2009年8月4日火曜日

「花の記憶」名古屋公演が終了しました



*写真は、二階席から見た、しらかわホール。舞台は、「花の記憶」の並びになっています。最前列中央に、上野雄次氏による、花生け用の台が置かれます。(提供;橘川琢)

名古屋・しらかわホールでの『花の記憶』公演が、無事に終了しました。昨夜、午前零時前に帰宅しました。
おかげさまで、満員のお客様に、最上の演奏をお聴かせできたと思います。上野雄次さんの花生けはみごとでした。この舞台では、これまでになく、上野さんの存在を感じながら詩唱することができました。
橘川琢さんの編曲はみごとでした。実は先ほど、阿佐ケ谷駅にて、橘川さんから、録音CDを受け取ったところです。聴かせてもらいましたが、出演者9人の合奏になってゆくクライマックスは、鳥肌が立ちました。明確な音にはなっていませんが、上野さんが鉛の壺を割って、真っ赤な花を散らすのです。

お客様には、うぬぼれを承知でいわせていただけば、得難い体験になったのではないでしょうか。
私にとっても、得難い体験でした。
実は最後の箇所で、声が裏返ってしまいました。橘川さんには、それがかえって本気に聴こえたといっていただきまして、もちろん本気には違いないのですが、いささか生(なま)です。少なくとも、私の意図したことではありません。おまけに、裏返った瞬間、両腋の下の筋肉を痛めました。力が入りすぎたのです。お恥ずかしいことです。
名古屋まで来ていただいた、音楽評論の西耕一さんには、力強さとか迫力だけではない、やわらかな声が聴けてよかったといっていただきました。個人的に、強さや他を圧倒する力、自分のからだが痛むような力は、もう必要ありません。音楽の神さまが、私に配慮して、次の課題を与えてくださったのだと思います。

トロッタ9に向けて、精進していきたいと思います。いささか長くなりますが、詩「花の記憶」を掲げます。


花の記憶


木部与巴仁



花となり生きる

人となり生きる

思いを託す

色と形

立つ そこに居る

花の姿

止まったまま

時間は水に浮かぶ

命も映えて

心に落ちる静かさ


咲けよ

音は無く

花となり生きる

人となり生きる

暗闇で 花は

変わらずにある



すべてがあればいい

そう思い 花に向かう

人生の一切

世の一切が 器にあれ

思いは春にたかぶる

ところが 花は

そんな気負いなど知らぬ気に

自然なのだ

支えるものもなく

すっくと立つ

空気の隙間に

危うさと心地よさの

得もいわれぬバランス


面影が心に沁みる


生まれながらに持った

色と形

哀しみなど無縁

花は何も語らない

怖いほどの潔さ

その花に向けて

話しかけたい私がいた



器の陰に

花を見る

じっとしている


氷雨が落ちた夜

伝え聞く

人の死

普段と変わらず

朝には新聞を開いた人が

昼にはこと切れた

ひとりの部屋で

ひとりのまま

好いた人があり

嫌った人があり

その一生を映していた

花の面


誰もいない

雨に濡れる公園

足跡だけを残して

あの人も あの人も

あの人も

死んでゆく


そんなつもりではないのに

心に残った

花の赤を

手向けようとしている



*出番直前に待機する、アーティストラウンジです。左手奥に楽器置き場が見えます。上野雄次さんが、鉛の壺を作成中。この中に、真っ赤な花びらが詰めこまれます。上野さんの背後は、チェロの新井康之さん。(提供;橘川琢)

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