2009年11月15日日曜日

「トロッタ通信 10-7」

第10回目でトロッタに初参加されます田中隆司さんは、「響リュウ」のお名前で、演劇畑でもご活躍です。清道洋一さんと同じく、グループ「蒼」の同人です。田中隆司さんの曲を初めて聴きましたのは、旧東京音楽学校奏楽堂で行われました、昨年のグループ「蒼」演奏会でした。私も出演させていただきました。それ以前に、田中さんが響リュウとして書きました、萬國四季教會の舞台を拝見しました。「ボッサ 声と音の会vol.4」にも足を運んでいただきました。その上で、トロッタの会でご一緒できればと、お誘いしたわけです。


トロッタ10で演奏される田中さんの曲は、『捨てたうた』です。『時速0km下の世界』『約束 1977年のために』『万華鏡』という私の詩、三篇を自在に用いて、新たな一篇にされました。ちらしにありますご本人の表現では、「解体再構成」ということになります。もとの詩は長いので、ここに全文は掲げられません。トロッタのサイトには掲載しています。

「解体再構成」された音楽のための詩も、楽譜上にあるので、書くのが難しいようですが、試みてみましょう。二つか三つに分けて、話を進めます。

もとの詩の表記と、譜面上の詩の表記が、ところどころ異なりますが、そのまま記しました。それが田中さんのリズムであり、メロディだと信じるからです。同様に、これは私の詩というより、田中さんの詩になっています。詩から音楽へ、完全に変化しています。


  *


捨てたうた

(詩・木部与巴仁「時速0km下の世界」「約束1977年のために」「万華鏡」より)


田中隆司・構成


(男)

満月だった

水の中の魚(うお)として

空を見上げた

花が咲いて

世の果ての山に似る

満月の有り様(ありよう)


(駅員)

間もなく二番線に

普通電車が参ります


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(男)

海の満ち干

逆巻く潮(うしお)が

渦になって流れている


(きみ 娘)

この窓から見える風景が

わたしは好きよ

鉄道ビルとゆうのね

町の風景が途切れるあたりに

柱のように建っている


  *


ここまでで、すべての詩唱者が現れました。男、駅員、黒衣の女、きみ(娘)です。トロッタ10では順に、私、黒田公祐さん、笠原千恵美さん、松谷有梨さんが詠います。

また、用いられた三篇も、すべてその要素を現わしました。男と駅員の言葉は『時速0km下の世界』、黒衣の女の言葉は『約束 1977年のために』、きみ(娘)の言葉は『万華鏡』から採られています。


『時速0km下の世界』は、もともと小説でした。総武線飯田橋駅のホームは、急速にカーブしています。駅に入ると、長い車輛の列がホームに沿って折れ曲がります。車輛とホームの間が、大きく開きます。私が通った大学は、飯田橋駅に近い法政でした。電車に乗り降りするたび、足下にぽっかり空いた暗がりを見てきました。電車はすでに止まり、そこは時速のない世界です。人の来訪を誘っているように思いました。線路が直線ですと、電車はいきなり入線する印象ですが、飯田橋駅のように、カーブの中心にあると、遠くから電車が近づいてくるのが見えます。近づくにつれ、あの電車の前に、下に、身を投げたいという欲求が頭をもたげてきます。日々の生活に疲れた人にとっては、危ない場所です。そんな駅を舞台にして書いたのが、『時速0km下の世界』でした。


『約束 1977年のために』は、やはり私の大学時代を背景にしています。飯田橋駅の近くに、人形の家という名の喫茶店がありました。サークルの仲間と、そこに集い、何時間も語り続けたことを思い出します。『捨てたうた』には採られませんでしたが、原詩には「覚えているでしょう/川べりの喫茶店/議論に疲れて/水だけを飲んでいた」という言葉があります。これは、私にとっては重要な場面ですが、田中さんはカットされました。先の『雨の午後』同様、物語性は歌に不要と判断されたのでしょうか。とても興味深い点です。ただ、私にとって、そのような、喫茶店で友人と過ごす時期は、長く続きませんでした。大学の中で活動するという行き方が、私に向いていなかったからです。

詩は、学生時代から数十年が経った、2009年の現在が対比されます。「作ってあげましょう/あなたのために/人形を」という女の言葉は、私の詩ですが、田中隆司さんは、自分のものにされました。田中さんのためにある言葉のようです。


『万華鏡』は、「鉄道ビル」が見える、ある一室を舞台にしています。私は、密室にひかれます。それは、男と女がいる密室です。密室ですが、外界と結びついています。私は決して、外界を遮断しません。その象徴が、「鉄道ビル」です。「鉄道ビル」を、私は夢に見ました。そこは、東京のような大都会を走る鉄道網がすべて交差する、ある一点です。私は学生時代、劇画家の石井隆氏の作品にひかれました。今また、ひかれています。彼の作品は、エロ劇画などと呼ばれることが多いのですが、決して、そんな手あかまみれの一言では片付けられません。また暴力的でもありますが、その背後には、あまりにも大きすぎる哀しみがあります。『万華鏡』は、もしかすると、石井隆氏の作品から受けた影響が、詩の形になって現われたものかもしれないと思います。となると、『時速0kmの世界』『約束 1977年のために』『万華鏡』は、すべて、私の学生時代によりどころを持った作品ということができます。


  *


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を


(男)

最後の一歩が踏み出せなかった

あの日々

ホームの端で

純色(にびいろ)のレールを見つめていた

光る

虚空の月


急ぎ足で去ってゆく

女たち 男たち


(黒衣の女)

作ってあげましょう

あなたのために

人形を

作ってあげる

あなたに似せた

やせっぽちの

人形


(男)

誰でもいい

背中を押してほしかった

カーブを描いたホーム

その真下に

速度のない世界を


振り返えると

きみはぼくを見ていた


(きみ 娘)

雪が降っているよ

窓の向こうに

一面の粉雪

窓を開けてみて

部屋が雪いっぱいになっていく

音が消えるのよ

雪の日には


「10へ」;17

朝から慌ただしく過ごしました。
手渡しをできなかった作曲家、演奏家に送るチラシとチケットを封入し、杉並郵便局から発送しました。そのまま丸ノ内線で四谷に向かい、紀尾井ホールへ。

14時30分開演の第16回オーケストラ・ニッポニカ演奏会に、トロッタ10のチラシを500枚、はさみこみました。ホール到着は正午前。休憩時間であり、はさみこみ終了時には、『子供のための交響曲「双子の星」《交響管弦楽と児童合唱と語り手による》』の練習が行われていました。児童合唱は、甲田潤さんが指導している、すみだ少年少女合唱団でした。聴きたかったのですが、致し方ありません。

八王子の「ギャラリーことのは」で行われている、画家・佐藤善勇さんの個展にうかがいました。今日が最終日です。佐藤さんの先生は、伊福部昭氏の旧友である彫刻家、佐藤忠良氏です。また、「ギャラリーことのは」では、伊福部玲さんも個展をされています。昨夜は、ひとさじの音楽會として、ソプラノとピアノによる演奏会が開かれました。ギャラリーの方々は、伊福部昭氏の追悼演奏会で、更科源蔵氏の詩『怒るオホーツク』などを採り上げた私の朗読を聴いてくださっています。

帰途、ギャラリーに向かおうとすると、ヴォーカルの笠原千恵美さんに出くわしまいた。彼女も、佐藤善勇氏とは知り合いです。笠原さんから、トロッタ10に参加する女優・松谷有梨さん出演の芝居が、こちらも今日が最終日であると聞き、慌てて中野の会場に向かいました。まったく知らなかったのです。着いた時はすでに後半に入っていました。しかし、松谷さんと話ができ、行ってよかったと思いました。

帰宅後、トロッタ10の練習日程一覧表を作りまして、コピーをし、皆さんに発送しました。
食事も思うにまかせない一日でした。

2009年11月14日土曜日

「トロッタ通信 10-6」

*訂正)昨日の「トロッタ通信 10-6」は書き直します。一回の分量として長過ぎ、かつ、引用の割合が多すぎました。ご面倒で恐縮ですが、「10-5」をもう一度、お読みくださいまして、今夜か明朝にアップされます「10-6」にお進みいただければ幸いです。

田中修一さんは、トロッタの第1回から参加し続けている、唯一の作曲家です。トロッタの会を始めようとした時、真っ先に声をかけさせてもらいました。

第1回「トロッタの会」は、2007年2月26日(日)に開催されましたが、約1年前の2月8日(水)に亡くなられた、伊福部昭氏の追悼演奏会といっていいプログラムになりました。田中修一さんの『立つ鳥は』(2007)、酒井健吉さんの『ヴァイオリンとピアノのための狂詩曲』(2006)、いずれも、伊福部氏の追悼曲なのです。--これは意図したわけではなく、田中さん、酒井さんという二人の作曲家の思いが偶然に一致したのです。実は、私自身も、このことは失念していました。「詩と音楽」について考え、トロッタの歴史を振り返って、この事実に言及できたことを、よかったと思います。


田中さんはその後、トロッタでは、私の詩で『声と2台ピアノのためのムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』(2007)、『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』(2003)、『砂の町』(2009)。萩原朔太郎の詩で、『こころ』(1993/2007)と『遺傳』(2007)、田中未知の短詠で『田中未知による歌曲』(2008)を発表しました。『ムーブメント』は、トロッタ9のために改作され、エレクトーンと打楽器を交えた編成で演奏されました。とても好評でした。田中さんは、詩と音楽について、よく考え続けている作曲であるといえましょう。


その彼が、『雨の午後』では詩を削ったのですから、考えがきちんとあってのことです。どんな考えなのか--。以下はあくまで推理です。

ひとつ。物語を排除して、抽象世界にとどめようとした。時間の経過は不要であった。大切なのは「雨の午後」という抽象性であった。

ふたつ。恋愛詩は田中さんの場合、音楽にならないと映った。男女の、他人から見ればだらだらしたやりとりは、じれったいものです。

みっつ。端的にいって、詩の言葉がメロディにもリズムにも乗らなかった。そうだとすれば、田中さんの感性が判断をさせたものです。

よっつ。「断章賦詩」の態度を徹底させ、私の詩は材料であり、田中さん自身の思いを伝えるための材料になった。材料になる詩を書いたのですから、詩人として本望です。

間違っていたら申し訳ありません。

ところで、こんな短い詩があります


 *


鳥ならで 聴くこともなし かすかなる 雨のささやき 風の恋歌


 *


私の作です。

『鳥ならで』と題しました。

田中修一さんに贈りました。

トロッタ10のチラシを見ると、田中さんの曲は『雨の午後/蜚(ごきぶり)』となっています。「詩の通信」の創刊号、2005年11月11日に発表しました『ごきぶり』もまた、歌にしてくださいました。『』の方は、詩句の変更はありますが、「断章賦詩」というほどのカットはありません。

これらの二曲につながりはありません。続けて歌われますが、別の曲です。二つも新しい歌曲ができてありがたいことですが、せっかくの機会なので旧作の詩だけでなく、新作も取り上げてもらえないかと、彼の作曲が相当に進んだ段階で、『鳥ならで』を書いて送りました。

田中さんは受け取ってくださいました。

『雨の午後』の詩が大幅にカットされた本当の原因を、私は知りませんが、推理して四つの理由が考えられるなら、カットに対する解答の意味もこめて、『鳥ならで』を詠んでみたのです。つまり--。

物語を排した抽象世界にとどめる。恋愛詩ではない。メロディとリズムに乗りやすい七五調にする。歌の材料となることを意識して、初めから書く。

いかがでしょう?

詩として、単独で詩唱するには短すぎますが、歌ならば、じゅうぶんな長さだと思います。そう--、歌のための詩は、短くてもいいのです。長いよりは短すぎる方がいいようです。

トロッタ10で歌にするには時間がなく、『鳥ならで』は、まだ歌になっていません。しかし、田中さんは受け取ってくださいましたので、遠からず、歌として皆さんにお聴きいただけるでしょう。


前回、トロッタ9の終演後、田中さんは『ムーブメント』、すなわち『乱譜』の続篇を所望されました。そこで私は、『乱譜 瓦礫の王』を書きました。これもまた、いつの日にか、演奏されることでしょう。



「10へ」;16

ずいぶん遅くなってしまいましたが、今日は一日、トロッタ10と『冬の鳥』のチラシ発送作業に時間を費やしました。時々、外出していたので、朝からかかって、今やっと、封入作業が終わりました。『冬の鳥』のチラシが、作業途中で不足したので、新宿駅ホームで橘川琢さんと会い、30枚ほどいただきました。すでに22時30分ですが、これから、杉並郵便局に行って投函します。

トロッタのチラシを、座・高円寺に、とりあえず50枚置きました。また、トロッタの会のカウンターを、来年4月まで予約しました。

昨日の「トロッタ通信 10-5」は、いささか長過ぎたと思います。今夜、郵便局から帰りましたら、三つほどに分けて考察をしていきたいと思います。

チラシの投函を終えました。これから「トロッタ通信」の再構成にかかります。できれば、これをまとめ、コピー製本をし、本番の会場で販売したいと思います。よろしくお願いします。

2009年11月13日金曜日

「トロッタ通信 10-5」

「解体・再構成・摘み取る」


■ 詩が音楽になるために


田中修一さんが、トロッタ10のために作曲してくださいました『雨の午後』は、「詩の通信III」の第24号、2008年6月7日号で発表された詩がもとになっています。発表から約1年が経って、音楽になったわけです。すでに書きましたが、もとの詩と大幅に変わっています。これについて考えることは、少なからず意味があると思います。変更について、田中さんの考えはうかがっていませんが、ひとまず自分で考えてみます。まず、私の詩「雨の午後」の全文をご覧ください。


  *


 詩「雨の午後」


濡れて飛ぶ鳥も恋を知る

傘は嫌い

濡れたまま歩きたい


あなたの絵を描かせてください

駆け寄ってきたひとりの女

あの人が画家です

なるほど街灯の陰に男が見えた

変に思われないよう

私がお願いに来ました


はっきりいえばいい

ぼくがあなたを描きます

喜んで私は裸になるだろう

でも女がいっている

きっと綺麗に描いてくれますよ


濡れて飛ぶ鳥は恋を知る

綺麗じゃなくて

ありのままを描いて

傘はない

濡れたまま歩いていたい


描かせていただけませんか

お願いします

泣き出しそうな顔をしているね

彼はあなたを描いたの?

描かれたあなたが

私を誘うの?


五月の雨を切り

濡れながら飛んでいる

傘をなくした

あなたも私も 一羽の鳥


  *


「詩の通信」は、ただいま第VI期に進んで、11月16日(月)には、第8号を出そうという状況です。『雨の午後』を発表した当時、私は恋愛詩を多く書いていました。この『雨の午後』も、恋愛ではありませんが、街で偶然に出会った男女の姿を描いています。男女の、束の間の出会い。

しかし、田中修一さんは、『雨の午後』から恋愛の要素をばっさり削ぎ落としました。自然、詩自体が短くなっています。6連あったものが、その半分になっています。詩をカットして、カットした部分は音楽に表現させた、といえるかもしれません。

ご覧ください。以下のようになりました。



 歌曲「雨の午後」


濡れて飛ぶ鳥も戀を知る

傘は嫌い

濡れたまま歩きたい


濡れて飛ぶ鳥は戀を知る

傘はない

濡れたまま歩いてゐたい


五月の雨を切り

濡れながら飛んでゐる

傘をなくした

一羽の鳥



「あなたの絵を描かせてください/駆け寄ってきたひとりの女/あの人が画家です/なるほど街灯の陰に男が見えた/変に思われないよう/私がお願いに来ました//はっきりいえばいい/ぼくがあなたを描きます/喜んで私は裸になるだろう/でも女がいっている/きっと綺麗に描いてくれますよ」


このような物語性は、歌にならなかったわけです。すでに記しましたように、私は作曲家の意図を尊重します。どのようにしていただいてもかまいません。

田中さんは、「断章賦詩」という、中国にあるという手法を用いました。私はこの言葉を知りませんでしたが、要するに、任意の箇所を選んで、あるいは残して、そこに思いを託し、詩として示すわけです。書いた本人が自分の詩に手を加えることはあるでしょうか? たいていは、書いた本人以外の人によって行われるのでしょう。過去の詩を用いることが多いと思われます。大きくいえば、引用ということになります。


一種の恋愛詩と見れば、肝心な恋愛の要素がなくなったことは、残念です。

田中さんは、それを承知でなくしたわけです。別に恨みません。詩と音楽は違うのですから。詩が音楽になるためは、恋愛を捨てなければならなかった。詩の核に恋愛があったからこそ、それをなくして音楽になるとは、詩と音楽の関係を考える上で、実に象徴的なことだと映ります。


「10へ」;15

ブログで書き進めています「トロッタ通信 10」を、まとまりがつきましたら、トロッタのサイトで掲載することにしました。第1回目として、「詩と音楽」の項をアップしました。

11時、高田馬場にある日本音楽舞踊会議の事務所に行き、12月7日(月)に行われます、作曲部会公演「白夜のオルフェウス」のチラシをいただきました。個人的に送る、トロッタ10のチラシに同封します。裏面が白紙なので、私の詩『冬の鳥』を印刷いたします。

荻窪の古書店で、『伊福部昭 音楽家の誕生』新潮社版を購入しました。私の手元には、すでに一冊もありません。無責任と思う方があるかもしれませんが、思うところがいろいろとあり、本に重きを置いていません。伊福部氏の三部作は、オンデマンド版だけを持っています。これが最終形ですから。しかし、新潮社版は、何といっても初めて世に出した形ですから、意味があります。「トロッタ通信 10」をお読みいただければおわかりのとおり、私は詩と音楽について、伊福部氏を通して考えを深めてきました。その始まりですから、自分の出発点を見つめたい気持ちになったのです。

まだ全員のスケジュールが集まりませんが、空白部分はそのままにして、スケジュール調整を始めました。だんだん焦ってきました。トロッタ10と日本音楽舞踊会議のチラシを一緒にして封筒に詰め、差出人の名前を貼るところまでこぎつけました。

夜になって、先月に売りました本を、荻窪の古本屋、ささま書店で買い戻しました。「現代詩手帖」の特集版「ビート・ジェネレーション」です。ここに収められた井原秀治氏の文章「ビート詩人らと禅」が忘れられません。結局、このビート詩あたりが、私の原点のひとつだという気がします。それと、吉岡実の詩、でしょうか。
荻窪の古書店・音羽館、吉祥寺の古書店・百年、阿佐ヶ谷のカフェ・よるのひるねにチラシを置かせてもらいに回りました。店に行くたび、御礼として本を買います。音羽館ではアービングの『ホテル・ニューハンプシャー』、百年では「ユリイカ」のボサノヴァ特集。同じような本を買い、売り、また買いということを繰り返しています。

2009年11月12日木曜日

「トロッタ通信 10-4」

酒井健吉さんとの共同作業は、私にとって、まさに“詩と音楽を歌い、奏でる”ことでした。東京、名古屋、長崎と、演奏する場所もさまざまでした。

『トロッタで見た夢』を音楽にしたころ、私がまず考えていたのは、意味を伝えることではなかったかと思います。正確に発音する、正確に言葉を届かせる、正確に聴いていただく。それは大前提として、最近は、ちょっと考えることが違ってきています。大切なのは、意味だけではないと思う私がいます。酒井さんと一緒に音楽を創り、他の方々とも音楽を創っていくうち、意味が伝わらなくてもいいと思うようになってきました。意味を、聴く方々にまかせようとしています。私はただ、音を出すだけでいいのではないか、と。楽器が出す音に、意味はありません。


ただ、ここに書いていることは思考の過程であり、結論ではないと、お断りしておきます。言葉に意味があることは、当たり前だからです。

甲田潤さんと創った合唱曲『くるみ割り人形』の詩には、意味が多かったと思います。意味だけで成立している詩だといってもいいようです。しかし、そのような行き方も、当然、あるでしょう。


作曲家・藤枝守氏の『響きの生態系 ディープ・リスニングのために』(フィルムアート社)に、こんな一節があります。詩人ジェローム・ローゼンバーグは、ネイティブ・アメリカンのナバホ族に伝わる「夜の歌」をもとに音響詩を創りました。


「なぜ、このナバホのテキストにこだわったのか。それは、その言葉ひとつひとつに具体的な意味がないからである。意味がない言葉。それは、このローゼンバーグの音響詩を紹介した金関寿夫によると、『魔法のコトバ』ともいわれ、呪術的でマジカルな力をもっていると古来から考えられてきた。ところが、言葉に意味や概念を与えることによって、言葉は、解釈や理解のための道具となり、かつての言葉がもっていた霊的な作用や呪術的なパワーが失われてしまったという」


意味が伝わらなくていいかどうかはともかく、言葉そのものの力を、私は発したいと思っているようです。金関寿夫さんの指摘が正しいなら、言葉の意味と、言葉本来のパワーは相容れないものです。意味を伝えながらパワーを発するという考えは、矛盾しています。力のない正確さ、力がある不正確さ。どちらを取るかといわれれば、私は迷わずに後者です。


これは実現せずに終わった企画でしたが、藤枝氏の曲とともに、私が言葉を発していこうとしたことがありました。楽器はヴァイオリンとピアノ。声は、私と、ある女性詩人でした。実現していたら、どうなったでしょう。藤枝氏との作業が続いたでしょうか。トロッタはなかったかもしれません。これが実現しなかったので、私はトロッタの会を始めたのかもしれません。


思い出しましたが、藤枝氏が行ったワークショップで、詩を詠んだこともありました。暗闇でした。二階にいる人々に向かって、一階から詠み始め、螺旋階段を上りながら詠み続けました。小さな声で詠めばよかったと思います。声を張って詠みました。聴こえなくてもよかったと思います。言葉を、意味を、届かせようとしていたのです。聴こえるか聴こえないかという分水嶺に立てばよかったのに。当時の私は、そこに思いが至りませんでした。“詩と音楽を歌い、奏でる”境地に立っていませんでした。ナバホ族の足下に至っていませんでした。


ただ、難しさはあります。酒井健吉さんの『庭鳥、飛んだ』がそうでした。小編成のオーケストラと共に詠んだのでしたが、この時の楽器編成が、これまでで最大のものでした。音の圧力が、後ろから迫ってきます。対抗するのではなく、融け合おうとするのですが、こちらはメロディに乗っていきませんので、融合はなかなか困難です。音に負けまい、あるいは音の間隙を縫ってという、何だか対抗意識の方が先に立ってしまいます。詩唱者が自在になるためには、大きな楽器編成は、逆効果かもしれません。挑戦したい気持ちはもちろんあります。バランスを、作曲者と見極めることが大事です。


もう一度、藤枝守氏の『響きの生態系』を引用しましょう。

私は、小冊子ではありますが、『藤枝守・音の光景』という一冊を著しています。それを書くことは、伊福部昭氏の『音楽家の誕生』以下三冊の本には、分量として比較すべくもありませんが、大切な体験でありました。私の立場からのアプローチなので、藤枝氏の人生を追おうとか、そういうことではありませんが、誰かについて総合的に考えようとしたことは事実です。


「意味のない言葉が並ぶ『夜の歌』による音響詩。『魔法のコトバ』ともいえるテキストを何度も繰り返しながら声に出して読んでみると、ローゼンバーグが言うように、言葉は意味から解放され、言葉自体がもつ『音、呼吸、儀礼などの力』を、僅かではあるが感じることができる。そして、ネイティブ・アメリカンの身体に刷り込まれた感性や記憶に、ほんの少しだけふれたような気がしてくる」


藤枝さんの言葉を、長く引いてしまいました。私自身の言葉で語らなければと思います。しかし、彼の言葉を通ってきたことは事実なので、あえて引かせていただきました。私がトロッタの会で発したいのは、力のある言葉です。そこに意味を持たせるかどうか。伊福部昭氏と更科源蔵氏の、作曲家と詩人としての関係はどのようであったろうと思いながら、ひとまず、その議論は後回しにします。

「10へ」;14

午前中は健康診断に出かけました。以前、喘息の治療で慶応病院に通っていた時は、定期的な健康診断を受けていたのですが、今はまったく医療関係と無縁になっています。久しぶりの検査で、どんな結果が出るか、楽しみです。

その帰り道、東京音楽大学の民族研究所に立ち寄りました。フルートの八木ちはるさん、ファゴットの小楠千尋さん、ヴィオラの仁科拓也さんに渡すチラシを預けるためです。研究所で、甲田潤さんと話しました。来年の夏を目標に、新しい合唱曲を創ろうということになり、その詩を、私が書きます。詳細は、いずれお話しいたします。また来年の5月末、トロッタ8と同じような方向で、伊福部昭先生のお誕生日にちなみ、トロッタを開きたいと思います。甲田さんにも、参加していただければと思っています。

帰り道、東京音大に近い古書往来座に、チラシを置かせていただきました。

懸案事項が生まれました。11月15日(日)、紀尾井ホールにて、オーケストラ・ニッポニカの第16回演奏会が開かれます。「芥川也寸志 管弦楽作品連続演奏会・その2」が開かれます。そこで、甲田さんの編曲による映画音楽組曲『八つ墓村』が初演されるのですが、トロッタ10のチラシを配ろうと思いました。しかし、果たして枚数があるのかどうか。大きいとはいえませんが、紀尾井ホールの演奏会ですから、数百枚は必要です。

プログラムを見ますと、『八つ墓村』の他には『八甲田山』があり、エレクトーンとオーケストラのための曲『GXコンチェルト - GX1とオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』があり、さらに語り手が登場する『子供のための交響曲「双子の星」《交響管弦楽と児童合唱と語り手による》』があります。不遜な言い方ですが、トロッタに共通する内容だと思いました。大袈裟にいえば、啓示を受けたといっても過言ではありません。

また、ニッポニカのお客様は、当然、音楽を聴きに来ておられるので、その方たちにトロッタのチラシを配ることは、大きな意味があります。足を運んでいただけなくても、存在を知ってほしいと思います。無理をしてもいいのではないかと思いました。
結局、ニッポニカの方と相談し、小松史明さんとも打ち合わせて、600枚を刷り増しすることにしました。刷り増しには、初刷り以上の割高な料金が発生します。しかし、思い切りました。意味のある機会を前にして、ためらいは禁物です。

橘川琢さんと若干の打ち合わせをしました。12月7日(月)に行われます日本音楽舞踊会議 作曲部会演奏会「初冬のオルフェウス」で、橘川さんの作曲と私の詩による『冬の鳥』が初演されます。このチラシをできるだけ多くの方に配りたいので、橘川さんからチラシをいただくことにしました。白紙になっているチラシの裏面に、「冬の鳥」の詩を印刷して配る予定です。

ホール管理者の和田さん、ピアノ調律の清水さんとも、打ち合わせをいたしました。

「トロッタ通信 10-3」

私が初めて音楽のための詩を書いたのは、甲田潤さんがチャイコフスキーのバレエ音楽を編曲をした、合唱曲『くるみ割り人形』です。甲田さんから依頼を受け、彼が合唱指導する、すみだ少年少女合唱団のために書きました。終曲の詩で、甲田さんと意見の相違を見まして、2000年、曳舟文化センターで行われた初演に立ち会うとか立ち会わないとかのやりとりをし、結局は立ち合ったのですが、今から思えば生意気であり、何の意地を張っていたのだろうと思います。


伴奏はピアノでした。2004年には、すみだトリフォニー大ホールで行われました、墨田区の合唱大会で、小編成のオーケストラを伴奏にした演奏を聴かせていただきました。すべてが、貴重な体験でした。トロッタの会のメンバーである戸塚ふみ代さん、トロッタ8にご出演いただいた、コントラバスの丹野敏広さんも、この時のオーケストラのメンバーです。2005年には、曳舟文化センターにてピアノ伴奏で演奏され、私も詩の一節を朗読しました。これから先、何度でも演奏していただきたいと思います。


今ならば、もう少し違った詩を書くかも知れません。言葉をもっと、少なくできたでしょう。しかし、あれはあれで、よいと思います。私には、“詩と音楽”を考える出発点になりました。トロッタ以前に『くるみ割り人形』があったこと。私には大きな意味があります。


ただ--、すでにある曲に詩をつけるのは、私としては本来の作り方ではありません。“替え歌”というものがあります。誰もが知っている歌を、好きな詩、できるだけ他人の笑いを誘うような詩に替えます。センスは問われますが、誰にでもできることです。子どものころ、私もよく替え歌で遊んでいました。その替え歌のような気がするのです。甲田さんとの共作が替え歌だというのではなく、曲が先で詩が後の場合、替え歌になる危険性をはらんでいるといっておきます。


まったくのゼロから、詩を作りたいと思います。それが音楽になればと思っています。作曲者の立場に立てば、また違う意見が出るでしょう。歌にすることを前提に、詩のない曲を書くのと、詩がすでにあって曲を書くのとではまるで違います。この文章も、作曲者からの視点で書かれればおもしろいでしょう。


甲田さんのために、私は『ひよどりが見たもの』という連作詩を書きました。合唱団が歌ってくれる前提で、です。しかし、甲田さんの都合があり、曲になっていません。歌が始まるまでの前奏は聴かせてもらいました。甲田さんらしい、重厚さに満ちていました。いつの日にか、実現するでしょう。楽しみに待ちたいと思います。


代わりに、『ひよどりが見たもの』を曲にしたのは、酒井健吉さんでした。ただし、歌はありません。今は詩唱といっていますが、朗読のための曲になりました。酒井さんには、「トロッタの会」の名前の起こりとなった『トロッタで見た夢』を、2005年、朗読を伴う音楽にしていただきました。酒井さんとは、“詩と音楽を歌い、奏でる”という、トロッタのテーマそのままの共同作業を続けてきました。

2006年には『夜が吊るした命』『兎が月にいたころ』『ひよどりが見たもの』、2007年には『雪迎え/蜘蛛』『唄う』『町』『旅』『みみず』『水にかえる女』『天の川』『緑の眼』、2008年には『光の詩』『祈り 鳥になったら』『海の幸 青木繁に捧ぐ』『庭鳥、飛んだ』と、酒井さんらしい曲がたくさん生まれました。今は事情があり、一緒にできていません。しかし、曲は残っています。これが希望です。

「室内楽劇」

酒井さんが命名した、朗読を伴う音楽様式の名前です。

2009年11月11日水曜日

「10へ」;13

雨の一日でした。午前中は歌のレッスンで、その後、チラシを配りに都内を回ろうと思いましたが、荷物が多い上に激しい雨で、断念しました。関係者の皆様にも、何とかして早く、チラシをお渡ししたいと思います。今日は赤羽佐東子さんにチラシをお渡ししました。

掲げました花は、思い立って生けたものです。夕食を採っていましたら、勃然と、花を生けたい気持ちが起こってきました。器は、伊福部玲さんの小さな作品を使いました。向き不向きはあるにせよ、実際に形に取り組んでみると、自分の造形力を目の当たりにする思いです。力があるかないか、はっきりします。また、花いけは、集中をさせてくれます。自分自身と向き合える機会になります。花はまだ買ってありますので、今夜中に、より大きな花いけをしてみるつもりです。偶然ですが、4年前の今日、「詩の通信」の1号を出したのでした。その記念の花いけでもあります。

午前中、まったく集中できない一日でした。「トロッタ通信 10-3」も書き損ないました。明日、二日分を書きます。これは絶対に、落とさない覚悟です。



2009年11月10日火曜日

「トロッタ通信 10-2」

古書店で、更科源蔵が著した文庫本『北海道の旅』を見つけました。現代教養文庫で初めて出た後、同じ文庫で改訂版が出され、後に新潮文庫にもなった、息の長い著作です。現代教養文庫の方が、写真は多く、文字も細かく収められていて、愛着が持てます。


私は、トロッタのような大きなことがあるたび、所蔵する本やCDなどを売り払ってしまうので、更科氏の著作も、かつてはたくさんありましたが、詩集『凍原の歌』しか、今は持っていません。『北海道の旅』はありません。今日も、買いませんでした。記憶だけで書きますが、伊福部昭氏が曲にした更科氏の詩のうち、少なくとも『摩周湖』と『オホーツクの海』が、『北海道の旅』には載っています。歌曲として、『摩周湖』は同じ題名ですが、『オホーツクの海』は、詩の題は『怒るオホーツク』でした。書き忘れましたが、先に紹介した歌曲『知床半島の漁夫の歌』も、詩は『昏(たそが)れるシレトコ』という題なのです。


私は、詩は詩人のものですが、歌になった場合は作曲者のものだと思っています。そして演奏された場合は、演奏者のものです。誰々の“もの”という考え方は、もしかすると、改める必要があるかもしれません。しかし、詩の題に並べて作者の名前を書き、楽譜にも曲名と並べて作曲者名を記す以上、それは誰々の“もの”だと、ありかを示していることにならないでしょうか。やかましくいえば、著作権ということになるでしょうが、責任と言い換えてもいいかもしれません。


歌曲『知床半島の漁夫の歌』は、題まで変えているのですから、伊福部昭氏の作品といえます。同様に、『捨てたうた』は、木部与巴仁の詩によりながらも田中隆司氏の作品であり、『雨の午後』は田中修一氏の作品です。私は突き放して考えています。更科源蔵氏が、どのような考えを持っていたかはわかりません。付け加えれば、私は作曲者に預けたのだから、好きにしてもらわないと、未練が残るとも思っているのです。


無事に終わったことと思いますが、本日十一月十日(火)、今井重幸氏の作曲により、笠原千恵美さんが歌った、ある曲が録音されたはずです。先日、その打ち合わせに、必要があって同席しました。詩が変更になったからと、今井氏が譜面を書き直して来られました。詩の一節を書き直すより、譜面を書き直す方がたいへんであり、時間がかかります。詩人は楽だからいいが、という考え方が成り立つでしょう。それは私もわかります。


飛行機に乗っている時、紙ナプキンに3分間で書きつけた詩に曲をつけたら、大ヒットした。そんな話を聞いたことがあります。しかし、楽譜は3分では書けません。楽器が多くなればなるほど、時間がかかります。そのような作曲者の大変さを間近にして、詩人は……と、私がそうであるのに思ってしまいます。100メートル競走のランナーは10秒以内で終わるが、マラソンランナーは2時間以上も走らなければならないから大変……。そんな比較は、しても仕方がないと、私は自分に言い聞かせます。


話がそれました。

トロッタを始める時、詩が音楽になる瞬間を見たい、そのようなことを考えていました。更科源蔵氏の詩が、伊福部昭氏の手で歌になる。そこにどのような動きが起こったのか。それを体験したくて、トロッタを始めたのかもしれません。作曲家や演奏家、他の方々の思いは、それぞれにあるでしょう。少なくとも私は、その動きに立ち会いたかったのです。それがもう、10回目を迎えようとしています。何が、わかったのでしょうか?


「10へ」;12

Yahoo!のオークションで落札しました靴が、宅急便で届きました。田中隆司さんの新曲『捨てたうた』で、木部与巴仁は洋装をいたします。昨日は、衣装のこととして書きました。上から下まで、もう10年以上も着なかった洋式の衣装を揃えました。『捨てたうた』の練習は、どこで行われても、洋服でいたします。機会あるごとに、洋服で町に出るつもりでいます。他の方にとっては当然のことが、私には当然ではありません。

トロッタ7にも足を運んでいただいた木版画家、星野修三さんの個展を見るため、神田神保町に近い、gallery mestallaを訪れました。星野さんは、ご経歴によると、美術を志して北海道から東京にやって来ましたが、身体表現にも深い関心を抱いて、土方巽の舞踏公演などに参加してきました。個展の会期中は、何度かパフォーマンスが予定されています。もともと、人の表現意欲はジャンルにおさまるわけがありません。ジャンルは後から作られたものです。トロッタにも、これは通じることです。星野さんの心のうちを、少しでも感じ取りたいと思いました。

午前中はヴォーカルの笠原千恵美さん、午後はピアノの森川あづささんに、チラシとチケットを渡しました。

靴と一緒に、詩人、藤井貞和氏の『湾岸戦争論 詩と現代』が古書店から届いたことを、個人的には記しておきます。一度、売り払ってしまった本ですが、また買いました。とうに絶版になっている本です。詩を書いていて、地球上の遠い場所で起こっている戦争について、知りませんとはいいたくありません。書いているものが恋愛詩であっても、常に地球上のできごとを意識したいと思っています。意識しつつ、恋愛詩を書きたい。それが、トロッタに参加する私の態度です。

2009年11月9日月曜日

「トロッタ通信 10-1」

死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に
冷たく永劫の波はどよめき
落日もなく蒼茫と海は暮れて
雲波に沈む北日本列島

生命(いのち)を呑み込む髑髏の洞窟(め)
燐光燃えて骨は朽ち行き
灰一色に今昔は包まれ
浜薔薇(はまなす)散ってシレトコは眠る

暗く蒼く北の水
海獣に向う銃火の叫び
うつろに響いて海は笑い
空しき網をたぐって舟唄は帰る。

“shikotpet chep ot シコツペツに魚みち来れば
tushpet chep sak ツシペツに魚ゐずなりゆき
ekoikaun he chip ashte 東の方に舟を走らせ

ekoipukun he chip ashte 西の方に舟を走らす
tushpet chep ot ツシペツに魚みち来れば
shikotpet chep sak シコツペツに魚ゐずなりゆく”

流木が囲む漁場の煙
焚火にこげる鯇(サクイペ)の腹
わびしくランプともり
郷愁に潤む漁夫のまなじり

火の山の神(カムイ)も滅び星は消え
石器埋る岬の草地
風は悲愁の柴笛(モックル)を吹き
霧雨(ジリ)に濡れてトリカブトの紫闇に咲くか

伊福部昭氏作曲の『知床半島の漁夫の歌』です。詩は、更科源蔵氏。途中にアイヌの舟唄が挿入されていますが、これは伊福部氏の工夫です。『伊福部昭歌曲集』(全音楽譜出版社)によれば、「作詩者の許を得て挿入したものである」とのことです。また、もとの詩と、歌の詩にも相違があります。始まりの2行が違っています。更科氏の詩集『凍原の歌』(フタバ書院成光館・43)を見ます。

死滅した侏羅紀の岩層(いわ)に → (原詩)死滅した前世紀の岩層に
冷たく永劫の波はどよめき → (原詩)冷却永劫の波はどよめき

もとの詩では、旋律に乗らなかったのでしょうか。それは作曲者のみが知ることです。
トロッタ10で、『知床半島の漁夫の歌』を、バリトンの根岸一郎さんと、ピアノの並木桂子さんが演奏します。この歌には私、木部与巴仁も思い入れがあり、つたないながら練習をしてきました。最近は歌っていませんが、いつかは舞台で歌いたいとも思ってきました。

『音楽家の誕生』『タプカーラの彼方へ』『時代を超えた音楽』と続く、伊福部氏の三部作でも、この歌については触れています。『知床半島の漁夫の歌』を考えることは、詩と音楽について考えることでもありました。三部作が書き続けられるにつれ、少しずつ、その傾向は強まっていきました。記憶がはっきりしませんが、伊福部氏による歌の詩と、更科氏によるもとの詩が違っていることは、私には、ショックといっていい発見でした。

トロッタ10で用いられる私の詩は、もとの形をとどめていません。田中修一氏は“断章賦詩”という手法で、私の詩の部分のみを用い、『雨の午後』を作曲しました。田中隆司氏は、私の3つの詩を“解体再構成”して、『捨てたうた』を作曲しました。それぞれの方に、どうしてそうなさったのか、問うことは簡単ですが、それではおもしろくありません。私は、作曲者が詩を変えることを、それでいいと思っています。伊福部氏と更科氏という前例があります。変えていいと思う私の態度は、『知床半島の漁夫の歌』に拠っているようです。

トロッタのテーマは、“詩と音楽を歌い、奏でる”です。このことについて、改めて考えようと思います。

「10へ」;11

「10へ」は継続します。このタイトルで、トロッタ10について、簡単な報告をさせていただきます。「トロッタ通信」は別に書きます。

午前10時、トロッタ10のチラシが届きました。みごとな仕上がりです。小松史明さん、お疲れさまでした。同じ時間から、造形家の扇田克也さん、花道家の上野雄次さんと、阿佐ヶ谷にて打ち合わせがありましたので、おふたりには、さっそくお渡ししました。来年の6月、石川県金沢市のギャラリー点で、「扇田克也×木部与巴仁×上野雄次展」を行います。副題は、「遠い森」としました。このことは、トロッタとは別ですが、いずれ詳しくお伝えできるでしょう。打ち合わせが終わるころ、橘川琢さんも合流しました。橘川さんには、今夜、横浜で行われた「眞鍋理一郎 85歳記念コンサート」でチラシを配っていただくことにしたのです。トロッタ10の概要が、初めて不特定多数の方々に明かされました。

ヤマハ・エレクトーンシティ渋谷からの依頼で、先日のトロッタ9について、850字ほどの短い文章を寄せました。エレクトーン奏者、大谷歩さんのコメントも生かしてあります。アンケートも引用しました。結びは、またエレクトーンシティでトロッタを開きたい、というもの。実現できるように努めます。

夕方にかけて、作曲の今井重幸先生、ピアノの並木桂子さん、徳田絵里子さんにチラシを渡しました。また、作曲の田中隆司さんにもお渡しし、同時に、田中さんの『捨てたうた』で私が着る衣装について、了解を得ました。2種類持参しまして、どちらでもよいことになりました。音を出したわけではありませんが、衣装選びから、すでに『捨てたうた』は始まっています。

2009年11月8日日曜日

「10へ」;10

印刷会社のグラフィックから、チラシを発送したというメールが届きました。明日には着くことでしょう。明日から、気負いなく、「トロッタ10」のための「トロッタ通信」を書き続けていくことにします。「10へ」というタイトルは、ちょうど10回目だからではありませんが、今夜でおしまいにします。

明日は、眞鍋理一郎さんの「85歳記念コンサート」が、横浜美術館B1のレクチャーホールで開催されます。伊福部昭先生の御門下であり、私もうかがいたいのですが、無理ではないかと思われます。今は、トロッタに神経を集中させていきたいのです。しかし、もしもチラシが間に合えば、会場で配らせていただきたく、その点はお願いしておきました。集客はもちろん、トロッタの会そのものの存在を、少しでも広めたく思います。

トロッタの作曲者、出演者のスケジュール調整を始めました。毎回、頭を悩ますところですが、これを乗り越えないと、演奏会の幕が上がりません。力を尽くしてまいります。今年最後のトロッタを、よろしくお願いします。

2009年11月2日月曜日

「10へ」;9

小松史明さんの尽力により、チラシを印刷所に入稿しました。チラシを入稿したということは、曲が確定し、演奏者も確定したということです。ずいぶんと長くかかった気がします。やっと決まったという思いです。この間には、いろいろなことを考え、迷いもしました。なるものはなり、ならないものはならないという、ある種の見極めが生まれました。後は、チラシができあがってくるのを待つだけです。これからは、ご報告できることも多くなってくるでしょう。

2009年10月30日金曜日

「10へ」;8

10月26日(月)、「詩の通信IV」第6号を完成させ、夜になって発送しました。まる一週間ずれてしまいまして、これはそのまま、トロッタ10の準備が遅れていることを意味します。このブログは、内輪話を書く場ではありません。内輪話にとらわれていることが、ブログを停滞させていました。しばらくお待ちください。チラシを入稿しましたら、改めてご報告いたします。

2009年10月25日日曜日

「10へ」;7

小松史明さんから、昨夜、チラシの基本デザインが送られてきました。文字のはみ出しや、未決定の情報があります。これは急いで調整していかなければなりませんが、チラシの姿は見えてきました。サイトのタイトル周りは、この新しいデザインから取ったものです。お楽しみに。

2009年10月22日木曜日

「10へ」;6

私はトロッタの製作一般に携わっていますが、出演者でもあります。詩を書いていることは、作曲しているのと、同じ位置にあります。しかし、本番の舞台に立たなければいけないので、その事実は大切にしたいと思っています。製作が忙しくて練習不足になることは、避けなければいけません。

一回行うたびに、いろいろ反省点が生じます。それは、実行しているゆえの反省点です。何もしていなければ反省点すら生じません。より大きく、というのは規模のことではなく中身ですが、トロッタがより大きくなるために、反省を繰り返し、クリアしていくことは必要です。トロッタ9を終え、そのためのトロッタ10です。先日の「ボッサ 声と音の会vol.5」も、トロッタではありませんでしたが、大切な経験として、トロッタ10の役に立ってくれることでしょう。

2009年10月20日火曜日

「10へ」;5

サイトに、トロッタ10で用いる詩をアップし始めました。時間がかかりますので、一度には無理です。あとほんの少しなのですが、手元に資料がないものもあるので、しばらくは未完成です。

昨夜、小松史明さんが、進行中のチラシを送ってくれました。今回も力作であり、すばらしいものになる予感がします。お楽しみに。

「詩の通信IV」の発行が、本来なら昨日でしたが、遅れてしまっています。日常の仕事がなかなか片付かず、そこにチラシ作りなどが加わっているので、はかどりません。しかし、今夜中には何とかしようと思います。

2009年10月19日月曜日

「10へ」;4

トロッタのサイトを更新しました。
チラシのための原稿を整理し、デザイナーの小松史明さんに送り始めました。
今回は時間がないので、すでに、急いで急ぎすぎることはない情勢になっています。
前回は、座・高円寺などに置いた「トロッタ通信」が3号にしか届かず、5号まで行きましたトロッタ8に比べ、物足りないものでした。それが集客に影響したかどうかはわかりません。しかし、もっとできたのではないかという思いを抱かせたことは事実です。努力しましたとは、5号以上を出して初めていえる言葉でしょう。

トロッタ10、ご挨拶文

作ってあげましょう

あなたのために

人形を

作ってあげる

あなたに似せた

やせっぽちの

人形

(田中隆司・作曲 木部与巴仁・詩 『捨てたうた』より)


*ご挨拶

2009年最後のトロッタを、第10回公演として開催いたします。会場は、第8回公演と同じ、新宿ハーモニックホールです。10回だからといって特別視しませんが、節目だとは思います。これまでのトロッタのあり方を見直します。依然と変わらず映った場合も、見直しをした結果です。今回はバリトンに、オペラ等で活躍される根岸一郎さんをお迎えします。伊福部昭氏の『知床半島の漁夫の歌』と、今井重幸氏の『時は静かに過ぎる』を歌っていただきます。“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタの世界を、さらに深めてくれるでしょう。また、演劇の世界でも活躍されている田中隆司氏の『捨てたうた』を初演します。木部与巴仁の詩三篇が田中氏の視点で構成され、スケールのある音楽世界となりました。さらに、田中修一氏の歌曲『雨の午後/蜚』、橘川琢氏の詩歌曲『死の花』などの新曲をまじえてお届けいたします。確かな節目を刻みたい、トロッタ10に、皆様、ぜひお越しくださいませ。*黄金色の光が射す、10月の午後に 木部与巴仁


2009年10月17日土曜日

「10へ」;3 再開します/「めぐりあい〜陽だまり〜」

ここしばらく、「ボッサ 声と音の会」が忙しく、また、日常の仕事もたまっていたので、ブログを更新できませんでした。今日から、再び書き始めます。昨夜、書きましたアンコール曲、「めぐりあい〜陽だまり〜」の詩を掲載いたします。トロッタ10では、田中修一さんが編曲してくださいます。また、先日のボッサでご一緒できた、パーカッションの内藤修央(のぶお)さんが、トロッタ10では打楽器奏者として参加してくださいます。うれしいことです。これも、“めぐりあい”といえるでしょう。

めぐりあい~陽だまり~


木部与巴仁


冷たい朝に身を寄せ合い

陽だまりがそっと生まれてた


白い息を

吐きながら

たったひとりで

歩いてゆく


冷たい朝に身を寄せ合い

陽だまりがそっと生まれてた


ひびわれたアスファルトが

幸せそうに

微笑んでいる

嬉しくなった

冬の街角


どこへ行くの?

わからない でも

私は生きられる

ありがとう

あなたの歌を聴いたから


2009年10月8日木曜日

ボッサが終わりそうです

「扇田克也+木部与巴仁〈ユメノニワ〉」展が、後半に入り、終わりが見えてきました。毎日、詩を書いて、ボッサで発表しています。毎日書き続けることは、なかなか大変です。しかし、書ける場があることは幸せですので、力を尽くしています。クロージング演奏会として行う、「ボッサ 声と音の会vol.5」後半の準備も進めています。本来なら、トロッタ9の反省を、この場に書かなければと思いつつ、前に進んでしまっています。「詩の通信IV」も、遅れていましたが、何とか、二号分を書いて、あとは印刷し、発送すればいいところまでこぎつけました。

皆さま、トロッタのメンバーが、ボッサに出演しています。お時間がありましたら、お越しください。よろしくお願いします。

2009年10月6日火曜日

シャンソン組曲の選曲

昨日、10月5日(月)、ヴォーカルの笠原千恵美さんから連絡がありました。トロッタ10で歌いたい、今井重幸先生の、シャンソンを選曲したということです。ここではまた曲名をあげませんが、3曲を選んでくださいました。トロッタ9では、3曲とも歌ったのですが、全体の時間の関係があり、トロッタ10では2曲にする予定です。

ただいま、私は、谷中ボッサでの〈ユメノニワ〉展にかかりきりです。具体的には、詩作を続けています。「詩の通信IV」も、トロッタ、ボッサと続いているため、本来は2週間前に出すべきだった第4号を出せず、昨日、出すべきだった第5号と一緒にして、読者には送る予定です。日常の仕事も遅れぎみで、昨夜など、明後日の木曜日かと思っていた締切原稿が、実は今日であったことに気づき、慌てました。電車を反対方向に乗ってしまったのも昨日でした。客観的にならなければと思います。忙しさの中、自分を見失わないようにしなければいけません。

2009年10月4日日曜日

トロッタ・アンサンブルTOKIO出演

930日(水)、谷中ボッサにて、art-Link上野-谷中 参加企画「扇田克也+木部与巴仁〈ユメノニワ〉」展が始りました。1012日(月)まで、火曜の定休日を除いて開催されています。

初日の19時から、造形家の扇田克也さんを迎えてオープニング演奏会が行われました。出演は、トロッタ・アンサンブルTOKIO 2009。プログラムは以下のとおりです。


 組曲〈都市の肖像〉第二集「摩天楼組曲」補遺~『ガラスの国』扇田克也展 五つの物語~ 作曲・橘川琢 詩・木部与巴仁  ヴィオラ・仁科拓也

 作家と語る  扇田克也と木部与巴仁によるトーク

 扇田克也〈ユメノニワ〉とある詩篇・1 「ユメノニワ・427号室」詩と詩唱・木部与巴仁  パンデイロ・内藤修央

 組曲『ユメノニワ』作曲・橘川琢、清道洋一  フルート・田中千晴 ファゴット・平昌子 ヴィオラ・仁科拓也 打楽器ほか・森川あづさ


10月11日(日)18時には、クロージング演奏会が行われます。初日の曲に、さらに新作を2曲加え、より演奏会の色を濃くいたします。お誘い合わせの上、お越し下さい。狭い会場ですので、御予約をいただければ幸いです。

ところで、会期中、私は毎日通いまして、詩を更新いたします。会場に置いた7冊の冊子の最終ページに、その日の詩を印刷して張り合わせています。詩は、このブログの「関係者活動情報」にあります、扇田克也さんのリンク先をクリックしてください。

2009年10月1日木曜日

渋谷にて;8(トロッタ9本番)

エレクトーンシティには、9時半入りです。到着すると、すでに大谷歩さん、清道洋一さん、田中修一さん、仁科拓也さん、宮﨑文香さん、三河修三さんが来ていました。中川博正さんとは、来る途中で会いました。調律の方は、8時から来て作業をしています。トロッタのために、人が動いているわけです。

楽屋に荷物を運び込み、10時の音出しを待ちます。待つといっても、することはいろいろあります。何といっても、私は差し替え曲になった『宇の言葉〜七角星雲・光うた・火の山〜』を告知するため、原稿を作らなければなりません。また、アンケートも作る必要があります。寝てしまって作業をしなかったのですが、寝ることは必要なので、私はかまいません。その皺寄せが、後で押し寄せるわけです。しかし、自分の練習時間以外にすれば間に合うという計算が働いていることは事実です。


10時から10時30分 エレクトーンの音出しに続いて、橘川琢さんの『宇の言葉~七角星雲・光うた・火の山~』を合わせる時間です。エレクトーンの音が、なかなかうまく出ないように見えました。トロッタはまだ、エレクトーンを自分のものにできていないなと思いました。もちろん、大谷歩さんに不安はありません。かつて、私はビデオ作品を作っていました。ビデオは電気に左右されます。もし、停電になったら……。それは妙な仮定です。停電になったら、室内で行われる演奏会そのものが中止になるでしょう。ともかく、電気に左右される表現を、私はやめました。エレクトーンはまさしく、ビデオと似ています。しかし、今回のトロッタは、エレクトーンを使うことが大前提です。作曲者にとっても出演者にとっても、ひとつの挑戦となったのです。


『宇の言葉』は、昨夜、池袋駅でもらっただけの楽譜です。自分の詩ですが、間違えずに詠めるでしょうか。いえ、間違えてもいいから、心の詩唱になるでしょうか。考えまして、私が前に正座することにしました。ヴァイオリンの戸塚ふみ代さんには、私の真後ろに立って、演奏していただくことにしました。


10時30分から10時50分 戸塚さんと、バンドネオンの生水敬一朗さんによる『Venus』です。曲は、生水さんの先生、アレハンドロ・バルレッタ氏によるものです。本番一曲目のシャンソン組曲もそうですが、出演者が歌いたい曲、演奏したい曲に取り組んでいただきたいと思い、プログラムに加えたのです。


10時50分から11時30分 橘川琢さんの『花骸-はなむくろ-』です。花の上野雄次さんが、どんなことをするのか、この時点ではまだわかりません。また、私が出す山蛭の声が、客席にどんな効果となって聴こえるかもわかりません。聴こえているようではありますが。戸塚さんのヴァイオリン、田中千晴さんのフルート、中川さんの声、すべてを聴きながら、深い山の中の光景を作っていきます。


11時30分から11時50分 田中修一さんの『ムーヴメント』です。赤羽佐東子さんの生の声が、赤羽さんが無理をしなくとも、客席に届くかどうか。打楽器、ピアノ、エレクトーンが大音量で演奏されます。もともと響きのない会場です。人工リバーブ装置に頼るしかありません。私が赤羽さんの歌を初めて聴いたのは、このエレクトーンシティで行われた日本歌曲の会でした。ピアノの森川あづささんと打楽器の星華子さんは、高校時代の同級生です。私とシャンソンの笠原千恵美さんもそうですが。個人的には、そのような人と人の歴史が、私は好きです。


11時50時から12時20分 大谷歩さんの『アルバ』です。大谷さんは、この一週間、山口から出てきて、知らない人ばかりの中に混じり、よく努力されたと思います。私自身、電話やメールでやりとりしていましたが、面識はありません。大谷さんが山口から出てきた日に、初めて会いました。『アルバ』で私が詩に詠んだ海は、大谷さんが見ていた海です。つまり、同じ瀬戸内海です。互いの共通項が、音になるわけです。これは不満ではなく、当然、そうなっていいわけですが、詩は、ずいぶん短くなっています。どこをどう取って曲にするか。その作曲家の判断に、私は関心があります。


12時20分から13時00分 これも海にまつわる曲、清道洋一さんの『アルメイダ』です。この日のために、清道さんは小松史明さんと、一枚の絵を作りあげました。そこには私の原詩が載っています。演奏に使われるテキストは、戯曲のようなものと私には映る、清道さんの創作です。実はこの二つの詩の関係が、いまひとつ、わかっていません。わからないまま本番に臨むのは不誠実かもしれません。しかし、その不安感が、私の声を通して形作られる、一人の男の姿には、ふさわしい気もします。結局、この音楽劇のような『アルメイダ』は、何なのでしょうか? 清道さんの思いを、どこかで語っていただきたい気がします。加えて、赤羽佐東子さんが歌う、女王のアリアを、より大きくした形で、私の原詩の長さで、聴きたいと思っています。


13時00分から13時半 今井重幸先生の『青峰悠映』です。田中千晴さんのフルート、平昌子さんのファゴット、大谷歩さんのエレクトーンで演奏されます。サントリーホールの小ホールで聴かせていただいた曲を、トロッタで演奏させていただけます。ありがたいことです。また、田中さんと平さんは、大学のオーケストラで共演していましたが、外に出て共演するのは初めての機会だとか。いいことだと思います。練習を聴きながら、私は差し替え曲の告知とアンケートを作りました。


13時半から14時 やはり今井先生が曲を書き、橘川氏と清道氏が編曲をした、“シャンソン組曲”。邦題で、「今井重幸によるヌーベル・シャンソン 新しい歌の流れ」です。ここで問題が生じ、音が厚すぎるために歌がまったく聴こえない事態となりました。急遽、検討をしまして、マイクを使うことにしました。トロッタでは、本来、ありえないことです。これもまた、試行錯誤です。試行錯誤をお聴き、見せてしまうわけです。いいのでしょうか。いいわけはありません。全員の努力を、よりよい形にまとめてゆく力が、不足していました。


14時から『めぐりあい』を合わせました。大谷さんのエレクトーンと、弦楽カルテットのみの演奏で、他の人は歌います。アンコール曲である『めぐりあい』まで、無事に持っていけるかどうか。非常な不安を抱えたまま、開場の時間が迫ります。詩唱者として、個人的には不安はないのです。トロッタとしての不安です。さらに、こうして書いている今、すでに終わったことなのに、その綱渡りぶりが不安になってきました。よく、終えられたと思います。


14時半 開場です。さまざまな反省を生ぜしめたトロッタ9が、始ります。この後のことは、公開されたことであり、書きません。ほめていただいた点もありますが、批判された点も多く、お客様が大勢お越しにならなかったことが、すでにトロッタへの批判かもしれません。トロッタ10は、絶対に、9以上のお客様を集めること。曲の差し替えやマイクの使用などをせずに済むこと、その他、さまざまな課題をクリアいたします。そのために、すでに動き出しています。