2009年11月9日月曜日

「トロッタ通信 10-1」

死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に
冷たく永劫の波はどよめき
落日もなく蒼茫と海は暮れて
雲波に沈む北日本列島

生命(いのち)を呑み込む髑髏の洞窟(め)
燐光燃えて骨は朽ち行き
灰一色に今昔は包まれ
浜薔薇(はまなす)散ってシレトコは眠る

暗く蒼く北の水
海獣に向う銃火の叫び
うつろに響いて海は笑い
空しき網をたぐって舟唄は帰る。

“shikotpet chep ot シコツペツに魚みち来れば
tushpet chep sak ツシペツに魚ゐずなりゆき
ekoikaun he chip ashte 東の方に舟を走らせ

ekoipukun he chip ashte 西の方に舟を走らす
tushpet chep ot ツシペツに魚みち来れば
shikotpet chep sak シコツペツに魚ゐずなりゆく”

流木が囲む漁場の煙
焚火にこげる鯇(サクイペ)の腹
わびしくランプともり
郷愁に潤む漁夫のまなじり

火の山の神(カムイ)も滅び星は消え
石器埋る岬の草地
風は悲愁の柴笛(モックル)を吹き
霧雨(ジリ)に濡れてトリカブトの紫闇に咲くか

伊福部昭氏作曲の『知床半島の漁夫の歌』です。詩は、更科源蔵氏。途中にアイヌの舟唄が挿入されていますが、これは伊福部氏の工夫です。『伊福部昭歌曲集』(全音楽譜出版社)によれば、「作詩者の許を得て挿入したものである」とのことです。また、もとの詩と、歌の詩にも相違があります。始まりの2行が違っています。更科氏の詩集『凍原の歌』(フタバ書院成光館・43)を見ます。

死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に → (原詩)死滅した前世紀の岩層に
冷たく永劫の波はどよめき → (原詩)冷却永劫の波はどよめき

もとの詩では、旋律に乗らなかったのでしょうか。それは作曲者のみが知ることです。
トロッタ10で、『知床半島の漁夫の歌』を、バリトンの根岸一郎さんと、ピアノの並木桂子さんが演奏します。この歌には私、木部与巴仁も思い入れがあり、つたないながら練習をしてきました。最近は歌っていませんが、いつかは舞台で歌いたいとも思ってきました。

『音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』『時代を超えた音楽』と続く、伊福部氏の三部作でも、この歌については触れています。『知床半島の漁夫の歌』を考えることは、詩と音楽について考えることでもありました。三部作が書き続けられるにつれ、少しずつ、その傾向は強まっていきました。記憶がはっきりしませんが、伊福部氏による歌の詩と、更科氏によるもとの詩が違っていることは、私には、ショックといっていい発見でした。

トロッタ10で用いられる私の詩は、もとの形をとどめていません。田中修一氏は“断章賦詩”という手法で、私の詩の部分のみを用い、『雨の午後』を作曲しました。田中隆司氏は、私の3つの詩を“解体再構成”して、『捨てたうた』を作曲しました。それぞれの方に、どうしてそうなさったのか、問うことは簡単ですが、それではおもしろくありません。私は、作曲者が詩を変えることを、それでいいと思っています。伊福部氏と更科氏という前例があります。変えていいと思う私の態度は、『知床半島の漁夫の歌』に拠っているようです。

トロッタのテーマは、“詩と音楽を歌い、奏でる”です。このことについて、改めて考えようと思います。

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