(其の十九)
田中修一に、尋ねた。歌を作曲する時の心構えについて、伊福部昭からどんな教えを受けたのか、と。夢の世界で歌唱指導された私とは違う。彼は実際的なことを教わっているはずだ。果たして、次のような返事が届いた。
伊福部と田中の間で、歌曲に関する話題が交わされた時。どちらからともなく、近現代の日本の詩には、よいものが少ないという結論になった。私が直接に聞いていた会話ではないので、どんな理由があって、よいものが少ないという話になったたかはわからない。私は(申し訳ないことながら)他人の詩をどんどん読んでゆく人間ではない。いや、先生、田中さん、いいものはありますよといえればいいが、提出できる材料がない(それよりもいいものを自分で書いて示したいとうのが私の態度だ)。
詩の数はあまたある。よいものは少しくらいあるだろうと思う。本当に詩についてよく知っている人はいて、この人は研究者としてすごいなと思わせる詩人の名を、私は何人かあげることができる。彼は詩について調べている。現代詩の本を書いてほしいと頼めばたちどころに書くだろうし、現に書いてもいる。そのような人に、すぐれた近現代詩を推薦してくれないかといえば、何篇かあげてくれるだろう。しかし、それは詩としてすぐれているかどうかで、音楽になるかどうかは、彼には判断できないはずだ(判断できるかもしれないが、今は、できないはずといっておく。この詩は歌になると判断できるのは、詩人ではなく、音楽家だろう)。
結局は、作曲家が詩に共感するかどうかだと思う。詩のスタイルでか、詩人の思想でか、それは作曲家それぞれ。韻文形式を取るか、散文形式を取るかでも違ってくるが、それは決定的なことではないように思う。共感できる詩人がいるかいないか。いれば、彼に詩を書いてくれといえばいい。伊福部が、あるいは田中が共感できる詩人が、今はすくない(はっきりいえば、いない)ということだと私は解釈する。その点で、更科源蔵の詩は伊福部の心にかなったのである。それにしても、一冊の詩集から、わずか四篇。更科は生涯に何冊も詩集を出しているが、他からは採らず、わずか一冊から、わずかに四篇である。結果論として、(これは意地の悪い表現になるかもしれないが、その意図はない)更科の長い人生で、伊福部が共感できたのは、伊福部と北海道で交流した時代に刊行した詩集『凍原の歌』の世界だった。作曲家が伊福部でなければ、他の作曲家なら、他の詩を、他の詩集から選んだだろうし、事実、他の作曲家が更科の詩を楽曲化しており、他の詩人まで広げれば、歌になった近・現代詩の数は、それこそ、あまたある。だから、作曲家として、詩人の、世界のつかまえ方に共感できるかどうかだと、私は、伊福部と田中の会話を解釈する。共感できなければ、共感できるような詩を、詩人に書いてもらえばいいと私は思う。
(其の二十)
詩をよく知る人に、すぐれた詩をあげてほしいといえば可能だろうと書いた。しかしそれは、詩としてであって、音楽になるすぐれた詩かどうかは別だとも書いた。作曲は、作曲家にしかできない。一部の選ばれた人だけ、というのではない、作曲したいと思えば、作曲家になればいい。歌いたいと思えば歌手に……、難しいことだ。弾きたいといって、作曲家も自分では弾けないのである。ショパンやリストはすぐれたピアノ曲を書いてすぐれた演奏を聴かせたが、すべての楽器ですぐれた演奏をできるわけではない(ピアノだけでよかったのかもしれないが)。
しかし、作曲はできなくても、作曲家と一緒に、音楽を作ることはできる。私は、自分の詩を、詩だけに終わらせたくない。声に出して生きる詩を望んでいる。ということは、歌になる。朗読でもいいのでは? と思われるかもしれないが、(其の十四)に書いたとおりで、朗読表現が、朗読者の自由にゆだねられ過ぎていて、それはもちろんそれでいいが、時として自分勝手、自己満足に終わってしまうことへの危惧がある。人間の基本は、コミュニケーションにあるという、私の楽天的な人生観がある。人と人が意志を疎通する。そうして社会はできている。ジャンルとジャンルが、意志を疎通し合ってもいい。天本英世がいうように、フラメンコはそうだった。詩と音楽と踊りが通じあっている。もともとは世界のどこでも同じだった。詩と音楽を通じ合わせれば、今の詩によいものは少ない、と判断されることはなくなると思う。なければ創ればよい。音楽と踊りはもちろん、詩と踊りに一足飛びしてもいいだろう。すべて、人がすることである。垣根などどこにもないはずだ。(これがトロッタの基本姿勢である)
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