2012年1月31日火曜日

トロッタ日記120131

一見、音楽とは関係のない話からーー。ここ数日、野上弥生子の長編小説『迷路』を読み進めている。直截の理由は、山本薩夫が晩年に映画化を構想していた作品だから。『戦争と人間』論を書くため、山本が何を考えていたか、知らなければと思って買っておいたまま読んでいなかった。
『戦争と人間』の映画作家が関心を持ったにふさわしい、世界大戦に突入する時代を背景にした知識人の物語。本能だけで生きている、美しく気持ちの強い女性も出る。五味川純平とは別の、“戦争と人間”である。あの小さな野上弥生子の、どこからこんな大きな世界が生まれるのか。
身体の大小をいうのは失礼だが、作家の想像力、構想力を思う。余勢をかって、秋元松代の初期戯曲集と後期戯曲集がYahoo!オークションに出ていたので落札(この文章を書きながら、円地文子との共著『女舞』を落札)。秋元松代は、私が日本で一番に好きな戯曲家のひとりだ。
日本の民俗を背景にしながら、千年単位で人の歴史とエロスをからめて描いた『常陸坊海尊』や『かさぶた式部考』は掛け値なしの傑作。私の中での最高傑作は『七人みさき』である。もちろん、他人のことをすごいとばかりいっていてはいけないので、自分の作品年について考えてみた。
後鳥羽上皇を主人公にした私の「隠岐のバラッド」が、音楽作品だが演劇性を帯びている意味で、秋元作品に匹敵すればと思う。野上弥生子、秋元松代という二人の女性作家について考えるうち、田中修一氏の作品年表を作った影響も大きいだろう、自分の詩をまとめる必要にかられた。
書き放しにするのではなく、自分を見直したい(自分が何を書いたか思い出せない状態なのだ)。昨日は、全6期にまたがって進行中の「詩の通信」を整理。トロッタで発表した詩や、他の主要作についても整理しておこうと思う。繰り返すが、詩集を作りたいとはまったく思っていない。
〈私が詩集に関心を持たない理由〉出版社との交渉には、これまでの体験でうんざりしている。しかし仕事では必要だから、これ以上、心労を増やしたくない。詩集は、どんな著名な詩人でも、自費出版となることは明らか。そして、トロッタこそ私にとっては詩集であると考えている。
詩集がいらない理由は特に最後の点が大きい。昨日書いた、他人の言葉を素直に、心から詠めるのかという点を具体的に考えなければならない問題に直面している。一昨日、日本音楽舞踊会議が3月12日(月)に開催する演奏会のチラシが、橘川琢氏から送られてきたのである(続く)。
「動き、舞踊、所作と音楽」と題された演奏会である。清道氏の『革命幻想歌2』も演奏され、私が出る。橘川氏とは、多少のやりとりがあったが、彼の叙情組曲《日本の小径(こみち)補遺より「春告花(はるつげばな)・三景」》で、詩唱をすることになった。つまり2曲に出る。
詩は私の作品ではなく、橘川氏が書くという。こういう展開になったかと、正直驚いた。橘川氏の詩は、これまでニ度詠んでいる。2007年5月、彼がトロッタに初めて参加した時の「幻灯機」、昨年に谷中ボッサで行った橘川氏個展での「1997年 秋からの呼び声」である。
聴いてくれた人からは、自分の詩よりも他人の詩を詠んでいる方が、妙な力みがなくてよかったという声を聞いた。本当かな? と思う。正直なところ、橘川氏の詩が楽しみ、というよりも不安だ。詩の出来具合とか、そういう失礼な話ではなく、私はどう詠めるのか、という意味で。

2012年1月30日月曜日

トロッタ日記120130

言葉には何らかの抵抗感が生じる。清道洋一氏への反抗ではない。抵抗感を、意識のある受け止め方と言い換えてもいい。この点が詩と音楽をテーマにする場合の大切な点だろう。彼と話し合いたいというのは、反論するのではなく、詩と音楽にとって肝心な点を話し合いたいということ。昨年のトロッタ13で初演された、清道氏の『ヒトの謝肉祭』でも、似たようなことがあった。テキストは私の詩(だとは、今は思っていない)がそのまま使われたものの、清道氏の意図がつかめず、結局、『ヒトの謝肉祭』は、心から納得のゆく演奏にならなかった。私にも責任がある。繰り返すが清道氏への異論を述べているのではない。互いの齟齬でも抵抗感でもいいが、ここを見つめていかないと、気持ちのいい歌を歌ってそれでおしまい、ということになってしまう。気持ちよくなることは大事でも、無反省になる。互いの相違点こそ、本質に触れる手がかりなのだ。唐突だが、昨日から田中修一氏の作品一覧を作り始め、今朝ほど完成させた。雑誌「ギターの友」で萩原朔太郎について書くうち、朔太郎の詩に依る歌を作り続ける彼の作品を整理する必要を感じたのである。なぜ他人のことで一生懸命になっているのか?結局は私自身のことなのである。田中氏の作品一覧を作りながら感じた。伊福部先生を始め、トロッタで一緒に活動している作曲家にはそれぞれの歴史がある。田中氏の始まりは1987年。2007年に至り、ここからトロッタを始めたのだなと思う。音楽が人生に、人生が音楽になっている。その事実と向き合いたい。

トロッタ日記120129

清道洋一さんから、3月12日(月)に開催される、日本音楽舞踊会議演奏会の楽譜が届いている(10日土曜夜の送信)。『革命幻想歌2』である。2010年12月12日(日)、谷中ボッサで開催した「隠岐のバラッド」にて初演された『革命幻想歌』の続編、とでもいうべき作品。私は後鳥羽上皇、ギターの萩野谷英成さんは楽士英成、それに役者の堀江麗奈さんが、隠岐局麗子役で出演。私は『革命幻想歌2』の詩を書き、彼はそれを構成する形で楽譜に生かした。従って、詩と曲には大きな違いがある。彼の楽譜は、戯曲のように見える。萩野谷さんにはギターのための五線譜が渡されるだろうが、私や堀江さんの楽譜に音符はない。文字があるだけ。それに、いつものことだが、私の詩に加えて彼の言葉も、音楽として加えられている。同じ言葉であるだけに、これをどう詠むかが難しい。清道氏と話し合いたい思いである。これを詠んでくれと、指示されただけでは心から詠めないのが、音符と違う点だ。言葉には、どうしても考え方や感情が入ってくる。まるで他人の作品ではない、私の詩が清道氏のテキストと融合している点も問題である。音の連なりにも、これは自分の感情と合わない場合があるだろう。伊福部先生の『日本狂詩曲』には日本の民謡が生かされているが、それを演奏者が抵抗しながら弾いた、などというエピソードがそれにあたる。日本人だから抵抗してしまう場合がある。私にせよ、心から日本民謡を歌えるだろうか? ロルカが採譜したスペインの民謡を歌っているのに。

2012年1月29日日曜日

トロッタ日記120128

ギターの長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」2月号のための校正を行っている。私の連載「ギターとランプ」は今回が11回目。〈田中修一と萩原朔太郎〉と題し、詩と音楽を追究した萩原朔太郎と、その詩に依る曲を作っているトロッタの作曲家、田中修一について書いた。
「ギターとランプ」9回は田中修一の『鳥ならで』について書き、10回は『遺傳』について書いた(3、4回で『ムーヴメントNo.3』についても書いた)。田中修一が続いている。ギター曲を書く作曲家であり、朔太郎の詩で曲を書いているのだから、自然と取り上げることになる。
また「ギターの友」では、「コンサートの余韻」ページにも書いた。昨年の世田谷文学館「生誕125年 萩原朔太郎」展のマンドリン&ギター・コンサート、高柳未来と鈴木大介の演奏について。時間の都合で後半しか聴けなかったが、朔太郎と音楽の関わりを考える、よい機会となった。
朔太郎は通常の詩人ではなかった。音楽家でもある詩人だった。彼なりの言い方だと、音楽家になりたいのになれなかった詩人、ということになるかもしれない。詩人として楽器を弾けた重要性を想う。私は研究者ではないと肝に銘じつつ、音楽面から朔太郎について考える重要性を思う。
先に、伊福部昭先生と更科源蔵氏をめぐって考え、今は朔太郎に行き着いた。将来は、前橋で朔太郎に関係した演奏会を開きたいと思う。私に力があれば、昨年、すでに世田谷文学館で開けたはずなのだ。焦ることはない。これらを考えの根本に置いて、トロッタなどで実践していきたい。

2012年1月27日金曜日

トロッタ日記120127

今井重幸先生を久しぶりに訪問。トロッタ15の打ち合わせ。トロッタ16の出品曲、さらに運営面についてなど、今後のことも含めて話し合う。トロッタ14に出品されたフルートとチェロのための『対話と変容』のモティーフを、ロルカの民謡13曲のうち、どの曲から得たかをうかがう。『ソロンゴ』であった。ちょうど、トロッタ15で歌うことになっている。すでに歌ったか、いずれは歌うことになる曲から得られたのは明らかだったが、それが次回の曲である偶然を不思議に思う。『対話と変容』を受けた対話、ということになるからだ。

今井先生と確認をしたことで、トロッタ15に出品する作曲家全員と、最終的な確認ができたことになる。今井先生とも電話では打ち合わせしていたが、顔を合わせての確認はまだだったから。電話だけでは不足だ。これで曲は決まった。残りは演奏者を、最終的に決定しなければならない。出演者によっては、すぐ返事をいただけない方もある。5月だから先のことであるが、人によってはもう前後の予定が決まってしまっている人がいる。早いか遅いかは人によって違う。3月には、仮チラシを使った宣伝を始めたいと思っている。ブログでの宣伝はすぐにも始めたい。

2012年1月26日木曜日

トロッタ日記120126

草月ホールの「日本の音楽展XXXIV」にて、甲田潤さんの、ピアノのための『変容』が演奏される。いつ聴いてもクールな、都会的な曲である。このような曲を、というと甲田さんに失礼で、自分のコピーを、ということではないが、甲田さんには『変容』のような新曲をお願いしたいものだ。奏者は、野田昌子さん。トロッタでは、並木桂子さんに演奏していただいた。

ルーテル市ヶ谷センターホールの「虹"KOU"二十五絃箏コンサートVOL.1」にて、田中修一さんの、二十五絃箏五重奏のための小組曲『PETIT SUITE pour Quintour a Kotos』(a にアクサン)が初演される。伊福部先生の二十五絃箏甲乙奏合『七ツのヴェールの踊り』『ヨカナーンの首級(みしるし)を得て、乱れるサロメ』に続いての演奏だった。

可能性として、しばしば考えていること。『音楽家の誕生』に始まる伊福部昭先生に関する、4作目の原稿を書き継ぎたい、ということ。トロッタがそれだと開き直ることもできるのだが。田中氏の曲に先立って演奏された、伊福部先生のバレエ曲『サロメ』に依る2曲を聴いていて、またそのことを思った。

長谷部二郎先生編集の雑誌「ギターの友」に、連載原稿「ギターとランプ」、演奏会ルポとして「コンサートの余韻」を書いた。その初校が、今夜、出る予定。「ギターとランプ」は、引き続いての田中修一論だが、世田谷文学館の萩原朔太郎展コンサートを報告した「余韻」と合わせて、朔太郎について論じたもの。何度となく、研究者ではないが、と断ってはいるものの、書きたい気持ちがあることは事実である。

2012年1月20日金曜日

トロッタ15通信.48

トロッタ14通信〈記録〉.10

Concerto da camera
〈作曲 酒井健吉〉
この作品はデュエアゴースト国際作曲コンクールの依頼により作曲したものです。2009年7月7日に脱稿し翌2010年2月26日にナポリで行われた国際音楽祭“モーツァルトボックス2010”においてリッカルド・ケニー指揮アンサンブル・デュエアゴーストで初演されました。その後も同アンサンブルのレパートリーとして各地で演奏されています。今回の演奏は日本初演となります。短い作品ですがお楽しみいただけたら幸いです。〈酒井健吉〉

フルート*八木ちはる クラリネット*藤本彩花 〈弦楽四重奏〉Vn.戸塚ふみ代 Vn.田口 薫 Va.仁科拓也 Vc.小島遼子 ピアノ*森川あづさ

【記録】酒井健吉が、久々にトロッタの舞台に立ってくれた。曲の出品はトロッタ11以来。トロッタ12に出品予定だったが、事情があって取りやめとなっていた。この曲に詩唱パートはないので、私の筆では書きにくい(曲はYouTubeでお聴きいただきたい)。詩唱のない、音楽の純粋性を味わえる曲であろう。
Concerto da cameraとは、“室内協奏曲”ということ。独奏楽器的な役割は、ピアノが受け持ったといえる。トロッタ6、トロッタ7にイタリアから出品してくれたファブリチオ・フェスタから、アンサンブルのための曲を創ってくれないかと、酒井に要請があった。モーツァルトの曲をモティーフに、全体をコラージュのようにして仕上げた。イタリアではすでに何度も演奏されて好評だという。そして、過去にいくつかの例があることだが、人名のアルファベット表記から音名を取り、それを曲の主題に生かした。その人物は酒井健吉にとって忘れがたい大切な存在だ。人の記憶、自分の記憶、互いの思いといったもので曲を作ったといえるだろう。即興演奏の個所もいくつかある。奏者の自由にまかせる。譜面どおりに演奏することも大事だが、曲の時間を生きる中で、思いのまま振る舞ってもらおうとしたのだろう。酒井は長崎から本番当日に来たのだが、あわただしく、ただでさえ時間のない中、よく息を合わせてくれたと思う。
トロッタ15では、酒井健吉に依頼して、『トロッタ、七年の夢』を演奏予定だ。もともとは、中川博正の詩唱を生かそうと、『トロッタで見た夢』の短いバージョンを酒井に依頼した。それを、せっかくの機会だからと、新曲を作ることになったのである。酒井健吉とは、これまで多くの曲を共同製作してきたが、彼が主宰する長崎の演奏会に出るなどしたことが、トロッタに結びついていることは間違いない。トロッタの初回から出品してくれて、トロッタの土台、スタイルを作ることに力を尽くしてくれたことも間違いない。出品に関しては途中で空白期間があったが、酒井の作った歴史は少しも損なわれない。トロッタに、比較的大きな楽器編成が取り入れられるようになったのも、トロッタ4の酒井の曲『夜が吊るした命』以来のことなのである。
思うこと−−。トロッタでは、詩唱が入る曲、歌が入る曲、『Concerto da camera』のように楽器のみの曲がある。無伴奏の詩唱曲、歌曲があってもいいだろう。それぞれ違うのだが、音楽として、分けたくない気持ちがある。それはしたくないと思うものに、よくいうことだが、朗読の背景に曲を流す、音楽にはBGMの役割を求めるスタイルがある。私はそれを安易だと思っている。バックではない、同一線上に朗読と音楽があってほしい。五線譜を使うなら、そこに詩唱のパートを作ってほしいし、上下の楽器パートと厳密な関わりを持たせてほしい。それが私の考える詩唱曲だ。表現は違うが、歌と同じである。それなら−−、例えば酒井健吉の『Concerto da camera』の中に詩があると考えられないだろうか。酒井は、大切な人への思いを、名前に通じる音名を使うことで、曲にこめた。心情の反映だ。文学的な行為だと受け取れる。器楽曲にも心情がある。詩唱曲と歌曲にはもちろんある。三者を共通したものとして、私は受け取っている。『Concerto da camera』作曲の背景を知らない場合でも、聴いているのは人だから、人それぞれの詩がある、詩情がある、詩の心で音楽を受け止めているといえまいか。音楽の心で受け止める。詩の心で受け止めている。表現が文学的に過ぎるといって、ただ音響がそこにあるだけだと、即物的には思いたくないのである。ただし、何かを連想するのは違うかも知れない。連想してもいいかも知れないし、何も思うなというのは生きた人間に対して無理だろうが、まず音響に身をゆだねたい。先入観を持って聴くのではない。音響が生み出すものを感じる。そこからだろう、音楽としての詩が始まるのは。

トロッタ15通信.47

トロッタ14通信〈記録〉.9
「朗読と室内楽のためのポエジー 蝶の記憶」【2011】
“Memory of Butterfly” POESY for Narration and Chamber Ensemble
本作は前回「トロッタ13」終了後、翌月から着手、本年2011年夏に脱稿、今夜が初演である。作者としては初の、朗読と器楽のための作品であり、器楽編成は木管四重奏(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット)、さらに曲の作風も、これまでメインで書いてきた「調性&メロディ路線」とは180度異なる世界で、コンテンポラリーを意識した抽象的なものをねらっている。ゆえに本作は作者にとって、かなりの意を決した冒険作となった。本作のテキストになる木部氏の詩「蝶の記憶」は、実は昨年「トロッタ12」で初演された女声合唱曲「北方譚詩」の候補として書かれたものであったが今回、新たな形態でそれが生きることを期待する。〈堀井友徳〉

フルート*八木ちはる オーボエ*三浦 舞 クラリネット*藤本彩花 チェロ*香月圭佑

【記録】『祝いの花』と同じく、この曲も事情があってファゴットがチェロに代わった。その影響は、もともと木管四重奏曲として構想された『蝶の記憶』の方が大きかった。しかし、チェリスト香月圭佑の努力によって、お聴ききいただく側に大きな違和感はなかったはずである。
私が詩唱を務めた。堀井友徳はこれまで、トロッタ12で女声三部とピアノのための「北方譚詩」 1.北都七星 2.凍歌 、トロッタ13で混声四部とピアノのための「北方譚詩 第二番」1.運河の町 2.森と海への頌歌を発表してきた。堀井自身が書いている、調性とメロディの路線を続けてきたが、この作品は180度違うもので、コンテンポラリーを意識した抽象的なものを狙った。自身にとっての冒険作だ、と。
私もまた、詩唱が入ることで、調性とメロディの路線を踏み外すものになるだろう思った。これまでがそうなら問題ないが、180度違うとどうなるのか、と。結果は、危惧にはあたらない。杞憂であった。『蝶の記憶』は、詩唱が入る曲として出色の作品になった。
演奏はともかく、歌ではない詩唱で、調性とメロディを維持するのは無理である。詩唱は宿命的に、伝統的な音楽の路線からはずれている。それをすすんで引き受けようとした点に、堀井の意気込みがあった。私は別に、前衛的であろうとも、クラシックの伝統を守ろうとも、どちらも思っていない。伝統があるから前衛があるのだし、前衛があるから伝統にも意味があると思っている。両者は切り離せないのだ。したいことをすればよい。ただし、する側に、作曲者であれ演奏者であれ、必然がなければならない。他人が何といおうと、これをしたいのだという決意があれば、何をしてもかまわない。その意味で、堀井友徳の決意に、私は向き合おうと思った。
詩唱について。どうであろう、私の声でよかったのだろうか? 仮に女声であればどうなったか、男声でももっと優しい、澄んだ声ならどうなったか? 堀井から、声の質(明るく、暗くなど)や詠み方(緩急の使い分け、声量の調整など)への注文は、特になかった。となると、あの詠み方でよかったのか。歌のレッスンをしていて、常にいわれること。私はバス・バリトンの声域だが、声の質は明るく保ちたい、と。いきなりだが、テノールだったらどうだったか。女声でアルトだったらどうか? それを最も知りたいのは私である。他の人の声で聴いてみたい。−『蝶の記憶』を、詩唱・木部から切り離して独立させたい。木部がいないと演奏できない、のではもったいない。それは『蝶の記憶』に限らず、酒井健吉の『天の川』や橘川琢の『花の記憶』についてもいえることだ−

2012年1月19日木曜日

トロッタ15通信.46

トロッタ14通信〈記録〉.8

ムーヴメントNo.5~木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る
MOVEMENT No.5 (poem by KIBE Yohani “RAN-FU”, PARADISE)
for Solo Voice,Oboe,Piano and Contrabass
〈作曲 田中修一/詩 木部与巴仁〉
木部与巴仁氏がハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』(鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に生息し、核実験の影響で島と共に沈んでしまったという哺乳類である。)に取材して2010年12月5日に詩「亂譜 楽園」を送ってくれたが、そのままになってしまっていた。後になって「樂園」という題名につよく惹かれて、新たに此の詩と向き合うと、別の意味を持って私に迫って来たのであった。一連の「MOVEMENT」はデフォルメされた音楽様式となっているが此の作品でもそれが顕著にあらわれている。〈田中修一〉

ソプラノ*赤羽佐東子 オーボエ*三浦 舞 コントラバス*丹野敏広 ピアノ*徳田絵里子

【記録】トロッタ3以来の『MOVEMENT』シリーズが、これで5曲目となった。曲は、やはりトロッタ14で演奏された、田中が師と仰ぐ伊福部昭先生の『蒼鷺』と同じ編成である。
田中修一とは、詩をめぐって話をすることが多い。トロッタ14を終えて以降は特に、田中が影響を受けた萩原朔太郎について、考えを聞かせてもらっている。直接の理由は、雑誌「ギターの友」に、田中修一と朔太郎に関する原稿を書くため。ただ、田中も私も研究者ではないから、限界はある。新事実に行き当たったり、未知の論を展開することはない。中学生のころから朔太郎に読みふけっていたという田中なら、あるいは、朔太郎研究の最先端にいるかもしれないが、私はそうではない(こんな風に比較的に書かれることを田中はよしとすまい)。少なくとも田中には、朔太郎同様、詩と音楽の関係に、確固とした思いがある。そして私は、彼の考えを全面的に受け容れるようにしている。詩句を変更することも、削除することも、順序を入れ替えることもかまわない。詩の言葉は私のものだから、田中の生理や感覚や理論に合わない場合が当然出てくる。また私は芝居をしていた経験から、戯曲を舞台にする場合、様々な事情で台詞などは書き換えるものだと思っている(書き換えをよしとしない作家も当然いる。私は書き換えてよい考えだ)。芝居も音楽も生き物なので、一言一句変えてはならないとは思えないのだ(音符はどうだろうか? 例えば、弾きやすいように変えてよいだろうか? 弾きにくくてもそのまま弾くことで、作曲家の思想が現れる、という考えはあるだろう)。ーーともかく、私の詩『樂園』は、楽曲化にあたり、田中の手で書き換えられた。どう違うのか検証する。掲げるのは原詩。括弧内に、田中による変更点を記した。なお、ここでは逐一記さなかったが、田中は「楽園」を「樂園」、「声」を「聲」、「会いに」を「會ひに」のように、文字表記をすべて正字体、歴史的仮名遣いにしていることを付け加えておく。

*

楽園

木部与巴仁

わたしの声が聞こえたら
返事をください
わたしの声が聞こえたら
海を越えて
会いに来てください

長く暗い闘いの果てに
残された者たちの
静かな営みがあった
何処から来て此処にいる
(*以下カット)見たことのない
不思議な仕草で
草を食(は)み
水をすくう(*ここまでカット)
閉ざされた島の
平和な時間(とき)は
知る者もなく流れてゆく

(*以下カット)いつからだろう
目覚まし時計の力を借りず
午前三時に目を醒ますようになったのは
孤独の荷を下ろした
ひとりの時間
窓から見える
あの山の向こうで
誰かが男を呼んでいた
妻と子は
何も知らない(*ここまでカット)

わたしの声が聞こえたら
あなたの目(*眼〈まなこ〉に変更)を閉じてください
わたしの声が聞こえたら
窓を開けて
ベランダに出てください(*「窓を開けてください」に変更)

美しいと
思う者もないのに美しい
(*以下カット)賞賛ではなく
感嘆でもなかった(*ここまでカット)
彼らの国はただ
青い海に浮かんでいた
見える
一羽の男が(*「一羽の鳥が」に変更)
気流に乗って飛んでゆく
海という海の
風を集めて
ただひとつ残された
楽園をめざし
千年(*「幾千年」に変更)
(*以下カット)なりたいのになれなかった
それは男の
理想の形(*ここまでカット)

「見たことのない/不思議な仕草で/草を食(は)み/水をすくう」や「賞賛ではなく/感嘆でもなかった」「なりたいのになれなかった/それは男の/理想の形」のカットには、それぞれ個別の理由があるようだ。説明的にしない、細部にわたらない、聴き手の想像力を信頼し、ゆだねる、など。しかし、第三連「いつからだろう/目覚まし時計の力を借りず/午前三時に目を醒ますようになったのは/孤独の荷を下ろした/ひとりの時間/窓から見える/あの山の向こうで/誰かが男を呼んでいた/妻と子は/何も知らない」のカットは、事情が違うようだ。プライベートに関わる個所をカットしたのである。田中はいったことがある。日常的な描写は好まない、と。詩の書き手としては、プライベートを大切にしたい気持ちがある。文学なら、それは重要。しかし音楽としては、田中は音楽家だから、重要ではないと判断したのだろう。その違いを、しかし私は結び合わせたい。どうすれば結び合わせられるか。田中修一との共同作業では、常にそのテーマに直面する。

2012年1月18日水曜日

トロッタ15通信.45

トロッタ14通信.7

ロルカのカンシオネス [スペインの歌] V - VII
〈採譜と曲 フェデリコ=ガルシア・ロルカ/編曲 今井重幸〉
V.「ハエンのムーア娘たち」VI.「三枚の葉」VII.「ドン・ボイソのロマンセ」
ガルシア・ロルカの『13のスペイン古謡』をトロッタの会として演奏する、シリーズ2回目。それが至難のことなのだが、現代ではなく古い味わいをどのようにして表現するか。前回の「18世紀のセビジャーナス」など、300年前の時代が明確に指定されている。今回の「ハエンのモーロ娘」など、15-16世紀の王宮歌曲であったというからさらに古い。今井重幸の編曲を得て、困難に挑戦してみたい。〈K〉

詩唱*木部与巴仁 ギター*萩野谷英成 〈弦楽四重奏〉ヴァイオリン*戸塚ふみ代 ヴァイオリン*田口薫 ヴィオラ*仁科拓也 チェロ*小島遼子

【記録】土台、それが私には無理であることはわかっている……。詩人ピエール・バルーによるドキュメンタリー『SARAVAH』に描かれたブラジル人音楽家たちの姿が、理想のひとつである。街角でも、レストランでも、歌いたい、演奏したいと思った時に、彼らは音楽を形にできる。ロルカが採譜したスペインの民謡においても、その担い手たちは、やはり同様だろう。歌いたい時に歌える。そして形にできる。しかし、私は無理だった。練習しても無理だった。前回と今回、ほぼ半年ずつ、練習してきた。ひとりで練習しているのではない、先生に聴いてもらって練習しているのである。だが、その練習が本番で生きていないと感じる。スペインの民謡を私が歌うこと自体に無理があるのかも知れない。あるいは、今井重幸先生の編曲に、乗り切れていないのかもしれない。
志はよい。詩人ロルカが、詩と音楽の幸福な結びつきの形としてアンダルシアの民謡に着目し、それを採譜した。13曲、今に伝わっている。詩と音楽を志す者なら、その先達であるロルカに共感するのが当然で、私もそうだから、自らロルカの民謡を歌い、彼の思いを形にしてみせようとした。しかし、納得がいかない。役者の天本英世が、13曲を歌えるようになったとエッセイに書き(「フラメンコの歌となるとこれは難しくて私はとても歌えないが、この「ロルカの13の民謡」は何とか全部唄えるようになった。どれを唄ってみても、全く素晴らしい、これぞスペインの民謡という歌ばかりである」『スペイン回想』より)、彼に倣おうという気持ちもあった。しかし、倣うことができない。いったい天本英世は、どのように歌ったのか? 私の中に音楽がない、文学はあっても、音楽がない。文学もないのか? いや、私の中にスペインが根づいていない。
例えば純粋な歌の名手なら、声の響きだけで人を魅了することが可能だろう。何を歌っているかわからないが、すばらしい声だ! と思う。充分にあり得る。歌曲のリサイタルにせよオペラの大舞台にせよ、聴衆のほとんどは、イタリア語やドイツ語をわかっていないと思う。だが、心打たれている(のだろう。日本語歌曲のリサイタルでも、詩の全部はわからない。こうした想像が私のひとり合点で、多くの人がわかっているなら素晴らしいことだ)しかし、私は名手ではない。文章表現にも、その境地はある。技術だけで読ませてしまうというような。もちろん、私は文章の名手ではないといっておく。そして歌についていえば、私はさらに名手ではないし、純粋に人を魅了することなど不可能、それに、そもそも純粋性を志向していない。
詩だけではない、音楽としてありたい。音楽だけではない、詩とともにありたい。
これも理由があって、伊福部先生の言葉として、先生が少年時代に見て聴いたアイヌの芸能は、歌と踊りと詩(言葉)が分かちがたく結びついていた。それが芸能の、芸術といってもいいが、古い形であり、考え方を変えればそれこそ純粋な形といえるかもしれない。時代が新しくなるにつれて、詩は詩、音楽は音楽は、踊りは踊りという風に、純粋性を求めていったのだ。その考え方でいけば、踊れない役者、歌えない役者はない。芝居のできない歌手もない。歌手は当然、踊れる、ということになる。それが望ましいことはいうまでもない。
歌なら多少は純粋かもしれないが、詩唱という、あまり純粋ではない、そして他にあまり行われていない表現を、私は自分に求めている(詩唱表現には音程がない。通常、音楽では音程をやかましくいわれるのに。リズムも厳密ではない。ハーモニーは? 詩唱と楽器でハーモニーが作れるのだろうか? 作曲者の計算に頼るしかない。しかし、そうした曖昧さが詩唱表現の安易さに結びついてはいけない)。
詩を印刷物にして人に渡せば、純粋に読んでもらえるだろう。しかし、詩を声に出した段階で、純粋さはどんどん失われてゆく。そして私は、印刷するより声に出さなけれな意味がないと思っている(だから私は詩集を作りたいと思わない。私の詩集は、トロッタである)。楽器にも個性はあるが、声の場合は誰であれ、個性があり過ぎる(よく訓練された歌手に対して、あの声は嫌いだというような、救いようのない批判がしばしば下されるのだから、申し訳ないことだ。いわんや私においては! 歌は、その人の声を聴くしかないのである)
私の中に、いかにしてスペインを根づかせるか。
不純を、さらに志向したい。
私には芸術としての歌が歌えない。根岸一郎氏の真似をしても無理だ。だからチラシに、「バリトン」と書かずに「詩唱」と書いているのではないか。次回のロルカは、これまでと違う工夫をしたい。

2012年1月17日火曜日

トロッタ15通信.44

トロッタ14通信〈記録〉.6

オリヴィエ・メシアン『時の終わりへの四重奏曲』の記憶
〈作曲 オリヴィエ・メシアン〉
メシアンの『時の終わりへの四重奏曲』初演は、現代音楽史の伝説である。ドイツ・ゲルリッツの第8A捕虜収容所に囚われていたメシアンは、同じ捕虜であった三人の演奏家と、彼らが所有する楽器で演奏できる曲を書いた。閉ざされた状況下でも音楽を創造した彼らを想いつつ、詩唱を交えて3(抜粋)、1、4、7各楽章を演奏する。テキストは木部与巴仁による。〈K〉

クラリネット*藤本彩花 ヴァイオリン*戸塚ふみ代 チェロ*香月圭佑 ピアノ*森川あづさ 詩唱*中川博正

【記録】メシアンの『時の終わりへの四重奏曲』を初めて意識したのは、2006年、『新宿に安土城が建つ』に出演した時。捕虜収容所で作曲されたという経緯を詩ってたちまち惹かれた。音楽的に、ではなく文学的に、惹かれたのだろう。もちろん、曲を聴いて惹かれもしたが、曲ができる背景に、ドラマを感じたということ。演奏して惹かれたのではない点に問題があるかも知れないが、そのような音楽の出会いはあると思う。『新宿に安土城が建つ』にメシアンがふさわしいとは、今となっては定かではない。共演した戸塚ふみ代の提案だったか。これだけは間違いないが、BGMとして扱ったのではない。厳密に、詩を詠む位置を決め、曲に乗せて詠むようにした。戸塚にとっても、今回の演奏は、『新宿に安土城が建つ』以来で、その時に覚えた不満を、抜粋とはいえ演奏会なのだから、払拭する機会になったはずだ。
『時の終わりへの四重奏曲』をトロッタで取り上げたのは、私なりの必然があったから。音楽の始まりがそこにある。あらかじめわかった出発点ではなく、やむにやまれず音楽を創る。どんな不完全な状況でも。創りたいと思った時に、音楽はできる。収容所でも、だ。そこにならいたい。
トロッタが“詩と音楽を歌い、奏でる”会だというのは、私には必然がある。他の作曲者、演奏者にも、それぞれの必然があるだろう。私は詩を持ってして、初めて音楽ができる。詩がなければお手上げだ。私は文学をしたいと思っていない。文学には、もちろん計り知れない価値があるものの、私にとっては目下の急務ではない。それはやはり、伊福部先生の『音楽家の誕生』を書いたところからの始まりがあるから。音楽をわかって書いたのではなく、文学的に理解しようとしたのだと、自戒をこめて回顧するが、それでも、そこに出発点がある以上、詩を書いても文学として完結させようとは思っていない。音楽としての詩を、私は志向している(このへんに私の問題点があることは、じゅうぶんに理解している。文学として中途半端、音楽として中途半端。しかしそれが、私の道なのだろう。そして、それを本当に中途半端で終わらせるのかどうかは、私にかかっている。それは、トロッタが中途半端で終わるかどうかの問題でもある。終わらせるわけにはいかない)。
ところで、詩唱は中川博正にまかせた。通常なら、私が詠むところだ。この曲を演奏しようと思ったのは、私の必然だから。しかし、それでは当たり前過ぎる。中川にまかせることが挑戦である。彼にはメシアンになってもらおうと思った。メシアンの曲を聴く捕虜になってもらおうとも思った。死んで今では鳥になったメシアン、捕虜にもなってもらいたかった。スコットホールを、『時の終わりへの四重奏曲』が初演されたドイツの収容所に変える役目をも負ってもらいたかった。これはすべて、至難の業である。できただろうか? 中川は、彼なりに努力してくれた。稽古の段階で、役作りにおける、私と彼の違いが明らかになりもした。私がこれまでに詩唱した曲を、すべて彼にまかせてもよい。彼が詩唱したいというのなら。それでこそ、曲が生きるであろう。いつまでも私ひとりが詠むものではない。

トロッタ15通信.43

トロッタ14通信〈記録〉.5

『蒼鷺』
〈作曲 伊福部昭/詩 更科源蔵〉
伊福部昭が更科源蔵の詩によって書いた最後の歌曲。他の『知床半島の漁夫の歌』『オホーツクの海』『摩周湖』と同じく、更科の第二詩集『凍原の歌』から採られた。「蝦夷榛(えぞはんのき)に冬の陽があたる 凍原の上に青い影がのびる」という蒼鷺の描写が印象的だ。オーボエの音色が聴く者を世界に引きこむ。ソプラノ藍川由美によって2000年に初演された。〈K〉

バリトン*根岸一郎 オーボエ*三浦 舞 コントラバス*丹野敏広 ピアノ*徳田絵里子

【記録】根岸さん、三浦さん、丹野さん、徳田さんによる練習風景を思い出す。何度も何度も、合わない、どう合わせる、というようなことを繰り返しておられた。それは、あるべき音楽の風景である。そのようなことを、私は自分が出演する曲で、できたであろうか。できていない。あまりにも慌ただしく、すべてが過ぎていってしまった。昨年、「北海道新聞」に、伊福部昭先生と更科源蔵氏について、原稿を寄せることができた。それは個人的に、画期的なことであったと思う。そのことをじっくり噛みしめる時間がないのが残念だ。それは、東京の「トロッタの会」が、このようなことをしているという報告、情報だけに終わらない(と、私は思っている)。私の考え方であり、伊福部昭と更科源蔵という創作者の歴史であり、トロッタにとっては現在形の、たった今、作られつつある歴史的事象なのである。私はもっと、新聞記事の続きを書かなければならず、深めていかなければならない。
あらゆる音楽会の宿命だが、次から次へと曲が演奏されるのだが、例えば、『蒼鷺』一曲を演奏する一夜があってもよい。二本立て映画があれば、私は目当ての一本を観たら、もう外に出たいと思うから。印象を拡散させてしまいたくないから。伊福部先生にとって『蒼鷺』は力を尽くした曲だから、それだけをじっくり聴くための時間を作ってもいい(ただ、二本観たからといって、後から考えると、必ずしも印象は拡散しないということを知っている。高校生の時だったと思うが、佐藤純彌監督の『新幹線大爆破』と、ブルース・リー〜李小龍と書きたい〜監督・主演の『ドラゴンへの道』を二本立てで観た。どちらも傑作であり、歴史に残る作品だ〜本来、歴史に残らない作品というのは一本もないので、記憶に残すべき作品、というように書けばいいのだが、人によって記憶の残り方は様々である〜。印象を拡散させたくないなら、どちらかを観てすぐ退場すべきだが、『新幹線大爆破』と『ドラゴンへの道』は二本立てで観てよかったと思っている。印象は、まったく拡散していない。作品に力があれば、そうなるのは当然である)。
伊福部先生の作品は、どれも大きい。大きさということを、生前にお話しを聞く過程で、私は常に意識していた。小さく終わらせたくないと、私自身の作品についても思っている。コップいっぱいの中にも、大きさは作り出せるのである。更科氏の詩にも、大きさを感じる。大きさとは何か?
トロッタが、伊福部先生を意識するところから始まり、詩を書く私の中に更科源蔵氏への意識がある以上、仮に誤解(自分流の解釈)であっても、何かを継承していることは確かだと思う。正解であれ誤解であれ、継承していきたい。トロッタに箔をつけたいとか、正統性を主張するとか、そんなことはまるで思っていない。異端であれ、孤独であれ、という思いさえ勢い余って抱きそうだが、そうひねくれることもないだろう。『音楽家の誕生』を書いた私である。伊福部先生の影響下にあることは、素直に認めていい。影響を受けていないという方が無理だ。更科氏が登場する伊藤整の『若い詩人の肖像』を高校生のころから愛読したのだし、伊福部昭という作曲家と更科源蔵という詩人の関係をうらやましいと思う(しかし、作曲家と詩人の関係なら、トロッタは相当に深めているし、経験を積んでいると思うし、十分な足場になっていると思う。そのことを本当に実感するのは、トロッタの活動が休止した時かもしれない)。−−どうも曲の成果について語っていないが−−根岸一郎氏という、伊福部先生の歌を歌いたいというバリトンの存在を得て、トロッタは、そのすべきことを着々と実現していると思う。演奏機会の少ない『蒼鷺』を、トロッタは演奏できた、お聴かせできたという事実。これを大事に思わない私ではない。貴重だ。その貴重さを、翻って、すべての作曲家、演奏家について感じる。そうしたことが、伊福部先生から始まっているということ。噛みしめたい。『知床半島の漁夫の歌』など、すでに演奏した曲を再演してもいいだろう。

トロッタ15通信.42

トロッタ14通信〈記録〉.4

『虹』『花の森』
〈作曲 宮崎文香/編曲 徳田絵里子/詩・詩唱 木部与巴仁〉
花をテーマにお聴かせできる曲を思っていた時、木部与巴仁さんの詩『虹』と『花の森』に出会いました。木部さんが発行している「詩の通信」に掲載されたものです。『虹』は誰にもある幼いころの記憶が虹に託され(2006.5.26号)、『花の森』は、死んだ人や獣が花として生まれ変わる様が描かれています(2009.8.17号)。楽器は、まず尺八と十七絃箏のために書かれ、徳田絵里子さんによってフルートとピアノ版に編曲されました。〈宮﨑文香〉

フルート*八木ちはる ピアノ*徳田絵里子

【記録】宮﨑文香さんから、私の詩で曲を書きたいという申し出を受けた時、純粋にうれしかった。初めてのことではない。すでに『めぐりあい』があり、『たびだち』がある。しかし(ということはない。差別などまったくないのだが)、どちらもアンコール曲である(繰り返していうが、すばらしいアンコール曲である。宮﨑さんの曲が最後にないと、トロッタは終わらない。それを、会場を出なければならない時間が来たというので、トロッタ14では『たびだち・鳥の歌』を演奏せずに終わってしまった。失敗である。申し訳ないと反省している)。それがまず、宮﨑さん企画の演奏会のため、尺八と十七絃箏の曲として作曲したいという。そうしてできあがった曲を、トロッタでも、本プログラムの曲として演奏するという。トロッタでは、尺八と十七絃箏ではなく、フルートとピアノのための曲になった。その編曲には、ピアニスト徳田絵里子さんの手を借りることになった。
詩が先にあって、曲が生まれる。いつも詩が先導すればいいとは思っていない。曲が先導する場合もあるだろう。しかし、かつて『くるみ割り人形』や『シェへラザード』を合唱曲としたように、メロディが先にあって詩を書くと、替え歌を作っているような気分になって仕方がない。何にも引きずられない、何の影響も受けない詩を書きたいと思う。だが、いつも詩が先導する場合、作曲者は詩に影響されない曲を書きたいと思うようになるだろうから、つまり立場を変えれば、私も他者に影響を与えてしまっているだろうから、どうすればいいとは断定できない。個別のケースとして考えるしかないだろう。
宮﨑さんは、「詩の通信」から二篇を選んだ。何が選択の基準になっているか、はっきりわからない。尺八と箏は、“花”をテーマにした演奏会で用いられたから、まず、花を描いた詩を選んだ。それが『花の森』である。四国の遍路が行き倒れになり、その跡に花が咲いた、という想像上の物語だ。『虹』には花が出ない。それでも選んだのは、宮﨑さんの感性である。私が子どもだったころ、空に架かる虹を見て、母親に、あれは何? と尋ねる。子どもにとって、初めて見るものは多いだろう。世の中は新鮮な驚きに満ちている。大人になると、そうしたものが少なくなる。少々のことでは驚かない。それはいいことではなく、残念なことだ。常に驚いていたい。虹は、驚くに値するものだ。原理がわかっていても、やはり驚異である。原理などわかっても大したことはない。わからない方がいい。宮﨑さんはおそらく、子ども心の純粋さに惹かれた。彼女自身が、それを持っているのだろう。音楽を書く力になり、詩を書く力にもなる。私は持っているか? 持ちたいと思う。トロッタは、常にその驚きを忘れない会でありたい。『虹』の始まりにある。「遠くと 近くの 区別もないまま 何もかも ぼんやりしていた あのころ」今の私が、そうだ。すべての距離がない。混沌としている。その、どろどろの中から何かを引きずりあげたい。

トロッタ15通信.41

トロッタ14通信〈記録〉.3

フルートとチェロのための『対話と変容』(ガルシア・ロルカと共に)
〈作曲 今井重幸〉
フルート奏者の斉藤香さんに委嘱されて書き下ろした。トロッタの会に編曲するため、詩人ガルシア・ロルカを想う時間が多い。私自身、青年期よりロルカを敬愛してきた。斎藤さんに応えようとした時、自然に、“ロルカとの対話”が楽案に浮かんだ。スペイン的な音型を用い、ロルカが採譜したアンダルシア民謡をモティーフのひとつとするなど、これらを自由に変容させて、ふたつの楽器による“対話”を試みたのである。〈今井重幸〉

フルート*斉藤 香 チェロ*武井英哉

【記録】(ガルシア・ロルカと共に)と書き添えられている。今井重幸先生の、ロルカへの思いが伝わってくる。今井先生には、『ロルカのカンシオネス「スペインの歌」』の編曲をお願いしている。すでに七曲、歌った。その過程で生まれたのが、フルートとチェロのための『対話と変容』である(と解釈しているが、違うだろうか。だとしたら、曲の誕生に間接的に関与していることになり、うれしいことだが。しかし、私は)今井先生の希望を満たす歌を歌えていないだろう。そもそも私が、歌えていないと思う。思いだけで音楽をしようとしている。文学として音楽をしている。意識的に音楽をしようとしている。所詮は詩を書く者であって音楽をする者ではない。音楽と文学の溝に思い至るべきである。いや、溝などないはずだ。音楽と文学を、分かちがたいものとして、私はとらえているはず、とらえようとしているはず。そのことに間違いは、絶対にないはずだ。でなければトロッタをしていない(それが、清道洋一の項で書いた、革命ということではないのか)。そのことは後で書くとして−−。
演奏者として、斉藤香さんと武井英哉さんを迎えた。おふたりとは、できれば練習期間中にお目にかかりたかったのだが、果たせなかった。私の理想は−−、トロッタに出演したいただく方々と、あらかじめ顔を合わせて、少しでもお話をしておくこと。当然だろう。トロッタの会を、共に開いているのだ。ばらばらの人間が、本番の日、一日だけ会うことを、私はよしとしない。しかし、無理だった。無理に会わなくても、きちんと練習をして曲を作り、本番に備えればよい。その考えに間違いはない。斉藤さんと武井さんは、そのようにして本番に備えてくださった。他の曲にも出番があれば、もちろん会う機会が増えただろうが、そうではないのだから、ご自分たちの曲に専念していただければよかった。それができず、うまくいかなかったというのではない。うまくいっただろう。問題は、私の側の気持ちである。(ガルシア・ロルカと共に)という曲なのだし、どこがロルカと共に、なのか知っておきたかった(こういう態度が文学的か? しかし、そのどこが悪いのかと思う)。
興味深かった点。トロッタに常に出てくださっている方々、初めてでも練習期間に何度も顔を合わせる方のことは、すでにわかっている部分が多い。しかし斉藤さんと武井さんは、本番一日だけの機会だったので、いい意味で馴れず、新鮮だった。皮肉ではなく、おふたりの演奏会に立ち会っているような気さえした。だが、会を開いている者として、それでいいのか。第一、この原稿にも、曲のことをまったく書いていない。わかっていないから、だ。今井先生の、自他共に許す本領は、例えば打楽器を伴う、トロッタ13で演奏した『草迷宮』のような曲だろう。早稲田奉仕園スコットホールは、もう打楽器が使えなくなった。何とかならないかと思う。今井先生にとって、消化不良であろう。それでフルートとチェロのための『対話と変容』を出品された。それがすべてではないが、理由の一つではある。これまで、今井先生には打楽器のない曲もあった。『仮面の舞』や『青山悠映』など。それでもじゅうぶんに成果をあげている。しかし、できるなら−−、という作曲家としての思いは理解できる。
スコットホールを、私は好きである。どのホールにも長所と短所がある。短所は目につきやすいが、本来は長所にこそ目を向けるべきだ。人も同じ。スコットホールを完全に生かし、もうすることがないと思ったのなら他に移ってもいいが、まだスコットホールを使い切っていない。打楽器は使えなくても、と思う(やはり、『対話と変容』について書いていない。今井先生がいう「スペイン的な音型を用い、ロルカが採譜したアンダルシア民謡をモティーフのひとつとする、これらを自由に変容させ」といったことについて書けない。申し訳ない)

トロッタ15通信.40

トロッタ14通信〈記録〉.2

『恋の歌』
〈作曲 清道洋一/詩 木部与巴仁〉
三島が逝った歳になった。そろそろしっかりとした歌を作りたいと思った。歌曲を作るなら「恋の歌」以外に有り得ない。独りよがりの『状況』ではなく、ある特定の感覚を共有したいと思った。震災以来の無力感の支配からも抜け出したかった。『ステロタイプ』。しかしそれが『約束』として機能するのであれば、感覚の共有は成功なのだろう。映画に演劇に前例はいくらでもあるではないか。そう考え『既聴感』にこだわってみた。〈清道洋一〉

ソプラノ*柳 珠里 ヴァイオリン*田口薫 ヴィオラ*仁科拓也 チェロ*小島遼子 ギター*萩野谷英成

【記録】“恋の歌”を作りたいから、そのような詩を、という清道洋一の求めに応じて書いた。これは清道に対していっているのではなく(結局、そうなるかもしれないが)、その人は恋をしているのかと考える。私は清道と『革命幻想歌』を創り、今また、その二作目を創ろうとしている。革命を、現実に政治的活動として行なってはいない。しかし気持ちは、おとなしく飼いならされてなどいない、ということ。政治に声をあげていないから革命を望んでいないことにはならない。そもそも、あげていないと誰が判断するのか。街頭で配られる、脱原発のちらしを受け取らないからといって、私が脱原発を志向していないとはいえないはず。サッカー選手だって革命を望む者はいるだろう。私はフィクションではなく切実に、革命を求めている。それは政治の革命ではなく、自己の革命なのだろう。ロシア革命だって、人々は、政治の変革を求めつつ、自己を革命したはずだ。自分を犠牲にしないで政治の革命などできっこない。−−革命はとりあえず措こう。恋をしたくて、あるいは恋をしているから、清道は恋の歌を書こうとしたのか、私は求められたとはいえ、恋の詩を書こうと思ったのか。端的にいって、恋をしているのか? 革命を求めて『革命幻想歌』を書くというなら、恋をしているから『恋の歌』を書いたといってほしい(私が)。
書いた詩は三篇。
ボール虫(団子虫)が主人公の『恋の始まり』。
「恋の触覚 狙いは必ずあやまたず 冴え渡って気配をとらえる 恋の触覚 われ知らずわれに教える 生命(いのち)のありか 心の昂り 行け 眉目(みめ)よきボール虫 行け 麗しのボール虫」
およそ人からは尊敬されそうにないボール虫。ライオンや鷲なら尊敬されるだろうが、地を這う虫など気味悪がられ踏みつぶされるかもしれない。しかし、彼らにも恋はあり人生がある。人が、彼らを毛嫌いする理由などどこにもない。ボール虫になりたいとすら思う。いや、もうなっているか。
蜥蜴が主人公の『恋の果て』。
「ひしゃげた躰(からだ)にのぞく 真赤な肉片 首はもげて足は飛び あの日 わたしを抱きしめた両腕は 天と地に伸びていた」
仮に戦場で死ねば、私もこうなるだろう。恋が戦いではないとは誰にもいえない。恋を、闘っているのだ。この蜥蜴の姿を、私は写真に収めている。確かに不気味だ。しかし、彼は堂々と死んでいた。そうありたいと思う。人よ、蜥蜴に劣らず、堂々と死ね。人以外の者を詠みながら、私はすべて人のこととしても詠んでいる。
蚊が主人公の『恋の音楽』。
「生きようとして殺される わたしたち 蚊という生き物 愚かなり 人は知らない 壮大なファンタジー わたしたち 蚊が築きあげた 歴史と科学 超文明の底知れなさ」
人と蚊の間に、何の差もない。あえて蚊の方が上だということもない。平等である。たっぷりと、人の血を数がいい。あなたたちは生きるために、血を吸っている。私の血はまずいと思うが、吸ってくれるだけましである。吸われて痛いと思う。かゆいと思う。生きているからで、死んでしまえば、そうしたことも思わない。生きている証明に、血を吸ってほしい。生を実感させてほしい。
この歌を、いつか、自分で歌ってみたいと思う。私の実感がこもっている。歌いたいと思って当然だろう。歌いたいと思い、清道に詩を託したのだから。誰に対してもそうだが、私の中にある部分を、清道にも感じている。それが何か、あえて書かなくてもいいだろう。ここに書いたようなことである。

トロッタ15通信.39

iPadを買ったが、例えば電車の中でブログに書きこみ、twitterで発言する、などという使い方は、結局、できていない。これからもできないだろう。iPadも、きちんとした原稿を書くために使ってしまう。書評のためにスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』三部作を読み通した。『ミレニアム』第一部は電子書籍になっているが、私は文庫本で読んだ。紙の本で読むことが、私の態度としては自然だ。電子書籍は読まない(使わない)。コンピュータは原稿を書くために使う。iPadも、手軽な使い方はしない。それが私なら、それでよい。
「トロッタ14通信」は、ひとつも書けなかった。各曲について、すでに2か月が経った今から、記録として書いておこう。演奏順に書いてゆく。トロッタ10から13まで書いた「トロッタ通信」を、原稿として、整理しておこうと思う。

トロッタ14通信〈記録〉.1

花の三部作最終章『祝いの花』op.53
〈作曲 橘川琢/詩・詩唱 木部与巴仁/花 上野雄次〉
『花の記憶』『死の花』に続く、橘川琢“花の三部作”最後を飾る曲である。『花の記憶』は2007年10月20日初演、『死の花』は2009年12月5日初演だから、2年おきに作曲・初演されてきたことになる。前二作に強かった〈死〉の印象を(依然として書いているものの)払拭したかった。最終章にふさわしい曲が聴けるだろう。上野雄次の花に注目したい。〈K〉

ソプラノ*大久保雅代 フルート[ピッコロ]*八木ちはる 〈弦楽五重奏〉Vn.戸塚ふみ代、Vn.田口 薫、Va.仁科拓也、Vc.小島遼子、Cb.丹野敏広 ピアノ*森川あづさ

【記録】そのようには書かれていないが、橘川琢のいう「詩歌曲」である。本来、ファゴットが予定されていたが無理となり、急遽、他の楽器で補うことになった。『花の記憶』初演当時、次の年にでも三部作を完成させて全曲を演奏、というようなプランもあったが、2007年から2011年まで、足掛け5年に及んだ。人によるだろうが、三部作を作るとは、そのくらいかかるということだ。『花の記憶』は、三度、演奏している。『祝いの花』は、初演時の記憶がまだ比較的新しいから、思い出せる。『死の花』の記憶が薄い。記録に残っているから演奏したことは間違いないのに。芝居でいうなら幕切れに、絶叫に近い声をあげた。覚えているのはそれだけだ。絶叫など、したくない。それを覚えているという皮肉。これで、いいのだろうか(自分に対して疑問に思っていることだ)。三部作を仮に通した時、曲ごとに編成が違うし、どうなるのか見当がつかない。
『祝いの花』は、三部作で最も大きな編成となった。上野雄次の花も、大きなものとなった。巨大な花を背負って客席最後列に現われ、中央通路を進んで舞台に至る。花の塊を背負っているから、上野の姿は見えない。舞台への階段を上り、上ったところで静止して、花を鋏みで切ってゆく。切る音が会場に響く。演奏が終わると、赤い花が宙にまかれる。音楽を聴きながら、お客様は何を見ていたのか。音楽面では、詩唱を音楽として受け取っていただけるなら、編成が大きいだけに、聴こえたのかという疑問がある。合わせの時間があまり取れず、練る時間が決定的に不足した。『死の花』が記憶にないのも、初演から時間が経ったこともあるが、こうした練習時間の不足に原因があると思う。結局、『花の記憶』が最もまとまっていて、三部作の本質はすべてそこにある、というような考えになる。すべて『花の記憶』にあるなら、残りの二曲はできなくてもよかった、ということになってしまう。三部作だが、一曲一曲に、独立した作品性を求めたい。『祝いの花』は、大きな音の塊を作り上げる意図は見えた。音も声も、ぶつけあって塊にする。作曲者の意図はわからないが、詩唱していて、そのように感じた。その効果があったのかどうか。舞台上からはわからない(この点も、『花の記憶』には舞台上で手応えを感じたのだ)。
橘川琢と、トロッタについて初めて話した時。朗読があって楽器の演奏がある、そのようなことをしたかったと聞いた。それは、達成されたかもしれない。たくさんの詩歌曲が生まれた。その結果。詩唱のない曲に、今の橘川の気持ちは向かっているかも知れない。それならば、それでよい。橘川が曲を発表しようとする。詩唱があるだろうと思う。それは予定調和だ。予定調和は避けたい。詩唱曲だけではないだろうというような迷いが、橘川に生じているかもしれない。それはそれでよい。花の三部作が終わったのだし、転換点かも知れない。それでいいのだ。私たちは、常に転換点に立っているはずだ。−−もともと、橘川には文学的な思考が強かった。曲名を振り返ればわかる。詩歌曲第一番、というような命名はしない。既にある文学作品に拠ることもあった。次のような例がある。『都市の肖像』」第一集「ロマンス」op.21~ヴァイオリンとピアノによる~第一曲「Romance」、第二曲「Silent Actress」、第三曲「水の歌が聴こえる」(2008)、第四曲「少年期/コール・ドラッジュの庭」。詩はもともと第一番などと呼ばれず、文学的な題名がつけられているから(何が文学的か、議論はあるだろう。文学的な姿勢、態度を橘川に感じる)。そのような姿勢が、詩歌曲に現われていたといえるだろう。

2012年1月14日土曜日

トロッタ15通信.38

ブログやツイッターの書き分けについて。ブログは、〈トロッタ論〉(仮題)を改めて書く。これは連載のための、正式の題をつける。並行して、日々の報告などを書く。これを従来の「トロッタ15通信」とする。ツイッターは、2つあるうち、ひとつは日々の報告で、「トロッタ15通信」と同じ。もうひとつは、木部個人の活動報告などを書く。

2012年1月9日月曜日

トロッタ15通信.37

昨夜から、詩を二篇、書く。
ひとつは『秋の一族』。橘川琢氏のための詩で、2009年初演の『冬の鳥』、2010年初演の『夏の國』に続く、四季シリーズの第三作となるべきもの。いつか曲になればいいと思う。
もうひとつは、トロッタ15のための『トロッタ、七年の夢』。酒井健吉氏作曲、清道洋一氏演出、中川博正氏詩唱のための詩。トロッタ1で演奏し、初演は2005年だった、『トロッタで見た夢』の続編である。

2012年1月8日日曜日

トロッタ15通信.36

ほとんど読み返すことのなかった過去の原稿に、今に続いている、私の考えを見ます。トロッタ以前のことですが、トロッタを開く態度、詩と音楽をめぐるテーマが、ここにあるように思います。年末に書いた、萩原朔太郎にも通じるでしょう。というより、すべてに通じます。

〈第3回〉
 ピエールには、DVD『サラヴァ』として発表された以外にも、数多くの映像作品がある。まず挙げたいのは、衛星放送の電波に乗り、ビデオにもなって発売された『Nuits de Nacre'91〜真珠貝の夜・チュール〜』である。フランス南西部の町チュールで開かれたアコーディオンの国際フェスティバルに出かけ、ピエール自らがヴィデオ・カメラを回した。翌92年にカナダで撮影され、今は予告編にとどまっている続編も、彼の頭の中にはあるらしい。
 さらに、2003年に一夜だけの上映会がもたれた『サヴァ サヴィアン(BIS)』。チンドン屋“かぼちゃ商会”がフランス各地で演奏する姿をとらえた映像から、私たちは音楽に寄せたピエールの愛情を存分に感じ取る。チンドン屋とは、街を歩き、移動しながら演奏することに、その音楽の本質がある。旅と音楽が人生の始まりからほとんど同義であったピエールに重なるではないか。そしてこの作品は、1970年に創られた『サヴァ サヴィアン』の続編である。『サラヴァ』にも『真珠貝の夜』にも『サヴァ サヴィアン』にも、ピエール・バルーは終止符を打っていない。すべては“つづく…”。この他にも、知られていない作品はまだまだある。それらがピエールの納得できる形で世に出ることを望んでいる。
 もう一度確認しよう。DVD『サラヴァ』の副題は、「時空を越えた散歩、または出逢い」である。バーデン・パウエル、ピシンギーニャ、ジョアン・ダ・バイアーナ、マリア・ベターニア、アダン・グザレバラダ、シブーカなど。彼らブラジルの音楽家たちには、ピエールがフランスから彼の地に旅をし、出逢ったことからこそ、私たちも時空を越えて、相まみえることができた。その姿をとどめるフィルムやヴィデオの力があるにせよ、まず出逢い、出逢うための旅、その行為なくして彼らの姿や声、創造される音を、私たちは見られなかったし聴けなかった。

〈第4回〉
「私の願いはあなたを私達と共に旅に連れて行くことです」
 ピエールがこのように語り始める時、34年という歳月の壁は消える。
「ブラジル音楽はアフリカ音楽の影響を受けたの?」
「すべてそうだよ。ルーツは皆、アフリカだ。ハーモニーではジャズの影響を受け、リズムではアフリカがルーツだ。この2つを合わせると、奇麗なサンバが1曲出来る」
 ピエールとバーデンの会話は、たった今、この瞬間に交わされているのである。
「私の選曲にはいつも深い理由があるの。例えば今は私の兄、カエターノ・ヴェローゾが国外追放されていて、私はブラジルだから……」
 マリア・ベターニアの言葉だ。!969年、時の軍事政権によってブラジルを追われ、ロンドンに住むことを余儀なくされていたカエターノ。画面には姿を現わさないが、彼の存在も『サラヴァ』の背後にある。
「悪ふざけはやめよう/ソクラテスとプラトンは最初に茶番劇に参加した哲学者/悪ふざけは止めよう/教会の門の前で飢えた者達が来はしない救い主を待っている」
 何と深い、アダンの声と詩。これはいつの歌なのか? 古代にもありえたし、中世にもありえた。それこそ時空を越えた音楽家が、現代のリオ・デ・ジャネイロにいたという奇跡。当時のアダンは400以上の曲を書いたが、それは彼が住む貧民街の住人以外に知られることはなかったと、ピエールは書き添えている。真の音楽家とは、そのようなものかもしれない。
 ピエール・バルーは歌をうたって楽器を奏でる音楽家だが、その本質にあるのは詩。『サラヴァ』を観ればわかる。彼は人の理知ではなく、情動に訴えている。鉛筆と紙とギターを小型のヴィデオ・カメラに持ち替えて詩を創っている。
 この年この時期のブラジルにはこんなことがあった、こんな人々がいた、こんな音楽が……。ドキュメンタリーを創るつもりなら、他にもっと方法があっただろう。映像の文法とでもいうべきものが。しかし、彼は説明を避けている。博物館のキュレーターのように、一つ一つの場面を懇切丁寧に案内しようとはしていない。字幕さえ、イマジネーションと発見の楽しみを大切にしたいという理由で、最小限にとどめられているのだから。
 ブラジル音楽に明るくなく、言葉もわからない人には、何が語られているのか、語られていることが何なのか、わからないかもしれない。しかし、それでいい。知識は得られなくても実感が残る。ブラジル音楽の精髄に触れた手ごたえが残っている。もっと観たい、もっと聴きたい、もっと歌いたいという気持ちが生まれている。未知のものを求める旅人の態度に、似ていないだろうか。それをもたらしのはピエール・バルーの、詩人としての力だ。
2007.7.3
木部与巴仁

2012年1月7日土曜日

トロッタ15通信.35

2003年7月に書きました、ピエール・バルー氏についての文章の2回目です。もう9年前であることに今さらながら驚きます。しかし、9年前のことだけあって、私がなぜ、どういう経緯でこの原稿を書くことになったのか、はっきりしません。当時はサイトにいろいろと原稿を書いていました。そこに、この土台となった原稿を載せ、それをご覧いただいた上で、オーマガトキ連絡をいただいて、ということだと思います。

「拒まれたピリオド。ピエール・バルーの詩と人生」

〈第2回〉
ピエール・バルーがこの世に生を享けたのは、1934年2月19日。パリに近いルヴァロワに生まれたが、両親は、トルコのコンスタンチノープルから移り住んでいた。移動した者の子であり、旅を宿命づけられた子であったと見ることができよう。そのピエールが自ら欲して行う旅は、14歳のころから始まったと聞く。
「少年時代、私の散歩の始まりの頃、道路の両側で交互にヒッチハイクをしていた。北に行ったり南に行ったり、西に東に…水に浮かんだコルク栓と同じ」
 CD『ITCHI GO ITCHI E』の解説で、彼はこのように語っている。散歩といい旅という、その行為。欠かせなかったのは、一丁のギターだった。心の赴くままにギターを弾き、歌い、詩を書いた。詩は−−、少年時代に観た映画『悪魔が夜来る』(“LES VISITEURS DU SOIR”)に影響されて志した。マルセル・カルネの監督作品であり、脚本には、フランスの20世紀を代表する詩人、ジャック・プレヴェールが参加している。『悪魔が夜来る』の何が、どこが、少年ピエールの心を動かしたのか。興味は尽きない。
 青年時代、フランス代表に選ばれるほどバレーボールに打ちこんだピエールは、音楽に加えてスポーツを介し、見知らぬ人との出逢いを持てた。同じく『ITCHI GO ITCHI E』の解説より拾ってみる。
「リスボン1959年、独裁政権サラザール。ブルージンにギターをかかえた私は実にうさんくさい存在であったが、どんな政権でも地下のルートはあるものだ。タージ河のむこうの漁村にとめてもらいバレーボールを通して友達を作った私は時々リスボンのイタリアレストラン『ソレント』で歌を歌った。その頃ベロアルト近くのあるキャバレーでシブーカを発見しとりこになった。彼こそが当時まったく知られてなかったブラジル音楽の豊かなメロディとハーモニーそして詩の内容を教えてくれた人だ。ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライスそして後にバーデン・パウエル等の貴公子達に会わせてくれたのもシブーカだ」
 さらにこんな言葉も−−。
「人は一生たったひとつの核のまわりに人生を築いてゆく。私の場合は初めて歌を作った15才の時から『むこう岸』(未知のもの)への憧れがマクニールやブリジット・フォンテーヌ、ピエール・アケンダンゲらに扉をひらかせ、テアトル・アレフと芝居をやらせ、映画や歌を作らせてきた。そうやって私の出会った素晴らしいものや人の証言者になりたいのだ」
 1966年にはクロード・ルルーシュ監督の『男と女』(“UN HOMME ET UNE FEMME”)に出演し、『サンバ・サラヴァ』を歌った。カンヌ映画祭でグランプリを、アカデミー賞では外国語映画賞を獲得するなどしたこの映画によって、ピエール・バルーの名と才能は世界に知られる。しかし、ピエールは映画スターとしての可能性をあっさり捨てた。映画産業という共同体社会に見切りをつけ、サラヴァ・レーベルを創設し、未知の表現者との出逢いを求める。もったいないことかもしれないし、残念なことかもしれないが、ピエールの思い切りを私は支持したい。
『男と女』を観る人は、ピエールの存在感があまりにも異質であることに気づくだろう。彼の出演場面のみ空気間が違っている。演技や台詞回しで他の俳優と斬り結ぶわけではなく、過剰な自己主張を画面にほとばしらせるでもなく、ピエール・バルーはピエール・バルーとして存在している。実際に逢った印象と寸分違わぬピエールが『男と女』に現われるので、かえって驚いてしまうほどだ。
 彼は映画俳優か? ノン。彼は歌い手か? ノン。彼はピール・バルーである。自分を一つの場所、一つの姿にとどめない。それもまた旅人としての生き方だ、旅人は共同体では−−、そう、生きられない。

2012年1月6日金曜日

トロッタ15通信.34

昨日、音楽製作者のTさんから年賀メールがありました。フランスのサラヴァ・レーベルのCDを、日本で発売することになったそうです。Tさんはかつて、レコード会社のオーマガトキに所属しておられましたが、お辞めになって、その後はどうされているのか、私は存じ上げないままでした。
 年賀メールによると、今はヤマハミュージックアンドビジュアルズに属しておられるようです。そのTさんがサラヴァのCDを出すというのですから、サラヴァのCDはつまり、ヤマハから出る、ということでしょうか。そして、このヤマハミュージックアンドビジュアルズの住所が、トロッタ9の会場だった、ヤマハエレクトーンシティ渋谷と同じなのです。やはり、サラヴァのCDはヤマハから発売されると考えて間違いないようです。
 Tさんは、オーマガトキでもサラヴァを担当しておられました。新たな職場でもサラヴァに関わります。サラヴァに対する、相当の思いがあると受けとめました。そのTさんに、かつて原稿を依頼されたことがあります。サラヴァの主宰者、詩人で歌手のピエール・バルーが撮ったドキュメンタリー映画『SARAVAH』の解説です。ボサノヴァを弾いたギタリスト、石井康史さんが亡くなったことを思い続けるうち、ブラジル音楽の神髄に触れようとしたこの映像作品に、思いは自然に至りました。2006年以来、谷中ボッサで「ボッサ/声と音の会」を行っています。トロッタ以前のスタートですが、その第一回ゲストが、ピエール・バルーでした。DVDを開けて自分の原稿を取り出すと、2003年の執筆になっています。もうすぐ10年になろうとする古さです。しかし、昨日書いたような気がしています。音楽の出発点は人それぞれです。私の音楽への思いは、このピエール・バルーの姿、個人ではなくてもピエール・バルーのような人の姿(それは古来の吟遊詩人といってもいい)に重ねられます。書くことはまだ多いのですが、DVDの解説文「拒まれたピリオド。ピエール・バルーの詩と人生」を改めてここに書き、原点を振り返ります。これは、石井康史さん追悼のための準備でもあります。

〈第1回〉
あなたは−−と、他人に指を向ける前に、まず自分に問うてみる。“私は旅を必要としているのか? 旅を求めているのか?”と。
 空間移動としての旅なら。必ずしも私には必要ない。たった今いる東京を、仮に一生離れなくても苦痛を感じないだろうという予感がある。もちろん、現実の自分に満足できなくて、さまざまな事柄に思いを馳せる想念としての旅ならば、それは私にも必要だ。心の旅、精神の旅なしではたちまち窒息してしまう。
 しかし世の中には、点から点へ、線を伝って線へと、空間を移動しなくてはどうにもいられない人がいる。その過程で彼や彼女も、心の旅路をたどるのだろう。ピエール・バルーとはまさしく、そのような生来の旅人、生きていることそれ自体を旅に喩えるのはふさわしい人物だと映る。
 DVD『サラヴァ』の副題は、「時空を越えた散歩、または出逢い」。映像作品に与えられた題名だが、これはピエール・バルーその人をも表わしている。彼は時空を超えた散歩者であり、その結果としての出逢いを求め、受けとめている人間だ。
『サラヴァ』には、長短の別がある四つの作品が収められている。「1969 Rio de Janeiro」を始めとする、「2003 Tokyo」「1996 Rio de Janeiro」「1998 la suite…」。
 もともは1969年の一作だけだったのが、今や四作を合わせて全体となった。見れば、最新作が二番目に配され、第二作が三番目に配されるなどの並べ替えがある。その上で、四番目の作は“つづく…”と題された。
 製作年で区別するが、「1969」に登場したバーデン・パウエルの息子二人、ルイ・マルセルとフィリップが「2003」に登場し、「1969」では出逢えなかった音楽家アダン・グザレバラダが「1996」に現われ、そのアダン作曲の『アラウルン』を「1998」ではビーアが歌う。
 バーデンを始め、ピシンギーニャやジョアン・ダ・バイアーナは既に亡い。しかし40数年前、ピエールをブラジル音楽に巡り合わせたシブーカの姿を、私たちは観ることができる。マリア・ベターニアとパウリーニョ・ダ・ヴィオラはいまだ若く、その一方でアダンは貧民街から教会の施療院へと身を移し、したたかに音楽を創り続けている。そして、そうしたことの一切に立ち会い、観る私たちに語りかけるのはピエール・バルー。人と人、街と街、国と国、さらに時間と時間を結ぶ、音楽というものの力、不思議さを実感する。
「1998」が「1969」に還ってゆくととらえてもいいし、「1998」から伸びる線上に、まだ創られぬ何かがあるととらえるのもいい。それはもしかすると映像の形をとらず、詩として現われるかもしれず、『ラスト・チャンス・キャバレー』のように音楽劇の姿をまとうかもしれない。全体が円環する場合でも、環の途中に未来の作品が挿しはさまれていくだろう。いずれにせよ『サラヴァ』の世界は永遠に終わらない、終わらせないというピエールの意志を見る。旅人の態度である。旅とは何かを知っている者の態度である。(つづく)

トロッタ15通信.33

ここ数日、新しい原稿を書いているので、ブログの更新が滞っていました。それとは別のことも考えています。以下は、昨年末に発行した「詩の通信VI」第11号の文面です。

*

《後記》十二月十七日(土)、ギタリストの石井康史さんが亡くなられました。五十二歳でした。南米文学の研究者で、慶應義塾大学で教鞭をとられていましたが、私は二〇〇六年六月四日(日)、第二回「ボッサ 声と音の会」での共演を記憶します。ゲストの細川周平さんのご紹介で、打楽器の内藤修央さんと共に石井さんが出演されました。脳腫瘍で倒れ、半身がご不自由になり、ギターも弾けなくなりましたが、リハビリにつとめ、いったんは教壇に復帰なさいました。十月の第一週までは授業も行なっていたということです(情報を総合すると、一進一退だったのだろうと想像します)。訃報に接してすぐに思ったのは、追悼詩を書きたいということでした。最近、心にとどめている萩原朔太郎の詩に『ぎたる弾くひと』があるので、それに触発される形で『ギター弾く人』を書きました。それが今号の詩です。石井さんがなされた、南米文学の成果は残念ながら存じ上げません。日本語訳が近年に出た、ロベルト・ボラーニョの作品についてお話しをしたことがあり、(原文で読める方に対しておかしな話ですが、病中の石井さんに求められたので)ボラーニョの作品集『通話』を、お見舞いに持参しました。私にとって石井さんはまず、ギタリストでした。ギターを弾く人として私の前に現われ、去って行きました。お別れの会の祭壇にギターが立てられていたことにも、ギタリスト、石井康史の面目は窺われました。石井さんとの共演はわずか一回なので、そんな私が追悼の演奏会などは開けません。せめて詩を書くことで、故人を偲びたいと思いました。石井康史さん、安らかに。もう存分に、ギターを弾けるでしょう。次号第十二号は、二〇一二年一月九日(月)発行予定です。 二〇一一年十二月二十八日(水)

*

 私が石井康史さんと共演したのは、ただ一回です。例えば打楽器の内藤修央さんのように、石井さんと共演した音楽家はたくさんいます。そうした彼らによって、石井さんを偲ぶ演奏会が開かれることでしょう。しかし私も、私なりの会を開きたいと思います。会とはいわなくても、何らかの会で、一曲でも石井さんを偲ぶ曲を演奏したいと思います。
 上記の『ギター弾く人』は、すでに田中修一さんによって楽曲化され、年末に届きました(12月28日発送、31日着)。この曲を中心にすることで、石井さんと共演した思い出の場所、谷中ボッサで会を開きたいと思うのです。思えばトロッタ1では、田中修一さんと酒井健吉さんによって、伊福部先生追悼作品が2曲、発表されました。音楽の会は人の魂に触れる機会です。石井康史さんの魂に、触れたいと思っています。

2012年1月3日火曜日

トロッタ15通信.32

インターネット上のコミュニティサイトを整理する。twitter、facebookなどは、宣伝に役立つから活用すべきだという意見が多い。実際にそうかもしれないし、そうなのだろう。トロッタの集客に実効性はなくても、少なくともひとりでも多くの人に、トロッタの存在を知ってもらう点では有効だ。それは認めたとしても、所詮は他人が作ったものだという事実は否定できない。まさか同様のコミュニティを作る力はないが、他人の都合には、できるだけ左右されたくない。だから、サイト作りには、すべてではないが、HTMLを自分で書いてきた。初歩的なものである。恥ずかしくもあるが、自分の力で、できるだけのことをしている自負はある。まず発信するものとして、インターネットを使ったトロッタ独自のメディアを作れないか。難しいとわかっていながら、そう思っている。

2012年1月1日日曜日

トロッタ15通信.31

2012年が始まりました。大晦日、トロッタのサイトに、4月12日(火)の「北海道新聞」に掲載された「詩と音楽の力 伊福部昭と更科源蔵」の画像を掲載しました。伊福部先生と更科氏について考えることは、トロッタの原点のひとつだと思います。自分の原稿ですが、何度でも読み返したい思いです。

2011年12月31日土曜日

トロッタ15通信.30

トロッタ15での演奏予定曲を作曲の皆さんに送った。これで調整してゆく。
萩原朔太郎に関係する田中修一さんのことを、ここしばらく書いている。田中さんからは昨日、石井康史さんの追悼詩『ギター弾く人』を楽曲化した楽譜が届いた。こうしたことは、個人の名前を出しているが、それにとどまるものではない。トロッタがテーマにする、詩と音楽についての話である。今年の4月12日(火)、「北海道新聞」に「詩と音楽の力」と題する、伊福部昭・更科源蔵両氏に関する文章を寄せた。それと同じである。

2011年12月30日金曜日

トロッタ15通信.30

昨日は、ほぼ一日をかけて、「ギターの友」次号に掲載する連載記事、「ギターとランプ」の最新記事を書いていた。夜になって完成し、送稿。締め切りはまだ先の来年1月20日だが、書きたくなったのである。内容は、萩原朔太郎の詩による歌を発表してきた田中修一について語りつつ、田中氏の考えを紹介するというもの。朔太郎の生地である群馬県前橋市にも行きたいが、なかなかそうはいかない。

トロッタの皆さんに、一年のお礼メールを送ろうと朝から考えていたが、できなかった。結局、一夜が開けたさっき、送信。一日にいくつものことができなくなってきた。早稲田奉仕園スコットホールが忘れ物を預かってくれており、ずっと、取りに行かなければと思いながらできず、やっと昨日行ったものの、すでに年末の休みに入っていた。ちぐはぐだ。近くの穴八幡神社が、年末に決まって行う冬至祭で賑わっていた。懐かしい。

2011年12月26日月曜日

トロッタ15通信.29

ギタリスト、石井康史さんの葬儀に参列。打楽器の内藤修央さん、音楽学の細川周平さんに会う。このおふたりと石井さんが、ボッサでの共演者だった。2006年のこと。石井さんの追悼演奏会をと思ったが、私などより、彼の追悼会を開くにふさわしい人はおおぜいいる。架空の追悼演奏会を、詩にしよう。

2011年12月23日金曜日

トロッタ15通信.28

思い切ってiPadを購入しました。これでブログやtwitterの更新をスムーズにできればと思います(この時点では文字入力に馴れていないので数行しか書けません)。
今夜は、上野雄次さんも出演する会に出かけました。池ノ上駅に近い現代HEIGHTSにて、上野雄次(はないけ)×吉本由美子(ギター)×坂本宰(影)によるパフォーマンスでした。

2011年12月21日水曜日

トロッタ15通信.27

ここしばらく、滞っていました。まとめて書きます。

■YouTubeへのアップを、断片的に継続。新しくアップした曲は、以下のとおり。

酒井健吉さん作曲『唄う』(トロッタ2より)
田中修一さん作曲『ヴァイオリンとピアノのためのエグログ』(トロッタ2より)

たった今も、アップのための作業を行っています。
12月18日(月)、トロッタのサイトに、「記録映像」のページを新設しました。そこに挙げられた曲名から、直接、YouTubeの動画にリンクさせました。過去を振り返ると、いろいろと思うことがあります。できるだけ、曲数を増やしたいと思います。

■昨日12月19日(月)、慶応義塾大学の教授の石井康史さんがお亡くなりになりました。石井さんは、私が初めて共演したギタリストでした。トロッタに出演された打楽器奏者、内藤修央さんのお友達でもあります。ショックでした。その知らせは外で受けたのですが、帰宅すると、大家さんが亡くなっていました。老衰です。こちらもショックでした。阿佐ケ谷の住まいで、お世話になりました。今年は身近に感じる人がたくさん亡くなっており、そのことを考えない日はないのに、一日に二人も周囲の方が亡くなるとはと、心が乱れました(大家さんのお通夜は20日、石井さんのお別れ会は25日)。

■12月16日(金)、柳珠里さんが出演された、「年の瀬&クリスマスコンサート」を聴きに、練馬文化センター小ホールに出かけました。I部が「日本の四季を歌う」、II部が「クリスマスにちなんで」。柳さんは、独唱としてはI部で『からたちの花』を歌いました。II部ではアンドルー・ロイド・ウェッバー作曲『ピエ・イェズ』をお歌いでしたが、私は体調が悪くなり、I部のみで失礼しました。それでも約20曲の歌を聴き、考えることがいろいろとありました。

■12月17日(土)、3号も滞っていた「詩の通信VI」を発行しました。情けないことですが、目下、購読者は3名です。それもありがたいことだと思います。完全有料制にしたことが原因か。それとも詩がつまらないことが原因か。両方でしょうし、他にも理由があるかもしれません。《後記》3号分をまとめてご覧ください。もし、このブログをご覧になった方で、一号でも読みたいとお思いの方は、ご連絡ください。

【8号】トロッタ14が終了しました。お運びいただいたお客様には、感謝の気持ちでいっぱいです。メシアンの『世の終わりへの四重奏曲』を、詩唱を入れて演奏しました。クラリネット藤本彩花さん、ヴァイオリン戸塚ふみ代さん、チェロ香月圭佑さん、ピアノ森川あづささん、詩唱は中川博正さんでした。演奏されたのは第三楽章の抜粋と、一、四、七の各楽章です。中川さんには、メシアンかもしれない男、曲の初演に立ち会っている男、今は生きていないかもしれない男、死んで鳥になっている男、それらすべての性格を合わせ持った人物を演じていただきました。いつの日にか、全楽章を演奏する前提で、この〈『世の終わりへの四重奏曲』の記憶〉を取り上げたいと思います。音楽家は誰でもそうですが、メシアンは特に、どんな状況にあっても音楽を生きた人物に映ります。作った音楽だけでなく、鳥の声を通じて自然にある音楽にも心を傾けました。彼にとっての音楽は、自然にあるものなのでしょう。鳥の音楽も自然にあるものです。私にとってはどうだろうと思います。トロッタの〈『世の終わりへの四重奏曲』の記憶〉は、自然にある音楽を考える、私なりの試みの第一歩でした。雑誌「ギターの友」のため、田中修一氏と彼の曲『遺傳』について書き、そこで、『遺傳』の詩を書いた萩原朔太郎に触れました。朔太郎も音楽を愛し、マンドリンやギターを弾きました。マンドリン倶楽部を結成したり、作品が何か、今はわかりませんがオーケストラ伴奏で詩を詠んだりしていたようです。世田谷文学館の生誕一二五年展には、燕の姿を螺鈿細工したギターが展示され、示唆に富むものでした。生地の前橋に、いつか行ければと思います。次号第九号は、十号と同時発行されます。二〇一一年十二月十七日(土)

【9号】二年がかりで書いた二冊分の原稿が当面は没となり、それに代わる原稿を考えています。十年前、ある小説を書きました。それは近未来のインターネットカフェを舞台にした小説です。わけあって公開されませんでしたが、四百字詰め原稿用紙にして三百数十枚を完成させていたのです。それを見つめ直します。今の私の心境を反映させたものにします。元気いっぱいで、つまり無反省で、自分のことだけを考えればよかった、つまり他人の痛みを思いやれずにいたころは否定すらしていた、癒しの物語でありたいと思います。私自身、癒されたいし、癒しが必要です(ただ、癒しではなく他の言葉に言い換えられないか考えています。言葉自体には責任がなくても、癒しという言葉を商いに利用する人々がいることに不信感を持つので)。シンプルであること、余分なものができる限りないこと、コンピュータが世界と結びつく手段であること、そのために作られた空間がある、そのようなことを書こうと思います。つい先頃亡くなった、アップルの創業者、スティーヴ・ジョブズについて、書評を書くなどする過程で考えることがありました。ずっと以前から彼については考えていました。私は彼の礼賛者ではありません。しかし、彼を通してコンピュータとその文化について考えてきました。小説の題名は、旧来のとおりなら『電脳喫茶養生記』となります。「トロッタの会」も、コンピュータと無縁ではありません。強い勧めがあり、トロッタの演奏風景をYouTubeにアップし始めています。まだ数は少ないのですが、ご興味のある方は検索してご覧ください(その後、これまでに演奏した約半数にあたる約五十曲をアップできました)。今号は、次号第十号と同時発行されます。二〇一一年十二月十七日(土)

【10号】《後記》様々な理由がありますが、三号を同時にお送りする有り様です。申し訳ありません。「ぎたる弾く、ぎたる弾く、ひとりしおもへば、たそがれは音なくあゆみ、石造の都会、またその上を走る汽車、電車のたぐひ、それら音なくして過ぎゆくごとし、わが愛のごときも永遠の歩行をやめず、ゆくもかへるも、やさしくなみだにうるみ、ひとびとの瞳は街路にとぢらる。」萩原朔太郎『ぎたる弾くひと』の前半です。世田谷文学館の萩原朔太郎展を訪れ、朔太郎が詩と音楽について深い関心を抱いていたことを知りました。「作曲者以外に歌詞を作ることの出来るものはない筈である」「文学としての詩は、その中に音楽の所有する二部要素、即ち『歌詞』と『旋律』とを総合的に持たねばならない」(いずれも「詩と音楽の関係」より)というような考えを持っていたことも知りました。私は前者に不同意、後者に同意です。彼が音楽の挫折者であったことも知りました。挫折者であったとは、行為する人であった証拠です。レコードだけ聴く人に挫折はありません。このような彼を研究しようとは思いません。彼の考えに正解不正解はないはずです。トロッタの活動にも結論は出ていません。むしろ、出すまい、必要ないと思っています。答えが出ているなら活動しなくてよく、答えなど求めない本能的活動こそしたいと思うからです。私が答えを出しても、見方を変えれば別の答えが出るはずで、それはきりがないことです。朔太郎も、本能の人であったようです。更科源蔵と伊福部昭先生のような、詩人と作曲者の関係を、朔太郎は持ちませんでした。身近に作曲者がいたら彼はどう考え、どう行動したでしょうか。次号第十一号は、二〇一一年十二月二十六日(月)発行予定です。二〇一一年十二月十七日(土)

■12月18日(日)、神奈川邦楽合奏団 第3回定期演奏会にて、田中修一氏の『ダンツァ・ブルレスカ』が演奏され、田中氏自ら指揮をされました。横浜みなとみらい小ホールに、私もうかがいました。この日もいろいろと考えることがありました。トロッタの会を通して、私自身もその中に身を置いているわけですが、一曲一曲を完成させて人前に披露することの意味。それはとりもなおさず、人生を刻んでいることに他なりません。トロッタも14回を終えて15回目に向かっています。記憶の濃淡はありますが、それでも起こったことはすべて覚えています。YouTubeのための作業を通じて、振り返ることも多く、2007年以来のトロッタの歩みを、じっくり考えてみたいと思っています(前はトロッタの原稿を書く、という考えを抱きました。まだ、捨てていません)。

2011年12月18日日曜日

トロッタ15通信.26

酒井健吉さんの『concerto da camera』をYouTubeにアップした。
サイトとブログにファビコンを設置。手間取る。試行錯誤。

2011年12月12日月曜日

トロッタ15通信.25

久しぶりのYouTubeアップ。トロッタ12で演奏した、『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』。昨夜、字幕付きにしたメシアンがアップできなかったので、ヘンリー八世に字幕をつけてみた。

2011年12月11日日曜日

トロッタ15通信.24(12.9分)

新たにYouTubeにアップしたもの。ペースが落ちているが、少しずつ数を増やしていきたい。

田中修一さん作曲『立つ鳥は』(初演版)
橘川琢さん作曲『冷たいくちづけ』
田中修一さん作曲『牧嘯歌』
酒井健吉さん作曲『天の川』
清道洋一さん作曲『椅子のない映画館』
宮﨑文香さん作曲『ほたる』

ある方に、メールを送る。その要点。

関心は、詩が音楽になる過程にある。
いっそ歌になってしまっていては、それはそれでいいのですが、当たり前の話であり、
その過程にある、詩人と作曲者の思いを、トロッタの私は大事にしたい。
音楽を、詩を朗読するための適当な、雰囲気作りのBGMにはしたくない。
音楽作品として、詩がきちんと五線紙に記されているものにしたい、
いつでも再現でき、そのたびに創作できる、再創造できるものにしたい。
いい加減という意味ではない、すばらしいBGM、すばらしく適当な詩と音楽の関係もあるだろうが、
それは私の道ではない。
問題もある。朗読、詩唱には音程がなく、他の楽器の音とずれてしまっても、何となく聴けてしまう。
これは歌と違った安易さで、それは拒みたい。朗読、詩唱の技術レベルを上げたい。
詩人が何となく読めば何となく雰囲気で聴けてしまうという事態は避けなければ。
これは私自身が、実践を通じて体系化していくしかないだろう。

2011年12月9日金曜日

トロッタ15通信.23

三木稔氏が亡くなられた。私自身は、作品にしか接したことがない。しかし、氏と関わりのあった人々が周囲にいる。弔意を表したい(思うことはいろいろあるが、知らない身で勝手をいうのは控える。今は、ひとりの作曲家が亡くなられた事実に対し、弔意を表したい)。

2011年12月8日木曜日

トロッタ15通信.22(12.7分)

YouTubeのアップ作業など、停滞している。それでも、関係者に連絡しないままの動画が6つ。作業自体は、少しずつでも進めている。

2011年12月6日火曜日

トロッタ15通信.21

徳島から上京してきた小西昌幸氏と会う。昨日開催された、野坂操寿さんの演奏会のために来られた。伊福部先生の『琵琶行』も演奏された。まったく知らずにいた。
田中修一氏について書いた「ギターの友」最新号が届く。次号では、田中氏について書きながら、萩原朔太郎とギターの関わりを紹介できればと思う。

トロッタ15通信.20(12.5分)

12月5日は、以下をアップ。
橘川琢作曲『うつろい 花の姿』
酒井健吉作曲『トロッタで見た夢』
田中修一作曲『立つ鳥は』
ここ数日の作業を経て、いろいろと考えることがあった。少なくとも、こうした過去の上に、現在はあるという実感。

2011年12月4日日曜日

トロッタ15通信.19

ひたすらYouTubeへのアップを続ける。
田中隆司作曲『捨てたうた』
今井重幸作曲『時は静かに過ぎる』
清道洋一作曲『いのち』
清道洋一作曲『主題と変奏、或いはBGMのための変奏曲』
山本和智作曲『齟齬』
清道洋一作曲『蛇』
甲田潤作曲『縁山(えんざん)流声明と絃楽合奏のための「四智讃」』
大谷歩作曲『アルバ/理想の海』
今井重幸作曲『ピアノと弦楽四重奏のための「仮面の舞」』
甲田潤作曲『嗟嘆』
田中修一作曲『こころ』
橘川琢作曲『花の記憶』
今日はここまで。

2011年12月3日土曜日

トロッタ15通信.18

YouTubeへのアップを続ける。伊福部昭『知床半島の漁夫の歌』、橘川琢『花骸 -はなむくろ-』『死の花』、長谷部二郎『人形の夜』、酒井健吉『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』、アレハンドロ・バルレッタ『Cinco preludios cosmics』、田中修一『雨の午後/蜚』をアップ。他にも続行中。

2011年12月2日金曜日

トロッタ15通信.17

昼間はできなかったが、夜はひたすらYouTubeへのアップを続けている。こればかりになってきた。
伊福部昭『蒼鷺』、伊福部昭『ギリヤーク族の古き吟唱歌』、伊福部昭『摩周湖』、田中修一『ムーヴメントNo.1(編作版)』、田中修一『ムーヴメントNo.2』を完了。ただいま、DVDからの読み込みを行っている。

2011年12月1日木曜日

トロッタ15通信.16

昼間はYouTubeの作業ができなかったので、夜になって作業。トロッタ12で初演された堀井友徳さんの『北方譚詩 第一番』。続いて、トロッタ13の白眉であった、戸塚ふみ代さんヴァイオリン独奏、目等貴士さん打楽器、徳田絵里子さんピアノによる、伊福部昭作曲・今井重幸編曲『協奏風狂詩曲』を、第一楽章と第二楽章に分けてアップしている(完了)。

2011年11月30日水曜日

トロッタ15通信.15

ヴィヴァルディの『四季』を題材にした小説の書評を書く。各楽章ごとにソネットが添えられていたと知って、興味を新たにする。この書評を書くのに、一日の大半を費やす。
YouTubeへのアップ。今井重幸先生の『対話と変容』(ガルシア・ロルカと共に)、橘川琢さん『祝いの花』、清道洋一さん『恋の歌』。

2011年11月29日火曜日

トロッタ15通信.14

どういうわけか仕事がたてこみ、昨日など午前中の締切を完全に失念していましたが、YouTubeのアップは続けています。清道洋一氏の、トロッタ13初演曲『イリュージョン illusion』をアップ、さらに、少しさかのぼってトロッタ7の初演曲『ナホトカ音楽院』を前後半に分けてアップ中です(終了)。
続いて、橘川琢氏作曲の、やはりトロッタ13初演曲『都市の肖像』第四集《首都彷徨 硝子(ガラス)の祈り》を、こちらも前後半に分けてアップ中です(終了)。

2011年11月28日月曜日

トロッタ15通信.13

今井重幸先生にYouTubeへのアップをお願いして、トロッタ13の『叙事詩断章・草迷宮』、トロッタ12の『シギリヤ・ヒターナ』をアップ。ただいま、トロッタ11の『神々の履歴書』を作業中(終了)。
もっと早くからYouTubeを使えばよかったと思う。強く、萩野谷英成さんに背中を押してもらってよかった。Facebookなどもよりよく活用したい。もちろん、これは記録であり告知なので、整備した後は先に進まなければならない。

2011年11月27日日曜日

トロッタ15通信.12

朝は、トロッタ14で初演した、田中修一氏「ムーヴメントNo.5」をYouTubeにアップした。YouTubeの制限時間は10分だが、田中氏の曲はこれを超えていたので、いろいろと手続きがあった。
ここ数日、YouTubeへのアップロードを進めていた。その間に、「トロッタ通信」の作成がストップ。これはこれで実施したいので、また作業に戻ろうと思う。トロッタ14のプログラムに、トロッタ初期の覚え書きを載せた。これが、ほぼ1年前に書いた「トロッタ通信」の書き出しである。これを、きちんと形にしたい。

2011年11月26日土曜日

トロッタ15通信.13

今日もYouTubeへのアップを続ける。本日までに、『たびだち 北の町』『北方譚詩 第二集』『蝶の記憶』『めぐりあい -春-』『ムーヴメントNo.3』『ムーヴメント MOVEMENT an extra』『虹』『花の森』がアップされた(10分以上の曲もアップできるはずだが、その手続きがうまくいかない)。
世田谷文学館で開催中の萩原朔太郎展にて、本日、鈴木大介氏のギターと高柳未来さんのマンドリンで、朔太郎ゆかりの曲の演奏会があった。昨日同様、始めから聴けず、おしまいの方だけ聴く。雰囲気にひたった、というだけ。
身の周りを整理すること。そしてトロッタ15に心を向けてゆくこと。向いているのだが、より具体的に。

2011年11月25日金曜日

トロッタ15通信.12

一昨日来の動画作成作業で、古いMacが2台、使用できなくなる。それらにつないでいた外付けHDも駄目になった。もともと、古かったし、動作が変だったので、こうなっても当然といえば当然。しかし、住所録がすべて消えてしまったり、古いソフトは使えなくなるなどの問題が発生したので、古いMacを買うことにした。秋葉原にて、MacBook Proの2008年後期モデルを2年月賦で購入。無理に結びつけることはないが、これもトロッタを進行させてゆくために必要なこと。
作曲グループ〈蒼〉の第29回演奏会を聴きに、旧奏楽堂へ。ところがMac騒動が尾を引いて仕事が終わらず、たどりついたら前半が終わったところ。トロッタ15に出品の田中隆司、清道洋一両氏の曲を聴けず。今井重幸先生を始め、橘川琢、宮﨑文香の各氏と簡単な打ち合わせができた。

2011年11月24日木曜日

トロッタ15通信.11

今井重幸先生をお訪ねして、トロッタ15の出品曲を相談させていただきました。先生にとって、若い時分の、忘れられない曲への記憶をテーマにした作品です。そして、ロルカのカンシオネス「スペインの歌」第3回の依頼。
昨夜、Youtubeに3曲をアップしたことを機に、これまで演奏した曲の動画を整理しています。ところが、作業に必要なMacintoshの容量が不足しているなどの理由で、なかなかはかどりません。これもトロッタにとって必要なことだと思いますし、嫌なことではないので、むしろスムーズにできるようになりたいのですが、馴れないこととて、焦りが先に立ちます。
明日、作曲グループ〈蒼〉で配ろうと思っていたフリーペーパーの「トロッタ通信」は、おそらく、できないだろうと思います。第一、そこに載せたい、清道さんの曲が決まったという情報が載せられません。書き上げた詩が、都合により使えなくなったことも大きな原因です。詩くらい、さっさと書きたいところですが、実際には、詩はすぐに書けません。文字の少なさからは考えられないくらい、時間がかかります。

2011年11月23日水曜日

トロッタ15通信.10

今日は初の試みとして、Youtubeに動画をアップしてみました。手始めに、トロッタ13の「たびだち・鳥の歌」。そして堀井友徳さんの、トロッタ13「北方譚詩 第二集」と、トロッタ14「蝶の記憶」です。すでにアップしたものも、手直しできるところはしていきます。いささか時間がかかるのが、予想外でした。この作業はしばらく継続させます。新たな宣伝方法になればと思います。

2011年11月22日火曜日

トロッタ15通信.9

フリーペーパーとして配る「トロッタ15通信」を作っていました。AdobeのIllustratorがあればスムーズに行くのにと思いながら、ワープロソフトでだましだまし、作っています。できれば、23日(金)に、旧東京音楽学校奏楽堂で開催される、作曲家グループ「蒼」で、チラシとして配りたいと思っています。トロッタ15に曲を出される、田中隆司さんと清道洋一さんの曲が演奏されます。しかし、作曲家全員の曲の詳細は確定しておらず、ということは出演者も決まっていないので、告知しづらい要素が多いのです。柳珠里さん出演の演奏会が29日(火)にあり、柳さんもトロッタ15の出演がほぼ決定しているものの、何を歌っていただけるのか、最終的に決まっていません(ほぼ決まっていますが)。それだけに、柳さんの演奏会では配りにくい状況です。しかし、明日になれば、柳さんの演奏会でも配れると、めどが立つかもしれません。何を書くか、何を書きたいのか。はっきりしないことを考えながら書いてゆくので、「通信」作りはなかなか進みません。結局、一日をかけて、全4ページの半分しかできませんでした。しかしこれも、演奏会を作ってゆく大切な過程です。

2011年11月21日月曜日

トロッタ15通信.8

夜、座・高円寺にて、トロッタ14のチラシを引き上げました。たくさん余っていて、悔しい思いです。これを何とか、できるだけなくなるよう、つまり配り切れるよう、努力したいと思います。

作曲家の方々に、未決でも提案された曲の構想をメモして送りました。これを調整して、演奏家への出演交渉をしたいと思います。

夜になって、「ギターの友」の長谷部二郎先生に、田中修一氏『遺傳』の楽譜を二種、お渡ししました。昨年12月、谷中ボッサで行った「隠岐のバラッド」のルポが載った号が、すでになくなっているというので驚きました。

2011年11月20日日曜日

トロッタ15通信.7

昨日書きました田中修一さんの原稿を確認するため、世田谷文学館で開催中の「生誕125周年 萩原朔太郎展」に出向きました。朔太郎のギターなど、音楽関係の資料もあり、刺激を受けました。朔太郎もまた、詩と音楽を身体に同居させていたものと見えました。いずれ、彼を顕彰している前橋文学館にも足を運びたいと思います。

館内から、トロッタ15関係の皆さんに連絡を取り、開催日の確認を行いました。第二候補まであげさせていただきました。できるだけ早く、日程を決めたいと思います。

青山のギャラリーKARANISで、本日が最終日の、造形作家・扇田克也さんと、花道家・上野雄次さんによる展覧会「扇田克也×上野雄次 展 日月花水木金土」を拝見。扇田さんに会うのは久しぶりです。トロッタ14の感想などをうかがいました。

そのまま雑司ヶ谷に移動し、上野雄次さんも参加している「いけばな雑司ヶ谷2011」を拝見。上野さんは、自動車の屋根に巨大なオブジェを乗せて東京中を走り回りました。その車は、トロッタ14の日、早稲田奉仕園の駐車場に停めてあったので見ました。実際に走るところは見ませんでしたが、さぞ壮観であったろうと思います。

2011年11月19日土曜日

トロッタ15通信.6

半日をかけて、「ギターの友」の連載「ギターとランプ」第10回の原稿を書いていました。田中修一さんの、『遺傳』について。2008年1月のトロッタ5でバリトン、ヴァイオリン、ピアノ版が、2010年12のボッサ6でバリトン、ギター版が演奏された曲です。「ギターとランプ」は、これまで今井重幸先生、清道洋一さん、ガルシア・ロルカ、そして田中修一さんと、トロッタ関係の作曲家について、書いてきました。田中さんは二度目の登場です(ちなみに、「ギターとランプ」では、「作曲対談」として、編集の長谷部二郎先生と清道洋一さんの対談が、連載形式で行われています)。
媒体の性格上、ギター曲について書いています。原稿を書けば、その曲について考えることになりますから、本当はこのような形で、トロッタで演奏されたどの曲についても書きたい思いです。
田中さんの原稿に書きましたが、思いがけず、12月10日(日)まで、世田谷文学館にて「生誕125周年 萩原朔太郎展」が行われています。朔太郎がマンドリンを好んだことは知っていましたが、彼はギターも弾いたそうで、展示会には朔太郎が所有した楽器が展示されているといいます。会期中には、ギタリストの鈴木大介氏も出演する演奏会が開かれるそうです。
朔太郎が、どのような形で、あるいはつもりで、音楽に向き合ったのか、興味があります。詩と音楽が、彼の中に同居していたということ。となると、トロッタに関わる私としては、関心を持たざるを得ません。「ギターとランプ」の原稿を完成させる意味合いもありますが、明日、世田谷文学館に足を運ぶつもりです。

2011年11月18日金曜日

トロッタ15通信.5

最終決定ではありませんが、トロッタ15の開催日を2012年5月15日(日)といたしました。予約もしました。よほどのことがない限り、この日程で臨みます。早稲田奉仕園の側に、来年からはホールの貸し出しが21時までとなる変更があるようです。終演時間はもちろん、開演時間、練習時間にも影響が出ます。綿密な打ち合わせが必要です。

トロッタ14の関係者に、やっとお礼のメールを送ることができました。もっと早く送りたかったのですが、たまった仕事を片づけるなどしているうちに、日が経ってしまいました。

2011年11月17日木曜日

トロッタ15通信.4

トロッタ15の第一候補日を、私の中では決め、まず作曲の皆さんに打診しています。トロッタ内部で早く決めなければ、ホールが予約できません。
開催日が決まりましたら、フリーペーパー版の「トロッタ15通信」を作って、何軒かの本屋さんに置いてもらおうと思います。10部ずつでもいいので、それが人の目にとまれば、継続した宣伝になると思います。希望者には郵送してもいいと思います。

トロッタ14では、時間が足りなくなって、アンコール曲の『たびだち・鳥の歌』を演奏できませんでした。最後の挨拶でも触れましたが、トロッタ15では、二回分を歌おうと思います。そのために、倍の演奏時間を確保します。アンコール曲という位置づけではありますが、トロッタ15は、『たびだち・鳥の歌』から始めます。

2011年11月16日水曜日

トロッタ15通信.3

早稲田奉仕園に行き、トロッタ15がいつ開催可能なのか、空き状況を調べました。結果、四月は無理と判明。早ければ四月の可能性があったのですが、これは無しになりました。五月はまだ何日か空いているので、おそらく五月開催です。遅くても六月の予定ですが、六月はまだ受け付けを始めていません。
作曲の方々に、五月開催の線で打診しました。それを経て、演奏の方々にも予定をうかがうことになります。今は少しでも早く決定して、準備に取りかかりたい思いです。

前に「トロッタ通信」として書いていた、トロッタについての文章を再開したいと思います。書き方として難しいのは、トロッタは現在進行形であること。表層ばかり追っていると、書いたことはたちまち古びてしまいます。古びないよう、一曲ができあがる過程に、トロッタの本質を見たいと思っています。

2011年11月15日火曜日

トロッタ15通信.2

作曲の皆さん全員に、トロッタ15の出品依頼を致しました。決定済みの方もおられます。何人かの方とは、直接、お話しを致しました。編成を決めて演奏者に出演を依頼し、スケジュールを調整して会場を確保、という段取りになります。私の詩を使っていただける方には、新作詩なら早く書かなければなりません。トロッタ14の反省をしながら、ということになります。早ければ4月、妥当な線で5月、遅くても6月に開催する予定です。
新曲の締切は、トロッタ14は本番の約6週間前でした。次回も同様と考え、準備はしておくものの、チラシ作成の最終段階はその時点からですので、締切以前に関係者のチラシがあるなどした場合、どうしても、配りきれない場合は出て来ます。チラシを配る、宣伝の機会を有効に使うため、前々回同様、仮チラシを作ろうと思います。あらゆるチャンスを有効に使ってゆくつもりです。

2011年11月14日月曜日

トロッタ15通信.1

トロッタ14が、昨日、無事に終了しました。
いささか詰めこみ過ぎでした。全体が長時間にわたり、最後に予定していたアンコール曲「たびだち・鳥の歌」をカットしましたのは、それ以外に原因がありません。その他の要因によるトラブルやアクシデントもありました。しかし、最後には、お客様から温かな拍手をちょうだいすることができました。ありがとうございます。
今回の反省点として、このブログや、トロッタのサイトなどを、まったく有効活用できなかったことがあげられます。チラシをホールやお店に置かせてもらったり、郵送で告知するなど以外の宣伝が、できませんでした。インターネット上の宣伝活動がどこまで有効なのかわかりませんが、すまいと思っているのではなく、したいと思っていますし、コンピュータ自体は好きなので、生かせなかったが心残りです。前に連載していました「トロッタ通信」は、なお書き続けたいと思っています。それはトロッタについて考え、書くと同時に、未知の読者への宣伝にもなるからです。
次回のトロッタ15は、いつ開催されるかわかりません。2012年の春から初夏にかけてだと思います。そのトロッタ15のための通信を、今日から始めようと思います。遅ればせながら、トロッタ14のサイトも、整理してまいります。

2011年10月18日火曜日

トロッタ14通信(24/10月18日分)

チラシを置かせていただいたお店。

14日
古書ほうろう(千駄木)30枚
古書信天翁(谷中)30枚
谷中ボッサ(谷中)30枚

15日
座・高円寺(高円寺/11月1日より)100枚
上野雄次氏のライヴ「花は人を幸せにできるのか?」にて50枚配布。
代官山 風土 cafe & bar 「山羊に聞く?」
 
16日
タワーレコード(池袋)20枚
HMV(池袋)20枚
タワーレコード(渋谷)20枚
タワーレコード(新宿)20枚

2011年10月14日金曜日

トロッタ14通信(23/10月13日分)

10月13日(木)23:14
 トロッタ14、一か月前である。チラシを配っている。演奏会が、チラシを配り、掲示することから始まるなら、まさにその第一歩を踏み出している。
昨日
フライング・ブックス(渋谷)20枚
百年(吉祥寺)20枚
よるのひるね(阿佐ヶ谷)20枚

本日
東京音大民族音楽研究所(雑司ヶ谷)20枚
古本大学(雑司ヶ谷)30枚
早稲田奉仕園(早稲田)10枚
古書 音羽館(西荻窪)20枚
奇聞屋(西荻窪)30枚
古書コンコ堂(阿佐ヶ谷)20枚

2011年10月9日日曜日

トロッタ14通信(22/10月9日分)

橘川琢氏の音楽作品個展、宮﨑文香さんの尺八+箏+ペインティングの会と、二日続きの演奏会が終わりました。後は11月13日(日)のトロッタ14に向けて準備を進めて行きます。

2011年9月14日水曜日

トロッタ14通信(21/9月14日分)

レッスン。目下、トロッタ14で歌うロルカの曲と、10月7日(金)の橘川琢個展で歌う『うつろい』を練習している。8月に行った『花とやもり』では、楽器こそなかったものの、音楽を含む朗読としての“詩唱”を心がけた。どこまで、音楽性を持たせることができたか。それは不明だが、トロッタ14にも生きると確信して行った。

2011年9月13日火曜日

トロッタ14通信(20/9月13日分)

トロッタ14本番の、2か月前である。デザイナーの小松史明さんによって、チラシデザインが作業されていいる。

トロッタ14通信(19/9月12日分)

トロッタ14、2か月前。
田中修一氏宅にて、「ギターの友」連載原稿のためのインタビュー。

2011年8月30日火曜日

トロッタ14通信(18/8月29日分)

8月26日(日)の本番『花とやもり』が終わったので、トロッタ14に向かう体勢を固めていきたい。新曲の締め切りは、9月30日(金)でお願いしている。毎回だが、できるだけ早く、宣伝などを進めて行きたい。
『花とやもり』は、舞踏、詩唱、花いけ、写真〈フォトグラム〉の共演だった。楽器がなく、私は声だけ。声に、音楽性を託していきたかった。トロッタで試みてきたことを、という思いがあった。終わったばかりなので、少しずつ反省していきたい。

9月19日(月・祝)には、今井重幸先生の新曲、カスタネット小協奏曲『ファンダンゴスに基づく協奏的変容』が初演される。東京プロムナード・フィルハーモニカーの第5回定期演奏会にて。会場は杉並公会堂 大ホール。

2011年8月11日木曜日

トロッタ14通信(17/8月11日分)

なかなか、ブログの更新が難しい。原稿が進まないから、というのは言い訳だろう。

昨日、宮﨑文香さんと打ち合わせ。10月8日(土)、宮﨑さん主催の会に出演する。宮﨑さんが、尺八と箏と詩唱のために曲を書く。その詩を選んだ。「虹」と「花の森」。これが、楽器編成は異なるものの、トロッタ14への出品曲になるという。

2011年8月9日火曜日

トロッタ14通信(16/8月8日分)

「詩の通信VI」の第一号を出さなければなりません。作業にかかりますが、なかなかはかどりません。一日の終わりになると、ぐったりしてしまいます。あれもこれも、しなければならないことがあり、結局、どれもできない、という悪循環の連続です。しかし、少しずつでも進めます。

2011年8月7日日曜日

トロッタ14通信(16/8月7日分)

ギターの長谷部二郎先生が編集しておられる「ギターの友」最新号が届きました。今号は、連載「ギターとランプ」の7回目として、『ロルカのカンシオネス スペインの歌』の後半を掲載しています。

2011年8月6日土曜日

トロッタ14通信(15/8月6日分)

ブリヂストン美術館で、没後100年「青木繁展 よみがえる神話と芸術」が行われている。久留米、京都と巡回してきたもので、東京は9月4日まで。酒井健吉氏の筆により、私の「青木繁に捧ぐ 海の幸」が、かつて楽曲化された。展覧会に足を運び、あの詩と曲を、また演奏できればいいと思う。

トロッタ14通信(14/8月5日分)

なかなか仕事がはかどらず。少なからず、藤岡氏の死は、心に影響を与えている。

2011年8月4日木曜日

トロッタ14通信(13b/8月4日分)

本日、雑誌「東京人」の最新9月号が届きました。60年代フォーク特集で、私もインタビュー記事を書きました。取材相手は南こうせつ氏です。フォーク特集ですし、私はトロッタで追究している、詩と音楽という観点で、原稿を書きました。私なりに、詩と音楽に関する考えを述べています。ご一読いただければ幸いです。

トロッタ14通信(13/8月4日分)

いろいろなことがあります。確かなこととして、記しておきます。
ここ2度ほど、トロッタの記録映像を担当していただいた、藤岡輝彦氏が亡くなられました。虚血性心不全ということです。7月29日のご逝去で、8月19日に来るべき、80歳のお誕生日を目前にしておられました。葬儀など一切を拒んでおられたので、ここに書くことも、あるいはご迷惑かもしれませんが、感謝をこめて記します。私とは、34年の交流がありました。トロッタには、第1回から欠かさず通ってくださいまして、最後はスタッフとして、記録映像をお願いしていました。お疲れさまでした。ありがとうございました。

2011年8月3日水曜日

トロッタ14通信(12/8月3日分)

「詩の通信V」最終号を、すべて送った。定期購読ではない人の分を、今日、発送。「詩の通信」の第I期を終えた後、紙上にとどまらない、実際に詩を披露する場として、トロッタを始めた。トロッタは、「詩の通信」から生まれたと、私の場合はいえる。他の関係者には関係のないことだが。

2011年8月2日火曜日

トロッタ14通信(11/8月2日分)

田中修一さんから連絡があり、トロッタ10で初演した田中氏の歌曲『蜚(ごきぶり)』のデータがほしいとのことでしたので、さっそく送信しました。合わせて初演された『午後の雨』も一緒に、です。私が赤羽佐東子さんと歌ったものです。今西香奈子さんのオーボエが非常な効果をあげていました。私も久しぶりで聴きました。いずれ再演できればと思います。

2011年8月1日月曜日

トロッタ14通信(10/8月1日分)

長く更新できませんでしたが、8月になったことを機に、少しでも書き続けていきたいと思います。
トロッタ14は、予定どおり、11月13日(日)、早稲田奉仕園スコットホール公演をめざして、準備を進めています。ほぼ曲も決定しており、作曲の皆さんは、作曲に励んでおられます。

今日は、8月21日(日)、すみだトリフォニーホール・大ホールで行われる、「すみだ区民音楽デー 2011」の練習がありました。私が詩を書きました、女声合唱とオーケストラによる交響合唱組曲「スェヘラザード」が、演奏されます。新聞の取材もあり、編曲・指揮の甲田潤氏に御連絡をいただいて、急遽、駆けつけました。ピアノ伴奏版は3月に演奏されましたが、オーケストラ版は、今回が初演となります。
取材では、詩と音楽の関係について、話をさせていただきました。答えのまだ見えていない、大事なテーマです。

2011年6月10日金曜日

トロッタ14通信(9/6月9日分)

時間がないので暫定的にだが、堀井友徳作曲『北方譚詩2』の、軽い動画を作ってみた。送れる方には送る。

トロッタ14通信(8/6月8日分)

トロッタ14に出られる方、出られない方の連絡が、ぽつりぽつりと入る。無理なものは無理と、あきらめるより仕方がない。

2011年6月7日火曜日

トロッタ14通信(7/6月7日分)

トロッタ14の作曲家全員と、今日までに話をした。できることと、できないことを含めて。
開催日が決定したので、その日に向けてすべてを具体化するよう努めることになる。

2011年6月6日月曜日

トロッタ14通信(6/6月6日分)

早稲田奉仕園に電話をし、トロッタ14を11月13日(日)とすることを決定。

この日は別の企画のため、昼から夕方にかけ、都内三か所の会場を回る。トロッタではないが、私が参加する企画で、上野雄次氏も出る。ひとつの大きな流れの中で考えることになるだろう。

2011年6月5日日曜日

トロッタ14通信(5/6月5日分)

朝から連絡を取り続け、14の日程を確実にしようと努める。夜になってやっと、作曲者、出演者へ一斉メールを送る。

トロッタ14通信(4/6月4日分)

部屋の片づけを進める。トロッタ13の名残を整理しなければならない。夜にほぼ終わる。実は12についても、まだ整理できているとはいえない。
今日はふたり、出演がほぼ決まったといっていい。13には出演しなかった方々。すべての曲の編成がまだ決まっていない。しかし、鍵になる曲があるので、その方の出演を優先的に考えざるを得ない。仮に出演できない方があったとしても、軽んじているわけでは決してない。これは自分に言い聞かせている。辛い判断をしなければいけない。

2011年6月3日金曜日

トロッタ14通信(3/6月3日分)

サイトなどを書き改めなければならない。
雑誌「東京人」に記事が載る。三省堂書店神田本店に関するもの。トロッタ13の準備で忙しい時に取材し、書いた。トロッタとは関係ないが、私には関係がある。神田本店ではコーナーを設けて売ってくれるというので、借りていた資料を返しがてら、見に行く。

メシアンの資料を探すが、すでに本屋には売っていなかった。出版社に問い合わせて、絶版ではないことがわかる。しかし直接注文できず、書店を通してほしいといわれ、断る。書店注文で一週間待つのは嫌だ。夜になって、Amazonで注文した。

トロッタではない別の企画のため、会場下見の希望を1日に出してあった。その返事があり、6日(月)でどうかということになる。関係者に連絡。これは、いつ実施するとも決まっていないもの。

トロッタ14通信(2/6月2日分)

原稿を書くための資料として、大きな買い物をする。金銭的には負担だが、書かなければならない。書いて原稿料を得なければ、生きていけないし、トロッタが開けない。
あっちへ行ったりこっちへ来たりという時間を過ごすが、次に行くために必要なこととはいえ、落ち着いていないのだろうか。混沌とした気分である。

私自身の企画による曲を、次回はふたつ、出す予定。ひとつは『ロルカのカンシオネス[スペインの歌]2』。ひとつは、メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』を題材にしたもの。構成したものになって全曲ではない。それを不足感なしに形にしたい。

昨日、録画データから一曲がない(つまり一曲録れていない)と思っていたが、本日、再確認して発見した。ほっとする。

2011年6月2日木曜日

トロッタ14通信(1/6月1日分)

まだ少しずつでしかないが、トロッタ14に向けて書き始める。
6月1日は、12月の半年前である。12月の早稲田奉仕園開催を想定しているので、申し込みに出かける。
しかし、日程Aを優先すれば駄目な人がおり、日程Bを優先すれば別の人が駄目になりというケースが出る。どちらかを、どなたかを諦めなければならないケースが生じる。仕方のないことではあるのだが。
録画のデータを受け取る。皆さん、熱演である。この編集をしなければ。

すでにトロッタ14のための詩の依頼をいただいている。気持ちを整理して、書かなければ。
特に、作曲の方々に質問。どんな編成の曲を希望しているのか。編成が決まらないと、演奏の方々に依頼ができない。

昨夜、5月31日(火)、森川あづささんのはからいにて、松本明ピアノリサイタルに足を運ぶ。演奏における間、聴く者にとっての音の記憶ということを、ずっと考えていた。

2011年6月1日水曜日

トロッタ13通信(終了)

5月29日(日)、無事に第13回「トロッタの会」が終わった。今回も、あとわずかっだったが、「トロッタ通信」を書き切れずに終わった。
6月1日(水)、早稲田奉仕園に、第14回「トロッタの会」の申し込みに行く。年末の開催に向けて、準備を始める。「トロッタ通信」も、もう始めようと思う。

2011年5月26日木曜日

トロッタ13通信(40/5月25日分)

*ここ数日分の文章は、追加されている。既読のものも、決して同じではない。変化している。
5.25分
(其の七十一)
 朝から、今日は除いて残り三日間の練習スケジュールに関するメールを送るなど。
 11時から歌のレッスン。レッスンでロルカ四曲を歌うのも、これで最後。次週のレッスン時にはトロッタは終わっている。そして、ロルカの五曲目を練習する。私にとって、トロッタ14の準備はもう来週から始まる。

(其の七十二)
 今井重幸から依頼があり、追加のチラシ、チケットを渡す。ぎりぎりまで宣伝に努める姿勢を見習いたい。その間もスケジュール調整などを進める。

2011年5月25日水曜日

トロッタ13通信(39/5月24日分)

(其の六十九)
 今井重幸宅にて、『草迷宮』楽譜の整理。表紙作り。
「ギターの友」に載せる、ロルカの譜面と、ロルカの肖像を届ける。
 仕事のための読書。遅れている。

(其の七十)
 夜、渋谷にて。
『北方譚詩 第二番』の合わせ。まずピアノなしで、アカペラでの合わせ。
『草迷宮』を、バリトンソロと、女声合唱、声だけの合わせを、ピアノ入りで行なう。一時間、今井重幸による特別のレッスン。廊下で、『北方譚詩』に出演のバス、白岩洵と、詩と音楽について話す。
『北方譚詩』を、ピアノ入りで合わせる。私も立ち合う。帰宅後、苫小牧の堀井に、電話で合わせの報告。インターネットで録音を送る。
『都市の肖像』第四番、視覚効果の打ち合わせを、上野雄次と、深夜に行なう。

2011年5月23日月曜日

トロッタ13通信(38/5月23日分)

(其の六十七)
 早稲田奉仕園・音楽室にて練習。人の集まりが悪く、こんなに来ないならやめる、と練習を放棄した指揮者のことを思い出す(彼は、演奏者こそ練習を放棄しているではないか、と思ったのだろう)。
 それでも、練習した。『ロルカのカンシオネス』と、『草迷宮』。しかし、清道洋一の『謝肉祭』はできず。また『都市の肖像』の打ち合わせも満足にできず。
 氷雨の降る夜だけに、心にこたえる。さらにさまざまなことがあり、心にこたえている。だが、自分に起こっていることは、これまでの世の中に掃いて捨てるほどあった。そう思えば、気に病むこともなし。自分ひとりの存在など、何ほどのものでもない。個に過ぎぬ。個ですらない。そう思えば何でもできる。
『草迷宮』は、今井重幸にとって、実験精神の到達点だろうと思う。それが成功しているかどうかは、まだわからない。しかし、実験しようと思い、それを実現させた時点で、目的は達している。演劇としてなら、もっといろいろ演出があるだろう。これは音楽だ。演出に走るのではなく、(音楽的)表現を錬磨する必要がある。

(其の六十八)
 トロッタ13の準備を進めながら、14の構想も立てていかなければならない。12月初旬を予定している。すでに何曲か、考えはある。何人かに意思表示をしてもらっている。私はロルカの歌を歌う。12月公演なら、トロッタ13を終えた二日後には申し込みがある。考えなければ。
 ここのところずっと、スケジュール調整などに追われている。創作意欲を燃焼させられない。ロルカの歌で、燃焼すればいい。それだけに集中できればいいのだが。単純に、一篇の詩を書くなどしたい。それが、できない。トロッタの原点に立つ。それは何? 詩と音楽。それ以外にない。たくさんの人を集めて、とかそういうことではない。それは必要だが、詩と音楽、それを見つめたい(原点に立ち、詩と音楽を考えるために、スケジュール調整をしているわけだ。決して、創作と無縁のことではない。必要なことである)

2011年5月22日日曜日

トロッタ13通信(37/5月22日分)

(其の六十五)
 朝は高円寺にて、清道洋一と『ヒトの謝肉祭』の打ち合わせ。この曲が何を表わそうとしているのか、理解したい。話をしているうちに、だんだん、この曲を演奏している光景が見えてきた。別れた後、古本屋に行き、小道具として演奏中に持つ、譜面と詩を貼り付けた本を探す。曲のための、大切な準備である。昼間はロルカの楽譜を整理した。これも、演奏に使うためのもの。覚えているとはいうものの、詩を書きつけて、万が一に備える。しかし、私による日本語訳がまだできないのが気がかり。時間がない。
 夜は秋葉原にて、上野雄次と『都市の肖像』第四番の打ち合わせ。照明の使い方などを相談する。この曲も、見えて来なければならない。私の考え。先に曲があり、後で詩ができた。創作の順序はいつもと逆だが、私の態度は、橘川との共同作業で、何の変わりもない。いつもと同じで変化なし、ということではなく、お客様の前に出すまでは共同作業だと思っている。
『謝肉祭』にせよ『都市の肖像』にせよ、どちらの曲についても、体で納得できなければできない。昨年、橘川の個展で初演された『夏の國』は、練習時は声が満足に出なかったが、すべて納得した本番時には、文字通り腹の底から声が出た。納得しなければ、声は出ない。納得しないで出す声は、嘘である。技術でしかない。生の声を出すのだから、技術ではない声を聴いてほしい。技術なら、マイクを通せばいい。それは私の流儀ではない。

(其の六十六)
■ 田中隆司
 田中隆司『捨てたうた』の」譜面を、久しぶりに開く。昨年四月三十日の第十回以来だから、一年以上、手にしていなかった。
 田中隆司の曲を、戸塚ふみ代が名古屋で偶然に聴いたこと。これがきっかけで、田中のトロッタ参加が決まった。
 田中隆司が書いた芝居を、中野の光座で観たこと。久しぶりにアンダーグラウンドな芝居を観た。洗練よりも大事なものがあると、彼は思っているかもしれない。
 田中隆司が、谷中ボッサの「声と音の会」に来てくれたこと。会場ごとの使い方を考えた方がよいという意見。
 田中隆司の曲を、上野の旧奏楽堂で初めて聴いたこと。私は清道洋一の『風乙女』に出演したが、それに対する意見を、客席で彼に求めた。
 阿佐ヶ谷の喫茶店で打ち合わせを重ねたこと。彼が持つ人生のスタイルに、私の心は必ずしも馴染まない。しかし、それは全員に対してそうだろう。違えば違うほどよいという信念を、どう生かすか、生きるか。自分に問う。田中隆司に向き合うことは、自分に向き合うこと。これも、全員に対して同じことがいえる。
 荻窪のヤマハ音楽教室で、初めて合わせをしたこと。雨が降っていた。私は久しぶりに洋服を着て他人の前に立った。洋服を着ることから、私の『捨てたうた』は始まっている。いや、洋服を探し始めた時から始まっている。
 本番会場での意見の齟齬。これには私にも言い分があるが、彼にも言い分があるだろう。言い分と言い分の衝突。音楽も演劇も、同じだ。しかし、本番当日の舞台上でぶつかり合いたくないというのは正直な思い。最後までぶつからせる、という考え方もあるだろう。
 齟齬は齟齬として、翌日には舞台成果について話ができたこと。アンサンブルではなく、ヴァイオリンとピアノとだけでも演奏できるよう考えてもよいと、彼はいった。どこでもできるようにする、ということ。私の反省点。共演した役者たちと、その後の連絡が取れていない。私の作品(でもある)の駒として彼らを使い、後は知らん顔という形になっている。非常によくない。私のひとつの態度として、その後の緊密な関係作りはできなくても、トロッタを一緒に開催していくことで、関係を保ち続けるというものがある。しかし役者たちは、『捨てたうた』に出たきり。私は人を自分の思い通りに動かしたくない。
 田中隆司の戯曲集に、人生のさまざまが書かれていたこと。彼の中に、制御できない自分があるのだろう。それを背負って生きているのだろう。そんな自分を、他人にどう向き合わせるのかを考えているのだろう。
 田中隆司が指導する声楽リサイタルのチラシを三度まで作ったこと。たった今も作っている。そのチラシ作りを通じて、彼に対していろいろと考えている私がいる。芝居も観ている。電話もかかってきた。『捨てたうた』は終わり、再演の機会を得ないままだが、関係は続いている。浅からぬ関係に思いをはせている。
 彼が、『捨てたうた』のために、私の三篇の詩を、断って構成したこと。三篇の選び方、断ち切り方。そうしたことについて考えてみたいと思う。

2011年5月21日土曜日

トロッタ13通信(36/5月21日分)

(其の六十三)
■ 堀井友徳
 堀井友徳のトロッタ参加は二度目だが、これから先も長く共同作業ができればと思っている。何度か書いたことだが、堀井友徳は、彼が学生時代から知っている。伊福部昭の弟子として、東京音大に在学していた。伊福部の演奏会で会ったし、それは東京だけでなく札幌にも及んだ。作曲家だから当然だが、彼の曲が演奏される機会もあって、立ち合うことができた。長く東京にいたが、今は郷里の苫小牧にいる。そこからトロッタに参加してくれている。その思いに応えるだけの準備をしたいと、常に思っている。
『北方譚詩』シリーズについても、すでに書いた。堀井の創作態度は正攻法である。詩が先にあり、それを受けて曲を書く。正攻法というのは正統ということであり、音楽でいえばクラシック、基準であり標準であり規範ということにつながるだろう。古典様式を尊重する態度は、当然だが、歴史の流れの上に立つ。過去があったから今の自分があり、未来に継承する役目も担うと自覚する。過去は関係ない、今の自分だけがある、この先がどうなっても知らない、というわけではないのだ(過去と切れ、未来と切れる人間などひとりもいない。しかし個人の態度において、歴史意識の濃淡はある)。その意味で、彼の『北方譚詩』には、師の伊福部昭から受け継いだ要素がこめられているだろう。すべてではない。しかし伊福部の教えの上に立って、堀井友徳とは何かということを、音楽にしている。
 伊福部にはなかった、二十一世紀の精神がある(それが何で、どこをさすのかということは、今後に考えることだ。しかし、濃度はともかく、あるだろう。彼は二十一世紀を生きているのだから)。堀井友徳という個人の歴史がある。彼の歴史は彼の精神であり、体験であり、思想だ(堀井とはまだ、住む場所も離れているので、生活面のことなどを語る機会を持たないでいる。しかし、それで不足かというと、そうではない。不自由でも互いに、何とか曲を創ろうとするのが、創作の意思を抱えた者の態度だろう。ファブリツィーオ・フェスタとも、イタリアと日本に離れたまま、『神羽殺人事件』を創っている)。また第十一回のトロッタで、堀井が初めて歌を創る機会に、私は詩を提供できた。私の詩だが、堀井の曲になっている。詩を膨らませてくれている。言葉の意味を、音楽にのせて膨らませ、聴く人々に届けてくれた(すでに何度も書いたことで、まだ答えを得ていないが、堀井の曲に、詩と音楽の良好な関係を見ることができる。詩があって歌があるという、歴史的な関係に立って作曲されているから、疑問を持つ必要がない。曲ができれば演奏者に託すわけで、それは演奏者への信頼にもつながる。聴衆への信頼にもつながる)。

(其の六十四)
 私の中にも、正攻法の態度がある。それは詳述しないで論じよう。正攻法で正統だといっても、手を汚さないで、あるいは血を流さないで様式だけ重んじているだけかというと、それは違う。堀井がそうだというのではなく、まず私がそうだ(そう断言するほど、私は正統派ではないのだが、それはともかく)。

●『ムーヴメントNo.4』
 例えばこの日、田中修一の『ムーヴメント No.4』を、出演者全員で合わせた。その場にいた誰が、安泰した生活の上に立って、音を出していたか。そんな者はひとりもいないだろう。私は出演を願った側だが、彼ら彼女らは出演することを了としてくれた。私には何の強制力もない。とすると、彼ら彼女らの意思で、そこにいたわけだ。音楽とは関係のない仕事をしながら、音楽の道を歩もうとする者もある。そこまでして、ということであり、その上で『ムーヴメントNo.4』が演奏される事実を、私は重く受けとめている。
 田中修一も伊福部昭の弟子であり、彼の曲に伊福部の要素は濃い。流れを汲んだ曲である。伊福部の口から田中のことが話されるのを、私は聞いている。田中の態度も正攻法であり、師の教えを受け継いで自分の音楽世界を表わそうとする姿に、歴史性や時間の意識を感じている。田中修一の音楽を聴きながら、伊福部昭を聴くことにもなる。弟子を通じてなお存在を感じさせる、伊福部昭の強さ、大きさを思うかもしれない。しかし、(伊福部を軽んじるわけではなく)私が聴いているのは、あるいは私が出演して声を発しているのは、田中修一の曲であってそれ以外の何ものでもない。田中の曲は、伊福部の曲に似ているかも知れない。だが、演奏者が、自分たちの世界を表現するだろう。その時点ですでに、歴史は移っている。伊福部昭の次の時代に。時代性は先に送られている。
 ありふれた例だが、モーツァルトを21世紀に演奏する。それはアマデウスが生きた時代の音楽ではない。21世紀の表現にほかならない。田中修一の曲に伊福部昭を感じる。しかし演奏された時点で、たとえ似ていても、それは伊福部の音楽ではない、田中修一の音楽だ。次の時代の音楽なのである。どう表現するか。前時代にとどめるか、次世代に送れるか、それは演奏家にかかっているのではないか?
 堀井友徳を語ろうとしながら田中修一の話になったが、堀井について語りたいことは同じである。私は堀井の曲に出ていないので、出演曲として実感を得ている田中修一の『ムーヴメントNo.4』を例にあげさせてもらった。直接語れないじれったさを感じているが、その機会はいずれ来る。堀井からはすでに(田中もそうだが)、第十四回「トロッタの会」で演奏する曲の希望を受け取っている。互いの二十一世紀精神が、さらに深まればいい。
 短く、私の意思を書いておく。時代と無縁の音楽を作る気は、私にはまったくない。東日本大震災が起こり、原発事故があった。そのような時代の音楽を、私は意識している。あえて“時代を撃つ”などという表現をする必要はない。“撃つ”などと表現する自己満足意識に、私は与(くみ)しない。

トロッタ13通信(35/5月20日分)

(其の六十一)
*朝十時、今井重幸宅にて、連載原稿「ギターとランプ」ロルカ篇を確認するなどの作業。帰宅後、池袋に向かい、12時から橘川琢『都市の肖像』第四番の合わせ。ピアノの森川あづさ、ソプラノの大久保雅代、作曲の橘川、そして私。詩を詠むタイミング確定できた。雑司が谷地域文化創造館に行き、予約中の練習場代金を支払う。帰宅後、週末、週明けの練習場所を何か所か確保。夜は練習場として初めて使う渋谷区文化総合センター大和田を下見して、予約。19時から三浦ピアノにて『ヒトの謝肉祭』の合わせ。ギターと弦楽カルテットほぼ全員が集合。演者の中川博正も。21時終了まで行い、食事をして帰るとくたくたで、何もできず(この忙しい時に、プロバイダ料金未払いでメールの送受信が不能となる。その後、支払いをすませて復旧。連載原稿も送信できた)。

(其の六十二)
●『都市の肖像』
 録音はしたが、まだ聴いていない。軟らかい詠み方ができていればいい。花いけの上野雄次が、この曲にどんな視覚表現を与えてくれるか楽しみだが、この点については、なお打ち合わせが必要であろう。うまくいけば、私と橘川の共同作品に、まったく新しい世界を作り出せると思う。これまで器楽曲だった『都市の肖像』が、第四番で、詩と歌、花をともなうものとなる。また私の詩も、子どもの世界を描いたもの。さらにいえば、私の三十年来のテーマ、題材である、“古東京川”を、初めて詩で描いた作品になる(ビデオ作品はある)。
●『ヒトの謝肉祭』
 この日は第一ヴァイオリンが参加せず。その他の人々は、ほぼ合って来た。ただ、この曲における詩唱者の位置づけがまだわからない。このままでは、たとえ作曲者の意図どおりにできたとしても、不完全燃焼に終わる。私自身の創作、表現になっていない。打ち合わせをして、曲の世界を納得したい。
●『ロルカのカンシオネス』
『アンダ・ハレオ』一曲を合わせただけで、時間切れとなる。練習室の延長ができなかった。欲求不満。しかし、一日の体力としては限界。

 メゾ・ソプラノ、松本満紀子の第三回リサイタルのチラシを作っている。ほぼできたが、いくつか訂正の要あり。田中隆司の曲も多い。今回を代表する曲は、宮澤賢治の詩による『永訣の朝』。ここにも、詩と音楽を探究する人がいる。

トロッタ13通信(34/5月19日分)

(其の五十九)
*ショックなことがあった。高田馬場のBen's Cafeが、20日(金)で閉店するという。東日本大震災の影響だという。夜の客足が落ちたこと、イベントやパーティのキャンセルが相次いだこと、そして、このお店に多かった外国人が帰国していなくなってしまったことで、収益の減少を招いた。
 何の気なしに立ち寄っただけだが、偶然、閉店間際に足を運べたわけで、不幸中の幸いだった。今は行っていないし、長く足を運んだわけでもないのだが、「奇聞屋」同様、ここは私が、朗読の力を鍛える場だった。何年も通っている人は、もちろん、私の比ではなく、鍛え続けている。私は音楽を意識してトロッタを始めたので、そちらに重心が移り、Ben's Cafeには行かなくなった。朗読の基本は、音楽もそうだが、たったひとりで詠むことだと思う(音楽は、発生の初期から、合奏があっただろう。必ずしもひとりではないが、合奏にせよひとりの集まりから集団に発展するので、基本はやはり、ソロだと思う)。Ben's Cafeの舞台は、覚悟して舞台に立ち、詩を詠むことを意識させてくれた。がやがやとした状態で、多くの人が聴いていないのに詠むことの厳しさをも体験させてくれた。残念だ。詩を詠む場としてだけでなく、カフェとしても理想の店だった。残されたトロッタを続けていかなければと思う。

(其の六十)
*夜は「ギターの友」の原稿を書き続ける。翌20日(金)が締切である。参考資料を見ながら、民謡の詩を訳す。CDや楽譜に詩が日本語訳詩が添えられているから、それでいいわけだが、少しでも自分の言葉にしたい。本番までにはすべて翻訳して、プログラムに載せたい。今井重幸にも質問をし、とにかくまとめる。ロルカについて、なぜ『ロルカのカンシオネス』を演奏したいと思ったかについて、いろいろ説明することがあるので、なかなか曲の解説に入れない。明朝、今井の確認を経て、提出する予定。
 週末から来週にかけてのスケジュール調整がなかなか進まない。原稿を書くこと、スケジュールを調整すること。すべて別のものだから。
 本番まで十日を切り、まだプログラムも作っていない状態で、さらに仕事などもあるので、このブログの書き方が、トロッタ論ではなく日々の報告になっている。ご容赦いただきたい。何とか書き続けたいと思いながら、時間が取れない。しかし、つぶやきにはしたくない。報告を、したい。

トロッタ13通信(33/5月18日分)

(其の五十七)
*同じ場所で、フェデリコ・ガルシア・ロルカ採譜、今井重幸編曲の『ロルカのカンシオネス[スペインの歌]I - IV』、清道洋一の『《ヒトの謝肉祭》第一番のために』、堀井友徳の『北方譚詩 第二番』を合わせ、さらに場所を移動して橘川琢の『都市の肖像』第四集《首都彷徨〜硝子の祈り》を合わせた。
 すべて声をともなう曲である。作曲家ごとに聴こえてくるものが違う。
●『ロルカのカンシオネス[スペインの歌]』
 楽器アンサンブルと合わせるのは難しい。しかし、音の世界が広がっていることは間違いない。ピアノなりギターなり、ひとりの楽器で演奏するより、音の豊饒さが出るかもしれない。スペインの雰囲気を醸し出せるかもしれない。雑誌「ギターの友」の連載『ギターとランプ』に、前後篇構成で書く予定。
●『《ヒトの謝肉祭》第一番のために』
 指揮がなければ難しい。演奏者は合わせるのに苦労している。それ以上に、私は何をするのか、見えて来ない。演者の中川博正とともに、声を出すふたりは何をするのか。清道洋一の頭の中、心のうちを表現することになるのだと思うのだが。
●『北方譚詩 第二番』
 男女の声が重なっただけでも、豊かな気持ちになる。テノールの根岸一郎と、バスの白岩洵の、低く落ち着いた声の重なりがよい。もちろん、ソプラノの柳珠里、アルトの青木希衣子の透明感もよい。言葉がどこまで聴こえるか。さんざん、ここで書いてきたことだ。意味を、どこまで伝えられるか(やはり、意味が伝わってほしいとは思っている)。
●『都市の肖像』第四集《首都彷徨〜硝子の祈り》
 大久保雅代による声について、書いておく。詩『ぼくたちはどこまでも河をくだる』は、子どもの物語である。私はできるだけ優しく、やわらかく詠みたい。ここで聴こえる女声は、天の声であり(街が水没してしまった世界の物語である)、母の声であり(女の子は河をくだりながら母を求めている)、水の妖女セイレーン(人を水にひきこんで殺してしまう)の声でもある。その大きさと深みが出ればいい。詩唱の課題は自分で克服したい。

(其の五十八)
 5月18日(水)、第三水曜日なので、西荻窪のライヴハウス「奇聞屋」にてオープンマイクの朗読会に出る。トロッタの直前には、トロッタ関係の詩を詠むことにしている。三篇、『たびだち・北の町』『森と海のある土地(*曲名は「森と海への頌歌」となる。詩の題もそうするかもしれない)』『ぼくたちは河をくだる』を詠んだ。『北の町』は私の声と、ピアノの吉川正夫によるデュオ。後の二篇は、声は簑和田慶子、ピアノは吉川正夫とのトリオ。
 音楽とともに詩を詠む、最終的にそれは音楽になる。というスタイルは、奇聞屋で模索してきた。一か月に一回、そのような機会を得ているのだから、貴重である。この日は、音楽と一緒にではなく、自作の詩をひとりで詠む参加者もいて、新鮮だった。トロッタでも、私はひとりで詠んだことがある。ひとりでも、詩唱にはなるのである。それを音楽として人が聴いてくれるかどうかは別なので、その点、私は工夫をしたい。しかし、朗読者ひとりでも聴かせられることは、再確認した。私もそこから出発している。
 奇聞屋の前に、八木ちはるのフルートを聴いた。ヤマハホールで、彼女は尾高尚忠の『フルート協奏曲』を吹いた。熱演だったと思う。そこでしか聴けない、ライヴの印象が強かった。生きている証明。その音楽的印象を大切にしたい。

2011年5月20日金曜日

トロッタ13通信(32/5月17日分)

(其の五十五)
*フェデリコ=ガルシア・ロルカ採譜、今井重幸編曲による『ロルカのカンシオネス』の練習を、編曲者立ち合いの元、ギター奏者萩野谷英成とともに行う。練習場は、荻窪駅南口にある、ヤマハ音楽教室。
 編曲者が強調するのは、歌として、歌ってほしいということ。言葉は大切にするが、それに加えてメロディとリズムを重視してもらいたい。
 スペイン語で歌うから、歌っている私にも、言葉から実感するものはない。しかし意味を持つ言葉には違いない。大学を出て数年後のこと。独り芝居として『東海道四谷怪談』の連続上演を続けた。共同作業をしている人々からしきりにいわれたことは、言葉を大切にしてほしいということだった。今から思えば、違ったニュアンスでいったことかもしれないが、私には、意味を大切にしてほしいと聞こえた。聞く者に誤解を与えないためには、言葉を続けていうのではなく、ていねいに、切りながらいう方が間違いない。しかし歌は、レガートで、言葉を切らず、つなげて歌う。意味を誤解されないようにと思うが、ただ話している時でさえ誤解を生むのに、歌で意味を伝えるのは難しい。聴いている人が歌詞を聴き間違うことはよくある。アクセントも、話し言葉のものとは違ってくる。調子で聴いてしまう。
 芝居のように、意味を伝えようとしても駄目だろう。言葉を歌うのだから、正確な意味は伝わらないと思った方がいい(それでもなお伝える工夫は、歌い手がすべきかもしれない)。

(其の五十六)
*前日、今井重幸作曲『草迷宮』の合わせがある。雑司が谷地域文化創造館の多目的ホールにて。バリトン・ソロの根岸一郎に注文が出る。今井の楽譜には、sprechgesangと書かれている。音程はない。リズムだけが書かれている。語るように歌うということで、シェーンベルクらが用いた奏法である。今井は、きれいに歌おうとしないで、もっと粗野にというのだが、これがなかなか難しい。
 泉鏡花の『草迷宮』から得たイメージを、今井が自由に詩として表現した。母親が歌っていた、通りゃんせ、通りゃんせというわらべ歌を追い求める青年が主人公が物語る(歌う)。「空が落ちる 海が燃える ほう、火の玉も来い! 黄泉(よみ)の帳(とばり)も降りて来い!」と。
 思い出せば、田中修一の『MOVEMENT No.3』にはdeclamando risoluto ma espr. 物語るように、決然と、しかし表情豊かに、と書かれていた。「世の終わりの儀式 千万年が過ぎてゆく」と。
 今井の曲にせよ、田中の曲にせよ、きれいに歌おうとするだけでは表現できないのである。実は、先のロルカの曲でも、私に対し、きれいに歌おうとしないで粗野に歌ってほしいという注文が出されていた。きれいに歌うことも難しいが、表現のレベルは落さず粗野に歌うことは、なお難しい。私でさえ、歌のレッスンでは粗野に歌ってとはいわれていない。誰もいわれてないだろう。きれいに歌うことも粗野に歌うことも表現である。おおまかにいえば、前者は、どの曲でも心がけること。後者は、ある曲によって心がけること。前者は歌手としての表現。後者は、歌う曲に応じての表現といえるだろうか。

2011年5月16日月曜日

トロッタ13通信(31/5月16日分)

(其の五十三)
■ 甲田潤
 彼とのつきあいは、約20年以上になる。『伊福部昭 音楽家の誕生』を書いていたころ、東京音楽大学の民族音楽研究所員として常駐する彼には、さまざまな便宜をはかってもらた。1995年ごろに出会ったと思う。トロッタを始めるにあたって、甲田潤にも出品を依頼した。いや、もっと広く、協力してほしいと思った。できれば、一緒にトロッタを作っていこうとした。
 甲田潤とは、1999年3月初演の、合唱曲『くるみ割り人形』を共同製作した。チャイコフスキーの原曲を彼が編曲し、私が日本語の詩を書いたのである。ピアノ伴奏のためだけでなく、オーケストラ伴奏の合唱曲にもなっている。そして去る2011年3月には、地震のために正式の形ではなかったが、新たな合唱曲『シェヘラザード』を発表した。こちらも、オーケストラ伴奏版が間もなく作られる。夏に演奏されるだろうか。
 2005年には、甲田潤の依頼を受けて、合唱のための詩『ひよどりが見たもの』全七篇を書き下ろしている。しかし曲がなかなかできない間に、2007年には酒井健吉が詩唱と器楽のための曲とし、2010年には田中修一が、七篇から二篇を選んでソプラノとピアノのための歌曲にした。甲田潤による『ひよどり』の前奏を聴かせてもらったが(まだ歌が始まるまで行っていない)、彼らしい厚みのある音の重ね方であった。詩に対しては異論がないはずなので、合唱曲として完成される日を楽しみにしている。
 その、始まりの一篇を掲げよう。

*

「夜あけ」

夜がささやく
もう行くから また明日
朝がささやき返す
おはよう 元気だったかい
時が去り、時が来(きた)る
移りゆく時のはざまで
羽の衣に包まれ
じっと 目を閉じている
一羽のひよどり

朝露にしっとり濡れた私の翼
もう少し眠っていたい
誰にも邪魔されない ねぐらの中で
静かだな
風はもう 吹いていない
静かだな
雨ももう やんだみたい
怖かった 昨夜の嵐
何もかもが吹き飛んで
この世の終わりが来たかのような
春の嵐だった

羽の音が聞こえた
誰かが飛び立った
また羽の音が聞こえた
誰かがどこかへ飛んでゆく
まだ暗いよね 暗いはずなのに
きらきら星がとけてゆく
黄金色(こがねいろ)の光が 
夜のとばりを押し上げて
朝の訪れを告げている
さあ 起きなさい
新しい一日の始まりだよ
どこかで聞こえる 朝の声
まだいいでしょう まだいいよね
私はもう少し 眠っていたい
この木の上で じっとしていたい
でも また誰かのはばたきが
もう 夜が明けるのかな

(其の五十四)
 甲田潤は、女声合唱団コール・ジューンの指導を続けている。彼女らの演奏会は、四百人規模の会場がもう満席になるほどで、その点はトロッタが見習わなければならないと、常に思っている。コール・ジューンの演奏会を聴いた時、女声合唱の透明感に心をうたれ、涙が流れて止まらなかった。伊福部昭追悼演奏会が、代々木上原のけやきホールで行われた時、私とコールジューンは前後して舞台に上っている。伊福部の『オホーツクの海』について書かれた更科の詩を私が詠み、その後で、コール・ジューンが『オホーツクの海』を演奏した。トロッタにも、合唱団として出てほしい。早稲田奉仕園スコットホールで女声合唱が聴ければいい。自分たちの演奏会を作ってゆく彼女らの思いもあり、なかなか、難しいことではあるが。
 声の力。人が発する声の力は、それ自体に価値がある。それは肉体そのもの力。肉体は、生きている証である。
 私にとって、詩と音楽の出発点に、甲田潤がいる。だから、トロッタを始めるにあたって、私は彼と手を携えたかった。現実には、そうなっていない。理由はさまざまある。しかし、甲田潤は二度、第七回にソプラノとヴァイオリン、ピアノによる『嗟嘆(といき)』を、第八回に独奏曲『ピアノのための〈変容〉』、縁山流声明と絃楽のための『四智讚(しちさん)』を出品してくれた。特に『四智讚』は、声明のたに三人の僧侶に出演してもらうという、通常では考えられないトロッタとなった。甲田潤の音楽は、トロッタに近いところにあると思う。彼が容易に参加できないのは、私の力が不足しているからだ。
 私は彼のため、2007年に、こんな詩を書いている。具体的には、甲田潤が作曲し、甲田潤と音楽活動をする、ソプラノの弓田真理子に歌ってもらえたらと思っていた。目下、甲田潤の心はこの詩にないと思うが、いつか、実現できればいい。

*

うたいたくて

木部与巴仁

あなたは うたおうとする
立っている うたおうとして
歌は 何もないところに
生まれる

すり切れた日常に 求める
すりへった心に 求める
こわれかけた風景に 求める
そんな あなたの歌
ちぎれかけた時間を つなぎとめたくて

あなたがうたうまで
何もなかった
あなたがうたうまで
見えなかった
聴こえる 声が
見えてくる 心が
はっきりと

目を閉じれば 思い出せる
安らぎとともに
眠っていた 忘れかけていた
あの時のこと じっと
耳をすましている

聴きたい
あなたの声
見たい
あなたの姿
味わいたい
あなたが作り出す
作り出さなければ なかった
風景

覚えていてほしい ずっと
忘れないでほしい いつまでも
刻みつけて 深く深く
見てごらん ここにある
見えるだろう 目を凝らせば
歌が あらわしたもの
あなたがうたってくれたもの
光っている
そっと

2011年5月15日日曜日

トロッタ13通信(30/5月15日分)

(其の五十一)
■ 山本和智
 第七回に『齟齬』を出品した。齟齬をテーマに四行詩を書いてほしい、というのが山本の希望であった。詩人(私とは限るまい)が書く言葉を、作曲家が拡張ないし増幅しなければおもしろくないと、第六回を聴いて考えたという。『齟齬』の楽器編成も、弦楽四重奏とJAZZアンサンブルで、トロッタでは初めて、PAを通した演奏をお聴きいただくことになった。生の音と増幅された音。これ自体が“齟齬”といえたかもしれない。さらにJAZZ奏者らが、女優と一緒に演技を伴って登場したこと自体、初めてのことであった(もっともこの回は、清道洋一の『ナホトカ音楽院』があって、この曲にも清道特有の演劇的演技があり、花いけの上野雄次がトロッタに初出演して花いけを見せ、語りの要素が濃いファブリツィーオ・フェスタの『神羽殺人事件』が初演されて、これまでになく、“増幅”ないし“拡張”的な曲が多かった)。
 その後、山本には、谷中ボッサの「声と音の会」に曲を出してもらえないかと打診してスケジュールが合わず、またトロッタにもいつでも曲を出してほしいといっているが、これも実現していない。山本は、私が上野雄次と行なった『花魂-HANADAMA-』にも、ソロライヴと銘打って行なった『隠岐のバラッド』にも足を運んでくれた。山本のために、私は詩を書きたいと思っている。出会った当初の彼がいった四行詩の形で、例えばこのようなものを書いてみたが、どうだろうか−−。

(其の五十二)

齟齬の町

木部与巴仁

何かが少し違う町
見慣れているのに見慣れていない
何かが少し狂った町
覚えているのに覚えていない

節電のためしばらくの間
当店は午前九時開店と致します
貼紙が風に舞うコインランドリー
当店が無理なら別の店に行きますよ

洗濯駕篭を提げて歩く町
初めてじゃないだろう
初めてに見えるのだが
洗濯駕篭が恥ずかしい

朝の光が塀を照らす
朝の光が道を照らす
ここはどこの町?
ここはどこにある町?

私は知らない町を歩いていた
私は見たことのない町を歩いていた
こんな近所にこんな町が?
私は歩いたことのない町をさまよっていた

ぬけだせるのか? どうやって
洗濯をしなければ
ぬけだせない どうやっても
洗濯をするまでは

携帯電話が鳴っている
「もしもし私」「ああ、おれだよ」
「もしもし、いまどこにいるの?」「ああ、おれにもわからないんだよ」
「もしもし私よ」「おれだったらおれだよ」

すぐかっとする女なのだ
ばかにしないでと叫ぶなり切ってしまった
すぐかっとするのだおれも
ばかにしないでと聞く前に切ってしまった

朝の光が翳りを帯びて
朝の光が力をなくして
見知らぬ町に落ちている
見知らぬ町に降っている

知らない町を歩いていた
見たことのない町を歩いていた
もう二時間が経つ
歩いたことのない町をさまよい続けた

*

 山本和智は、アウトサイダー・アーティストのフリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターンを敬愛しているという。ゾンネンシュターンの絵は、日本ではシュルレアリストたちの評価を得たようだ。しかし、画家本人にとっては、彼が描く世界は超現実ではなく、現実だったのではないか。
 山本和智は、やはりアウトサイダー・アートのヘンリー・ダーガー(2011年5月15日まで、ラ・フォーレ原宿で作品展が行なわれていた。私は行けなかったが、山本は先月、すでに足を運んでいる)の作品を評して、“生きるための絵”とも、“描かねば生きることができなかった画家の絵”ともいった。心に刻みこんでおきたい言葉だ。

トロッタ13通信(29/5月14日分)

(其の四十九)
■ 松木敏晃
 第五回に、『冥という名の女』を出品した。アルトと詩唱、ピアノのための曲である。この詩は、下落合を歩いていて、ふと目にとめた、くちなしの花を忘れられず、女の姿に重ねて書いた。同様の詩に、九段坂に咲く飯桐(いいぎり)の姿と、水に棲む女を合わせて書いた『水にかえる女』がある。
 松木は第四回に足を運んでくれ、その上で第五回に参加した。曲目解説には、漠然とした言葉のイメージだけを紡ぎ、詩を書くのは初めての体験だった。つまり、言葉を受けとめ、そこから浮かんでくる音楽の形をすくいとっていったということだろう。
 歌と詩唱が重なる。それぞれがピアノと重なる。メロディとリズムのぎりぎりの緊張がある。松木が教えてくれたのは、詩唱には抑揚やアーティキュレーション(音のつなげ方や強弱)があるからメロディの要素がある。しかし、リズムもまた大切だということ。特に、音楽作品における詩唱は、歌や楽器との、リズムのからみあいを意識しなければならない。それができなければ、音楽がBGMになってしまう。BGMにするかどうかは、詩唱者の力次第だ。私もうまくいっているかどうかわからない。
 松木にはぜひもう一度、参加してほしい。音楽作品は、作曲家の声であろう。私は松木の声を聴いた。『冥という名の女』の演奏後、松木の友人、知人が、曲を称賛する言葉を耳にした。その人々も、曲を通して、松木の心の形を見たのであろう。
 松木には、次の詩を送ってある。いつの日か、形になればいい。

黒い翅(はね)

木部与巴仁

燃える翅
黒くはかない
それは女の背に
生えては落ちる
つまみあげ
燃やしている
女の火にあぶられて
消えうせる
跡も残さず

女にはいわず
隠し持つ
一枚の翅
見つけておいた
部屋の片隅で
ガラスの器にしまってある
あかしとして
はかなくても
女の生を感じていたい

黒い翅
生のあかし
指先を女の背に
じっとして動かず
まかせていた からだ
かすかな気配
口づける
ほのかに匂う
裸の香りに
翅のありかを知る

(其の五十)
■ 成澤真由美
 第八回に、『オリーヴが実を結ぶころ』を出品した。トロッタでは初めてとなった、高低ふたりの女声による歌として、初めから意識して書いた。ソプラノ〈瑠璃〉が赤羽佐東子、それより低いヴォーカル〈紫苑〉として笠原千恵美が出演した。楽器は、フルート、弦楽四重奏、ピアノである。女声の対話を実現したかった。まさに、エグログである。
 成澤は、2008年12月7日(土)の第七回トロッタと、299年3月22日(日)の橘川琢作品個展2009《花の嵐》を聴いて、第八回への参加を申し出てくれた。
 曲の印象は、実験的なものであった。成澤自身が、実験を欲しているのであろう。自分に何ができるか、それを曲を書くことで、確かめたい。私もそうだ。エグログは初めてだったのだから、結果を聴きたい。ただ、実験をするならば、続けたい。一度切りの実験はあり得ない。死ぬまで実験でいいのだし、安定したスタイルにのっとって、安定した曲、あるいは詩を書き続けても、私には意味がない。次が前と同じなら、前一篇があればいいことになる。「トロッタの会」自体が実験ではないか。
 第九回へも参加してもらいたく、私は成澤に詩を書いた。成澤には別の意図があり、この詩をトロッタのためではなく曲にしたいという意向があった。幾度かやり取りがあったが、実験ではなくやり取り自体が途絶えた。返事がないまま、トロッタは回を重ねている。私は、詩を預けたつもりだ。いつでもいい。返答があればと思う。私も実験をしたいのだから。
 ちなみに、詩の最後に、記号のような一行がある。これがなぜ書かれたか、覚えていない。コンピュータを前に寝てしまい、無意識にキーを押したのか。意味は無いが、おもしろいのでそのままにした。不要なら、いつでも消せる。

ヅ・ドゼーラ症候群

木部与巴仁

ろうそくの灯(ひ)は
生命(いのち)なんだと
教えてくれた
もういない人
逝ってしまった

灯が揺れる
風もないのに
消えないで
お願いだから
呼びかけていた

ともしびに
両手をかざし
もう一度
逢わせてほしい
祈り続ける

くらやみで
胸の鼓動を
聴いていた
寄り添いながら
瞼を閉じて

ふたりだけ
ここにいるのは
あなたと私
ささやきかわす
小鳥のように

六月の朝
帰らないでと
いいたくて
後ろ姿に
言葉を呑んだ

からみあう
指先も燃え
どこまでも
歩き続けた
冬枯れの街

この肌を
あなたのものに
命すら
あなたのものに
抱きしめていて

虫にさえ
命があると
思い知る
あなたを亡くし
泣きぬれた夜

楽しかった
思い出も去り
今はただ
涙を流す
ひとりぼっちで

おやすみね
わずらいもなく
悩みもなく
苦しみもない
眠りの時を

蚊として
生まれたから殺される
ごきぶり
蝿
なめくじ
として生まれたから
殺される
私
だに
虱(しらみ)だったので
蜘蛛なのだ
百足(むかで)として
紙魚(しみ)だから
蛾なのだ
殺されなければならない
私
ヅ・ドゼーラ症候群と命名された
人を襲う
現象

薔薇の鍵は
必ず身につけましょう
足に
手に口に
白く光っている
薔薇の鍵を
頭と膝 耳と背中 かかと
紛失した場合は
罰金を申し受けます
棘
触れると痛い
花に触れようとして
ちくり
棘に刺され
ふきだす血
思わず口にふくんで
味わう
薔薇の鍵
しっかり身につけないから
痛い思いをする
ヅ・ドゼーラ症候群
どうしてもやまない雨を
うらめしく思いながら
診断されてしまった
六月の午後

冷たい階段を下りてゆく

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2011年5月14日土曜日

トロッタ13通信(28/5月13日分)

(其の四十七)
 私はもともと芝居をしていたので、清道洋一の感覚にはわかるところがある。私がそう思っているだけかもしれない。しかし、それは措いて−−。
 2010年12月12日(日)に、第6回「ボッサ 声と音の会」として、『隠岐のバラッド』を行なった。後鳥羽上皇が配流先の隠岐で、日本全国に向けてメッセージを送る、海賊放送を行なっている。マイクを前に語り、楽士の演奏で歌い、各地の配所を結んだ情報を交換しあったりもしている。
 当初は、私のソロライヴとして、たったひとりで行なう予定だった。しかし、内容を吟味していくうちに変更が生じた。橘川琢、清道洋一、田中修一という三人の作曲家に協力を求めるたのは予定どおりだが、萩野谷英成にギター演奏を依頼し、チラシができた後に急遽、詩人で俳人の生野毅に対し、自作を詠んでもらいたいと頼んだ。語り、歌い、演じる。演劇の要素と音楽の要素を持った作品になった。これはトロッタを続けて来たからできたことである。
 田中修一の『ヴァイオリンとピアノのためのエグログ』について、“エグログ”とは対話劇のスタイルを持った音楽だと書いた。音楽の要素が強い対話劇ともいえる。オペラもそうだが、演劇と音楽が未分化だ。一般にオペラは音楽の一ジャンルとみなされるが、演劇の要素が濃いことを無視する方がおかしい(日本の能や歌舞伎は、さらに舞踊の要素が加わっている)。『隠岐のバラッド』をオペラとはいわないし、いうつもりもない。しかし、自然と両方の要素が入った。やはりトロッタがあったから、『隠岐のバラッド』は実現したと、私は信じている。田中修一、橘川琢、萩野谷英成、生野毅。誰もが力を合わせてくれた。思いはそれぞれあるだろうが、清道洋一にとっては、彼が普段から意識している形式に、近い結果となったかもしれない。清道はもう15年、萬國四季教會という劇団のために音楽を書き続けて来ている。
 繰り返すが、ライヴを企画した当初は、結果を予想していなかった。台本もなかった。後鳥羽上皇に扮することも決まっていない。共演者も初めはなかった。すべてが自然と、落ち着いていったのだ。落ち着いたということは、必然性があったということ。ひとりでギターを弾いて歌えるなら、あるいは作曲までできるなら、文字通りのソロライヴで、誰の力も借りなくていい。わざわざ芝居に近い形を取らなくても、淡々と歌っていくだけで、一晩の舞台は成立する。だがそれができないので、作曲家と演奏家の力を借りた。その結果、演劇と音楽、“詩と音楽”といってもいいが、そうした要素を持つ作品になった(この前段階に、花道家の上野雄次とともに、やはり谷中ボッサでのコラボレーション作品『花魂-HANADAMA-』を行なった。私にとっては初めての即興であった。芝居ではないが、台詞に頼らない身体表現である。いきなり『隠岐のバラッド』に行き着いたのではないことは記しておきたい。生傷の絶えない一週間公演であった)。

(其の四十八)
 清道洋一と初めて言葉を交わしたのは、オーラJの演奏会場だ。評論家の西耕一が紹介してくれた。そして後日、改めて神田神保町の喫茶店、ミロンガで会った。清道は自作の演奏を収めたCDを持参した。そこには、彼の代表曲といっていい弦楽五重奏曲『蠍座アンタレスによせる二つの舞曲』もあった。そして私は、「詩の通信」第一期23号に掲載した『椅子のない映画館』を、仮に作曲してもらうならこれではないかと持参していた。一読した清道は、期待どおり、『椅子のない映画館』を楽曲化するとその場で約束した。会う前の私に計算があったわけではない。直感しかなかった。
『椅子のない映画館』は、不治の病に亡くなった演劇評論家、長尾一雄の言葉にヒントを得て書かれた。築地の方に、椅子のない、立ったまま映画を観る映画館があった、と。なさそうな話なのに、長尾はあったという。あったに違いない。しかし、なくてもいい(ある方が変だといえる)。芝居は、虚構と現実の境目に位置する。『椅子のない映画館』は、ありそうでなさそう、なさそうでありそうな世界を描いた詩だから、演劇の世界に居続けて来た清道にふさわしいと思った。彼は混沌とした世界にひかれている。領域を拡大したいと思っている。初演と再演の会場に、彼は椅子に関するオブジェを置いて、美術の方面にも領域を広げた。それは作曲者にとっては大切なことだが、私は仮にそれがなくても、曲自体(清道にとっては椅子も曲の大切な要素だが)で、じゅうぶんに領域は広がっていると思う。想像力の領域が広がっているのだ。聴こえるもの、見えるものにも増して、想像力が広がることこそ、芸術表現において大切だろう。

トロッタ13通信(27/5月12日分)

(其の四十五)
 橘川琢について、一言、付け加えておこう。彼だけの課題ではないが、叙情性とどう向き合うかを、私は共同製作者として、一緒に考えたいと思っている。感情をどう発露させるか。芸術表現を支えるのは感情だ。もちろん理性も支えているが、理性的な態度に終始するなら、わざわざ芸術活動はしなくてよい。理性的芸術というものがあったとしても、私に限っていえば、おそらく、ひかれない。ただ感情というものに、人は溺れがちだから、それを芸術表現の力とする以上はコントロールしなければならない(いや、コントロールできないのが感情だろうか。コントロールすべきは、感情ではなく、表現のスタイル、形式、方法か)。橘川琢の音楽は、叙情的だ。曲名からして、『日本の小径(こみち)』『古い署名』『小さな手記』『秋からの呼び声』といったものがあげられ、『都市の肖像』もある。自分の叙情性を発露させる手だてとして、彼は詩、あるいは物語を欲したのだと思う(『日本の小径』『古い署名』『小さな手記』『秋からの呼び声』といった曲名に、すでに私は物語性を感じている)。『1997年 秋からの呼び声』が演奏できなかったのは、彼が自分の感情をコントロールできず、その結果、表現スタイルと方法のコントロールが不足したからだろう。第十三回の『都市の肖像』第四集《硝子の祈り》がどんな作品になるか、叙情性の新たな形に期待している。(さらに付け加えるなら、彼の作品一覧を見ると、2007年から詩歌曲の割合が増え、曲名は『うつろい』『恋歌』『鼠戦記』『花の記憶』『冬の鳥』『夏の國』といったものである。私との共同作品で、詩の題名でもある。これら自体、すでに叙情的であり物語性があるとわかっている。橘川の課題は、私の課題でもある)

(其の四十六)
■ 清道洋一
 清道洋一の談話を構成してみた。
「トロッタに参加して、自分自身がテーマとすること。それは、領域の拡大です。領域を広げる試みをしているのです。映画やオペラは、総合芸術と呼ばれて来ました。自分がめざす形は、映画やオペラのようなものかも知れないし、芝居に近いかも知れない。そうした既成の言葉で表現できないものかも知れません。音楽劇、演劇音楽といってしまうとおもしろくなくて、詩と音楽をすべて含め、音楽として作っていこうとしているのです。現代は、あらゆる分野で境界や様式が細分化しています。しかし境界がない時代に成立した表現は、技術が今ほど発達していなくても、その時代なりの先端技術が集積していたでしょう。照明でも、音響でも、装置でも、美術でも。トロッタにおいて私は、未分化な表現、あるいは領域を広げた表現を試みていますが、その意味で、初のトロッタとなった第六回で初演した『椅子のない映画館』は、私にとって重要な作品となりました。美術、工芸が、圧倒的な比重を占めるものとして作ったのです。舞台の外に置かれた、新聞紙が梱包された椅子を始め、情報がとてもたくさん乗っている音楽です。第九回の『アルメイダ』は、演劇に接近した音楽で、エレクトーンシティの広い会場を全体に使って、したいことをさせていただきました。第七回の『ナホトカ音楽院』も重要です。捏造による音楽世界が始まった曲です。トロッタでは演奏されていませんが、私が参加するグループ『蒼』の第26回公演で初演した、詩唱と木管四重奏による『風乙女』も、シンプルな形で、私のテーマを音楽にできた作品だと思います。谷中ボッサの「声と音の会」第四回公演で初演し、トロッタの第十回で演奏した『主題と変奏、或いはBGMの効用について』は、音が言葉に接近していく、あるいは音楽が音に接近していく、そうしたことを確認するために、作曲した音楽だったのです……」

2011年5月11日水曜日

トロッタ13通信(26/5月11日分)

(其の四十三)
 トロッタの音楽様式がカンタータであると思うなら、それはそれでよい。名前にはこだわらない。名前は後からついてくるものである。名前はなくてもよい。先に書いたことだが、名前のためにすることになるから。つまり、カンタータを書きたいからカンタータを書く、といった類。自分の中に生じたテーマなり、抱いたモティーフを生かすために、例えばバリトンとオーケストラを欲した。それが結果的にカンタータと呼ばれた。これが本当だろう。憧れだけでカンタータを書く必要はまったくない。自分のスタイルが生まれればいい。電子楽器が必要なら使えばいいし、機械音が必要なら、それを使えばいい。現代人だから、電気的な音は身近にある。それを忌避さけることはない。私は、聴く側に肉声を届かせたいと思っているので、マイクを通さなければならない声は使いたくないだけだ。生きているのだから空気の振動で伝わる生の声がよい。マイクを通した声なら、私は生きていなくてもよい。
 酒井健吉は朗読を伴う自作の曲を、室内楽劇と呼んだ。ソプラノ、詩唱、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための『天の川』や、これはまだトロッタで演奏していないが、詩唱、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための『祈り 鳥になったら』、これもトロッタで演奏していない、アルト、詩唱、オーボエ、ヴァイオリン、ピアノ、打楽器などの『海の幸』などが典型だろう(初演時には電子オルガンも使用されたが、作曲者に改訂の意向があると聞く)。もちろん、『トロッタで見た夢』を忘れてはいけない。ソプラノとヴァイオリン、チェロ、ピアノ、あるいはソプラノとピアノのための曲になっている。
 また橘川琢は、同様に自作の曲を詩歌曲と呼んでいる。橘川の姿を初めて意識したのは、伊福部昭の葬儀の場であった。それまでも幾度か、演奏会場で見かけている。初めてトロッタ参加のことで話をした際、それは新宿にある小田急百貨店のカフェだったが、酒井健吉の『天の川』の録画をコンピュータの画面で観た。橘川が、こういうことをしたかったのです、といった時の声を忘れない。誰もが同じ反応を示すかどうかはわからないが、『天の川』という曲には、“こういうこと”といわれる、わかりやすさ、典型がある。ひとつには、語りが、音楽を牽引する力になっていること。ふたつには、歌や楽器演奏など、一般的な音楽の形もあること。みっつには、形式感や規則に縛られない(歌にもしなくてよい。人間にとって普遍な、語りも音楽の要素にしてよい)自由さがあること。よっつには、音楽が語りのBGMにならない、歌と同様の結びつきが維持されていること。いつつには、事実を述べる叙事性と、感情を述べる叙情性のバランスを、作曲者が計算できること。特にこの点は、叙情的な橘川にふさわしいと思っている。作曲家には、彼や彼女独自の、詩へのアプローチがある。橘川との作業を振り返ってみよう。

(其の四十四)
■ 橘川琢
 橘川は第十四回のために、『都市の肖像』第四集を出品する。『硝子の祈り』と題されている。一集『ロマンス』と二集『摩天楼組曲』は演奏されたが、三集『時代の逆光』はまだ。2010年の第三回個展で演奏予定だったが、曲が間に合わず未完のまま。しかし、すでに構想はあるので、トロッタのため、先に四集が作曲されることになったのである。
 未完といえば、橘川は『1997年 秋からの呼び声』という曲を構想し、第九回で発表するはずだったが、仕上がりが遅れて演奏できなかった。ヴォーカル、詩唱、弦楽四重奏、ピアノ、エレクトーンによる、大がかりな曲であった。学生時代のヨーロッパ旅行をもとにした自己の物語を、彼は持つ。それを音楽にする、ということだ。
 手元に、その資料が見当たらないので記憶で書く。誤認があったら訂正するが、実はこの曲は、すでに一度、完成していた。橘川と、前記の小田急百貨店で打ち合わせをした時、提供された作品集のCDに収録されていたのである。それは、彼が音楽ソフトで作曲したものだ。舞台で演奏されたことはないが、すでにあるものには違いないので、トロッタで発表することは容易だと思い、彼もそう判断した。ところが、改訂作業を繰り返しているうちに構想が膨れ上がり、練習に間に合わなくなったのである。
 失礼な表現になるといけないが、私は、未完の作品に関心を持っている。小説と映画で、何作か、未完に終わったという観点から論じたいと思っている作品がある。つまり、可能性を有し、読む者、見る者の想像を働かせてくれる(抽象的と思われるといけないので、例をあげる。三島由紀夫の『豊饒の海』第四部「天人五衰」は、現行版では他の三部にくらべて短いが、本来はより長大な作品になるはずであった。それは残されたノートでも明らかである。「天人五衰」はよくまとまっていると思うが、三島の死と引き換えるような形で当初の構想が文章化されなかったことは残念である。よく知られたことだが、「天人五衰」最終回を書き上げて、彼は死地に赴いたのだ。また山本薩夫監督の映画『戦争と人間』は、現行は三部作で終わっているが、本来は五部作ないし四部作を構想していた。映画会社の経営が悪化したので、三部で終わったのである。そのため、描かれた時代が短くなった。また第三部の初期台本を読むと、完成作とは大幅に異なる。一部、二部の登場人物が三部でも描かれていたが、完成作から省かれた場合が多い。第三部で完結させるために、台本が改変されたのだ。どちらの作も、とりあえずは完成しているので、未完とはいえない。刊行も上映もできなかったわけではないが、私は作品の構想を大きくすること自体には、可能性を与えることだから、反対ではないのである。繰り返すが、だから発表できなかったという言い訳は、もちろん、できない)。
 橘川の『秋からの呼び声』が第九回で初演できなかった事実は重く受けとめなければならない。しかし、曲の構想が大きくなることは理解できる。小さくなるよりはよい。いろいろな理由があるだろうが、『秋からの呼び声』が曲にならなかったのは、彼の中でまだ、学生時代の物語が生々し過ぎるからではないだろうか。客観化できていない。だから構想が大きくなって、まとめられなかったのだと思う。この点に、橘川琢の特徴もある。至らない点、実現できなかったことにこそ、作家の特徴はあると思っている。

2011年5月10日火曜日

トロッタ13通信(25/5月10日分)

(其の四十一)
■ ファブリツィーオ・フェスタ
『神羽(かんばね)殺人事件』という曲があった。第七回で初演された。私の詩による曲で、作曲者は、イタリアのファブリツィーオ・フェスタである。フェスタは、酒井健吉が2 agosto 国際作曲コンクールで第二位に入賞した際の芸術監督であったという。酒井の紹介で、第五回の『いのち』、第六回の『NEBBIE』、そして第七回の『神羽殺人事件』と出品が続いた。『いのち』は私の日本語詩による、ソプラノ、ヴァイオリン、ピアノの曲。『NEBBIE』は“霧”という意味だが、レオナルド・ダ・ヴィンチの詩を、フェスタの友人、カルロ・ヴィターリが生かした、ソプラノとピアノのための曲。そして『神羽殺人事件』は、私の日本語詩による、ソプラノ、詩唱、フルート、弦楽四重奏、そしてピアノという編成の曲だった。
『神羽殺人事件』には、明確な物語がある。神羽山の頂で、真裸になった男性の遺体が見つかった。男の首筋には刺し傷があった。誰がなぜ殺し、神羽山の頂に置いたのか。物語は、男の死を追う、女性刑事の視点で語られる。殺された男は、実は刑事の、他人に明かせぬ恋人だったのだ。

*

神の羽と書いて神羽(かんばね)と読む 
北に向かって二時間 
自動車(くるま)を走らせると見えてくる 
荒々しく削ぎ落とされた三角の岩山 
神羽山(かんばねさん)
麓には現代(いま)も 
神々の遊び場という 
手つかずの森が広がっている 
人などまだいない時代(ころ)
神は神羽山の頂で白く大きな羽を休めた 

三週間が経つ 
男の死体が発見されたのは 
神聖なその場所だった 
立ち入りを禁じられた神羽山だが 
航空写真を撮影するヘリコプターには何もかもが見渡せる 
男は平たい石に横たえられ 
真裸にされていた 
首筋には深い刃物傷 
ただし血は流れていない 
誰が 
どこで 
なぜ殺した?
さらしものにした理由(わけ)は?

私は事件を追っている 
ひとりの刑事として 
頂に立って山を見下ろし 
森を眺め 
その向こうに続く町を見るたび 
裸の感触をよみがえらせた 
誰も知らない 
男が私の恋人だった事実を 
誰も知らない 
私のからだに 
男の生命(いのち)が宿されている事実を 
ひとりの刑事として 
私は恋人が殺された理由を探している 

(其の四十二)
 私が詠んだが、本来は女声のための曲であろう。この、小説にするのが当然という物語を、私は詩として書いた。小説としては短いが、詩としては長い。フェスタは、日本語をそのまま使って楽曲化した。フェスタには、物語を英語に翻訳して送り、内容を理解してもらった。私の語りも、録音して送った。曲に付される詩は、日本語である。私の詩唱パートだけでなく、赤羽佐東子によるソプラノのパートも、日本語である。日本人もオペラのアリアをイタリア語で歌うから、こうしたこと自体はおかしくない。オペラにはイタリア語の音が生かされているから、翻訳して日本語で歌わない方がいいだろう。歌曲も同じだ。意味よりも音を、重視したい。だから、フェスタも日本語の音を生かす曲を創ろうとしたのだと、私は思っている。ただ、歌はともかく、日本語による詩唱にイタリア人が曲をつける例はないと思われるが。歌も、おそらくはないだろう。
 五つの連に分かれた詩が、順次、楽曲化されて電子メールで届く。詩と音楽が、関連しあっているだろうかと思ったが、その心配は杞憂だったと思う。なぜ、そのようなことができたのかわからないが、フェスタの曲は、詩の内容と融け合っていた。悲劇的な場面に悲劇的な音楽をと、完全に密着しているといけないので、聴く側の想像力をうながす適度な距離が必要となる。それをフェスタは作った。フェスタと日本語の関連というと、酒井健吉との交流しか思い浮かばないが、最終的には音楽家の直感が、それを可能にしたに違いあるまい。いろいろな点で希有なこの曲を、私は大切にしなければならないと思う。厳密にいえば、この曲が生まれたという事実について、考え続けたいということだ。

*

 第十三回で演奏される、今井重幸の『叙事詩断章・草迷宮』が進行している。泉鏡花の小説から今井本人が自由な詩を書き、それをもとにカンタータを書いた。バリトンの根岸一郎は、語り、歌う。赤羽佐東子、大久保雅代、柳珠里、青木希衣子による女声合唱もある。金管楽器はないが、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、打楽器、ピアノによる演奏がある。
 さらに、田中修一の『MOVEMENT an extra』も進行している。赤羽佐東子のソプラノ、私の詩唱、平昌子のファゴット、大場章裕の打楽器、森川あづさのピアノで演奏される。歌と語りと楽器演奏。田中は私に詩を求め、そこから生まれる自身の音楽的感興に期待し、一曲にまとめあげた。
 これらの曲には、共通項があるだろう。詩から生まれた音楽として。約束事はなかったのに、音楽の様式として、共通するものがある。その様式が感じさせるものは何か? 考えることが多い。まだ考えなければならない。