木部与巴仁
流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう
黒い土が
のぞいている
雪解け道を
駆けていた
流れる川がぬるむころ
わたしたちはめぐりあう
輝いてる きらきらと
春の日ざしに
目を細め
冷たい季節を
見送った
どこへ行くの?
わからない でも
私は生きられる
ありがとう
あなたの歌を聴いたから
5月30日(sat.)、「トロッタ21」が終わりました。次回「トロッタ22」は、11月14日(sat.)16時、同じ早稲田奉仕園リバティホールで開催予定。よろしくお願いします。
もとに戻りましょう。今井重幸先生の『時は静かに過ぎる』について、締めくくります。
先生のお言葉です。
「今回の曲は、作品のドラマ性を意識して書きました。紀光郎さんがアポリネールの詩をもとに構成されましたが、その詩句に合うメロディをつけています。不倫の現場に踏み込まれ、追いつめられた男が壁の中に消えるという、奇想天外ですが、わかりやすい話ともいえるので、音楽もまた、そのようなメロディ、リズムになっています。作曲家とは、作品の理念や意図、演出効果を考え、また起承転結やストーリーに沿って書かなければいけません」
アポリネールの作品『獄中歌-ラ・サンテ刑務所にて』に、「時は静かに過ぎる」という一節があります。
同じく『病める秋』に、「哀れな秋よ」。
さらに『狩の角笛』には、「思い出は狩の角笛」「風のなかに音は消えてゆく」があります。
探せばまだまだあるのでしょう。いずれも、今井先生の曲に生かされています。
『時は静かに過ぎる』の練習が続いています。根岸一郎さんが歌い、赤羽佐東子さんが歌っています。楽器の方々によって、音楽の全体が見えてきました。一場のドラマを観る思いがいたします。このような曲は、あってもよかったのに、かつてトロッタにありませんでした。オペラでもない。歌曲でもない。芝居でもないミュージカルでもない。もちろん器楽曲でもない。っしかし、そのすべての要素を持っている音楽といえるかもしれません。今井重幸先生とは、純粋性という、近代の毒に冒されてしまう以前の精神をお持ちなのでしょうか。
つまるところ、歌手と語り手の違いは何か、ということになります。同じ声を使う者でありながら、何が違うのか? 詩と音楽という時、詩は、語り手であり、詠み手によって担われるものでしょう。音楽は、歌手、歌い手によって担われるものでしょう。伊福部昭氏がおっしゃっていました。音楽は、メロディとリズムとハーモニーでできている、と。
歌手は、メロディとリズムとハーモニーに生きている者で、その表現者です。語り手、詠み手は、メロディとリズムとハーモニーがなくても生きていけます。むしろ、それがあると、リアリズムから離れるという人もいるでしょう。ただ私は、詩と音楽を分けているのではなく、一緒に考えようとしています。メロディとリズムとハーモニーのある詩、詩の表現を考えようとしているのです。それならそのまま歌でいいと、決まったことをいうのではない。歌はもちろんいいのですが、自分の表現としては、その一歩か二歩手前にある詩唱を、私は考えています。それが未完の表現だといわれても、別にかまいません。歌として未完、語りとしては余ったもの。別におかしくありません。オペラは音楽ということになっていますが、演劇性が高いと思います。しかし、演劇ではありません。
演劇は完成形でしょうか。そこから音楽性は、ほとんど抜け落ちています。抜け落ちてはいけないのでしょうが、二の次というのが現状だと感じられます。最初から音楽を想定して演出される演劇が、どれだけあるでしょう。
演劇に音楽性を与えたものがミュージカルだといっていいでしょうか? 笑い話のように、役者が台詞の途中で、いきなり歌いだすんだよといいます。リアリズムからいうと変です。しかし変と思わせず、ミュージカルの舞台では、役者がいきなり歌い出し、踊り出す瞬間にこそリアリズムを感じます。オペラには、踊りはありません。バレエが取り入れられますが、歌手は、踊りません。しかしミュージカル役者は踊ります。
純粋であるものの、不足感。
純粋であろうとすることの、不自由さ。
こうしたことについて考えようとしたのではないのに、いつの間にか、このような言い方に、行き着いてしまいました。
ちょっと、話がずれるようですが。
語り、朗読、詩唱と、呼び方は何でもいいのですが、歌では声がよく聴こえても、語りになると、声が聴こえない、とたんに小さな声になってしまう方がおられます。
語りと歌は、発声方法が違います。歌は、響かせれば聴こえます。響かせて、伸ばすということができます。しかし、語りは、響かせるのは工夫次第ですが、伸ばせません。歌なら、わーたーしーはー(私は)、といえますが、語りで同じことをすると、おかしな話になります。
この逆も不都合が生じまして、語りは上手なのに、歌は妙に力の入った声になって、聞き苦しい人がいます。あるいは、メロディに乗せられない、ぶつぶつ切れてなめらかなレガートにならない、といった現象も起きます。意味を伝えようとするあまり、言葉が立って、メロディは後ろに隠れてしまう場合もあります。バランスの問題ですが、これは難しいです。
歌は響けばいいので、力を入れない方がいい。語りは響かせるのが難しいので、ある程度の力は必要だと思います。それに、愛をささやくのに大きな声で発声するのは、リアルさからいえば変なので、大きな声を使いたくない気持ちはわかります。マイクという利器があるので、それを使えばいいということになります。ただし、私はマイクを使いたくありません。
語り、朗読、詩唱を始めた最初からそうです。マイクを使いたくないのは、生の声を届かせたいからです。停電になったらどうする? という笑い話をしていたこともありましたが、室内でする限り、停電になったら、演奏会そのものが成立しません。
マイクを使ってほしいお客様もいます。腹式呼吸の声は聴きたくないというアンケートの回答もありました。ポップミュージックは、全部、マイクを使っています。楽器も電気です。生の楽器でも、増幅器を通しています。芝居は、基本的にマイクを使いません。使わないはずです。しかし現実的には、ミュージカルなど、使っているのでしょう。音楽との兼ね合いがありますから。
仮にですが、ものすごく広い劇場に出演して、大音量の音楽が鳴っている場合、現実問題として、私もマイクを使うでしょう。他の人がマイクなのにひとりだけマイクなしでは逆効果です。もちろん、選べる立場なら、そもそも、そういうところに出ません。
歌と朗読の違いは、まだあります。それぞれの分野で上手な人を比べた場合、歌は繰り返して聴けますが、朗読は聴けません。歌は、例えば仕事をしながらでも気分を楽にするため、歌のCDを再生することはあっても、朗読では、ちょっと難しいと思います。やはり、内容を聴かなければいけません。落語でも内容があって笑えるわけです。声の響きを楽しもうという具合にはなりません。ベテランの噺家などになると、響きや雰囲気を楽しめるという言い方ができるでしょうが、しかし本来は、内容を伝えるものです。歌は、メロディやリズムやハーモニーを楽しめます。詩の意味は大事ですが、メロディで聴かせるものです。私が、朗読にもメロディやリズムがあるといいはっても、歌にくらべれば単調です。おもしろみが少ないのです。
マイナスの点ばかり並べてしまいました。にもかかわらず、なぜ語り、朗読というものが、古くから存在しているのか。なくならないのか。歌手が語りも歌もすればいいのに、語り手がいて、役者がいて、という状況が続いているのか。私自身について、考えようとしています。
今井先生の回顧展コンサートは、私も拝聴させていただきました。そのライヴ録音を聴きますと、バリトンの宮本益光氏が、歌い、語っています。トロッタ10の『時は静かに過ぎる』は、バリトンの根岸一郎氏が歌い、私が語ります。なるほど、今井先生は、語りを伴う音楽に、もともと縁があったのだと、今さらながら実感しました。
歌手が歌い、語る。それができれば、役者は必要ないといえます。役者といわなくても、語り手は必要ありません。音楽に必要なのは歌手であって、歌手が語るなら、歌えない役者は必要ない。音楽の舞台では、役者は部外者です。しかし、今井先生の曲には、歌手ではなく、語り手が登場する作品があります。それが『奇妙-ふしぎ-な消失』であり、回顧展コンサートでも、舞踊のための音楽『グラナダの妖女サロメ』に、ヘロデスという人物が登場し、これには役者の有本欽隆氏が扮しました。
本音をいえば、詩と音楽をテーマにした「トロッタの会」を続けていますが、まったく疑問を抱かず、信念だけを持って舞台に立っているかというと、そうではありません。居心地の悪い思いをしています。音楽と融合した語り、詩唱を心がけながら、本当に融合できているのか、音程のない発声が、周囲から浮いていないか、常に考えます。
私の詩唱を聴いて、あるいは観て、芝居のようだという声は、しばしば聴きます。私は、芝居をしていました。しかし、今はしていません。それが答え、ひとつの態度で、芝居には違和感を持っています。芝居を、私はやめたのです。役者になりきれなかったのです。続けられなかったのですから、落伍者です。かといって、歌手であるかというと、そうではありません。歌は習っていますが、そんな人は世の中にいくらでもいます。歌えばすなわち歌手かというと、そうではありません。
私の詩唱を芝居だという声には、芝居をしていたから、その名残が感じられるのだろうと思います。音楽の新しい表現だと思っていただけないことに、無念さを感じます。『奇妙-ふしぎ-な消失』や『グラナダの妖女サロメ』に出演した役者の方々は、どんなことを感じて舞台に立ったのでしょうか。バリトン歌手・宮本益光氏は、何を思いながら、語ったのでしょう。語りに違和感を持たなかったのか。
トロッタ10では、田中修一氏の『雨の午後/蜚(ごきぶり)』で、短いながら、私は歌います。これは間違いなく、詩唱ではなく、下手であっても歌です。芝居のようだと思う人はいないでしょう。実に明確な違いがあります。語りは永久に語りであって、歌にはならないのか。私の詩唱とは、何なのか。
今井先生は、回顧展コンサートのプログラムで、こんな発言もしておられます。
「私の作品は、どうしても器楽の曲に偏ってしまっていて、そういう系統だけではなく声楽を前面に出した作品も書いてみたいとの欲求を長く持っていました。声はやはり根源的なものですから、人間の根源というか原初というか、そんな領域に興味を持つ作曲家としては、その声をきちんと扱いたいとは思い続けてはいたのです」
声は根源的なものであり、原初の領域でもある。
何となく、答えに至る手がかりが、ここにあるのではないかと思いました。
オノレ・シュブラックという男が、ある人妻に恋をします。夫の留守中に逢い引きをしていると、そこに夫が現われ、オノレ・シュブラックをピストルで撃ち殺そうとします。恐怖にかられて壁にはりつくと、そのまま壁に溶けこんで消えてしまう。これが「滅形(めっけい)」です。彼は難を逃れましたが、恋する人妻は撃ち殺されました。以来、夫の目を逃れて、パリの街を彷徨する。夫に出会うたび、壁に溶けこんで……、という物語です。
今井重幸先生に、お話をうかがいました。
「アポリネールの短編は、小説ですが、戯曲風の趣があります。初演では、ベテランの俳優で、声優でもある八木光生さんに出演していただき、彼が原作をすべて語りました。また、紀さんがアポリネールのいくつかの詩句を引用し、これを構成して三つの詩を作りましたので、メロディを添えて歌にしました。歌い手は二十絃奏者です。箏と弾きながら歌ってもらいました。さらに、ブリッジと呼ぶ短い曲を書いて場面をつなげてゆく。そのような構成の曲にしました」
今井先生によると、紀光郎さんは、花柳伊寿穂の名前でご活躍の日本舞踊家ですが、紀光郎名義で、台本作者として活躍しておられます。また、お兄様がフランス文学者であり、その影響で、紀さんもアポリネールなどの作品に親しんでおられたとか。紀さんが、アポリネール作、堀口大學訳の『オノレ・シュブラック滅形』をもとに、音楽作品を創ってみたいと欲したのは、自然なことでした。
「語りを伴う音楽というのは、1953年(昭和28)年にNHKで制作しました、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や『杜子春』など、若いころからテレビなどのために劇音楽をたくさん書いて来ましたから、私としては慣れています。注意しなければならないのは、ドラマの激しい場面に、激しい曲を書く、悲しい場面に悲しい曲をつけると、ドラマの深みをなくしてしまうことです。日本の演出家には、そこをわかっていない人がたくさんいて、場面をなぞるような音楽を要求されることが多いのです。私もしばしば、演出家たちと議論をして来ました」
2003年3月30日(日)、上野の東京文化会館で行われた「今井重幸/回顧展コンサート」で、『「草迷宮」のイメージに拠る詩的断章』が初演されました。もちろん、泉鏡花の『草迷宮』が原典にありますが、今井先生ご自身が、舞台演出家としての名前、「まんじ敏幸」として詩を書かれ、バリトンによる歌と語り、童声による合唱ありの作品となったのです。詩の一節を引きましょう。
鎮守の森のてっぺんから 烏天狗が舞い下りて
赤いおべべの娘が二人 手毬(てまり)をついて 鞠(まり)ついて
ひとつとせ ふたつとせ 三っつとせ 四っつとせ
烟(けむり)のように 烟のように
昏(くら)い空へと かき消えた
当日のプログラムに、音楽評論の片山杜秀氏がまとめた、先生の言葉があります。
「……どのようなテキストに作曲するかとなりますが、私としてはどうしてもまず幻想的なおどろおどろしい世界をやりたい。私は演劇とのかかわりでも舞踊との関係でも、日常のリアリズムを超えたアンチ・リアリズムの世界、人間の見えない本質が闇のそこからたちあらわれてくるような超現実的な、不条理な、あるいは反近代というか土着的というか、そうしたテリトリーに感心がずっとありました」
『奇妙な-ふしぎ-な消失』、トロッタ10のための『時は静かに過ぎる』も、そのような志向のもとに作曲された音楽世界といってさしつかえないでしょう。
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
Le Pont Mirabeau
ギョーム・アポリネールの『ミラボー橋』です。堀口大學の翻訳で、新潮文庫の『アポリネール詩集』から引用させていただきました。かつての恋人、マリー・ローランサンへの想いを詠んだ詩であるといいます。1913年刊行の詩集『アルコール』に収められた後、音楽となり、シャンソンの名曲として多くの歌手が歌ってきました。『アポリネール詩集』の『アルコール』の章には、『マリー』という詩もありました。マリー・ローランサンの面影を詠んだ作品です。始まりの二連です。
小娘でここで踊っていたあなた
祖母(おばば)でここで踊るだろうか
ここの踊りのマクロット?
マリーよ あなたはいつ戻る?
ありたけの鐘を鳴らして祝おうに!
仮面(おめん)をつけた人たちもひっそりとして踊ってる
音楽は遠いところで鳴っている
空から聞こえてくるみたい
そうなんだ あなたを僕は愛したい だがそっと!
そのほうが悩むにしても楽だもの
トロッタ10では、偶然ですが、アポリネールとマリー・ローランサンにゆかりの曲が並びました。それも、始まりと終わりに。どちらも、今井重幸先生の曲です。
幕開きの曲、「今井重幸によるヌーベル・シャンソン 新しい歌の流れII」の一曲『鎮静剤』は、マリー・ローランサンの詩、堀口大學の訳です。すべて引きましょう。
退屈な女より
もつと哀れなのは
かなしい女です。
かなしい女より
もつと哀れなのは
不幸な女です。
不幸な女より
もつと哀れなのは
病気の女です。
病気の女より
もつと哀れなのは
捨てられた女です。
捨てられた女より
もつと哀れなのは
よるべない女です。
よるべない女より
もつと哀れなのは
追われた女です。
追われた女より
もつと哀れなのは
死んだ女です。
死んだ女より
もつと哀れなのは
忘られた女です。
大學の『月下の一群』に編まれた1916年の作品で、ローランサンに捧げたアポリネールの詩が、1913年の詩集に収録されているところを見ると、男の詩を読み、女は詩を書いたのかもしれません。当時、すでにローランサンは結婚して、パリからは遠く、スペインで暮らしていたそうです。
おしまいの『時は静かに過ぎる(「奇妙-ふしぎ-な消失」より)』は、アポリネールの短編『オノレ・シュブラック滅形』を原作に、堀口大學が訳し、これを台本作家の紀光郎(のり・みつお)氏が構成した作品をもとに、今井先生自らが編曲をほどこした、ほとんど新曲のような作品です。
私はフランス文学に疎く、アポリネールもマリー・ローランサンも知りませんが、詩が音楽について恋人同士だった詩人の作品を通して、考えることができます。
『オノレ・シュブラック滅形』は、詩ではありません。小説です。散文であり、歌になりそうにありません。今井重幸先生は、紀光郎氏の構成をもとに、朗読をともなう音楽にされました。曲名は『ル・コント ファンタジー 奇妙-ふしぎ-な消失』。今年の9月17日(木)に初演されました。私は残念ながら聴くことができませんでしたが、演奏直後、音楽評論の西耕一氏が口にした言葉を覚えています。「朗読がある曲で、トロッタで演奏したらいいですよ」
当日プログラムを見ると、編成は、語りに、ヴォーカル・二十絃箏、チェロ、マリンバ・打楽器、フルート、サブヴォーカルとなっています。これをトロッタ10では、バリトンとソプラノ、フルート、オーボエ、弦楽四重奏、打楽器としました。チラシには書きませんでしたが、今井先生の作曲過程で、私も、詩唱・朗読として出演することになりました。総勢11名です。
初演と再演の間隔がほとんど空いていません。しかも、初演と再演は、まったく違った編成になりました。珍しいことだと思います。
人にはそれぞれ、他人と自分との間に共通点を持っています。私と誰かが似ているのではありません。私と誰かの何かが似ているのです。まったく似るところのない人、似ない点のない人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
清道洋一さん。
私と清道さんは、少なからず、いくつかの点が似ています。まったく似ていない点もありますが、似ています。私の『椅子のない映画館』を、すぐおもしろいといってくれました。『ナホトカ音楽院』もそうでした。『光師』を始め、いつか音楽にしますといってくれている詩がたくさんあります。それは『アルメイダ』を始め、おおむね、私が物語性を感じる詩です。
清道洋一さん。
『蛇』を音楽にしていただいてありがとうございました。あの詩は、はっきりと、音楽にされることを期待して書いた詩でした。ソロとコーラスを、詩の段階ですでに分けて書いています。そのような形の詩は、おそらく、その後は書いていません。『蛇』に注目してくださいまして、感謝します。音楽になればとは思いましたが、どのようになるのがいいのか、私の期待とまったく違う方向で作曲していただきましたこと、うれしく思います。トロッタ8で、好評でした。
清道洋一さん。
人にあてて詩を書いているわけではありませんが、この詩は田中修一さんにふさわしい、橘川琢さんにふさわしい、酒井健吉さんにふさわしい、さらに清道洋一さんにふさわしいと、トロッタを何度か一緒に創ってきた人の傾向を、感じることがあります。どんなところが、とは明確にいえません。清道さんの場合なら、物語性を好む点、虚構性を好む点、などでしょうか。
清道洋一さん。
『風乙女』はおもしろかったですね。現代作曲家グループ蒼の舞台に立たせていただきまして、ありがとうございます。意味のない言葉を、私は発声しました。清道さんのおかげです。「風乙女」というテーマで詩を書いてほしいといわれて書きました。風は耳に聴こえます。風の音に意味はありません。しかし、感じるものがあります。風を、通常のひゅーとか、ごおーではない言葉で表現できました。あのようなことを、もっとしてみたいと思います。意味に縛られるのはつくづく嫌です。意味は何の意味もない。そう言い切ってしまいたい私がいます。詩と音楽で、意味のない世界に遊びたいのです。
清道洋一さんは、劇団「萬國四季教會」で、作曲を担当しています。彼と演劇論を交わしたことはありません。しかし、トロッタを通じて、演劇に通じる音楽論、逆に、音楽に通じる演劇論は話し合っている気がします。話しはしていなくても、実際の舞台を通して感じあっていると思います。探りあっている段階かもしれません。また結論など、何年つきあってもなかなか出ないと思います。だとしたら、舞台を通じた交感こそが、望ましいといえるでしょう。
演劇については、私も考えることがあります。私は、高校生のころから芝居をしていました。大学時代を過ぎてからも何年か、芝居を続けていました。それが終熄したのは、後に『伊福部昭 音楽家の誕生』となる原稿を書き始めたころです。完全に重なる訳ではありませんが、書くことに向かう過程で、舞台から降りました。そして現在、トロッタを通じて、再び舞台に上がるようになりました。一度降りた人間が、また上がったということ。そこでたくさんの人と出会いましたが、そのうちのひとりが、音楽で芝居に関わっています、清道洋一さんです。
何でしょうか? 芝居とか。ここに詩と音楽があると思うのは、私ひとりではないはずです。詩と音楽を融け合わせたものが芝居だといっても間違いではないと思います。それなら、舞踊も美術も融け合わせなければいけないでしょう。その通りです。ただ、現代の多くの芝居に対する私の不満は、音楽が物足りないということ。役者の演技にオリジナリティを求めるのに、なぜ音楽になると、すでにあるものを使うことが多いのでしょう? そのような演出家の態度こそ、問題なのではないでしょうか。彼らは、自分の記憶を舞台で再現しているに過ぎません。舞台の創造者としては失格です。清道さんと「萬國四季教會」は、その不満を払拭してくれます。満足、とまではいかないにせよ、作曲家によって、オリジナルな音楽を創ろうとしている点は評価されていいと思います。忘れてはならないのは、戯曲そのものも、オリジナルなのでした。決して、世の名作の再生産に明け暮れているわけではありません。劇作家のひとりが、トロッタ10に参加される田中隆司さん、芝居の世界でのお名前は、響リュウさんです。
もちろん、オリジナルだけにこだわることはありません。過去に生まれた名作を取り上げてもいいでしょう。例えばシェイクスピアを上演して、そこに現代の問題を象徴させられるなら。音楽にも同じことがいえます。トロッタが、現代の作曲家の作品にこだわる理由は、そこにあります。クラシック音楽を演奏するのもけっこうですが、現代の音楽を創りたいのです。でなければ、作品を世に問えないまま、作曲家という存在は滅んでしまいます。
それ自体はおもしろいことと前提した上で書きます。トロッタ9の『アルメイダ』は、まだ私の中で解決されていません。私の詩から、あまりにかけ離れていましたから。演奏された曲に使われた私の言葉はわずかです。当日の印刷物を取り出し、改めて確認しましたが、清道さんの言葉の分量が、確かにまさっていました。私の詩が長過ぎたのでしょうか。
もともと、清道さんに頼まれたのは、架空のCMのための詩を書いてほしいということでした。短い曲をつなげて組曲にしたいというのです。考えましたが、私にCMは無理だと思いました。そして、架空の国の話にしようと、『アルメイダ』を書いたのです。亡命詩人の手記、という形です。しかし清道さんは、ドードー鳥、オーロックス、リョコウバトといった、絶滅動物を登場させ、彼らの述懐を交えて物語を進めます。さらに、亡命詩人に常に話しかける男優を登場させます。内面に沈潜しがちな詩人に問いかけ、詩人の心をかきまぜて、世界を撹拌させようとします。絶滅動物も、詩人に問いかける男も、私の詩には存在しません。どうして、清道さんは、私の詩をそこまで変えたのか?
彼の本質に、「変奏」があるのだと思います。彼は変奏者なのです。主題は主題として明らかなのだから、今さら再現しても仕方ないということか。あるいは、主題から離れた表現こそ、つまり『アルメイダ』なら、私の詩を受けて自分の音楽を奏でることこそ、表現者としての役割だと思っているのかもしれません。では、私は、彼の「変奏」をさらに「変奏」する詩唱者ということになります。
『主題と変奏、或いはBGMの効用について』です。「12月9日水曜日 休暇を取って動物園へ行く」で始まる、ある男の日記が詠まれますが、これは清道さんの文章です。清道さんの、実際の日記が使われているのかもしれません。「昨夜から降り出した雨は 乾いた東京の空気に潤いを与えて 心地よい」おそらく、清道さん、そのものでしょう。「雨の動物園は 平日ということもあって とても静かで空いていた ゆっくりと動物を観察する」清道さんの姿が見えてきます。「人という檻があったら 誰が入るのがふさわしいかについて考え 数人を檻へ入れた」清道さんらしい、シニカルな視点。失礼があったらあやまります。「昼を過ぎたあたりから みぞれへと変わった雨は 夕方には本降りの雪となって積もる」雨、みぞれ、雪。灰色の東京の空の下を、12月9日水曜日、清道さんは帰っていったのでしょう。「雪見酒 でも酒がない」清道さんの姿がくっきりします。「こんな大雪の中 酒 買いにゆく」またあやまりますが、他人に対してだけではなく、自分自身に対しても、彼はシニカルでしょうか。
これだけの文章が、第一変奏、第二変奏、第三変奏、第四変奏まで変化し、最終変奏では、まったく違った言葉となって現れ、がらりと変わった演奏を聴くことになります。
第一変奏「じつにがゆ ここよか すいのうび ちさめのこ ゆき」これを、主題と同じように詠みます。
第二変奏「12月9日水曜日 休暇を取って動物園へ行く」これを、主題と異なる詠み方で詠みます。
第三変奏「のつにぐゅ ここよか ざいじかび ちさゅのこ ゆき」これまでにない詠み方で詠みます。
第四変奏「くゆにいか けさ かなのきゆおおな んこい」何だかわかりません。わからないことを、私も音楽もリズム主体となり、発声し、演奏します。
最終変奏。私が書いた「雪鼠」という詩を、ナレーションと共に詠みます。しかし始まりは、「ーーうにーー ここーかー ーいーーび ーさーのーゆきー ーーうーーとっー ーうぷーえんー ゆー」という、意味のない言葉です。意味のない言葉--。藤枝守氏の『響きの生態系 ディープ・リスニングのために』が紹介した、ネイティブ・アメリカン、ナバホの言葉を思い出します。具体的な意味はありません。意味がない言葉は『魔法のコトバ』ともいわれ、呪術的でマジカルな力を持つと考えられました。言葉に意味や概念が加わることで、言葉は解釈や理解の道具となり、霊的な作用や呪術的なパワーが失われてしまった……。
解釈や理解の道具ではない言葉を、私は発します。意味はもちろんありません。意味がなくなってしまうほどの変奏です。しかし、この変奏は、清道さんの中では規則性があります。聴く人にはわからないと思います。彼は、決してでたらめをしたくないのでしょう。彼が「変奏」にこだわるなら、私もまた、「ボッサ 声と音の会vol.4」とはまったく違った詠み方をしてもいいでしょうか?
■ 主題と変奏
清道洋一さんは、トロッタ10に『主題と変奏、或いはBGMの効用について』を出品されます。トロッタで発表されるのは初めてです。昨年、2008年9月28日(日)、カフェ谷中ボッサ行われました、「ボッサ 声と音の会vol.4」で初演された曲です。
初演をし、トロッタ10で再演しようとしていますが、私は、この曲を完全に理解できていません。私は一個の楽器としての役割を求められているようです。私の考えよりも、私の音を、清道さんは求めているように感じます。それは私にとって、本望でもあります。考えなど捨て去りたいと思う私がいます。どんなに立派なことを考えていても、音にできなければ、舞台では通用しません。
清道さんと初めて会った時、彼は自分の作品集をCDで持って来て、『蠍座アンタレスによせる二つの舞曲』を聴かせてくれました。舞曲です。情熱的な曲でした。永遠に流れる時間の中で踊っていることを感じさせる、すばらしい曲だと思いました。抽象的にいっても意味はないのですが、進歩とか発展とか、そんなことを止めてしまった世界。そこにある場末の酒場でいつまでも踊っている男女の姿を感じさせてくれました。私はお返しに、これなら清道さんにふさわしいと考えていた『椅子のない映画館』を見せました。彼はすぐ、これを曲にさせてほしいといいました。それは、椅子のない、立ったまま観る映画館に足を運ぶ男の話です。
『椅子のない映画館』を演奏したのは、2008年6月8日(日)のトロッタ6です。この時、彼は椅子を使ったオブジェを創り、会場に置きました。彼は開演前、一生懸命になって、椅子を新聞紙で包み込んでいました。「ボッサ 声と音の会vol.4」で再演した時も、段ボール箱を覗き込むと、中に小さな椅子が見える仕掛けのオブジェを創りました。何かしないと気がすまないようです。音楽は、音としてだけあるのではないと、彼はいいたいようです。
彼の態度はストイックではありません。音以外のものを加えています。考えてみれば、私たちは音だけで生きていません。また音楽会といっても、私たちは演奏者の所作や表情を観ています。会場に足を運ぶまでにいろいろなことがありました。隣の人の息の音や気配が気になります。それらすべてを含めて音楽会の音楽なのです。ストイックな世界に、そもそも人は生きられないのです。清道さんの表現は、そのようなことを、私たちに教えてくれているようです。もちろん、これは私の受け止め方であり、彼は別なことを思っているでしょう。
私がここで書きたいのは、「変奏」ということ。「主題」が移り変わっていきます。『主題と変奏、或はBGMの効用について』という曲は、清道さんの本質かもしれません。演奏だけではない、言葉そのものが変化していきます。詩の物語も変化していきます。
清道さんとはこれまで、トロッタでは『椅子のない映画館』『ナホトカ音楽院』『蛇』『アルメイダ』の作品でご一緒してきました。こうして並べるだけで、大きなスケールを感じます。『椅子のない映画館』では椅子のオブジェを創りました。『ナホトカ音楽院』では、架空の音楽学校の風景をスライドや印刷物で見せました。『蛇』では、長くて幅の広い和紙を使い、巨大な蛇を想像させました。『アルメイダ』では、アルメイダという海の国を、美術家・小松史明さんの手を借りて絵にし、会場で配布しました。そうしたことが、「変奏」かもしれません。何かの「主題」があって、彼はそれを「変奏」させていきたいのかもしれません。
彼に身をまかせていれば、私自身が変わっていきます。私も知らなかった私が姿を現します。
トロッタ10に、花いけの上野雄次さんは出演しません。毎回のご出演には無理があるので、今回はお休みです。『花の記憶』も、初めは、上野さんの出演はありませんでした。途中でお話しをして、出ていただくことになったのです。今回は逆です。上野さんが出演していい曲ですが、花いけは、ない。詩唱を含め、音だけで作らなければなりません。
上野雄次さんが常に問題にしている一つに、聴覚と視覚の問題があります。音楽というなら、本来は音だけで表現されるものですが、そこに資格の要素が加わった場合、添え物になってしまうのではないか。あるいは聴覚的感興をゆがめる、余分な要素となってしまうのではないか。
『死の花』の第三連。
花は血
飛沫となって地面に散る
私はそれを
すくいあげて活ける
手を血に染め
命で濡らしながら
終わりも知らず活けている
これはまったく、上野雄次さんが花を生けている姿です。
『花の記憶』を書いている最中は意識しなかったのですが、この詩は上野雄次の物語だと思いました。舞台に立つ時、私は上野さんになりきって詩唱しよう、彼になりきって言葉で花を生けようと思います。もちろん、上野さんと私は違いますから、なりきるということはナンセンスです。心構え、ということでしょうか。
ですから、上野さんが『死の花』に登場する必然性は、じゅうぶんにありました。しかし、トロッタ10ではお出になりません。いずれ、再演の時にと思っています。
上野さんは、視覚と聴覚の問題について、もう少し違ったことをいっているのかもしれません。私の受け取り方それ自体がゆがんでいるかもしれませんので、その点は追究しないことにします。
私の態度は、橘川さんの言葉にあったように、「ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げているという感覚」を、大切にしたいということです。ただ、何があってもいいわけではなく、舞踊や演劇の要素は、どう共同作業していっていいかわかりませんので、今すぐの共同作業は、考えられません。そういいながら、私の詩唱に演劇性を感じるお客様が多いのは、私の意識していないことで、芝居をかつてしていましたから、出自はぬぐえないものだと実感しています。いずれにせよ、上野さんと一緒に舞台を創りたいというのは、私なりの直感に支えられた願いなのです。
橘川さんと初めて話をした時。新宿のデパートにある喫茶店でした。その場で、資料として持参した記録DVDをコンピュータで再生し、観ていただきました。曲は、名古屋で演奏しました、酒井健吉さんの『天の川』でした。彼はすぐ、これはおもしろい、こういうことをしたかったんですと、言下に断言しました。橘川さんの希望に沿った舞台が、成功不成功はあれ、これまでずっと創られてきたと思います。橘川さんと一緒にできて、詩と音楽の関係は、極めて密接になりました。「詩歌曲」と、橘川さんは、ご自身の詩と音楽による表現を呼んでおられます。酒井健吉さんは、「室内楽劇」と呼んでおられます。私は「詩唱」と呼びます。
死にに行く者が見るという
彼岸の花
さっきも見てきた
駅前で
泥になってベンチで眠る
男たちの周りに花が咲いていた
ここはもう彼岸かもしれない
『死の花』の第一連です。
阿佐ケ谷駅前の風景を描き、花につなげました。私の詩は常に、どこにでもある、日常の風景から始めたいと思っています。
トロッタ10の二日後、12月7日(月)には、橘川さんは、やはり私の詩による詩歌曲『冬の鳥』を初演します。彼が所属する、日本音楽舞踊会議の作曲部会公演です。どのような曲になるか、楽しみです。