田中修一さんは、トロッタの第1回から参加し続けている、唯一の作曲家です。トロッタの会を始めようとした時、真っ先に声をかけさせてもらいました。
第1回「トロッタの会」は、2007年2月26日(日)に開催されましたが、約1年前の2月8日(水)に亡くなられた、伊福部昭氏の追悼演奏会といっていいプログラムになりました。田中修一さんの『立つ鳥は』(2007)、酒井健吉さんの『ヴァイオリンとピアノのための狂詩曲』(2006)、いずれも、伊福部氏の追悼曲なのです。--これは意図したわけではなく、田中さん、酒井さんという二人の作曲家の思いが偶然に一致したのです。実は、私自身も、このことは失念していました。「詩と音楽」について考え、トロッタの歴史を振り返って、この事実に言及できたことを、よかったと思います。
田中さんはその後、トロッタでは、私の詩で『声と2台ピアノのためのムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』(2007)、『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』(2003)、『砂の町』(2009)。萩原朔太郎の詩で、『こころ』(1993/2007)と『遺傳』(2007)、田中未知の短詠で『田中未知による歌曲』(2008)を発表しました。『ムーブメント』は、トロッタ9のために改作され、エレクトーンと打楽器を交えた編成で演奏されました。とても好評でした。田中さんは、詩と音楽について、よく考え続けている作曲であるといえましょう。
その彼が、『雨の午後』では詩を削ったのですから、考えがきちんとあってのことです。どんな考えなのか--。以下はあくまで推理です。
ひとつ。物語を排除して、抽象世界にとどめようとした。時間の経過は不要であった。大切なのは「雨の午後」という抽象性であった。
ふたつ。恋愛詩は田中さんの場合、音楽にならないと映った。男女の、他人から見ればだらだらしたやりとりは、じれったいものです。
みっつ。端的にいって、詩の言葉がメロディにもリズムにも乗らなかった。そうだとすれば、田中さんの感性が判断をさせたものです。
よっつ。「断章賦詩」の態度を徹底させ、私の詩は材料であり、田中さん自身の思いを伝えるための材料になった。材料になる詩を書いたのですから、詩人として本望です。
間違っていたら申し訳ありません。
ところで、こんな短い詩があります
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鳥ならで 聴くこともなし かすかなる 雨のささやき 風の恋歌
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私の作です。
『鳥ならで』と題しました。
田中修一さんに贈りました。
トロッタ10のチラシを見ると、田中さんの曲は『雨の午後/蜚(ごきぶり)』となっています。「詩の通信」の創刊号、2005年11月11日に発表しました『ごきぶり』もまた、歌にしてくださいました。『蜚』の方は、詩句の変更はありますが、「断章賦詩」というほどのカットはありません。
これらの二曲につながりはありません。続けて歌われますが、別の曲です。二つも新しい歌曲ができてありがたいことですが、せっかくの機会なので旧作の詩だけでなく、新作も取り上げてもらえないかと、彼の作曲が相当に進んだ段階で、『鳥ならで』を書いて送りました。
田中さんは受け取ってくださいました。
『雨の午後』の詩が大幅にカットされた本当の原因を、私は知りませんが、推理して四つの理由が考えられるなら、カットに対する解答の意味もこめて、『鳥ならで』を詠んでみたのです。つまり--。
物語を排した抽象世界にとどめる。恋愛詩ではない。メロディとリズムに乗りやすい七五調にする。歌の材料となることを意識して、初めから書く。
いかがでしょう?
詩として、単独で詩唱するには短すぎますが、歌ならば、じゅうぶんな長さだと思います。そう--、歌のための詩は、短くてもいいのです。長いよりは短すぎる方がいいようです。
トロッタ10で歌にするには時間がなく、『鳥ならで』は、まだ歌になっていません。しかし、田中さんは受け取ってくださいましたので、遠からず、歌として皆さんにお聴きいただけるでしょう。
前回、トロッタ9の終演後、田中さんは『ムーブメント』、すなわち『乱譜』の続篇を所望されました。そこで私は、『乱譜 瓦礫の王』を書きました。これもまた、いつの日にか、演奏されることでしょう。
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