2011年4月28日木曜日

トロッタ13通信(11/4月27日分)

(其の二十一)
 田中修一は、続けて知らせてくれた。伊福部昭は、次のように、歌のスタイルを分けた。田中の文面をそのまま引く。

1.Melismatic
一個の綴音に依って多くの装飾的音符に亘るもの。
2.Psalmodic
音符が変わる毎に綴音も変わる歌曲の様式。
3.Recitativo
声楽にあって、其の本来の詠唱性又は音楽性よりも、言葉の調子、即ち会話性を重視した声楽様式。

 そして、田中は次のように付け加えた。
 日本の歌曲はPsalmodicによるものが多い。
 近代、現代の歌曲は、Recitativo化の方向に進んで来ている。
 伊福部は田中に対し、Melismaticを重要視するように指導した。
 この分類は、伊福部の『管絃楽法』にも書かれている。「人声」の項である。
 一曲の中に全部の要素はあって、例えば、私が第十三回で歌う『ロルカのカンシオネス』の四曲、「アンダ・ハレオ」「トランプの王様」「十八世紀のセビジャーナス」「ラ・タララ」。もともと民謡だから、作曲家が考え抜いたというようなものではないはずだが、その素朴な歌の中に、三つの歌い方はすでにある。民謡だから、というべきか。そして、すべての歌い方が、私には難しい。難しさに直面している時だ。
 何事もそうだが、分類や解釈は後から生まれる。現象が先だ。無意識のうちに、民謡の作者は、すべての様式を駆使した。そして、民謡にはひとりの作者などいないはずだ。どこかの時代で、ロルカが採譜したように形としてとどめられるが、それまでは自由な形で、そのへんにただよっていた。放っておいたら、その後もただよっていたはずだ。今でもスペインでは、民謡として、ロルカが採譜したのとは違う形で歌われているかもしれない。あるいはもう、なくなっているかもしれない。
 書きながら、詩もまた、自由に形を変えるだろうと思った。すべてが朗読される必要はなく、また朗読されて音楽にもなって、あるいはひとつの詩も複数の作曲者によって形を変えて音楽になっていい。何事も固定化されるわけではない(例えば私の詩も、酒井健吉によって作曲されたものが、後に田中修一の歌曲になっている。これは決して、酒井の仕事を無視する行いではない)

(其の二十二)
 田中修一は、こんなことも教えてくれた。要約してニュアンスが違ってしまうといけないので、彼の文面を引用する。

 ストラビンスキーは「ロシアの民衆詩の一つの重要な特徴は、話される詩のアクセントが歌われる時に無視されることにある。この事実のなかには音楽的可能性が含まれている。」というような事を云っているが、先生はどうお考えになりますか、と問うた所、「日本語の詩は言葉がきちんと聞こえて、伝わった方がよろしい。」と仰せになりました。

 誰も頭に浮かぶ、どんな歌にも、これはいえることである。一曲か二曲、頭で歌えば、歌と話し言葉のアクセントは違うと思い当たる。田中と伊福部の会話を読むと、田中の質問に、伊福部は答えていないなと思う。アクセントのを無視したところに音楽的可能性がありますか? という質問には、可能性があるかないかで答えられるべきだが、そうなっていない。実際は、もう少し細かなやりとりがあったのだろう。そして、仮にこのままの会話であったとしても、伊福部は、田中に対し、きちんと答えているかもしれない。つまり、以下のように。
(−−日本語の詩は、と断っているから−−、ロシアではそうでも、日本においては、アクセントが重視され、意味が伝わった方がよく、むしろそちらの方に、音楽的可能性はある)
 もちろん、伊福部の歌曲とて、アクセントは話し言葉とすべて一致するわけではない。私がかつて愛唱し、今は気軽に歌えない歌に、『知床半島の漁夫の歌』がある。歌い出しは、「死滅した朱羅期の岩に」である。「死滅した」は話し言葉どおりのアクセント、しかし「朱羅期」は異なり、歌は「羅」に強いアクセントを置いている。話し言葉の「羅」にもアクセントがあるが、さほどではない。伊福部は、「羅」の音にひかれたのだと思う。ひかれない作曲家もあるだろう。そしてひかれたことで、そこにストラヴィンスキーがいったという、「音楽的可能性」が生まれた。「死滅した」は語りに近いが、「朱羅期の」は歌である、そして「岩に」でまた語りになる。音楽家の本能が、「朱羅期の」を歌わせたのではないか。だから、田中修一に対する伊福部の答えは、「日本語の詩は言葉がきちんと聞こえて伝わった方がよろしい。その上でなお音楽的可能性を引き出す作曲様式をとる。そこに作曲家個々の可能性もまたある」ということだったと解している(これに対する意見などがあれば聞きたい)。

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