2012年2月24日金曜日

トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).4

酒井健吉氏の表現ジャンルに、“室内楽劇”がある。酒井氏によると、それは「物語性が強い内容を持ち、詩唱とともに歌唱が非常に重要な作品」である。
 2008年8月22日(金)に『海の幸 青木繁に捧ぐ』を長崎で初演した折り、私が書いた文章があるので掲載する。トロッタ15の『美粒子』は室内楽劇ではないようだが、酒井氏の作曲態度を知る手がかりにはなるだろう。(8月22日に配布した文章のうち、作曲一覧に手を加えて最新版とした。8月22日以降の作品も掲載してある)

室内楽劇の歩み 詩作者の視点
木部与巴仁

 八篇で構成される詩『海の幸 青木繁に捧ぐ』を完成させたのは、ほぼ一年前である。2007年8月17日(金)に第一篇「放浪 *『大穴牟知命』に寄せて」を、8月24日(金)に最終篇「終 *『女の顔』」を書いた。一日一篇の進行であった。『海の幸』が“室内楽劇”として初演されるのは、詩の完成からほぼ一年を経てのこととなる。
“室内楽劇”。作曲の酒井健吉氏が命名した、音楽の様式である。『海の幸』初演のチラシに、酒井氏の言葉がある。
 室内楽劇について  。
「名前だけ見るとただの室内オペラではないかと思われるだろう。しかし通常のオペラと決定的に違う点がある。それは全編に朗読が入っていて非常に重要な役割を担っていることである。(中略)私や詩を書いた木部さんは朗読も音楽の一部、朗読者は楽器と考える。この歌手と朗読、器楽アンサンブルのスタイルは私にとって物語性のあるものを表現するのにとても自然体に作曲ができるものになった」
 酒井氏が初めて“室内楽劇”という言葉を用いたのは、2007年7月22日(日)、名古屋市音楽プラザで行なわれた名フィル・サロンコンサート「詩と音楽2007」において、『天の川』を初演した時である。現在に至るまでの、私と酒井氏の共同作業を見よう。大幅な改訂を施さない再演は省略した。


 朗読を伴う作品は10曲、歌を伴う作品は5曲になる。
 東京を舞台に、作曲家や演奏家と、「トロッタの会」を共同で運営している。“詩と音楽を歌い、奏でる”と銘打つもので、酒井氏の他、これまでに橘川琢、清道洋一、田中修一、松木敏晃、宮﨑文香、Fabrizio FESTAの各作曲家が参加した。そのどなたもが、朗読か歌を伴う曲を創っている。2007年2月25日(日)、第一回演奏会のチラシに記しておいた。
「詩は、歌うものでしょうか? 奏でるものでしょうか? 答えは出ませんが、ただ読むだけのものにはしたくありません。少なくとも黙読には終わらせたくない。声に出して詠むうち、詠み手だけのリズムが生まれ、原初のリズムが生じる。そして楽器とともに詠み、あるいは他の声と重ねることで、ハーモニーもまた生まれる。それは音楽と呼べないのでしょうか、と問いたいのです」
 この答えは出ていない。しかし、問う前から出ているともいえる。音楽と呼べるのだ。酒井氏との実践、「トロッタの会」を通じた作曲家たちとの実践が、すでに答えである。演奏会を開いているのだから。その過程で、酒井氏は“室内楽劇”という言葉を発想し、他にも橘川琢氏は“詩歌曲”という言葉を用い、自身の様式とした。さらにいえば、そうした言葉を用いないことが、ある作曲家にとっては答え。様式化するまでもない、ということになる。
 厳密にいえば、トロッタの問いに答えは出ているものの、言葉による裏づけ、こうだから詩は音楽になるという他者への説得性は、いまだ持ちえていないと感じる。しかし、それは必要だろうか。私や作曲家、演奏家が考えるものだろうか。時間が回答するに違いない。また、裏づけに時間を費やすくらいなら、私は一つでも多くの曲で詠み、詠(うた)いたい。酒井氏との新たな共同作品として、9月には『水にかえる女』の、演奏を弦楽四重奏にした改訂版。11月には朗読を伴う新曲『庭鳥、飛んだ』。2009年1月には『祈り 鳥になったら』のオーケストラによる改訂版を演奏する。さらに『海の幸』は、2009年の夏、東京での演奏を予定している。
 この原稿を書いている間、酒井健吉氏は“室内楽劇”の作曲を行なっている。私もまた、いつかは音楽になるための詩を構想し、書いている。そのための紙上の舞台、「詩の通信III」の、今日は発行日である。これから先、どんな“室内楽劇”が生まれるか。私も知らない私自身の心に、まだ見たことのない形がある。

2008.8.18(月)

トロッタ日記日記120213-16(*前回投稿の日記に先立つ)

2月13日(月)、(*kibeyohaniのツイッターと重複するが音楽関係にしぼって記す)ギタリスト深沢七郎との出会い。代々木上原の古書店ロスパペロテスで、深沢七郎の『深沢ギター教室』を初めて手にした。アリステア・マクラウドの本を買いに行ったがそれはなく、代わりが深沢七郎(マクラウドの本3冊はamazonで古書を注文した)。深沢七郎がギターを弾いて日劇ミュージックホールに出ていたことは知っていたが、このようなクラシックギターの教本を著すほどのギタリストとはまったく知らなかった。昨年は山梨県立文学館で深沢七郎の企画展が開催され、何度もチラシを手にしていたのに、自分には関係ないと思い、行かなかった(深沢七郎について知っていたら、間違いなく文学館に行っただろう)。『深沢ギター教室』は2100円だったので、この日は買わず。しかし、オークションや古書店のネット販売を見ると、軽く4000円以上するもの。2100円は安いとわかり、買うしかないと思う。
萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会準備のため、前橋文学館に行かなければと思う。演奏会の準備というより、まだ考えをあたためる過程である。早ければ明日14日(火)に行けると思うが、ほとんど準備していないので、それは取りやめ。前橋に行くなら、市中をまわりたい。朔太郎の詩が生まれた土地を肌で感じたい。深沢七郎同様、朔太郎もギタリストであった。マンドリンと一緒に弾いた。演奏会プログラムには「ギター 萩原氏」などと出ている。ギターやマンドリンを弾きながら詩を詠むこともあったかもしれない。室生犀星の『野火』は、朔太郎自身が旋律化しているほどだ。自作の詩を歌などにした記録はないと思うが、遠く時間が経って、田中修一氏が作曲しているので、朔太郎の“詩と音楽”は、彼の手は直接加わっていないが、間接的にせよ、絶えずに継続されているテーマだといえる。継続されているということを、演奏会で打ち出したい。

2月14日(火)、久しぶりとなる花の新作詩『花首』を完成させ、上野雄次氏と橘川琢氏に送信。曲になればいいが、ならなくてもよい(約束はしていないという意味)。作曲されればもちろんよい。詩の自立性を考えれば、旋律やリズムのために、言葉をゆがめることはない。ただ、共同作業が前提であるなら、あえて言葉への制限を引き受けようと思う。旋律に乗せるのが苦しい言葉に固執しようとは思わない。作曲家に苦しみを引き受けさせようとは思わない。花の詩は、次々に書いていきたい。しかし、無理な状況だ。新鮮さが失われているのかと思っている。その反省もあって、何か書きたいと思ったのだ。上野氏が関係するふたつのイベント、花のバトルと花会を経て、詩になった。上野氏以前に意識していた花道家、中川幸夫のこと、花だけでなく美術作品から受ける詩への影響など、考えることは無数にある(船越桂、有元利夫の作品も、私に詩が書けるかもしれないという気持ちを強く起こさせる)。
結局、この日は前橋に行かず、部屋の整理を始める。明日のレッスンの準備すらしていない。ロルカについても勉強しなければ。“Zorongo”の詩はロルカが書いたというが、詩集に載っているのか? 載っているという話だが、全集をめくっても見つからない。ロルカ伴奏によるアルヘンティーナの歌唱の、早口言葉のように速いこと! これを私はどう歌う? テーマだけ増えて、ひとつひとつが深まらない焦り。午前2時過ぎまで起きていたが、何も進まなかった。

2月15日(水)、練習不足のまま、ロルカの“Zorongo”をレッスンしていただく。全然駄目だと思う。このような歌は、ばかにする意味ではなくできるはずもないが、ギターを弾きながらさっと歌いたいものだ。それでこそ味わいが生まれる歌であるはず(考え違いかもしれない。練習はしているが、すればするほど、本来の形から離れていく気がする。しかし、民謡の歌い手も、世界のどこであれ練習しているわけで、その上で他人に聴いてもらっているので、練習が不要のはずはない。練習の仕方が違っているのか? 私の心構えが違っているのか?)。
『深沢ギター教室』がどうしても欲しくなり、古書店ロスパペロテスに予約。気がつけば、ロスパペロテスはロルカの朗唱者、天本英世氏が連絡場所にしていた喫茶店があるビルに入っていた。この店で何度か、天本氏と打ち合わせさせていただいた。形にできなかったが。それは無念だ。無念さを、自分で晴らそうとする。それがトロッタの根にある。ロスパペロテスの玄関まで50cmと接近した瞬間、ギタリストの萩野谷英成氏からメールが届く。文面は、『深沢ギター教室』を代わりに買ってほしい、というもの。彼が注目するのは当然だが、このタイミングでメールが届いたことに驚く。思いが一致したわけで、このような偶然、必然は逃したくない。
これに先立ち、山梨県立文学館に電話して、展覧会「深沢七郎の文学 『楢山節考』ギターの調べとともに」の図録と関連資料1点を注文。料金も、即刻支払った。気分が高揚し、田中修一氏の歌曲『鳥ならで』を弾く。田中氏が、私にこの曲を与えてくれたことを奇跡のように思う。いや、私の詩による詩唱曲、歌曲は、すべて奇跡のようなもので、作曲の皆さんには感謝してもしきれないのだが(同時に、詩を書いた者として背負うべき荷であると思っている。負うことを引き受けるべき荷だ)、『鳥ならで』はギター曲であるだけにありがたいと思う。難しいと弾けないのだが、『鳥ならで』なら何とか、いや、この曲すら駄目なのだ。『鳥ならで』が弾けるようになれば、次は朔太郎の詩による『遺傳』。さらには朔太郎の『ぎたる弾くひと』に触発されて書いた、ギタリスト石井康史氏の追悼曲『ギター弾く人』も。道は遠いが、どこかで加速させ、次々に弾いていきたい。西荻窪・奇聞屋の朗読会が行われた日だが、忘れて行けなかった。たるんでいると思う。私にとって、大事な拠点ではないか。だが、たった今あるすべてをこなしきれないのも事実。言い訳だろう。前橋文学館学芸員の小林氏とメールで連絡を取り合い、明日16日(木)に、おそらく、行くことにする。深夜になっても態度決まらず。しかし、準備不足でも行ける時に行くしかない。

2月16日(木)、8時32分、阿佐ケ谷から中央線で上野をめざす。9時37分、上野発高崎行きに乗車。高崎には11時16分に着く予定。10時05分、大宮発。友人のいる上尾を経て、10時22分鴻巣着。熊谷、岡部、本庄を経て、籠原で車輛切り離しのため乗り換え。榛名山を遠望する。竹下夢二で親しんだ山だが、遠くてもきちんと見るのは初めてかもしれない。11時26分高崎発、両毛線伊勢崎行きに乗り換えて前橋へ。46分前橋着。シャトルバスに乗って中央前橋駅に行く。広瀬川沿いを歩いて文学館へ。小林氏の導きを受け、展示室、ホールを見学。閲覧室にて、朔太郎の自筆譜、プログラム、メモ、ノートなど、音楽資料をすべて撮影。15時半ごろ終了。3時間半の作業だったが、空腹も手伝ってふらふらになる。市中をめぐるのは次の機会にしよう。車がなく、バスは頻繁になく、タクシーをやとうお金もない(いっそ、一泊した方が安いかもしれない)。道がわかったので、徒歩で前橋駅まで戻る。16時04分発の電車で高崎に戻り、21分発の上野行きに乗った。今度は上野回りでなく、赤羽で乗り換えて新宿に向かう。16時54分に籠原発。日が長くなって、まだ外は明るい。

トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).3

酒井健吉氏との、『美粒子』をめぐる架空の対話。

【木部】 私が『美粒子』を発行したのは、2006年の10月です。当時の電子メールを確認したら、10月28日に印刷所から手元に送られて来ていました。写真家で、映像集団ゴールデンシットの一員だった木村恵多さんの写真4点を見ることで、詩の気持ちをかきたてて行きました。木村さんは、『新宿に安土城が建つ』を一緒に公演した仲間です。私が日本工学院専門学校で教えていた時の学生だったのですが、卒業したら、古い関係はもう捨てて、表現者同志で何ができるかを考えました。先日、『美粒子』を書いていたころのメモが出てきたのです。木村さんの写真をカラーコピーし、それに白紙を貼り足して、詩の言葉をいっぱいに書いていました。その言葉を削って、最終的な形にしたということを思い出しました。

【酒井】 2006年というと、木部さんの詩による『トロッタで見た夢』は、前の年の2005年に、もう書きあげて8月に初演していました。続いて、2006年の2月には、やはり木部さんの詩で『夜が吊るした命』を初演。7月には『兎が月にいたころ』と『ひよどりが見たもの』を初演しています。そうした流れの中で、秋に送っていただいた『美粒子』も、曲にしたいと思っていましたね。トロッタが始まるのは2007年2月です。1月には、やはり木部さんの詩で『雪迎え/蜘蛛』を初演しています。“詩と音楽”の活動が始まろうとするころの詩なんですね。

【木部】 詩を書いてから、7年経って、トロッタ15で曲になるわけです。この詩は、さっきいったように、写真を見て書いたもので、私の中に何かがすでにあってできたものではありません。視覚的に反応して生まれた、純粋な言葉といえるでしょう。不純な言葉とは何かというと、先にいいたいことがあって、それを説明する道具になってしまった言葉です。言葉には説明の役目も大きいので、否定はしませんが、やはり純粋な言葉こそ、拙くても美しいといえましょう。存在の仕方が美しいと思います。伊福部昭先生がよくおっしゃっていた言葉に純音楽というものがあって、じゃあ不純な音楽とは? とよく質問して、いまだにはっきりした答えは出てないと思いますが、それが自分のことだと、純粋な言葉などといってしまいます。でも、そうとしかいえないと思います

【酒井】 『美粒子』がどのような作品になるか、作曲者の僕にも最終的なことはわかりません。できるだけ早く書きたいと思いますが。今は、次のような点に注意して作曲をしているところです。まず、木部さんによる詩唱パートがあり、独自の相対的記譜法によって、曲全体に変化を与えてゆくものとします。そして詩唱には、母音唱法による歌唱があります。

【木部】 私は歌うわけですか!?

【酒井】 歌ってください。『天の川』でも、かささぎの歌を歌ったじゃありませんか。

【木部】 努力しましょう。

【酒井】 器楽パートについては、まずオーボエには独奏楽器としての役割を持たせます。オーボエが、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノによるピアノ六重奏と協奏し、これを軸にしながら詩唱がからんでゆくことで、ふたつのソロパートを持つ、ドッペルコンチェルトとしての性格を明らかにしてゆくのです。

【木部】 オーボエは、酒井さんが長崎から呼んでくださる、西川千穂さんですね。長崎には懐かしさがあります。それこそ“詩と音楽”の初期にはよく行きました。酒井さんと同じく宮﨑文香さんも長崎で、トロッタは長崎に縁が深いと思っています。もう一方で縁が深いのは、北海道ですが。

【酒井】 西川さんのことは楽しみにしていてください。上手なオーボエ奏者ですよ。作曲者の心構えとしては、『美粒子』を詩唱パートのある純音楽として作っています。木部さんが先ほど、詩の『美粒子』は純粋な言葉として書いたとおっしゃいましたが……。

【木部】 誤解を生むかもしれませんが、純粋じゃない詩は、ありえないでしょうね。

【酒井】 僕の曲も、純粋な音楽です。決して、何かを説明するためにあるのではありません。

【木部】 『天の川』のような曲だと物語がありますから、それを説明するための詩、言葉という側面もあるのですが、『美粒子』は視覚性だけで物語がありませんから、純粋性は高いでしょうね。本当に、説明のための言葉は嫌です。目的することが説明になってしまいます。詩に中身など、なくていいと思います。言葉だから意味はあるのですが、意味からも自由になった言葉が並んでいればいい。言葉が意味をなくした時、生まれてくる意味は、読み手や聴き手という、受け手側が自由に抱くものになるでしょうね。それこそ美粒子のような言葉が、生まれて消えればいいんじゃないかと思います。

【酒井】 僕が今いえることは、こんなところですね。どんな形になるか、僕自身が楽しみですよ。

トロッタ日記120214-23

2月14日(火)、橘川琢氏と上野雄次氏に花の詩『花首』を書いて送った。

2月15日(水)、歌のレッスン。酒井健吉さんが『美粒子』の作曲方針を送ってくれる。前橋文学館学芸員の小林氏に、氏が教えてくれた日程にもとづき、明日の訪問は無理か尋ねる。明日でもさしつかえなし。

2月16日(木)、萩原朔太郎の“詩と音楽”を求めて前橋に行く。トロッタから派生する、どんな演奏会が開けるか。朔太郎の“詩と音楽”を、(トロッタをよりどころにする)私たちとして、どこまで追究できるか、“詩と音楽”の実践の場にできるか。学芸員の方との打ち合わせ、資料の撮影はしたが、前橋市内の実地調査はできなかった。慣れない遠出で昂奮してしまい、眠れない。無理に寝た。トロッタ15には無縁だが、朔太郎を知ることは、必ずトロッタに生きる。彼は“詩と音楽”の先達だ。

2月17日(金)、お金の支払いが滞っているという連絡がある。愛媛県に出張中の清道洋一氏から、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという連絡がある。トロッタ15ご出演の松本満紀子さんから、グループえんのチラシ作りについて相談の連絡がある。それらすべてがトロッタに反映する。日本音楽舞踊会議演奏会のため、清道洋一氏作曲『革命幻想歌2』の準備を始める。遅い?(この日に清道氏から稽古の申し入れがあったのはシンクロ)横滑ナナさんの踊りを観に横浜へ行った。思うこと多し。舞踏に接し続けた20代前半の日々が、今の土台にある。

2月18日(土)、日本音楽舞踊会議演奏会のため、『革命幻想歌2』の稽古を、清道洋一氏、堀江麗奈さんと秋葉原で行う。久しぶりの、芝居の動きだ。早朝に清道洋一氏からメールがあり、10時に秋葉原駅改札口に集合して、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという申し入れ。望むところである。ソプラノ大久保雅代さん、ピアノ徳田絵里子さん。トロッタ15に出演する二人の演奏会が、雑司が谷音楽堂で行われた。トロッタの会場として、何度も検討した会場である。今のトロッタはスコットホールで行うが、検討したことも歴史にあってのスコットホールなのだ。つまり、ことの大小を問わず、行った一つ一つが礎となって、トロッタを形成しているということ。何かをすればもちろん、何もしなければ、それがそのままトロッタに反映される。本当は日常のすべてをトロッタに使いたいと思うが、それは不可能。そこに問題がある。清道洋一氏が『革命幻想歌2』の稽古を終えていったこと。トロッタの練習も、これくらい(前から? あるいは細かく? 両方だろう)したい、と。その通りである。間際になっての練習が多すぎる。原因はいろいろだが、日常の行い一つ一つを振り返れば反省できる。トロッタ15についても、本番はまだ先だが、準備、練習ということでは、もう取り返せない遅れが出ていると思う。目に見えなくても。逆に、例えば萩原朔太郎の“詩と音楽”のため前橋に行ったことが、関係なさそうでもトロッタに生きる、というようなことはある筈。山梨県立文学館から深沢七郎展の図録など届く。ギタリストとしての深沢七郎を知ること。これもトロッタに通じる筈。

2月19日(日)、昨日の『革命幻想歌2』の稽古で、喉をいためた。声の出し方がまずいのだ。喉をいためるように出してしまっている。風邪に注意。台詞を覚えなければ。覚えて心と身体から発声し、動きを伴わせれば、喉をいためないと思う。何もできない一日。特に「詩の通信VI」2号分の発行が滞っている。明日は月曜日だが、出せるか? 駄目なら3号分が停滞する。詩はできているというのに。

2月20日(月)土曜日の、『革命幻想歌2』の稽古でいためた喉が少しよくなっている。よくなってほしい。誰のせいでもない。私がいけない。言葉が身体に入っていないのに、大きな声をはりあげたから。歌と芝居の声の出し方は違うと自覚しなければ。誰がしても、同じではないと思う。トロッタの表現についてもいえること。私は歌い、詩唱している。どちらも、私の表現としては詩唱だが、逃げるつもりはない。歌として、まずいと、評価してほしい。かつて、田中修一氏の『遺傳』を歌った時、歌の後の朗読はよい、と書かれた。歌はまずいということだ。

2月21日(火)ほとんど何もできない日。花粉の影響もあって集中できない。部屋を少しだけ整理したら、トロッタ15で初演する、酒井健吉さん作曲『美粒子』の詩を書いていたころのメモが出てきた。木村恵多さんの写真4点を原寸でカラーコピーし、周囲に詩をびっしりと書いていた。酒井健吉さんに、『美粒子』の作曲メモを送ってほしい、原稿にして紹介するからといい、送ってもらったのに肝心の原稿を書いていない。前橋に行くなどするうち、気持ちがばらばらになってしまった。申し訳ない。『美粒子』のメモが出てきたので、これを契機に書こう。トロッタのことではないが、田中修一さんに、山梨県立文学館から届いた深沢七郎の資料をコピーして郵送。深沢七郎について考え、彼が尊敬した作曲家・小栗孝之について考えるなどするうち、ギターを弾きたい気持ちが強まり、田中氏が私の詩をもとに書いてくれた『鳥ならで』を弾いて歌い続ける(下手に)。音はまずいが、時にぞくっとする瞬間がある。曲がいいから。多少ともうまく弾けるようになれば、もっとぞくっとするであろう。これで聴く人をぞくっとさせられればよい。今は、ぞっとさせる段階。できないことが多すぎる。

2月22日(水)ファゴット奏者のTさんと東京音大で会う。出演を引き受けてくださる(新メンバーの名前は、すべて確定するまで匿名とする)。コントラバスの丹野敏広さんと引き合わせる。民族音楽研究所の甲田潤さんとも。新しい方々の演奏の場が広がるなら、私にとっても、新しいメンバーと出会うことで、自分の可能性が広がるのだと思う。次回に出られない方々とも、いつかまた共演したい。生きている限り、共演の機会はやって来るはず。トロッタでなくてもいい。例えば計画中の、萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会でもいい。

2月23日(木)ヴィオラ奏者のHさんと会う相談。これまでヴィオラを弾いてくれていた仁科拓也さんが、次回の出演が無理となったので新たな方を迎える。昨日はファゴットのTさんと会った。いつまでも同じメンバーとはできない、それはまったく好まないのだが。変化を受け入れよう。

2012年2月14日火曜日

トロッタ日記120213

次回に参加してくださるかも知れないファゴット奏者を紹介される。メールで連絡を取る。ぜひお願いしたい。新しい個性と出会うこと。大げさな表現だが、身を投じる方にとっても、迎える側にとっても、大変なことだ。仮に無理となっても、話を聞いてくださるだけでありがたい。

参加していただいているメンバーにも、常に連絡を取っていたいと思いながら、用がある時しか連絡していない現実。皆さん、演奏会をしているのだから、そのすべてに足を運びたいと思いながら、事実は無理に終わっている。よくないと思う。結局、その日暮らしに終わっているから。

トロッタ15に参加してくださる松本満紀子さんたちの「グループえん」第三回演奏会のチラシを作成。「詩人・堀内幸枝の世界」と題されている。統一されたテーマで演奏会を開くのもひとつの方法だろう。目下、萩原朔太郎の“詩と音楽”をテーマにした演奏会を考えているように。

ここ数日、花をテーマにした詩を書いている。早く完成させたいが、読み直すたびに別の表現が見つかる。気分によって変わるのはいけない。しかし、気分によって変わることを肯定したいとも思う。生きているのだから。詩も、生きているのだから。どこかで形を決める思い切りが必要だ。

2012年2月13日月曜日

トロッタ日記120211 & 12

2月11日(土)
上野雄次氏の「花会」に、世田谷区深沢のjikonoka TOKIOへ赴く。ここしばらく書いていない、花の詩を書きたいと思っている。先日の「花いけバトル」を観に行った背景にも、花の詩を書きたい気持ちがあった。桜新町駅から初めて歩く。桜並木が続く。ここは花の道だ。

上野氏とは3月12日(月)、日本音楽舞踊協会演奏会の橘川琢作品『春告花』で共演する。トロッタ15での共演はない。会場に入ったとたん詩が書けると思う。私が求めていることに加え、花の強さを感じた。なぜ「花いけバトル」をするのかを弁じる上野氏。願いがかなうことを祈る。

トロッタのブログに、少しだけ手を加えた。twitterのアカウントを2つ持っている。ひとつはトロッタのこと、ひとつは私自身のことを書いている。後の方はfacebookに直結する。後の方にもリンクをはった。分けたことで煩雑さを招いたと思うが、使い分ければよい。

アリステア・マクラウドに共感する先に、ガルシア・ロルカへの共感があると思う。ロルカが注目したのも、芸術音楽ではない、ロマ人(ジプシー)の、生きるための音楽だった。私は芸術音楽を否定しない。同時に、生きるための“詩と音楽”に共感している。両者を分けたくないと思う。

2月12日(日)
日本音楽舞踊会議演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」の、本番一か月前。橘川琢氏の『春告花』と清道洋一氏の『革命幻想歌2』に出演予定。準備することはいくらでもあるが、今日は仕事の書評原稿を書く一日。しかし夜になって、トロッタの過去と現在について考えることになった。

毎回反省しながら開催してきたトロッタである。毎回同じメンバーで開催していきたいとも思ってきた。それは基本だが、何にでも変化というものはあり、同じまま永久に歩み続けることは不可能だ。変化を受け入れなければならない。トロッタで何をしたかったのかわかっていれば……

どんな変化が起きても平気なはずだ。夢を見た。トロッタ15一か月前に試演会を行い、お客さんもそれなりに来てくれた。ところがある作曲家の曲が半分しかできておらず、彼は指揮を途中でやめてしまう。楽譜を見ると、そこまでしかないのである。お客さんも大半が帰ってしまった。

こんなことをしていては駄目だと思った。お客さんに申し訳なく自分たちにも不甲斐がない。夢だが現実であろう。私は実際に、試演会場にいた。その作曲家がつっぷして悶える姿も見た。同様の可能性はいつでもあり、これまでは潜り抜け抜けてきたが、いつの日か直面する可能性がある。

2012年2月12日日曜日

トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).2

“美粒子”という言葉は美しいが、木村恵多、小松史明の両氏と相談しながら考えたのである。少なくとも、私がすべて考えたわけではない。他の個性と出会い、この言葉に行き着いたことをありがたく思う。
 トロッタの会を始めたころから、酒井健吉氏は『美粒子』を曲にする希望を述べてくれていた。トロッタ15での初演は、詩ができて7年目ということになる。その歳月を思っているうち、当時の私が何を考えていたか、振り返った(ほとんど振り返るということをしないが、意義は認めている。トロッタについては、それをしなければと痛感している)。思い至ったのが、アリステア・マクラウドの長編小説『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を書評したこと。2005年の3月、「サンデー毎日」の書評欄に掲載された。
 マクラウドはカナダ人作家で、スコットランドからの移民の子孫。マクラウドは非常に寡作な人で、2005年の時点で、日本では短編集二冊、長編が一冊あるだけだった。今でも事情は変わっていないと思う。書評には、当時の私が、“詩と音楽”に対してどんな考えを持っていたか表われている。1997年の『音楽家の誕生』以来、伊福部昭先生と更科源蔵氏を通じて考えてきたことである。マクラウドの作品には、“詩と音楽”の切実な関係が記されている。芸術のためというより、生活のためにある“詩と音楽”である。生活の心配がない人がする音楽ではない。生活の心配がある人が、生きるために必要だとしてする音楽である。
 それのみがいいわけではなく、生活の心配がない人もそれなりに、切実さを持って音楽をしていることだろう。それぞれの立場で切実であればよい。私にも私なりの理由があって『音楽家の誕生』を書き、書評に書いたようなことを思い、2006年に「ボッサ 声と音の会」を、2007年に「トロッタの会」を始めた。すべてが延長線上にあって、今は萩原朔太郎の“詩と音楽”について、考えている。


アリステア・マクラウド
中野恵津子/訳
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』
(新潮クレスト・ブックス)

「マクドナルドの一族は常とした、
苦難には豪胆に立ち向かい、
厳しく敵を追いつめ敗走させ、
逆境で信義に厚く勇猛果敢であることを」
 物語が終わりに近づくころ、読者は一編の詩に出会う。歌われているのは、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の主人公、スコットランドからカナダに渡ったマクドナルド一族の姿である。
 先祖代々が暮らしたスコットランドのハイランド地方を離れ、新世界が待っているという希望を抱いて、一族はカナダ東部のケープ・ブレトン島に移り住む。移住を指揮した族長キャラム・ルーアの身体的特徴ゆえに、“赤毛のキャラムの子供たち”と呼ばれた彼らは、高地人ハイランダーの誇りを持ち、移住に伴う苦難を心に刻み、さらにはゲール語で語り、歌い、思考することを忘れず、未知の土地で生き続けた。物語は、二〇世紀が幕を下ろそうとしていた時期の視点で書かれているが、一族がカナダに移り住んだのは一七七九年であり、作者は六代の歴史に筆を及ばせているから、およそ二百年という歳月を、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』は背景にしていることになる。
 長い、実に長い一族の歩み。それを書こうとした、作者アリステア・マクラウドの態度も息が長い。この長編には十三年をかけ、日本では二分冊して刊行された短編集は、三十一年間に書かれた十六編を収めている。目先のことにとらわれ、汲々とした日々を送っている人間には、とてものこと、そんな辛抱強さはない。しかし、物語に登場する“赤毛のキャラムの子供たち”は、ほとんどの移民がそうであろうが、耐え、闘い、待ち、そして闘うことでしか生き延びてゆけなかった。作者マクラウドもまた、耐え、書き、待ち、そして書くという態度を貫いて、この長編を完成させたのである。
「音楽は貧乏人の潤滑油だ。世界中どこでも、いろんな言葉で」
 印象的な言葉があった。冒頭にマクドナルド一族の歌を引いたが、軽くなく、明るくもないこの物語を読み進める上で、私たち読者を導いてくれるのは、各所に現れる歌であり、詩だ。金や名誉や地位ではない、歌こそが、どんなに苦しくても人間を生かしてくれるという確信を、ページを繰りながら、読者は持つだろう。あえて言うなら、金や名誉や地位を失った人が最後にすがるものこそ歌なのだという、これも確信。
「わたしははるか彼方を見つめる。
時の流れのはるか彼方を見つめる。
わたしが見つめるのは、
海のはるか彼方の、
愛するケープ・ブレトン」
 物語中、哀歌、エレジーとして歌われる歌だ。移住から二百年がたった現代、“赤毛のキャラムの子供たち”も日常会話の多くは英語で行うのかもしれないが、一族に伝わるこのような歌には、ゲール語を用いる。一人でも歌い、大勢でも歌う。その場の人々だけで歌詞がおぼつかなくなると、夜遅くても詩を記憶している人を呼び出して歌い切る。歌うということは心を豊かにする遊びなのだが、祖先の魂と結びあう行為でもある。だからこそ、現世の金や名誉や地位を失っても、人は歌にすがれる。拠りどころにできると思うのだ。
 生きる上で、これこそが自分の歌だといえるものを、私たちは持っているのか? 本を閉じた後、我が身を省みずにはいられなかった。 *「サンデー毎日」2005年3月27日

2012年2月11日土曜日

トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).1

酒井健吉の『美粒子』は、同名の詩による詩唱曲である。
編成は、詩唱、オーボエ、ヴァイオリン(2)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ。
曲は新しいが、詩は2006年の作品だ。トロッタがスタートする前年のもので、写真家・木村恵多、美術家・小松史明との共同作業として書いた。
木村は、小石川図書館ホールにて『新宿に安土城が建つ』を共同製作した仲間である。当時の彼は映像集団ゴールデンシットに属しており、『新宿に安土城が建つ』には、映像の立場からの参加であった。それを終えて、新たな共同作業ができないかと考えた。『安土城』は、まず私の詩があって、それをもとに創った舞台である。次は、他のジャンルの作品を先行させ、後から詩を書こうということになった。そこで木村の写真が候補になり、詩『美粒子』を書いたのである。写真と詩を小松史明に託し、小松はA3判両面にデザインしてくれた。小松史明が、その後、トロッタのチラシを作り続けてくれていることはいうまでもない。
詩に添えた解説に、当時の経緯が書かれている。掲げた画像をお読みいただきたい。
繰り返すが、これは私ではない他の個性による視覚表現に反応して書いた、理屈のない詩である。その意味で、言葉として純粋といえるかもしれない。


トロッタ日記120210

清道洋一、橘川琢の両氏から、3月12日(月)に行われる日本音楽舞踊会議・演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」練習時期の打診がある。およそ1月前となり、曲を具体化させなければいけない。練習はいつでもいい。他の方々に合わせよう。橘川氏からプロフィールの提出依頼があったので書き下ろした。

「木部与巴仁 KIBE Yohani/詩唱者。詩と音楽を歌い、奏でる『トロッタの会』などを通じ、作曲家、演奏家と共同作業を行う。詩唱とは、朗読と歌を合わせた音楽としての発声。それは音楽作品として作曲される。「トロッタの会」は、橘川琢、清道洋一、酒井健吉、田中修一、堀井友徳、……

松木敏晃、宮﨑文香、山本和智、今井重幸、大谷歩、田中隆司、成澤真由美、長谷部二郎、Fabrizio FESTAらによって、詩唱を含む曲を発表してきた。第15回『トロッタの会』は5月13日(月)、早稲田奉仕園スコットホールで開催予定』(その後、不備に気づく。これは改訂途中の原稿)

前橋文学館の学芸員の方からメールをいただく。萩原朔太郎をテーマに、田中修一氏の歌曲を中心にする演奏会について、検討していただければということ。もちろん、いつ、どういう形で実現するかどうか未定だが、前向きに考えていきたい。朔太郎という一点を追究することで普遍のテーマにつなげられる。

伊福部昭先生と更科源蔵氏についても、同様の演奏会が開けよう。更科氏の詩による伊福部先生の歌曲を中心に、一夜の演奏会が企画できる。それは前から思っていることだが(トロッタでは『知床半島の漁夫の歌』など、4曲中3曲まで演奏している)、自分たちで創るものとして朔太郎作品を取り上げたい。

いや、自分たちのものというなら、偉そうにいうのではなく、私の詩で、作曲の皆さんが曲を書いてくださっているという、ありがたい状況がある。私はそれに応える。そこに、朔太郎の詩や更科氏の詩を加え、もちろんロルカも加えて、確かな方向にしつつあると思う。自分の詩だと夢中になってしまうが……

朔太郎という先人の詩を扱う場合、客観性が生まれる。自分は自分で研究できないが、朔太郎ならできる。詩と音楽の関係を客観的に見られる(想像だが、橘川琢氏が自作『春告花』に私の詩を使わず、トロッタ15で詩そのものを用いないのも、客観化したい気持ちの表れか。彼が、というより私も含めて)。

今はまだ断片だが、トロッタについての原稿にも、朔太郎のこと、更科氏のことを書いていけばいいだろう(いうまでもなく、北原白秋と山田耕筰にも、詩と音楽の関係があり、さらに山田耕筰には石井漠と組んで舞踊との関係もあるのだが、とてもそこまで広げられない。研究になってしまう怖れがある。……

白秋、耕筰ではなく)朔太郎をまず取り上げる、私なりの強い理由。それはギター、マンドリンから始まっている。ギターとマンドリンを弾いた朔太郎への共感がある。音楽家になりたいと思い、詩と音楽をひとりの身体に持った(ひとりの身体から生もうとした)、朔太郎という個性を考えようとしている。

2012年2月9日木曜日

トロッタ日記120209

詩と音楽について、会の名前、企画の内容、作品の個性は違っても、考えていることはすべてひとつながりなので、まとめて書く。「詩の通信VI」2号分の発行が滞っている。詩はできているのに発行できないままだ。他の方はともかく、私にとって「トロッタの会」は、「詩の通信」から発展したものだ。

「詩の通信」第I期が終了した時、紙に印刷された詩を立体的に、具体的に、音楽として成立させ発表するために発案したのである。その後、時々にしか開催できない「トロッタの会」とは別に、定期的に詩を発表し、連絡もできる個人的メディアが必要だと、「詩の通信」第II期の発行を再開したのである。

だから「詩の通信VI」が滞っているということは、「トロッタの会」の準備も滞っている、私自身の活動が滞っているということになる。しかしすべきことはたくさんある。整理しよう。まず、亡くなられたギタリスト、石井康史さんを追悼する、谷中ボッサでの第7回「ボッサ 声と音の会」を6月に予定。

この曲は、私が海賊放送のDJ後鳥羽上皇に扮する「隠岐のバラッド 2」である。やはり後鳥羽上皇として詩唱する、清道洋一氏の『革命幻想歌2』が、3月12日(月)に日本音楽舞踊会議の演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」で初演される。そのための新作詩も書いた。不明点は多いが稽古で理解しよう。

同じ日本音楽舞踊会議の会で、橘川琢氏の『春告花・三景』が初演され、これにも出演する。橘川氏の詩がどのようなものであるか不明だ。彼が春の詩を書くなら私もと、新作詩「春の落鳥」を書いた。これは橘川氏に受け取ってもらえたので、いずれ曲になるだろう。 そして田中修一氏との共同作業が続く。

田中修一氏とは、長谷部二郎先生編集の雑誌「ギターの友」を媒介にして作業している。萩原朔太郎の詩による歌曲を作っている彼について、私が書く。田中論だが、彼とやりとりしながらのことなので、共同作業と認識している。田中氏からの働きかけで私が新作詩を書く機会も、ここしばらく続いている。

「ギターの友」最新の2月号が完成し、それは朔太郎展を行った世田谷文学館と、朔太郎の写真を借りた前橋文学館にも送った。いずれ、前橋文学館で朔太郎関係の演奏会を開きたい。都内でもいいが、朔太郎が生まれた前橋で開くことに意味がある。ホールがあるのだから。詩の原点、音楽の原点を感じたい。

「ギターの友」の連載「ギターとランプ」では、田中氏のことばかり書いているが、それは了解していただきたい(ちなみに同誌には、長谷部先生と清道氏の対談も連載されている)。生まれた状況は、進められるところまで進めるのが私の行き方だ。萩原朔太郎を媒介に、詩と音楽の考えを進めていきたい。

具体的には書かない(また書けない)が、田中氏と進めていること。詩と音楽はどのように関わりあって曲が生まれるか。これはトロッタの最初期からいっていることだが、できてしまった音楽は、できたものと受け取るしかない。しかし曲ができる過程、これからできようとする曲にはまた別種の関心が湧く。

詩はどのようにして音楽になるか?その秘密(過程)に触れることこそ、トロッタを始めた動機である。それを田中修一氏と明かしたい。伊福部昭先生と更科源蔵氏という大きな前例がある。それを現代の私たちがトロッタで実行する。萩原朔太郎はひとりでそれを行った。朔太郎の営みは未完成に映るが……、

だがトロッタ以前から朔太郎の詩によって曲を作ってきた田中修一氏がおり、私もまた最近のことだが世田谷文学館の朔太郎展によって朔太郎にあった音楽について考え、さらに私のかつての友人が朔太郎論を一冊書いてそれきり音信不通になったことなど、様々な要素が関連し合うことが明らかになってきた。

トロッタ15で曲になる詩。まず私の詩は、清道洋一氏作曲『霧に歌っていた』、酒井健吉氏作曲『美粒子』と『トロッタ、七年の夢』、田中修一氏作曲『ムーヴメント6 海猫』、宮﨑文香さん作曲『宇宙でなくした恋』と『めぐりあい(題未定)』。今回、橘川琢氏の曲に詩はなく、堀井友徳氏は不参加だ。

他の方々の詩は次のとおり。更科源蔵氏による伊福部昭先生作曲『オホーツクの海』(原詩『昏れるオホーツク』)、柳田國男『遠野物語』による田中隆司氏作曲『寒戸の婆』。フェデリコ=ガルシア・ロルカ採譜『ロルカのカンシオネス〈スペインの歌〉』。その中の“zorongo”はロルカの詩と聞く。

その時々の数はともかく、いくつもの詩を集め、曲を集め、作曲家、演奏家と共にトロッタの会は続いてきた。それが今度で15回目。先に進むのに夢中で振り返る機会も少なく、また断片に終わってきた感があるが、例えば田中氏との共同作業を通じて、トロッタの本質に気づけるのではないかと思っている。

今日あたりは「詩の通信VI」を2号分、出せるだろうか。発送数はわずか3部。無料で送らせていただいていた時期は、数十部(実感としては100近く、それは錯覚だろうが)に及んだ。有料制にしたら3部だ。トロッタは15回、ボッサは7回、「詩の通信」は6期。しかし、まだこれからなのだろう。

2012年2月6日月曜日

トロッタ日記120206

預かったまま進めていなかった、「第3回 グループえん演奏会」のチラシを作る。トロッタ15で、田中隆司さんの『寒戸の婆』を歌う、松本満紀子さんも出演。「詩人・堀内幸枝の世界」を題され、全16曲が歌われるもの。6月2日(土)開催だから、トロッタ15の後である。

2012年2月4日土曜日

トロッタ日記120203

(2月3日Fri.)
田中修一氏の実質的な処女作、『漂泊者の歌』を聴く。1991年11月25日、ルーテル市ヶ谷での初演。メゾソプラノ嶋田美佐子、ピアノ加藤悦子。
プログラムに掲載された作曲者の言葉を抜粋する。
「私が、この詩に初めて接したのは十四才の時でした。丁度その頃ニイチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を愛読していた私はこの詩に深い共感を覚えました。その時以来何度か旋律化を考えたのですが、思うようにならず歳月が過ぎてしまいました」
脱稿は1987年。1996年生まれの作曲家として、21歳での作曲、25歳での初演ということになる。
曲は、このように歌い始められる。
「日は断崖の上に登り/憂ひは陸橋の下を低く歩めり。/無限に遠き空の彼方/続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に/一つの寂しき影は漂ふ。」
歌に添うように、時に歌を離れて独自に動き出すピアノが印象的。歌のつとめ、ピアノのつとめということを、よく意識した作曲だ。ピアノは“漂泊者”ではない。漂泊者の影である。影として、漂泊者と共に歩むかと思えば、そばを離れて勝手に遊ぶような動きもする。少年時より約10年、作曲家の心にあり、それがある時、歌の形になる。ピアノを影と解することが、作曲者の意にかなうかどうか疑問だが、仮にそうだとして、そうすれば歌になると、若い作曲家が発見するまでの過程に興味を覚えた。
できるなら、違う歌い方でも聴いてみたい。歌う、のではなく、語るように歌う。作曲者の意図はそこにあるはずだが、歌唱者には至難。歌うと、語るは、まったく別の発声を要するから。作家の処女作に、原点を見る。原点に、すべてがある。田中氏は作曲家としての人生を、歌うように語る曲の創作に向けるだろうと想像させる。萩原朔太郎から始まったことが、彼の作曲家人生を決定づけているように思う。
(付記)録音したカセットテープは田中修一氏に送ってもらったが、彼の手元にはテープの再生機がなく、私の手元にもない。ある所で再生機を借用したところ、テープがからまってしまい、引き出すのに苦労した。録音をしたT氏をわずらわせ、テープの修復と、CD-Rへのダビングをお願いした。時間をさかのぼるのは、容易なことではない。
この文章は、何やら20年前に『漂泊者の歌』初演に立ち会って、その印象を記しているような、不思議な感慨を覚えながら書いた。録音を聴いただけだが、初めて聴いたことには違いがない。
歌うことと、歌うように語ることの困難さについて、記している。初演者の苦労を想像しながら書いた。田中氏からは、そのような指示が与えられていたに違いないのだ。しかし、難しい。習ってきたことと、基本的に違う。歌い手は語りについて学んでいない。逆もしかり。それを語るように歌うなど、どうすればいいというのだ。
田中修一氏がトロッタに出品して来たMOVEMENTシリーズ全6曲を通して聴く。MOVEMENT1には、2台ピアノ版と、電子オルガン+ピアノ+打楽器版がある。6曲の中には、ソプラノのみの曲と、私の詩唱が入る曲がある。歌と語りは、分けるしかないのか。
田中氏の『遺傳』では、私が歌い、語った。歌と語りの声の質が、いや、声質は同じだから発声の質か、それが違うように思う。自分で、声の出し方が違うと思う。それを一緒にできないのか。さらに、語るように、歌えないのか。歌えないなら、歌い方を見つければいいのか。これまで無反省に詩唱をしてきたという、反省。
雑誌「ギターの友」が、もうすぐできるだろう。そこに、目下の、萩原朔太郎への考えを書いている。論考ではない。私にはまだ、論考はできない。ただの報告だ。田中修一氏と萩原朔太郎について。また、世田谷文学館の朔太郎展で行われたマンドリン&ギター・コンサートの。しかし、そこから始まる。朔太郎を研究するなら、それは、詩と音楽への、新たなアプローチになるだろうか。

2012年2月3日金曜日

トロッタ日記120202

既に発行が一週間以上遅れている「詩の通信VI」の第13号を作成する。本来は1月23日(月)に出さなければいけなかったのだ。今号には、橘川琢氏との共同創作“四季の詩”シリーズのために書いた『秋の一族』を載せようと思う。しかし長いので、通常とレイアウトが異なる。表面下段に空白が生じるので、そこを埋めようと、“四季の詩”シリーズで唯一、形にもなっていない“春”篇を書き下ろして載せたいと思う。“春”篇を書こうとしたことには理由がある。
日本音楽舞踊会議の3月12日(月)演奏会で、橘川琢氏の『春告花(はるつげばな)』を詠む。その“春”という言葉に刺激された。演奏済みの『冬の鳥』『夏の國』、曲は未完だが詩はできている『秋の一族』に続く作品を書かなければと思い続けた。『秋の一族』は作曲されていないのだから焦る必要はないのだが、残りひとつだと思うと、どうなるのか知りたい思いが募った。
そこで午後から夜にかけ、“春”の文字を入れた新作詩『春の落鳥(らくちょう)』を書く。ところが、ある程度できたところで気づいたのだが、『冬の鳥』と重なる。四篇しかないのに、冬にも春にも鳥が出てくるのはおかしい。四季全篇に鳥が出てくればいいのだが、そうではない。詩はできて橘川氏に送ったが、これは独立した詩として扱う。“四季の詩”の“春”は、別に書くことにする。既に完成したから形は違っているが、最も初期に抱いた「春の落鳥」書き出しの部分。
「落ちたくないから/鳥は飛ぶ/青い/春の空を切る/影/矢になって/飛んでいった」

「秋元松代全作品集」全3巻が届く。いきなり月報が全巻欠けているショック。その分、安いということだろうが注意書きはなかった。抗議すべきか。月報は資料に過ぎないが、それも含めて編集されているのだから、そこに編集意図があると見るべきで、月報がないのは欠陥品である。抗議すべきか。おそらく、私はしないだろう。

トロッタ日記120201(その2)

●酒井健吉氏から、トロッタ15で演奏する『トロッタ、七年の夢』の構想について、メールが届く。まず純粋な器楽曲にしたいという。もちろん、承諾。八木ちはるさんのフルートと、森川あづささんのピアノ。これに清道洋一氏が、中川博正氏の詩唱をどう加えるか。演出が楽しみだ。
●トロッタ14で演奏された今井重幸先生の『対話と変容』をiPodに動画で入れて聴く。確かに「ロルカの13の民謡」zorongoの主題が聴こえて来た。フルートとチェロの対話であり、変容。私の課題となるはずの、6/8+3/4拍子も参考になる(できるかどうかは別)。
■午前中は2つの病院に行き、歌のレッスンもあった。午後遅く帰宅。田中修一氏と、野上弥生子のこと、彼が温めている新しい企画など、電話とメールでやりとりする。寒かったので、弁当を食べながら梅酒を飲んだら酔ってしまい、仕事にならず。本も読めない。寝た。たるんでいる。
●清道洋一氏から『革命幻想歌2』の稽古をしたいと申し入れ。役者の堀江麗奈さんを交えての稽古になる。台詞をできるだけ頭に入れて臨みたい。清道氏に訊くと、稽古をしながら楽譜を作っていってよい(言葉を決めてよい)とのことなので、心から詠める言葉を提案していきたい。
●上野雄次氏から、2月7日(火)の「花いけバトル」と、2月1、2、4週の金・土・日曜に行われる「花会」と、3週の金・土・日に行われる花いけ教室のお知らせが届く。私の詩を整理しているが、改めて、上野氏に触発され、少なからぬ数の花の詩を書いてきたことに気づく。(2月2日Thu.)「花の三部作」はもちろん、「詩の通信」第IV期には“はなものがたり”と名づけていた。それが昨年の『花とやもり』につながりもした。上野氏との作業について、落ち着いて考えたい気を強く持っている。しかし、それがなかなか進まないのも事実。新しい花の詩を書いてみたい。

2012年2月2日木曜日

トロッタ日記120201

2月になった。気分を一新し、詩や曲を具体的に紹介する「トロッタ15通信」を書き出そうとしたが無理であった。水曜は歌のレッスンで、ロルカの民謡を練習しており、今日から「zorongo(ソロンゴ)」なので書くべきであったが。書いても内容が伴わない。まだわかってない。書きながらわかればいいのだが、その段階にも至っていない。トロッタ15でも3曲を歌う予定だ。1曲目「Nana de Sevilla(セビージャの子守唄)」の練習を取りあえず終え、2曲目に入ろうというのに書くことがないのはどういうこと。無反省に歌っているだけである。何とか初回のレッスンは終えた。しかし6/8+3/4の拍子が身体に入っていない。今井重幸先生の編曲ができ、練習が進むにつれ、これが課題になってくるだろうという予感。
萩原朔太郎についてもそうだが、研究者ではないので、実践を通じてしか理解できない(また、したくない)。研究者にいわせれば、私は全体を見ていないということになる。伊福部先生についての『音楽家の誕生』が既にそうだ。あの本に書いたことしか知らない。そして、あの本に書いたことだけでは終わらない。1997年に書き終え、10年後の2007年にトロッタを始め、今に至っている。10年後に、『音楽家の誕生』を実践に移した、ということになると思う。ロルカについては、学生時代に天本英世の朗読を聴いた。それが1980年ごろ。そして去年から歌い始めた。30年を経ている。それでもうまく歌えない。思いだけだから。書くことがない。実践が伴っていない。