2011年5月2日月曜日

トロッタ13通信(17/5月2日分)

(其の二十三)
 田中修一との作業は、現在、いくつも抱えていることがあり、整理が難しい。モノオペラ、合唱曲、ギター曲、独唱歌曲、その他。そうしたことを同時並行で考えながら(具体的に考えられないが心に抱きながら)、第十三回「トロッタの会」で初演する、『MOVEMENT an extra』について書く。
 既に記したが、これで四曲目の『MOVEMENT』である。田中修一から、ハラルト・シュテュンプケの『鼻行類』に取材して、『亂譜外傳』という題で詩を書いてほしいと依頼されたのは、改めて調べてみて驚いたが、何と一年前、昨年の四月三十日であった。詩を書き、作曲をして、一年がかりで演奏が実現することになるわけだ。(一年の間に二度のトロッタがあった)
『鼻行類』の内容は、すべて作り事である。鼻で歩き、鼻で補色する哺乳類が、南太平洋のハイアイアイ群島にいた。しかし、その島は核実験の影響で沈んでしまったという。学術論文の贋作だ。その島に棲息する動植物の多くが固有種だというマダガスカル島にせよ、どうせこちらは行けないし、見ることもできないのだから、鼻行類が実在したものであっても、何らさしつかえはない。私はそのような態度で、詩作に臨んだ。
 十二月五日に『楽園』という詩を書いて送ったが、これは意に沿わず(その途中、十二月十二日に谷中ボッサで『隠岐のバラッド』公演があったので、詩が書けなかった)、十二月二十九日に『儀式』という詩を送り、これが採用となったのである。『儀式』を次に掲げる。*印の詩句は、曲にする上で変更してもかまわないとして書き添えたものだ。

儀式

焼けた風に
黒髪をなびかせて
波打際を駈けてゆく(*駈ける)
女は
ヒトではなかった

色づいた実の
赤さにまさる緋の肌(はだえ)
健やかに微笑んでいる(*微笑む)
女は
ヒトではなかった

火の山の下(もと)
死の果てに生まれた生命(いのち)
原生の密林に
奥深く住むという(*住む)
女は
ヒトではなかった

雨が降る
泣きながら
風が吹く
呼びながら
雪は積もる
沈黙して

風はなく声もなく
気配も息吹も消したまま
ヒトではない
女たちが舞っている
天はビロード
稲妻に引き裂かれ
ほとばしる血の滴(しずく)
あざやかに
あざやかに あざやかに横たわる情念
無惨
愛の力は喪失し
路傍の頚木(くびき)に
一対の生き物が
縛られた
逃れられないのだから
棄ててしまえないのだから
終わりは何処にもないのだから
聴け
ヒトではない
女たちの歌声を
それは燃えながら凍りつき
 宇宙に向かって立ち尽くす


(其の二十四)
 これが曲になると、どうなるのか、ご覧いただこう。田中修一の筆が加わった詩である。

「MOVEMENT an extra~亂譜外傳・儀式」

焼けた風に
波打際を駈けてゆくものは
ヒトではなかった

色づゐた實の
赤さにまさる緋の肌(はだへ)
健やかに微笑むものは
ヒトではなかった

火の山の下(もと)
死の果てに生まれた生命(いのち)
原生の密林に
奥深く棲むといふ
ハナアルキ

雨が降る
泣きながら
風が吹く
呼びながら
嵐が來る
沈黙して

風はなく聲もなく
氣配も息吹も消したまま
ハナアルキが舞ってゐる
天はビロード
稲妻に引き裂かれ
ほとばしる血の滴(しづく)
あざやかに
あざやかに あざやかに横たはる情念
無惨
愛の力は喪失し
路傍の頚木(くびき)に
一對の生き物が
縛られた
逃れられないのだから
棄ててしまへないのだから
終わりは何處にもないのだから
聴け
ハナアルキの歌聲を
それは燃えながら凍りつき
宇宙に向かって立ち盡くす

 私は女を描いた。田中修一はハナアルキを描いた。私が描いた女も、人ではない。しかし、ハナアルキとは書かなかった。理由は単純で、ハナアルキは自分をハナアルキと思っていないから。人間は自分を人だと思っているが、「人」はものの呼び名に過ぎない。鼠を人は鼠と呼ぶが、そう呼ばれる以前から鼠はいたのだし、鼠も自分を鼠とは思っていないだろう。「ハナアルキ」という呼び名にしても、田中修一が曲目解説に書いているが、ハイアイアイ群島のフアハ=ハチ族は、「ホーナタタ」と彼らを呼んでいたのである。「ハナアルキ」は日本式の呼び方だが、現地には現地の言葉がある。すべての生物は、呼び名から自由だ。しかし性別は自由ではない。自由ではないが、ハナアルキも人も鼠も、「女」として一致する。性は動物の分類を超越している。私はそこにひかれる。
「女」が「ハナアルキ」になり、それに伴う変更以外は、「雪が積もる」が「嵐が来る」になったことだけで、詩はそのまま生かされた。そして詩は、四連までをソプラノが歌い、以下を私が詩唱し、もう一度、四連までをソプラノが歌うという構成である。
 用いられる楽器は、ファゴット、コンガ、ピアノ。田中の解説が、フアハ=ハチ族の、春の祭に触れている。もしかすると、『MOVEMENT an extra』は、その祭の音楽的表現ではないかと想像する。ではソプラノは、祭の儀式歌で、詩唱者は儀式の語り部か。違うかも知れない。その判断は、聴く者にまかされる。

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