酒井健吉氏との、『美粒子』をめぐる架空の対話。
【木部】 私が『美粒子』を発行したのは、2006年の10月です。当時の電子メールを確認したら、10月28日に印刷所から手元に送られて来ていました。写真家で、映像集団ゴールデンシットの一員だった木村恵多さんの写真4点を見ることで、詩の気持ちをかきたてて行きました。木村さんは、『新宿に安土城が建つ』を一緒に公演した仲間です。私が日本工学院専門学校で教えていた時の学生だったのですが、卒業したら、古い関係はもう捨てて、表現者同志で何ができるかを考えました。先日、『美粒子』を書いていたころのメモが出てきたのです。木村さんの写真をカラーコピーし、それに白紙を貼り足して、詩の言葉をいっぱいに書いていました。その言葉を削って、最終的な形にしたということを思い出しました。
【酒井】 2006年というと、木部さんの詩による『トロッタで見た夢』は、前の年の2005年に、もう書きあげて8月に初演していました。続いて、2006年の2月には、やはり木部さんの詩で『夜が吊るした命』を初演。7月には『兎が月にいたころ』と『ひよどりが見たもの』を初演しています。そうした流れの中で、秋に送っていただいた『美粒子』も、曲にしたいと思っていましたね。トロッタが始まるのは2007年2月です。1月には、やはり木部さんの詩で『雪迎え/蜘蛛』を初演しています。“詩と音楽”の活動が始まろうとするころの詩なんですね。
【木部】 詩を書いてから、7年経って、トロッタ15で曲になるわけです。この詩は、さっきいったように、写真を見て書いたもので、私の中に何かがすでにあってできたものではありません。視覚的に反応して生まれた、純粋な言葉といえるでしょう。不純な言葉とは何かというと、先にいいたいことがあって、それを説明する道具になってしまった言葉です。言葉には説明の役目も大きいので、否定はしませんが、やはり純粋な言葉こそ、拙くても美しいといえましょう。存在の仕方が美しいと思います。伊福部昭先生がよくおっしゃっていた言葉に純音楽というものがあって、じゃあ不純な音楽とは? とよく質問して、いまだにはっきりした答えは出てないと思いますが、それが自分のことだと、純粋な言葉などといってしまいます。でも、そうとしかいえないと思います
【酒井】 『美粒子』がどのような作品になるか、作曲者の僕にも最終的なことはわかりません。できるだけ早く書きたいと思いますが。今は、次のような点に注意して作曲をしているところです。まず、木部さんによる詩唱パートがあり、独自の相対的記譜法によって、曲全体に変化を与えてゆくものとします。そして詩唱には、母音唱法による歌唱があります。
【木部】 私は歌うわけですか!?
【酒井】 歌ってください。『天の川』でも、かささぎの歌を歌ったじゃありませんか。
【木部】 努力しましょう。
【酒井】 器楽パートについては、まずオーボエには独奏楽器としての役割を持たせます。オーボエが、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノによるピアノ六重奏と協奏し、これを軸にしながら詩唱がからんでゆくことで、ふたつのソロパートを持つ、ドッペルコンチェルトとしての性格を明らかにしてゆくのです。
【木部】 オーボエは、酒井さんが長崎から呼んでくださる、西川千穂さんですね。長崎には懐かしさがあります。それこそ“詩と音楽”の初期にはよく行きました。酒井さんと同じく宮﨑文香さんも長崎で、トロッタは長崎に縁が深いと思っています。もう一方で縁が深いのは、北海道ですが。
【酒井】 西川さんのことは楽しみにしていてください。上手なオーボエ奏者ですよ。作曲者の心構えとしては、『美粒子』を詩唱パートのある純音楽として作っています。木部さんが先ほど、詩の『美粒子』は純粋な言葉として書いたとおっしゃいましたが……。
【木部】 誤解を生むかもしれませんが、純粋じゃない詩は、ありえないでしょうね。
【酒井】 僕の曲も、純粋な音楽です。決して、何かを説明するためにあるのではありません。
【木部】 『天の川』のような曲だと物語がありますから、それを説明するための詩、言葉という側面もあるのですが、『美粒子』は視覚性だけで物語がありませんから、純粋性は高いでしょうね。本当に、説明のための言葉は嫌です。目的することが説明になってしまいます。詩に中身など、なくていいと思います。言葉だから意味はあるのですが、意味からも自由になった言葉が並んでいればいい。言葉が意味をなくした時、生まれてくる意味は、読み手や聴き手という、受け手側が自由に抱くものになるでしょうね。それこそ美粒子のような言葉が、生まれて消えればいいんじゃないかと思います。
【酒井】 僕が今いえることは、こんなところですね。どんな形になるか、僕自身が楽しみですよ。
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