2011年4月25日月曜日

トロッタ13通信(9)

(其の十七)
 第四回の最後に演奏された曲は、酒井健吉の『夜が吊るした命』だった。



日輪落ちて
世界が闇に向かうころ
夕焼け空に浮かび上がった黒い影
逆さになった三角形が
真っ赤な雲を背景に
宙吊りされてもがいている
逃れたくて逃れたくて身をよじる 影
影の姿にとらわれて釘づけられた
私の眼



 2005年4月、私は神田駅に停った山手線から、ビルの屋上で逆さ吊りになった鴉を見た。鴉は、アンテナの電線に足をからませてしまったのだ。もがいていたが、どうしようもなかった。今から思えば、電車を降りてビルに駆けこめばよかったと思う。しかし、それが頭に浮かばなかった。浮かんだが逃げていたのかもしれない。数日後、鴉の命に捧げる詩として書いたのが、『夜が吊るした命』である。(息絶えた鴉の姿を見たように思うが、そんな勇気があっただろうか。錯覚だと思う。何か月も経った時、間違いなく鴉の姿を探した。しかし、なかった)
 酒井の曲は、彼にしかないスタイルを示したものだと思う。速いテンポに合わせて詠むのがたいへんではあった。しかし、音楽として詠んでいるので、作曲者の意図に私が合わせるのは当然である。通常の朗読は、詠み手の表現として、詠み手が詠みたいように詠む。しかし私は、作曲者の作品に自分を添わせて詠んでいる。自分の詩だが、音楽としては私の作品ではない(朗読の部分は、私の表現ではある。ちなみに、このころはまだ詩唱という言葉を用いていない)。初演は、 2006年2月5日。酒井の地元、長崎県諫早市で行なわれたkitara音楽研究所 第三回演奏会「私たちの音を求めて」である。三日後の2月8日に、伊福部昭逝去の知らせを受け取っている。
 この詩を初めて詠んだのは、ある詩の雑誌が主催する、詩の講座であった。自作の詩を詠み、それに講師が意見をいう仕組みであった。講師は、旧知の詩人、柴田千明さんであった。私にすれば当然だが、朗読という表現を意識して詠んだ。雑誌の編集長が、講評を目的にした場なのだから、そこまで意識しなくていい、というようなことをいった。講座の後、お酒を飲む機会があった。忘れ難い機会となった。およそ一年が経つころ、編集長は死んだのだ。私より若い人で、急死だったのか。講座の時は、とても亡くなるような感じは受けなかった。機会があれば、あの講座にもう一度、出たいと思う(編集長は死んでいるから現実的には不可能だろうが、現実でなければ可能ではないか?)。
 詩には、鎮魂の役目があると思う。魂は、誰かが鎮めなければ、この世をさまよい続ける。講師をしてくれた柴田千明さんに、いわゆる東電OL殺人事件で死んだ女性をモデルにした詩集『空室』がある。柴田さんがその詩を詠んだ時、二度、私は女性主人公の父親として、参加したことがある。殺人犯とされた外国人は、冤罪ではないかといわれている。また東電といえば、今は原発問題で世間の非難を浴びている。いろいろなことを思ってしまうが、そうしたことをすべて含めて、柴田さんの詩集『空室』には、鎮魂の役目が強いのではないか。

(其の十八)
『夜が吊るした命』は、より具体的な、鴉の命への鎮魂歌である。一般的に、鎮魂の行いに欠かせないのが、音楽だろう。声だけでもよい。楽器の演奏が加えられれば、魂はさらに鎮まるに違いない。(宗教儀式に音楽が、歌が、楽器の演奏がつきものなのは、いうまでもないことだ)
 田中修一のために書いた『亂譜』は、街の鎮魂歌として書いている。



街 焼き尽くさば
瓦礫なす 荒れ野なり
見たし と思へど
街のさま すでに
瓦礫なりや



 橘川琢のために書いた『夜』は、夜という時間への鎮魂歌である。



午前三時の路上をゆく
私たちの葬列
この街に 砦はいらない



 ことさら鎮魂を意識して書いたのではない。しかし後になって振り返ると、詩自体に鎮魂の気配がただよっている。私にはことさら宗教的な意識はない。しかし書き手の態度に関係なく、詩それ自体が、鎮魂の役を担おうとするようだ。
「北海道新聞」に、伊福部昭と更科源蔵の関わりについて書いた。伊福部は、更科の四つの詩をもとに、歌を作った。
『怒るオホーツク』が『オホーツクの海』になり、『昏れるシレトコ』が『知床半島の漁夫の歌』になり、『摩周湖』と『蒼鷺』は同じ題名の曲になった。すべて、鎮魂の曲と受け取れる。オホーツク海、知床半島、摩周湖、蒼鷺。北海道という土地、その生命に捧げた詩であり、音楽なのだ。

暴風雨(あらし)は遠い軍談(サゴロペ)を語り
敗北の酋長(オッテナ)が眠る森蔭の砦(チャシ)に
穴居の恋を伝えて咲く浜薔薇(はまなす)は赤く
濡れた海鳥の歌うのは何の挽歌だ
オホーツクは怒る(『怒るオホーツク』より)

死滅した前世紀の岩層に
冷却永劫の波はどよめき
落日もなく蒼茫と海は暮て
雲波に沈む北日本列島(『昏れるシレトコ』より)

大洋(わだつみ)は霞て見えず釧路大原
銅(あかがね)の萩の高原(たかはら) 牧場(まき)の果
すぎ行くは牧馬の群か雲の影か
又はかのさすらひて行く暗き種族か(『摩周湖』より)

風は吹き過ぎる
季節は移る
だが蒼鷺は動かぬ
奥の底から魂が羽搏くまで
痩せほそり風にけづられ
許さぬ枯骨となり
凍った青い影となり
動かぬ(『蒼鷺』より)

 第十三回で初演される堀井友徳の『北方譚詩 第二番』は、「運河の町」と「森と海への頌歌」である。これは第十二回で初演された「北都七星」「凍歌」に続くものだ。これらの曲のために書いた詩は、ことさら死者とか、亡き何者かの面影を想って書いたのではない。しかし、すべて北の、生きとし生ける者を想って詩作に向かった。魂に思いを寄せることは、相手が死んでいなくても、鎮魂に通じると思う。生と死は隣り合わせである。死があるから生がある。死んだ者たちがあるから、生きる者たちもある。生と死の絶えることない循環。先達の行いに、私たちの行いが続くものとなっていればうれしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿