2009年11月30日月曜日

「トロッタ通信 10-22」

つまるところ、歌手と語り手の違いは何か、ということになります。同じ声を使う者でありながら、何が違うのか? 詩と音楽という時、詩は、語り手であり、詠み手によって担われるものでしょう。音楽は、歌手、歌い手によって担われるものでしょう。伊福部昭氏がおっしゃっていました。音楽は、メロディとリズムとハーモニーでできている、と。


歌手は、メロディとリズムとハーモニーに生きている者で、その表現者です。語り手、詠み手は、メロディとリズムとハーモニーがなくても生きていけます。むしろ、それがあると、リアリズムから離れるという人もいるでしょう。ただ私は、詩と音楽を分けているのではなく、一緒に考えようとしています。メロディとリズムとハーモニーのある詩、詩の表現を考えようとしているのです。それならそのまま歌でいいと、決まったことをいうのではない。歌はもちろんいいのですが、自分の表現としては、その一歩か二歩手前にある詩唱を、私は考えています。それが未完の表現だといわれても、別にかまいません。歌として未完、語りとしては余ったもの。別におかしくありません。オペラは音楽ということになっていますが、演劇性が高いと思います。しかし、演劇ではありません。


演劇は完成形でしょうか。そこから音楽性は、ほとんど抜け落ちています。抜け落ちてはいけないのでしょうが、二の次というのが現状だと感じられます。最初から音楽を想定して演出される演劇が、どれだけあるでしょう。

演劇に音楽性を与えたものがミュージカルだといっていいでしょうか? 笑い話のように、役者が台詞の途中で、いきなり歌いだすんだよといいます。リアリズムからいうと変です。しかし変と思わせず、ミュージカルの舞台では、役者がいきなり歌い出し、踊り出す瞬間にこそリアリズムを感じます。オペラには、踊りはありません。バレエが取り入れられますが、歌手は、踊りません。しかしミュージカル役者は踊ります。


純粋であるものの、不足感。

純粋であろうとすることの、不自由さ。


こうしたことについて考えようとしたのではないのに、いつの間にか、このような言い方に、行き着いてしまいました。


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