2010年8月18日水曜日

奇聞屋で詩を詠みました

デザイナー小松史明さんが送ってくれた、作成中のチラシ画像をサイトにアップし、関係者に確認してもらっています。
いつも、まず思うことですが、このすばらしいチラシに負けない演奏会にしなくてはなりません。

「詩の通信V」の第1号に手間取っています。しかし、どうにか形にできました。明日には発送したいと思います。

毎月第3水曜日は、西荻窪のライブハウス、奇聞屋での朗読会です。
「詩の通信V」第1号に掲載する「夏の旅」を、個人的には発行記念として、詠みました。
そして、トロッタ12で演奏される曲のために書いた詩を2篇、取り上げました。
「ガラスの歌」と「めぐりあい」です。
「ガラスの歌」は、酒井健吉さんが作曲。簑和田慶子さんに詠んでいただきました。安定感のある朗読でした。
「めぐりあい」は、宮﨑文香さんが作曲。簑和田さんとふたりで詠みました。吉川正夫さんのピアノがみごとでした。

トロッタ12まで、奇聞屋の朗読会は、あと2回です。

サイトを更新しました

小松史明さんから、本チラシの画像が送られてきましたので、トロッタのサイトを更新しました。
タイトルの画像と、挨拶文が変わっています。

2010年8月17日火曜日

暑すぎます

暑いのは好きなのですが、ちょっと度を超した暑さで、まいっています。疲れもあるのでしょう。仕事が進みません。
そろそろ、小松史明さんから、チラシのラフが上がって来る予定です。楽しみに待っています。
上がってきましたら、関係の皆さんに、すぐ確認していただきます。

2010年8月15日日曜日

早稲田奉仕園に行きました

ホールの外観写真を写真に撮るのが目的です。チラシに使うためですが、何と、折りあしく、外観の工事中でした。
11月ごろまでかかるというので、撮影はあきらめ、ありものを借りることにしました。トロッタ12は、特に会場に特徴があるので、それをチラシに生かそうと思います。

朝、今井重幸先生宅を訪れました。若干の打ち合わせです。

2010年8月14日土曜日

徐々に態勢を建て直します

ちょうど1週間前に行われた、橘川琢さんの個展の録画ビデオを編集し終えました。
しばらくしていなかった作業なので、すっかり手順を忘れており、なかなかはかどりませんでした。

2010年8月13日金曜日

長い原稿を書き終えました

4月末から書き進めていました、脚本家、馬渕薫氏についての原稿を、とりあえず書き終えました。400字詰め原稿用紙で、約350枚の分量になりました。
橘川琢さんの個展「夏の國」の一週間前から執筆を止めていましたが、本番終了から一日を置いて書き始め、今日、最終章を書き終えました。いいかどうか、わかりません。編集者が買ってくれないことには、意味がありません。馬渕氏について書きたかったことはもちろんですが、この原稿を本にして、私としては、生きる糧とし、トロッタなどを開けるようにしたいという思いがあります。
ですので、好きだから書いたという類のものではありません。他人に売り物として、評価してもらうことを求めます。生きるための原稿です。それは恥ずかしいことではありません。
この件については、いずれまた。

2010年8月3日火曜日

「夏の國」準備中

いよいよ今週末で、準備に追われています。

2010年8月2日月曜日

詩と音楽ということ

詩歌曲について、詩人が思うこと

 作曲家に、言葉を尽くす必要はない。一曲を、存在させればよい。一曲、彼や彼女のてのひらに、音楽が生まれる。その音楽に出会う喜び。音楽は、作曲家自身である。作曲家の個展とは、そのようなものだろう。彼や彼女が生きた、あかし。生きている、あかし。
 詩歌曲『夏の國』について、詩人として語ろう。“詩と音楽”の道を、ともに歩む者として−−つねづね疑問に思うが、道とはMICHI=未知である。道の涯(はて)は未知。関係あるのだろうか−−。
 作品が生まれる過程はさまざまだ。『夏の國』は、まず題名があった。心に浮かんだ“夏の國”という言葉を、橘川琢に託すか、どうする? 数日、考えた。託せる詩を書けるかどうか、私の問題として、考えたのである。
 詩『夏の國』が、優れたものとして完成しているかどうか、それは知らない。プログラムに載るから判断していただければよい。大切な作品は、優劣の判断からも自由であろう。“夏の國”という言葉に、私は詩を感じた。詩を書かなくても、“夏の國”という言葉自体が詩であると思った。実は、これは危うい。題名に中身が負けるかもしれない。題名に満足して、中身を作らないかもしれない。中身が先、題名が後、これが原則だろう。中身があれば、“無題”といっても許される場合がある。

“夏の國”という言葉で詩を書こうと思うが、託してよいか、どうか。
 何を迷うと思いながら橘川琢に話すと、彼は応諾した。
 橘川に託さないなら、つまり誰に託すとも考えないなら、詩は別の内容になったかもしれないが、橘川が曲を書くといった以上、“夏の國”は男と女の物語になる。川べりに成る黒い実の印象からできあがった詩、『冬の鳥』。歳月を経た男女の物語にしたのだが、これが同名の、橘川作品第41番になった。まだ書かずにいた『夏の国』は、『冬の鳥』に続く“四季物語”−−そのような呼び方は、まだ決定しない。私の中で形を取りつつある言葉−−の一篇になるだろうと思った。
 ある国の、ある街に、消えた女。
 私の中には、国の名も街の名もはっきりしているが、先入観を与えるかと思うので、それは書かない。少なくとも、熱い土地である。人が消えてしまうかもしれない、茫漠とした奥行きを持つ。大きな河が、ゆったりと流れている。上流から樹や草が、時には生きものを乗せて流れてくる。夜は深い。朝は明らかだ。昼下がりのカフェにいるあなたは、隣の席でコーヒーを飲む女性が、店を出て、これからどこへ行くか、わかるだろうか? 大通りから裏通りへ入り、また大通りへ出て、人ごみに消え、二度と戻って来ないとしても、大都会では不思議じゃない。どこから来て、どこへ行くのか。彼女にも、わからないかもしれない。
 そして、“夏の國”に消える運命にある女は、かつて、東京の裏町にある、西陽が強く射すアパートにいた。場末といっていいが、そのような町に住む者も、いずことなく行方知れずになる場合がある。山道にも迷うだろうが、はっきりした道のある都会でも人は迷う。迷ったあげく−−、どうなる?

 そんな世界を、橘川琢と共有できるのか。しかも詩歌曲として、音楽として。いや、橘川と私は、演奏家を含めて、共有してきた。
 詩歌曲−−。詩と音楽によって生まれるもの。詩唱があり、歌があり、楽器演奏がある、音楽。
『時の岬・雨のぬくもり』(Op.16)に始まり、『うつろい』(Op.22)、『鼠戦記』(Op.26)、『花の記憶』(Op.28)、『異人の花』(Op.35)、『死の花』(Op.40)、『冬の鳥』(Op.41)が作られてきた。詩歌曲集『恋歌』(Op.25)、合唱詩歌曲『幻桜会・春を呼ぶ歌』(Op.34)もある。
 歌がない、詩歌曲ではない形なら、『冷たいくちづけ』(Op.19)、『花骸』(Op.37)、詩曲『宇の言葉』(Op.39)なども。
 橘川琢が創ろうとしてきた、詩と音楽の総体。
 いつまで作るのだろう。しかし、ずっと作るのだろう。私が単に書くことのみ務めとする詩人なら、すること、できることは、もう終っている。時々、詩を書いて橘川に渡せばよい。機会を見つけて、彼は作曲してくれるだろう。しかし、例えば今回の個展で、私は『うつろい』を、歌う。詩を書いた者が、自分ではない者の手になる音楽として、自分の詩を歌う。初演以来、私が行ってきた詩唱は、中川博正に託した。初めての形である。−−私が私の詩を歌ったことは、何度かある。酒井健吉作曲『天の川』、清道洋一作曲『ナホトカ音楽院』、田中修一作曲『雨の午後/蜚(ごきぶり)』、そういえば橘川の『春を呼ぶ歌』。歌ったのは、詩の部分である。そして、どの機会も、自分の詩を歌っている気分ではなかった−−
 詩を書いた者だからといって、思いどおりに詠めるものではない。思いどおりにできているのは−−できているとして−−、それは紙上の話。声に出した瞬間、詩は詩人の手を離れる(註*参照)。ましてや、橘川が作曲をし、『うつろい』ならヴァイオリンとピアノが入る。歌の音程は、橘川の感性によって一音一音、定められたもの。私の手から、よほど遠ざかっている。

 はっきりいって、『うつろい』はもう、詩人のものではない。数えきれないほどの曲がり角を曲がっているうち、書く者として詩人の姿−−自分の姿−−は遠ざかり、見えなくなった。
 この点は橘川琢に限らず、私たちが拠り所とする「トロッタの会」の、他の作曲家、演奏家との作業、音楽づくりにおいて、常に感じていることだ。トロッタでは詩は解体される。音楽になること自体、解体されることだし、音楽にならなくても詩唱、いや朗読をするなら、自分の詩を解体する勇気がなくてどうする?
 トロッタに取り上げられる私の詩は原形をとどめなくてよい。橘川琢の個展においても同様。詩を書いたのが私であるという事実は、どこか遠く、夏の國の雲の彼方へ去れ!−−詩には、“詠み人知らず”という考え方がある。トロッタの詩人として、私の態度はそれでいいだろう。
(註* 思いどおりに詠めないといったが、思いどおりに詠んでもつまらないと思っている。それは単なる予定調和だ。思いもよらない自分に出会わなければ。しかし、その方法論、具体的手段について、ここに書く余裕はないし、まだわからないことが多いのである)
 最後に、橘川琢が四年連続で個展を開催することに、敬意を表しながら、詩歌曲について、私の考えを述べる。橘川の考えと異なるだろうが、ご了解いただきたい。
 詩が音楽になってゆく。その過程が、詩歌曲にはある。詩が、いきなり歌になってもよい。作曲家の内側に、作曲する体験として、過程があるだろうから。しかし橘川は、詩唱パートを設けることで、メロディのない言葉、詩唱者にまかされるリズム、作曲家として予測しないハーモニーを、あえて引き受けている。その上で、メロディのある言葉、奏者まかせにしないリズム、予測できるハーモニーを、歌のパートで作る。詩唱を、橘川は、手元で完成させられない。歌は、橘川の手で完成させられる−−もちろん、どのパートも表現として最後に完成させるのは、舞台に乗る演奏家だ−−。
 勝手なことをいわせてもらえば、私が詩唱しないことで、『うつろい』に、新たな可能性が生まれると思っている。『夏の國』では私が詩唱することで、詩歌曲に新たな可能性をつけ加えられると思っている。いずれも、未知のことだ。未知に出会う機会として、第四回個展は開かれる。

2010年7月30日金曜日

明日は栗田和樹さんのリサイタルです

再び、数日にわたって更新できませんでした。
前回が月曜日、もう金曜日です。
昨日、長谷部二郎先生編集の雑誌「ギターの友」の担当ページ、「ギターとランプ」を校了しました。今井重幸先生『シギリヤ・ヒターナ』の後編です。

明日は、トロッタ12に、田中修一さんの『ムーヴメント3 未來の神話』にご出演のギタリスト、栗田和樹さんのリサイタルが、杉並公会堂で開催されます。できれば、トロッタ12の仮チラシを配ろうと思っています。

ここ数日、更新が遅れ、さらに「詩の通信IV」最終号の発行が遅れているのは、馬渕薫論が佳境に入っているからです。橘川琢さんの個展「夏の國」の前に、何とか残り1章にまで持っていきたいと思っています。早起きして原稿を書いていますが、なかなか思うように行きません。

2010年7月26日月曜日

数日間、更新できませんでした

ここ数日、原稿書きで忙しくしてしまい、ブログが更新できませんでした。
事実は、橘川琢さんの個展「夏の國」のために準備を進めています。
先日の土曜日、7月25日は、本番2週間前でした。この日は予定が合いませんでしたが、翌26日(日)、昨日ですが、本番会場のスタジオベルカントにおもむき、挨拶をしました。そして夕方には、橘川さんの『うつろい』の合わせを、新所沢のスタジオで行いました。

その一方で、ギタリスト萩野谷英成さんの合奏コンサートがあり、トロッタ12の仮チラシを配布しました。萩野谷さんは、今井重幸先生の『シギリヤ・ヒターナ』にご出演です。今井先生に、コンサートにお出かけ願いました。

2010年7月22日木曜日

奇聞屋の朗読会

毎月第三水曜日に開催される、西荻窪・奇聞屋の朗読会にて、昨夜は『夏の國』を詠みました。橘川さんの個展で初演されるものですが、詩のみ、先に披露させていただきました。

昨日、阿佐ヶ谷周辺は光化学スモッグ警報が出ました。頭が痛くなりまして、仕事がなかなか進みません。ものすごい暑さで、各地では死者も出たそうです。お気をつけください。

2010年7月20日火曜日

橘川琢さん個展の合わせでした

昨日、本日と、二日続けて、橘川琢さんの個展「夏の國」の合わせを行いました。
昨日は池袋の東京芸術劇場、今日は渋谷のヤマハでした。
私は橘川さんの「うつろい」を歌います。バリトン版に編曲していただきました。
また、初演される「夏の國」が、形になりつつありあます。こちたは楽しみな曲です。

2010年7月18日日曜日

徳田絵里子さんのライヴでした

所沢までお邪魔しました。盛況でした。お疲れ様でした。
橘川琢さんの個展「夏の國」と、トロッラ12のチラシも配りました。

徳田絵里子さんコンサート

本日18時から、所沢駅近くのライブレストラン アド・リブにて、ピアニスト徳田絵里子さんご出演のコンサートがあります。

TAKUSHI SATO VIO0LINE VOL.13

橘川琢さんの個展「夏の國」と、トロッタ12のチラシを配布いたします。

2010年7月17日土曜日

チラシの原稿整理中

先日の7月15日(木)、本番会場にて、今井重幸先生『シギリヤ・ヒターナ』の練習を行ないました。会場の方の立ち会いのもと、音量の確認もしました。木造のため、外部への音漏れを注意しなければなりません。しかし、問題なしとなりました。少しでも合わせができたことは幸いでした。

ただいま、チラシ原稿の整理中です。

堀井友徳さんから依頼があり、新作詩を書き下ろしました。堀井さんの曲『北方譚詩』は、本来、「北都七星」と「蝶の記憶」でしたが、構想が変わり、「蝶の記憶」以外の詩で、ということになりました。急遽、「凍歌-北の街角で聞いた女の声-」を書きました。ありがたいことに、堀井さんに受け取っていただきました。曲名としては、副題がカットされます。
チラシ作成もあり、内容を決めなければいけないので、急いで書きましたが、新しい詩を書く機会が生まれるのは、私にとって、よいことです。

2010年7月14日水曜日

プログラム

トロッタ12のプログラムは、以下のように決まりました。

1)めぐりあい【2008/2010改訂初演】
作曲・宮崎文香 詩・木部与巴仁
メゾソプラノ 徳田絵里子
ピアノ 森川あづさ

2)ヘンリー八世の主題による詩唱曲【初演】
作曲・ヘンリー八世 詩・木部与巴仁
詩唱 木部与巴仁
ヴァイオリン 戸塚ふみ代
ヴィオラ 仁科拓也

3)ガラスの歌【2010改訂初演】
作曲・酒井健吉 詩・木部与巴仁
アルト 青木希衣子
フルート 八木ちはる
弦楽四重奏 Vn.戸塚ふみ代、Vn.田口薫、Va.仁科拓也、Vc.小島遼子
ピアノ 森川あづさ

4)イリュージョン illusion【初演】
作曲・清道洋一 詩・木部与巴仁
ギター 萩野谷英成
ギターを伴う「詩人」 木部与巴仁
弦楽四重奏 Vn.戸塚ふみ代、Vn.田口薫、Va.仁科拓也、Vc.小島遼子

5)ギリヤーク族の古き吟誦歌【1946】
作曲・詩 伊福部昭
バリトン 根岸一郎
ピアノ 徳田絵里子

*休憩

6)ムーヴメントNo.3〜木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る【初演】
MOVEMENT No.3 (poem by KIBE Yohani "RAN-FU", Myths in the future)
作曲・田中修一 詩・木部与巴仁
ソプラノ 柳珠里
フルート 八木ちはる
ヴィオラ 仁科拓也
ギター 栗田和樹

7)ギター独奏・ピアノ・打楽器の為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」【1992/2010初演】
作曲・今井重幸
ギター 萩野谷英成
打楽器 目等貴士
ピアノ 徳田絵里子


8)詩曲 黄金〈こがね〉の花降る 〜紫苑・くろとり・黄金の花降る・檸檬館〜【初演】
作曲・橘川 琢 詩・木部与巴仁
フルート 田中千晴
ヴァイオリン 戸塚ふみ代
ヴァイオリン 田口 薫
詩唱 木部与巴仁
詩唱 中川博正
花 上野雄次

9)女声三部とピアノのための「北方譚詩」 1.北都七星 2.蝶の記憶【2010】
作曲・堀井友徳 詩・木部与巴仁
ソプラノ 柳珠里
メゾソプラノ 徳田絵里子
アルト 青木希衣子
ピアノ 森川あづさ

*アンコール

たびだち【初演】
作曲・宮崎文香 編曲・酒井健吉 詩・木部与巴仁
出演者とお客様による合唱・合奏

2010年7月13日火曜日

トロッタ12の曲順を考えています

いかに効率よく進行でき、しかも、それぞれの曲が印象に残るように、曲順を考えています。

7月15日(木)、本番会場の早稲田奉仕園スコットホールで、音出しをします。メインは今井重幸先生の「シギリヤ・ヒターナ」です。

2010年7月10日土曜日

フルート・デヴュー・リサイタル

フルートの田中千晴さんが出演される、第37回 フル−ト・デヴュー・リサイタルにうかがいました。会場は、オペラシティです。

茅場町の森岡書店で開かれていた、瀧口修造展の最終日にうかがいました。岡安圭子さんによる、瀧口の詩の朗読がありましたが、前後があわただしいため、ご挨拶だけして帰りましたのが残念でした。

2010年7月8日木曜日

未来の神話

田中修一さんの新曲「ムーヴメント No.3」は、6月28日(月)に届きまして、すでに出演者全員にわたっています。
「ムーヴメント No.1 亂譜」「ムーヴメント No.2 亂譜-瓦礫の王」と続いた第三番で、「ムーヴメント No.3 亂譜-未来の神話」となります。
以下のような詩です。


未来の神話

理想が統(す)べる
幾世紀の果てに
断末魔を聴いていた
命の限界
世の終わりの儀式
千万年が過ぎてゆく

人 翼を負い
魚(うお) 人語を使い
鳥 水を潜(くぐ)って飛ぶことなし
草木(そうもく) 足を生やして歩く時

無慈悲な天の怒りが落ちる
夜ごとの恋と
暁の裏切り
気まぐれな雨に
巡礼たちは濡れてゆく
ためらうな
歩き続けよ
死の淵が口を開いて待っている

川 海となり
山 断崖となり
町 陰鬱の森となり
火の山 凍原となる

涙を詰めた小瓶を海に
鱗をまとった
水底(みなぞこ)の青年が
揺れながら漂う
小さな光に
未来を感じる

2010年7月7日水曜日

チラシ配り

橘川琢さんの個展「夏の國」のチラシを配りに遠出しました。
トロッタのチラシではありませんが、関係者は出ていますし、チラシ配りは宣伝の基本なので、ここに書きました。
いつも置かせていただいているところに顔を出し続けることは、必要だと思います。

2010年7月6日火曜日

トロッタの原稿を書きたいと思っています

前回のトロッタを終えた後、トロッタについて書きたいと思ったのですが、目下、果たせないままです。何とかしたいと思います。

2010年7月5日月曜日

一日中、原稿書きでした

なかなか書けません。原稿を書くために喫茶店に行きましたが、話し声が気になって進みませんでした。書ける時は、どんなに騒がしくても書けます。書けない時は、どんなに静かでも書けません。
チラシを配りに行きたかったのですが、それはあきらめ、ストイックに、原稿書きに専念した一日でした。

2010年7月4日日曜日

「洪水」6号発行と瀧口修造展

池田康さんが発行する雑誌「詩と音楽のための 洪水」の第6号が発行されました。
特別企画として「滝口修造への小径」が載っていますが、これに関連する展示会が、茅場町の森岡書店にて、7月10日(日)まで開かれています。

瀧口修造の光跡 2 「デッサンする手」

土渕信彦氏の所蔵する、瀧口修造のドローイング・水彩 約30点が展示されています。

橘川琢さんの個展「夏の國」のチラシをまいています。少しでも多くの方の目にとまりますように。

2010年7月3日土曜日

楽譜の発送や連絡

トロッタの楽譜発送などが始まりました。まだ本格的ではありませんが、7月15日(木)に本番会場で練習しますので、そのための連絡などです。

2010年7月1日木曜日

アンサンブル・クラング演奏会

東京音大卒業生による、アンサンブル・クラング演奏会「管と弦による調和と響き」にうかがいました。会場は杉並公会堂小ホールです。
フルートの田中千晴さん、ファゴットの平昌子さんがご出演でした。

2010年6月30日水曜日

トロッタ12、新しい仮チラシ

午前中に、トロッタ12の新しい仮チラシができてきました。さっそく、橘川琢さんにお願いして、明日行われます、オーラJの演奏会でまきます。

関係者に、プロフィールや曲解説の原稿をお願いしました。そろそろ本チラシを作り始めます。

今から約1時間、あることを試します。上野雄次さんと、9月末から、谷中ボッサで会を開くのですが、そのためのテストです。結果は、「詩の通信IV」の最新号でお知らせします。

2010年6月29日火曜日

久しぶりの原稿書き

仕事の原稿書きは午後からにして、午前中いっぱいを、馬渕薫氏の原稿書きにあてました。2週間ほど書けなかったのですが、やはり、原稿を書くと、生き返る気分です。原稿によって生かされているともいえます。
清道洋一さんから、トロッタ12の新曲について、御希望とお尋ねがありました。自由に作曲していただければと思います。
早稲田奉仕園から電話があり、本番会場での音出しは、7月15日(木)で、決定しました。
知人に新宿駅で会いました。トロッタのチラシを古本屋で見かけたそうです。彼はトロッタに足を運んだことはありませんが、見てくれていました。地道にチラシをまくことも無駄ではないと思いました。
上野雄次さんと谷中ボッサで行うイベントの企画を考えました。内容の締切は明日です。

2010年6月28日月曜日

田中修一さん新曲が届きました

田中修一さんがトロッタ12で発表する新曲『ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る』の楽譜が届きました。ただいま確認中です。いろいろと工夫がされてあり、楽しみです。

フルートの田中千晴さんから、ご出演のコンサートの案内をいただきました。近くなりましたら、お知らせします。

原稿執筆中の、脚本家、馬渕薫氏が初めて書いた脚本による映画、『赤線基地』(谷口千吉監督、1953年作品)が上映されたので観に行きました。初めての脚本で、生硬なところがありますが、態度は真面目で、馴れたものより好ましく思います。何より、今も続く基地問題を社会に訴えた点で、作られなければならなかった映画だと思いました。そのような詩を書きたいものです。

実験したいことがあり、花をたくさん買ってきました。

2010年6月27日日曜日

ギターフェスタ終了

長谷部二郎先生、仁科拓也さんとともに、『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』を演奏しました。
トロッタ12でも演奏される曲です。お楽しみに。

ここ数日、トロッタ12の本番会場で練習するため、関係者のスケジュールを調整中です。
解決しなければいけない問題があります。

2010年6月26日土曜日

明日はギターフェスタです

明日は、14時半開演にて、京王線久我山駅に近い、久我山会館にて開催される「第7回 ギターフェスタ」に出演します。
私の出番は16時ごろです。
入場無料です。

ただいま、明日の配布物を作成中です。「ヘンリー八世の主題による詩唱曲」です。

2010年6月25日金曜日

会場での練習を調整中

実際に音を出してみなければわからない点がありますので、本番会場、早稲田奉仕園スコットホールを使っての練習を予定しています。
会場と打ち合わせ中です。

今日はギターのレッスンでした。
明後日の日曜日は、ギターフェスタの本番です。

2010年6月24日木曜日

本番会場の内観です


        (写真:橘川琢)

2010年6月23日水曜日

上野雄次さんと打ち合わせ

9月末から始まる上野-谷中アートリンクに、今年は、上野雄次さんと参加することにしました。
今日、上野さんと谷中ボッサにおもむき、何ができるか、打ち合わせました。
詳細はまだですが、9月29日(水)から10月4日(月)まで、毎日、詩唱と花いけを行います。
それえが終りましたら、トロッタ12の準備が本格的に始まります。

2010年6月22日火曜日

慌ただしい&充実の数日間が終わりかけています

個人的な事情ですが、風邪を引きましたのが、慌ただしさに輪をかけた原因です。
ここしばらく、演奏会が続きました、すべて行けませんでした。
本日、行われました、甲田潤さんの改訂初演曲『對揚』が演奏される、「箏合奏団 絹の会」も、時間に間に合いませんでした。行くことは行ったのですが。申し訳ございません。
来週の日曜日は、私が出ます、第七回ギターフェスタです。『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』を、長谷部二郎先生、仁科拓也さんと演奏します。

トロッタ12の会場を下見しました

早稲田奉仕園スコットホールの下見をしました。
実際に舞台に立つと、思っていたより広く、ただいまの編成なら、じゅうぶんに、全員が乗ります。
また、木造だけあって、音響がさすがによく、満足のゆく会場でした。

本日は、テルミンの大西ようこさんと、花の上野雄次さんらが共演する会があったのですが、残念ながらうかがえませんでした。
準備中に挨拶だけしてきました。

2010年6月20日日曜日

上野雄次さん「華弦電子乱土」と、風邪にご注意

昨夜、食事をした店の冷房にやられたらしく、おなかを少しこわし、全身が凝っていて、熱もあるようです。今夜は早く休みます。
皆様もお気をつけください。
明日は、トロッタ12の会場を下見する予定です。
また、上野雄次さんが、テルミンの大西ようこさん、ギターの國仲勝男さんと共演する「即興セッション 華弦電子乱土」が、江古田Flying Teapotで行われます。電話予約は、03-5999-7971へどうぞ。会場下見と時間が重なっているため、私はうかがえませんが、ご成功をお祈りします。

2010年6月19日土曜日

仮チラシが届きました

トロッタ12と、橘川琢さんの個展「夏の國」の仮チラシが届きました。
さっそく、座・高円寺に置いてもらい、また、根岸一郎さんの「バリトンリサイタル」と、上野雄次さんの「はないけ教室」に届けました。

中川博正さんの出演する芝居があったのですが、私が一日、日を間違えていて、うかがえませんでした。たいへん失礼をしました。
演目は、別役実の『マッチ売りの少女』と『天才バカボンのパパなのだ』で、中川さんは、『バカボンのパパ』に、巡査役で御出演されたそうです。次回はうかがいます。

上野雄次さんの「はないけ教室」

6月19日(土)と20日(日)、上野雄次さんの「はないけ教室』が、千駄ヶ谷のメコノプシスで行われます。
時間は、12時、15時、18時の三回で、各2時間の予定。
参加費は5,000円。
予約は、以下へお願いします。

ug..........ueno@docomo.ne.jp

090-2443-7103

根岸一郎さんバリトンリサイタル、徳田絵里子さん出演

ご案内が遅れて失礼しました。
6月19日(土)15時開演にて、根岸一郎さんのバリトンリサイタルが行われます。
ピアノの徳田絵里子さんもご出演です。
会場は、荻窪の「遊美」(杉並区荻窪5-10-22 美好屋ビル1F/TEL.03-3393-8900)。
シューベルト、シューマン、ラヴェル、フォーレ、伊福部先生らの歌曲の他、
徳田さんによる、伊福部先生のピアノ組曲から、『七夕』の演奏などがあります。

2010年6月17日木曜日

「詩の通信IV」発行できました

午前中いっぱいかけて書き上げました。本当に自分はこれを書きたいのか、自問自答します。今回の作品は、2週間をそのようにしながら、やっと書けました。明日はギターのレッスンです。なかなか思うように行きません。
また、明日は、27日(土)のギターフェスタのため、「ヘンリー八世の主題による詩唱曲」の合わせを、長谷部二郎先生、仁科拓也さんと行います。

2010年6月16日水曜日

奇聞屋「朗読の日」

毎月第三水曜日は、西荻窪・奇聞屋にて、「朗読の日」が行われます。
「詩の通信IV」の「はなものがたり」が、来月いっぱいで終りますので、「はなものがたり」から2篇を選びました。
19号「石の花」(10.4.20)と、22号「火の虫−ある花の物語」(10.5.31)です。

帰路、古本屋にて、清水正著『母性とカオスの美学 今村昌平を読む』(鳥影社)を購入しました。代表作を、シナリオを中心に読み解くという内容に興味を抱きました。ただいま取り組んでいる、馬渕薫論と同じだと思ったからです。ただ、清水氏は監督について語り、私は脚本家について語る点が違っていますが。

仮チラシを印刷します

トロッタ12の仮チラシを、コピーではなく、印刷することにしました。橘川琢さんの個展「夏の國」の仮チラシと一緒に、200枚印刷します。いちいちコピーをするより、よいと思いました。橘川さんの本番は8月7日(土)なので、本チラシを、もう用意する必要があります。
ギターの長谷部二郎先生に教えていただいた印刷会社、印刷ショップに初めて入稿してみました。
墨一色なのですが、私の理想のひとつに、墨一色でも見栄えのするチラシを作ることがあります。色に頼らなくても、かっこうのいいものはできるはずです。

小説と映画の『告白』

昨日は、ほとんど一日がかりで、湊かなえの小説『告白』の書評を書きました。WEB版「FIGARO」に、私のコラム欄にアップされています。
『告白』は、映画になって、ただいま上映中です。小説があり、それを原作にして映画を作る。詩があり、それをもとに音楽を作るとすれば、トロッタと同じです。執筆中の、馬渕薫氏についての原稿でも、原作と脚本、原作と映画の関係について、しばしば’触れています。
詩があって、それを声に出す。脚本の台詞を声に出すのは当然のことです。似たようなことについて、いろいろと考えています。

2010年6月15日火曜日

橘川琢さん個展「夏の國」の案内

 橘川琢の作品個展が、2010年も開かれる。第4回の開催である。関わる者として、嬉しい。継続して初めてわかることがある。聴いていただく方にはわかっても、聴いていただこうとする当事者には、なかなかわからないことがあるのだ。橘川琢も、わかりたいし、感じたいのであろうか。自分自身を。共に舞台を創ろうとする者たちも、橘川と一緒に、自分自身をわかりたい。感じたい。
 個展を「夏の國」と題した。木部与巴仁の詩、『夏の國』から取られている。2009年末、橘川は、やはり木部との共同作業として『冬の鳥』を初演した。冬の次は夏。意図してのことではなかった。無意識に選び取られた題名である。意識してはいけないのだろう。『花の記憶』に始まる、“花の三部作”も同様だ。2作目の『死の花』には至ったが、完結編の『祝いの花』はまだできない。時期を待っている。意識しなければならない時もある。しかし、無意識に、自然に形になればいちばんよい。
『春秋花様』は2010年3月に初演された。桜を愛する橘川の心情が染め上げた曲。初演者ふたりの演奏に満足をしたという。同じ演奏者による再演で、期待が持てる。
『うつろい』は2008年1月の初演で、演奏者を変え、時に編成も変えながら、今回が5度目の演奏となる。歌は初めての男声。橘川の代表曲だ。
『日本の小径(こみち)』は“ピアノ叙情組曲”の第1集で、2007年2月に全曲が演奏された。「瑠璃の雨」「夏の栂池(つがいけ)」「風夢(かざゆめ)」「秋を待つ間」の、各曲名が美しい。ヴィオラとピアノによる演奏となる。
『biotope II』は今回が初演。作曲者によれば、“閉じた生態系の中で循環する水、命”を意味する曲名で、第1番から3年を経て、第2番が生まれた。演奏は、ピアニストの感性にまかされている。上野雄次の花いけと合わせて一曲となる。
『都市の肖像 III』も初演である。2008年7月に第一集「ロマンス」が全曲初演、同年10月に第二集「摩天楼組曲」が全曲初演。二集には“補遺”版も生まれた。そして三集。他の曲も合わせて考えると、橘川にはいくつかの作品集がある。その総体が橘川琢であり、彼の音楽世界である。
『夏の國』の初演をもって、第4回個展は最後を迎えることになる。『冬の鳥』と同様、恋愛詩である。不思議な思いだ。橘川と、恋愛をうたいあげている事実が。表面をいえば恋愛だが、それは人を人として生かす情熱だろう。音楽と同じである。
 橘川琢の心を、音楽として、お聴きいただければ幸いです。
(木部与巴仁)

トロッタの原稿を書かなければ

トロッタ11が終った時、トロッタについての原稿を書こうと思いました。しかし、書き始めたのは、馬渕薫氏についての原稿でした。予定が違ったわけですが、今はともかく、馬渕氏の原稿を完成させなければなりません。ただいま、180枚くらいまで書き進みました。半分に達したかどうか。
雑には書きませんが、少しでも早く終えて、トロッタについて書こうと思います。映画関係の原稿としては、また別のテーマを考え、資料を集めています。書きたいことは、いくらでもあります。体はひとつですので、原稿もやはり、ひとつずつ形にしていくことです。「詩の通信IV」の発行日でしたが、書けませんでした。だいぶ前から考えている詩があるのですが、形になってくれません。

2010年6月13日日曜日

演奏会、など

森川あづささん、柳珠里さん、仁科拓也さんらがご出演になった演奏会に足を運びました。
スタジオリリカが満員になっていました。お疲れさまでした。

映画評論家の小林淳さんと会い、いろいろとお話ししました。
馬渕薫氏の原稿について、アドバイスをいただいています。
小林さんは、ただいま、伊福部昭先生に関する、新しい著作に取り組もうとしておられます。
夏には新刊が出るとか。出ましたら、ご報告いたします。

2010年6月12日土曜日

明日は森川さん出演の演奏会です

初台のスタジオ・リリカにて、14時開演で、演奏会「CLAPOP!!(くらぽっぷ!!)」が行われます。
ピアノは森川あづささん、堀米奈穂さん。ゲストが、ヴィオラの仁科拓也さん、ソプラノの柳珠里さん。
ラヴェルの『鏡』から「道化師の朝の歌」、フォーレのの『NELL』などに加え、橘川琢さんの、抒情組曲『日本の小径(こみち)』から、「瑠璃の雨」「夏の栂池(つがいけ)」が演奏されます。
私も聴きに行きます。どうぞ、お運びください。

2010年6月11日金曜日

トロッタ12、仮チラシの文章です


TOROTTA12に向けて

 詩と音楽を歌い、奏でる「トロッタの会」が、12回を迎える。2008年1月の第5回公演の会場となった早稲田奉仕園にお越しいただきたい。前回はリバティホールだったが、今回は同じ敷地にある礼拝堂、スコットホール(講堂)が舞台である。1921年に完成した、東京都の歴史的景観保存建造物だ。
■伊福部昭の作品は、『知床半島の漁夫の歌』(1960)、『摩周湖』(1992)に続いて、作曲者初の歌曲『ギリヤーク族の古き吟誦歌』(1946)を取り上げる。詩は伊福部本人である。
■今井重幸の『ギター独奏・ピアノ・打楽器の為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』(1992)は、オーケストラ版は演奏されたが、室内楽版は初演。作曲者が愛するシギリヤのリズムをお聴きいただきたい。
■橘川琢の『詩曲 黄金〈こがね〉の花降る -紫苑・くろとり・黄金の花降る・檸檬館-』は、2作目となる詩曲の初演。ヴァイオリニスト二人に加え、花の上野雄次も加わる編成が楽しみだ。
■清道洋一の『イリュージョン illusion』は初演。前回、評判の高かった『「いのち」より』が記憶に新しいが、彼の曲はまったく予測がつかない。作曲家本人が、予測できないことをしているのである。
■酒井健吉の『ガラスの歌』は、2010年3月、邦楽器を主に初演されたが、今回は新たな編成となる。会の名の起こりとなった『トロッタで見た夢』(2005)を書いた、長崎在住の作曲家である。期待しよう。
■田中修一の『ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る』も初演。『ムーヴメント』シリーズの3曲目である。初めて用いられるギターは、作曲家が少年期から愛奏する楽器だ。
■堀井友徳の『女声三部とピアノのための「北辺の譜」 1.北都七星 2.蝶の記憶』も初演である。北海道在住の作曲家が、北の町を舞台にした詩を選んでくれた。三部合唱による二曲という意欲作である。
■宮﨑文香の『めぐりあい』は、トロッタのアンコール用合唱曲として、6回、すべて別の詩で歌われ、親しまれてきた。これを独唱歌曲として初演する。また違った味わいが生まれるだろう。作曲者は、新たなアンコール曲に、『たびだち』を書き下ろす予定である。
■木部与巴仁の『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』は、曲は16世紀のイングランド王によるもので、これに木部与巴仁が詩をつけ、ヴァイオリン、ヴィオラによって演奏される。
 古色ただよう会場で開催される初のトロッタ。TOROTTA12に、ぜひお越しください。
(木部与巴仁)

2010年6月10日木曜日

仮チラシ作成中

トロッタ12と、橘川琢さんの個展「夏の國」の仮チラシを作成中です。
しかし、疲れてくると、何をどうしていいか、簡単なことでも判断できなくなります。



昨日は、少ない文字数しか書けませんでした。続きを書こうと思っていたのですが、果たして、何を書くのであったか忘れました。

久しぶりで、馬渕薫氏の原稿の一章分を、編集者に送りました。これで序章から四章まで、一応、形になりました。
髪を切りに行き、その間、五章の書き出しのプランを立てたので、午後から大谷図書館へ行って作業しました。

2010年6月9日水曜日

昨日の続きです

毎週水曜日は、ギターと歌のレッスンが午前中にあります。金曜日は、ギターのみです。
その合間を縫って、資料収集に走りました。

限界と可能性

何でもできる人はいません。最近、私の限界と可能性について考えます。
限界とは、あることはできるが、それ以外はできないということです。
可能性とは、あることについては無限の可能性を持っている。しかし反面、それ以外の可能性はないということです。
WEB版FIGAROの書評、ただいま取り組んでいる馬渕薫氏の原稿、「詩の通信IV」のこと、連載を始めた「ギターとランプ」、これらはすべて、書くことです。そこに私の限界と可能性があります。
しかし、そんな自分を裏切りたい気持ちを持っています。裏切っているからこそ、トロッタがあるのでは? 他人が、私の限界と可能性を指摘するのは自由ですが、自分で限界と可能性を決めることはないと思います。

2010年6月7日月曜日

トロッタ12の内容確認

どうもここしばらく、トロッタの皆様に会っておらず、会うとしても個別でしかなく、こういう状態が続くと、自分が手を抜いているのではという気になってしまいます。
出演者に会うなどして準備を進めているのですが、早く練習をしたいと思います。
個人的事情もあります。取り組んでいる脚本家、馬渕薫氏について書かなければいけないので、どうしても、そちらに時間を割いています。馬渕氏の原稿は、今日は一文字も書きませんでしたが、友人に送っていただいた脚本をコピーしたり、神保町に資料を買いに行ったりと、やはり時間を使っており、どうしてもトロッタより、そちらに時間を費やしています。
午前中、トロッタ関係者に、プログラムなどの内容を確認するメールを送りました。
橘川琢さんの個展、「夏の國」の準備も進めていて、そのメールも送りました。何人かの方からお返事をいただきました。
こうした地道なことを積み重ねていくしかないのだろうと思います。

2010年6月6日日曜日

「花いけダルマ」に行きました



横浜市都筑区の都筑民家園で行われた、上野雄次さんの「花いけダルマ」に行きました。
横浜市営地下鉄のセンター北駅が最寄りです。近くに横浜市歴史博物館がありますが、ここがまだ開館する前、15、6年前に取材で訪れました。周囲は造成中で、赤土ばかりが広がっていましたが、今はその面影は何もない、新興住宅地です。
上野さんの花は、江戸時代の民家を使った、スケール感あるものでした。写真は、外観と、内観です。



2010年6月5日土曜日

「ギターデュオの調べ」半分だけ聴きました

長谷部二郎・知子先生主催の「ギターデュオの調べ」は、会の半分だけ聴きました。朝から原稿書きを続け、時間が取れませんでした。残念でしたが、ギター演奏会の雰囲気に、少しでもひたれました。

WEB版FIGAROのための書評を書きました。これに数日、時間をとられていたのです。
作品は、ロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』です。
上下巻の長編小説で、読みやすいとは決していえないのですが、書評ですから分析もしなければならず、ある程度の分析をして思ったことは、これはボラーニョによる詩と詩論かもしれないということ。さらにいえば、これは小説の形を取った詩かもしれないということでした。
正統の小説というものがあるとして、そうではない作品ですが、オリジナリティを感じる小説に久しぶりで会いました。
問題作だと思います。私の詩も、これを超えるものでありたいと思います。

2010年6月4日金曜日

「花いけダルマ」「ギターデュオの調べ」

花道家の上野雄次さんが、横浜の都筑民家園にて、花いけの実演「花いけダルマ」を行います。最寄り駅は、横浜市営地下鉄センター北駅。

6月5日(土)11時-17時
6月6日(日)9時-16時

6月6日(日)14時-15時30分には、茶室にて「花いけ&トーク」が行われます。
参加費2,000円(飲み物&お菓子付き)



ギターの長谷部二郎先生と奥様の知子先生による、第9回「ギターデュオの調べ」が、杉並公会堂小ホールにて、行われます。
曲目は長谷部先生の作曲・編曲集で、『小さな夢』『夏の風』など。
トロッタのヴィオリスト、仁科拓也さんが賛助出演します。

6月5日(土)19時開演
当日券2,300円

2010年6月3日木曜日

アルトの方が決まりました

本日、アルトの方にお目にかかりまして、トロッタ12へのご出演をご快諾いただきました。これでほぼ、出演者は決まりました。後日、皆さんに再確認をしまして、演奏予定曲ともども、発表したいと思います。
アルトの方は、酒井健吉さんのアルト独唱を含む『ガラスの歌』と、堀井友徳さんの女声三重唱曲『北辺の譜「1.北都七星」「2.蝶の記憶」』にご出演いただきます。いずれも私の詩による曲です。

朝、「ギターの友」を今井重幸先生宅にお届けにあがりました。今井先生の『シギリヤ・ヒターナ』は二度に分けて掲載します。次号の原稿もすでに提出済みです。その次は、やはりトロッタ12のために、ギターを含む作品『MOVEMENT No.3』を作曲中の田中修一さんにご登場いただく予定です。

2010年6月2日水曜日

「ギターとランプ」連載開始

今日は、ギターと歌のレッスンがありました。
長谷部二郎先生宅で、「ギターの友」6月号をいただきました。私の新連載「ギターとランプ」が掲載されています。
4月号には、今井重幸先生と私の対談が掲載され、トロッタ11の演奏風景が表紙になりました。
トロッタが、少しでもメディアに載ればいいと思います。

歌のレッスンは、今日から『フィガロの結婚』第四幕の、フィガロのアリアです。なかなか暗譜できません。
ギターも歌も、トロッタに直結しています。

明日は、アルトの方と初めてお目にかかる予定です。
酒井健吉さんの『ガラスの歌』と、堀井友徳さんの『北辺の譜』に出演していただく予定です。

トロッタ12の概要です

長谷部二郎先生の「ギターの友」6月号に、トロッタ12の広告を出させていただきました。
その原稿を、アレンジしてご覧にいれます。
雑誌の性格上、ギターが入る曲を優先し、ギタリストの名前のみ入れてあります。
他の出演者は名前が入っていませんが、これも雑誌の性格を考えてのことです。ご了承ください。

詩と音楽を歌い、奏でる「第12回 トロッタの会」
■開催日 2010年11月6日(土)
■時間 18時開場 18時30分開演
■会場 早稲田奉仕園スコットホール(講堂)*地下鉄東西線早稲田駅より徒歩5分
■料金 前売り3,000円 当日3,500円
■曲目
今井重幸『ギター独奏・ピアノ・打楽器の為の協奏的変容「シギリヤ・ヒターナ」』 g.萩野谷英成、他
田中修一『ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る』 g.栗田和樹、他
清道洋一『イリュージョン illusion』 g.萩野谷英成、他
伊福部昭『ギリヤーク族の古き吟誦歌』
橘川琢『詩曲 黄金〈こがね〉の花降る -紫苑・くろとり・黄金の花降る・檸檬館-』
酒井健吉『ガラスの歌』
堀井友徳『女声三部とピアノのための「北辺の譜」 1.北都七星 2.蝶の記憶』
宮﨑文香『めぐりあい』
木部与巴仁『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』

出演者 *後日発表のサイト、チラシをご参照ください。
お問い合わせ 070-5563-3480(木部)
メール yohani@mac.com
URL www.kibegraphy.com

2010年5月31日月曜日

「詩の通信IV」21号と22号の後記

21号《後記》今二十一号は二週間も遅れる失態です。二十二号と同時発行させていただきました。前号で書きましたが、脚本家の故・馬渕薫氏について書き進めており、「詩の通信IV」を始め、種々の作業に遅れが生じています。馬渕氏の原稿も、調査が滞っているため、ここ数日は進んでいません。ただ何もしていないわけではなく、大谷図書館という、松竹本社にある演劇・映画関係の施設に通い、脚本を書き写しています。コピーができないからですが、写すことで、馬渕氏の文章のリズムをなぞっています。他の仕事があるため一日一時間半が限度ですが、このようにして、いわばレッスンをしているのかもしれません。トロッタ12の準備が始まるまでに、本にならないまでも書き上げるつもりです。次号は二〇一〇年六月十四日(月)発行予定です。二〇一〇年五月三十一日(月)

22号《後記》長谷部二郎先生が発行する雑誌「ギターの友」で、「ギターとランプ」という連載を始めました。六月号が第一回です。トロッタの会で演奏されるギターを伴う曲を、作曲家に取材し、解説します。まず、今井重幸先生の『室内楽版 ギター独奏と打楽器、ピアノのための「シギリヤ・ヒターナ」』について、前後編に分けて書きました。譜例を付けましたので、わかりやすいと思います。五月二十二日(土)、西村朗氏の合唱曲『まぼろしの薔薇』が、甲田潤氏の編曲により、女声版として初演されました。大手拓次の詩にもとづく作品で、西村氏にとっては、やはり大手拓次の詩による『そよぐ幻影』『秘密の花』とともに三部作をなすそうです。ひとつひとつ作品を作ってゆく姿勢の大切さを実感しました。次号は二〇一〇年六月十四日(月)発行予定です。二〇一〇年五月三十一日(月)

2010年5月10日月曜日

「ギターとランプ」

雑誌「ギターの友」に掲載するため、今井重幸先生への取材を原稿にしました。2回に分けるつもりですが、まず1回分を、多めに書きました。連載のタイトルは「ギターとランプ」にするつもりですが、それでいいかどうか。原稿も、まだ今井先生にチェックしていただいていません。トロッタ12で初演される、『室内楽版 ギター独奏・打楽器・ピアノのための「シギリヤ・ヒターナ」』について書きました。

2010年5月8日土曜日

会場は確保してあります

早稲田奉仕園スコットホールに確認しました。

2010年5月6日木曜日

堀井友智さんの曲

トロッタ12に、北海道から、堀井友智さんが参加します。
伊福部先生に、直接、教えを受けられた作曲家です。
堀井さんのために、詩をいくつか提供させていただきました。
その結果、今夜、何をお使いになるか、最終的に決定しました。
タイトルの変更を提案していますので、まだ曲名は書きませんが、これで、基本的なプログラムが決まったと思います。

2010年5月5日水曜日

トロッタ12

トロッタについて、原稿を書こうと思いつつ、まだ始められません。
脚本家についての原稿を書き始めてしまったからです。しかし、間もなく書き出します。

2010年5月4日火曜日

お墓参りをしました

高尾へ行き、ある脚本家のお墓にお参りしました。脚本家について、書こうとしています。執筆の報告をさせていただきました。トロッタには関係ありませんが、人の仕事に対して、人という存在について、謙虚でありたいと思います。実在の、例えば作曲家と、トロッタの場で交流する際は、時に意見をいったりしなければならない場合があります。その時も、基本的な態度は、謙虚でいようと思います。自分には厳しくあるのでしょうが、自分にも謙虚でいたいのです。うぬぼれは、絶対に禁物です。

2010年5月3日月曜日

今井重幸先生を取材しました

ギターの長谷部二郎先生が編集する雑誌「ギターの友」のため、今井重幸先生を取材しました。

2010年5月2日日曜日

トロッタ12への進展

昨日は、新たに加わっていただける打楽器の方に会い、本日は、ソプラノの方に会いました。
また会場も、ほぼ決まりました。すでに予約をして、おさえてもらっています。
内容をお知らせできる日も遠くないでしょう。

2010年5月1日土曜日

トロッタのサイトを更新しました

更新したとはいえ、整理をしただけで、中身は変わっていません。
久しぶりにHTMLを書きましたので、これは毎回そうなのですが、苦労します。
本日、トロッタ12に使いたいホールのことで進展がありました。この線で決定できればと思います。

2010年4月29日木曜日

トロッタの関係者にメールを送りました

作曲家と演奏家に、メールを送りました。
プログラムについては、関係者の了解が得られましたら、発表いたします。まだ未決定の曲もございます。
ただ、開催日の第一希望は、11月5日(金)、6日(土)、7日(日)のいずれか一日です。
この予定で調整中です。ここにあてはまらず、あきらめなければならないこともありましたが、致し方ありません。

ある、映画の脚本家について、まだ漠然とではありますが、考えています。原稿を書こうと思っています。
脚本家は、言葉を作る存在です。
それを、役者が口にし、所作で表わし、映画監督が演出し、カメラマンが撮影し、編集などを経て、一本の作品になります。
脚本家は、自分の書いた言葉を、他者にゆだねるわけです。
トロッタにおける、私のような詩人に似ています。
自分一人ではどうにもならない部分が多くあります。
そのあたりの共感が、その脚本家について書こうとした動機です。
映画について書きますが、トロッタに通じるテーマです。

2010年4月28日水曜日

新展開できませんでした

昨日は、予定どおりに行きませんでした。練習や原稿書きがあり、風邪も完治していません。
ただ、トロッタの関係者何人かと話ができたことが救いです。

2010年4月27日火曜日

ブログを改めてスタートさせます

今日は私の誕生日です。
それは重要ではありませんが、これを機に、「12へ」の原稿を、改めてスタートさせます。
ブログを書かなかった数日中に、トロッタ12への準備が、動き出しています。
そのご報告も行います。

2010年4月21日水曜日

「12へ」;15

書くことが滞っています。
個人的な話ですが、昨日、「詩の通信IV」の19号を発送し終えました。ここしばらく、2週間近く遅れていましたが、19号は1日遅れの発送ですみました。ペースを取り戻したいと思っています。
ブログを、もう少し、有効な形に変えたいと思っています。日々の記録だけでは、あまり意味がありません。トロッタについて、私の考え方、皆で行ってきたことなどを、整理して表わしたいのです。

2010年4月18日日曜日

「12へ」;14

しばらく何も書けませんでした。トロッタとは何の関係もないことですが……。
小説家、阿部和重氏の最新長篇『ピストルズ』の書評を書くため、氏の主要作品を読み続けていました。そのため、ブログを書く気持ちになれませんでした。昨日は、村上春樹氏の長編『1Q84』第3巻が発売されたのを機に、1巻と2巻を読み直し、そのまま3巻を続けて読みました。こちらも書評のためです。これで1週間、心を奪われました。

2010年4月13日火曜日

「12へ」;13

改めて書きます。おまちください。

2010年4月11日日曜日

「12へ」;11

伊福部玲さんの作陶展が、八王子の「ギャラリーことのは」で開かれています。今日は、田中修一さん編作によるピアノ版『土俗的三連画』を含む、ピアノ演奏会がありました。ピアニストは、濱野与志雄さんです。

トロッタ12に出品される、田中修一さん、堀井友徳さんのために、詩を書いています。

帰宅すると、先日7日(水)、修理に出したMacBookが戻って来ていました。これで、DVDのコピーを2台同時にできます。

このような日々の報告をするだけが、このトロッタのブログの役目ではないと思います。内容を変えたいと思います。もうひとつ、ブログを作ることを考えています。

「12へ」;10

上野雄次のはないけ教室に行きました。上野氏から、トロッタに関する御意見、御発案がありました。

トロッタ9と10のDVDをコピーしています。夜じゅう、ずっとです。

2010年4月9日金曜日

「12へ」;9

朝早く原稿を出した後、15時からのギター・レッスンに向けて練習しました。

トロッタ1からビデオ撮影をお願いしていた服部かつゆきさんと会い、トロッタ9とトロッタ10の編集済み映像をいただきました。服部さんとは、何度か共同で作品を創ったこともあります。その代表的なものは、やはり、『新宿に安土城が建つ』でしょう。トロッタ以前の話です。トロッタの記録は、もう担当されませんが、また御一緒できればと思います。
9と10のコピー作業に取りかかります。

2010年4月8日木曜日

「12へ」;8

メゾソプラノ、松本満紀子さんのチラシを作成しまして、入稿しました。昨年の第1回リサイタルに続いて、作業させていただきました。
印刷所での訂正作業に時間がかかり、17時半から予定されていた練習に送れてしまいました。練習した曲が、橘川琢さんの「ガラスの国」1集と2集。これを、まず私が詠み、続いて中川博正さんに、詠んでいただきました。続いて、橘川さんの「幻桜記」で使われた「宴」を、中川さんが詠み、私も詠みました。
このような、普段からの練習が大切だと思います。もっと数多く行いたいと思います。

2010年4月7日水曜日

「12へ」;7

9時からギターのレッスンでした。田中修一氏が私に書いてくれた曲「鳥ならで」がなかなか進みません。当面はレッスンの曲をからだに覚えさせなければならないので、なかなか田中氏の曲に行き着かないのです。

仕事中、延々と、ビデオのコピーを続けました。2枚ずつ26人分ですから、たいへんです。

夕方、スーパードライヴが不調のマックを抱え、銀座のアップル・ストアへ。やはり、ソフトではなく、ハードの問題だそうです。バックアップは取ってあるので、そのまま修理に出しました。

長谷部二郎先生から、明日の夕方、中野のZEROホールにある練習室が使えますがというありがたいお言葉です。1か月ほど前にも似たようなお話しをいただき、橘川琢さんの個展を見据えて、「うつろい」を合わせました。明日も同様のことをしようと思います。メンバーに連絡を取っているところです。トロッタ12も、当然、頭に入っています。目先のことだけではありません。

2010年4月6日火曜日

「12へ」;6

どうにか、記録ビデオの編集が終わりました。約2時間のものを、1枚のディスクに収めようとしたため、それもできたのですが、Macの処理能力が追いつかなくて、何度も失敗していたようです。2枚に分けました。これで作業は安定しています。ただ、人数分のコピーを作らなければいけないので、時間がかかります。
明日はギターのレッスン。歌はおやすみです。

橘川琢さんに、詩「夏の國」を送りました。橘川さんの、個展のための詩です。7月か8月の開催予定です。
トロッタ12の詩では、清道洋一さんに「イリュージョン」を、宮﨑文香さんに「たびだち」をお渡ししています。

「12へ」;5

トロッタ関係の皆さんに送るメールを書いていて、ブログを書きそこないました。
ビデオの編集に気を取られていたためでもあります。
何にせよ自分の落ち度です。
今夜のメールは、主に、出演の方々宛てです。
風通しよく、しかし、少しでも皆さんに負担のかからないシステムを作っていきたいと思います。
また補足します。

2010年4月4日日曜日

「12へ」;4

トロッタ11のビデオを編集しています。馴れないことで、なかなか進みません。

午前0時25分。編集自体は終わりました。

ハイビジョンで撮っていただいたので、画質は非常にきれいです。疲れがくっきりと写され、恥ずかしいくらいです。

(補足)ビデオ編集ソフトの使い方をわかっていません。すぐ配布できるようにできず、やり直しだと思います。
(補足2)本当は、この作業が終了しないと、トロッタ11は終わらないと思います。もっと早くして、関係者に配りたかったのですが、できませんでした。何度かやり直し、始めてから一日以上が経ちますが、まだ作業が終わりません。
(補足3)4月5日午後10時、何とか終わりそうです。時間が長いので、2層式のDVD-Rを用いることにしました。

2010年4月3日土曜日

「12へ」;3


長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」2010年4月号が完成しました。「特別取材 トロッタの会」と表紙にあります。談話ですから細かくないのですが、トロッタに関する、私の最も新しい考えが述べられています。お読みいただければと思います。

橘川琢さんと打ち合わせをしました。夏に予定されている彼の個展、秋の「ボッサ 声と音の会vl.6」、そして冬のトロッタ12について。
トロッタの内容に関しては、これで、全作曲家と話をしました。7日(水)ごろを、出品の締切にしています。橘川さんは、新曲を書く予定です。
橘川氏の第4回個展は、「夏の國」と題することにしました。同名の詩を書きます。「冬の鳥」と同じくらい、長いものにします。
ボッサ6については、いろいろな可能性がありますが、やはり10日くらいの会期を設け、その中でできることを探ります。ほぼ、決まっています。

2010年4月2日金曜日

「12へ」;2

トロッタのサイトを、少しずつ更新していきます。タイトル周辺を、12に向かうものとしました。

9時から、長谷部二郎先生宅にうかがい、ギターのレッスンです。
練習していますが、なかなかうまく弾けません。
楽器を奏でて出る音が、その人なのだと、昨夜、仕事で読んだ本に書かれていました。そのとおりです。ギターの音が濁っています。指は硬くて動きません。それが私です。

(補足)
長谷部先生編集の「ギターの友」は明日、到着になります。私と今井重幸先生による、トロッタをテーマにした座談が載っています。ご希望の方には私からお分けしますので、ご連絡ください。

上記した、本について。作者は、湯本香樹実さん。『岸辺の旅』(文藝春秋社刊)に出ています。全文を引いておきます。

「自分の音を、よく聴きなさい。耳を澄まして、注意して、よく聴きなさい。好きでも嫌いでも、あなたの音が、あなたなのです」

湯本さんは、『夏の庭−The Friends』などで知られる児童文学者ですが、もともと東京音大作曲科を卒業しています。音楽に関する記述に、実感がありました。

2010年4月1日木曜日

「12へ」;1

今日から4月です。トロッタ12への準備を始めます。
昨日、作曲家の皆様へ宛て、トロッタ12への参加の依頼メールを送らせていただきました。メールを送れない方とは、電話でお話しをしました。
トロッタ12は、秋から初冬の開催を予定しています。11から、ずいぶん間隔があきますが、立て直さなければならない点もあり、今度は準備をしっかりしてのぞみたいと思います。
演奏会本番についてだけでなく、トロッタにまつわるさまざまなことを、考えています。いずれ、このブログに書く予定です。

本日、「詩の通信IV」第17号を発送しました。本来は、3月22日(月)に発送しなければいけないものでした。現在の読者は19名です。皆様には申し訳ないことでしたとお詫びします。

2010年3月4日木曜日

「11へ」;最終回

いよいよ、本番前日となりました。ここ10日ほど、ブログを書くことができませんでした。このブログは、成功への願掛けでもありますから、最後に書けなかったということが、よくない結果をもたらすかもしれません。書けなかったほど、忙しく、トロッタの準備に邁進していた、ということはいえます。ただ、「トロッタ通信」の最後で、今井重幸先生の「神々の履歴書」、さらに今回がアンコール曲として最後の演奏になります「めぐりあい」について書こうと思っていましたので、それができなかったことは残念です。本番の舞台で味わっていただければと思います。

本日は、最後の練習です。すでに、「めぐりあい」などは、昨日で練習を終えまして、後は本番会場での合わせに臨むのみとなっています。やはり疲れでしょう。このようにブログを書いていても頭が痛く、これは肩が凝っていて脳に血が回っていない証拠です。もう10年前に、サイトを日々更新していた時も、同様の状態でした。ブログの更新ができなかったのは、そのせいもあるでしょう。しかし、関係者には、長文のメールで連絡を取り続け、仮に、それをそのままブログに載せれば、立派な「11へ」になったと思います。昨夜、銭湯に行って、肩を湯に沈めた時の気持ちよさは、食事をするよりもよいものでした。本来は、そのようなことをして、万全の態勢を作り。お客様の前に立つべきだと思います。

このブログをご覧の皆様、お運びください。ぜひ。


2010年2月24日水曜日

「トロッタ通信 11-」

後ほど更新いたします。

「11へ」;56

後ほどご報告いたします。

2010年2月23日火曜日

「11へ」;55

「トロッタ通信 11」の遅れを取り戻しました。
今日は、「人形の夜」の合わせを、少しでもできそうです。私が加わらない形で、「ムーヴメント2」の合わせが行われます。

今夜、私は「人形の夜」と「「いのち」より」の合わせに参加しました。同時刻、別の場所では「ムーヴメント2」の合わせが行われました。

「トロッタ通信 11-6」を全文アップしました。

「トロッタ通信 11-45」

私がインスピレーションを得た木彫家の作品には、あるタイトルがついています。私が受けた印象とまったく違います。私はタイトルを見て、この人形を選んだわけではありません。タイトルとは無縁に選びました。純粋に、人形としてよいと思ったのです。今のタイトルにとらわれていたら、この人形から詩を書こうとは思わなかったかもしれません。作家は自由なタイトルをつけるし、見る側も自由に見るものです。しばしば、絵に“無題”とつける方がおられますが、気持ちはわかります。また、詩にしても、タイトルはほとんどの場合、後からつけるので、本当は“無題”でもいいようなものです。誰にも先入観を与えたくないという思いが、私にもあります。

長谷部二郎先生は、『人形の夜』のために、『風のざわめき』という曲を用意されました。10年前にお書きになったギター合奏曲です。これを改作して、ギターと弦楽四重奏のための『人形の夜』にしようという構想です。

すべて聴いてはいませんが、主題から判断しますと、非常に繊細な、風のざわめきとは、こういうものであろうかと想像できる曲でした。--ただ、木彫りの人形のことで前述しましたように、タイトルと作品それ自体から受ける印象は異なります。『風のざわめき』が『人形の夜』になる、ということもありますので、曲を聴いた誰もが、風のざわめきを想像するかどうかはわかりません。とりあえず、私としては、この曲は『人形の夜』だと思って演奏に臨みます。(42回/2.21分 2.23アップ)


ギターという楽器は、非常に繊細です。『人形の夜』自体、繊細な詩です。私の詩唱も、繊細にしなければと思います。詩唱、朗読を始めたころは、やはり、大きな声でということを心がけていました。肉声を伝えたいため、マイクを用いることは避けたいので、まず声が通らないとお話しにならないと思っていました。その思いはまったく変わりませんが、詩唱する作品の数が多くなると、やはり大きな声だけでは通用しなくなってきます。私自身が、もっといろいろとできるのではと、工夫を始めるようになりました。当然、繊細な表現も試みたいのです。だからといって、マイクを握ろうとは思いません。肉声で、繊細で、雰囲気があり、楽器とともに詩唱してじゅうぶんに聴こえる。そういった目標を持っています。

具体的にいえば、『人形の夜』は夜と朝の場面に分かれます。一連から三連が夜、深夜の風景。最後の四連が、朝の風景です。これを分けられればと思います。その上で、風景の描写に終わらない詩唱ができればいいのです。

頼るようですが、もう一度、天本英世氏の『スペイン巡礼』を引用します。

「……フラメンコというものは非常にとっつきにくいものであります。何でとっつきにくいかと申しますと、メロディをほとんど感じることができません。リズムを刻んでいるだけのようです。ここにフラメンコの難しさがありまして、メロディがないということはどういうことかといいますと、つまり、甘さがまったくないということであります。……フラメンコのメロディは覚えることができません。覚えることができないということは飽きることがないのでありまして、フラメンコというものは、非常にとっつきにくいものである代りに、これが人間の体の中に入り、心の中に入りますと、決して離れていくことはありません。……つまり、フラメンコというものは、魂だけの音楽というようなものであります。……これは非常な苦しみを持った人間、魂の苦しみを持った人間、生きることの苦しみを持った人間、悲しみに閉ざされた人間、こういう人間にたいへん救いとなる音楽なのであります」

ここまでの表現が私にできるかと思います。しかし、目標は、ここにありたいと思います。救い--。『人形の夜』が、どんな救いの力を発揮できるのか。そもそも、救いという言葉をあてはめられる詩なのか。単に幻想的な光景を詩にしただけではないのか? だとしたら、実につまらないことです。『人形の夜』は、そんな詩ではありません。(43回/2.22分 2.23アップ)

木彫家の作品、木彫りの人形に、私自身が救いを感じました。だから、詩にしたいと思いました。詩にすることで、私自身が、救いを感じました。

救いには、いくつかの種類があると思います。

現実逃避。--現実があまりに辛いなら、逃避してもいいでしょう。最も有効な逃避は、死です。自殺など逃げだという声もありますが、死すら考える人の苦しみは、他人には理解できないと思います。もちろん、自殺は肯定しません。しかし、死にたいほどの苦しみというものはあるでしょう。

救済。--苦しみが救えるなら、それがいちばんいいことだと思います。他者を救いたいと、私も思います。かつて、四肢がきかずに寝たきりの方のボランティアをしたことがあります。しかし、救いたい、力になりたい、務めを果たしたいという思いが、その方にとって、押しつけになったようです。ある時、亡くなりました。私と会っていなければ、もっと生きたのではないかと思います。『人形の夜』は、他者に救済をもたらすでしょうか。そこまでの力がある詩でしょうか。結局、第三連が、鍵です。


重かったり軽かったり

隠れた両手に

男の生命(いのち)を抱いている

死んでいった男たち


ここだけは、風景ではありません。貴婦人の心のうちです。彼女は女として、これまで多くの男を愛してきたのでしょう。また愛されてきたのでしょう。この世の誰もが、愛し、愛され、しかし思いはなかなかかなわず、苦しんでいます。愛したと思っても次の瞬間には愛しておらず、愛されたと思っても次の瞬間には愛されていない。そのような人の心が、ここで表現できていなければ、人形の夜は、ただの風景描写、幻想詩に終わります。

高揚。--自分の心に届く作品に接すると、それが音楽であれ文学であれ美術であれ、心が高ぶります。死にたいほどの苦しみに直面していないせいかもしれませんが、私の疲れや苦しみは、高揚感で克服できる場合が多いようです。木彫りの人形に、私は高揚しました。それが詩『人形の夜』に結びつきました。

克服。--自分で、苦しみを打破すること。この意志の力こそが有効だと、第三者のようにいえれば、最もよいことです。今の私には、詩を書き、音楽をすることしかありません。苦しみを、詩と音楽で克服すること。ちらりと、自分の救済のために「トロッタの会」をしているのか? と、皮肉が頭をもたげます。その側面はあるでしょう。正直になれば、そういうことかもしれません。お客様に、楽しみを分けて差し上げるほど、私はすぐれた人間ではないと思います。ボランティアの方が亡くなったことを、今も思い出します。(44回/2.23分 2.23アップ)


『人形の夜』の合わせを、今夜、いたしました。まだ、曲をつかんでいません。何をどう詠めばいいか、わかっていないのです。私が書いた詩ですが、詩と音楽は違います。音楽が入った時点で、もう私の作品ではなく、長谷部二郎先生の作品です。演奏家の作品でもあります。そこに私の声も入っているわけですが、私もまた、詩とは別の作品にしなければなりません。自然と違う作品になるはずです。何よりも、ギターの繊細な音色を、私は聴かなければと思います。まだ、聴いていません。楽器とからんでいないことを痛感しています。からんでいなければ、音楽になりません。

詩と音楽といいますが、併置してあるわけではなく、どちらからも融け合った状態を理想としています。音楽、という言葉に、私の詩は含まれていたいと思います。音楽作品でありたいと思います。

逆に、詩の中に、音楽はあるでしょうか? あるとは思いますが、それは私がひとりで書いた詩を、ひいき目に見た場合です。トロッタの音楽は、作曲家が創る以上、音楽としてあるので、詩として独立しないと思っています。繰り返しますが、トロッタ11で初演する『人形の夜』は、長谷部二郎先生の作品であり、演奏家諸氏の作品です。木部与巴仁の作品云々とは、もう私自身が考えていません。大袈裟ないい方をすれば、身を捨てた時、見えてくる世界があると、思っています。「詠み人知らず」でいいくらいです。(45回/2.24分 2.23アップ)

2010年2月22日月曜日

「11へ」;54

清道洋一さんから、早朝、メールが来ていまして、『「いのち」より』のパート譜が添付されていました。
長谷部二郎先生と阿佐ヶ谷駅で会い、『人形の夜』の譜面をいただきました。
今井重幸先生と荻窪で会い、『神々の履歴書』の楽譜をいただきました。
関係者に、楽譜などを送りました。
スタジオリリカで、橘川琢さん、森川あづささんと、『うつろい』を合わせました。
橘川さんに、配布用のチラシを600枚、預けました。

「トロッタ通信 11-41」

6) 長谷部二郎さんと「人形の夜」


清道洋一さんの章から連続するようなテーマになります。

学生時代、天本英世氏の朗読を聴きました。何度か聴いたのですが、フラメンコギターの蒲谷照雄氏と共に、私の通っていた大学に現われ、講演をし、ロルカの詩を詠んだ姿が、最も記憶に残っています。

詩の朗詠、あるいは朗唱としては、やはり学生時代ですが、天本氏以前に聴いた、寺山修司氏の朗読が鮮烈でした。寺山氏は、舞踏家の踊りと共に詠みました。女子大でしたが、男性舞踏家が全裸だったので、聴衆が皆、目をそむけていた姿が忘れられません。どうということはないと思いますが。

天本氏を朗詠、朗唱といい、寺山氏を朗読というのは、個人的にはニュアンスを変えていますが、はっきりしたものではありません。感覚です。音楽を伴っているかどうか。それ自体が音楽的であるかどうか。歌に近いかどうか。いろいろなことを考えながら使い分けています。私の場合は、詩唱、というわけです。そして楽器というなら、詩にはやはりギターが、最もふさわしいでしょうか。ふさわしすぎるので、清道氏のように、弾きながら詠むだけならシンガーソングライターと変わらないという意見も出るわけです。当然だと思います。

映画俳優として、子どもの頃から親しんできた天本氏でしたが、その彼が朗読者であることを知ったのは、大学生になってからです。友人のTが教えてくれました。今もそうですが、新宿駅周辺を歩くことが多かったのです。ある日、Tがいいました。

「天本英世、よく新宿を歩いてるよ。黒いマントを羽織って。目立つよ」

その後、私も何度か見かけました。確かに目立ちました。長身で、痩身で、真っ黒なマントを羽織り、ブーツを履いていました。Tは、天本氏がロルカの詩を朗読しているとも教えてくれました。しかし、その時の私は、詩人で劇作家で、作曲家でもあったロルカのことをまったく知りませんでした。今でも、知っているとはいえないと思います。(39回/2.18分 2.22アップ)


「スペイン全土を巡る」と副題された『スペイン巡礼』を天本氏が刊行したのは、1980年のことでした。これを記念する形で、天本氏がテレビに出て語る機会がありました。ちょうど、芝居の公演を終えたところで、関係者の家におり、見逃して無念だったことを覚えています。

『スペイン巡礼』は、何度も繰り返して読みました。続いて出た『スペイン回想 「スペイン巡礼」を補遺する』も、繰り返して読みました。そこに、私の大学での講演記録が、そっくり載っています。その一節を、私は心に刻んでいます。

「……フラメンコというのは、日本では誤解されていまして、ガチャガチャした騒がしいようなものと一般には考えられています。もう一つの誤解は、フラメンコというのはギターだと思われていることです。さらにもう一つの誤解は、フラメンコは踊りだと思っている人がいることです。/これはすべて大変な誤解でありまして、本当のフラメンコは何であるかといいますと、これは唄であります。フラメンコというのは、遠い昔にはまず唄だけがあったのであります。まったく楽器の伴奏のない、無伴奏の唄だけがあったのであります。貧苦に苦しむ圧迫されたジプシーが、自分の生きていく苦しみをうなるように唄う、この唄だけがあったのであります」

このようなことを、学生に向かって語ってくれた天本氏に感謝します。

引き写していて、我が身を省みました。私は、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩にしているでしょうか? トロッタの舞台で、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩唱しているでしょうか? 疑問です。(40回/2.19分 2.22アップ)


昨年から、ギターを習うことにしました。先生は、長谷部二郎先生です。習い始めてすぐ、長谷部先生に、トロッタ11にご参加いただくことになりました。先生には、自作を発表したいというお気持ちがあったのです。

ギターは習い始めましたが、清道さんの表現を借りれば、私は、シンガーソングライターのように歌う気はまったくありません。気持ちよくなるのはけっこうなことだと思いますが、天本氏がいうように、ジプシーのように、自分の苦しみをやむにやまれず唄っている人がいる一方で、日本にも、唄わないまでも、日々の苦しみを抱えている人が多くいる状況下、ギターを弾いてひとりだけ気持ちよくなろうとは思いません。もちろん、苦しみの押し売りなどはしないことです。

長谷部先生と、どんな曲がよいか相談するうち、できたのが、『人形の夜』という詩でした。短い詩です。


人形の夜


木部与巴仁


コツコツと音をたて

マントの裾をなびかせて

夜になると踊っている

黒い貴婦人


閉じない瞳が

闇の中で光っている

静かに青く

前だけをみつめている


重かったり軽かったり

隠れた両手に

男の生命(いのち)を抱いている

死んでいった男たち


朝になれば

窓辺にじっと置かれている

黒い貴婦人

ただ一個の木偶(でく)として

夜になると踊っている

コツコツ コツコツ

音をたて


この詩の人形は、ある木彫家の作品集に登場します。作家が、自身の「黒い貴婦人」を踊らせていたかどうかはわかりません。私には、マントを着て踊っているように見えました。改めて見ますと、天本英世氏を引用したから思うのでしょうが、ちょっと、フラメンコの匂いが感じられる人形です。苦しみを唄っているかどうかはわかりません。しかし、女性も男性も、長く生きれば生きるほど、心に苦しみを抱えるようになるでしょう。苦しんだまま生きているでしょう。苦しみは、なかなか人にはいえないものです。いえないから苦しいわけです。そのような貴婦人が、夜になるとひとりで踊っている。朝になると、人形としてじっとしている。また夜になると……。

そんな不思議さが表現できればいいと思います。(41回/2.20分 2.22アップ)

2010年2月18日木曜日

「11へ」;53

「トロッタ通信 11」、ここ1週間の分をまとめて書きました。清道洋一さんに関する文章です。
「11へ」が、やはり1週間分、抜けてしまったのは残念ですが、過ぎてしまったことです。先に進みます。

「詩の通信IV」第14号を、全読者分、発送しました。予定どおりなら、15号を、今度の月曜日に発送しなければなりません。風邪の影響は実に大きいものです。

2010年2月17日水曜日

「トロッタ通信 11-38」

トロッタ11のために清道洋一さんが採り上げてくださいました私の詩は、『いのち』です。この詩は、『詩の通信』の第I期、2006年7月7日(月)発行分の第18号に発表したものです。正直申し上げて、この詩が音楽になるとは予想していませんでした。第I期発行当時は「トロッタの会」を始めておらず楽曲化を想定、あるいは期待して、詩を書いてはいなかったからです。“詩唱”ではなく、ひとりで行う“朗読”は、心に期していました。そして、トロッタのように常に動こうしているグループにあって、もう4年前の詩に、清道さんが着目してくださるとも思いませんでした。

私の意識は、新作の詩を書くことに向いています。時に、例えば朗読の会があり、そこに参加するような場合は、過去の作品を振り返ることがあります。過去の作品に息吹を吹き込もうと思うからです。過去の作品も生きており、その時々で解釈、詠み方が異なります。ですから、清道さんが『いのち』に注目してくださったことも、詩は生きている観点からして、当然といえばいえるのですが。

『いのち』を書いた当時、私は『新宿に安土城が建つ』という作品を形にしようとしていました。二度目の演奏機会を迎えていたと思います。今思えば、この作品は私の歩みにおいて、画期的でした。また、演奏できればと思います。

その一方で、どんな詩を書けばいいか、どんな詩を書けるのか、模索していました。模索は今もしていますが、自分のスタイル、自分だけのスタイル、自分にしか書けないこと、自分が書きたいこと、自分がいちばん正直でいられる詩の世界、というようなことを考えていたと思います。そしてある詩人と会い、話をし、詩人が私にいってくださった、あることをもっとだと思い、あることに反発し、これまで書いた詩は全部捨てよといわれ、『いのち』以前の別の詩を送って、こういうものが詩ですといわれ、そして『いのち』を書くに至った、というようなことがありました。その模索期に書いた詩が、『いのち』です。

ですので、音楽になることとは別に、『いのち』には私なりの感慨を持っており、それを清道さんが採り上げてくださったことが、意外であり、うれしくもありました。(31回/2.10分 2.18アップ)


毎回、いろいろな趣向を凝らす清道さんですが、『いのち』もまた変わった曲になっています。

とはいえ、私は、彼が趣向のための趣向を求めているとは思っていません。趣向という言葉は便宜上、使いました。音の形、という表現がより正確であり、テーマとしての音の形ともいいたく、技法といってしまっていいかもしれません。

メールのやりとりはプライベートなものなので、さしさわりのないよう、手を入れながら書いてまいります。原文のままではありません。

清道さんから、こんなメールをいただいたのは、1月8日(火)のことでした。詩唱者として、トロッタ11に、中川博正さんにも御参加いただきたいてよいかという質問、皆さんに送った返信です。


〈『いのち』は、演奏者を含めて会場全体で“朗読”を試みる作品として構想しています。中川さんにも参加していただければと思います〉


続いて、清道さんは、チラシに載せるための、こんな曲解説を送ってくださいました。


〈「詩」を詩人から,詩唱から,音楽から解放し,自然な姿であろう個人が声に出して読み味わうということに着目してみた。

こうした個々の作業とは別に,木部与巴仁の詩「いのち」を共有し,詩唱が,音楽が,鑑賞者がそれぞれの立場で一堂に会することで,誰もが表現者となること,聴衆が不在となることを期待し,この場にいない不特定の聴衆あるいは鑑賞者へ向けてこの状況の発信を試みること,以上が創作意図である〉


『いのち』は、私の手を離れて自由になるようです。会場にいる方全員の共有物となるようです。誰もが表現者となるようです。聴衆は不在となり、演奏者のみが存在するようです。清道洋一さんのものですらなくなるのでしょう。(32回/2.11分 2.18アップ)


昨年末から、私はギターを習い始めました。今年の初夏、ある会で演奏する予定で、習おうと思ったのです。自分でギターを弾き、詩唱する。この発想は、私にとって画期的でしたが、残念ながら、この原稿を書いている時点で、企画は取りやめとなりました。しかし、ギターはギターで楽器として独立した奥深いものですし、ギターを弾きながら詩唱することに、私は意義を感じていますから、練習は続けてまいります。

私は、取りやめになった会で演奏する曲を、清道さんに書いていただけないか頼みました。彼は快諾してくださいました。私のギター演奏が中止となった時点で、1月23日(水)、清道さんからメールが届きました。箇条書きで紹介します。


1) ギターを弾きながら詠むスタイルは、技術の問題とは別に、音と言葉の関係に思いを至らせる。


2) 音楽の役割、詠むまたは演奏するという行為、これらの関係を不明確にしようと思う。弾きながら詠むスタイルは、シンガーソングライターと変わらない。詩にリズムと音をつけ、弾きながら歌い、語るスタイルは、作曲者としての自分が考える、詩と音楽の関係と違っている。


3) 詩として完成している作品を歌にすることに疑問を感じてきた。それが、歌曲に積極的になれなかった理由である。歌にすることで、個人の鑑賞の自由を制限してしまうことが問題だ。


ここまでの清道さんの考えに、私は同感です。シンガーソングライターの歌は、あまりに気持ちよすぎます。聴く人にとってというより、演奏する人にとって。

もちろん、過去には吟遊詩人がいました。長い時代を経て、形を変えながら、詩を書き、歌い、語る営みが続いていることを知っています。私も、吟遊詩人に憧れを抱いています。抱きながら、清道さんが考えていることに、共感をするのです。現代人として。(33回/2.12分 2.18アップ)


清道さんの手紙は続きます。


4) 朗読について、3人いれば3人の、100人いれば100人の詠み方があるはずだ。お客様は自分と異なる詠み方に出会った場合、歌の場合よりも大きな違和感を感じるだろう。


清道さんのいうことはわかります。歌の場合も、人によって、特に歌を歌っている人には、他人の歌に違和感を覚えるでしょう。私の詩唱、それを朗読として、芝居をしている人などが聴くと、とても大きな違和感を感じているのではないでしょうか。違和感を感じさせないほどの圧倒的な力を、私の詩唱が獲得していないゆえ。

先ほど、シンガーソングライターという言葉が出てきましたが、その歌い方がよいと思っている人には、イタリア・オペラのベルカント唱法など、なんて大袈裟な歌い方だと思われて当然です。逆の立場からいえば、発声のなっていない歌だということになります。流儀の違いは、他者を否定することにつながってしまいます。それは、やはり不幸なことでしょう。


5) トロッタでは、その違和感を減らすため、複数の朗読を対比させたり、演劇のように構成し、あるいは動きをつけることで、詠み方に制約を加えてきた。詩と音楽、どちらが主でも従でもなく、対立や対比をされるものでもなく、一体で一つの塊にすることを試みるものであった。


トロッタの詩唱者は、まず私ですから、これを読んだ時、清道さんが私に与えてくれていたのは、“制約”であったのかと思いました。そうは思っていなかったのです。『椅子のない映画館』『ナホトカ音楽院』『蛇』『アルメイダ』『主題と変奏、あるいはBGMの効用について』でも、私は自由を感じていました。“制約”という言葉を使うなら、“制約”されることで生まれる自由、ということでしょうか。(34回/2.13分 2.18アップ)


6) 『いのち』は、聴衆であり受け手であるお客様を、何とか巻きこみ、発信元にしたい。ステージ上の詩人以外が声に出して『いのち』を読む。詩人はこれを聞く。全体の半分以上、詩人は受け手になっている。鑑賞者は全員表現者となり、会場には受け手がいない。すべての境界を取り払ったアナーキーな状態がベスト。


清道さんの手紙は、このような内容で締めくくられていました。

清道さんは、劇団、萬國四季協會で活躍しているので、音楽と演劇の両方に、発想の根があると感じます。音楽性の追究だけでは満足できません。音楽性を追究するだけでも大変ですし、それは人が一生をかけてなお不十分なものです。演劇もまた同様ですが、その音楽と演劇の両方を考え、それは別にではなく、一緒に考えることで、清道洋一の表現というものを考えています。まさに、アナーキーです。安住しません。従って、安心感も得られません。これでいいということがないのです。他人がこういっているからこれでいいという、お手本のない世界に、彼はいます。

清道さんは、当初に予定していた『いのち』という、詩そのものの曲名ではなく、『「いのち」より』にしたいと、後で訂正を申し出ました。木部与巴仁の『いのち』をもとに、清道洋一の『いのち』を創りたいと思ったのでしょうか?

送られてきた楽譜の表紙に、こんな言葉が書かれていました。


「聴衆は表現者となって、どこかに居るであろう不特定多数の『聴衆』へ向かって、発信を試みる」


見えない聴衆は、現実には、おそらく、どこにもいません。いない聴衆に向かって、彼は発信しようというのです。舞台上の演奏家が、客席にいる聴衆に向かって何事かを行うのが音楽、音楽会であり、そこで表現が完結、完成するとすれば、彼は完結も完成も期していないことになります。

トロッタ8の『蛇』で、曲の終わりになって、私は舞台から飛び降り、蛇となって場外に駆け出して行きました。かつて、私も芝居をしていましたが、非常に演劇的だと感じます。それは一種の演劇論であり、劇場論でもあります。

劇場だけで芝居は終わらない。観客が劇場を離れ、家に帰ってもなお、芝居は続いている。劇場は劇場空間だけに閉ざされておらず、街路にまで解放されている。

常に、そのようなことを考えていた私です。音楽についても、同様の考え方をしています。清道さんと共通することが、おそらくは多いと思っています。(35回/2.14分 2.18アップ)


結局、生き方の問題なのだと思います。

音楽性を純粋に追究しようとする。

音楽の枠にとらわれない表現を追究しようとする。

どちらも、立派な表現です。完成度は、後者が低くなると思います。しかし、完成を期さない、未完成でもよい、考え方を表現したいと思う。これも立派な表現です。コンセプチュアル、概念的、観念的であるとの批判を受けるでしょう。完成度が低いのに満足している、と。いや、満足をしていないのです。このあたりで、根本的な相違が生まれることになります。

決して、下手な演奏を聴かせて満足するわけではありません。それは、お聴きいただく方に失礼です。一生懸命に演奏します。練習もします。しかし、何のミスもなくできたからといって、よかったと思わないということ。もう少し、違うところをめざしているのです。

そもそも、清道さんは『「いのち」より』で、お客様にも詩を詠んでいただこうとしています。こういう参加型の表現は、なかなかうまくいきません。舞台に立つ側は、何が行われるかわかっており、練習もしていますが、お客様は初めてであり、まず、心の準備ができていません。聴こうと思って受け身でお越しになっています。表現として声を出すということは、非常に難しいと思います。間違えるのではないか、とんでもない声が出たらどうしよう。どちらも、そうなってかまわないのですが、皆さん、怖れを抱いてしまいます。それを拭い去って舞台に引きつけていく技術は、なかなか得られるものではありません。

清道さんも、それはわかっているでしょう。わかっていて、なお確信的にそうしたいと思うのですから、誰も止められません。生き方を止せというようなものです。(36回/2.15分 2.18アップ)


2月15日(月)、西荻窪の奇聞屋で、『「いのち」より』を初めて練習しました。中川博正さんが、重要な役を務めます。聴衆に語りかけ、参加をうながしていくのです。私が新聞紙に包まれてじっとしている間、彼は詩を詠みます。楽器も演奏されています。どう詠めばいいのか。これまでのトロッタで私がしていたことを、中川さんがしているようなものです。

まず、段取りのややこしさを感じましたが、中川さんは、非常にとまどっていました。どう詠むか? これがわかりません。私もわかりません。清道さんにはわかっているかもしれませんが、彼にしても、本当はわからないのではないでしょうか? わかってしまっているようなことを、彼は要求していないはずですから。練習を重ねて、探っていくしかないのです。探る過程、そのひとつの形を、本番でご覧にいれることになるはずです。誤解を恐れずいえば、それは完成形ではありません。トロッタ11のプログラムをご覧ください。『「いのち」より』の前は、田中修一さんの『ムーヴメントNo.2』です。『「いのち」より』の後は、今井重幸先生の『神々の履歴書』です。どちらの作曲家も、完成度をめざしています。-お断りしておきますが、清道さんが完成度をめざしていないとは書いていないことに御注意ください-その間にはさまれた、清道洋一さんの曲。トロッタには、さまざまなタイプの作曲家と作品があります。それでいいと思っています。前後の作品が共振し合って、あれもいいが、これもいい、あれがいいのなら、これのよさは何なのか、あれを音楽というなら、これは音楽ではないのか、そのような疑問が生じることを期待します。音楽を解体せよとはいいません。解体されるべきは、私たちの安心感、先入観、動かない価値観だと思います。清道さんの曲が、他のスタイルの曲と響きあって、解体のきっかけになればいいのではないでしょうか。(37回/2.16分 2.18アップ)


最後に、清道との試みについて、私の思いを記しておきます。これは清道さんと相談し合ったわけではない、私だけの考えです。

清道さんとは、ギター曲の創作を模索しています。ある会での発表は潰えましたが、私も清道さんも、ギター曲発表の可能性は捨てていません。つい先日も、ギター演奏会への出品を最後まで検討しました。それは発表までの時間の制約があり、新曲ではありませんでしたし、結果として発表しないことになったのですが、何とかして形にできないか、模索し続けました。

昨日、奇聞屋にて、毎月第三水曜日に恒例となっている、朗読の会が行われました。詩唱の中川博正さんに、打楽器の内藤修央さんを交え、トリオで、『夜が来て去ってゆく』を発表しました。それは、作曲家のいない作品です。作曲家の作品を演奏するのがトロッタの前提ですが、演奏者が、自分たちだけで創ろうとするものです。トロッタの初期、私ひとりで詩を詠んだことはありましたが、それを複数の人数で行い、楽器を加えて、中川博正さんという、男声の詩唱者を加えてゆく。新しい試みだと思います。

トロッタは、すでに10数え、定型というものができています。それは奏者にとっても、お客様にとっても、予想できる範囲内のものです。定型は、けっこうなことです。演奏を、より高度なレベルに引き上げてゆきことができます。曲も、作曲者も、演奏者も鍛えられます。しかし、より新しいものを求める気持ちが、一方にあります。トロッタでは定型でも、一般的にいえば、トロッタはじゅうぶん、常に新しいことをしている自負が、私にはあります。それを、より新しくする。決して新奇さのみ狙うのではなく、お客様からも遊離せず、工夫を凝らし続けます。そのために手にしたいものが、私の場合はギターです。ギタリストが弾くのではありません。ギタリストは詩唱をしません。しかし私にとって、ギターは新しい世界です。これを獲得できれば、詩唱の可能性を広げられます。清道さんのいう、シンガーソングライターと同じことにならず、それも定型ですから、詩と音楽のあり方を求めたいと思っています。

そのためには、私はギターに精進しなければなりません。トロッタの準備に追われていることも理由ですが、ギターに割く時間が少ないことが悩みです。工夫いたします。ギターのための曲を書いてくれるかもしれない清道さんのために。私のためにも。詩唱のために。詩と音楽のために。(38回/2.17分 2.18アップ)


「11へ」;52

1週間、ブログに何も書けませんでした。咽風邪です。トロッタ間近であるというのに、お恥ずかしいことです。熱や腹痛はなく、咽だけが腫れて痛い状態です。動くことはできるのですが、集中を欠き、気持ちもばらばらでした。部屋もばらばらで、ちらかったままです。2月7日(月)に出すべき「詩の通信IV」も遅れ、詩は書いていたのですが、昨日まで印刷もできませんでした。咽はまだ腫れていますが、いつまでも病人の気分ではいられません。書けなかった日々については、もう振り返らず、前を見ようと思います。

ただ、昨日と一昨日については、ほぼ二日を、練習に費やしました。気候が悪く、体調を崩すなどのこともあって、全員が参加できたわけではありません。しかし、少しでも進めましたことは、ご報告しておきます。

今日は、9時からギターのレッスン、11時半から声楽のレッスンです。満足に練習していません。無駄といえますが、行ってきます。

レッスンから帰り、昨夜、壊れて使い物にならなくなったビデオカメラの替わりの中古品を買いに、新大久保へ行きました。トロッタの記録撮影のため必要です。

夕方から、阿佐ケ谷で役者の中川博正さんと会い、奇聞屋で行う、『夜が来て去ってゆく』詩唱の稽古をしました。先月に続くものですが、今日のライヴでは、打楽器の内藤修央さんも一緒です。トロッタ11でのリハーサルを兼ねています。この3人で合わせるのは今夜が初めてです。





2010年2月11日木曜日

「11へ」;51

「11へ」;51(2月12日Fri.分、12日アップ)
15時、ギターのレッスン。長谷部二郎先生と、打ち合わせ。「人形の夜」でギターを弾いていただく萩野谷英成さんもおられました。
今井重幸先生、清道洋一さんと、電話にて、作曲の進行状況についてうかがいながら、打ち合わせ。

「11へ」;50(2月11日Thu.分、12日アップ)
朝、チラシを発送しました。
風邪を引いてしまい、体調が思わしくありません。
仕事が滞ってしまっています。何とかして進めないと、トロッタに支障が出てしまいます。

2010年2月10日水曜日

「トロッタ通信 11-31」

(遅れてしまいましたが、2月18日にアップしました。そちらをご覧ください)

「11へ」;49

昨夜から体調が思わしくなく、咽が痛く、また寝汗をかいて、午前4時に起きました。それからずっと、寝ずに一日を過ごしました。そろそろ寝た方がいいでしょう。

朝は9時からギターのレッスン、11時半から歌のレッスン。
夕方から、チラシの発送作業を始めまして、10時台になって、やっと終わりました。明日、投函します。今回は、明日と、本番1週間前の2度、私のお客様には案内をさせていただくつもりです。トロッタ11の大きなテーマは、集客です。

「トロッタ通信 11-30」

「トロッタ通信 11-29」


田中修一さんにとっての“歌と詩唱の違い”ですが、もちろん、私に答えはありません。ただ、一曲にあるものとしては、違いはない、というのがひとつの答えだと思います。それは、田中さんの『遺傳』を、初演させていただいた時でした。


人家は地面にへたばつて

おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる


このように歌い出します。「のをあある とをあある やわあ」という、犬の遠吠えまで旋律が与えられています。途中に、旋律のない個所があります。


お聴き! しずかにして


これはリズムだけで詠みます。次は歌。


道路の向うで吠えてゐる

あれは犬の遠吠えだよ。

のをあある とをあある やわあ


そして次の個所には旋律もリズムもありません。


「犬は病んでゐるの? お母あさん。」

「いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのです。」

遠くの空の微光の方から

ふるへる物象のかげの方から

犬はかれらの敵を眺めた……


この曲には、歌と朗読があります。音楽と詩がある、と言い換えてもいいかもしれません。そして、歌と朗読、音楽と詩は、分たれず、ひとつになっています。田中さんの、“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタへの、トロッタでの、テーマに対するひとつの回答といっていい曲です。これもいずれ、再演させていただければと思っています。(29回/2.8分 2.10アップ)



「トロッタ通信 11-30」


目下、ある作曲家の方と、メールでやりとりをしています。トロッタ12へのご参加を前提にして、私のどんな詩がいいか、検討中なのです。すでに二篇ほど送らせていただき、さらに別の詩をお送りする予定です。これは当然のことで、初めての顔合わせですから、私の詩を使っていただく以上、そうした生のやりとりがあっていいわけです。詩人は、詩が書ければ楽しいわけですから。

トロッタの作曲家の皆さん、本当によく努めてくださっていると思います。詩と音楽の関係といえば、歌があり、朗読があり、というところが基本で、あとは独唱か合唱か、女声と男声の歌い分けか、さらにひとりで詠むか群読のように大勢で詠むかなど、歌い方や詠み方を工夫するくらいしかないのではないでしょうか。朗読は、所作を交えて芝居のようになるかもしれません。言葉が喚起するものが、音楽のような聴覚表現だけでなく、映像や、上野雄次さんの花いけのような、視覚表現になるかもしれません。他にもあるでしょうが、少なくとも現段階では、トロッタは詩と音楽の可能性を、できる限り指し示していると思います。

ただいま続けているという作曲家とのやりとりもまた、トロッタの歴史でしょう。すでに11回目を迎えようとしているトロッタの歴史を、彼と私で1から始めているのか、すでに10までの歴史がその方との間にはあって、その上でやりとりしているのか、その捉え方はさまざまです。田中修一さんのように、すでに典型に到達している方もいます。田中さんが、さらに思いもよらない形を出すか、新たな形を出すのは演奏家なのか、どちらの可能性もはらみつつ、田中さんには、これからも書き続けていってほしいと思います。

付け加えるなら、無駄な努力と他人には映ろうとも、スケールの大きな曲を志向していただきたいのです。(30回/2.9分 2.10アップ)


「11へ」;48

「11へ」;48(2月8日分)

ただいま、トロッタ12にご参加を予定されている作曲家の方と、やりとりをしています。歌曲を書きたいので、詩を送ってもらえないかということで、先日にひとつ、今日、新たにひとつ、お送りしました。まだ決定を見ていませんが、詩はいくらでもお送りしたいと思います。そのたびに新しい詩が書けるのですから、願うところです。

作曲の宮﨑文香さんと会い、打ち合わせをしました。宮﨑さんの『めぐりあい』は、トロッタ11をもって、アンコール曲としての演奏は最後になります。トロッタ12で、独唱歌曲として演奏する予定です。

「11へ」;48(2月9日分)
作曲家、演奏家の皆さんへ、練習日程表を送りました。まだ空欄が多く、つまり未定が多いのですが、わかり次第、書き込んでいただこうと思います。

私個人のお客様に、チラシの発送作業を行いました。しかし、できません。風邪をもらってきたようで、咽が腫れています。今日はとても温かく、やはり油断したということでしょう、マスクをせずに外出してしまいました。それが誘因でしょうか。

2010年2月8日月曜日

「11へ」;47

「11へ」;47(2月7日分)

何人かの方に、チラシを発送。これでほぼ全員にチラシを送りました。
高田馬場のBen's Cafe、千駄木の古書ほうろう、谷中の谷中ボッサ、この3軒にチラシを置かせてもらいにゆく。

ここ数日、頭の中がごちゃごちゃしていて、せっかく設定をしたtwitterですが、何もしていません。本屋には、twitter関係の本が並んでいます。twitterで書いた小説集などというものもありました。使い勝手と結果がわからないので、いまひとつ、気が乗りません。