人にはそれぞれ、他人と自分との間に共通点を持っています。私と誰かが似ているのではありません。私と誰かの何かが似ているのです。まったく似るところのない人、似ない点のない人は、ほとんどいないのではないでしょうか?
清道洋一さん。
私と清道さんは、少なからず、いくつかの点が似ています。まったく似ていない点もありますが、似ています。私の『椅子のない映画館』を、すぐおもしろいといってくれました。『ナホトカ音楽院』もそうでした。『光師』を始め、いつか音楽にしますといってくれている詩がたくさんあります。それは『アルメイダ』を始め、おおむね、私が物語性を感じる詩です。
清道洋一さん。
『蛇』を音楽にしていただいてありがとうございました。あの詩は、はっきりと、音楽にされることを期待して書いた詩でした。ソロとコーラスを、詩の段階ですでに分けて書いています。そのような形の詩は、おそらく、その後は書いていません。『蛇』に注目してくださいまして、感謝します。音楽になればとは思いましたが、どのようになるのがいいのか、私の期待とまったく違う方向で作曲していただきましたこと、うれしく思います。トロッタ8で、好評でした。
清道洋一さん。
人にあてて詩を書いているわけではありませんが、この詩は田中修一さんにふさわしい、橘川琢さんにふさわしい、酒井健吉さんにふさわしい、さらに清道洋一さんにふさわしいと、トロッタを何度か一緒に創ってきた人の傾向を、感じることがあります。どんなところが、とは明確にいえません。清道さんの場合なら、物語性を好む点、虚構性を好む点、などでしょうか。
清道洋一さん。
『風乙女』はおもしろかったですね。現代作曲家グループ蒼の舞台に立たせていただきまして、ありがとうございます。意味のない言葉を、私は発声しました。清道さんのおかげです。「風乙女」というテーマで詩を書いてほしいといわれて書きました。風は耳に聴こえます。風の音に意味はありません。しかし、感じるものがあります。風を、通常のひゅーとか、ごおーではない言葉で表現できました。あのようなことを、もっとしてみたいと思います。意味に縛られるのはつくづく嫌です。意味は何の意味もない。そう言い切ってしまいたい私がいます。詩と音楽で、意味のない世界に遊びたいのです。
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