2009年9月23日水曜日

渋谷にて;3

昨日は、明るいうちに帰ることができたのですが、結局は、御報告が今になっています。書けなかった直接の原因は、疲れで眠くなってしまったことですが、どういう時間の使い方をしたのだろうと思います。プログラム作りなど、できていないことが多くあります。本番にますます近づいている今、どこかで行動パターンを切り換えなければ、永遠にできないだろうと思います。

ミュージックアベニュー渋谷に、午前10時集合です。エレクトーンの大谷歩さん、ピアノの森川あづささん、打楽器の星華子さんの3人に、作曲の田中修一さんが加わって、『ムーヴメント』を楽器だけで合わせました。トロッタ3で初演した曲を、エレクトーンシティ渋谷公演のために編作しました。大音量で、たいへんな迫力です。

12時。作曲の今井重幸先生と入れ替わり、『青峰悠映』の合わせです。フルートの田中千晴さん、ファゴットの平昌子さんがやってきました。フルート、ファゴットに、もともとはハープという編成ですが、今回は、ハープのパートをエレクトーンが演奏します。ただし、せっかくエレクトーンを使うのですから、ハープだけではない、さまざなま楽器の音色を試されていました。

13時半をめどに、続いて練習します、シャンソン組曲関係の方々が集まり始めます。ピアノの並木桂子さん、ヴォーカルの笠原千恵美さん、バンドネオンの生水敬一朗さん、オーボエの今西香菜子さん、ヴィオラの仁科拓也さん、クラリネットの藤本彩花さん。そして、今井先生のシャンソンを編曲しました、橘川琢さん、清道洋一さんもやって来ます。

14時、練習開始。橘川さん編曲の『哀しみの海の滄さ』『風はつぶやく』、清道さん編曲の『ピノッキアーナ』です。原曲のメロディを生かし、橘川さんと清道さんが、お二人らしい曲に仕上げていました。ピアノやアコーディオンが伴奏するシャンソンもいいと思います。しかし今回は、トロッタらしいシャンソンを作り上げようと思いました。笠原さんの話では、以前、トロッタを聴きに来てくださったお客様が、一曲くらい、手拍子できるような曲を入れてほしいとおっしゃったとのこと。このシャンソン組曲は、そうなっていると思います。

本日で、ミュージックアベニュー渋谷における全体練習は終わりました。

2009年9月22日火曜日

渋谷にて;2

どうも帰りが遅くなり、皆さんに連絡メールを出すなどしていましたら、この報告を書くのが翌朝になってしまいます。一週間前練習二日目について、簡単に御報告します。

14時半、打楽器の星華子さん、作曲の清道洋一さん、詩唱の中川博正さんが浅草田原町に集まり、一週間レンタルをした打楽器を借りて、搬入をしてくださいます。私はその時間、プログラム作りを進めていましたが、やっと16ページに収まるかという段階です。打楽器搬入の方々と15時半を目標に、ヤマハミュージックアベニュー渋谷に集合しました。

16時、エレクトーンの大谷歩さん、フルートの田中千晴さんが来ました。予約してあった部屋にて、星さんは楽器を組み立てつつ、大谷さん、清道さんと打ち合わせながら練習。私と田中さん、中川さんは、急遽、別の部屋を借り、橘川琢さんの『花骸-はなむくろ-』を合わせました。これは合う合わないより、まず楽しまなければおもしろくない曲です。演劇的ですが、何とか音楽にしていきたいと、個人的には思います。

17時、ヴィオラの仁科拓也さん、オーボエの今西香菜子さん、クラリネットの藤本彩花さん、ファゴットの平昌子さん、ピアノの徳田絵里子さんが加わりました。17時半、ソプラノの赤羽佐東子さんも加わりました。『アルメイダ』を合わせます。18時15分まで。ここで大半の方にお帰りいただき、赤羽さん、大谷さん、星さんで『ムーブメント』を合わせます。ピアノがないので、難しいところですが、23日(水)はこの曲を朝一番に合わせますので、予習をしておきます。

19時、『アルバ』です。こう書きながら、音楽になっているかと自問自答します。『アルメイダ』に即興部分があります。詩唱の中川さんが語っており、その間に、他の人は思い思いの演奏をします。私は声の即興です。何をしてもいいのですが、中川さんの語りを、私は聴いているでしょうか。闇雲な即興はおもしろくありませんし、曲の真意を汲んでいません。人の音を聴くことです。

練習場を出た後、田町に回りまして、作曲の橘川琢さんと打ち合わせです。練習場に皆さんのスケジュール一覧を忘れてしまい、橘川さんが楽譜をコピーしている間、渋谷に引き返してまた戻ってくるなどというトラブルがありました。前回も、練習場に楽譜を置き忘れてしまいました。そういえば、トロッタ5の時、本番直前に、本番会場と別の場所で合わせたのですが、そこに楽譜を忘れてしまい、開場されているのに取りに行くなどということがありました。本番10分前のことです。しかもその曲が、一曲目でした。私物の管理はしっかりしなくてはいけません。することが多くなり、人もまた多くなればなるほど、いろいろな対応で、細部がおろそかになってしまいます。注意したいと思います。

2009年9月21日月曜日

渋谷にて;1

“一週間前練習”の初日でした。いよいよと思うと、物事が手につきません。日々の仕事を進めなければなりませんが、なかなか進まないのです。
15時前、渋谷駅で、エレクトーンの大谷歩さん、作曲の宮﨑歩さん、清道洋一さんと落ち合い、さらに役者の中川博正さんと合流して、ミュージックアベニュー渋谷へ。16時まで打ち合わせです。16時から練習開始。まず、清道さんの『アルメイダ』の、エレクトーンの音色を確認していきます。17時から、フルートの田中千晴さん、オーボエの今西香菜子さん、クラリネットの藤本彩花さんが、17時半にはソプラノの赤羽佐東子さんが参加。この人数で、できる限り作っていきました。19時からは、大谷さんの『アルバ』でした。

帰宅後、小松史明さんによる、『アルメイダ』の印刷原稿を確認しました。たいへんにすばらしい出来です。この裏面には、私の原詩が載ります。清道さんによる演奏用のテキストは、清道さんらしい戯曲といった趣ですが、これは私が作ったA3判の印刷物に載りまして、この二種を合わせて配布します。

この報告は、昨夜中に行わなければならなかったのですが、翌日の練習予定を作って皆さんに送ったりしていましたら、眠くなってしまい、仕事もできずに寝てしまいました。「詩の通信IV」の第4号の発行が今日なのですが、何も書けていません。書ける自由を得ているのですから、書こうと思います。

2009年9月19日土曜日

一週間練習の始まり

日曜日となり、とうとう本番一週間前になりました。今日、9月20日(日)から、エレクトーンの大谷歩さんを加えて、一週間練習が始ります。若いころの記憶ですが、一週間練習などというと、たちまちプレッシャーになってしまった私がいました。芝居の裏方として、一ノ関など、東北地方を回った時のことです。一週間にならなかったと思いますが、もう東京に帰ってこられないかも、という気持ちになりました。まだ東北新幹線がなく、東北本線で行きましたが、車窓の風景を今でもはっきり覚えています。特別に見えたということ自体、プレッシャーを感じていた証拠です。帰り道、東京が近づいてくるのが、一駅一駅、待ち遠しかったことも覚えています。東京に、ホームシックを感じていたのです。これからの一週間は、旅だと思います。トロッタという名前の。どこまで楽しめるか。御報告いたします。

2009年9月18日金曜日

プログラムを作っていますが

すでにチラシに書いてあることですが、曲紹介や作曲者、演奏者の紹介、それに詩をまとめて、当日プログラムを作っています。これがなかなか難しく、うまく収まってくれません。一枚の用紙を二つ折りにし、裏表にコピーして中綴じにします。ページは8、12、16という増え方をします。目下、14ページほどになっていて、12にするには遅く、16にはまだといという状況です。もっと早く作っておけばということですが、やはり、無理でした。

あと9日です

今日は9月18日(金)です。本番まで残り9日となりました。明後日、9月20日(日)には、山口市からエレクトーンの大谷歩さんが上京されます。いよいよ一週間前の練習が始ります。

一昨日の9月16日(水)、エレクトーンシティ渋谷と、三日間の練習場所に予定している、ミュージックアベニュー渋谷に行って、打ち合わせをしてきました。舞台進行上のことをいろいろと打ち合わせました。新宿で通っているレッスンの後、渋谷に回りました。

昨日の9月17日(木)は、プログラム作りを進めました。打楽器のレンタル手続きも、演奏者の星華子さんが済ませてくれました。作曲者から受け取ったままになっていた楽譜を整理し、製本しました。断片的にものごとを進めていますので、総合的な判断がなかなかできません。しかし、確実に間違いのないようにします。

2009年9月16日水曜日

こんな文章を読みました

どちらも、詩人でアイルランド伝統音楽のフルート奏者、キアラン・カーソンの『アイルランド音楽への招待』(守安功・訳/音楽之友社)から引用しました。カーソン自身が引用しているので、引用の引用です。

「コンコルド広場では好きにしてていいから、とにかく、午後四時にエッフェル塔の三階で会いましょう」。一つの曲を通して演奏することは、ニューヨークからサンフランシスコに旅するようなものである。車に乗った二十世紀の音楽家なら、目的地への最短距離を行くために高速道路を走ってゆくだろう。でも、本物のバロック音楽の演奏家なら、道すがら何度もちょっとした寄り道をしながら、眺めのいいルートを選ぶことだろう。どの道を行くかには無限の可能性がある。ということは、ニューヨークからサンフランシスコに数えきれないほど何度も行ったとしても、二度と同じ道を通ることなく、しかも、そのたびに新たな楽しみを発見することができるということだ。
ヴィクター・ランジェル=リベイロ『バロック音楽』

私のこれまでの、アイルランドの音楽を収集研究してきた経験から、次のことをここで明言することができる。楽譜化されていないある曲について徹頭徹尾同じ二つの演奏を聴くことはまずない。かたや、一つの曲が五十もの異なる楽譜となった例もある。曲の構成についての綿密な分析や、それらの曲の歴史や変化推移についての知識を動員して初めて、極めて異なる二つの曲が、実は元々は同じ曲だとわかることもままある。
ジョージ・ペトゥリー『アイルランドの古い音楽の譜例集』

以上です。
この文章を通じて、先日、テーマにしました、詩と音楽の関係性について、考えたのでした。
始めの引用文の「コンコルド広場」が、私の詩です。「エッフェル塔」が、演奏される曲であり、その時に用いられる、変形しているかもしれない詩です。詩が生かされるなら、どのような道筋を通っても、作曲家が楽しめばそれでいいのではと思いました。道筋にこだわることはない、とも。

2009年9月15日火曜日

トロッタの作業など

もろもろの発送作業など、ひとりでしていますが、何とかシステム化して共同作業にし、合理的にできないかと思います。楽をしたいのではなく、非合理的な点を改善して、少しでも練習や宣伝にあてたいと思うのです。次回からのため、合理化案をはかってみます。ただ、わかっているのは、私は、合理化に向かない人間であり、性格だということです。向いている性格なら、とうの昔に、トロッタはシステム化されていることでしょう。経済のことも含めて、不得手です。近代的でないのがトロッタの性格だといえます。いや、私の性格ですね。トロッタは私のものではなく、参加している全員のものですから、そしてお客さんのものでもありますから、非合理的性格を、人に押しつけるのはよくありません。

本番前1週間の練習は、23日(水)からの4日間、会場であるエレクトーンシティ渋谷で行います。前半の20日(日)から22日(火)は、渋谷駅東口方面の、ヤマハミュージックアベニュー渋谷で行う予定です。時間を調整して、効率よく、こちらは人の時間を使うのですから、合理的に行いたいと思います。そうした調整で、ここ数日、頭を使っています。私はプロデューサーではないといっていますが、こうしたことは私がするしかありません。こうしたことを通じて、いろいろな細かいことがわかってきます。初参加の方は、お目にかかって、打ち合わせなどさせていただいているのですが、どうしても、顔と名前と楽器が一致するまでに時間を要します。それを覚えるのが、制作の作業を通じてというわけです。お恥ずかしいのですが、メールの文章はフルネームで書くこと。そうしないと、なかなか頭に入ってくれません。記憶力に優れた人は、こんな自信のないことをしなくていいでしょう。

2009年9月14日月曜日

本番前1週間のスケジュール調整中です

トロッタ9では、エレクトーン奏者の大谷歩さんが、山口市から上京されて演奏されます。本番前の1週間、滞在してくださいますので、特にエレクトーンの曲が多いこともあり、1週間で仕上げていく態勢です。1週間、全員が出られるわけではもちろんありませんが、その7日間に気持ちを集めていきます。このスケジュール調整がたいへんです。人数分、さらに曲の数、1週間という時間。これを調整していかなければなりません。皆さんもたいへんだと思います。よろしくお願いします。

蝉が窓の外で鳴いています。私は、秋なのに、いつまでも鳴いている蝉のようです。

昨日、座・高円寺に行きまして、最新のトロッタ通信と一緒にチラシを置いてきました。しかし、前に置いたチラシがほとんど減っていません。どうしてだろうと思います。初めのころはすぐになくなっていて、怖いほどだったのに。あまりお客さんが入っていないのでしょうか。当然ですが、不特定多数の方が持っていくものですから、お客さんがたくさん来ないと、チラシを持っていく人も少なくなるわけです。

こけら落としは、井上ひさし氏の『化粧』という、知られた出し物でした。年配の方が多かったようですが、大勢の人が足を運んでいました。疑問を抱いたことは確かです。こけら落としという、劇場にとって一度しかない機会に、旧作の、評価の定まった作品を持ってくるとは、どういう意味があるのだろうと。なぜ、意欲的な新作を問わないのか。戯曲家、演出家、役者など、意欲を持った人はいくらでもいると思います。なぜ、年配の作家と役者の、独り芝居なのか。わかりません。たくさん出してあげればいいのではないでしょうか。私の考えが、こうしたことと対極にあることは確かです。

2009年9月13日日曜日

トロッタ9の詩篇を暫定公開

トロッタのサイトを更新しました。トロッタ9で用いられる詩を、暫定公開したのです。一部、確定できないものがありますので、完全ではありません。記号や断り書きなど、直したい箇所がありますが、手つかずです。御容赦ください。

「トロッタの会」の会

mixiに、〈「トロッタの会」の会〉というコミュニティを作ってみました。御興味のある方は、御参加ください。せっかくmixiに加入しているのですから、もっと早く作らなければいけなかったと思います。しかし、この時期になってしまいました。サイト、ブログの更新だけでもたいへんなので、手が回りませんでした。しかし、少しでも可能性のあることは、最後まで試します。

今日は、比較的長い詩を書きました。12月に、ある演奏会で初演するためのものです。作曲家に、少しでも早く曲を書いてもらうため、詩を早く渡したいと思います。タイトルは「冬の鳥」にしました。すでに送ってありますが、現在の形でいいかどうかは、まだわかりません。先日来、書いています、詩と音楽の関係がありますから、詩としてはいいとしても、作曲上の問題があるでしょう。作曲家としても、目前にトロッタを控えていますから、まだ12月の曲まで気持ちが回りません。私は回ったのかというと、トロッタも何もなく、純粋に詩として書きましたので、作曲家にくらべると、少しは制約から自由だったと思います。一応は、女声による歌と、男声による詩唱に、書き分けました。

トロッタではありませんが、「上野-谷中 アートリンク2009」のアートマップができたというので、谷中まで取りに行きました。「扇田克也+木部与巴仁〈ユメニニワ〉」、「ボッサ 声と音の会vol.5」の告知が、1ページ目に載っています。すぐ上は国立西洋美術館の「古代ローマ帝国の遺産」展、さらに上は上野の森美術館の「聖地チベット」展、横は東京国立博物館日本藝術院東京都美術館の告知と、一等席に座った気分です。すごくアナーキーです。おそれいります。アートマップは、トロッタ9の会場で配布されます。

2009年9月12日土曜日

「本番までの通信.3」をアップしました

サイトに、「本番までの通信」第3号をアップしました。印刷したものは、「座・高円寺」のカウンターに置きます、「トロッタ通信」に入れています。間が空いてしまっているので、本番まで、さらに書きます。ひとまず、お読みください。


*「トロッタ9 本番までの通信.3


街 焼き尽くさば

瓦礫なす 荒れ野なり

見たし と思へど

街のさま すでに

瓦礫なりや

われ ひとともに

あてどなく

往き来する か


心 乱る

ひとり居(い)に 交わりに 

問へど その故 くらし

身を割く

ひびわれの道に似て

割けと ひたすらに

乱る か


白々明けの街に 

寂しき 靴音響く

あてどなし 影を追ひ

ひたすらに 往く 

山となり おびただしく積む

心写しの 瓦礫

疾風(はやて)たち 白き頬に

ひと筋の血 にじむ

あざやかなり 赤


田中修一・作曲 木部与巴仁・詩

MOVEMENT』(原詩「亂譜」)


 トロッタ9まで、残り2週間となりました。2週間後には、本番です。最低でもあと2回、何としても「本番までの通信」を出そうと思います。

 ここに掲げました詩は、田中修一さん作曲の『MOVEMENT』に用いられる詩「亂譜(らんふ)」です。これは田中氏が何度も語っていることですが、2台ピアノのための曲をと私が求めまして、私も彼も、2台ピアノの演奏にふさわしい作品をめざして創りました。人によって、ピアノを2台使う必要を疑問視する意見もありましたが、私はこれでいいと信じます。仮に、その疑問が正当であったとしても、人には実験をする自由があります。そのことに限らず、人の熱意に水をさすような態度は、尊敬できるものではありません。トロッタ3で初演された曲であり、2年が経ち、トロッタ9でエレクトーン版として生まれ変わることになりました。

 新宿駅西口方面に、高層ビル群があります。人の叡智を集めて造られた建築物ですが、温かみを感じるでしょうか。人の姿が見えません。大勢の人が中にいるのですが、外部の者はまったく拒絶されて感じます。そのようなものを造るのが人の叡智だとは、思いたくないのが本音です。だらしなくていいから、人間らしくありたいと思います。

 トロッタの会に限らず、音楽や文学は、人間らしさを求めるものでしょう。コンピュータ音楽が人間らしいかどうか。今は判断できません。この文章もコンピュータで書き、コンピュータでお読みいただくのですから。現代人の生活から、コンピュータを全面的に排除してしまうことはできないと思っています。では、どうするか? 考え続けてまいります。

 高速鉄道、高速飛行機、高速船。どれも便利であり、もちろん私も利用しますが、速ければいいというものではないと思います。どれも外部を遮断し、冷たい外見をしています。人の能力を大幅に超えるものは、おおむね冷たくなるようです。そうした乗り物で身体をいためた例を見聞きします。私自身、高速鉄道から降りた時、非常に疲れた記憶があります。

 このような考えを表わしたくて、「亂譜」を書いたのではありません。しかし、高層ビル群に瓦礫を感じたことは確かです。ニューヨークで起きた同時多発テロ事件で、まさに現代の叡知から生まれた高層ビルが、瓦礫になってしまいました。この詩を、その光景に重ねて詠むことも不可能ではありません。現代人は知ってしまいました。あのような建物を造れば、いつの日か、瓦礫になってしまうことを。戦争による惨状にも、同じことがいえます。

 この曲を歌うのは、ソプラノの赤羽佐東子さんです。赤羽さんには、田中修一さんの曲を、多く歌っていただいています。赤羽さんの声で瓦礫が広がる都市の光景を歌うとは皮肉ですが、真の凄みは、美しさを通してこそ表現されるのではないでしょうか。

 皆様のご予約を、お待ち申し上げます。  〈木部与巴仁〉

2009年9月11日金曜日

再び、数日のことなど c)

本日、扇田克也さんから、新作ガラス展「GLASS WORKS BY OHGITA KATSUYA」の案内が届きました。会場は、愛媛県の新居浜市の日野画廊です。私が生まれた県ですが、新居浜には、行った記憶がありません。行っていると思いますが、覚えておらず、町の記憶がないのです。扇田さんとの会も、間近です。新作詩を、整理していかなければなりません。「ガラスの国」と、「ユメノニワ」を、まず発表予定です。それ以外に、日々の詩を更新し、ボッサで発表する予定です。

また、今日は先日も書きましたが、メゾ・ソプラノの松本満紀子さんが行うリサイタルの当日プログラムを、このような線でどうでしょうかと、松本さんに届けました。一昨日の夜から、この作業にかかりきりです。いえ、日曜日にはプログラムに使う風景写真を撮りに、世田谷の砧公園に出かけもしました。トロッタとボッサの本番が近く、もうすでに迫っていますので、なるべく早く仕上げて、自分のことに集中したいのです。幸い、松本さんには、ほぼよいというお言葉をいただきました。後は、直しを受け取って、完成させるだけです。

今回は、エレクトーンの大谷歩さんが上京し、一週間滞在して、集中して曲を仕上げることになっています。エレクトーンシティ渋谷の練習室は、可能な限り押さえています。そろそろ、練習の具体的な時間割を決めていかなければなりません。また、トロッタの当日プログラムも、そろそろ編集にかかる必要があります。細かな作業がいくつも待っています。そのためにも、日々の糧を得るための仕事は、効率よく片付けてゆく必要があります。昨日は、雑誌「FIGARO JAPON」に執筆する本紹介のため、三冊の本を読みました。一日じゅう本を読んでいるのですから、端から見れば気楽な感じですが、これはけっこう苦痛です。WEB版FIGAROは、書評したくて自分で選んだ本ですが、本誌のための本は、編集部からあてがわれるわけですから。それに、世の中には読みたい本というのは、それほどありません。極論すれば、ありません。書かなければ。自分の詩、文章こそが大事です。つまり、まだ書かれていないものを、大切に思います。ということは、たった今、この世にはないというわけです。

再び、数日のことなど b)

8日(火)の深夜、日付も変わった午前1時。作曲家の橘川琢さんが阿佐ケ谷駅にやって来ました。楽譜を届けてくれたのです。3時ごろまで、駅前のマクドナルドにて、コピーした楽譜を整理しました。そこで今後のトロッタについてなど、話し合いました。問題はいろいろとありますが、とにかく前向きに、詩を書き、作曲をし、トロッタを開き続けていくということです。彼はインターネットカフェに行って、夜が明けるまで過ごしたようです。

先日書きました、詩を変えるということについて、いろいろ考えました。態度は変りません。作曲家は、私の詩を変えてくださってけっこうです。ただ、変えるとはどういうことだろうと思いました。詩文がメロディに乗らない。リズムが違う。私の詩より、もっと作曲家自身の音楽世界に近づけたい。いろいろ理由があるでしょう。答えは出ていません。これからも、変えてくださいというでしょうが、作曲家の考えについては、想像をやめないだろうと思います。そしてトロッタなどで、音楽として発表する限り、それは最終的に、作曲家の作品だと、私は思っています。

その基本にある考え。モーツァルトでも誰でもいいのですが、ある著名作曲家A氏の作品が演奏される時。人は、モーツァルトの名前で聴くか、A氏の名前で聴くでしょうか? どちらで聴いてもいいわけですが、モーツァルトの方が多いのではないでしょうか。しかし、聴いているのはA氏の演奏なのです。B氏の演奏とは、決定的に違っているでしょうし、また違っていてほしいと思います。この場合、B氏とくらべてA氏が優れているとか劣っているとか、あまり思いません。A氏のよさを聴きたいと、ずっと思ってきました。

このたとえでいうと、詩は、演奏のはるか後方にあります。演奏者の演奏を聴いて、作曲家の感性を聴き取って、できれば詩を聴いていただきたいと思います。しかし改変されている場合、私の詩は、さらにずっと後方にあることになります。もうひとついいますと、私自身、自分の詩を詠んだとしても、それは作曲家が譜面に書いた詩を詠んでいるつもりです。楽器の方と一緒なので、自分のメロディやリズムで詠めません。従って、自分の詩を、他人の詩として詠もうとしています。その方がおもしろいと思っています。

再び、数日のことなど a)

去る7日(月)、今度は間違いなく「詩の通信IV」の第3号を発行しました。目下、発行部数は12です。トロッタ関係のことも書いていますので、「後記」の全文を引用し、若干の補足をします。もし、この内容に御興味をお持ちの方がおられましたら、「詩の通信IV」の御購読をお申し込みください。

《後記》実家から、子どものころのアルバムが届きました。生後ひと月にならないころから、小学校低学年ごろまでの写真です。チロリアンハットのような帽子をかぶった写真が多いです。頭髪の量は変りません。三歳前後がいかにも子どもらしく、無心な表情をして、可愛いと思います。小学校に入ると、表情が今と同じで、もう駄目です。この後は、ひたすら人生を生きていくだけです。「詩の通信」を出したり、トロッタの会を開いたり、いろいろしているわけですが、これ以上、大人になる必要はありません。三歳のころに戻りたいと思います。私は左瞼に傷があります。家の中を走り回っていて、折り畳み式のミシン台が開いている縁にぶつけました。目の高さが、ミシン台くらいだったのです。何となく記憶があります。この傷を常に思い出すことにします。第九回トロッタの会が近く、プレッシャーがかかってきました。日々の仕事がありますが、トロッタに向かう気持ちは、仕事と正反対に位置します。非情に苦痛です。従って、両方の作業能率があがりません。そうはいっていられないので、無理にでも進めています。こんな時、三歳の私でいたいと思うのです。今日は、詩唱として参加する、俳優の中川博正さんと練習をしました。声を出すと安心します。普段のトロッタでは、楽器の演奏をよく聴こうと心がけています。今回は、中川さんと共演する曲が二曲あるので、彼の声を聴こうと思います。ひとりでしているのではない。他人とする楽しみを確認したいと思います。ひとりじゃないと思えば、トロッタのプレッシャーも、楽しみになることでしょう。次号は、二〇〇九年九月二十一日(月)発行予定です。二〇〇九年九月七日(月)



これが、子どものころの写真です。本番を控え、ただいまの心境を反映している、不安そうな顔。別の私といっていいのですが、共感します。

2009年9月8日火曜日

詩唱の練習

トロッタ9から参加してくださいました、俳優の中川博正さんと、詩唱の練習をしました。ひとつの課題として、以前から抱えていたことです。朗読といい詩唱といい、男声は、これまでずっと、私が担当してきました。他の人が詩唱をしたら、どうなるだろう? さらには、これまで私が詠んできた詩を、他の男声で詠んだ場合、どうなるのか? まったく異なる声ですから、お客様には違って受けとめられ、違う人間が詠むのですから、解釈も違うものになります。私の解釈に沿って詠んだとしても、違う表現になるでしょう。肉体が違いますし、人の歴史が違いますから。そこに期待をしてきたのです。

中川さんは、私と詠み分けます。私の詩が、違った男声で詠まれていきます。仮に、その詠み方は違うのでは? と思っても、自分の考えを押し付けたくありません。私と解釈が違えば違うほど、おもしろいと思います。一応は考えを伝えますが、その先は、おまかせでいいと思っています。作曲の方々に、私はこれまでずっと、その態度で通してきました。この詩はこういう意図で書いたから、こういう音楽にしてほしい、ということは一切いっていません。一言一句変えないでほしいともいっていません。むしろ、どんどん変えてほしいといっています。

清道洋一さんの『アルメイダ』では、私が書いた詩は、ほとんど原形をとどめなくなりました。清道さんによるテキストが、相当の分量を占めます。それでいいと思っています。清道さんは、私の詩に触発されて、自分でテキストを書いたのですから。私の詩がなければ、彼は書かなかったわけです。トロッタ10では、田中隆司さんが、やはり同じような手法で、私の詩を変形させました。3つの詩を一曲にまとめた結果、完全に田中さんの詩になりました。私自身、その詩はいいなと感じ入りました。実は、私が書いた詩の一行なのです。共同作業のおもしろさが現れました。

2009年9月6日日曜日

チラシを置いた場所です

トロッタ9のチラシを置かせていただいている場所です。
チラシを置くというのは、確実な宣伝方法とはいえないかもしれません。あくまで、見つけて、手に取って、持って行ってくださる方々の意志にかかっていますから。しかし私自身、街で手にしたチラシに大きな影響を与えられてきましたし、今でも、よくできたチラシには見入ってしまいますし、行かなくてもチラシの内容は記憶にとどめます。ですから、チラシにはできるだけ手をかけたいと思っているのです。

エレクトーンシティ渋谷(トロッタ9の本番会場です。渋谷駅南改札から徒歩5分)

ヤマハ渋谷店(道玄坂の中ほどにあります。人通りは多いのですが、並木がきれいです)

ヤマハ銀座店(有楽町駅に至近です。現在は仮店舗で、新ヤマハ銀座ビルは来年2月openです)

ヤマハ池袋店(池袋駅東口から徒歩4?5分。ここも繁華な土地で、出店傾向がわかります)

ヤマハ横浜店(横浜駅西口から徒歩5分。横浜のお客様にもトロッタを意識していただければと思います)

古書ほうろう(千代田線千駄木駅の近く。イベントをしばしば開催しておられます)

谷中ボッサ(谷中のカフェ。トロッタ9の直後、「ユメノニワ」展と「声と音の会vol.5」でお世話になります)

座・高円寺(高円寺駅最寄りの劇場。劇場に入って左手のカウンターにトロッタのスペースがあります)

古書往来座(東京音楽大学のそばにある古書店です。明治通り沿い。もとは池袋芸術劇場にありました)

ライブスペース奇聞屋(西荻窪駅の近く。トロッタの練習などでお世話になっています)

フライングブックス(渋谷駅に近く、東急文化会館の裏手、渋谷古書センター2Fです。イベントを行っています)

古書音羽館(西荻窪駅北口、東京女子大学方面。音楽や演劇・映画関係の本が充実)*サイトはありません

よるのひるね(阿佐ケ谷駅北口にある、お酒やお汁粉もある喫茶店です)

百年(吉祥寺の東急百貨店そばにある古書店です。イベントを行っています)

ミッテンヴァルト(ミッテンヴァルト・レーベルからは、邦人作曲家の作品集を発売しています)

Ben's Cafe(高田馬場駅最寄りのカフェ。オープンマイクの朗読会などを行い、国際的な雰囲気です)

2009年9月3日木曜日

数日のことなど c)レッスンでした

毎週水曜日は、声楽のレッスンです。イタリア歌曲を勉強していまして、今はトスティを歌っています。今月は“L'ultima canzone(最後の歌)”です。ここに書くほどうまく歌えるわけではありません。詩唱と直接関わるわけではありませんが、私にとって大切な場であることは間違いありません。ひとつは、継続すること。感情をコントロールして表現する確認。レッスンの大切さは、ここに書き尽くせないほどです。本当は、歌ですから、私が舞台で歌えるように筋道をつければいいのですが、お聴かせするほどのものでしょうか。といいながら、トロッタ5では一度、田中修一さんの『遺傳』を歌いました。橘川琢さんの個展「花の嵐」では、『春を呼ぶ歌』を歌いました。うまく歌えません。しかし、先に書いた、とにかく歌いたいという気持ちになれば、それは私の表現として、許されると思っています。問題は、その時々に、とにかく歌いたい気持ちになったかどうかです。その点では問題があります。

先日、上野雄次さんのはないけ教室がありました。橘川さんが参加されたそうです。トロッタ9で「花骸-はなむくろ-」があります。作曲をする、刺戟を求めたのでしょう。共同作業を続けている上野さん自身への共感が、もちろんあってのことでしょう。実体験が、どう音楽に反映されるか、楽しみです。

ここに掲げたチラシは、御覧のとおり、メゾ・ソプラノ松本満紀子さんのリサイタルを告知するものです。私が作りました。作曲家、田中隆司さんを通して、松本さんに依頼されました。松本さんの歌は、田中さんのリサイタルで初めて聴かせていただきました。私が注目するのは、柳田國男の『遠野物語』から採った散文、「寒戸の婆」の楽曲化です。リサイタルで聴きましたが、散文をこんなふうに歌にできるのかという思いがありました。トロッタもしていることですが、詩唱ではなく、こちらは歌になっています。田中隆司さんは、トロッタ10のために『捨てたうた』を書いてくださっていまして、その譜面は、すでに出演者に渡っています。私も出ます。





数日のことなど b)発行日を間違えました

8月31日(月)に、「詩の通信IV」の発行日だと書きましたが、間違いでした。まだ先の、9月7日(月)です。間違えたおかげで、詩はほぼできましたが、することがいろいろある中、余計な作業ではありました。

かつて、オープンマイクの、詩の朗読会に出た時のことです。順番は自由で、名乗り出ればよかったのですが、その夜は無性に詠みたくなり、いちばんに舞台に立ちました。とにかく、詠みたかったのです。身体が止まりませんでした。奮えが来るようでした。早く詠みたい気持ちでいっぱいでした。決して上手な朗読ではありませんでしたが、その時の気持ちを、忘れたくないと思っています。義務でも何でもなく、本当に詠みたかったのです。その時の詩は、後に清道洋一さんの手で音楽になった、『ナホトカ音楽院』でした。

やはり私は、アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスに影響を受けているなと、ここ数日、実感しています。去る6月に、ボルヘスの『創造者』が岩波文庫に入ったことで、心が改めて動きました。トロッタ9とボッサ5のチラシを置きに回っていて、古本屋に置かせていただく場合は、何か本を買います。決まって探すのが、ボルヘスの作品です。私の作品には、ボルヘスの影響をまともに受け、自分もこんな世界を創ってみたいと思って書いた詩があり、それは恥ずかしいことだと思いますが、その恥ずかしさを直視しようと思います。作品は、「詩の通信I」にある、『何を、私たちは知っているというのか』です。その前後に『椅子のない映画館』と『犀』があり、これらもボルヘスの影響下にあるのでしょうが、少し違うところに立つものだと思います。特に『椅子のない映画館』は。私の課題は、『何を、私たちは知っているのか』を、より強く、私の側に引きつけ、書き直すことです。そうしたら、どなたかに、作曲していただきたいと思っています。愛着はあるのです。

数日のことなど a)横浜の演奏会

8月31日(月)は、横浜で開かれた、ふたつの演奏会に出かけました。いずれも、赤レンガ倉庫3Fホールが会場です。15時30分からの「神奈川から世界へ 横浜ゆかりの作曲家を聴く」と、17時からの「未来の古典 同時代の邦楽」です。「横浜ゆかりの作曲家」は、後半からしか聴けず、また台風の風雨にさらされての横浜行きでした。このホールは初めてです。音楽評論家・西耕一さんらによる、意欲ある試みでした。トロッタ関係では、清道洋一さんと山本和智さんの曲を聴きました。山梨公演を行っての横浜公演であり、この後、萩での公演も行われます。トロッタの前に演奏会に出かけると、決まって、次は私たちの番だと思います。

この日は書評原稿の締め切りがありましたので、横浜までコンピュータを持っていき、時間を見つけては原稿を書いていました。携帯できるコンピュータですが、本当は、こんなことをしたくありません。重いからです。以前、もう10年前ですが、今ではトロッタの公式サイトになったkibegraphy.comを、私的なサイトとして運営していたころ。毎日の掲示板への書き込み、文章の更新を行っていて、疲弊し切りました。こんなことをしていては身体が持たなくなると思いました。そのようなことを時に感じるのは、サイトを運営する以上、宿命です。今も、トロッタのためのサイトとブログを持っています。毎日の書き込みを、トロッタ成功の願掛けなどといいながら、ここ2、3日、書いていません。もっと楽に書けるようになりたいと思っています。
ちなみに、書評原稿というのは、FIGARO Japon本誌のための、鹿島田真希さん『黄金の猿』と、WEB版FIGAROのための、磯崎憲一郎さん『終の住処』です。特に、磯崎さんの作品は、芥川賞を受賞したので、書名を記憶している方も多いと思います。よくできた文学作品には、ライヴ感があります。そのような詩を、書かなければいけません。トロッタ9のための詩は、当然できていますが、ボッサのための詩は、まだできていません。ソロの詩唱のためなので、本番に間に合えばいいのですが。