2011年4月29日金曜日

トロッタ13通信(13/4月29日分)

(其の十五)
 このように書くと、清道が歌を作らないのではないかと誤解されるが、そうではない。歌曲のための詩を、彼は私に求めた。その発表はまだだが、すでに完成している曲もある。さらに第七回『ナホトカ音楽院』、第八回『蛇』、第九回『アルメイダ』などで、彼は非常に印象的な旋律の歌を披露している。特に『ナホトカ音楽院』は、作曲家クルト・バイルが、劇作家で演出家ベルトルト・ブレヒトの『三文オペラ』のために書いた劇中歌といった趣であった。だから、歌そのものを聴かせるというより、演劇的な枠の中、スタイルの中で、音楽を聴かせることに、彼は長けていよう。
 歌に至るまでの物語の積み重ねがあって、感情が高まったところで歌を聴かせる。
 語りや所作で聴かせ、見せるよりも、歌にすることで、より直接的に、まとまって理解させる。
 劇中歌には、このような効用があろう。だから『革命幻想歌』のように、積み重ねの上での高まりではなく突然の発露、直接にとかまとまって理解させたくない場合は、彼は歌を採らずに語りを採用する、と私は解釈している。しかし、誰もがそうだろうが、そんな解釈など追いつかないほどに、人は変化してゆくものだ。当初の構想はあったが、3月11日の東日本大震災以降、清道の心境は変化して、第十三回で初演される『ヒトの謝肉祭』の構想、それまでの作業は“解体”されたという。そう、スコアに書かれている。どんな曲になるのか、まだわからない。まだ一音も発していない。清道にもわかるまい。清道の変化が、新曲から感じ取れるだろうか。
 人は刻一刻、変化してゆくものだ。私もまた、トロッタを始めた時に、いきなり『ロルカのカンシオネス』を歌う考えはなかった。歌えればいいと思い、楽譜は十年以上前に買っていたものの、ずっと眠らせていた。変化しているのである。
 途中だが、書き添えておく。特に清道について書いていることの延長に、演劇や映画のための音楽全般の話題がのぼってきていい。根岸一郎と話した際にも、伊福部が手がけた“釈迦”の音楽の話が出た。石井漠振付の舞踊『人間釈迦』、三隅研次監督の映画『釈迦』、そして交響頌偈『釈迦』と、伊福部は三つのジャンルで釈迦の音楽を書いた。なおざりにしていい事実ではない。文章に展開する余裕はないが、そうしたことも頭に置いて、書き進めている。

(其の十六)
 何が来てもいい。これが私の基本的態度である。他の機会でも必ず書くことだが、清道の曲には、私が書いた以外の詩が、必ず用いられる。それも、私にとってみると、過剰なほどに。「作曲 清道洋一、詩 木部与巴仁」と並べず、清道の名を書くだけでいいと思わせるほどに。しかし、それもすべて受け容れたいと思っている。
 もちろん、ピアノを弾いてくれなどという要求は受け容れられないが、しかし考え方によっては、可能かもしれない。直接に弾くのではなく、間接的に弾く方法だってあるかもしれない。他人の要求を受け容れなければ、詩の一字一句、変えてはいけないという考え方につながる。それは、最も避けたいことだ。
 私には、少なくとも二つの側面がある。詩を書く者と、詩唱する者と。詩を書く立場からは受け容れがたくとも、詩唱する立場からは受け容れられる場合がある。その逆もあるだろう。これは詩唱できなくても、書ける、ということ。側面、基準がふたつあるから、どちらの基準でも判断できることになる。三つあるとも考えられる。それは製作者の側面だ(威張って書いているのではない、事実を書いている)。作曲家から寄せられる、こういう曲を書きたい、演奏家から寄せられる、こういう曲を演奏したい。そうした要求は、できるだけ受け容れたいと思っている。これにも裏表があって、私自身、あらゆる可能性を持って実現させたいから、誰の要求も呑みたいと思うのだ。実現のための手段と考え方は、局面ごと、さまざまにあるだろう。
 だから、「何が来てもいい」は、「何があってもいい(トロッタには)」に置き換えられる。現実問題として無理でも、考え方を変えれば、初期の目的は達せられるのではないかとも思っている。

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