2011年4月18日月曜日

トロッタ13通信(2)

(其の三)
 演奏家としては、ヴァイオリンの戸塚ふみ代が最も古い。
 戸塚は、名古屋フィルハーモニーの第一ヴァイオリン奏者である。
 後に『タプカーラの彼方へ』となる原稿を書いて、インターネットで発表していたころ。文章を偶然に読んだ戸塚が電子メールを送ってくれ、交流が始まった。徳島県北島町の創世ホールで、伊福部昭の『ヴァイオリン・ソナタ』他の演奏が可能だったのも、彼女の存在による。酒井健吉の『トロッタで見た夢』も、田中修一の『立つ鳥は』も、戸塚がいたから初演できた。
 トロッタ以前にも、戸塚の力は発揮されている。「伊福部昭追悼コンサート」として、2006年4月7日(金)、代々木上原のけやきホールにて、東京音楽大学付属民族音楽研究所主催の演奏会が開かれた。戸塚は『ヴァイオリン・ソナタ』を弾いた。ピアノは森浩司であった。「トロッタの会」を開こうとした時、戸塚と森のデュオを柱にと思い、打ち合わせを重ねたのだが実現しなかった。残念だが、これがトロッタの前史としてある。
 第13回「トロッタの会」で、戸塚は、伊福部の『協奏風狂詩曲』を弾く。
 もともとは独奏ヴァイオリンとオーケストラのための曲だが、伊福部自身の手で、ヴァイオリンとピアノのために編曲されている。これをもとに、伊福部には弟子である今井重幸が打楽器を加えた。伊福部の曲に寄せる、戸塚の思いが聴けるだろう。

(其の四)
 先の追悼演奏会で、私は更科源蔵の詩を二篇、朗読した。
『昏れるシレトコ』と『オホーツク海』である。
 前者は、後に『知床半島の漁夫の歌』として楽曲化された詩で、更科の第二詩集『凍原の歌』所収。後者は、頌詩『オホーツクの海』が初演された日のことを詠んでおり、最後の詩集『如月日記』所収。
『音楽家の誕生』から始まる三冊に、しつこいくらいに書いた。
 作曲家・伊福部昭と、詩人・更科源蔵の交流に共感すると。
 音楽と詩の出会い。その、最も幸福な形がここにある。
「トロッタの会」を発想した時、このふたりの先達の存在を、私は意識した。先の追悼演奏会でも、歌曲『知床半島の漁夫』を生む力になった詩として『昏れるシレトコ』を詠んだのだし、『オホーツクの海』を生んだ詩だから『オホーツク海』を詠んだ。私の朗読の後には、頌詩『オホーツクの海』の女声合唱版が演奏された。私なりに、詩と音楽の関わりを提示したつもりだ。
 伊福部昭と更科源蔵。ふたりについては、まだまだ考えたい。「トロッタの会」を開催しながら考えている。実践しつつ考えている、ともいえる。
 こうしたことを、「北海道新聞」に寄稿した。つい先日、2011年4月12日(火)の夕刊文化欄に掲載された。ひとりで書けた原稿とは思っていない。「トロッタの会」に関わった作曲家、演奏家、あるいはご来場いただいた方々、すべての力に後押しされて書けた原稿だと思っている。

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