2011年5月15日日曜日

トロッタ13通信(29/5月14日分)

(其の四十九)
■ 松木敏晃
 第五回に、『冥という名の女』を出品した。アルトと詩唱、ピアノのための曲である。この詩は、下落合を歩いていて、ふと目にとめた、くちなしの花を忘れられず、女の姿に重ねて書いた。同様の詩に、九段坂に咲く飯桐(いいぎり)の姿と、水に棲む女を合わせて書いた『水にかえる女』がある。
 松木は第四回に足を運んでくれ、その上で第五回に参加した。曲目解説には、漠然とした言葉のイメージだけを紡ぎ、詩を書くのは初めての体験だった。つまり、言葉を受けとめ、そこから浮かんでくる音楽の形をすくいとっていったということだろう。
 歌と詩唱が重なる。それぞれがピアノと重なる。メロディとリズムのぎりぎりの緊張がある。松木が教えてくれたのは、詩唱には抑揚やアーティキュレーション(音のつなげ方や強弱)があるからメロディの要素がある。しかし、リズムもまた大切だということ。特に、音楽作品における詩唱は、歌や楽器との、リズムのからみあいを意識しなければならない。それができなければ、音楽がBGMになってしまう。BGMにするかどうかは、詩唱者の力次第だ。私もうまくいっているかどうかわからない。
 松木にはぜひもう一度、参加してほしい。音楽作品は、作曲家の声であろう。私は松木の声を聴いた。『冥という名の女』の演奏後、松木の友人、知人が、曲を称賛する言葉を耳にした。その人々も、曲を通して、松木の心の形を見たのであろう。
 松木には、次の詩を送ってある。いつの日か、形になればいい。

黒い翅(はね)

木部与巴仁

燃える翅
黒くはかない
それは女の背に
生えては落ちる
つまみあげ
燃やしている
女の火にあぶられて
消えうせる
跡も残さず

女にはいわず
隠し持つ
一枚の翅
見つけておいた
部屋の片隅で
ガラスの器にしまってある
あかしとして
はかなくても
女の生を感じていたい

黒い翅
生のあかし
指先を女の背に
じっとして動かず
まかせていた からだ
かすかな気配
口づける
ほのかに匂う
裸の香りに
翅のありかを知る

(其の五十)
■ 成澤真由美
 第八回に、『オリーヴが実を結ぶころ』を出品した。トロッタでは初めてとなった、高低ふたりの女声による歌として、初めから意識して書いた。ソプラノ〈瑠璃〉が赤羽佐東子、それより低いヴォーカル〈紫苑〉として笠原千恵美が出演した。楽器は、フルート、弦楽四重奏、ピアノである。女声の対話を実現したかった。まさに、エグログである。
 成澤は、2008年12月7日(土)の第七回トロッタと、299年3月22日(日)の橘川琢作品個展2009《花の嵐》を聴いて、第八回への参加を申し出てくれた。
 曲の印象は、実験的なものであった。成澤自身が、実験を欲しているのであろう。自分に何ができるか、それを曲を書くことで、確かめたい。私もそうだ。エグログは初めてだったのだから、結果を聴きたい。ただ、実験をするならば、続けたい。一度切りの実験はあり得ない。死ぬまで実験でいいのだし、安定したスタイルにのっとって、安定した曲、あるいは詩を書き続けても、私には意味がない。次が前と同じなら、前一篇があればいいことになる。「トロッタの会」自体が実験ではないか。
 第九回へも参加してもらいたく、私は成澤に詩を書いた。成澤には別の意図があり、この詩をトロッタのためではなく曲にしたいという意向があった。幾度かやり取りがあったが、実験ではなくやり取り自体が途絶えた。返事がないまま、トロッタは回を重ねている。私は、詩を預けたつもりだ。いつでもいい。返答があればと思う。私も実験をしたいのだから。
 ちなみに、詩の最後に、記号のような一行がある。これがなぜ書かれたか、覚えていない。コンピュータを前に寝てしまい、無意識にキーを押したのか。意味は無いが、おもしろいのでそのままにした。不要なら、いつでも消せる。

ヅ・ドゼーラ症候群

木部与巴仁

ろうそくの灯(ひ)は
生命(いのち)なんだと
教えてくれた
もういない人
逝ってしまった

灯が揺れる
風もないのに
消えないで
お願いだから
呼びかけていた

ともしびに
両手をかざし
もう一度
逢わせてほしい
祈り続ける

くらやみで
胸の鼓動を
聴いていた
寄り添いながら
瞼を閉じて

ふたりだけ
ここにいるのは
あなたと私
ささやきかわす
小鳥のように

六月の朝
帰らないでと
いいたくて
後ろ姿に
言葉を呑んだ

からみあう
指先も燃え
どこまでも
歩き続けた
冬枯れの街

この肌を
あなたのものに
命すら
あなたのものに
抱きしめていて

虫にさえ
命があると
思い知る
あなたを亡くし
泣きぬれた夜

楽しかった
思い出も去り
今はただ
涙を流す
ひとりぼっちで

おやすみね
わずらいもなく
悩みもなく
苦しみもない
眠りの時を

蚊として
生まれたから殺される
ごきぶり

なめくじ
として生まれたから
殺される

だに
虱(しらみ)だったので
蜘蛛なのだ
百足(むかで)として
紙魚(しみ)だから
蛾なのだ
殺されなければならない

ヅ・ドゼーラ症候群と命名された
人を襲う
現象

薔薇の鍵は
必ず身につけましょう
足に
手に口に
白く光っている
薔薇の鍵を
頭と膝 耳と背中 かかと
紛失した場合は
罰金を申し受けます

触れると痛い
花に触れようとして
ちくり
棘に刺され
ふきだす血
思わず口にふくんで
味わう
薔薇の鍵
しっかり身につけないから
痛い思いをする
ヅ・ドゼーラ症候群
どうしてもやまない雨を
うらめしく思いながら
診断されてしまった
六月の午後

冷たい階段を下りてゆく

cchh eeeee ed dcc

0 件のコメント:

コメントを投稿