヴメント2』を発表し、橘川琢氏が『うつろい』を用いて『詩歌曲「うつろい」』を発表し、清道洋一氏が『いのち』を用いて『いのち』を、長谷部二郎氏が『人形の夜』を用いて『人形の夜』を、それぞれ発表します。しかし、私は何の音楽も聴いていません。こういう音楽が、こういうスタイルで生まれればいいということも考えません。仮に音が聴こえるとしても、積極的に、私は聴かないでしょう。聴こえるのは私の音楽だからで、詩を託そうとする作曲家の音楽ではないからです。他人と共同作業するのですから、自分の音楽だけ聴いていては、おもしろくありません。何が生まれるかわからないからおもしろいので、むしろ自分と正反対の感性を持つ作曲家にこそ、詩を預けたいと思います。
その意味で、更科源蔵は、まず、詩人として詩を完成させました。そして伊福部先生は、1943(昭和18)年に発行された更科の詩集『凍原の歌』を手にして、熟読し、その中から四篇を選んで、音楽にしようと思った。結果、更科は四曲を聴くことなく亡くなりましたが、伊福部先生の曲を通して、更科源蔵という詩人の存在は、音楽の世界で永遠のものとなりました。『若い詩人の肖像』に登場するとはいえ、伊福部先生の歌がなければ、私は更科を意識しないままに終わったと思います。
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