2009年11月22日日曜日

「トロッタ通信 10-14」

■ 主題と変奏


清道洋一さんは、トロッタ10に『主題と変奏、或いはBGMの効用について』を出品されます。トロッタで発表されるのは初めてです。昨年、2008年9月28日(日)、カフェ谷中ボッサ行われました、「ボッサ 声と音の会vol.4」で初演された曲です。

初演をし、トロッタ10で再演しようとしていますが、私は、この曲を完全に理解できていません。私は一個の楽器としての役割を求められているようです。私の考えよりも、私の音を、清道さんは求めているように感じます。それは私にとって、本望でもあります。考えなど捨て去りたいと思う私がいます。どんなに立派なことを考えていても、音にできなければ、舞台では通用しません。


清道さんと初めて会った時、彼は自分の作品集をCDで持って来て、『蠍座アンタレスによせる二つの舞曲』を聴かせてくれました。舞曲です。情熱的な曲でした。永遠に流れる時間の中で踊っていることを感じさせる、すばらしい曲だと思いました。抽象的にいっても意味はないのですが、進歩とか発展とか、そんなことを止めてしまった世界。そこにある場末の酒場でいつまでも踊っている男女の姿を感じさせてくれました。私はお返しに、これなら清道さんにふさわしいと考えていた『椅子のない映画館』を見せました。彼はすぐ、これを曲にさせてほしいといいました。それは、椅子のない、立ったまま観る映画館に足を運ぶ男の話です。


『椅子のない映画館』を演奏したのは、2008年6月8日(日)のトロッタ6です。この時、彼は椅子を使ったオブジェを創り、会場に置きました。彼は開演前、一生懸命になって、椅子を新聞紙で包み込んでいました。「ボッサ 声と音の会vol.4」で再演した時も、段ボール箱を覗き込むと、中に小さな椅子が見える仕掛けのオブジェを創りました。何かしないと気がすまないようです。音楽は、音としてだけあるのではないと、彼はいいたいようです。

彼の態度はストイックではありません。音以外のものを加えています。考えてみれば、私たちは音だけで生きていません。また音楽会といっても、私たちは演奏者の所作や表情を観ています。会場に足を運ぶまでにいろいろなことがありました。隣の人の息の音や気配が気になります。それらすべてを含めて音楽会の音楽なのです。ストイックな世界に、そもそも人は生きられないのです。清道さんの表現は、そのようなことを、私たちに教えてくれているようです。もちろん、これは私の受け止め方であり、彼は別なことを思っているでしょう。


私がここで書きたいのは、「変奏」ということ。「主題」が移り変わっていきます。『主題と変奏、或はBGMの効用について』という曲は、清道さんの本質かもしれません。演奏だけではない、言葉そのものが変化していきます。詩の物語も変化していきます。

清道さんとはこれまで、トロッタでは『椅子のない映画館』『ナホトカ音楽院』『蛇』『アルメイダ』の作品でご一緒してきました。こうして並べるだけで、大きなスケールを感じます。『椅子のない映画館』では椅子のオブジェを創りました。『ナホトカ音楽院』では、架空の音楽学校の風景をスライドや印刷物で見せました。『蛇』では、長くて幅の広い和紙を使い、巨大な蛇を想像させました。『アルメイダ』では、アルメイダという海の国を、美術家・小松史明さんの手を借りて絵にし、会場で配布しました。そうしたことが、「変奏」かもしれません。何かの「主題」があって、彼はそれを「変奏」させていきたいのかもしれません。


彼に身をまかせていれば、私自身が変わっていきます。私も知らなかった私が姿を現します。

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